• 28 Feb
    • ランカスターとヨーク (シェイクスピアの史劇)

      イングランドは長いあいだ狂気にとりつかれ、 おのれを傷つけてきた、兄は弟の、弟は兄の血を 見さかいなく流しあい、無法にも父はわが子の、 やむなく子はわが父のいのちを奪いあってきた。 無残にも分裂をかさね、長いあいだ 引き裂かれていたヨーク、ランカスター両家を、 おお、いま、それぞれの王家の真の継承者 リッチモンド、エリザベスの両名の手によって、 一つに結び合わせることこそ神の思し召しだろう!  リッチモンド伯ヘンリー (『リチャード三世』第五幕第五場) ランカスター、ヨークはともにイングランド北西部、北部の地名であります。現在でもランカシャー州にランカスター市が、北ヨークシャー州にヨーク市があります。 それぞれの地域を領地としたので、それが家名になったんですね。日本で言えば徳川御三家の尾張家や紀伊家と似た存在です。両家はもともと兄弟の間柄であったのです。 百年戦争を引き起こしたエドワード3世(1312~77)、在位は50年の長きにわたり、王妃フィリッパ・オブ・エノー(1314~69)との間に、なんと七男五女、計十二名の子供をもうけました。ちなみにこの後も頻繁に出てくる「オブ・~」とは生地あるいは生家をあらわす呼称です。フィリッパはフランスのエノー伯爵家の出身です。十二人中、成人したのは男子五名と女子三名でした。 (エドワード3世とフィリッパ・オブ・エノー;エドワード3世の紋章) 長男はブラック・プリンス(黒太子)として名高いエドワード・オブ・ウッドストック(1330~1376)。ウッドストック城に生まれ、百年戦争前半で活躍し、勇名を内外に轟かせましたが、惜しくも父よりも先に死去しました。なぜブラック・プリンスというロックバンドみたいな名前なのか、どんな武勇をたてたのか、詳しくはコチラ の記事を見てください。 (エドワード黒太子の肖像画と彼の棺に飾られた木像;そして紋章) 次に生まれたのが長女のイザベラ(1332~79)。彼女もウッドストック城で生まれました。3歳の時に、父はカスティーリャの王子ペドロ(後のペドロ1世)に嫁がせようと考えましたが、なぜかこの話は没になり、その後数度結婚話があったのですけれども、いずれも縁がなく、結局33歳まで独身で暮らします。浪費家のオールドミスであったとの記録も残っていますが。。。なんとなく同情しちゃいますね。結局33歳でフランスの貴族アンゲラン・ド・クーシーと結婚します。ポワティエの戦いで捕虜になっていたフランス王ジャン2世が、身代金が払えずに、自由になるために交換に人質となったのがアンゲラン。ですから、彼も当時はイングランドにいたのです。父王は彼女に多量の宝石と莫大な生涯年収を与えたといいます。 その後、フランスに戻ることを許された夫とともに大陸に渡りますが、しばらく後、夫婦そろってイングランドに戻ります。 彼女は夫との間に二人の娘をもうけましたが、父の死後、夫、子供両方に引き離され、イングランドでさびしくその生涯を閉じました。彼女の財産はフランス王とイングランド王にほとんど没収されました。 次女は同じくウッドストック城で生まれたジョーン(1333~48)。彼女は父王お気に入りの娘であったそうです。姉と破談になったペドロと結婚することになりました。カスティーリャと婚姻を結んだのは、対立していたフランスを牽制するためでした。ところがカスティーリャへの旅の途中、フランスでペストにかかり、13歳であえなく世を去りました。彼女の死は父王に衝撃を与えたといいます。ペドロは結局フランス貴族の娘と結婚しますが、この正妻とは仲が悪く、幽閉してしまいました。 次男ウィリアム・オブ・ハットフィールド(1337)は生後5ヶ月で死亡。 三男ライオネル・オブ・アントワープ(1338~68)。その名のとおり、フランドル(今のベルギー)生まれ。彼は主にアイルランドで活躍しました。彼もまた、一人娘を残して父に先立って死にますが、その子供(つまりライオネルの孫)、ロジャー・モーティマーはリチャード2世から相続人に指定されます。しかし彼が王位を継ぐことはなく、男子は途絶え、その血は娘婿のヨーク家に続くのです。 (クラレンス公ライオネルの紋章) 四男がランカスター家の祖、ジョン・オブ・ゴーント(1340~99)。ゲントで生まれたのですが、ゴーント。彼はヘンリー3世のひ孫、ランカスター公爵ヘンリーの娘ブラン首都の結婚により、広大なランカスターの領土を相続しました。 (ランカスター公ジョンと彼の紋章) フランスにも広大な領地を得、父王死後、国内最大の領主となります。また少年王リチャード2世の最年長の叔父として、政治上でも絶大な勢力をほこりました。しかし兄黒太子と父王の死後はフランスとの戦況も思わしくなく、度重なる増税でワット・タイラーの乱を招くなど、人気を失ってゆきます。そして彼の強大な勢力を疎ましく思ったリチャード2世とその側近により遠ざけられます。彼は『リチャード2世』に描かれているような善人ではありませんでしたが、王位をうかがうほどの野心家でもなかったようで、身の潔白を証明するために苦心しました。 1386年には二番目の妻がカスティーリャ王ペドロ2世の娘であることを理由にカスティーリャ王位を主張。大陸に渡ります。もちろん王位実現はなりませんでしたが、その娘がカスティーリャ王に嫁ぎ、ジョンの血統が王位に就いたことは先述しました(下の系図を参照してください)。 (↑クリックすると図が拡大します) (ジョンがカスティーリャ王を主張したときに使用した紋章。第2、第3クォーター《つまり右上と左下》にカスティーリャ王の紋章を使用している) 彼は生涯3度の結婚をし、そのいずれの結婚でも王となる子孫を残しています。 すなわち、最初の妻ブランシュとの間の子ヘンリー4世から始まるランカスター王家。 2番目の妻コンスタンシアの孫がカスティーリャ王家。 そして長年の愛人であり、コンスタンシア死後3番目の妻となったキャサリン・スィフォードとの子供、ボーフォート家は後にテューダー家と婚姻を結び、エリザベス女王で名高いテューダー朝へとつながってゆきます。 彼の留守中に息子ヘンリーは氾濫を企て、一度は許されますが、彼の死の前年には息子は国外追放となります。そして彼の死後、財産を没収するという王の乱暴な処置に、息子ヘンリーは怒り、結局王位を奪い取るのです。これがばら戦争の遠い原因となるのです。 ジョンは、政治家としても軍人としても有能とはいえませんが、その大きすぎる財産が、彼の生前も死後もイングランドを揺るがすことになったのでした。 五男エドマンド・オブ・ラングリー(1341~1402)。彼は兄ジョンとは違って無欲な人で、初代ヨーク公となったのも、乱かsたー公ジョンの勢力が大きくなるのを恐れたリチャード2世の政策でした。面白いことに、彼の最初の妻イザベラはジョンの2番目の妻コンスタンシアの妹、彼の2番目の妻ジョーンはジョンの息子の妻の姉でした。ランカスター、ヨークは最初から婚姻関係で結ばれていたという訳です。 (エドマンドの肖像と紋章) 三女ブランシェ(1342)は生後まもなく死亡。 四女メアリー(1344~62)はウィンチェスターの近くのウォルサムで生まれ、1361年にフランス貴族ブルターニュ公ジャンと結婚しますが、翌年死亡。子供はありませんでした。 五女マーガレット(1346~61)は王夫妻の末娘で、1353年に3歳年下のペンブルック伯爵ジョン・ヘイスティングズと結婚しましたが2年後に死亡。子供はありませんでした。 六男ウィリアム・オブ・ウィンザー(1348)は生後2ヶ月で死亡。 そして末っ子、七男のトマス・オブ・ウッドストック(1355~97)。長男と同じウッドストック城の生まれ。彼の妻エレノアは兄ヘンリー(後の4世王)の妻メアリの姉。つまりヘンリー5世の伯母さんにあたります。上流貴族の婚姻関係はごちゃごちゃしてますね。彼は父王の死後も生き残った男子として、グロスター公爵に任ぜられますが、エドマンドと違い、甥リチャード2世とはそりがあわなかったようです。彼は議院と結び王と対立しますが、後に投獄され、(おそらく王の命を受けた)ニコラス・コルフォクスにより暗殺されました。 このトマスの死がジョンの息子ヘンリーの再びの反逆→追放を引き起こすのです。 彼は妻との間に息子を一人、娘を四人もうけました。しかし彼の公爵位は息子に相続されることなく終わります。彼の長女のアンはイングランドの有力貴族スタフォード家に嫁ぎ、その子孫はばら戦争で活躍します。 (トマスの紋章と、トマスが殺害されるシーン) 余談ですがトマスが任ぜられたグロスター公爵、なぜか悲劇が付きまとい、次に任ぜられたヘンリー5世の弟ハンフリーは失脚後暗殺、その次に任ぜられたリチャードは後に王リチャード3世となりますが、これまた戦場で悲劇の死をとげます。 クラレンス公にしてほしいな、ジョージをグロスター公にして、 グロスター公爵というのはこれまで縁起が悪すぎるよ。   リチャード(『ヘンリー六世 第三部』第二幕第六場) 上記の台詞はその事実を受けてのものなのですね。 ランカスターとヨーク、両家の争いの遠因は、そもそもエドワード3世の長すぎる在位と、子供たちに財産を分け与えた気前のよさ、そして長男の死にあるのかもしれません。幼くして王位に就いたリチャード2世は、強大な叔父を疎ましく思い、他の叔父たちにも公爵位を授けますが、それが新たな勢力を生んでいったわけです。 それにしてもカスティーリャ王ペドロ1世の名前が、これほど頻繁に出てくるとは思いませんでしたよ、もとさん!

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  • 26 Feb
    • アンデルセン 『即興詩人』

      傲慢なで幼稚ナショナリズムよ、さらば! アンデルセン, 大畑 末吉 即興詩人 上 (1) アンデルセン, 大畑 末吉 即興詩人 下  岩波文庫 赤 741-2 ヘッセの『春の嵐』について書こうと思ったのですが、たまたま岩波文庫の次のサイトを見かけ、哀しい気持ちになりました。 ふたつの"即興詩人"-アンデルセンと森 鴎外 (1997/10/29改) しかしながら即興詩人は,童話集の名声に隠れ,いまでは故国デンマークでもほとんど顧みられない作品となっています。それは,この物語がロマンティックではあるものの,単純で,話がうまく出来過ぎており,登場人物の性格が一面的である,など所詮通俗小説の枠を出ないものであったからと考えられています。 そんな中,唯一日本でのみ,即興詩人はアンデルセンの代表作の一つとして,広く名が知られ,読みつがれてきました。本書を愛し,明治25年から足かけ10年にわたり苦心の翻訳を続けた森 鴎外がいたからです。 アンデルセン=童話作家。小説家としては二流。 それはまあよしとしましょう(ホントはよくない。後述)。確かに『即興詩人』はロマン主義文学であり、ご都合主義的な展開が目立ちます(とはいえ、十分楽しめる内容ですよ)。しかしですよ、「故国デンマークでもほとんど顧みられない」とか「唯一日本でのみ~読みつがれてきました」「森鴎外がいたからです」(ご丁寧にもサイト上では太字になっている)という嘘を言ってはいけません! まずアンデルセンは、デンマークでは童話作家という範疇におさまる存在ではないのです。国民的詩人でもあるのです。確かに彼は生涯156編の童話を書きました。創作童話というジャンルを確立したのも彼です。まさに童話の王様といってもよい。ですが彼が最初に名声を得たのは紀行文学であり、そして詩人、小説家としてでした。現代でも彼の詩は愛されています。日本では15年ほど前に全集が出ましたけれども、彼は10編の小説も書いています。その代表作が『即興詩人』ですが、現在でも文庫本で簡単に入手できる『絵のない絵本』も童話ではなく小説といえますし、童話集の中でも『氷姫』のような小説といってもいい内容とボリュームを備えたものもあります。彼自身、自分の「童話」を子供だけでなく、大人向けにも発表したと言っております。 この「鴎外がいたからだ」という論調、実は鴎外の時代からずっとあったのです。原作を超えた翻訳だだから、デンマークでもすたれたものが日本では人気があるのだ。。。馬鹿を言ってはいけません。これは西洋に追いつき追い越せの時代の、勇み足的な認識。幼稚なナショナリズムの表れ。どこの国へ行っても、英語でもフランス語でもドイツ語、スペイン語、、、でも『即興詩人』は面白く、人気を博したのです。そして読みつがれているのです。 誤解しないでいただきたいのは、私は鴎外を貶めているのではないのです。彼がドイツ語訳『即興詩人』から苦労して訳出した作品を、貶めているのではないのです。私は鴎外という作家は大好きです。もちろん鴎外自身がこのような認識を持ったのでないことはわかります。つまり岩波が悪い! それに現在、『即興詩人』は鴎外訳よりも大幡末吉さんの新訳のほうが読みやすいし、読まれています。とはいえ、『即興詩人』がアンデルセンの代表作、という認識はあまりないでしょう。日本ではやはり童話の王様。彼の代表作は数々の童話でしょうね。 珍しく断言してますが、上記のことは数十年前からアンデルセン研究家、北欧文学者たちが言っていることなのです。だのに、私が高校時代に持っていた文学史の教科書でも、岩波と同様のことが書いてありましたし、1997年というつい最近になっても、岩波のサイトにこんなことが書いてある。数十年も前の文章論調を鵜呑み丸呑みにして書いているからこうなる。いったい原作を超える翻訳とはなにか。どんな観点で比べるのか。デンマークでのアンデルセンの文学的位置を調べたのだろうか。外国での『即興詩人』の売れ具合を調べたのか。 鴎外は、もちろん優れた文学者です。それでいいではないか。彼を引き下げて我の優位を語る、そんな幼稚なことをなぜやめないのか。数十年もほったらかしにして、丸写しを繰り返す岩波に、猛省を求む。 ちなみに私は大畑さん訳より、鴎外訳の『即興詩人』の方が好きです。

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  • 25 Feb
    • 三浦綾子 『道ありき』 『積木の箱』

      私は、弱い人間です。だから誰よりも強くなれるはず。 三浦 綾子 道ありき―青春編 三浦 綾子 この土の器をも―道ありき 第2部 三浦 綾子 光あるうちに―道ありき第3部 信仰入門編 去年大掃除をしていたら、過去の手紙が大量に出てきました。 その中あたに薄い水色の封筒。三浦綾子さんからいただいたお手紙です。 母の勧めで彼女の作品を読み、なかでも自伝ともいえる『道ありき』三部作に強い感銘を受け、ファンレターを出したら、まさかと思った返事が来たのです。当時高校三年生だった私は、さまざまなプレッシャーと闘っていました。周囲にはそうは見られなかったようですが。誰もが直面し、通過していった、悩み、焦り。自分はどこから来て、そしてどこへ行こうとしているのか。疑問、そして羞恥。そういったものを、手紙にぶつけたのでしょう(無精者の私は、自分が出した手紙の写しをとらなかったのです)。この三部作が私にある力を与えてくれました。その感激と、自分の中のもやもやをぶつけた、おそらく無礼な手紙に丁寧に答えてくださったのです。 当時彼女はもう自分で筆をとることがほとんどできず、ご主人に口述筆記してもらいながら、私に応えてくださった。最後に 「心を込めて署名いたします」 と病身をおして、自らの手でサインしてくださった。そこに私は万感の祈りを感じ取って、勇気付けられ、さらに調子に乗って 「私もキリスト教を勉強しています」 と返事を書いたのです。 当時私は受験生にもかかわらず(いや受験生だったからこそ、かな)、キリスト教系の新興宗教に半ばはまっており、朝に夕に聖書を読んでいたのです。しかし現在の私同様、それは信仰からきたものではなく、知識欲からくるものが大でしたけれども。 三浦さんは二通目の手紙でたいそう心配してくださりました。 当時三大異端とされていたキリスト教系新興宗教の名をあげ、 「注意してください」 と心をこめ、そして最後にまた万感の祈りを込めて、ご自分お手でサインしてくださいました。 だのに若い私は、傲慢でありました。 尊敬する人から、好きなものを否定されたショックでかたくなになり、その後彼女が「注意してください」と教えてくださったすべての新興宗教にかかわり、多くの友人を得、そして失いました。 私が結局教師(塾教師ですが)になったのも、三浦さんの影響かもしれません。 三浦 綾子 積木の箱 (上巻) 三浦 綾子 積木の箱 (下巻) 若き日の私は、キリスト教というブランドに惹かれていただけなのかもしれません。初めて親元を離れ、大阪という大都市に飲み込まれそうになって、うわべだけの人のつながりを求めただけなのかもしれません。 いえ、そうではなく、あのころの私は純真だった。無知なるがゆえのピュア、自己中心であるがためのピュアで、妥協を許さない若者でした。 今あらためて彼女の著作と手紙を読むと、当時の感動がよみがえるとともに、当時の私が持っていた、上記の危険性を見抜いていた三浦さんの洞察力が行間から読み取れます。もちろん、彼女は私をほめても下さっていました。未来ある少年の可能性を、自分のことのように喜んでくださっていました。 私は今、彼女の立場に立っているだろうか。 弱い存在であるが故の強さややさしさを、持っているのだろうか。

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  • 24 Feb
    • シェイクスピア 『ヘンリー六世 第二部』 (シェイクスピアの史劇8)

      ありがとう、両卿。だが私はまだ王ではない、 綿密な熟慮、ひそかな策謀をもってせねばならぬ。 いまはもっとも危険な時機だ、両卿は私にならい、 サフォークの無礼、枢機卿ボーフォートの高慢、 サマセットの野心、バッキンガム一味の策動には 見てみぬふりをしていただきたい。そのうちに やつらは、あの羊の群れを導く羊飼い、徳高い公爵、 善良なハンフリーを罠にかけるだろう、その結果 やつらは、みずから仕掛けた罠にみずからはまり、 死を見るにいたるだろう              ヨーク(『ヘンリー六世 第二部』第二幕第二場) ←クリックすると画像が拡大します 『ヘンリー六世 第二部』では、宮廷内の熾烈な権力争いの末に、ヨーク公リチャードが王位を要求して兵を挙げ、薔薇戦争(1455~1485)の火蓋を切ったセントオールバンズの戦い(1455)で、王と王妃が逃走するまでを描いています。 冒頭にヨーク公リチャード(以下ヨーク)の長い台詞を引用しましたが、この劇のストーリーと人物を見事に集約しているのです。 そう、ランカスター対ヨークという図式は最後にあらわれてきたもので、当初はランカスター家嫡流と傍流の内紛だったのです。 それはもう、読んでいてうんざりするほどの悪口の応酬であり、足の引っ張り合いです。 この劇には多くの登場人物がいますが、いずれもキャラクタが弱く、台詞も冗長なものがあり、人物関係の把握に苦労しました。第一部の魔女ジャンヌ・ダルクや勇者トールボットのような有名な、あるいは際立った存在もありません。 それゆえ引用したヨークの台詞はありがたかったです。 台詞中、上の系譜の中に出てこないサフォークとは初代サフォーク公ウィリアム・ドゥ・ラ・ポールという人物です。前作(第一部)で、マーガレットを捕虜とし、イングランド王妃となるように工作。王妃の厚い信用を受け、劇中では王妃の愛人として描かれております。 タイトルを背負っているヘンリー6世は、あまりぱっとしません。信仰篤き、心優しい王様として描かれていますが、その優柔不断さを王妃マーガレットにあきれられ、重臣たちの対立にも、ただおろおろするばかりです。 繰り返しますが、貴族たちの対立には読んでいても本当にうんざりします。善人である摂政グロスター公ハンフリー、嫉妬深い枢機卿ヘンリーボーフォート、そして野心家のサフォークやヨークといったキャラクタ設定はあるのですが、何度も繰り返される言い争いには参ってしまいます。中期作品の『ヘンリー5世』ではフランス貴族の内輪もめを描いていますが、そこにはユーモアがあり、メリハリがきいていて、だれることはありません。まあ、誰を感じさせるほどの醜さを描きたかったのかもしれませんが。 前作で自分には王位継承権があると知り、密かに野望を抱くヨークは、今作で始めてその胸のうちを自分の見方に打ち明けます。それが冒頭の場面で、「両卿」とはソールズベリー伯リチャード・ネヴィルとその子ウォリック伯リチャード・ネヴィル(親子で同じ名前、ややこしいので、劇と同じようにソールズベリー、ウォリックと呼ぶことにします)。彼らはヨーク方の最大の勢力となります。 ヨークは冒頭の台詞どおり、ランカスターの内紛を傍観します。グロスターはサフォークに暗殺され、それがばれて国外追放、後に殺されます。枢機卿は病死。こうしてランカスター家は弱体化してゆきます。 わが国での、秀吉死後の豊臣家の内紛と、それをうまく利用して天下をとった徳川家康みたいなものですね。 貴族たちの内紛は政治の不安を招き、アイルランドの叛乱やジャック・ケードによる一揆が起こります。ヨークはアイルランド遠征を請け、最大の願望であった兵力を手に入れます。虎が、野に放たれたのです。 貴族たちの退屈な言い争いに対し、ジャック・ケードに代表される庶民たちは生き生きと描かれています。野卑な台詞の欧州も多く、笑える場面もあります。シェイクスピアの真骨頂は、やはりここにあるんでしょうね。ジャック・ケード以前にも2箇所に庶民たちが出てくるシーンがありまして、同じくコミカルかつスピーディであります。実をいうと、ケード以外はストーリー展開上はさほど必要がない場面なのですけど、貴族たちの内紛と対比させて、めりはりを効かせているのでしょうね。 貴族たちの台詞も、王や王妃がいる場面では別ですが、やはり猥雑なものもあります。シェイクスピアらしいです。 さて、ジャック・ケードの乱は平定され、ほっとしたのも束の間、アイルランド遠征に行っていたヨークが「君側の奸」サフォークを除くのだ、と兵を挙げました。内乱の、お決まりのパタンですね。平和的な解決を望んだ王の思いはかなわず、交渉刷毛連れ質、長きにわたる内乱の火蓋がきって落とされました。 初戦セントオールバンスでヨークが勝利を得るものの、王と王妃は脱出。一応の勝利に凱歌をあげるヨークたちを描いて、この劇は終わります。しかし劇中人物も、そして観客(読者)も、誰一人としてこれで終わったという思いは抱きません。中途半端な終幕です。争いも、戦争の悲劇も、移ろいやすい人の心も、すべては第三部へと引き継がれるのです。 初期の傑作『リチャード三世』の主人公で、シェイクスピアキャラクタの中でも人気の高いリチャードが、この劇の終幕近くで初登場します。そして早速容姿をからかわれるのですが、一方でサマセットを討ち取るという手柄を立てます。 引っ込んでろ、悪意の凝り固まった醜いできそこないめ! おまえの心は、かたわのその姿同様、ねじくれている。    クリフォード(第五幕第一場) ほんの少しの出番ですが、なかなかの印象を残します。これも『リチャード三世』の有名さゆえかな? キャラクタが弱い、と申しましたが、ジャック・ケードは別格。挙兵から滅亡にいたるまでの彼の言動は、なかなか笑えます。そう、シェイクスピアはこの一揆を、史実とは異なり、シリアスではなくコミカルに描いているのです。 彼は既存の体制をすべて逆にしようとします。学問のある人はしばり首。財産はすべて共有(実態は略奪の奨励ですが)。 (ジャック・ケード 1450) そのときは金なんか廃止する。だれが飲み食いしようと感情は全部おれがもってやる。そしてみんなにおんなじ服を着せてやるから、みんな兄弟みたいに仲よくなり、おれを王様として尊敬するだろう。 (第四幕第二場) そして今後、いっさいのものは共有にするぞ。 (第四幕第七場) おれたちのご先祖は本なんかもっておらず、棒切れに刻み目つけるだけでコトタリタノニ、きさまは印刷なんてものをはやらせやがった、おまけに、国王の王冠と権威に逆らって紙工場など建てやがった。こうしてきさまは名詞とか動詞とか、なにもキリスト教徒には聞くに耐えんいやらしいことばばっかし使う連中を、きさまのまわりに集めやがった、(中略)読み書きできないって理由で縛り首にしやがった、だいたい読み書きできないってだけでもりっぱに生きる資格があるのに。 (同) 彼と周囲の掛け合いも漫才みたいで面白いです。 後のフォルスタッフやその取り巻きたちの原型が、ここにあるのですね。 ◆冒頭および本文中の台詞は ウィリアム・シェイクスピア, 小田島 雄志 ヘンリー六世 第二部 シェイクスピア全集 〔2〕 白水Uブックス より引用しました◆

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  • 23 Feb
    • 最近の私ですか・・・フッ (近況バトン)

      仲良しの史様 が、私の近況をお知りになりたいと、バトンを渡してくださいました。 リレーといえば運動会の花形種目。選手の方はクラスのスタア。ウンチ(運動神経ゼロの、運動音痴)の私にとっては、バトンは憧れの象徴でありました。ですからバトンと聞くと、血が騒ぐのであります。例によってコピペです。何回も繰り返せば、いつか受け入れられるのです。 ●最近良い事はありましたか?? ほんとうの おともだちと うそんこの おともだちの ちがいが よく わかりました。 みんな ありがとう~! ●逆に嫌な事はありましたか? 父が亡くなった ある女性と絶交した その女性の子供と会えなくなった ●周辺で起きたちょっとした事件とか 同級生がおばあちゃんに! 早婚だったからねえ。 ●マイブームは? 散歩。空や景色を見ながら。でも夜だから、景色はあまり関係ないです。 相変わらずシェイクスピアとヘンリー5世。 『マハーバーラタ』これは本当におもしろいス! 女性問題・・・なんて書くから、ズパムが来るのかなあ。恋愛や結婚、育児に関する意識の変遷とか。  現在読みかけの本   『女王たちのセックス』,『恋愛結婚の成立』   すごいタイトルですけど、真面目な本だよ。スパムやめてね。 上村 勝彦 インド神話―マハーバーラタの神々 上村 勝彦 原典訳マハーバーラタ〈1〉第1巻(1‐138章) エレノア・ハーマン, 高木 玲 女王たちのセックス 前野 みち子 恋愛結婚の成立―近世ヨーロッパにおける女性観の変容 ●最近食べた美味しい食べ物は? 全部、絶交した女性がらみなので、記憶を封印しました ●最近遊びに行った場所は? 全部、絶交した女性がらみなので、記憶を封印しました コピペです ●最近目論でいることは? 中世イングランドについてまとめて発表 の前に、中学生高校生向けの歴史物語 ●今期のテレビ番組で面白そうなのは? スミマセン~。『純情きらり』以後、ドラマは見てませぬ~ ニュースくらいかな ●スケジュール。次の予定は? 引越し。家族減ったからねえ。 ●今近況を知りたい相手はいますか? ハリーさん、かな

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  • 22 Feb
    • 長塚隆二 『政治のカメレオン ジョゼフ・フーシェ』

      日記と手紙と回顧録からのぞいた素顔は熱中先生 長塚 隆二 政治のカメレオン ジョゼフ・フーシェ―ナポレオンも怖れた男 『熱中時代』。水谷豊さん主演の、1978年に放映された学園ドラマであります。「金八先生」より前ですね。学園といっても、舞台は小学校。 オープニング主題歌は「ぼくの先生はフィーバー」。なんとCD発売されております。どこかのテレビ番組で使っているのかな。 原田潤, 橋本淳, 大坪直樹, 若草恵 ぼくの先生はフィーバー 「フィーバー」という言葉が時代を感じさせますね。 この主題歌をバックに、最初にタイトルロゴと、びっしりと手書きの字で「熱中時代」と書かれた漢字ノートが映し出されます。 昔は小学校で、こうして漢字ノートにびっしり書かされたんですよね。今はどうなのかな。少なくとも私が見ていた子供さんは、そういった宿題はなかったようです。 学園ドラマの先生ですから、タイトル通り、とてもまっすぐな先生でした。子供たちにもよく慕われて。一説によると、この番組の成功が金八先生を生み出したといいます。 ジョゼフ・フーシェ(1759~1820)―後にナポレオンにすら恐れられた警察大臣の、最初の職業は教師でした。それもきわめて教育熱心な。担当科目が数学と物理。当時の必修科目だった進学やラテン語と違い、選択科目だったそうですが、それゆえか、カリキュラムにこだわらぬ型破りな先生だったらしいです。当時は科学の発展期でもありました。モンゴルフィエ兄弟が気球を飛ばしたのもこの時代ですし、質量保存の法則を発見したラボアジェは革命の渦に巻き込まれ、ギロチンで処刑されています。革命前のフーシェ先生は、やや理系おたくだったようですが、友人と気球を飛ばしてみたり、生徒たちに実験を見せたりして、子供たちには人気があったそうです。まさに熱中先生ですね。 彼は後に校長にもなるのですが、やはり熱心な教育者で、教育に関する改革案などを提出しています。 子供たちとのつながりは強く、後に警察大臣として活躍する彼の部下の中にもかつての教え子がいたそうです。 フーシェといえば稀代の変節漢で、どんな時にも冷静沈着、常になんらかの陰謀をたくらんでいた、そんなイメージからは想像もつかないですね。この「フランス最強の頭脳にして、偉大なる変節漢」はバルザックが発掘し、ツワイクが定着させたものです。そしてディクスン・カーもそんな悪の知性に魅了されました。ですがツワイクの作品中でも、フーシェは熱心な教師であったこと、権力の座についても、自分を風刺した劇の上演を黙認したばかりか観劇して楽しんだことなど、けっこう茶目っ気があることも言及しています。 長塚さんは同時代の日記やフーシェ自身も含む同時代人の回顧録、手紙、記録などをたんねんに調べて、彼の実像に迫っています。それらを通じて、やはり彼にも若い時代、若さゆえの過ちや行き過ぎがあったのだなあとわかり、なぜかほっとするのです。 歴史の舞台に出た(国民公会議員となった)後の彼も、本書からは、今まで語られたような冷たい変節漢ではなく、熱中先生のような、熱中ゆえの過ちも犯した政治家としてのイメージが浮かび上がるのです。 ツワイクは、常に計算を働かせ、先を読み、常に多数派にとどまる彼の狡知を描きましたけれども、その最もたるルイ16世の裁判投票―国民公会議員全員が、議会においてルイの死刑の賛否を表明する―においても、当時の記録を調べ、決してそうではなかったことを証明しています。そしてフランス国内で誰よりも強い知性をもっていたこの男が、国王処刑の賛成票を投じたことが、その一生の足枷になったと、彼の行動原理をそう説明されています。 その説明が妥当であるかどうかはともかく、私たちはフーシェという一個人を、フランス史上最強の警察大臣であったという結果から眺めるのではなく、青年から老年へと、彼と歩みを同じくして眺めることができるのです。 私も以前書きました、彼の結婚について。 彼の妻ジャンヌ(1763~1812 本書ではもうちょっと詳しくボンヌ・ジャンヌ)、フーシェについて書く人が必ず「醜い」と評した彼女ですが、一枚も肖像が残っていないことから、やはり自分の容貌に自信がなかったのだろうということです。しかしその結婚は、従来言われているような財産目当てではなかろう、なぜならフーシェ家には革命で減ったとはいえ、相応の財産があったのだからと。 フーシェとジャンヌの結婚は、当時の市民階級で広がりつつあった恋愛結婚だったのですね。これまたフーシェの素顔に触れたような気がしてほっとしました。 フーシェ33歳。ジャンヌ29歳。二人とも晩婚ですね。 二人の間には1793年から1803年にかけて7人の子供が生まれました。そのうち3人は不幸にも成人する前に亡くなっています。これはツワイクはじめ誰でもが認めていることですが、フーシェはこの妻と子供たちを非常に愛し、大切にしました。そこをもう少し掘り下げて欲しかったのですが。。。フーシェの家庭生活にはほとんどページを割かれておりませんが、面白いエピソードを紹介してくおられます。 フーシェの長男が人前でそそう(お漏らし)をしたんですね。それも赤ん坊ではなく、かなり大きくなってからだそうです。ということは6~7歳かな。ところが、その時フーシェもジャンヌも叱るどころか目を細めて 「子供にはのびのびと育って欲しい」 と言ったのだそうです。私はこのくだりを読んだときに、一茂君が泥んこのままで家に上がってきても目を細めていたという長嶋茂雄さんを思い出しましたね。 「わんぱくでもいい、たくましく育って欲しい」 というのは某ハムのCMでしたけれども、その是非はともかく、フーシェも長島さんも、子煩悩だったんでしょうね。 先日亡くなった私の父もそうでしたが、子供のころから家族から引き離され、暮らしてきたゆえに余計に家庭のぬくもりが欲しかったのでしょう。 ジャンヌの活躍について以前書きましたのでコチラ を参照してください。 以前は後妻について、さんざ悪く書きました。申し訳ありません。本書を読んで認識を新たにしました。 フーシェの二番目の妻エルネスティーヌ(1788~1850)についても、他書より詳しくかかれております。私はこの本で彼女の肖像画をはじめて見ました。 目が大きく童顔で、美しいというよりは可愛い顔でした。フーシェの末娘で、90歳まで生きたジョゼフィーヌ(1803~1893)の証言も載っておりまして、やはり彼女は美人ではなく可愛いタイプだったようです。そしてツワイクが書き残したような、また以前私が書いたような、財産目当ての享楽的な女性ではなく、おとなしい人だったと。若い日の彼女は知らないでしょうけれども、そういう証言が残っているんですね。 ボンヌ・ジャンヌに先立たれ、傷心のフーシェにとって、彼女は安らぎを与える存在だった。そのことが私をほっとさせました。フーシェはライバルタレーランのような貴族ではなく、市民階級出身。それゆえ最初の結婚も、二度目の結婚も、地位や財産目当てではなく、人と人とのつながりを重視したのでしょうね。 いろいろ調べてみたのですが、二人の結婚は1815年とするものと、1818年とする二つの説があります。1818年というと、フーシェはフランスを追放されてますから、おかしいので本書では15年説。でもなぜか外国では18年説の方が多い。 1815年とするとフーシェは56歳、エルネスティーヌは27歳で、当時としてはオールドミスです。 彼女は地味な性格だったようです。結婚後すぐに失脚し、国外追放になった夫とともに各地を転々としましたが、彼女は夫によく仕え、子供たちにも愛情を注ぎました。本書では彼女の家族宛の手紙も紹介されており、それには若い貴族とのゴシップが立ち、世間の目が冷たくなったことに対する不平が書かれているのですが、その不平が初めてのものだったとありますので、そこからも彼女の我慢強さが伺えます。ちなみにそのゴシップが本当であったかどうかは、本書には書かれておりません。 フーシェが死のまぎわに彼女に言った言葉が、私を涙させます。 「もうフランスに帰っていいんだよ」 今までよく付き従ってくれた。子供たちの世話もよくしてくれた。だけどあなたはまだ若い(当時32)のだから、私が死んだ後は自由にしなさい。あなたの人生を歩みなさい。 彼女がその後どうしたのか、本書に書かれておりません。 1850年に死んだとのみ書かれております。

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  • 20 Feb
    • なんてったてアイドル

      幾度か中断しております当ブログ。帰ってくる度に変わってゆくアメーバブログ。 web of the yearでブログサービス部門第一位なんだとか。すごいですね。そういえば、アクセス解析などで「アメブロへの添付法」というのがあるくらいだから、メジャーなのでしょうね。 プロフィール欄が拡充し、いろいろ書き込めるようになりました。 みんなのBEST3なんてのは、なかなか面白いではないですか。さっそく回答してみました。 好きな虫BEST3は? ミツバチ,スズメバチ,マルハナバチと、社会性のハチばかり並んでいます。これはシャーロック・ホームズの影響。引退後に養蜂家になったというのに引きずられています。それと昔はやった 平田隆夫, 内田良平, 土持城夫, カラオケ, セルスターズ ハチのムサシは死んだのさ という歌の影響も。 マルハナバチは前二者に比べて、ちょとマイナーなので こなんのです。ミツバチよりずんぐりむっくりしていて、毛も長いですね。ミツバチよりも性質は穏やかなんですよ。 上司にしたい歴史上の人物BEST3は? 光武帝,ヘンリー5世,阿部正弘を挙げました。光武帝以外は、残念ながらまだマイナーなようです。 光武帝(紀元前6年~紀元後57年)、名は劉秀。王莽による簒奪後の赤眉の乱の混乱を統一し、漢王朝を復興しました(後漢;25年~220年)。中国史上、王朝の復興を旗印にした人物は多い―三国志の劉備などもそうですね―ですが、成功したのは、彼一人です。 彼は戦乱で疲弊した国土と人民を憂い、無駄な出費、無理な対外戦争、無益な内乱を避けました。激減した人口回復のため、たびたび奴隷解放令や人身売買禁止令を出しています。役所を統合し、軍備を縮小。民政に心を注ぎ、役人たち一人一人を自ら差面接して採用したといいます。彼こそ創業の人でありながら、同時に守成に優れた人物。現代日本にぜひとも欲しいタイプの政治家ではありませんか。 私が理想の上司の1位に置いたのは、彼自身の有能さよりも、功臣を一人も粛清しなかった、その点にあります。前漢の劉邦や明の洪武帝、現代では毛沢東と、大体粛清や弾圧を行っているのですが、彼は違う。信長なども家臣をどんどん追放しているけれども、彼は違う。英雄にしては珍しい、非常にバランスの取れた人物です。 福岡県は志賀島で発見された金印、「漢委奴国王」印を授けたのもこの光武帝です。 いーな(57年)金印、洪武帝 という語呂合わせがあります。 ヘンリー5世(1387~1422)は中世のイングランド国王。「中世イングランド最高の名君」と言われました。このブログにて十数回取り上げました。前からお読みになって方は「またか」とお思いでしょう。詳しくはそちらをご覧ください。 ハリー・モンマスとウェールズの城 (ヘンリー5世 その1) 彼は庶民とよく交わり、戦争においては略奪を許さず、味方に数倍する敵の前でよく兵の士気を高めました。 その際の「セントクリスピアンの演説」は今も有名です。シェイクスピアの戯曲によって。 「われゝは、われゝ幸福な少数は、兄弟団とも称すべきだ。今日わたしと共に血を流す者はわたしの同胞なんだから。どんな卑賎な者も今日で以って貴紳と同列になる」 (坪内逍遥訳) 阿部正弘(1819~1857)は江戸時代末期、ペリー来航時に老中を勤めた人物です。ごり押し老中水野忠邦の後を受け、困難な時勢をよく乗り切りました。 25歳で老中に就任しますが、同年水野忠邦が辞任し、代わりに老中首座にのぼります。青年宰相といったところです。 水野忠邦も傑物でしたが、いかんせん、ごり押しがすぎました。天保の改革は町人、武士、あげくは将軍にまで不評を買いました。阿部は水野を反面教師として、表面は穏やかに、しかし辛抱強く政策を進めます。 そんな折にペリーが来航。これに対しても阿部は、返事を1年先延ばしにし、諸大名はじめ庶民にまで、広く意見書を求めました。一方で人材をどんどん登用。また、島津斉彬など外様雄藩とも連携をくもうとしました。 彼が見出し、登用した人材―大久保忠寛、川路聖謨、水野忠徳、江川英龍、ジョン万次郎、岩瀬忠震といった人々が、瓦解してゆく幕府を支えていったのです。残念ながら阿部の死後に安政の大獄という粛清の嵐が吹き荒れ、彼の見出した人材や、彼の同志とも言えた大名たちが政界から消えてゆきました。このため幕府は滅んでいったともいえます。しかし明治維新が他国の革命やクーデタよりもスムースにいったのも、彼ら幕末官僚のおかげなのです。ちなみに勝海舟はペリー来航時に意見書を出して認められ、大久保忠寛に見いだされました。 阿部の政治姿勢は「優柔不断」「八方美人」との批評もありますが、一方でそのバランス感覚のよさを評価する声もあります。 光武帝と同じで、激しさはありませんが、部下をきちんと評価してくれそうですね。 こうして見ると、私は、「部下のやる気を引き出す」かつ「むやみに首を切らない」上司を求めているようです。 信長は、いやだなあ。ストレスではげそう。。。 秀吉も気前がよかったけど、粛清をしたしなあ。家康はけちだから論外。 好きなアイドルBEST3は? ここでやっとタイトルの示す内容にたどり着きました。 ジャンヌ・ダルク,高田みづえ,ヘンリー5世をあげました。 ジャンヌ・ダルク(1412~1431)はまさにアイドル(偶像)といえるでしょう。生前は「乙女」として、武将ではなく、シンボル、それも最前線に立ったシンボルでありましたし、その死後はますます偶像化が進み、「救国の乙女」となりました。 ナポレオンがナショナリズム高揚のために彼女を再発見して以来、フランスの危機の折は彼女の名前が持ち出されました。そしてフランスから遠く離れたわが日本でも、彼女は奇跡と伝説に包まれた偶像として、多くの人の心をつかんで離しません。ジャンヌとナポレオン、日本人が知っているフランス人といえば、この両名がまず筆頭でしょう。 私もまた、高校時代から彼女に関するものを読みふけりました。 ジャンヌ・ダルクについてもこのブログではたびたび取り上げました。ヘンリー5世に次いで多いかもしれません。 。。。私は狭い範囲のことばかり、書いているのだなあ。ま、好きだから、いいか。 よい子、強い子、農夫の子 (ジャンヌ・ダルク その1) も、見てねっ 高田みづえさん(1960~)は鹿児島県は指宿出身のアイドル歌手で、1977年に「硝子坂」でデビュー。「私はピアノ」「そんなヒロシに騙されて」などのヒットを飛ばしました。高い歌唱力には定評があり、8年間の芸能活動中紅白に7回出場。1985年に同郷の大関若島津関と結婚して芸能界を引退。今は松ヶ根部屋のおかみさんとして、そして一男一女の母として活躍してます。 部屋のイベントの時にはいまでも歌を歌ってくれるそうですよ。 高田みづえ 高田みづえ シングル・ベスト30 実は、私は高校~大学時代、高田みづえさんのファンクラブに入っていたんです(汗)。 ヘンリー5世、再登場。ちょっとのぼせすぎかもしれません、私。彼を偶像視してますね。という訳で彼もアイドルの仲間に入れました。 ヘンリー5世の魅力 も見てね!

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    • The Empty Envelope

      今度は暗号だ~! Ron Roy, John Steven Gurney The Empty Envelope (A to Z Mysteries) おなじみのA to Z Mysteriesの5作目はEmputy Emvelope(空っぽの封筒)。タイトルからしてミステリじみています。 去年の5月から始めて、まだ5作目。せめて月イチくらいのペースでご紹介できるよう、がんばらなきゃ。 前作でメーン州に出かけ、お城のなぞを解いた三人組。今回は再び自分たちの町、コネチカット州はグリーンローンに戻って活躍します。 わが町に戻っても、仲良し三人組はいつも一緒。今日もDinkの家の庭でバレーボールをしています。 それにしても、庭でテントを張ったり、バレー(挿絵だとバドミントンコートくらいの広さだけど)ができちゃう、郊外の中流家庭、庭付き一戸建て。やっぱりアメリカは広いですねえ。 さてそこに届いた一通の手紙。宛名はD.DUNCAN。われらがDick Duncan君のことかと思いきや、さにあらず。DickならぬDorisさん宛のお手紙だったんですね。住所はDickのものなのに。しかも今日ので5通目。 表紙は5通目の封筒を開けているところ。他人宛の手紙を開けちゃうところがすごいですが、こんどこそDick Duncan宛てかもしれませんからね。そこは大目に見ましょう。 ところが封筒は空。まさしくemputy。ミステリです。 そして三人はまたもや犯罪に巻き込まれてしまうのです。 表紙のイラストで 封筒をあけているのが、読書家、特にミステリが好きなDick。 後ろで見守る、赤毛の男の子が、絵を描くのが好きなJosh。 そして紫の服を着ている女の子が、いつもここ一番でひらめきと度胸を見せているRuth Rose。 空っぽの封筒で、何が送られてきたのか。 今回はJoshが暗号を解読し、Ruth Roseが大胆な演技で犯人をわなにはめちゃいます。 しかし、そんな三人の後ろには、大人たちの温かい目とがっしりした腕が、いつも彼らを支えているんですよ。 よい子は(大人も)真似しないでね。危ないから。

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  • 19 Feb
    • 杉山 亮 『にゃんにゃん探偵団』

      お化けとミステリは人気者! ちょっと時期ははずれましたけれど,お年玉のお話。 私はクリスマスやお正月には,子供さんたちに本をプレゼントしています。 本当はね,きちんとお年玉あげたいんですよ。そしてもちろん,ふだんあまり会っていない子供さんにはお年玉(お金)をあげています。 でおいっ子とか,友人のむすめさんなどよく知っている子供さんには本をあげてるんです。 (おいっ子がまだ本を読めない小さいときは,お金でした。それもお札よりピカピカの五百円こうかを喜ぶ,おじさん思いの良い子でしたよ) 「お金やゲームより本を」 というお母さん方の希望によるものです。 今では私のポジションは「本のおじさん」です。 おいっ子は『かいけつゾロリ』シリーズをあげれば問題ない。 友人のむすさんは…最初本をきらってたんですよ。国語もきらいで。 最初にプレゼントしたのが『あらしのよるに』でした。アニメにもなりましたからね。 これがはまった。いつの間にか図書室から借りてくるようになって。子供向けのミステリが多いですね。 「推理小説が好きなの?」 「そんなのきらい」 「どんなのが好き?」 「ミステリー」 いまや小学校低学年でも横文字を使う時代なんですな。 児童書は子供さんにとっては高価なものでしょう。私も小さいころはポプラ社の少年探偵団シリーズが大好きでしたけど,おこづかいでは買えませんでした。でも,ゲームなどにくらべたら安い。他の大人より安い投資で本人たちに喜ばれる。なんかズルした気分です。 今年の「お年玉」は次の2冊。 杉山 亮, 小松 良佳 にゃんにゃん探偵団 杉山 亮, 小松 良佳 にゃんにゃん探偵団おひるね―赤いとびらの家事件の巻 可愛い表紙に可愛いねこ。好きな人にはたまりませんね。 他人にプレゼントしたのに,内容を知っているのは,買う前に少し立ち読みしたから。そして,プレゼントした後にも,一人部屋で待っているときなどに本だなから出して読んだからです。もちろん事前にきちんと言ってありますよ。 まだ大人が読むと十数分で読めるボリュームなんですね。でも子供の成長って早いから,どんどんボリュームも増えてくるでしょうね。 探偵役ははなえさん。子供の本の店「トム・ソーヤ」の女主人です。 子供向け本屋とねこ,そして事件。あまりつながりがなさそうですが,実はこの本屋のおとなりさんが,同じ杉山亮(すぎやま・あきら)さんのミステリシリーズ『わんわん探偵団』の主人公のお店。「わんわん~」の主人公が留守だったため, 黒星警部がたずねてきたというのがはじまりです。 本が好きで,その中でもミステリが好きなはなえさんは「私に任せて」とばかりに事件を解決してゆくのです。 そして最初の事件の後,はなえさんに預けられたのがでぶっちょねこのカポネ。本屋さんと警部とねこはこうして出会い,以後協力しながら活やくしてゆくのです。 1冊に3つのお話が入っておりまして,それぞれが「事件編」と「解決編」に別れております。小松良佳さんえがく,さし絵にも手がかりがかくされていることもから,油断できません。 子供向けミステリですから,殺人事件はありませんが,油断をすると犯人(作者)との知恵くらべに負けてしまいますよ~!

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  • 18 Feb
    • シェイクスピア 『オセロー』 (ネタバレ含)

      おそらく肌の色が黒く、 やさ男の優雅な物腰をもちあわせないために あるいは年がそろそろ峠を越えたために― たいして越えてはいないのだが―あの女は 離れていった。おれはあざむかれた。おれの救いは あの女を憎むことにしかない。             オセロー(『オセロー』第三幕第三場) 私が小学生の時に発売され、瞬く間に世界に広まっていったボードゲームがありました。オセロ(Othello)です。 ルールはとても簡単で、小学生だった私でもすぐにプレイできた半面、運やイカサマが入る要素はなく、純粋に知的にプレイできるという、大変完成度の高いゲーム。深緑色の盤と、厚手で両面を黒白に塗り分けられたプラスティックの石は、子供心にかっこよく見え、それを持っている子は周りからうらやましがられました。 日本人が考案した、ということで話題になり、小学館の学年雑誌などで、開発エピソードが漫画で紹介されていました。それによると、「オセロ」という名前は、黒人の将軍と白人の妻の関係がめまぐるしく変わる、シェイクスピアの劇にちなんだ、ということでした。私はここでシェイクスピア(の名前)に出会ったのです。 主人公である黒人将軍の名前はオセロー(Othello)。ただし劇中は黒人という表記はなく、「ムーア人」となっています。このムーア人が黒人なのか、アラブ人なのか、あるいはその混血なのかは議論が分かれておりまして、役者さんも演じるにあたって黒く塗ったり、褐色に塗ったりしています。もちろん黒人がそのまま演じる場合もあります。ですがその違いはあまり重要ではありません。ともかく彼はヴェネチア共和国(ベニス;イタリアの都市名)の傭兵として、数々の武勲をあげ、キプロス島の総督に任じられるほど、政府の信頼を受けていました。 彼の妻はデズデモーナ。ヴェネチアの貴族の娘です。オセローの武勇談やそれに伴う孤独な半生の話を聞くうち、彼を愛し始め、人種や年齢の壁を越えて、父には秘密で結婚。 これらのことは劇中では事後報告されるのみです。つまりシェイクスピアは、はじめに完璧な愛で結ばれた二人を作り上げているわけ。 〔オセロー(ローレンス・オリビエ)とデズデモーナ(マギー・スミス) 1965年〕 *オリビエは黒塗り。マギー・スミスと言えば最近は『ハリー・ポッター』シリーズのマクゴナガル先生で有名ですね。 そんな完璧な愛で結ばれた二人を破滅させるために、シェイクスピアは悪役イアーゴを登場させ、舞台をヴェネチアからキプロス島へ移します。閉鎖された空間の中へ。 イアーゴは登場人物たちの間をうまく立ち回り、ささやきかけ、劇の進行そのものを支配します。そしてオセローに、デズデモーナが自分の副官キャシオーと不倫の関係にあると騙し、嫉妬に狂ったオセローは妻を絞め殺してしまうのです。 『ハムレット』『リア王』『マクベス』と共に、シェイクスピアの傑作四大悲劇の一つに挙げられている『オセロー』。 小学六年生で『リア王』を知り、新潮文庫でシェイクスピアを読んでいった私が、中学・高校時分に一番よく読んだのがこの『オセロー』でした。 まず『オセロー』が他の悲劇よりもわかりやすいからです。閉鎖された空間で、夫婦と彼らを巡る少数の人々。これは家庭劇であり、愛の悲劇なのです。 次にオセローが武人であったこと。 肌が黒いことを、敵対者には影で揶揄されながらも、彼自身の輝かしいキャリアと高潔な人格は、誰しも認めるところでした。 「きらめく剣を鞘におさめろ、夜露で錆びるぞ」(第一幕第二場) などのように、武人らしく、端的でかっこいい台詞を吐いております。 武人としてかっこよければよいほど、後半の情けなさとのギャップが目に付くのですが。。。 しかし、それも新田義貞や呂布と同じく、滅びの悲劇なのです。強ければ強い分、滅んでゆくときははかないもの。 そして無骨だったからこそ、イアーゴに簡単に騙されてしまったのでしょう。長い間戦場にいたからこそ、短絡的に愛情が嫉妬に変わったのでしょう。 対するデズデモーナはお嬢さんゆえの無邪気な女性。それゆえ、年上の男性の孤独を癒したいと考え、ずるがしこい男の企みを見破れなかったのでしょう。 イアーゴはリチャード三世と並ぶ、シェイクスピアの作り上げた悪の英雄です。彼が姦計を巡らせる理由は、デズデモーナへの横恋慕、オセローの地位や名声に対する嫉妬、キャシオーの地位に対する嫉妬などと自分で独白していますが、これもリチャードが己の容姿に対するコンプレックスや兄たちへの嫉妬を述べるのと同じく、後付であって、本当の動機ではありません。むしろ悪を行う自分に陶酔しているかのようです。 そして劇中の誰も彼もが簡単にイアーゴに騙されてしまう。彼は雄弁で、主人公のオセローよりも台詞が多く、ウィットに富み、シェイクスピア劇によく出てくる道化の役割も横取りしてしまうほど。 「主役はオセローでなく、イアーゴだ」 と述べる評論家もいるほどです。 劇を見る(読む)我々も、他人の心の隙間にうまく忍び込む彼の姿に圧倒されて、ほとんど不自然さを感じさせません。 不自然。 実はこの劇には、トリックが仕込まれているのです。 以下ややネタバレです。ネタが割れても十分楽しめる作品ですが、気になさる方はここで終わってください。 1日目の夜、オセローはデズデモーナと結婚後すぐ辞令を受け、キプロスに立ちます。 2日目。オセローの後を追ったデズデモーナ(と護衛のイアーゴ)はオセローより少し前に島に到着。オセローと合流。そして新婚夫婦は初夜を迎えます。到着直後からイアーゴは暗躍を開始。 3日目。イアーゴが大活躍。オセローに嫉妬の毒を注ぎ込み、ついにその夜、夫は妻を殺害。しかし最後に悪事は露見して、イアーゴは逮捕され、自分の非を悟り、妻の貞淑を知ったオセローは自害。 かような具合に、シェイクスピアの他のどの悲劇よりもスピーディにことは進んでゆくのです。 しかし、ちょっと待って! オセローは新婚3日目(実質2日目)で妻の貞淑を疑い、浮気をしていると信じて殺してしまっています。 しかも彼が妻の不貞を信じるのは最後の日のこと。一日のうちに彼は幸せの絶頂から不幸のどん底まで引きずり落とされるのです。 *冒頭「おれはあざむかれた」とあるように、オセローは妻に結婚後の不貞をなじるのです。 **ヴェネチアからキプロスまで何日かかったかは明言されてませんが、その間オセローはキャシオーと、デズデモーナはイアーゴと行動を共にしていたので、デズデモーナとキャシオーが不倫する暇はないのです!「 しかし観客、あるいは読者はそこに気づくことはほとんどありません。私も、各種批評を読んではじめて気づきました。 推理小説やホラー小説がそうであるように、劇中の物理的な時間と心理的な時間がずれてしまうのです。 それを助長するような台詞もあります。デズデモーナは夫との結婚生活を振り返るような台詞。 こうした矛盾を、シェイクスピアはわざとさらけ出しています。 一日のうちにめまぐるしく変わってゆく展開に、オセローも観客も圧倒され、キャシオー本人に何の確認もとらないオセローの行動を自然に受け入れてしまいます。そんな暇がないのですからね。 一方でオセローやデズデモーナの嘆き、イアーゴのささやきにより、物理的な二日間を、心理的に数年間に感じ取り、不貞を働く時間もあるとのイアーゴのシナリオに乗っかってしまうのです。 イアーゴのささやきは、誰かが他の誰かに確認してしまえば、すぐ崩れてしまうものでした。そこをうまく分断するイアーゴも見事ですが、それも2日間という短時間ゆえできたこと。 イアーゴは作者の分身なのではないか。 そう思えてしまうほど、彼は最後まで物語を支配しています。 ですが最後の最後に彼の企みは皆の知るところとなり、イアーゴは敗れます。 オセローは自害しますが、妻の愛を信じることができ、救われたのです。最後に物語り進行の主導権を取り戻したのです。 ◆冒頭および本文中の台詞は ウィリアム・シェイクスピア, 小田島 雄志 オセロー シェイクスピア全集 〔27〕 白水Uブックス より引用しました◆

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  • 17 Feb
    • カラーバトン

      あなたの色に染まりたい ええと、バトンであります。あこがれのぐた姉 にいただきました。 リレーといえば運動会の花形種目。選手の方はクラスのスタア。ウンチ(運動神経ゼロの、運動音痴)の私にとっては、バトンは憧れの象徴でありました。ですからバトンと聞くと、血が騒ぐのであります。前回と同じ文句であります。コピペです。 1 好きな色は? 原色は好きですね。パステルカラーも好きです。 もう何でも好きです。来るものは拒まずです。 色物タレントは大好きです。 よく着る服の色は黒。カーキ色。ベージュ。サックスブルー。無難なところを着ています。 組み合わせでは黒系と赤系、茶系と赤系が好き。 スカーレットも好きですよ。スカーレットと言えばやはり ビビアン・リーは、私の中では世界最高の美女です。 バレンタイン・ディが近づいてくるとショコラ色が好きになります。色だけでなく、本体も募集しております。 。。。もう終わってるんですね。また来年があるさ。 しかし微妙な色はコードを調べるのが大変だなあ。 青系統の色は色々な思い出があります。 子供のころは群青色と藍色が好きでした。12色の絵の具にはなく、単色で親に買ってもらったのがこの2色だったからです。 中一の最初の理科の授業で、先生が硫酸銅の結晶を見せてくれました。 それも手のひらいっぱいの大きさのものを、です。教科書にも写真が載っていたのですが、「どうせ塩粒みたいに小さいんだろう」と思っていたのでびっくり。その美しさに惚れ惚れしました。四半世紀以上経った今でも、鮮やかに心に残っています。でも毒性があるため、取り扱い注意、だそうです。 小さなころ昆虫図鑑で見た、ルリボシカミキリ。 瑠璃の名に恥じぬ、美しい昆虫です。タマムシやハンミョウの美しさよりも好きです。瑠璃色というよりはシアンに近い色ですね。一度は捕まえたかったのですが、かないませんでした。捕まえられたのはゴマダラカミキリばかり。 ところが先日、うちの団地のエレベータボタンにとまっていたんですよ! さすがに捕まえませんでしたけれど、少年の日の興奮がよみがえりましたね。 平安末期~鎌倉時代の大鎧では紫裾濃(むらさきすそご)という配色(威=おどし、という)があります。 (重要文化財・紫裾濃鎧・東京御嶽神社) 古いからだいぶ色あせていますね。紫のグラデーションになるように威した鎧です。 源義経が好んで着用したのも紫裾濃です(NHK大河ドラマでは義経が厳島神社に奉納した緋縅の鎧のレプリカを使っていました。これも義経が好んだ鎧でした)。強さよりも美しさを感じさせますね。 (安田靫彦画「黄瀬川陣」義経とそのアップ) 2 嫌いな色は? 単色で嫌い、てのはないですね。やっぱり組み合わせでしょうか。 茶色にショッキングピンクとか、緑系に茶色の斑点とか。斑点の大きさにもよりますが、私の趣味に合わない配色です。 二十代のころ真っ赤なジャケットとアイボリー(←反転しないと見えないかも)のパンツを買ったことがあります。 「漫才士か、お前は」と言われました。あまり思い出したくない出来事です。 オタク第一世代だけど、「萌え」は苦手です。萌黄色は好きですが。 ところでどどめ色ってどんな色?? 3 携帯の色は? メタリックシルバーです。鏡として使えます。男は身だしなみが大事ですから。。。 根性出せば映し出された姿が見えないことはないです。 以前はメタリックブルーでした。鏡として使えないことはないです。いつも青ざめておりました。 4 貴方の心の色は? みどろ色です。みどりじゃあないス。みどろ。そんな色の名前は多分ないでしょう。 こんな色とこんな色の中間みたいな色。にごった水の色。 水底からメタンガスが発生してそうな水の色。 最近ちょと不貞腐れていて、自分でも見通しが悪いのです。 ガス抜きが必要です。 5 回してくれた人の心の色は? 黒です。ブラックです。なぜなら女性の心は、私にとっていつまでもブラックボックスだからであります。 6 次の6つの色に似合う人にバトンを回してください うわ。どうしよう。また指名ですね。 私そんなに友達いないんですよ。書いてる自分でも寂しいですが。 皆さんお忙しそうで。 なのでぐたさんの真似をして 赤  情熱的な、リーダータイプのあなたに。 青  クールでいて、情熱を内に秘めた花形満タイプのあなたに。 オレンジ  科学特捜隊やマット、ザットのように、地球を守りたいあなたに。 ピンク  紅一点タイプ。同性とはあまり遊ばないで、男の子の輪の中にいる、しずちゃんタイプのあなたに。お姫様タイプでも可。 黒  陰のある、ちょっと寂しげな、女心をくすぐるあなたに。 白(←反転しないと見えないかも)  100Wの裸電球。明るく、何も考えていない(←やはり反転しないと見えない)あなたに。 ご自分で、このタイプだと感じたら引き受けてください。 。。。丸投げですね。 短いバトンだったけど、難しかったであります。 好き嫌いどちらもあまり考えたことのない分野でしたから。自分を見つめなおすよい機会でありました。

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  • 16 Feb
    • フランス王妃イザボー・ド・バイウェール

      悪女とは言うが、悪男と言わないのはなぜだろう? (フランス王妃イザボー・ド・バイウェール 1370~1435) 先日に引き続きまして、恋愛と結婚について。 シェイクスピアの史劇を通じて、ずっと中世のイングランドを眺めているんですけれど、近代以前の西洋の女性の恋愛はどうだったのでしょうか。 不勉強ゆえ、当時の社会や文化風俗がまだあまりわかってませんので、ここでは王族や貴族の女性について。 日本は一夫多妻(正妻とそれ以外の女性たち)が社会的に認められていましたから、子供ができなければ別の女性に、ということが可能(逆に婿養子も同じで、無能な婿が離縁されるケースもありました)だったけれど、ヨーロッパでは一夫一婦制のキリスト教社会でしたから、しかも神の祝福を得た夫婦だから、原則離婚は認められず、大変だったようです。 かのエリザベス1世の父親で、マーク・トウェイン『王子と乞食』にも出てくるイングランド王ヘンリー8世。彼は世継ぎとなる男の子をもうけるために必死で、6人の妻をとっかえひっかえ、離婚したり、刑死させたりと手段を選びませんでした。 ペロー童話『青髭』のモデルになった人でもあります(モデルに関しては異説あり)。 ←クリックすると拡大します それだけ無理をしてやっとこさ生まれたのがエドワード6世。『王子と乞食』の王子様であります。ですが無理が祟ったのか、刑死に追いやった女性たちが祟ったのか(実は父から先天性梅毒を受け継いでいたらしいですが)、幼いころから病弱で、父の死によりわずか9歳で即位するも、15歳で病死してしまいます。かわいそうなエドワード。 国王や貴族ともなると少なからぬ愛人がいたようですね。そこらへんは日本と変わりませぬか。 女性の場合はどうだったんでしょう? 池田 理代子 ベルサイユのばら(5冊セット) 池田理代子さんの代表作『ベルサイユのばら』では、王妃マリー・アントワネットの恋人としてスウェーデン貴族のフェルゼン伯爵という人物が出てきます。アントワネットはフランス王ブルボン家の最大のライバル、神聖ローマ皇帝ハプスブルク家出身で、もちろん政略結婚でした。フェルゼンとのことは宮廷でも噂になり、夫ルイ16世の耳にも届いていました。とはいえフェルゼンとアントワネットの関係はプラトニックなものであったらしい。 (フェルゼン伯爵 1755~1810) プラトニック・ラヴであろうとロマンティック・ラヴであろうと、当時そのような噂が出たということはそれを受け入れる土壌があったから。ベルサイユ宮殿に象徴される栄華を誇ったフランス宮廷ではかなり自由恋愛―当然結婚とは別―が盛んで、男女問わず複数の愛人を持っていたようです。 『ベルサイユのばら』より400年ほど前のフランス。当時はイングランドと長い間戦争状態にあり(百年戦争)、国土は荒廃しておりました。そこに颯爽と現れたのがジャンヌ・ダルク。彼女は南仏で不遇をかこっていたシャルル7世を正当な王として戴冠させ、劣勢だった戦況を逆転させます。 なぜシャルルがジャンヌの出現まで王として認められなかったかというと、実の母親から非嫡出であるとされたからなんですね。 そのお母さんとはイザボー(イザベル)・ド・バイウェール。ジャンヌ・ダルクが「救国の乙女」として賞賛されているのとは逆に、「淫売の売国奴」と呼ばれた女性です。ひどい呼ばれ方ですね。 ←クリックすると拡大します 彼女は夫シャルル6世との間に11人の子供をもうけています。夫婦仲がよかったように見えますが、夫が精神をわずらい発狂してしまう、という悲劇にみまわれます。その後は義弟のオルレアン公ルイと不倫の仲に、それも公然とそうした関係を作ったのです。そしてそのオルレアン公が政敵に暗殺されるや、その政敵を愛人にする始末。さらにシャルル7世を「夫との間の子ではない。不義の子だ」と自分から言い出しちゃうんですね。そして実の子を廃嫡にし、娘婿であるイングランド王ヘンリー5世を跡継ぎとして認めたのです。 (1420年 トロワの和約にてヘンリー5世とキャサリンが結婚) 「淫売」「売国奴」と呼ばれるのも無理からぬことかな、と思います。 しかしそれはあくまで勝者(シャルル7世やその後のフランス)の視点であり、男からみた言い分ではないでしょうか。 もしイングランドが百年戦争に勝利していたら、英仏統一王国実現を手助けした人物として、彼女の評価もずっとソフトになったでしょうね。 それに彼女の立場に立ってみれば、その生き方は当然、とは言えないまでも、しょうがない部分があったわけです。 政略結婚で異国(彼女は南ドイツ出身)の王に嫁いだものの、夫は頼りなく、やがては発狂してしまった。長きにわたる戦争で国内は分裂し、国土は荒廃しているのに。だから彼女が実力者である義弟や大貴族と結んだのは、恋愛もあったかもしれませんが、むしろ保身にあったのではないでしょうか。 実の息子を切捨て、敵国の王を後継者にしたことが彼女のイメージを徹底的に悪くしたのですが、これも結果論。ヘンリー5世は「中世イングランド最高の名君」と呼ばれたほど優れた人物でしたし、娘婿でもありましたし。江戸時代の商人が優秀な人物を娘婿としたのと同じですね。「売国奴」どころか国のことをよく考えた結果だと、私は思います。しかも自分の孫であるヘンリーの息子には英仏二つの王冠が約束されるのですから。 たとえ政治的判断よりも愛情を優先させていたとしても、淫売呼ばわりはないでしょう。 「自由意思なく、政略結婚の犠牲になった女性はかわいそう」 と考えるなら 「自分の意思で恋愛をしたイザボーは、立派だ」 となりませんか? 愛人を持つとなると、男より女の方が評価が厳しくなるのはなぜでしょう。 不幸なことにヘンリー5世はシャルル6世よりも先に亡くなってしまいました。シャルル6世亡き後はヘンリー5世の息子、ヘンリー6世が英仏両王国を受け継ぐのですが、1歳に満たない幼児のもとで、再び世は乱れます。 中世の女性たちは政略結婚をし、夫婦不仲であれば修道院に幽閉されるなどの憂き目にあいました。そうした中で、イザボーは雄雄しく自分と自分の国の運命に立ち向かったといえましょう。 。。。しかしこれもすべて私の憶測にすぎません。 彼女らがどんな気持ちで生きたのか、私にはよくわかりません。 女性から見たら、彼女たちの生き方はどうなんでしょうね? 念のための余計な付記 ①私はフェミニストではありません。男女は本質的に平等であることは認めますが、形の上で何でも平等にしようとする運動には共感できません。 ただイザボーなどが「悪女」と呼ばれるのは、男性から見た評価にすぎないと思います。 ②私は不倫を肯定しておりません。ただ昔のと今のそれが同列ではない、ということはわかっていただきたいです。 恋愛とか、職業選択とか、外出や旅行、住居移転などが、昔はほとんど自由でなかった。そんな時代の恋愛事情を考察しました。 もっとも庶民はもっとおおらかな性意識を持っていたらしいです。

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  • 14 Feb
    • 藤澤茂弘 『春姫さま』

      名古屋にも大仏があったんですって! バレンタイン・ディということで、愛について考察したいと思います。思いますが、私あまり得手ではないので、お見苦しい文になるやもしれません。 一部の国や地方をのぞいて結婚は人間同士、男と女でなされるもの(馬と結婚しようとし、それを認めなかった役所を訴えたアメリカ人がいたそうですが)。そして現代日本では、相手は自分で見つけ、自分の判断で結婚するのが大部分なのでは。。。私、未経験の故、断言はできませんが、友人知人の多くはそうでした。そして結婚の前提として、相手に好意を抱いていることが重要なのでは。。。これもなんともいえませんが。端的に言えば、未婚の間の恋愛は結婚の前段階なのでは。 今では自由恋愛、自由結婚(そして自由離婚)が広く認められていますが、数十年前はそうではなかったようで。 ましてや近代以前の結婚、それも社会の上の方の階級となると、本人の意思より周囲の意思が大きなウェイトをもっていたのでは。。。現代もそうかもしれませんね。 周知のことをもってまわった言い方で書きましたが、ここでふと考えてしまうのは、近代以前の女性の描かれ方です。 政略結婚で見ず知らずの相手に嫁いだり、権力者のオメカケさんになったり、お寺さんに入れられて生涯独身ですごしたりした女性を、悲劇の人物として扱う描き方。 私は現代人のそれも男性で、同じ時代の女性のこともわからぬので、非常に悩んでいるのです。 これは自由恋愛、自由結婚(および自由離婚)が常識となった現代人の感覚ではないか。恋愛至上主義なロマンティックな感覚ではなかろうか。そして女性をか弱きヒロインとして扱う描き方ではなかろうか。彼女たちは、自分の運命を「不幸」として、残りの生涯を泣いて過ごす、弱い存在なのだろうか。 でも、それもむりからぬことかもしれません。個人の記録などめったに残っていず、北条政子や日野富子など自らの意思で行動した女性以外はわからないのが普通。私たちが女性の心情に触れることができるのは『蜻蛉日記』をはじめとする平安~鎌倉の日記類くらいでしょう。その筆頭である『蜻蛉日記』で、夫藤原兼家が他の女性の下へ通うことを悩む作者(道綱の母)の心情が書き連ねてあるので、そのイメージが大きいのでは。ところがこの当時の貴族社会も結構自由恋愛だったようで、中世後期~近世とは微妙に異なるんじゃあないかと思います。 実際当時の女性の感覚ってどうだったんでしょうね。 『春姫さま』は尾張徳川家初代、徳川義直の正室春姫の生涯を描いた作品です。出版元はBOOkマイタウン。東海地方の郷土史本専門店であります。 (定価はお手ごろ500円) 春姫は紀州藩(後に広島に転封)浅野家の娘でわずか13歳(数え年)で義直に嫁ぎました。もちろん政略結婚です。 夫婦仲は非常によかったのですが、春姫はついに子供をうむことはありませんでした。夫婦仲がよかった、といわれるのは義直が側室を置くことを断固拒否していたからです。実際義直という人は真面目な人でして、学問(儒学)に熱心でしたから、側室を置くのを潔しとしなかったのでしょう。彼の生真面目さは死に際にもあらわれていて、病気が重くなっても決して苦しいとは言わず、顔をしかめることもなかったそうです。現代に生きていたら、ちょっと付き合いづらいタイプかもしれません。 そんな義直でしたが、跡継ぎをもうけることは大名としての大事な役目であることは理解しておりました。それでも重臣や幕府首脳の説得にも折れなかったのですが、生母の説得には逆らえず、お佐井の方という女性を側室にむかえます。 『春姫さま』では幼き姫君の婚礼に始まり、この側室をむかえるあたりが一つの山場となっております。侍女の目を通して、義直そして春姫の苦悩を描いております。 非常に読みやすい文体で、当時の名古屋の歴史を知る良書であります。 それゆえ、あえて現代的なスタンスで書いており、例えば「御三家筆頭の尾張家」のような、当時ではありえない書き方もされています(義直時代はまだ三家は確立していなかった)。これもわかりやすさを優先したゆえです。 あまり個性的でないお姫様を描くのは大変なことなのです。 さて側室をむかえはしましたが、女の子(京姫)が一人生まれただけ。子供を授かるというのは大変なこと、今も昔も変わりません。 ところがここで予想外のことが起こります。生真面目一本やりの義直が、湯殿で奉仕している女性の太ももに気を奪われ、彼女に男の子を産ませてしまったのです。ここらへんのいきさつは、本の中でも触れておりますが、徳川吉宗誕生のくだりとほとんど同じです。湯殿で作られた子供は元気な子になるんでしょうか。 冗談はさておき、こうして産まれたのが二代藩主となった光友であります。 ここがこの本の一番の山場でしょう。春姫は前回と比べ物にならぬくらいショックを受け、悩みますし、生真面目な義直は、自分の過ちを最初は頑として認めませんでした。相手が身分の低い女性だったこと、一時の感情に身を任せたこと、それが二人とも受け入れがたかったのでしょう。 このように藤澤さんは、遠き昔の殿様夫婦の心情を、身近にわかりやすく紹介されています。実際どうだったかはわかりませぬが、時代を超えた共感を呼ぶ場面であります。 すったもんだの末の嫡男出産でしたが、春姫は先に産まれた女の子とともに、自分の子としていつくしみ育てたとのこと。 春姫は33歳の若さで、夫よりも先に亡くなってしまいますが、この本にはその後のことも少し書かれております。 2代光友は生母の菩提を弔うために、陳元贇という帰化人に陶器で大仏を造らせました。その大仏は第二次大戦までは名古屋城内にあったが、いつしか首から下が破損し、現在は湯河原(静岡県)の福泉寺に移されたそうです。 (目を見開いた大仏様。ちょとエキゾチックなお顔) 当地では首大仏として有名なんだそうですが、私、まったく知りませんでした。びっくりしました。 いつか訪ねてみたいものです。 他人の幸不幸というのは外面からはうかがい知ることはできませんが、春姫が、しいては政略結婚した多くの女性たちが自分の生涯を、最後には幸福だと感じて生きていったのならと願ってやみません。

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  • 13 Feb
    • レンジャイバトン

      久々のバトンであります。敬愛する史様 からご指名受けました。 リレーといえば運動会の花形種目。選手の方はクラスのスタア。ウンチ(運動神経ゼロの、運動音痴)の私にとっては、バトンは憧れの象徴でありました。ですからバトンと聞くと、血が騒ぐのであります。 ■身長は? こないだ測ったら縮んでました。 光速に近づいているからでしょう(ということは体重は増加か)。どうりで月日が経つのがはやいわけです。 。。。光速に近づくと時間の流れが遅くなるんでしたっけ。 (本当のところ、観測者にとってはそうだけど、運動している本人にとっては変わらない) ■身長に比べて体重は多いほうと思いますか? スイマセン。私バカなんで、 「身長より体重のほうが(数値が)大きい人なんているわけないがね」 と突っ込んでました。あ、でも、いるのかな? KONISHIKIさんとか。 ■体型はどうでしょうか? 「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足」 直立二本足歩行。痩せ型。昔は四本足歩行でぷっくりかわいかったらしいです。 ■髪型はどうですか?また好きな髪型は? 六四分けっぽいですが、きっちり分け目を入れてないので、七三分けになったりセンター分けになったりします。 何事も六分の成果でよしとする、飽きっぽさの現れか。 好きな髪形ですか? 女性の髪形については語りつくせません。 ですがら男の髪型。 いつか銀杏髷にしたいですね。 ■目について語ってください 憂き目にあってます。 ■顔についてどう思いますか? 結構広いです。しかし不義理を重ねた結果 現在ではあわせるものも、向けるものも持っておりません。 ■誰に似ていると思いますか? 『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』のハッター(帽子屋) 詳しくはああ、勘違い! 自己申告そっくり大会 を見てね! ■好みのものを沢山あげてください たくさんあるんで、代表して男女1名ずつ。敬称略。 アクター→ジョン・キャンディ  イザベル・アジャーニ 映画監督→スタンリー・キューブリック  ノーラ・エフロン 画家→エル・グレコ  マリア・シビラ・メリアン イラストレーター→飯野和好  皇なつき  音楽→池辺晋一郎  中村紘子 歌手→サイモン&ガーファンクル  ナナムジカ 作家→夏目漱石  塩野七生     漫画家→みなもと太郎  佐藤史生   声優→家弓家正 戸田恵子 髪型→銀杏髷  束髪(明治時代のやつ) 服→第一次世界大戦の英国陸軍  つぼ装束にむしの垂れぎぬ(中世の女性の旅装)      食べ物→納豆  プリン その他→ アイドルでは源義経とジャンヌ・ダルク 政治家ではジョゼフ・フーシェとカテリーナ・スフォルツァ 肖像画ではナポレオン(ダヴィッド)とイレーヌ・カーン・ダンヴェール(ルノアール) 漫画のキャラクタではエーベルバッハ少佐(エロイカより愛をこめて)とお杏センセ(アラミス’78) 小説の登場人物では宗助(門)とジナイーダ(はつ恋) いつか書いてみたいのはヘンリー5世とジェーン・グレイ 。。。長くなるんでここらへんでやめます ■嫌いなものを沢山あげてください 食べられないもの 飲めないもの 傲慢な人 嘘をつく人 。。。天に唾するとはこのこと! ■涙を流す(流しそうになる)ものは? 怒りと悲しみと笑い ■自分の心に響いた話は? シートン動物記の「アナグマと少年」 坂井三郎さんの著作 親父の体験談 その他いろいろ ■一日で一番好きな時間は? みんなが寝静まる夜中。私も寝静まっていることが多いです。 ■自分ってどんな人に見えると思いますか? 空気のような マイペースな どこにでもいそうな 覇気のなさそうな ■さあ、このバトンを受け取る7レンジャイ!!  赤レンジャイ→ かっこいい ぐたさん  青レンジャイ→ クールな goldiusさん  桃レンジャイ→ かわいい miyoさん  緑レンジャイ→ お茶目な ハリーさん  黄レンジャイ→ すてきな スカイアイさん  黒レンジャイ→ スマートな petronius さん  白レンジャイ→ 純真な あなた♪ 勝手に決めました。もちろんスルーして下さっても構いません。 やっと終わったであります。長かったであります。

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    • 土居良三 『幕臣勝麟太郎』

      誰にでもペーペーの時代があった 青池 保子 Z ツェット 1 (1) 私がペーペーという言葉を知ったのは青池保子さんの『エロイカより愛をこめて』においてでした。 主人公の一人であるNATO(北大西洋条約機構)情報部エーベルバッハ少佐には26名の部下がおりまして、合理化のために(?)本名やコードネームでは呼ばず、「部下A(アー)」を筆頭にドイツ語のアルファベットで呼んでおります。で、一番の下っ端、ペーペー(ルーキーと呼んではいけません。少佐に怒られます)が部下Z(ツェット)。 以来彼は冷戦が終わって新連載が再開された本日に至るまでずっとペーペーのままです。いつまでもフレッシュであります。 でも誰にでもペーペーの時代はあったんですよね。ツェット君は彼を主人公とした漫画『Z Ⅲ』で 「少佐にもペーペーのころがあったんだなあ」 なんて言っておりますが、無理もない。彼にとって少佐は鬼の上官であり、尊敬する人物なんですから。 私も子供のころは自分の親や教師に子供時代や青春時代があったなんて、なかなか考えられませんでした。 現在、私の生徒たちも同様に、私にそんな時代があったなんて想像もつかないらしいです。 歴史においてもしかり。私たちは結果をすでに知っていますから、高所に立った判断ができてるような錯覚に陥ります。 敗戦という結果になった日米戦争と秀吉の朝鮮征伐。開戦前、および戦争初期に果たしてどれくらいの人々が戦争に反対したのか。戦後「反戦を唱えていた」と述べたり書いたりした人々のうちどれくらいが。 戦勝に終わった日清・日露もしかり。 その日清戦争で開戦前から戦後もずっと反戦をとなえていたのが勝海舟です。 ところで結果からしか見れない、というのは歴史上の人物にも当てはまります。 歴史上の著名人でも幼少年時代のことはめったに記録に残っておりません。私たちは伝記や小説などでその人物のイメージをつかみますが、これはその人物が大成したからこそ作られたフィクションでありますから、その多くが成人後の姿を逆透視しているのは避けられないでしょう。 勝海舟というと、どうしても彼が功成り名を成し遂げた後の『氷川清話』や『海舟座談』、そして子母澤寛さんの小説、それに基いたドラマや映画などのイメージが付きまといます。 もちろんそれらの中でも海舟、若き日の麟太郎は苦悩しているのですが、やっぱり我等凡人とはどこか違う、何か一枚隔てているような感じを、私は長らく持っておりました。 麟太郎の無名時代、当時の彼の肉声が残っているものがあります。 彼が若き日に貧苦にあえぎながらも蘭学を修め、当時買いたくても変えなかった蘭和辞書「ヅーフハルマ」を、1年かけてすべて(それも二部! 後にそのうちの1部を売ってお金にしました)筆写したのは有名なお話です。 筆者とはいえ、ただ書き写すだけではないのです。インクも自分で作り、紙もインクがにじまないように工夫しました。コンビニでコピーできる今の時代を見たら、さぞうらやましがったでしょうね。 苦労して写したヅーフ・ハルマ。その筆者本の最後に 、「この学問が後世役に立つかはわからないが云々」といったようなことが書あれております。 壮年~老年の彼からは考えられない弱気ですね。 このような生の声を聞けるのはやはり当時の日記や手紙でしょう。 土居良三さんの『幕臣勝麟太郎』では海舟の若き日―といってもペリー来航後、30を過ぎて幕府に認められ始めた時期―の足跡を、手紙のやり取りや関係者の日記などから丹念にたどっております。 海舟はペリー来航によって幕府が幕臣のみならず諸大名、庶民にまで求めた意見書によって初めて幕府に知られます。彼の意見書の先見性のゆえに。 そして長崎海軍伝習所に学び、咸臨丸で渡米し、帰国後しばらく海防から遠ざかってはいましたが、やがて神戸に海軍操練所を作りと活躍してゆきます。この本ではその神戸海軍操練所あたりまでを扱っておりますが、メインは咸臨丸渡米まででしょうか。 ここに見られる海舟は、現代の我々の想像とは異なり、わりと神経質であります。長崎海軍伝習所では、蘭学を修めているゆえ、言葉には不自由しませんでしたが、数学にはかなり苦労したようです。また生徒監という立場上、庶務的な仕事も多く、それがうっとおしいと愚痴を述べた手紙も引用されています。 船を運航するにはさまざまな学問を学ばなければならないんですね。だから海軍士官は理数系がむいているらしい。で、海舟はどちらかといえば文系。 もっともこの海軍伝習所で日本人は初めて近代的な学問―理数系に出会ったわけですから、無理もない話。それでもどこの世界にも例外や天才というのはいて、すでに和算を修めていた小野友五郎は近代数学をあっという間に理解し、微分積分も軽くこなしたというから驚きです。 海舟は3年半以上長崎で伝習を受けました。 これまた後年の彼の傍若無人なイメージからすると驚くのですが、この時期、彼は実に周囲に気を配っております。 理数に弱く、船にも弱く、悪天候でも船を出してしまうなど、およそ近代の海軍軍人の資質にはふさわしくない彼でしたが、教官たちの評判はすこぶるよいものでした。といっても彼がゴマをすっていたわけではなく、きちんと分をわきまえ、師として尊敬していたから。そしてやはり彼の視野の広さを教官たちが認めたからでしょう。 たとえば散歩の効用などを教官から聞くと、早速自分もステッキに方位磁針をつけて散歩をします。そのよ9うな素直さ、学問を修めようという真摯な態度が認められたんでしょうね。 海軍伝習所の教官ペルス・ライケン、同じく教官で後に海軍大臣、外務大臣になるカッテンディーケ、そして咸臨丸に同乗したブルック大尉。また、この本には出てきませんが、幕府瓦解のおりのイギリス公使であったパークス、日清戦争時の清の政治家であった李鴻章(り こうしょう)。彼らはいずれも海舟を高く評価しました。 こうして彼と友人の手紙のやり取りを見てゆくと、彼がさまざまなプレッシャーの中で押しつぶされまいとしてもがく姿がありありとわかります。ひがんでみたり、泣き言を言ったりと、後年の彼の姿からは信じられない弱さが見えてきます。 勿論、親友とのやり取りだからこそ、自分をさらけ出しているのでしょう。その弱さを、外に見せていないことは、彼の上司や外国人教師などの残した証言、記録等でわかります。 それでも、悩みもがく海舟の姿は私には新鮮でした。少年時代は海舟みたいになりたいと励んできたものの、その差は埋められるはずもなく、ただただ彼をスーパーマンのように仰ぎ見た私にとって。 彼が残した手紙は、時代をこえて、私たちに多くのことを語りかけてくれています。 土居 良三 幕臣勝麟太郎 付記 それにしても昔の人はまめですね。海舟が蘭和辞典を二部筆写したことは有名ですが、手紙類なども自分の手元にコピーを残していたようです。海舟に限らず、吉田松陰などもそうです。当時の人々が苦労をいとわなかったからこそ、今の日本があり、そして今の私たちが当時を知るすべが残っています。

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  • 12 Feb
    • カスティーリャ王ペドロ1世とエンリケ2世

      13年ぶりに怒涛の生涯が完結! 青池 保子 アルカサル-王城- (12) カスティーリャはスペイン中央部にあり、ポルトガル語でカステーラ、お菓子カステラの語源になった地方です。 かつてスペインはいくつかの王国に別れておりまして、 それらが戦いや婚姻を繰り返した後、1479年にカスティーリャ女王イサベルとアラゴン王フェルナンドの結婚によりスペイン王国(エスパーニャ王国)が成立したのです。 スペインの話がなぜシェイクスピアにからんでくるか、と申しますと、以前にドン・ペドロとブラック・プリンス にて申しましたように、イングランド王家(プランタジネット朝)と因縁浅からぬ間柄にあるからなのです。 ←クリックすると拡大します 系図を見てみますと、カスティーリャ王ペドロ1世の二人の王女がそれぞれランカスター公ジョン、ヨーク公エドマンドに嫁いでいます。 そして彼の血をうけた3代目ヨーク公リチャード、その子エドワード4世、リチャード3世といった面々がそれぞれ『ヘンリー6世』第一部~三部、『リチャード3世』で活躍します。 このペドロ1世を主人公に青池保子さんが描く中世歴史ロマン大作、『アルカサル-王城-』がいよいよ完結します。 。。。青池さんのファンならとっくに承知の情報でしょうが、うかつにも私は先日まで知りませんでした。 掲載誌の廃刊という憂き目に会い、長らく連載が休止されていましたが、ついに「完結編前・後編」としてプリンセス・ゴールド 3+4月号から2回にわたって掲載されるとのこと。 私が中世ヨーロッパ及びイスラムに興味を持ったきっかけがシェイクスピアと青池さんの作品だけに、再開が今から楽しみです。 とはいえ、「完結編」に描かれるのはペドロ1世(劇中ではドン・ペドロ)の滅びにいたる過程。異母兄エンリケとの激しい王位争いです。そしてこの兄弟ゲンカに当時百年戦争で争っていたフランスとイングランドが介入します。 1367年のナヘラの戦い。左側がイングランド及びペドロ ペドロの正妻ブランシュはフランスのブルボン公の娘ですが、当時の習いとしてこの結婚も完全な政略結婚。漫画でも描かれているように、彼はこの正妻を幽閉し、死に至らしめています。このために不仲になったのか、フランスはアラゴン王国(現スペイン東部でカスティーリャの隣国)とともにエンリケを支援。一方のペドロはイングランドのエドワード黒太子(ブラック・プリンス)を頼ります。 以降の推移は先の記事(ドン・ペドロとブラック・プリンス )にも書いたので、そちらをお読みください。 簡単に言えばペドロは滅び、エンリケが即位。トラスタマラ王朝が始まります。 処刑されるペドロ1世とそれを見守るエンリケ2世 勝てば官軍。歴史書はおおむねエンリケびいきです。ペドロは「残虐王」というありがたくないあだ名をいただいております。 漫画でも描かれているように彼は貴族たちと争い、母を追放し、正妻を幽閉するなどたしかに情け容赦のない人でした。しかし、これまた漫画に描かれていますようにユダヤ人をはじめとする商人を保護。その治世中は裁判も公正で治安もよく、「正義王」「公正王」とも呼ばれています。 その激しさゆえに多くの女性とも関係を持ちましたが、生涯愛し続けたのはマリア・デ・パルマただ一人でした。 彼の生涯を見るとわが国の織田信長を連想しますね。その激しさとその先見ゆえに。ペドロが保護したユダヤ人をはじめとする商人たちはトラスタマラ朝では疎んじられてゆきます。 対するエンリケは外国勢力と貴族に推戴されて王位に就きました。そのため貴族・聖職者たちにたくさんの領土を与え、「恩寵王」と呼ばれました。 この時代に記録を残したのは主に聖職者であり、上級の聖職者たちは貴族階級の出身でしたから、ペドロには辛く、エンリケには甘かったのでしょう。 ペドロがアラゴン、フランスと不仲だったのに対し、エンリケは逆に親睦を深め、アラゴンとカスティーリャは後に婚姻により合体いたします。 ペドロとエンリケの争い-王位をとったりとられたり-はイングランドのばら戦争によく似ております。ただ、ばら戦争によって貴族が力を失い、王権が強化されたのに対し、カスティーリャでは逆に貴族が力を伸ばしてゆきました。先述したようにエンリケが貴族を無視できなかったからです。そういった意味ではわが国の南北朝の争いに似ているかもしれません。足利尊氏も守護大名たちにたくさんの領地を与え、彼らの強大化を招きました。 貴族と王家の争いは続き、イザベルの孫、ハプスブルク家のカルロス1世(神聖ローマ皇帝としてカール5世)になってようやく落ち着きます。16世紀初頭のことです。 ペドロは早すぎた英雄と言えるかもしれません。 最後に。ペドロの血統はイングランドだけでなく、カスティーリャ王国にも残ります。すなわち孫娘カタリナがエンリケの孫、エンリケ3世と結婚し、ファナ2世をもうけたからです。ペドロの血統は、再び彼が愛したカスティーリャに戻ったのです。

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  • 04 Feb
    • 谷口健治 『バイエルン王国の誕生』

      分裂から統合へ。。。そおいう流れが是なんですね、現代も 谷口 健治 バイエルン王国の誕生―ドイツにおける近代国家の形成 羽合町(はわいちょう)。鳥取県の中央部にあった、人口8000人ほどの町。町の住人の方々には失礼ながら、地図当て遊びや地理の授業のネタによく使いました。なにせ「ハワイ」ですからね。 「あった」と申しましたのは、2004年10月に近隣の町と合併したためです。現在は湯梨浜町(ゆりはまちょう)の一部。それでも温泉や学校などに名をとどめております。姉妹都市はハワイ州。。。なるほど。 しかし、再び住人の方には失礼ながら、地図から羽合が消えたことは残念ですねえ。 「今週末、はわいに行ってくるよ~」 と言うボケが使えなくなりました。残るは宇佐くらいか。 「今週末、ユーエスエーに行ってくるよ~」 USAよりUSJに聞き間違えられそう。。。 平成の大合併もひと段落着きました。まだまだ揉めているところはあるようですが。 『三国演義』の冒頭にもありますように、歴史を見ても人は分裂と合併を繰り返し繰り返ししております。 18世紀末~19世紀、ヨーロッパでは革命が相次ぎ、「国民国家」が形成されます。それまで貴族や王様なんてものはあちこちに領地を持っていた。それも飛び飛びに。人種民族なんて関係なく、相続によって、あるいは戦争謀略によって、異なる文化習慣の地域を支配してたんですね。それが、まあ、まとまった領土を持ったほうが住民は商売しやすい、すると税もたくさん取れるってんで、ばらばらがまとまりはじめる。そして起こったフランス革命。 王様の首をちょんぎっちゃったわけですから、近隣諸国の王様貴族様は当然干渉してきます。そこで人々は自分たちを守るために「国民軍」として戦うんですね。 こうしてできた国民大国フランスに対してドイツは長い間分裂の状態にありました。当時ドイツというまとまった国はなく、「神聖ローマ帝国」というゆるやかな連合内に数百のミニ国家(領邦国家)が混在してました。日本で言うと江戸時代の藩、大名みたいなものでしょうか。乱暴に言えば、ですが。当然もてるお金も軍隊も小さく少なくですから、久しい以前から一部は隣国フランスやスウェーデンなどの草刈場となっておりました。 ドイツは分裂ゆえに地域文化が栄えたのですが、ヨーロッパ全体の流れが「国民国家」という統合、となっていたのですから、当時のドイツは 「遅れてる~」 * なんて評価されてるんですね。今も。 ビスマルクによってドイツ帝国が誕生するのは1871年のこと。日本が明治維新によって「統一」されている最中であります。 バイエルンというのはドイツ南西部にあった領邦国家でして、バイエルンという国名よりも首都のミュンヘンの方が有名かも。 ディズニーランドのシンデレラ城のモデルといわれる、ノイシュヴァンシュタイン城。そのお城をつくった「狂王フリードリヒ」ことフリードリヒ2世は19世紀半ばのバイエルン国王です。この本ではそのご先祖のマクシミリアン1世をメインに、あちこちに散らばり、分裂していた領土を纏め上げ、王国としたそのさまが描かれております。 平成の大合併でも多くのすったもんだがありましたが、バイエルンの場合はそんな生易しいもんじゃあ、ありません。同じ言語を話し、度量衡も通貨も文化も同じなのにもめる日本(揉めることが悪い、と言ってるんじゃあないですよ)、ましてやドイツは同じドイツ語を話すとはいえ、文化は微妙に異なり、通貨や度量衡は異なっておりましたから、その苦労たるや並大抵のものではなかったことが創造されます。 谷口さんはその苦労の跡を丹念にたどります。裁判制度の統一。複雑化した各種顧問会議や委員の整理統合。内閣制度(みたいなもの)の創設。。。 いったい、政治というものはなぜにどろどろし、複雑であるのか。この本を読むとよおくわかります。大変なんだなあ。政治家って。 マクシミリアン1世。マイナーな人物ではありますが、なかなかの力量を持っております。分家筋から相続し、不屈の精神をもって国家を纏め上げております。 私がすごいなと思うのは、私が今まで理解していた 「ドイツの諸領邦国家はフランス革命軍およびナポレオンの介入を経て、統一へ向かった」 という認識を覆してくれたこと。フランス革命以前から国家形成を模索していたんですね、この王様は。 フランスやオーストリア、プロイセンといった大国の干渉にもよく耐えました。逆にそれを利用したことも。しぶとい。 それにしても、今まで持っていた認識を覆されるのは、なんと心地好い衝撃であることか。 現在、世界は国家を超えた統合への道へと進んでいるようです。「国民国家」は過去のものとなりつつあります。 その一方でより大きな統合の前に民族宗教の対立が先鋭化していることも事実。 バイエルン王国の成立過程は当時のヨーロッパの縮小図であるとともに、現代および未来の世界の縮小図であるように思えてなりません。 *汎ヨーロッパという現代の流れから、当時のドイツが遅れているという認識も過去のものとなりつつあります。

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