• 27 Feb
    • 戸辺秀 『仰ぎ見る大樹』

      あの清水次郎長が日本初の国勢調査指導員(本書帯より) 戸辺 秀 仰ぎ見る大樹 杉亨二(すぎ・こうじ)。 福沢諭吉、森有礼(もり・ありのり;初代文部大臣)とともに明六社を組織し、幕末~明治初期の洋学者として、文明開花期の日本で啓蒙活動を行った人物。そして日本統計学の祖であり、国勢調査を計画した人物です。 勝海舟ファンの方たちには杉純道といったほうがわかりやすいでしょうか。 勝がまだ田町で蘭学塾をやっていた頃の弟子、というより助手。 勝の弟子というと坂本竜馬が有名ですが、その坂本と並ぶ、勝の一番弟子であります。 司馬遼太郎さんも『竜馬がゆく』の中で少し触れています。 司馬 遼太郎 竜馬がゆく〈3〉 しかし勝海舟といえば子母澤寛さんでしょう。『勝海舟』、『おとこ鷹』の中では勝と杉との印象的な出会いや師弟愛を描いております。昭和49年のNHK大河ドラマ『勝海舟』では江守徹さんが杉を演じていらっしゃいました(ちなみに坂本を演じていたのは仮面ライダー1号こと藤岡弘さん)。 子母沢 寛 勝海舟 (第1巻) 子母沢 寛 おとこ鷹〈3〉 出会いといえばこれまた勝と坂本の出会いが有名です。当時攘夷思想家だった坂本が開国派の勝を斬りに来て逆にその見識にほれ込んで弟子入りする、というもの。勝や坂本の伝記、映画、ドラマでは必ずといってよいほど描かれているのですが、子母澤さんは取り上げていません。幕末のことなら当時の風俗を熟知し、海舟のことなら好んで着ていた着物の柄まで知ってらっしゃる子母澤さんなのに。 おそらくは勝と坂本の出会いが今ひとつはっきりしていなかったからでしょう。江戸であったのか、それとも大坂だったのか。月日が判明していないのと、『海舟日記』には言及されていないのでわからないのです。また、「殺しに来たが逆に弟子になった」というのも、実際には坂本も国際情勢に明るく、蘭学の素養もあった(佐久間象山の弟子だったこともある)こと、さらには松平春嶽(まつだいら・しゅんがく;前福井藩主)の紹介状まで携えていたとのことからありえないとされています。現代では「殺しに来た」うんぬんはというのは『氷川精話』などで海舟が吹いたホラだとされております。 勝と杉の出会いは竜馬のそれに劣らず印象的。 「杉純道と申す、長崎の下等人です」と名乗った杉に 「下等人たあ、何だえ」 「地位も身分もない卑しいものです」 「お前さん、本当に下等人かえ」 「そうです」 「人間かえ」 これには杉もむっと来て 「そうだ」 「帰れっ! 若いに、まだおのがような馬鹿がいるかっ!」 一喝して追い返されちゃうんですね。ところが三日後に杉がまたやって来る。そして勝に弟子入りを頼むんです。自分は今まで地位も身分もないゆえに悔しい思いをしてきた。だからつい卑下してしまう言葉が出てきた、と。そして人間には下等も上等もない、あなたの言葉はジンときたと。 そして杉は 「先生は蘭学を教えるのがひどく面倒臭そうですね」 「うん。おいら、気が短えから、人に教えるのは苦手よ。塾なんか開いて、えらい目にあっちまった」 「どうでしょう。ここに人物がごく確かで、蘭学を教えたがっている人間がいるんですが」 「そいつあどこのどいつだい」 気の早い勝は硯を出してメモしようとします。 「へっへ。実は私でして」 「何、本当か」 「グラマチカ(文法)なんか、先生よりも詳しいですよ」 「そいつあいい。早速やってもらおう。だけどおいらがところは貧乏だ。月二分しか出せねえよ」 「月二分で結構」 なかなかいいエピソードではないですか。私はいっぺんでこの杉という人物が気に入ってしまいました。ところがどの人名辞典を見ても勝や坂本の名前はあるのですが、杉の名前はない。ひとつには当時私の周囲にはそこまで詳しい辞典がなかったこと、ふたつめには亨二という名前より純道の方が印象深くてそれで探していたからなんですが。 その杉亨二。冒頭書きましたように日本統計学の祖とされる偉大な人物であります。 そんな杉の生涯を描いた小説が出てました。 戸辺秀(とべ・しゅう)さんの『仰ぎ見る大樹』。2000年の作品です。 作者の戸辺さんは長崎生まれ。長崎市役所統計課に勤めていらっしゃったと「著者略歴」にあります。郷土の先輩であり、お仕事である統計学の先人に深い敬意を抱いていることはこの小説を読んでわかりました。 ここでは幕末史を彩るさまざまな人物が出てきます。 杉の略歴は子母澤さんも紹介しているのですが、長崎に生まれ、早くに孤児になり、様々な苦労の末に緒方洪庵の適塾で学んだこと。体をこわして適塾を去り、やがて江戸に出て、杉田成卿(すぎた・せいけい;杉田玄白の孫)のもとで学んだ後に勝のところへ来たこと。 戸辺さんの小説では略歴では知ることのできなかった幼少時の苦労や海舟に出会うまでにかかわった人物を描いております。そして彼がいかに苦労して学問を修めていったか、また家族を、そして人々を大切にしていたかが行間からにじみ出るようで、ただただ頭が下がるばかりです。 彼は苦労して一流の学者になりました。勝に売り込んだように、語学なら緒方洪庵や杉田成卿も認めたほどの腕前。そしてたくさんの原書を読むことによって見識を広め、西洋の地理、歴史、哲学にも通じておりました。そんな彼でしたが、学者たちの間では広く知られてはいたものの、勝にめぐり合ったことで初めて世に出ることができたのでした。身分の壁というものが頑としてあることを思い知らされます。 なお先ほど書きました出会いのエピソードの前半部分、一喝された部分はやはりフィクションだったようで、こちらには書かれておりません。 それでも杉の身分社会に対する思いはそのフィクションを無理なく思わせます。 この本にはいつくかの印象的なエピソードが紹介されているのですが、中でも私の心を振るわせたのは次のくだり。 明治三年に政府から出仕を促され、諸条件が折り合わず拒否するのですが、そのときに意見書を提出しております。その中に曰く、 「四民平等をはかり、婚姻および職業選択の自由を認めよ」 これはやはり彼の生まれ、そして生き様から出た言葉なのでしょう。今から百三十年も前にこれほどの思想を抱いていたとはまったく凄い。 そして日本統計学の、パイオニアの苦労。 彼は幕末にスタチスチック(統計学)と出会い、自分の終生の仕事とします。とはいえ彼以前に統計学なるものは日本になかったのですから、それは並大抵の苦労ではありませんでした。 明治初年に駿河国人別調を実施。これは藩(徳川将軍家は幕府が大政奉還した後、いろいろあって、静岡藩となりました)の重役の理解を得ず、途中で終わります。この時杉に協力したのが帯あおり文句にもありますとおり、清水次郎長。大政、小政などが調査員になったわけです。ガッツ、、、いや、森の石松も調査員として各家庭を回ったんでしょうか。 杉の統計に対する情熱は衰えず、明治政府に出仕した後に政府内各部署のそれぞれの統計をとり、統計の重要性を周囲に認めさせます。そして国勢調査の必要性を感じつつも、当時の政府財政規模ではできないと判断。後世のために、とモデルケースとして甲斐国現在人別調(明治14年)を実施します。 彼は幕末から明治初期の激動の世の中を生きました。政治の世界には首を突っ込まず、統計学は必ず後世の必要になるであろうという信念をもって生き抜きました。 そして国勢調査の必要性を説き、後進を指導しつつ、大正六年に世を去ります。89歳。 彼の在世中はついに実施されませんでしたが、死の間際に弟子たちから大正九年に国勢調査実施決定の報を聞いただけでも幸せな死であったことでしょう。 私は少年時代から様々のかん難に出会い、貧乏もし逆境にも立った。可愛い子供たちにも先立たれた。苦労という事ならまず大概の事は経験した。しかし、今になって考えてみれば、その苦労はかえって一種の力を自分に与えてくれた。運不運とは、要するに人々の考え様だよ。心得ひとつによって幸運ともなり不運ともなる。ここに精神を鍛錬する必要がでてくる。辛抱さえすれば不運などあるはずがない。ただ堪忍の二文字あるのみだ。勝海舟などはこの修養がいかにも深い人であった。 (172ページ) 死の前年、弟子たちに語った言葉です。 苦労の足りない私を厳しく優しく励ましてくれる言葉でもあります。 杉は終生勝を尊敬しておりました。彼を世に出してくれた恩人であり、なによりその人間性に深く傾倒していたのです。 『海舟座談』の附録に杉が勝との出会いを語った話が収録されています。 巌本 善治, 勝部 真長 新訂 海舟座談

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  • 24 Feb
    • The Canary Caper (A to Z Mysteries)

      子供の頃に帰りたくなるよ~ Ron Roy, John Steven Gurney The Canary Caper (A to Z Mysteries) 推理小説の好きな男の子Dink、絵を描くのが好きな男の子Josh、そして元気一杯の女の子RuthRoseの三人組。 彼らが活躍するタイトルがABCで始まるシリーズの三作目。Cの巻。 CはカナリアのC。 なんて書くとブラッドベリのパクリになっちゃいますね。 カナリアといえばヴァン・ダインの『カナリヤ殺人事件』。古典の傑作であります。 (ちなみに私はこの小説のトリックを、子供向けの「推理クイズ」《書名は忘れた》で先に知ってしまった~。 この手の本を出版する方は、頼むからオリジナルのパズルにしてほしい~! ) ヴァン・ダイン, 井上 勇 カナリヤ殺人事件 トリックがわかっていてもおもしろいですけどね。 もちろんこのシリーズ、「A to Z Misteries」は子供向けですから、血なまぐさい殺人事件ではありません。 「Canary Caper」 カナリアの。。。なんだっけ? ca・per1 [/kipr/] [名] 1 飛びはね, はね回り. 2 ((略式))(窃盗(せっとう)・強盗などの)犯罪, 悪事. 3 ((略式))(酔っての)ばか騒ぎ;悪ふざけ, いたずら;軽薄[無責任]なふるまい (プログレッシブ英和中辞典より) つまりは「カナリア窃盗事件」。 その名の通り(表紙イラストでもおわかりのように)、カナリアが盗まれるお話。 とはいえ、資産家が飼っている高価なカナリアでも、カナリアの体のどこかに秘宝のありかが示されているのでもありません。 ごく普通のご婦人の飼っている、ごく普通のカナリア。 このカナリアをはじめ、ウサギ、オウム、そしてRuth Roseのネコまでが行方不明になります。全て同じ日に。Ruth Roseは早速「誘拐だ!」と騒ぎたて、三人一緒に警察に駆け込みますが。。。 はたして誰が、どうしてペットを誘拐したのか。 いつもどおりラストにはちゃんと微笑ましいオチがついています。 この本のもう一つの魅力は、主人公三人組を通して、彼らを取り巻く社会が魅力的に描かれていることでしょう。 夏休みなので庭にテントを張ってキャンプをしたり、 町内の誰もが 「Hey, kids!」 と気軽に声をかけてくれる。 もちろんフィクションですから、実際と異なる情景もあるでしょう。それでもフィクションゆえに、そこには著者や読者の理想である地域社会が描かれているのです。 あとがきで著者は読者(子供たち)にこう投げかけています。 「君たちの手紙からインスピレーションを得ることが多いんだよ」 子供は物語を読むのも、つくるのも大好き。 この言葉に作者の優しさを感じます。

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  • 23 Feb
    • 天に召されるとき (ジャンヌ・ダルク その4)

      「皆様、一週間ぶりのご無沙汰です! 今日もジャンヌ・ダルクさんに色々聞いてみようと思います」 「シェー!!」 「な、なんなんですか? いきなり」 「今こんなフランス語があるなんて知らなかった~」 「いや、それは、自称イタコの婆ちゃんのギャグなんですよう。私の敬愛する赤塚不二男さんのキャラ、イヤミのセリフ(ポーズ付き)で、かの怪獣王ゴジラもやったという。。。」 「説明しなきゃいけないギャグを振らないでよ!」 「そっちから振ったくせに~」 「ええと、本日はいよいよ大詰め。ジャンヌが捕らえられ、処刑されるまでなんですけど」 「ヴ~!」 「そ、それも、何かのギャグですか?」 「違うの! あたしの最も華やかな時期、オルレアン解放からランスの戴冠式の話をしたかったのに~」 「ゴメンナサイ~。イタコの婆ちゃんの体力がもたなかったものだから」 「まあ、いいけどね。いつまでも根に持つのは乙女(ラ・ピュセル)にふさわしくないわ」 「そうそう。さすがは大物ですな。で、ランスでの戴冠式の後なんですが」 「話すのは辛いわ」 「お察しします。でもあなたは良い子、強い子、農夫の子! 日本全国3000万人のファンがついてます! さあ、元気出して」 「ええと。ランスで戴冠してから、王様(シャルル7世)は、なんとなくよそよそしくなっていったの」 「ほう。なんで分かるんです?」 「だって、あたしの言う事をあまり聞かなくなってきたんだから。インチキな女預言者を宮廷に招きいれたり」 「ほうほう。あなた以外にも『声』を聞いた、という女性が王の側に呼ばれたのですね」 「ええ。そしてあたしとは反対のことを言うの。それにあたしと共に戦場で戦った人たちもばらばらにされて」 「チーム解散、といったところですか」 「そう」 「う~ん。身につまされるお話です。特にサラリーマンにとっては」 「そうなの?」 「組織に属しているとそんなことがあるんですよ。古今東西変わりません。ですが、なぜシャルル7世はあなたを疎んじたのでしょうね」 「あたしはあくまでイングランドをフランスから追い出すことが大切だと思っていたんだけど、王様はそれを渋ったのよね」 「ランスで戴冠して、自分の立場が強くなった。だから後は駆け引きでことを運ぼうと思ったのですな」 「王様としてはブルゴーニュと手を結ぼうとしたみたい」 「当時フランスはアルマニャック派とブルゴーニュ派に分かれて揉めていた。そこをイングランドにつけ込まれたでしたね。で、あなたが死んだ後ですが、シャルルはブルゴーニュ派と和解。そうしてイングランドを追い払ったのです」 「あたしはイングランドを追い払えば、自然とみんながついてくると思ったんだけど」 「そう、そこですよ」 「どこ?」 「。。。。。お約束、ですか?」 「まあね。で、何が問題なの?」 「あなたが当初聞いた『声』の指示は『ランスで王を戴冠させよ』まででしたよね」 「そうね。だからその後のパリ奪還は失敗したのよ。『声』の指示ではなく、あたしの考えだったから」 「つまりあなたはランス以後の明確なビジョンがなかったわけだ」 「そうなのよ」 「私はね、そこが怪しいと睨んでるんですよ」 「なんで?」 「本当はパリ奪還も『声』の指示があったんじゃないですか」 「あのね~。あたしが『ない』って言ってるんだから、疑う余地はないのよ」 「人間の記憶ってのは結構いい加減なものでしてね、都合のいいように上書きされることもあるんです。っと! あなたがウソを言っている、というのではないですよ。そう思い込んじゃってるんじゃないですかね。失敗に終わった、だから最初から『声』などしなかった」 「ヴ~」 「なぜあなたはランスでひっそりと消えてゆかなかったんです? それは宮廷の主戦派に担ぎ上げられたからかもしれないけれど、あなた自身が進んで行動したんじゃないんですか?」 「あなたはあたしを裁判にかけ、罠に嵌めた男たちにそっくりね!」 「いやあ、気分を害したならあやまります。ただ、そういう解釈も成り立つんじゃないかな、ってことで」 「そんな意地悪ばかり言ってるのなら帰ろっかな~」 「あああ、待ってください。本当に謝りますよう」 「で、あなたを罠に嵌めたという裁判の話なんですが」 「あたしはコンピエーヌでブルゴーニュの軍に捕まっちゃったの」 「イングランドではないんですね?」 「そう。あなた、さっき言ってたでしょ。王様の敵はイングランドだけじゃなかったのよ」 「国内が二派に分かれて争えば、外国がつけ込むのはまあ、当然ですね」 「で、ブルゴーニュの連中からイングランドに引き渡されたわけ。あたしも一応貴族の扱いですからね。身代金を払って買い取ったのがイングランドの島国野郎ども! ってわけよ。王様に見捨てられちゃったのよね」 「シャルルは一応、警告はしたらしいですけどね。イングランドに売り渡したら報復をするかもしれない、と」 「相変わらず煮え切らない王様だわ~」 「まあ、シャルルとしてはあなたは用済みだったわけですよ。『狡兎死して良狗烹らる(こうとししてりょうくにらる)』というやつです」 「何? ソレ? 日本のギャグ?」 「由緒正しき故事成語ですよう」 こうと 【狡兎】すばしこいうさぎ。――死して=走狗(そうく)(=良狗(りようく))烹(に)らる〔史記(越王勾践世家)〕すばしこいうさぎが死ねば、猟犬は不要になって煮て食われる。敵国が滅びると、軍事に尽くした功臣はかえってじゃま者扱いされて殺されることのたとえ。 [ 大辞林(三省堂) ] 「ムカッ! 犬ですって? あたしはどっちかっていうと可憐なウサギちゃんのイメージなんですけど」 「そうなんですか?」 「そうよ~。言うこと聞かないイングランド兵に『月に代わって――!」 「もうやめましょうね、マンガネタは」 「捕らわれてからあたしは三度死のうと思った」 「ホントですか? キリスト教では自ら命を絶つことは禁じられているのでは」 「正確に言えば『死んでもいい』と思った」 「死を覚悟したんですね」 「ええ。イエス様がそうだったように。肉体が滅んでも魂は不滅でしょ。あたしの地上での役割が終わった、と思ったから」 「裁判にかけられるのが怖かったんですか」 「正直に言えば、そうよ」 「イングランドとしてはあなたが神の意思で働いた、となるのはまずいわけですよね。あなたが正義なら、自分たちは何なんだと。だからどうしても裁判であなたを異端としたかった。始まる前から結果の定まっている裁判でした」 「あなたは主にどんなことを責められたのですか」 「教会を通さずに直接『声』を聞いたことと、男の格好をしたこと」 「確かにこの時代では教会が神の代弁者ですものね」 「だから、あなたも疑ったように、『声』が神から来たものかどうかを執拗に聞かれたのよ」 「男装は罪だったんですか」 「聖書にそう書いてあるんですって」 女性は男性の服をつけるべからず (旧約聖書申命記22章) 「なんで男の格好をしたんですか」 「これから戦いに行くのよ? 女性の服では無理でしょう」 「なるほど」 「それに男の格好があたしを貞操の危機から守ったの」 「そうなんですか」 「ええ。死を覚悟したあたしだったけど、拷問する、という脅しに屈して、罪を認めてしまったの。それで男の格好をやめてたら、イングランドの野郎どもが乱暴しやがった!」 「なんと」 「あろうことかお坊さんまで」 「どっちが神のみ使いなんだか」 「これではっきりしたでしょう? あたしもはっきりとわかったよ。やはりあたしは死ななければならないと。女の格好に戻って、辛い目にあったのは、そういう意味なのだと」 「実のところ、そういう狙いがあったらしいですね。異端として処刑しなければ意味がないから。あなたは罠に嵌ったんです」 1431年5月30日、ジャンヌ・ダルクはカトリックの教義に反してあくまで神の声を聞いた、として有罪判決を下されました。そしてその日のうちにイングランド軍によって、ルーアンの広場で火刑に処され、19歳の短い生涯を終えます。それは服が焼け落ちた時点で火を止めて(そのときにはもう窒息死していたが)、彼女がただの女に過ぎないことを示したという、残酷な刑でした。骨はほとんど残らず、遺灰はセーヌ川に捨てられたそうです。 「最後は辛いお話をさせてしまって申し訳ありません。ところで、申し訳ないついでにお願いがあるのですけれど」 「何?」 「色々意地悪を言いましたけれど、実は私も中学時代からあなたにあこがれていました。最後に是非、あなたのお顔を見せてほしいのです」 彼女は何も言わずにっこり微笑むと、すうっとイタコ(自称)の婆ちゃんの体から抜け、天井辺りまでのぼってゆき、そこから私を見下ろしました。 それは神々しいとか美しい、というのではなく、人懐っこい、可愛らしい笑顔でした。 私が長い間夢見ていた彼女の真の姿は、やはりフランスの大地の生んだ素朴な少女、ジャネットだったのでした。

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  • 20 Feb
    • 清水馨八郎 『裏切りの世界史』

      今日は辛口です 清水 馨八郎 裏切りの世界史―この1000年、彼らはいかに騙し、強奪してきたか 歴史と政治とプロ野球。 おじさん族(私も含む)が好きな話題ですね。そして素人でもくちばしの突っ込みやすい話題でもあります。 かく言う私も素人なんですけどね。 いわゆる権威的なものは批判の対象になる。 文献主義、自民党、そしてジャイアンツ。 思えば歴史学者、政治家、そしてプロ野球の監督は大変な商売ですね。 学者はそうでもないのでしょうが、政治家、監督の下へは罵詈雑言も届くそうです。しかも自宅まで。長嶋さんも王さんも、そして他の監督さんも、ご家族が大変苦労したそうです。 (本筋とは関係ありませんが、長嶋茂雄は名監督である、と私は思っております) これが医師や弁護士ならどうでしょうか。または企業経営者なら。 ちょっと素人がくちばしを挟めるものではないです。 発言自由、批判自由なのは日本が民主主義社会であるからこそ。すばらしいことです。 それでも無責任な発言、批判はいけないですよね。 「そんなにごちゃごちゃいうなら、あんたが一度やってみなさいよ」 「おう、やってやるとも。原にまかせられるかい」 なんてのは冗談としてはほほえましいけれど、本当にやられたらたまったものではないでしょう。 それゆえシロートであったジャンヌ・ダルクの行動力は凄いのですけれど。 清水馨八郎(けいはちろう)さんは経歴を見ると理学博士であり、都市交通研究の大家だそうです。 この本では西洋文明、現代の物質文明の危険を強くうったえ、日本文化を礼賛しております。 大筋はそんなところ。 まあ、よく見かける主張でありますね。 ただ手法が問題。 ようは西洋文明(と中国文明)の欠点をあげつらい、日本文化の長所を並べ立てている。要するに最初に 「日本はすばらしい」 という確固たる信念があり、結論が定まっているので、都合のいいことしか書いていないわけです。 しかも勢いで書いてしまっている。ろくに調べもしないで。 フランスのルイ16世は「朕(ちん)は国家なり」と宣言し、 (85ページ) う~ん。これは痛い。もちろん16世でなく、14世です。まあ、ミスったんでしょうね。しかし、編集者その他の人まで見逃すなんて。。。 (「16世も同じようなことを発言したのでは」と、念のために調べてみましたが、やはりそういった事実はありませんでした。) このように、世界には星を国旗としている国が多いのに対して、太陽をマークにした国は日本だけである。戦後バングラデシュが日本にあこがれて、緑の地に太陽を描いて国旗にしているが、不思議にも世界の国々は、月や星を掲げても太陽をシンボルにしないのである。 (237ページ) これまた激しい思い込みですね~。清水さんは「太陽信仰は日本だけのもの」という思い込みがあり、その一例として国旗を揚げたのでしょうが、中華民国(台湾)、ウルグアイなど戦前から太陽を描いた国旗は多々あります。これもちょっと調べればわかること。5分もかからずにわかることです。 当然、太陽信仰も日本だけのものではありません。 書いているうちにかっかと来てしまったのでしょうね。 ともかく「日本バンザイ!」のこの本。当然太平洋戦争も「自衛のため」。満州事変から太平洋戦争までは米、ソの陰謀であるとしています。 まあ、それはよいのです。そういう解釈もできないことはないし、そう主張している人も結構います。 ですが何が何でも日本を正しいとするのはいただけません。これは長くなるので引用はしませんが、こんなことも書いてらっしゃいます。 アメリカが空襲で非戦闘員を殺戮したことは国際法違反である。 ここまではよいのです。確かにアメリカのやったことはひどい。 日本はアメリカ本土を空爆しなかったではないか。 こうくると、もう思い込みの世界です。確かに日本は米本土空襲をしませんでした。でもこれはできなかったんですよね。これは中学生にもわかる理屈なんですけれど。 加えて日本がアメリカのような空襲を行わなかったかといえばこれは間違いで、中国の重慶を戦略爆撃してます。 それでも専門の航空関係のお話になるとさすがです。ロッキード事件の叙述などもおもしろかった。もう少し詳しく述べてくれればよかったのですが。 英会話が下手なのは何も卑下することではない、誇るべきことである。 この主張もすごい。おっしゃるように数ヶ国語を話せる、というのはしばしば植民地支配という悲惨な過去を背負っているのです。母国語を失ったため、あるいは外資を稼ぐために、英語を話さざるを得ない状況になっている。日本は英語など話せなくても不自由なく暮らしていけるのです。これはすばらしいこと。 もちろん話せたらよいことはわかります。英会話教育を否定はしません。でも、話せなくてもよい、というありがたさ。これをもう少し多くの人が認識してくれたら。 このように一から十までナンセンスなのではなく、傾聴に値するものもあるのです。 加えて駄洒落のくだらなさ。私は大好きです。 なぜならロシアの経済は、火の車である。エリツィンがプーチンに代わっても、ロシアの経済はフルチンだからだ。 (119ページ) (ディズニーランドは)一度場内に入ったら子どもたちを「とりこ」にして出るに出られない仕掛けがしてあるから「出ずにランド」だと観念した。 (219ページ) このセンスはすばらしい! 私はこの手のギャグは大好きなんです。いずれ使わせてもらおう。 とまあ、私も好き勝手に悪口を言っているので 「なんでそんな本まで買うわけ?」 「あなたこそ、他者の欠点のみをあげつらっているのではなくて?」 「そんなに言うならお前が書いてみろ!」 等々お叱りを受けそうです。 しかしそれでもそれにしても、私はこの本から貴重なことを学びました。 表現の自由とはいえ、また、どんなすばらしい主張でも、無責任に書き連ねていてはいけない。 主張したい、という情熱を少し抑えて、主張する前にもう一度見つめなおそう。 ということ。ネットでもそうですね。。。 うわーん。天に唾するとはこのこと。 全部自分にかかってきてますよう。。。 *このテの本はそれこそたくさん出版されているのですが、最後まで読んだのは今回が初めてでした。 ですから、清水さんを個人攻撃しているのではないのです。安易な批判と、それをろくに目も通さずに出版している出版社を憂えているのです。

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  • 14 Feb
    • 彼女はとっても人気者 (ジャンヌ・ダルク その3)

      「皆様こんばんは。ジャンヌ・ダルクについて、自称イタコの近所のばあちゃんの協力を得て、本人に聞いていたんですが、当の本人が『サイナラ~』してしまって、ちょっと困っています」 「はあ、はあ。年寄りを酷使しすぎじゃ」 「うわっと。おばあさん、意識が戻ったんですか?」 「うむ。外国人の降霊は、ちと疲れるわえ」 「そ、それで彼女、帰っちゃったんですかね?」 「ようわからん」 「しかし、私はまだ彼女に聞きたいことがあったんですよ」 「何かえ」 「また呼び出してくれるんですか?」 「まあ、そうせくでない。わかる範囲ならこの婆が答える」 「ええ?」 「古今東西、人間のやることなぞそれほど変わりはせぬ。伊達に年を喰うてはいないぞ」 「ええと、『声』を聞き、その命ずるままにシノンへ行き、王太子(後のシャルル7世)と会ったとこまで、でしたね。次はオルレアン解放のことなんですけど」 「オレふあん? 人生に迷いしときはこの婆に聞け!」 「大丈夫かな。本当に不安になってきたよ」 「私は以前にもジャンヌ・ダルクについて考えたことがあったんです(「ジャンヌ・ダルクと源義経」 )。 1429年5月、彼女はオルレアンを解放。久しぶりの勝利を王太子にもたらしました。これは奇跡的なことでした。オルレアンを取り巻くイングランド軍は大軍。それをずぶの素人が。。。いや、ずぶの素人ゆえに成功したのかもしれません。 その後も進撃を続け、本当に王太子をランスで戴冠させます。 確かに彼女は凄いかもしれない。ですが未だにわからないのが、なぜ彼女はそこまで有名なんだろうか、ということなんです」 「なぜじゃ? 『声』を聞いた乙女じゃぞ」 「神様、天使、超自然的な存在の声を聞いたという人は、それこそ古今東西たくさんいます」 「フォッフォッフォ。よくわかっておるの。この婆も自称イタコじゃ」 「ええ。私の友人の親戚のご町内の人(つまり他人)にも、金星人からのメッセージが聞こえると主張している人もいます。ましてや当時は中世。まだまだまだ宗教の力が強く、人々を物心両面で縛っていたのですから」 「じゃから?」 「ですから、『声』を聞いた、というだけで彼女を特別視するのは危険だと思うのです。そこに論議が集中するのは危険だと。あなたが呼び出した彼女の霊が言ったように、大切なのは彼女が何を成し遂げたか、です。 そう考えると、彼女が活躍したのはごく短期間であるし、戦果も今のようにそこまで誉めそやされるものではないのじゃないかと。その後シャルル7世が長年かけて百年戦争を勝利に導いた、それと比較したら。シャルルとジャンヌ、現在の評価、取り上げ方はあまりにもバランスを欠いてはいませんか?」 「なるほどのう。実はわが国に日蓮という偉いお坊さんがおった」 「ああ、それなら私も彼女に話しました」 「ええい、黙って聞きなさい。うちの嫁が法華の信者でな、毎日お題目を唱えとったよ。 日蓮は鎌倉時代に活躍したお坊さんじゃから、ジャンヌより200年ほど前だのう。当時中国大陸を支配していたのは蒙古(もうこ;後に国号を元とした)」 「チンギス・ハーンがつくった国でしたね」 「うむ。当時の皇帝はチンギスの孫、フビライ・ハーン。そういうわしはおば・はーん」 「はいはい」 「やがてこのフビライがわが国を支配せんものと、二度にわたって攻めて来よった」 「元寇(1274年と1281年)ですね」 「その元寇を予言したのが日蓮じゃ」 「ほう」 「それだけではないぞ。それに先立つ北条家(鎌倉幕府執権)の内紛も予言しておったのじゃ」 「そいつはすごいですね」 「じゃが、法華の信者以外にはあまり知られておらんのう。この話。なぜだかわかるかえ」 「なぜでしょう?」 「ちっとは自分でも考えなさい」 「う~ん。日蓮の予言って、本当にズバッと当たったんですか」 「おお、それじゃ。日蓮に限らず、大方の予言と言うものは(神話や伝承を除いて)、具体的にいついつこうなる、と言っている訳ではない」 「ノストラダムスは1999年に。。。」 「それは後の人が勝手に解釈しておっただけじゃ。ノストラダムスの『予言』は殆どがどうにでも解釈できるものじゃ。 日蓮の予言はノストラダムスほどあいまいではなかった。『立正安国論』の中で述べた、『法華経を信じなければ厄災が起こる』というもので、今わしが言ってるのは、いくつか述べたうちの『内乱が起こる』(自界叛逆難=じかいほんぎゃくなん)、『他国が日本に攻めてくる』 (他国侵逼難=たこくしんぴつなん )というものじゃ」 「それだけでもスゴイじゃないですか」 「ジャンヌほどはっきりはしておらん。しかも日蓮の意見が通らず、法華経を第一にしなかったが、日本は滅ばなかった」 「そりゃそうですよ。ジャンヌの場合は『声』の内容を成就させるために、自分で行動したのですから」 「そう、そこじゃよ!」 「どこです?」 「……お主もしょうもないのう! 人のことは言えんぞ」 「神の声を聞いた者ならたくさんおった。それを信じ、実行したからこそ、しかも成功させたからこそ、彼女は特別なのじゃ」 「ふむう。そうなんですね」 「加えて、彼女はど素人だから、単純に物事を考えることができた。乱れた世の中を安定させるには、神が認めた正当な王が支配すればよい、とな」 「それで1429年7月、ランスの大聖堂でシャルルの戴冠を実現させたんですね」 「そうじゃ。これでやっとシャルルは王として内外に認められる根拠を得たのじゃ」 「それにしてもずいぶんとお詳しいですね。ただの自称イタコの婆ちゃんにしては」 「フォッフォッフォ。何を隠そうこのわしには、若き頃にフランス帰りの恋人がおったのじゃ」 「ホントですか?!」 「彼が最初に教えてくれたフランス語をそなたにも伝えよう」 「はい」 「シェー!」 「……次回はジャンヌの処刑についてです」

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  • 08 Feb
    • The Bald Bandit (A to Z Mysteries)

      手軽で楽しいシリーズ Ron Roy, John Steven Gurney The Bald Bandit (A to Z Mysteries) 今じゃ小学校で英語を習う時代。 私が子供の頃は中学から、でした。新しい科目にわくわくしたものです。 が、中学英語の難点。それは テキストがつまらん! そりゃ語彙も少ないんで、表記できる内容に限度があると思うんですよ。それでも内容があまりにも幼稚すぎた。それにカタイ! だからつまらないのかも。 各巻のタイトルがそれぞれA~Zではじまるこのシリーズ、2巻目はBlad Bandit。 (1作目の記事はコチラ ) 毎回毎回頭韻を踏んでいるところが遊び心があっていいですね。 bald [形] 1 〈頭が〉はげた, 〈人が〉はげ頭の(▼全体でも部分的でもよい);木[葉, 草]がない bandit [名](複~s, ~・ti /bndti/) 1 無法者;盗賊, 追いはぎ;(特に地中海周辺の)山賊(brigand) a gang [a set] of bandits 山賊の一団. [ プログレッシブ英和中辞典(小学館)] 表紙のイラストどおり。 こういった言葉は日本では使うのに勇気が要りますね。商品名や本のタイトルにはまずできないでしょう(あったらゴメンナサイ)。ましてや教科書には載せられないでしょうね。 井沢元彦さんのおっしゃるとおり、日本は言霊(ことだま)の国なんだなあ。。。 もちろん、タイトルだけでなく中身もおもしろいですよ。平易な表現ですが、ミステリの名に恥じず、オチもしっかりしてます。70ページと小ぶりながら、さすがです。イラストも多いので、本文理解の助けになります。 タイトルのBaldもそれほど汚い言葉ではありませんが、中身も汚い言葉は使われていません。そこらへんは児童書ですから、しっかりしています。 Dink、Ruth Rose、Joshの仲良し三人組。今回は前巻と異なり、銀行強盗という実際の犯罪に巻き込まれます。巻を追うごとに三人のキャラクタがしっかりしてきて、おもしろい。これもシリーズを読むおもしろさでしょうね。

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    • それは秘密秘密秘密~ (ジャンヌ・ダルク その2)

      「ええと。昨日より引き続き、自称イタコのばあちゃんのご協力を得まして、ジャンヌ・ダルクご本人さんに、いろいろ聞いてみたいと思ってます」 「ハイ、すみま・せん」 「それ、そろそろやめましょうよ。わかんない人には全然おもしろくないんですけど」 「ところでジャンヌ」 「あたし、ふるさと以外の人々には『乙女(ラ・ピュセル)』と呼ばれてたんだけど、ま、いいか。何?」 「あなたは『声』を聞いてから、どうしたんでしたっけ?」 「最初は『教会に通って、お坊さんの言うことやお父さんお母さんの言うことを聞いて、いい子でいましょうね』という内容だったの」 「だからよい子、強い子、農夫の子になったのですね」 「そう。それがいつしか『フランスへ行って、王太子(後のシャルル7世)を戴冠させなさい』ということになって」 「ふむふむ」 「そんなこと、よい子強い子農夫の子のジャネットにできると思う? そしたら『できるよ』って」 「ほうほう」 「で『声』の命ずるままに、まずヴォークルール(北フランス、シャンパーニュ地方)の守備隊長さんに会いに行ったの」 「13歳で初めて『声』を聞いて、17歳で行動を起こしたんですね。で、それから?」 「隊長さんは最初、てんで相手にしてくれなくて。でも9ヶ月後にはついに認めてくれたのよん」 「そう! そこですよ」 「どこ?」 「。。。これも、もうやめにしませんか」 「どんなつまらないことでも繰り返せばギャグになると」 「宮廷の道化師か誰かが言ってましたか?」 「『声』がおっしゃったのです」 「んな、アホな!」 ↑ドムレミィ、ヴォークルールからシノンへ(クリックすると拡大します) 「あなたは『神の声を聞いた』と言って、ヴォークルール守備隊長をはじめ、王太子までも魅了してしまう。だけど最初からうまくいってたわけじゃあなかった。実におもしろい」 「あはははは~っ! 最高~っ」 「ええと、まだ全部言ってないんですけど」 「なんだ。まだ続くの」 「うう。気を取り直して。ともかくあなたは守備隊長のゴーサインを貰って、護衛を伴ってシノン(南フランス)の王太子のもとへ出発した」 「男装してね」 「そうそう。男装。これが後々大問題になるんですけどね。ところで不思議なことに」 「なんでしょう」 「護衛の男たちも、あなたがその後であった傭兵たちも、だれもあなたに対して変な気を起こさなかったんですね」 「そりゃそうよ。あたしは『乙女』。『声』を聞いた神聖な存在なのよん」 「う~ん。よい子、強い子、農夫の子じゃなかったっけ」 「神聖なよい子強い子農夫の子なの!」 「私が考えるにあなたは実はそんなに魅力のない、ブ。。。」 「ハイ、すみま・せん!」 *実際には「実に魅力的な女性であったけれども、不思議と邪な気持ちは起きなかった」 との証言があります。 「ここであなたの生涯で最大のミステリに入ります」 「どうぞ~」 「これは未だに誰も解き明かしていないナゾなんです」 「あら、そお?」 「あなたは王太子に出合って、しばらく二人きりで話した後に、信頼を得ることに成功する。一体何を話したんですか?」 「なんでソレがミステリなの? ちょこっと話しただけですよん」 「王太子シャルルは実の母(シャルル6世妃イザボー)から非嫡子とされた。そこで彼は自分の出生に非常に疑問を持つわけです。自分は本当に先王の子なのかと。確かにイザボーは恋多き女性でしたからね。愛人も多数いた。だからシャルルが疑問を持つのも当然なわけです」 「それで?」 「それが、あなたとしばらく話しただけで状況が変わってしまった。実に不思議です。単なるよい子強い子農夫の子にはできない芸当だ」 「だから?」 「一説にはあなたはイザボーの隠し子だというものもあります。シャルルの異母妹。だから何か証拠を伝えられていた」 「ちょっと! それはあたしの両親に対して失礼じゃなくて!?」 「い、いや、まあ、そういった説もある、というだけです。ならばあなたは何を話したのですか? あるいは何を見せたんですか」 「別に」 「別にって、ここまできて」 「あたしはただ『王太子様は由緒正しき血筋ですよ』と言っただけ。『声』が命じるままに」 「え~~~っ!! それだけですかあ?!」 「あたしが『声』を聞いている姿を見せただけです」 「う~ん、本当かな」 「話を整理しますね。 ・ヴォークルールでは信頼を得るのに数ヶ月かかった ・シノンへの途中、誰もあなたに邪な気持ちを抱かなかった ・王太子はわりとすぐにあなたを信じた う~ん、このヒントから出てくる答えは。。。」 「答えは?」 「あなたはストレートだった。それしかなかった」 「直球派ですか」 「そう。直球一本やり」 「大リーグボールを覚える前の星●●●みたいなもんですね」 「なんで天国にいるフランス人がアニメの話題を振るかなあ」 「めっぽう早いが、軽い」 「はいはい」 「あなたはヴォークルールで門前払いをくらっても、何度もチャレンジした」 「そりゃそうよ。神様のお手伝いですからね。もちろん、その間にもお祈りしてたよ」 「それが重なるうちにあなたの中に確固たる自信が、使命感が培われてくる。そんなあなたを見て心動かす人が出てくる。周囲のパワーを得て、ますます自信を深めてゆく」 「みんなの元気をオラにくれ!」 「やめましょうね、いい加減に」 「わが国に日蓮(にちれん)という偉いお坊さんがいるんですが、彼も迫害に会うたびに自信を深め、カリスマを備えてくるんです。あなたもそれと同じ。そして周囲のそういった目が、ますますあなたのカリスマとしての自信を深めてゆく。で、邪な気持ちを持つ男もいなかったし、シャルルもあなたに圧倒されたんじゃあないかなあ」 「さーてね。あたしはただのよい子強い子農夫の子。でも神様とともに会ったことだけは事実ですよん」 「そう、その思い込み、信念が、多くの人を動かしたんですね」 「ストレートはどうなったの?」 「現代でもたまにあるんですが、コネも何もない学生が財界の大物にアポを取れることがある。彼らはストレートに、体当たりしていったんですってね。必ず話を聞いてもらえる。もし受け入れられなくても、失うものは何もない、と」 「へええ」 「わが国の織田信長の最大の敵であった一向一揆もそう。彼らは死んでも死んでも立ち向かっていった。その姿に武士たちも恐怖したといいますよ」 「でしょでしょ。信じるものは強いのよん」 「本当ですね~」 「進みだしたらとまらないの」 「そうですか?」 「出発~、信仰~!!  なんてね」 「あなた、本当に聖女ですか?」 「ほなサイナラ~」 「あああ、ちょっと待ってください! まだ続きますよう!」 *次回はオルレアン解放です

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  • 07 Feb
    • よい子、強い子、農夫の子 (ジャンヌ・ダルク その1)

      「皆様こんばんは。『本人に聞いてしまえ!』のコーナーです。 本日より数回にわたりまして(何回で終わるのかは聞かないでね。3~4回くらい)、フランスの救国のヒロイン、ジャンヌ・ダルクさんにいろいろとお聞きしたいと思います」 「こんばんはっ!」 「げ、元気いっぱいですねええ」 「だって、あたしは大地の子、フランスの農夫の娘ですもん。よい子、強い子、農夫の子。元気がとりえ。頑丈よおお」 「なるほど」 「というわけでこんばんは! 遠い東の国の島国野郎っ! さん」 「い、いきなり罵詈雑言ですか?」 「ゴメンナサイ。島国の連中が我が物顔で歩いてるのを見てると、我慢できないの」 「な、なんとも愛国心あふれる方ですね。でもここはわれわれの国ですよう」 「あら、そ。よく見ればあなたと同じ連中ばかりね~。ここはどこかしら」 「本来ならフランス人のあなたをおもてなししようと、某高級フランス料理店に予約を入れたのですが、金なし地位なしの私ゆえ、かなわず。急遽ファミリーレストランにいたしました。ここならコーヒー一杯で朝まで粘れます」 「別に気にしなくていいよっ。私が生きていたころには『フランス料理』なんてなかったの。お城のお食事だって、こんなにきれいなとこで食べなかったし」 「本当ですか?」 「そうよん。確かに当時では珍しい砂糖とか香辛料とか使ってたけど、手づかみでかぶりつき」 「へええ」 「ところで、ジャンヌ」 「私はふるさとではジャネットって呼ばれてたんだけど、ま、いいか。何?」 「あなたは世界でもっとも有名なフランス人の一人です」 「そうなの」 「ええ、おそらく。あなたと皇帝ナポレオン。あと加えるとすればルイ14世にマリー・アントワネットでしょうけれど、ちょっと知名度は落ちます(アントワネットは『オーストリア女』ですしね)。やはりお二人がもっとも有名でしょう」 「ピエール・カルダンやココ・シャネルもフランス人でしょ」 「えらく現代的な、それもブランドものの名前を知ってますなあ」 「天国ではやることがなくて。今更救国の兵を率いるわけにはいかないもの。おしゃれぐらい、楽しませてくれなきゃあ」 「ええと、話をもどしていいですか」 「ハイ、すみま・せん」 「えらく大声ですね~」 「だって私は」 「はいはい。よい子、強い子、農夫の子、元気がとりえなんでしたね。 ナポレオンと並んで世界的に有名なあなたですが、ナポレオンと比べるとまことに謎が多い。皇帝が伝記作家に恵まれ、自身も回想録を残しているのに対し、あなたときたら裁判記録が残っているくらいで、あとはほとんどあなたが死んでからの証言や、噂。いまだにあなたの生涯と事跡は謎に満ちているんですよ」 「そう? そんなに難しく考えなくても、私は私のことだから、よくわかってるし」 「そう。そこですよ」 「どこ?」 「いや、場所の話じゃないです。わからないことは本人に聞いてしまえ! てんで、自称イタコのおばあさんを呼んで、あなたを降霊してもらったのですよ」 「おばあさんだったの、この体」 「ええ。さっきからしわくちゃのババが元気溌剌とキャピキャピしてるんで、気持ち悪いス」 「で、私に聞きたいことって何」 「(さっきの『気持ち悪い』で機嫌損ねたかな?)ええと、ですね」 「お父さんはジャック・ダルク。お母さんはイザベル・ロメ」 「ああ、そんなことはわかってるんです。ジャンヌ・ダルク(Jehanne Darc)というのはお父さんの名乗りを使ったんですよね。だからダルク(d'Arc; 英語でof Arc)という貴族の名乗りは間違い」 「そ。貴族じゃあないの。フランスの大地が生んだ、よい子、強い子、農夫の子」 「生地はドムレミィ村」 「ええ。『ドはドーナツのド~♪』」 「(踊ってるよ)それはドレミの歌! 『サウンド・オブ・ミュージック』、トラップ一家です!」 「ハイ、すみま・せん」 「それ、天国ではやってるんですか?」  ジャンヌ・ダルク出現時のフランス。ピンクがイングランド領。緑はブルゴーニュ公国。 そして水色がフランス(王太子シャルル)の勢力圏。 「こうしてみるとドムレミィ村はイングランド勢力圏内にありますね」 「う~ん、この地図はかなりアバウトね。ホントいうと、イングランド勢力圏内にあった、王太子派勢力圏なんです」 「そうなんですか」 「そう。だからしょっちゅう被害にあってたってわけ。島国野郎どもとブルゴーニュの連中にね」 「私も島国の者なんですが」 「ハイ、すみま・せん」 「そればっかり」 「ハイ、すみま・せん」 「何度も聞くと、腹が立ってきます」 「で、私は13歳のときに初めて『声』を聞いたの」 「そう! そこですよ」 「どこ?」 「。。。私が聞きたいのは、あなたが聞いた『声』のことです。記録(あなたの証言)によればその後もたびたび声を聞き、ついにはオルレアン解放のために立ち上がる。その声は大天使ミカエル、聖女カトリーヌ、聖女マルグリッドだったという。それは本当のことなんですか?」 「本人が言ってるんだから本当でしょ」 「私は高校時代から真剣に悩んだんですよ。もし神がいるとすれば、戦争、つまり人を殺すようなことまでして立ち上がれなんて言うかね~、とか」 「でも神様はご自分の意思を成就させるために、それまでにも不信仰なものたちの命を奪ったでしょ?」 「それも知ってます。でもあまりにフランス(シャルル王太子派)に都合よくありませんか?」 「あなたは昨日の夜、何を食べたの?」 「??? ラーメンとギョーザですが?」 「それは本当?」 「そりゃ、もう」 「自分で体験し、記憶していることだからね」 「。。。そうです」 「私も、そう」 「ええと」 「自分で体験し、記憶している。そして立ち上がった。もしそれがまやかしであれば、よい子強い子農夫の子である私ジャネットが、どうして男装までしてオルレアンを解放し、王様をランスにまで連れてゆくことができたのかしら?」 「ええと」 「あなたたち『現代人』にとって、大切なのはプロセスと結果ではなくて? たとえ私の聞いた『声』が神様と反対の側から来ていたとしても(そんなこと、ありえないけどね)、それが『フランスを救え』というものであり、その結果救えたとしたら、さかのぼってそれは神様、ということになるの。あなた好みの現代的解釈をとれば」 「う~ん」 「悪魔の声、ヒステリーによる幻聴、実は自作自演、なんとでもおっしゃいな。私には『声』は神様からのものだった。それで充分なの。これは私の個人体験でありますから、批判したいならご自由にどーぞ。でも経過と結果を見てよね。多くの人を動かしたし、王太子様を王座につけた。でしょ?」 「そう、ですね」 「まあ、私の時代にはそこが一番大事だったんだけどね。根っこのところが。だからねちっこく聞いてきたのよ~。男連中は!」 「ハイ、すみま・せん」 「。。。あなたの言うとおり、腹が立つわね。聞いてると」 『声』を聞いたジャンヌはフランスを救うべく、紆余曲折を経て王太子のいるシノンへ向かいます。 次回は「王太子に話したこと、教えて~!」です。

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  • 06 Feb
    • The Lion, the Witch and the Wardrobe

      あの人の名は……! C. S. Lewis, Pauline Baynes The Lion, the Witch and the Wardrobe (Chronicles of Narnia, Book 2) 英語の多読を広めたい身にとって悲しいことは、お値段。 日本の文庫本も最近は高くなったけれど、ペーパーバックは書店で買うと1,000円くらいします。 ネットで買うとお得なんですけどね。 ところが 「映画化決定!」 となればしめたもの。 書店によっては平積みされ、ちょっと割引になったりします。 『ヴェニスの商人』もそうでした。 (「それにしてもシェイクスピアは高いなあ。。。」  「同じ本を2冊も3冊も買うから。『ヘンリー五世』だけで5,6冊買ったそうじゃないですか!」  「いや、出版社によって注釈や解題、系図などが違うのだ」  「。。。おバカ」) ということで今回は『ナルニア国物語』。その第一巻『ライオンと魔女』。 『指輪物語』が映画になってから、いつかは、と思ってたんですが。ついにあのナルニアも映画化される、というよりも、もう前売りが売ってますよね。 とらさん も書いてらっしゃったようにこの物語、異世界への入り口の設定がすばらしいものであります。 私、このナルニアと星新一さんの『ブランコの向こうで』を読んだときは、試してみちゃいました、別世界へ(別の人の夢へ)いけるかどうか。 星 新一 ブランコのむこうで 映画がすばらしいできになることを祈っております。 さて、今回はその原書。 私が邦訳を読んだのは主役の一人、エドマンドと同じ年頃、小学2年生くらい。 だからエドマンドの行動、境遇に腹を立て、かわいそうになり、よかったよかったと胸をなでおろしたものです(詳しくは物語を読んでね)。 実は私、それ以来ナルニアを読んだことはなかったのですが、あら不思議。ひとたびペーパーバックをめくるや、次々に思い出してくるではありませんか。 小さい頃の体験や記憶って結構残るものなのですね。 幼き日に読んだ本は懐かしい幼馴染のようなもの。今でも児童書店にいけば、古きよき友達に会えた嬉しさに時のたつのも忘れてしまいます。 そして英語版は。 幼友達のもう一つの姿を見つけたようで。 それでもイラストは同じですから、すぐに親しめました。 この物語で一番光っているのは、私にはエドマンドですね。 ピーターは子供心に「かっこいいお兄さん」でしたけど、アスランにはかなわない。 映画では誰が演ずるかわかりませぬが、難しい役どころとなるでしょう。 そしてもう一つ。 英語版を手に取ってからわくわくしていたこと。 それはあの人の名前がわかる! というのでした。 あの人。それは、巨人ごろごろ八郎太です。 巨人ごろごろ八郎太! なんとすばらしきネーミングでしょう。 「ごろごろ」と「八郎」がひびきあって、一度口にすればもう忘れられなくなります。 さらにそのおもしろい音感から、彼が気のいいキャラクタ、善玉であることもわかりますしね。 実は私、四兄弟やアスランの名はうろ覚えでしたが、彼の名前はしっかりと覚えてました。 この記事を書くために、岩波版をもう一度読んでみたのですが、役者の瀬田貞二さんがあとがきで 日本になじみのないものは名前を変えました、 ということをお書きになっているんですね。エドマンドが食べて魔法にかかってしまうお菓子も「プリン」としてあります。 ならば巨人ごろごろ八郎太も。 そしてついに物語の終盤で彼の名前に行き当たることができました。 "Giant Rumblebuffin" rumble [動](自) 1 〈雷・地震・車・腹などが〉ゴロゴロ[ガラガラ]音を立てる[鳴る], とどろく My stomach is rumbling. (お腹がすいて)腹がゴロゴロなってる. 2 〈車などが〉ガラガラ[ゴロゴロ]音を立てて進む. [ プログレッシブ英和中辞典(小学館) 提供:JapanKnowledge ]より うん、やっぱりゴロゴロなのですね。 buffinはワカリマセンでしたが、人名らしくするためにくっつけたのかな? それにしても八郎太。やっぱりすばらしいネーミング。 かように、 「原作ではあれはなんて書いてあるんだろう?」 というのも、洋書を読む一つのきっかけであり、楽しみですね。 付記 おとといは路面が凍ってまして、エドマンドがぬかるみの中を歩いて滑った場面を読んだちょうどそのとき、私も滑ってしまいました。見事に。 本は折れてしまうわ、腰は痛いわ。 歩き読みは、やめよう!

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  • 03 Feb
    • シェイクスピア 『ヘンリー六世 第一部』 (シェイクスピアの史劇7)

      名門の家に生まれたまことの紳士にして その家門の名誉をなにより重んじられるかたは、 私の主張するところに真実があるとお考えなら、 私とともにこの枝から白バラを手折っていただきたい。   リチャード・プランタジネット(『ヘンリー六世第一部』第二幕第四場) 『ヘンリー六世 第一部』は若くおとなしい王ヘンリー6世を巡る周囲の貴族たちの不和、争いと百年戦争の終わりを描いた作品です。 ↑クリックすると画像が拡大します 時代が主役 この劇はシェイクスピアの最初期に属する作品です。執筆者が複数だったという説もあり、中期や後期の作品と比べると、印象がだいぶ異なります。 登場人物の多さ、というか雑然さというか。 タイトルをしょっている6世王が出てくるのは劇の後半。即位したときは赤ん坊だったのですから無理もありません。名前がタイトルになっているのは主役だからではなく、彼が王であった時代の物語だから。 幼弱の王を補佐するのは叔父、大叔父たち。その中で一人、特にこれといった責任と権利を与えられなかったヘンリー・ボーフォートは、権勢欲から公明正大なイングランド摂政ハンフリーをなんとかして引き摺り下ろそうと、何かと対立します。 そしてランカスター家の王位簒奪の事実を知ったヨーク家のリチャード・プランタジネットはひそかに王位を狙い、同志を募ります。ハンフリーとヘンリー・ボーフォート、ランカスター同士の争いは前者に正義があると知りつつも傍観。もちろんランカスターの力が弱まるのを望んでいるからです。 フランスの戦場ではトールボットなど現場の指揮官、戦士たちが奮戦するも、フランス摂政のジョンの死、そして国内の貴族たちの不和、足の引っ張り合いにより戦略が混乱し、敗退してゆきます。 そしてここに出てくるのが乙女ジャンヌ。ジャンヌ・ダルク。この劇では彼女は魔女として描かれており、史実以上の働きでフランスを優位に導きます。 悲劇の勇者トールボットや乙女ジャンヌなど印象的な人物は出てきますが、フォルスタッフやヘンリー5世のような多面的な描かれ方はされておりません。 これを初期の作品ゆえの未熟さ、ととることもできますが、この当時のシェイクスピアは個々人のキャラクタを描くよりも、事件の推移、時代の流れ、イングランドという国が悩み苦しみ、やがて起こる内乱によって傷つくさまを描いたのだ、といえます。 日本で言えば『平家物語』や『太平記』みたいなものでしょうか。 平家にしても太平記にしても中心人物、主役といえる登場人物がいないわけではありませんが、むしろ滅び行く平家、混沌たる南北朝という事件や時代が主要テーマであります。 その混沌ぶりから『太平記』の方がこの劇にはより近いかもしれません。 『ヘンリー六世』は第一部から第三部まで三作あり、次の『リチャード三世』も連続した時代とテーマを扱っていますから、この四作でイングランドという国を主役として描きたかったのでしょう。 『リチャード三世』が史劇の中で特に著名なのはリチャード3世の圧倒的な存在感によるものなのですが、古代中国の桀王(けつおう;伝説の夏王朝最後の王)紂王(ちゅうおう;殷王朝最後の王)、わが国の武烈天皇(ぶれつてんのう)ようにあえて悪役に仕立てられた、次の王朝の正当性をうたうために悪いことはぜーんぶひっかぶせられたのでしょう。ただその悪役振りがまことに見事なために多くの人を惹きつけるのです。 リチャード3世についてはいずれまた。 トールボットと乙女ジャンヌ トールボットの名は『ヘンリー五世』の中で、あのアジンコートの戦い前にあった「聖クリスピアンの演説」の中にも出てきております(制作年代は『ヘンリー五世』の方が後ですので、当然といえばそうなのですが)。 勇猛果敢で有能な武人ですが、司令官である貴族たちの足の引っ張り合いにより援軍が得られず、まだ若き息子とともに無念の討ち死にを遂げます。 一方のジャンヌ・ダルク。今では聖女である彼女も当時のイングランドから見れば憎き悪魔の手先。恐ろしき魔女として描かれています。 とはいえ、現代広く知られているジャンヌの物語要素は大体使われています。 シャルル7世の宮殿で、彼女を試すためにわざと廷臣にまぎれていた王を見分けたこと、 神の名を叫んで王や兵士を導いたこと、 オルレアンの解放、など。 後半からは大きく異なって、史実以上に活躍しますが、悪霊たちに見捨てられ、魔力を失い、捕らえられます。処刑を逃れるために妊娠している、と言い張る始末。その相手は二転三転して最後にはシャルル7世まで引っ張り出しています。 私は戦場でこれだけ活躍したジャンヌを描いた作品を他に見たことはありません。 ですが今申しましたようにその扱われ方から、ジャンヌ・ダルクが好きな人はこの作品を読まないほうがよいでしょうね。 トールボットという正義の士がジャンヌという悪に打ち倒される。同様にイングランドでは公正な摂政ハンフリーが邪悪なヘンリー・ボーフォートによって破滅させられる。 まことにひどい状況です。イングランドがやがて悲惨な内戦に突入してゆくのが無理からぬこと、と思わせます。 ちなみに百年戦争の終結も描かれていますが、この作品では劣勢になったもののイングランドがシャルル7世を呼びつけ、「フランスの副王とする」、だから兵をひいてやる、というまことに勝手のよいものになっています。もちろんそんな事実はなかったのですが。 なのでイギリス人の中には「百年戦争はイングランドの勝利」と思っている人もいるそうです。 赤バラと白バラ ばら戦争。この優雅な名がつけられた、その実態は復讐が復讐を呼び、血で血を洗う悲惨な内戦はランカスター家とヨーク家の王位を巡る争いです。 『第一部』ではまだ内乱の兆しもありませんが、その名前の発端となった場面が描かれます。 『ヘンリー五世』で王の暗殺を企み、処刑されたケンブリッジ伯リチャード。その息子リチャード・プランタジネットは父と自分を揶揄するサマセット公と対立。おのおの庭園にある白バラ、赤バラを摘み取り、同志となるものに同じ色のバラをとるように呼びかけるのです。 こうして波乱含みのまま物語は『第二部』へと引き継がれてゆくのです。 次回はジャンヌ・ダルクを。 ◆冒頭の台詞は ウィリアム・シェイクスピア, 小田島 雄志 ヘンリー六世 第一部 シェイクスピア全集 〔1〕 白水Uブックス より引用しました◆

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  • 01 Feb
    • 板倉聖宣 『生類憐みの令』

      綱吉はいい人? 悪い人? 板倉 聖宣 生類憐みの令―道徳と政治 パチスロの世界では暴れん坊将軍が大活躍しておりますが、 徳川将軍十五代の中で一番暴れん坊、好き勝手やったのは五代の綱吉(つなよし)だと思うのです。 天下の悪法「生類憐みの令」を出し、犬公方(公方は将軍のこと)と呼ばれた人です。 しょうるいあわれみ‐の‐れい〔シヤウルイあはれみ‐〕【生類憐みの令】 江戸中期、五代将軍徳川綱吉が発布した殺生禁断の令。貞享二年(一六八五)以後しばしば発令。特に犬を大切にし、犯す者は厳罰に処した。綱吉の死後、廃止。 [ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ] しかしひるがえって考えてみれば、好き勝手できたというのはよほど世の中が平安だったからではないでしょうか。そして綱吉自身がかなりの手腕を持っていたのでは。 またこう考えてみてください。 一昔前までは「日本は鯨を食べる、捕らえる。ひどい」なんてバッシングがありましたよね。 ところが今から300年も前にどこの国にも先んじて動物愛護をうたう法律があったのです。これを言うと外国の方はびっくりします。そして 「ならばその綱吉という人はすばらしい人だ」 と言う方も少なくありません。 ちなみに日本は平安時代初期、薬子の変(810年)以後保元の乱(1156年)にいたるまで300年間も死刑を廃止していました。この点でも日本は「世界に先んじた人道国家」と言える?? さて本当のところはどうなのでしょう。 道徳的にはすばらしい政治家、すばらしい法律が、果たして本当に当時の人々の幸せに結びついていたかどうか。 例えばフランス革命で恐怖政治をしいたロベスピエールは、清廉潔白で公正な人柄でした。それゆえ妥協を許さず、革命をどんどん推し進めて、不必要な犠牲者をたくさん出しました。 生類憐みの令にしても、先に見たように綱吉の死後すぐに廃止されています。しかも綱吉が跡継ぎの六代将軍家宣(いえのぶ。綱吉の甥)に 「子々孫々守りついでゆけ」 と遺言をしたのに、です。 家宣はきっぱりと言い放ったそうです。 「先君(綱吉)のご遺言ゆえ、自分ひとりは生涯守ってゆこう。しかし万民が苦しんでいる法ゆえ、すぐに止めよ」 なるほど。道徳的にすばらしい政治家や法律は、実は世の人々の不幸につながるのだな、と思わないでもありません。 ところが一概にはそういえないようです。 板垣さんのこの本、なにかと問題のある生類憐みの令を通じて、道徳と政治について考えさせる本であります。 大きく二部構成になっていまして、前半は小学生、中学生対象に、クイズ仕立てで生類憐みの令と綱吉について学べるようになっています。後半は大人向け。より詳しい解説が載っています。 とはいえ、大人でも前半のクイズは十分に考えさせられ、楽しめます。 例えば。 「生類」というのは生き物のこと。犬を大事にした、ということばかり強調されていますが、他の生き物はどうだったのでしょう。 人間だって生き物です。 うなぎやアサリ、シジミだって生き物です。 ワカメやコンブといった海藻も生き物ですよね。 綱吉の意図した「生類」はどこまで含まんでいるんでしょう。 こういったことが一つ一つクイズとして出題され、選択肢の中から答えを選ぶ形式で進められます。 実は生類憐みとはすべての生き物のことなんだ、 人間も大事にする、行き倒れの人をほうっておくことを禁じ、 家畜の牛や馬も、役に立たなくなったからといって殺すことを禁じ、 うなぎ、アサリ、シジミといった食料になる動物も乱獲してはいけないと諭し、 植物であるワカメやコンブでも大切に、とりすぎはだめだよといっている という驚くべき事実を学んでゆくのです。 私がこの本に出会ったのはもう10年も前ですが、私もまさかここまで徹底しているのだとは思いませんでした。 子供の興味をどんどん引き出してゆく形式にも感心しましたが、一方で綱吉がここまでやったということは、禁じなければいけないほど当時の社会が殺伐としていた、人命を軽んじ、資源としての動植物を酷使したり乱獲したりしていたのだということに気づかされました。 ショックでしたね。 綱吉という人はワガママなバカ殿ではなかった。社会を根底から変えてゆこうとしたんだと。 この本、最初には昔から伝えられている綱吉像、 「迷信を信じて人より犬を大事にした、それを人々に押し付けた」 を紹介することからはじめています。そのときの子供さんたちの感想は 「綱吉は悪い人だ」 というものだそうです。そりゃそうですよね。 ところがクイズを重ね、生類憐みの令について深く学んだ後は 「綱吉はいい人だ」 とほとんどの子供さんたちが言うんだそうです。 結局のところ、どっちなんでしょう。 生類憐みの令で多くの人が迷惑をこうむったのも事実です。 反面、人々の意識が大きく変わり、平和な社会になったのも事実です。 (武士は刀をさしていて、無礼を働いた者には切り捨て御免にする特権があるじゃないか、と思われていますが、武士がいったん刀を抜いたらえらい騒動になります。江戸中期以降は、刀を抜いた武士も死をもって償う場合が多かった。一部の乱暴な君主や武士が人を平気で切り捨てたり、鉄砲で撃ち殺した例が残っていますが、特殊な例だから残っているのでしょう。現代でもそうです。残酷な事件は大きく報道され、人々の記憶に残る。 逆に江戸初期などまだまだ残虐な気風が残っていたころは、当たり前のことゆえ、いちいち意識されませんでした。) 綱吉はいい人? 悪い人? その答えは書いてありません。それはこの本を読んだ人それぞれが見つけ出すものだからです。

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