• 30 Oct
    • ハリー・モンマスとネイティヴ・プリンス (ヘンリー5世 その3)

      あのヘンリー・ボリングブルックは、三度まで おれに戦をしかけた、そしておれは三度とも ワイ河の岸辺、セヴァン河の浅瀬から追い返した、 やつは何一つ得るものなく、雨のなかを逃げ帰った。   オーウェン・グレンダワー(『ヘンリー四世 第一部』第三幕第一場) 普段は「王子」と訳しているプリンス(prince)。辞書でひいてみると 王子, 皇子, 王孫; (封建時代の)諸侯, 大公; (小国の)君主; (英国以外の)貴族, …公; 第一人者, 大家. (三省堂提供「EXCEED 英和辞典」より) とさまざまな意味があります。 古代ローマでは初代皇帝アウグストゥス(在位:前27-後14)がプリンケプス(Princeps:ラテン語で「第一の市民」という意味)と称しました。ローマ史では「元首」と訳しています。プリンスはこのプリンケプスが英語化したもの。ですから「第一人者」という訳があるのですね。日本では「王子」という訳が定着していますが、ごらんのように王族以外でも貴人の称号として用いられました。 戦国時代の中国(BC403~221)でもそうでしたが、「王」を名乗ることは周囲の承認が必要とされます。実力もないのに勝手に「王」を名乗ったら周囲から袋叩きにあうだけ。そこで小国の長はプリンケプスを名乗るようになったり、小国の長をプリンケプスと呼ぶようになりました。現在でもモナコやリヒテンシュタインなどは元首がKingではなくPrince、つまり王国ではなく公国を名乗っています。 また王の息子たちも王位継承者という意味では「第一人者」ですから、プリンケプスと呼ばれるようになりました。それゆえ英語で王子もプリンスと呼ばれます。同様に貴族たちを集合でプリンスたちと呼ぶこともあります。 つまり王(King)の次に位置する称号ですね。 ここでイギリスの爵位を見てみますと 大公(プリンス)、公爵(プリンスまたはデューク)、侯爵(マークィス)、伯爵(アール)、子爵(ヴァイカウント)、男爵(バロン) となっています。その下に準男爵(バロネット)、騎士(ナイト)と続くのですが、男爵までが貴族です。アールグレイという紅茶がありますが、このアールというのが伯爵。19世紀に英国首相であったグレイ伯爵のお気に入りの紅茶がアールグレイと言うわけです。他の国では伯爵はカウントと言います。 もっともこの「公候伯子男」というのは中国の制度。後に明治日本でも華族制度として取り入れましたが、西洋の爵位は適当な訳語がないため、無理やりそれに当てはめているだけです。日本でも音だけでは公爵と侯爵の区別がつきませんから、それぞれ「ハム公爵」、「そうろう侯爵」と呼んで区別していたとか。 シェイクスピアでよく出てくるのは公爵(デューク)と伯爵(アール)、そして騎士(ナイト)です。この3つと大公(プリンス)が歴史的に古い爵位なのですね。シェイクスピア劇を見れば大体王の息子たち、子孫がデュークに封ぜられ、地方の豪族はアールを名乗っています。 日本で言えば、ちょっと時代がずれますが、デュークが御三家クラス、アールが大名クラスでしょうか。あくまで感覚の話ですけれども。 登場人物表は普通身分の高い順に書かれていますから、それを眺めてみるのも面白いかと思います。 ハリー(後のヘンリー5世)はイングランド王位継承者としてプリンス・オブ・ウェールズ、「ウェールズ大公」の称号を得ました。 このプリンス・オブ・ウェールズというのは、もともとウェールズ人の第一人者が名乗っていた称号なのです。ヘンリー3世(在位:1216~72)の時代のルウェリン(在位:1267~83)という人がウェールズ大公を名乗り、ヘンリー3世もこれを承認。ウェールズ大公国の元首となっています。 ところがヘンリー3世の後を継いだエドワード1世(在位:1272~1307)はウェールズを武力で征服。ウェールズ大公一族を滅ぼしてしまいます。そしてウェールズ大公国はイングランド王国の属領となってしまうのですが、ウェールズ人の反感を和らげるために息子(エドワード2世)をウェールズ大公に任じ、形式上はウェールズ大公国の存続を認めたわけです。その後エドワード3世(在位:1327~77)の長子エドワード(ブラックプリンス)、その子リチャード2世、そしてハリーとウェールズ大公位が継承され、ウェールズ大公=次期イングランド国王、という現在の形が整えられていくのです。もちろん現在のチャールズ皇太子もウェールズ大公であります。 *英国皇太子はウェールズ大公以外にたくさんの爵位、称号を保持しています。 エドワード2世以降ウェールズ大公はイングランドのものになってしまいましたので、それ以前のウェールズ大公をネイティヴ・プリンス・オブ・ウェールズと呼んで区別しています。 外から見るとイギリスというのは一つの国に見えますが、ウェールズ、スコットランドそしてアイルランド。これらとイングランドは長い間対立状態にあったわけです。代々のイングランド王もちっぽけな島国よりも広大な大陸、フランスに目がいってますから、なかなかブリテン島を統一できない。日本と違って文化的にも異なる地域があるわけですから、統一も難しい。 スコットランドは王国。一応イングランドと対等なわけです。実態はイングランド王の優位を認める、という関係でしたが。 ウェールズは先ほど見ましたように一番早くイングランドに併合されてしまいました。しかしウェールズはもともと文化も言語もイングランドと異なる地域。ケルト文化の伝統を残し、音楽が好きな地域。ハリーも幼少期をこのウェールズで、ウェールズ人の家政婦に育てられました。彼が竪琴をかなで、音楽が得意なのも関係があるのかもしれません。 ハリーの時代は併合されて日も浅く、今以上にウェールズの独立性が高い時代でした。また併合された悲しさ、かなり迫害されていました。イングランドで内紛が起こればウェールズもスコットランドもこれ幸いとイングランドに反旗を翻します。 オウェイン・グレンダウェル(1354?~1416? 『ヘンリー四世 第一部』ではオーウェン・グレンダワー)はウェールズ名ではオウェイン・アプ・グリフィズ(Owain Ap Gruffuddbr)といい、イングランドに抵抗する事実上最後の戦いを率いた人物です。現代ではウェールズの国民的英雄として崇められています。シェイクスピア劇では迷信深い田舎の豪族として描かれていますが、若い頃ロンドンで法学を学び、王家に仕えていました(このことはシェイクスピア劇でも言及してますが)。後にウェールズに帰国。祖国解放のために独立運動を展開し、プリンス・オブ・ウェールズを名乗ります。 オウェインを迎え撃ったのはハリーの軍隊でした。ここにイングランド皇太子であるプリンス・オブ・ウェールズとネイティブ・プリンス・オブ・ウェールズ、二人のプリンスが対決したのです。 彼は自分が育ったウェールズ人を相手に戦いを続けたのです。独立軍の中にはもしかしたらハリーの幼き日の遊び相手が混じっていたかもしれません。ハリーの心情をうかがい知るすべはありませんが、後の彼の何かに憑かれた様な戦いぶりを見ると、この少年の日の対ウェールズ戦が大きな影を落としているのかもしれません。 芝居ではロンドン庶民と交わり、のちにフォルスタッフを追放しましたが、史実のハリーもまず最初に自分の原風景をなしているウェールズの人々を心から追い出さねばならなかったのです。 オウェインは何度も敗北を重ねながらも驚異的なしぶとさで抵抗を続けました。あるときはバーシー一族と結び、あるときはフランスと結びながら。しかし敗北を重ねるにつれ追い詰められ、居場所がなくなっていきます。 『ヘンリー四世 第二部』ではこの魅力的な田舎豪族はもはや出てきませんでした。登場人物表にすら載せてもらえず、ただ死亡した、との噂が劇中で出てくるだけ。 実際のオウェインも1412年くらいから所在が不確かとなり、以後の消息ははっきりとはしていません。そして1416年までには死んだと伝えられています。 こうしてハリーは師であるホットスパーに続き、オウェインに付き従った、かつての友であった(かもしれない)ウェールズ人をも打ち破りました。 戦争に明け暮れた皇太子もロンドン、そして宮廷に戻って活動をする時期です。 イングランドでもハリーにはたくさんの友がいました。あのフォルスタッフのモデルとなったジョン・オールドカスルと知り合ったのもこの頃であります。 ◆本文中のセリフは ウィリアム・シェイクスピア, 小田島 雄志 ヘンリー四世 第一部 シェイクスピア全集 〔15〕 白水Uブックス より引用しました◆

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  • 29 Oct
    • ハリー・モンマスとハリー・パーシー (ヘンリー5世 その2)

      どう見ても私のあわれな顔は若い女性にもてる顔ではないのだが。              ヘンリー5世(『ヘンリー五世』第5幕第2場) ※同名が多いので、ヘンリー5世のみ「ハリー」と表記しています。 冒頭のセリフはトロワの和約でフランス王女キャサリンに求愛をするハリー(ヘンリー5世)のセリフです。この後に、先日申しましたように「父は私を生みつけたとき反乱のことばかり考えていた。だから私はいかつい顔になった」と続きます。 映画でハリーを演じたオリヴィエにしてもブラナーにしても、それは役者さんですから、整った顔をしています。舞台で演じられる方も大抵はそう。そんな彼らが上のセリフを言うのはちょっと違和感がありますね。 では実際ハリーはどんな顔だったのでしょうか。 これはロンドンのナショナル・ポートレイト・ギャラリーにあるハリーの肖像です。 ほれぼれするようなハンサム、とはいえないものの、それほどごつい顔ではありません。 ドングリのへたのようなヘアスタイルは当時の流行で、兜をかぶりやすいようにしているのです。ここからハリーは武人であったことがうかがわれます。 この肖像の最大の特徴は横顔であることでしょう。他の王や女王の例を見ても、横顔というのはありません。実はハリーの顔には大きな傷跡があったのです。おそらく肖像で見せていない右側にあったのでしょう。 彼の少年~青年時代は、シェイクスピアの劇とは異なり、戦いの連続でした。 1400年には早くも父に伴われてスコットランド国境、およびウェールズの戦場に赴いています。 チェスターにおいて、彼は父から軍の指揮を任され、ウェールズのオウェイン・グリンダウェル(劇中のオーウェン・グレンダワー)討伐を命ぜられます。父王はスコットランド軍に備えなければならないからです。 弱冠13歳でハリーは軍の司令官になったわけです。もちろん父も少年にこの大役をすべて任せるわけにはいかないので、ヘンリー・パーシー(ホットスパー)をお守り役につけています。 劇中ではハリーと同世代のライバルとして描かれているホットスパーですが、実際には36歳。ハリーの父、ヘンリー4世より2歳の年長でした。 ホットスパーはノーサンバランド伯の嫡子として、対スコットランド戦で武勇をあげておりました。ノーサンバランドという土地はイングランドの北西部。ヘンリー4世が追放後イングランドに帰ってきたときに出迎えたのも、スコットランド相手に奮戦したのもうなずけます。 ハリーとホットスパーは劇中ではライバル同士でしたが、史実では師弟関係にありました。 ハリーはホットスパーの下について騎士修行をしたむきもあるようなのです。ですがハリーはどうも騎士修行に身を入れなかったようです。 ともあれ、ホットスパーはハリーをよく支え、ウェールズで戦いました。しかし軍隊に対する支払いが滞ったため、ホットスパーは王を起訴。ハリーの下を去ります。1401年のことです。 ハリーはその後名実ともに軍の司令官となりました。 ホットスパーの方は一族のもとへ帰り、1402年ハミルドンヒルの戦いでスコットランド軍を撃破。ダグラス伯アーチボルトを捕虜とします。この捕虜をめぐって王と対立する場面が『ヘンリー四世 第一部』の幕開けとなるのです。 ホットスパーはなぜ王に反逆したのでしょうか。 パーシー一族はヘンリー4世が王になるのを支援した貴族の一人です。そして強大な一族でありました。先ほど申しましたように、領地のノーサンバランドはイングランド北西部にあり、代々辺境警備、防衛を任としていました。貴族とはいえ、武力にたけた一族でした。 ホットスパーとしては己の武力、一族の武力に対する自負、そしてそれを正当に評価してくれない王に不満を持ったのでしょう。 ホットスパーは捕虜ダグラスの引渡しを拒否。ウェールズに捕らわれた義弟エドマンド・モーティマーに身代金を払わない王に腹を立てたからです。 こうしてパーシー一族は王に反抗する意図を明らかにしました。 1403年7月21日、両軍はウェールズにほど近いシュールズベリーで激突します。ホットスパー軍は頼みとしていた父、そしてグリンダウェルの援軍がなく、敗れ去るのです。 両軍とも1分あたり12発は射出できるという数千の長弓部隊を配し、多くの戦死者を出しました。騎士300人以上、総計2万人以上といわれています。また、続く数週間でさらに数千人の負傷者が亡くなりました。 ハリーが傷を受けたのはこの戦いでのことです。顔に矢を受け、死の一歩手前までいきましたが、そこは皇太子のこと、手厚い看護がなされ、命を取り留めます。しかしこのときの傷は一生残ることとなりました。 顔に矢が刺さった、ということから、彼が兜をかぶっていなかったか、あるいはかぶってはいても顔は露出していただろうと推測されます。兜をかぶり、面頬(めんぼう:顔を隠す部品)を下げると視界が妨げられ、息苦しくなるのを嫌ったからです。事実、鎧を着こんで窒息死した例もあります。 オリヴィエの映画でもブラナーの映画でもハリーは顔をさらけ出しています。ブラナーの映画では兜すらつけていません。対するフランス軍は殆どが想い鎧を着込み、兜をかぶり、面頬を下げているのですが。 これもこの時代のイングランドの特徴なのでしょう。 ハリーは身をもってイングランド長弓の威力を知ったのでした。 こうしてホットスパーはシュールズベリーで戦死。劇に描かれたようなハリーとの一騎うちではありませんでしたが。ハリーはかつての師と戦い、打ち破ったのです。 しかし、ハリーおよび父王にはまだまだ敵がいます。ホットスパーの父もグリンダウェルも健在です。 ハリーはまだまだウェールズを走り回り、戦い続けるのです。 ◆冒頭のセリフは ウィリアム・シェイクスピア, 小田島 雄志 ヘンリー五世 シェイクスピア全集 〔19〕 白水Uブックス より引用しました◆

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  • 27 Oct
    • シェイクスピア 『リア王』 

      矢を放たれるがいい、この胸板を射抜かれても かまいませぬ。リアが狂ったとなれば ケントも礼節を捨てましょう           ケント伯(『リア王』第一幕第一場) ちょっと史劇と史料あさりに疲れたので『リア王』を読んでみました。 やはり名作です。あっという間に引き込まれてしまいました。 シェイクスピア 「シェイクスピア」というテーマをもうけてから、もう15以上の記事を書きましたが、実際に取り上げた作品は5つ(汗)。実は私、人に語るほどシェイクスピアを読んでいるわけではありません。新潮文庫の福田恒存さん訳や、岩波の中野好夫さん訳のを読んだくらい。そしてしばしばここで取り上げている白水Uブックス、小田島雄志さん訳の全集を読んだくらいです。 この白水の全集は1冊が700円程度と非常にお手ごろ。しかも全37戯曲(最近シェイクスピア作とされた3つは入っていない)が出ているのです。非常にいいものです。 シェイクスピアになるとそれこそ読解や上演などが学問として成り立っているほどで、読み込んでいる人は読み込んでいるんですね。また英文学では非常に大きなウェイトを占めている。うちの伯父も英文科の先生でしたが、やはり一通りは知ってました。 でもそんなかしこまって考えなくてもいいんです。シェイクスピアは結構下品で、駄洒落好きで、卑猥だったりもするんですね。そういった意味で訳者さんは苦労されてると思います。駄洒落ほど訳しにくいものはないですからね。ですから、一度は原文で読んでみるのもいいものです。何度も読んだストーリーなら、大筋は頭の中に入ってますから、いちいち辞書を引かなくてもいい。分からない語があっても適当に読んでしまえばいいんです。 またまた偉そうなことを書いてました。気をつけねば。 ともかく、シェイクスピアは親しみやすいものが多いのです。今は史劇を取り上げていますが、いずれ他の作品も取り上げていきたいと思います。 シェイクスピア初体験 私がシェイクスピアの作品に初めて触れたのは小学校6年生のとき。なんと『リア王』が国語の教科書に載っていたんですねえ。教科書って、なかなか忘れがたい作品が多く載っていましたね。小学校のときなら「花とモグラ」や、「ウミヒコヤマヒコ」、「ネパールにかがやく」、「車の色は空の色」などなど。中学だったら「一切れのパン」、「霧笛」、「走れメロス」かな。そんな中に「リア王」がありました。 今考えるとすごいことです。小学生にシェイクスピアを、しかもその最高傑作である『リア王』を読ませるんですからね。もちろん全文ではありません。第一幕第一場、それも開幕直後のグロスターのちょっと下品なセリフを除いた部分です。 リアは三人の娘に財産分与する旨を告げ、誰が一番自分を愛しているのか、言葉で表せと迫ります。 長女のゴネリル、次女のリーガンは美辞麗句を並べ立てますが、三女のコーディリアはそのような薄っぺらな言葉で取り入ることを良しとせず、 Nothing(言うことはなにも) と突っぱねます。言葉に表すことなどできない、よくわかります。昔話でもよくある、意地悪姉と正直者の末娘の話と同じ。まだ穢れを知らぬピュアな乙女の心情ですね。 怒り狂ったリアはコーディリアの分も残らず姉二人に分け与えてしまいます。そこで忠臣のケント伯が王を諌めたときのやりとりに出てくるのが冒頭のセリフ。 これを6年生で読んだときは皆思いましたね~。 「リアって、いきなりじゃん」 「コーディリも、もうちょっと上手くできないの?」 もっとストレートに言うと 「リアってわがまま」 「コーディリアってばかじゃん」 リアの要求はあまりにも理不尽で、愚かです。それまで筋の通った物語ばかり読んできた身としては、このいきなりのシュールな展開についてはゆけませんでした。「不自然だ」「なぜ、なぜ?」という反応ばかり。 で、 「あんまり面白くないね」 なんて生意気な結論に達しちゃったのでした。あ~あ。 それにしても。第一幕第一場だけ、というのはものすごく意地悪な扱いですよね。残りが気になってきません? 私は見事教科書執筆陣の術中にはまり、新潮文庫の『リア王』を買って読んだのでした。 これが私のシェイクスピア初体験であり、文庫本を本格的に買うきっかけとなった出来事でした。 その後『ロミオとジュリエット』、『ハムレット』、『ヴェニスの商人』、『真夏の夜の夢』と読み進み、『マクベス』、『オセロー』にもっともはまりました。ちなみに当時は『リチャード三世』は読む気になれませんでしたけれど。 なぜだろ。 そんな初体験の記念すべき教科書版は誰の訳だろう、ふと気になってこの間調べてみました。 手がかりになるのは冒頭に掲げたセリフ。なぜこれを覚えているかと言えば 放たれるがいい=鼻、垂れるがいい と読んで、クラス内で盛り上がったからです。下らないね~。 さすがリア王となるといろんな方が訳し、いろいろな出版社から出ています。手がかりは「はなたれる」。 ところがどの訳でも「放たれる」が出てきません。困りました。 で、家に帰って白水版を見たら、灯台下暗し。「放たれる」とあるではありませんか。 今から数十年前の小学校教科書に載っていたのは小田島さんの訳だったんですね。 リアの出だしは不自然か 不自然だと思います。そういった意味で現代演劇に通じるものがありますね。そこが傑作たるゆえんだと思うのです。 自然で筋道が通っていれば面白いのか、といえばそうとは限りますまい。無理につじつまを合わせればつまらなくなってしまうことが多いのでは。 実は『リア王』もシェイクスピアの(というより当時の演劇界の)他の例と同じように、ソースとなる作品がありまして、その中ではリアの要求にはちゃんと理由があるんですね。 末娘コーデラ(『リア王』のコーディリア)をフランス王に嫁がせようとするんだけど、彼女は「お父様を愛している以上、他の男性にささげる愛はありません」と拒否するんです。それでリアは一計を案じ、愛の告白を迫る。父を愛している、と言えば、その愛する父の頼みだから結婚してくれろ、と話を進める算段だった。ところが、ここから先は『リア王』と同じなんですが、薄っぺらな言葉での告白を拒否したコーデラに激怒、当初の目的を忘れてコーデラを追放してしまうんです。 と長々書いてきましたが、どうでしょう? 私にはさほど面白いとは思えません。小ざかしさを感じるだけです。リアも自分で描いた計画を忘れるなよ、それこそ不自然じゃん! と突っ込みたくなります。 ここで今までと逆のことを書きますが、リアがいきなり娘たち三人に愛情を言葉にせよと迫る、実はこれ、理不尽だけど人間としてきわめて自然なことじゃあないでしょうか、と思うんです。 人は自分に向けられた他人の愛情をどうやって察することができるでしょうか。その人の態度なり、行動なり、表情なり、いろいろあるでしょうが、愛情という形のないものを確かに感じるためにしばしば言葉を求める人、いませんか? 言葉にして欲しいことってありませんか? 言葉でなくても物(プレゼント)であったり、電話やメールの回数であったり、何かと計量化しようとしませんか? 一方、愛をささげる側はどうでしょうか。 「『愛している』と言ってくれ」 と言われて「愛している」と言ったのでは、これ、嘘ですよね。無理強いされて言う言葉だから、自分のホントの気持ちと少しずれてしまう。なにより言葉に表さなくても分かってくれよと思う。 いきなり漫画の話になりますけれど、「うる星やつら」の最終話がそんな感じでしたよね。言葉を求めたがる女性と言葉を出したがらない男性。 リアの行動は愚かですが、同時に非常に人間くさいものだなあと感じるのです。 喜劇『リア王』 漫画の話が出たついでに、ゲームの話を。 昔『サクラ大戦』というゲームがありまして、そのなかで「喜劇 リア王」というのが出てくるんです。 いわば劇中劇なんですが、どんな内容なのかは描かれてません。ただ元気なリアとゴネリルのかけあい、漫才に近いものみたいです。 『リア王』というのはシェイクスピア悲劇の中でも実にスケールの大きいものであり、また救いがないものであります。ですから実際に喜劇『リア王』というのがあったそうです。 どういうものかというと、ラストシーンが変わっちゃってるんですね。コーディリアはリアを救い出し、姉たちを打ち破ります。そしてリアが復位し、その後数年平和に国を治めたのでした。めでたし、めでたし。という奴です。 中にはそれに加えて、コーディリアがエドガー(善玉キャラクタの一人)と恋仲になる、というロマンティックなものもあります。 18世紀ごろ盛んに上演され、当時はリア王といえばハッピーエンドもの、と思われていたそうです。 いずれまた リア王について取り留めのないことを書きましたけれども、劇は第一幕第一場以降も続いております。 その中でリアは辛酸をなめ、ついには発狂してしまう、というすごい運びになります。 またメインのリアの話以外に、副筋としてここにもう一組の親子の物語も絡んできます。 そしてリアの中で最も魅力あふれるキャラクタの道化のことも。 まだまだ語らねばならないことは多いです。 いずれまた、これらのお話をしましょう。 ◆本文中のセリフは ウィリアム・シェイクスピア, 小田島 雄志 リア王 シェイクスピア全集 〔28〕 白水Uブックス から引用しました◆ 小田島 雄志, 里中 満智子 物語 リア王 ↑漫画版もあるんですね! 表紙はリアとコーディリアでしょうね。

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  • 26 Oct
    • シェイクスピア 『ヘンリー四世 第二部』 (シェイクスピアの史劇5)

      人の心の、なんと呪わしいことか! 過去と未来は美しく見え、現在は最も醜いと思うのだ。        ヨーク大司教(『ヘンリー四世 第二部』第一幕第三場) シェイクスピアの劇はなによりセリフが楽しい、といった人がいます。 美しいセリフ、力強いセリフ、残酷なセリフ、卑猥なセリフ。 読むたびに心に響くセリフが一つや二つはあります。 シェイクスピアに限らず、お芝居とはそういうものですけれどもね。 冒頭のセリフはヘンリー4世に兄弟を処刑され、反乱を起こしたヨーク大司教リチャード・スクループのもの。かつては先王リチャード2世に我慢がならぬとヘンリー4世を擁立した貴族たちが、今度はそのヘンリー4世に我慢がならない、先王は良かったという。そんな人々を嘆いて言ったセリフなのですが、そこに自分も含まれちゃっていることに気づいているのでしょうか。 このセリフはどの時代のどの国でも当てはまりますよね。無論現代のわれわれにも。 私は『ヘンリー四世』の二部作が『太平記』の世界に似ているなあ、と思うときがしばしばあるのです。 先日書きましたヘンリー4世と足利尊氏の立場が似ていることもありますが、北条の時代を嫌悪し、倒幕した武士たちが後醍醐にも絶望し、嘆くところがこのヨーク大司教のセリフのまんま。 反乱に次ぐ反乱を重ねる武士たちを見ていると、この時代のイングランドの大貴族たちのようです。 もちろん反乱を起こす側にも正義はあります。王が絶対に正しいとは描かれておりません。 第一部でホットスパーを打ち破り、力で奪った王座を力で安定させた王ですが、今回もまた反乱の話から始まります。 しかし前作のホットスパーのような溌剌とした人物のいない、誠に精彩の欠く反乱となっています。ホットスパーの父、ノーサンバランド伯ヘンリー・パーシーは老いと病に蝕まれ、前回決起できず。今回こそはと思うも、ホットスパー夫人に 「わが子を見殺しにしたのに他人に助勢するのか」 と恨み言を言われ、さんざ迷った挙句今回も見送り。 そして「占いで不吉と出たから」とこれも前回決起しなかったウェールズ豪族のオーウェン・グレンダワーは登場人物表にすら入っておらず、死んだことが伝えられるだけ。しかも死因もはっきりしていません。 一方の王側もこれまた精彩を欠いております。 王ヘンリー4世はパーシーと同じく老いと病に蝕まれ、第三幕になってやっと登場(シェイクスピアの劇は五幕構成)。ただ病のみが強調されております。 皇太子のハル王子も前回に比べると出番が減っております。前回輝かしい武功を上げ、父に喜ばれたのもつかの間、相変わらずロンドンの居酒屋で遊んでいます。 この二人を尻目にフォルスタッフはほぼ出ずっぱり。ハルとのからみは少なくなったものの、かわりに居酒屋の女将クイックリーやドル・ティアシートなる女性とからみ、年甲斐もなくドルを口説いたりしております。 そしてハルの弟、ランカスター公ジョンの部下となって新兵募集をするものの、兵役逃れの賄賂をちゃっかり受け取り、役に立たない人間ばかり引き連れる始末。人の良い老人、地方判事のシャーローとのやりとりも笑えます。 しかしこのフォルスタッフも第一部とは異なり、いっそうお調子者のセリフを吐くものの、珍しく本気で自分の老いを嘆くセリフも見受けられます。またシャーロー判事とのやりとりでは よく二人で深夜十二時の鐘を聞いたものだった。 (第三幕第二場) としんみり青春を懐かしむようなセリフを吐きます。らしくないセリフです。 もっともこれはシャーローに調子を合わせただけ。この後もすぐにシャレのめしをするのですけれども。 われわれとしてはこういうセリフにドキッとするんですね、らしくないから。 *オーソン・ウェルズがフォルスタッフを演じた映画『真夜中の鐘』。タイトルはここから来ています。 『第一部』が陽気な若々しいドラマ、一方に戦乱を描いたドラマであるとすれば、この『第二部』は老いと病のドラマであり、ヨーク大司教らの反乱もだまし討ちという外交的手段で未然に防がれます。 『第一部』では昇る朝日の若々しいハルが、『第二部』では沈む夕日の陰鬱な王と、老いとやがて破滅へと向かってゆくフォルスタッフが描かれております。 そうです。フォルスタッフは破滅するのです。 王が死に、新たにヘンリー5世として即位したハル。これでわが世が来る! と喜び勇んで駆けつけ、声をかけたフォルスタッフはハルに冷たく拒絶されます。 お前など知らぬ。お祈りに日々をすごすがいい、ご老人。 (第五幕第五場) こうしてハルは『第一部』で独白したように後の栄光を際立たせるためにフォルスタッフを拒絶します。 放蕩時代の勉学は十分つんだ、というわけです。 そしてハルは庶民の世界から権謀渦巻く王侯貴族の世界へと旅立つのです。もはや後戻りはできません。 いたずら好きな陽気な自分を追放したのですから。 フォルスタッフはハルの言葉を信じていません。他人がいる手前照れ隠しにあんなこといったんだと、傍らにいるシャーローを必死に説得しております。「今夜にも内々にお呼びがあるはずだ」と。 しかしそれはシャーローではなく、自分を説得させている寂しいセリフなのです。 こうしてシェイクスピア劇で最も愛されているキャラクタ、フォルスタッフは退場してゆきます。 彼を、そして自分の一部を追放したハルはヘンリー五世として、「王の鏡」として対フランス戦争の準備に取り掛かるのです。 ハルのこの変貌をどう捕らえるかは人により異なるでしょうし、また同じ人でも時により異なってくるでしょう。 『第一部』での「わざと身をやつしているのだ」というセリフとつなげると誠にぞっとするような、冷たい人間に思えます。 その一方でフォルスタッフが死んだと早合点したときの悲しみのセリフ、彼とのばかばかしくおかしなやり取り、追放を言い渡した後のそれとなく情けをかける処置などを見ると、誰よりも悲しんだのはハル自身ではないかとも思えます。 王という人間を超越した存在にならねばならぬ身として、できればもう少し長く人間としてフォルスタッフたちと過ごしたかったのでしょうか。 それとも全ては『ヘンリー五世』に見られるようになる彼の冷徹な計算だったのでしょうか。 そういった幅を、読み取る幅、演技する幅を持たせているところがおもしろいのですけれども。 ◆記事中のセリフは ウィリアム・シェイクスピア, 小田島 雄志 ヘンリー四世 第二部 シェイクスピア全集 〔16〕 白水Uブックス より引用しました◆ 次回より史実を追ってゆきます。 「ハリー・モンマスとネイティブ・プリンス」 「ハリー・モンマスと炎の拍車」 です。 またまたいかにもなタイトルでスミマセン。

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  • 25 Oct
    • ラルフ一世はアメリカン(King Ralph)

      日本ではこんな映画できないだろうな、と当時も思ったし、 今はなおさらそう思う ビクターエンタテインメント ラルフ一世はアメリカン(字幕スーパー版) 雨上がりのバッキンガム宮殿。 庭園にてイギリス王室が一堂に会して記念撮影。 にっこりと微笑むロイヤルファミリーの面々。 ところがパッとストロボがたかれると、全員が感電死してしまった! 抱腹絶倒のオープニング。これだけでこの映画、忘れられないものとなりました。 なにせ全員が死んじゃうんですから。 王位継承者を捜し求めて、見つけた男がアメリカ人のラルフ。場末のしがないピアニストのラルフ。 ヤンキーの塊の彼が、なんとイギリス国王になってしまうという、はちゃめちゃストーリーです。 もちろん、現実とはやや異なる設定にはしてあります。 王家の名前がウィンダム王家(実際にはウィンザー王家)。 レディ・ダイアナも出てはきません。 それでもね、こういうことは日本ではできませんね。 今から10年ほど前にビデオで見たんですけれども、不敬かもしれませんが、私は想像しちゃったんですよ。 日本のロイヤルファミリーの方々が、にっこり記念撮影で、そのまま感電しちゃった。。。 それほどインパクトのある、笑えるオープニングでした。 もちろんオープニングだけでなく、ストーリーもなかなかですよ。 アメリカとイギリスとのカルチャーのギャップに悩むラルフ。 それ以前に一般人としてもだらしない彼が、王家のしきたりにあたふたし、時に怒ったりするのも見もの。 王位をねらう貴族の陰謀。ごく普通の女性との恋。これも見もの。 教育係のピーター・オトゥールがまたいい味出しているんですね。 さて、10年前は笑って見られたけれども、今はどうでしょうか。 日本の皇室も結構切羽詰ってきましたし。 旧宮家を復興させて、男子継承者を見つけよう、との意見もあるけれども、旧宮家の方って、今でもそういったいわゆる帝王学的な、貴族的な教育がなされているのでしょうか。 それこそラルフみたいに一般の人が継承者に選ばれちゃったら、その人にとってかなり不幸なことになるのでは。 そんな今だからこそ、もう一度見て笑いたい映画であります。

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  • 24 Oct
    • 再びサリカ法

      一般庶民が享受しうる 無限の心の安らぎを、王はどのくらい捨てねばならぬのか! しかも、王がもっていて庶民がもっていないものといえば、 儀礼のほかに、形式的儀礼のほかに、いったいなにがある?        ヘンリー5世(『ヘンリー五世』 第4幕第1場) ☆以下の記事は他のブログでも取り上げた話題ですが、今一度考えたくて、加筆修正しました☆ 10月21日朝日新聞一面に皇室典範改正についての記事が載ってました。 小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」が、皇位継承順位について、男女を問わない「第1子優先」とし、女性が天皇になることや母方だけに天皇の血筋を引く女系天皇を容認するとの方針を固めた。こうした方針をとれば、皇位継承の資格者が増え、順位の変動が少ないことを考慮した。25日から意見集約に入り、11月末に報告書をまとめ、首相に答申する。政府は世論の動向を見極めながら、皇室典範の改正を目指す。(中略) 第1子優先案が採用されると、現状にあてはめれば、皇太子さまの長女の敬宮愛子さまが皇位継承者になる。しかし、6日に学者グループが、敗戦直後に皇籍離脱した旧皇族の復帰を求める「緊急声明」を出すなど、世論には「男系男子」の維持を求める声もある。 有識者会議は25日から始まる意見集約で、こうした世論の動向も慎重に見極める方針だ。委員の間では「男子が生まれれば世論も変わるかもしれない」との議論もある。(以下略)                                    10月21日 朝日新聞 傍線引用者 これに反対する学者、文化人が、「皇室典範を考える会」(代表=渡部昇一・上智大名誉教授)を結成し、慎重審議を求める声明を発表しました。 「(男系継承という)有史以来の皇室の伝統を継承し守っていく姿勢こそが大前提」 *記事の全文はこちら とこちら 「男系継承」。確かに古代~近世に女性天皇がいましたが、いずれも皇族出身、つまり男親を通じて天皇につながる血筋を持っていました。そして彼女らは(独身者もいましたが)子をなし、皇位を継がしめていることもありますが、これまた皇族と結婚しているため、子どもはやはり父方でも天皇につながっています。 イギリスは男系継承にこだわっていません。ノルマンコンケスト以来いくつかの王朝が交代していますが、父方か母方のどちらかをつうじて前王朝とつながっています。 イギリス以外にも現在ヨーロッパにはいくつかの君主国がありますが、女系継承をみとめています。 しかし中世では女系継承を認めていない家も多く存在しました。例えばフランス。フランスには女王はいません。血統が絶えたときも男系の継承でつづいています。(「サリカ法」 を参照してください)。 男系継承にこだわる心理は分かるような気がします。戦後、民主化された現代では「家」の概念はかなり薄れていますが、それでもわれわれは家族を形成し、世代の異なる血縁集団の中である程度体験を共有しています。先人が死んだ後、彼らとの記憶を守り、彼らが完全に地上から消えてゆくのを防いでいます。有形無形の財産を受け継いでゆくのです。例えば位牌を守る、というのがそれですね。そして多くの場合、女性は他家に入りますから、残った男子がそれを受け継いでいます。 もちろん、家に残ったものが受け継ぐので、本来は男性でも女性でもかまわないのです。ただ、われわれ庶民では女性は家を出て、そこの家を守るので、男子が受け継ぐ場合が多い。 うちの祖母も父母と同居するときに位牌を持ってきました。祖父が死んではや30年。30年間祖母は位牌を守り、先祖をまつってきたのです。 先祖をまつる、というと抹香くさいかもしれませぬが、亡き人を偲ぶというのは自然の感情でしょう。 それが直接自分の知らない先人となると先祖を祭ることになるのです。 徳川将軍家(つまり宗家)の現代の当主の方はごく普通のサラリーマンだそうです(もう退職されたかな)。 彼がもっとも苦労しているのが先祖を祭ること。宗家ですから、それは膨大な数になり、手間もかかります。 こういった儀式を続けていくのがすなわち家を守る、ということなのでしょうか。 それは違うでしょう。死んだ人間よりも生きている人間のほうが大切。ですから、徳川恒孝さんとおっしゃる、宗家のご当主は、雑誌の対談で「自分の代でそういったものはなるたけ整理したい」とおっしゃっていました。 なにせ儀礼のたびに会社を休まなければいけないのですからね。 ヘンリーのセリフではないですが、王家(天皇家)とは儀礼の存在ではないでしょうか。 一方血統というのは現代ではさほど意識されていませんが、近代以前にはかなり重要視されてました。特別な血統にはパワーが受け継がれていると考えられていたようです。 よく誤解されていますが、源頼朝は源氏の嫡流ではありません。源氏の中でもランクの低い清和源氏の傍流、河内源氏の流れです。それでも頼朝が生きている時代から彼の血統は特別視されていました。八幡太郎義家の血を受け継ぎ、さらに保元の乱で活躍した義朝の血を受け継いでいるのですから。 そして彼自身が成功を収めたことで、ますます彼の血統は特別視されるようになりました。 ところで血統という観点でみれば、男系も女系も、その条件を等しくしています。女子も男子も等しく親の、そして先祖の血を受け継いでいるのですから。 周知のように源氏将軍は三代で滅びます。最初は皇族将軍を希望していた北条氏でしたが、それが不可能となるや摂家将軍を迎えました。四代将軍に迎えられたのは摂家の九条頼経(よりつね)。彼は女系で義朝に連なっています。 (クリックしていただくと見やすくなります) 彼に白羽の矢が立ったのは、血統だけでなく、親幕府の九条家出身であることも大きかったでしょうが。 さらに頼経は二代将軍頼家の遺児、竹御所鞠子と結婚しています。これは完全な政略結婚で、当時頼経13歳、鞠子は28歳(!)。15歳年上の夫人でした。 この結婚は何を意味するのでしょうか。なぜ北条氏は鞠子を28歳まで独身でいさせたのでしょうか。 もちろんこの結婚には、頼朝の血統を継がしめるという意味があります。 さらに鞠子は北条政子亡き後、鎌倉幕府の精神的主柱であったようなのです。各種のセレモニーなどに出席していて、その席順からわかるそうです。つまり実朝亡き後源家を受け継いだのはこの鞠子であったようなのです。 この場合、受け継がれたのは職責であるとか、領土であるとか、そういった目に見えるものではありません。「精神的支柱」ともうしました。 冒頭のヘンリー五世のせりふにあるように、儀式。儀式をつかさどること。 実朝幼少時、そして没後、先祖を祭り幕府を守り続けたのは政子、そして鞠子であった、とういことです。 つまり 実朝→(政子)→(鞠子)→頼経 頼経は女系で血統的に源家に連なっているとはいえ、少し遠い。ですからさらに鞠子を通じて源家につながりを持たせたのでしょう。そして鞠子から源家を、鎌倉家を受け継がせたのでしょう。この時点で皇族将軍が実現していたとしても、その彼は鞠子と結婚していたでしょう。 フィクションではこの結婚までひっそりと暮らしていた鞠子ですが、実は幕府の柱となっていたのです。 そうでなければなぜ北条氏は彼女を独身のままでいさせたのでしょうか。政子の他の孫たちに対する配慮を見れば異常です。 皇室の伝統はどうか知りませぬが、少なくとも中世武家においては女系も重要視されていたのです。 中世の武家では棟梁たる男子が留守の間、それを守るのが夫人の務め。それがために政子は頼朝と衝突もしました。頼朝の貴族的思想が理解できず、自分が妊娠するたびに浮気をする頼朝が理解できず、側室の家を焼き払ったこともあります。 鞠子は32歳で懐妊しましたが、母子ともに死亡。こうして神聖なる頼朝の血は鎌倉幕府から失われたのでした。 ◆冒頭のセリフは ウィリアム・シェイクスピア, 小田島 雄志 ヘンリー五世 シェイクスピア全集 〔19〕 白水Uブックス より引用しました◆

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  • 23 Oct
    • シェイクスピア 『ヘンリー四世 第一部』 (シェイクスピアの史劇4)

      おれも昔は品行方正、紳士の手本だった、品行方正なること珠のごとく、悪態をつくことたまにしかなく、骰子博打(さいころばくち)はせいぜい七度―― 一週間にな ―― 女郎屋通いはせいぜい一度―― 一時間にな ―― 借りた金はちゃんと返し ―― たことも三度か四度 ―― 清く正しく、おのれの分を守って暮らしたもんだ。                     フォルスタッフ(『ヘンリー四世 第一部』第三幕第三場) ←クリックすると画像が拡大します シェイクスピア史劇の中で最も有名なのは『リチャード三世』でしょう。歴史知識がなくても楽しめる独立した作品として、初期作品の傑作に数えられています。タイトルヒーローであるリチャードの圧倒的な存在感、魅力が多くの読者をひきつけます。ローレンス・オリヴィエも自ら製作・監督・主演で映画化しました。(1955年) その『リチャード三世』についで人気が高いのがこの『ヘンリー四世 第一部』および『第二部』。 これまでずっと王侯貴族、聖職者、議会、宮廷、戦争といった歴史の表層部を取り上げ続けてきたシェイクスピア。この『ヘンリー四世』で初めて庶民の世界を描いています。 『リチャード二世』で従兄弟から王冠を簒奪したヘンリー四世。リチャードに非があるとはいえ、力で奪い取った王権は誠に不安定なものでした。前作ではあれほど若々しく力にあふれていた王。それが数年経ただけの今作では、不安定な王座にいるためか、弱弱しく年老いて見えます。 彼を不安がらせているのは二つ。 一つは前回協力してくれた大貴族(豪族。日本で言えば大名みたいなものでしょうか)。彼らに妥協をせねばならぬこと。それが彼らの増長、不満を招いていること。 北部の大貴族、ノーサンバランド伯の嫡子ヘンリー・パーシーはホットスパー(熱い拍車)と通称される*ほど勇猛な武人であり、癇癪持ちでもありました。 スコットランド軍を打ち破ったホット・スパーは捕虜の扱いをめぐって王と対立、不満を持ちます。そして叔父にそそのかされ、不満を持つ貴族やスコットランド、ウェールズと計らって王に対して兵をあげます。 もう一つは皇太子であるハル王子(後のヘンリー5世)の放蕩。 『リチャード二世』でも言及されておりましたが、ハル王子はロンドンの居酒屋に入り浸り、悪い仲間と付き合っています。その悪友の代表が、でぶっちょで飲んだくれの騎士、サー・ジョン・フォルスタッフ。 このフォルスタッフ、冒頭のセリフでお分かりのように実におちゃらけた人物。飲んだくれで嘘つきで、女たらしで卑怯者。口は達者だが腕はからきし。ハルとつるんでいるのも彼が皇太子、未来の王だからというのがそもそものきっかけだったでしょう。 しかしこの劇で一番魅力的なのはこのフォルスタッフなのです。戦乱の世の中にあって実にたくましく、そして何より陽気に生きていく様は見ていて飽きません。フォルスタッフとハル、またはフォルスタッフと取り巻き連中との掛け合いは実にユーモラス。シェイクスピアも言葉を駆使し、思う存分に面白がらせてくれます。 女王エリザベス2世もフォルスタッフが大のお気に入りで、彼女のリクエストでフォルスタッフが主人公の喜劇『ウィンザーの陽気な女房たち』が書かれた事は以前申しました。 面白い、といえばホットスパーとスコットランド貴族のダグラス、ウェールズのグレンダウワーとの掛け合いもなかなかです。反乱軍の首脳会議でのことですが、それぞれがお国なまり丸出し。特にグレンダワーは迷信深い土豪として描かれ、若く高慢なホットスパーにからかわれます。それでも彼はホットスパーの武勇と人柄を愛しているので怒りはしません。 ちょうどハルがフォルスタッフをからかうように、そしてフォルスタッフがハルを愛しているように。 まるで鏡像のようにシュールズベリーの野営地とロンドンの下町、勇猛な軍議と猥雑なおしゃべりは響きあっています。 王の二つの心配事の根っこは一つ。先王の王位を奪い、死に至らしめた罪とそれに対する恐怖です。 それゆえに貴族たちは争い、皇太子は放蕩にふけるのだと。 わが国で言えば足利尊氏の立場に似ていましょうか。尊氏も後醍醐天皇に罪の意識を感じ、守護大名の自我の張り合い、争いに疲れ、出家を望んだことも一度や二度ではなかったと言います。嫡子義詮(よしあきら)は放蕩ではありませんでしたが病弱で、これも尊氏の心配の種でした。 話を戻しまして。 王はハル王子にこう言っております。 わしが知らぬ間に神意にそむく行為をなしたればこそ、 神は、人知におよばぬ裁きにより、わしの血を分けた そなたを懲罰の鞭としてこの身にくだされたものか。 (第三幕第2場) 事実シェイクスピアはハル王子の放蕩をランカスター家(ヘンリー4世の属する家系)の贖罪として描いています。 ハルも自身の放蕩を「後の栄光をいっそう際立たせるためにあえて身をやつす」と言っています。 本当は賢いんだけどあえてバカのふりをしている、というわけです。一昔(あるいはふた昔か)前の信長の描き方に似ていますね。 そしてこのハル王子を中心として、貴族の世界と庶民の世界、ホットスパーとフォルスタッフが結びついていきます。 劇後半はパーシー一族の反乱、シュールズベリーの戦い。この戦いでハルはホットスパーを打ち破り、武名をとどろかせるのです。 前作『リチャード二世』でリチャード2世とヘンリー4世が運命を逆転させたように、今回はホットスパーが下降しハルが上昇してゆきます。 この二人の一騎打ちの場に居合わせたのがハルの部下として戦場に引っ張り出されたフォルスタッフ。しかし武具入れに酒瓶を入れちゃってるようなこのじいさんに武勇は期待できません。戦に恐れをなしてさっさと死んだふりを決め込みます。実に愉快なじいさんです。 さらばだ、ジャック! おまえ以上の人物を失っても これ以上寂しい思いはしなかったろう。 (第5幕第4場) これはフォルスタッフを死んだと早合点したハルのセリフ。後の栄光を際立たせるため、なんていっておきながら、やはり彼もこの老人を愛していたんだなあ、としみじみさせます。 後の二人の関係(『第二部』で描かれます)を思うと微妙なセリフでもありますが。 こうして力で奪った王座は力で維持されました。ハルは武名を高め、フォルスタッフも恩賞にあずかって、めでたしめでたし、といきたいのですが、これはあくまで『第一部』。 ホットスパーの父ノーサンバランドは病気で、グレンダワーは占いで不吉と出たため反乱に加わらなかったため、二人ともいまだ健在。不満分子はあちこちにいます。 そしてハルとフォルスタッフの関係も未だ決着がつかぬまま。ハルは貴族世界に戻るのか、それとも庶民世界でまだ放蕩にふけるのか。 全ては『第二部』に引き継がれます。 ◆記事中のセリフは ウィリアム・シェイクスピア, 小田島 雄志 ヘンリー四世 第一部 シェイクスピア全集 〔15〕 白水Uブックス より引用しました。◆ * 父ノーサンバランド伯の名前もヘンリー・パーシー。皆さんもウンザリしているかもしれませんが、同じ名前がやたら多い。王もヘンリー、皇太子もヘンリー。ですからホット・スパーとかハル王子など通称の方が通りがよく、分かりやすいのです。

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  • 22 Oct
    • ハリー・モンマスとウェールズの城 (ヘンリー5世 その1)

      私も、知ってのとおり、おまえと同郷のウェールズ人だから ――ヘンリー5世(『ヘンリー五世』第4幕第7場) いかにもなタイトルで申し訳ありません。 ハリポタに限りなく似ているこのタイトル。でもちゃんと中身に即しているんですよ。 ハリー・モンマスとはイングランド王ヘンリー5世の別名であります。ハリーとかハルというのはヘンリーの愛称、モンマス(マンマスともいう)は彼の生まれた場所です。 ウェールズ南東部、イングランドと接するモンマスシャー州。そこにモンマス城があります。 ←イギリスの地図(爆) ハリーの祖父ジョン・オブ・ゴーント(1340~99)は最初の妻ブランシュがランカスター公女であったため、妻の財産・所領によりイングランド内最大の貴族となりました。彼の所有する城の一つモンマス城で1387年に生まれたのがヘンリー5世です。 ↑クリックすると拡大します ジョンは3度結婚しています。2度目の妻がカステーリャ王ペドロ1世の娘コンスタンス。 そしてそのコンスタンスの死後、長年愛人としていたキャサリンを妻に迎えます。 彼女の生んだ子どもたちは相続権のない庶子として扱われ、「ボーフォート家」と呼ばれました。 母親のメアリは1369年生まれ。ヘリフォード伯ハンフリーの娘で相続人でした。ヘリフォードというのはウェールズに境を接するイングランドの地方で、モンマスとは目と鼻の先。1380年か81年にヘンリー・ボリングブルック(1367~1413:後のヘンリー4世)と結婚。花婿は13,4歳、花嫁は11,2歳。貴族の結婚とはいえ、幼い夫婦ですね。 メアリはモンマス城で二人の男の子を産みます。最初の子エドワードは早世。1382年ごろ生まれたといいますから、母メアリはまだ13歳(!)。いくらなんでもこれは早いので、もう少し後かもしれません。 次子ハリー(本編の主人公、後の5世のことね)が87年生まれですから、その前年か前々年くらい、16,7歳のときでしょう。 長男早世のためハリーが実質長男となりました。ハリーを生んだとき彼女は18歳。その後トマス、ジョン、ハンフリー、ブランシュ、フィリッパと計4男2女を生み、最後のフィリッパを出産した時亡くなっています。1394年、わずか25歳。 夫が王位に就いたのが99年ですから、彼女は王の妻、王の母であるにもかかわらず、ついに王妃になることはありませんでした。 ハリーにしても7歳で母を失っているわけです。貴族の女性ですから子どもは生みっぱなし、世話は他の者がするのですが、それでも母がいない家庭に育ったのです。 幼少期はモンマス城で育ったでしょう。それゆえ彼は「ウェールズ人」と自らを呼んだわけです。 父のヘンリー・ボリングブルックは従兄弟のリチャード2世と同年。幼いときは遊び相手でもありました。 1377年に二人は一緒にガーター騎士団員に叙勲されます。が、1387年にボリングブルックは王に対して起こった暴動に加わります。 『ヘンリー五世』第5幕第2場、ヘンリー5世がフランス王女キャサリンに愛をうったえる場面で 「父は私を生みつけたとき、内乱のことばかり考えていた」 というセリフがありますが、このことを指すのでしょう。 この87年の暴動では多くの者が処罰されましたが、ボリングブルックは処罰を免れています。おそらく父の力が非常に大きいためでしょう。 ハリーは多くの才能を有した少年でした。 乗馬、水泳、狩りといったスポーツも巧みでしたが、音楽にも優れ、特にハープがじょうずだったといいます。少年の頃の彼は後の姿からは想像もできないほど繊細だったそうです。 何事もなければ彼はイングランド最大の貴族、ランカスター公の相続人、そして未来の公爵として一生を終えるはずでした。 ところが父の反乱が彼の人生を大きく変えてゆきます。 1398年に父は追放され、ハリーはリチャードの宮廷に住むこととなります。リチャードは彼を非常に丁寧にもてなしました。ハリーはそこで宮廷作法とフランス語をみにつけ、気まぐれで憂鬱家の王のためにハープを爪弾き、まだ幼い王妃の話し相手にもなりました。 1399年アイルランドで反乱が起こったとき、王はハリーを遠征に連れて行き、そこで騎士に取り立てます。 そのアイルランド遠征の隙をついて、父が王に反乱。イングランドに上陸。大貴族・貴族の支持を得て、戦いらしいものもなく王位を奪い取りヘンリー4世となります。時にハリー12歳。そして翌々年14歳でプリンス・オブ・ウェールズ(=イングランド皇太子)になります。 しかし力で奪い取った父王の王座は非常に不安定なものでした。 ハリー10代の青春は騎士修行と戦に明け暮れることになるのです。 次回はいよいよ『ヘンリー四世 第一部』。 プリンス・ハルとフォルスタッフの登場です! ◆記事中のセリフは ウィリアム・シェイクスピア, 小田島 雄志 ヘンリー五世 シェイクスピア全集 〔19〕 白水Uブックス より引用しました◆

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  • 21 Oct
    • 宮沢賢治 「やまなし」

      朗読すると、そこに広がる豊かな景色 光村出版の国語教科書には6年生の下に宮沢賢治の「やまなし」が載っています。 水底に住むカニの兄弟(お父さんも)、そこから見える景色を描いた作品です。 賢治の作品にはゆたかな擬態語や擬音語が使われています。 凡人である私には考えもつかない、さまざまな言葉を繰り広げています。 例えば「オツベルと象」では稲こき機械はのんのんのんと動き、 「どんぐりと山猫」では山がうるうる盛り上がっている。 「注文の多い料理店」で料理されそうになった紳士たちの顔はくしゃくしゃになり、二度と戻らない。 これらは賢治ならではの言葉の使い方なんだろうけれども、そして実にユニークなものであるけれども、一旦その言葉を聞いて/読んでしまうと、なるほど機械はのんのんのんと音をたてるし、山は、それも山猫の大将がいるような山はうるうるとしか盛り上がりようがない気がしてきます。 この「やまなし」にも 「クラムボン」が「かぷかぷ」笑うという描写があります。 かぷかぷ笑う。 朗読すると分かるんですが、「かぷかぷ」という発音が、水底の雰囲気をよく表しています。 水底の世界で笑うと「かぷかぷ」になるんだろうなあ。それ以外には考えられなくなります。 国語の授業ですから、みんなで朗読。 するとどうでしょう。 私の周りにカニのあわや「クラムボン」やら、ゆらゆらゆれる金の光の帯やらが見えてくるではありませんか。 「みんなも見えた?」 子どもに聞いてみたら 「うん。そんな気がした」 なんて声も。 賢治の童話は朗読すると、魅力が何倍にも広がるんですね!

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  • 20 Oct
    • リチャード2世 (シェイクスピアの史劇)

      うわあ。 久しぶりにこんな深夜までパソコンいじってます。 深夜。というより深深夜。明け方まであと2時間ほど。 こんな時間には、アレが出るんですよね~。 窓を閉めてあるはずなのに背中に冷気を感じたそのとき、かすかな人の声をはっきりと聞きました。 「おい」 へ? 「お前か。フーシェてのは。ボクのことさんざ悪く書いた奴やな」 そおいうあなたはどちら様ですか? 「アホか、お前は。ついきのう自分がさんざ茶化した人物を忘れたか」 ま、まさか 「イングランド王にしてフランス王、そしてアイルランドの支配者リチャードとはボクのことや」 (こんなエセ関西弁しゃべる外人がリチャード2世↓だって?) 「コラ、心の中で思ってることも聞こえるんやぞ」 す、すみません。日本語がおじょうずだなあ、と思っただけです。 「最近の翻訳エンジンはなかなかのモンやからな。でもこんな寒い日にはちと調子狂うで」 だから、エセ関西弁なんですね? 「ところでキミ、誰に断ってボクの名前を使ってたんや?」 ええ? 許可が要るんですか? 「当たり前やないか。この↑画像(ボクが10歳で即位したときのやつ)も無断借用やないやろな?」 一応、フリーのところからとったんですけど。。。 「ま、ええわ。でも名前だけは許せんな。ロイヤリティ(royalty)を払ってもらおか」 私、陛下には常日頃からロイヤリティ(loyalty)を払っておりますが。 「アホ。ホンマに日本人はエルとアールの発音が区別できんな~。忠誠(loyalty)ちゃうで、著作権料(royalty)や。忠誠なんて口先だけや、糊口をしのげへんわ」 えええ? イングランド王ともあろう人がえらくけちんぼですね~。 「そうや、ボクはお金にはうるさいで。それもこれも皆おじいちゃん(エドワード3世)やお父ちゃん(黒太子エドワード)が戦争ばかりやって、使い果たしたせいや」 そんなにお金がかかるんですか? 「当たり前やろ。軍隊や戦争の規模は大きくなる一方、お金はかかる一方。イングランドはからっけつになってしもたんや」 それで前半優勢だったイングランドが中期になると押されっぱなしになるんですね。 「うん。毎年毎年フランスくんだりまで出向いてられへんやろ。お金ないんやから」 しかもフランスには賢明王シャルル5世と大元帥ベルトラン・デュ・ゲクランがいた。 「で、どんどんウチの領地を取られていったんや」 お金を集めようとはしなかったんですか? 「したよ。あらたに人頭税を取り立てた。ボクかて本当は戦争はしたくないんや。でもスコットランドやらアイルランドやらがフランスと手え組んで、ボクに逆らいよるから。 それでも我が民はちっともわかってくれへん。屋根屋のおっちゃんが坊主と組んで一揆を起こしよった」 ワット・タイラーの乱(1381年)ですね。司祭ジョン・ボールと瓦師ワット・タイラーを指導者と仰いで反乱を起こしたんでしたっけ。確かにペストで人口が激減した(一説には2分の1に減ったという)中で人頭税をとれば、頭にきますよ。 「ボクとしては『やりすぎたかな~』思って、そのワットちう奴と話し合いしようとしたんやけどな」 でも陛下は彼らを殺してしまった。 「あれはボクやない! ロンドン市長がやったんや」 「ボクのやってないことも何でもボクのせいにされよる」 81年といえば陛下はまだ 「14歳や。叔父さんが政治をやってた」 ジョン・オブ・ゴーント(ランカスター公)とエドマンド・オブ・ラングリー(ヨーク公)ですね。 「うん。ランカスターの叔父さんはおじいちゃんがぼけて若い女(アリス)にうつつを抜かし始めた頃から権力をにぎっとった。嫁はんの実家、ランカスターの領地をバックに、ボクよりもお金持ちになりよった*」 シェイクスピアの劇では陛下をいさめる常識人として描かれてますが? 「あれはフィクションやで。第一、劇の時代でも叔父さんたちはまだ50代。劇で言ってるようなひからびた老人ちゃうかったで。一揆が起こる前からランカスターの叔父は国民に人気がなかったんや」 それでも息子ヘンリーを追放し、ジョンが病死すると財産没収、なんてひどくないですか? 「叔父さんは王位をねらっとったんや。おじいちゃんの七王子、なんちゅうけど、たくさん叔父がおってみい、幼いボクをないがしろにして、野心むき出しやったで」 う~ん、陛下はそうお思いかもしれませんが。 「い~や、皆そう言うてるで」 この図式はまさに20数年後の幼王ヘンリー6世をめぐる争いに似てますな。 *ドン・ペドロの娘はジョンの後妻。その娘も死んでしまうと、長年愛人にしていた女性を妻としました。 でもなぜ従兄弟のヘンリーは陛下から王冠を奪ったんでしょう? 「そうやな。ボクも反省すべき点はある。取り巻きの連中のおだてに乗って、政策に一貫性がなかった。ボリングブルック(ヘンリー)はボクと同い年。ボクは奴のあの颯爽とした騎士然としたそぶりが気に食わんかった。いつか王位を奪われるならこいつや、思ってた。しかも奴には息子がいた。ボクにはいなかった」 ええと。陛下に子供さんがいなかったのは陛下がゲイ。。。 「誰や! そんなこと言うのは。名誉毀損で訴えるで! 金払わんかい!」 相変わらずお金に固執してますね~。でも最初の奥さんを離縁し、次に迎えたのがいくら政略結婚とはいえ、7歳の幼女。ゲイじゃなかったらロリ。。。 「何か言うたか?」 いえ。こっちのことで。 「ともかく、奴には息子がおった。しかも見所のある奴やった。ボクの宮廷に呼び寄せてやったで」 それは人質、という意味ですか? まさか夜伽の。。。 「くどい! そっち方面から離れんかい!」 ヘンリーの息子っていったらハル(ヘンリー5世)ですよね。彼は陛下の宮殿にいたんですか? 居酒屋を飲み歩いてたんじゃなくて。 「キミ、だいぶシェイクスピアのおっさんに毒されとるなあ。史実とフィクションを区別せんかい。あの当時奴の息子はまだ11歳やで」 そういえば、そうですね。 「ボクの宮殿で、礼儀作法とフランス語をみっちり仕込んでやったわ」 お子さんがいなくって、跡継ぎは大丈夫だったんですか? 「ふん。ランカスターやヨーク、グロスター(グロスター公トマス:エドワード3世の末子)、叔父さんたちの野心は見え見えやったからな。早くに死んだクラレンスの叔父さん(クラレンス公ライオネル:エドワード3世の次男)の娘の子どもを後継者にした」 ずいぶんややこしいですね。明日系図を書いてみよっと。 でもね、シェイクスピアのおかげで陛下の人気はなかなかのものなんですよ。 「そうか? キミはえらくこき下ろしていたようやが」 そ、それは誤解ですよう。王権を失った陛下は悲劇のヒーローとして詩神が降臨したかと思われるほど格調高いセリフをはなった。 「それもこれもシェイクスピアのおっちゃんの作ったもんや。本来のボクやない」 それでも正統な王権を失った陛下に人々は限りない悲しみを感じているんですよ。 「そうか?」 われわれ庶民は権力者には反感や僻みを抱きやすいですが、滅び行くものには限りない愛着を感じるんです。 「そうかー。ボクも生きてる間はさんざ言われたけど、死んでよかったかもな」 いや、そんなにあっさりと死を賛美されても困りますが。陛下はどうしてなくなったんですか? 「それが、聞いてくれ。ボリングブルックの奴、ボクを幽閉して」 ま、まさかひいおじいさん(エドワード2世)のようにお尻の穴から焼けた火箸を突っ込まれたんですか!? 「アホ! いいかげん、ゲイネタから離れんかい! 食事をろくにもらえなかっただけや」 ああ、餓死したんでしたっけ。 「食われへんのはきっついわ。過度なダイエットは体に悪いで~」 そうですねえ。飽食の時代といわれる一方で無理なダイエットで体を壊す方も多いですね。 「ダイエット中はお茶をとったらあかん」 ??? どうしてですか? 「ダイエット(Diet)からティー(T)をとったらDie、死ぬやんか」 あなた、本当にイングランド王ですか? 「昨今はお笑い芸人の方が王より稼ぎがいいんや。カワイイ嫁はんも貰えるしな」 最後までお金とロリの話でしたね~。 「ほなサイナラ~」

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  • 19 Oct
    • シェイクスピア 『リチャード二世』 (シェイクスピアの史劇3)

      この王冠は喜んで譲るが、この悲しみはまだ私のものだ。 私の栄誉、私の権力はあんたの自由になっても、 私の悲しみはそうはいかぬ、私はまだ私の悲しみの王だ。    ――リチャード2世(『リチャード二世』第4幕第1場) ↑クリックすると拡大画像がご覧になれます 『リチャード二世』はシェイクスピアの活動中期に書かれた史劇で、後期4部作の最初の作品です。 前期4部作(『ヘンリー六世第一部』~『第三部』、『リチャード三世』)ではランカスター家とヨーク家の争い、薔薇戦争(1455~1485)とヘンリー・テューダー(ヘンリー7世)による両家の統一が描かれています。 後期4部作では、その悲惨な薔薇戦争の原因となったランカスター家の王位簒奪からヘンリー5世の栄光までを描いています。 『リチャード二世』はヘンリー・ボリングブルック(後のヘンリー4世)の追放からリチャード2世の死まで、1398年~1400年の3年間のできごとを劇にしたものです。 最初王として登場するリチャードは寵臣に持ち上げられた我がままな人物。叔父であるグロスター公の暗殺を命じ、またもう一人の叔父のランカスター公ジョンが病死するとその財産を没収します。 ボリングブルックはグロスター公暗殺を実行した貴族を糾弾し決闘を挑みますが、「王の恩情」で両者は殺しあうことなくイングランドを追放されるのです。(ランカスター公ジョンの死はボリングブルックの追放後) ところがジョンの死を境目としてリチャードとボリングブルックの運命は逆転します。 ジョンの財産を没収し、そこから戦費を調達。アイルランド遠征に出かけた王の背後から、自分の受け継ぐ財産を要求してボリングブルックが禁を破って帰国。リチャードのわがままにウンザリしていた貴族たちはボリングブルックに加担します。 リチャードは思うようにならない運命と自分の人気のなさを嘆き、呪います。 こうしてボリングブルックは議会(貴族や聖職者たちの)承認を得て、リチャードから王冠を譲り受け、ヘンリー4世となるのです。 冒頭のセリフはそのときのもの。 こう書いてみると、タイトルを背負っているわりにいいとこなしのリチャードですが、彼の魅力が発揮されるのは後半、王位を奪われた前後あたりからです。 冒頭のセリフでもお分かりのようにかなり詩的な言葉をはくようになります。彼の名セリフはほとんどこの4幕、5幕に出てきます。 相変わらず己の運命を己の不徳とはみなさしてはいないのですが。 そして己をかえりみない点で後の悲劇の主人公たち、例えばハムレットやリアのセリフと比べるとその重さが異なるのですが。 それでもリチャードのはくセリフの中には、当の本人が気づいてもいないだろう今後の出来事への伏線的なことと、社会一般、人間性一般に関する言葉が出てくるのです。 彼は自分の悲劇に酔い、やたら雄弁になってます。 かように線の細い王様ではあります。 そして彼はボリングブルック(ヘンリー4世)の部下の先走った行動により殺されます。 これがヘンリー5世の言っていた 「王冠に対する父の罪」 となり、ランカスター家の王位の正当性を疑わしめるものとなるのです。 劇中には登場しませんが、ボリングブルックのセリフの中にヘンリー5世が登場します。 3月も顔を見せぬ息子を、どうせ悪い仲間と酒場に入り浸っているのだろう、それでも 無軌道な上に無鉄砲なやつだ。それでいてどこか 将来の希望を思わせる芽がある、年をとってそれが みごとに咲いてくれるといいが。                       (第5幕第3場) 当時の観客はもちろん後のヘンリー5世を知ってますから、このセリフの中にその栄光の予感を感じたでしょう。 ボリングブルックは力で奪い取った王権を、今度は守ってゆかなければなりません。 協力した貴族たちへの接し方も、王の死に対する責任も、微妙な所です。 そして跡継ぎたるハル王子の放蕩三昧。 いくつもの不安要素を抱えて『ヘンリー四世 第一部』へと続くのです。 次回は実際のリチャード2世がどんな人間だったか。また、どんな時代だったかを考えていきます。 ◆本文中のセリフは ウィリアム・シェイクスピア, 小田島 雄志 リチャード二世 シェイクスピア全集 〔11〕 白水Uブックス より引用しました◆

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  • 18 Oct
    • 早くも1年

      私はこのアメブロがネットデビューでして、 ちょうど1年前の10月18日に始めたのでした。 それまでは閲覧オンリーの身が発信することに。 最初はドキドキでした。みんないじめないでね、という気持ち。 今でも独りよがりな記事を書くことが多く、やはりドキドキします。 振り返れば かな~りマイペースにやってるなあ。 更新頻度もバラバラ。 しかも「本・書評」ジャンルなのに関係ない記事が多くなってきてるし。 こんなんでいいんだろうか? まあいいや。 ということで気持ちを新たに頑張ります。 当分はシェイクスピア史劇ネタが続きます。

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  • 17 Oct
    • ドン・ペドロとブラック・プリンス (シェイクスピアの史劇)

      さて、父なる主よ、主のお恵みを常に 最強の盾としてまいりましたエドワードよりお願いがあります。 (中略) わが青春のつらき戦いの物語を 今後何代もの人が読むとき、 皆が不屈の精神に燃えたつように。 そして、フランスの領土のみならず、 スペインであれ、トルコであれ、 麗しきイングランドの怒りをかきたてるどんな国も 恐れおののいて身を引くように。          ――エドワード王子(『エドワード三世』第5幕第1場) 黒太子エドワード(1330-1376)は騎士道精神にあふれた男です。 つまりは戦争好き。 そんな彼の生涯もまた戦争に明け暮れておりました。 1367年カステーリャ王ペドロ1世(1334-1369)を支援するためにエドワードはスペインに渡りました。 ペドロ1世とは青池保子さん描く『アルカサル-王城-』の主人公、ドン・ペドロその人であります。 青池 保子 アルカサル-王城- (1) ドン・ペドロ。この日本ではほとんど知られていない魅力的な人物を主人公に持ってくるなんて、さすが青池さんです。ペドロは「残虐王」というニックネームをもらっているほど、性格の激しい人でした。反面「審判王」というニックネームもあります。ただ残酷だけな王ではなかったようです。 その魅力は青池さんのマンガを読めば十二分に理解できます。惜しむらくは連載が中断されて、再開のめどが立っていないそうです。これだけの力作ですから、是非続きが読みたいですね。 青池さんの作品についてはもとさん がより詳しく紹介されています。 さて、ペドロは異母兄エンリケ(1333-1379)と王位を争っていました。このペドロに加担したのがエドワードです。 対立する二者があれば、それぞれ加担する国が出てくるのは昔も今も変わりません。エンリケがフランスやアラゴンの支援を得ると、イングランドはペドロを支援します。幕末の日本でフランスが旧幕府を、イギリスが薩摩などを支援した図式と似ています。ただ、イギリスが内戦には不干渉という態度をとったため、他の列強もこれに倣い、日本は外国の介入を防ぎました。 ペドロとエンリケの対立は外国の干渉もあって長期化。そしてペドロはついに追い詰められ、1366年エンリケが王位に就きます。ペドロはイングランドへ亡命し、エドワード3世に助けを求めます。このとき渋る父王を説得し、ペドロを助けたのが黒太子エドワードでした。戦争好きもありますが、なかなか男気もあったようです。 ペドロを追い詰めたのはフランスのベルトラン・デュ・ゲクラン(1320-1380)。彼こそ劣勢のフランスにあって奮戦し、後にシャルル5世によって大元帥に任命された男です。フランスの巻き返しも彼がいたからこそ。 黒太子と後の大元帥。両雄は1367年、ナヘラの戦いで対決しました。この時は黒太子エドワードが勝利し、ゲクランは捕虜となります。そしてペドロは復位。再びカステーリャの王となりました。 ところが戦費の支払いをめぐってエドワードとペドロで揉め事が。さらにヨーロッパとはいえ灼熱のスペインにあって、エドワードは病にかかってしまいます。 エドワードは帰国。ちなみにエドワードが去ったスペインで再びペドロとエンリケは対決し、ベルトランの活躍があってエンリケが勝利。エンリケ2世として再度カステーリャ王となります。ペドロは処刑されました。 *ペドロの娘二人はエドワードの弟たちと結婚しました。すなわちランカスター家祖である四男のジョン・オブ・ゴーントにはコンスタンシアが、そしてヨーク家祖である五男のエドマンド・オブ・ラングリーにはイザベルが。 リチャード3世とその兄弟たちはイザベルの曾孫にあたります。 このスペイン行きがエドワードの命を縮めました。一つには文字通り生命の。もう一つは名声の。 戦争を続けた黒太子。その戦費は莫大なものになりました。イングランドはその支配下にあった南フランスに重税を課し、民の反感を買います。そして戦争が再開されました。 今や病気がちとなったエドワードはあまり活躍ができません。 1370年、フランス南西部リモージュの戦いで勝利しますが、ここで3000人あまりの市民を老若男女の別なく虐殺しました。彼の性格がもともと残忍だったのか、はたまた病が彼の忍耐力を奪ったのでしょうか。 そういえば彼の先祖であるリチャード1世も騎士道精神にあふれる男と評されましたが、聖地十字軍において異教徒の捕虜を虐殺しています。貴族たちにとって異教徒や庶民は騎士道の対象外、だったのでしょうか。 1376年、エドワードは46歳という若さで亡くなりました。父エドワード3世も翌年死去。 エドワードの息子リチャードがわずか10歳でイングランド王となりました。リチャード2世です。 老王のもと権力を振るっていたジョン・オブ・ゴーントは幼王のもとでも力をふるい、国内最大の実力者となりました。 次回はシェイクスピアの『リチャード二世』です。

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  • 16 Oct
    • 黒太子 (シェイクスピアの史劇)

      忘れがたきあの屈辱の日をもう一度思い起こすがいい、 あの日、クレシーの戦いは致命的な敗戦となり、 わが貴族はことごとく、悪魔のような異名をもつ 黒皇太子(ブラック・プリンス)エドワードの手に捕らえられたのだ             ――フランス王(『ヘンリー五世』第2幕第4場) 黒太子(ブラック・プリンス)。なんとも勇ましい名です。エドワード3世の長男エドワード(1330-1376)の異名です。 「太子」ということからわが国の聖徳太子のように王にはなれなかったことが分かります。彼は1343年にプリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズ大公=イングランド皇太子)になりましたが、父の死の前年に病死しました。 「黒」というのはその武人としての強さから来ています。一説には「黒い鎧をつけていたからだ」とも言いますが、それは確認ができていない、俗説だそうです。あるいは黒っぽい外套をつけていたのかもしれません。 どちらにせよ彼が生きている間は「黒太子」という呼び名はなく、他の王子たち(ジョン・オブ・ゴーントやエドマンド・オブ・ラングリー)と同じく生地をとって「エドワード・オブ・ウッドストック」と呼ばれていました。「黒太子」という名が見られるのは16世紀になってから。 彼の武人としての才能、それに対する賞賛あるいは恐怖から「黒」と呼ばれるようになって、そこから逆に鎧の色の話が作られたのではないでしょうか。 わが国の悪源太義平*のようなものですね。悪源太の「悪」も、この時代では勇猛さを賞賛する言葉です。そういえば悪源太も長子でありながら家督を継ぐことはありませんでした。 シェイクスピアはそこから冒頭のセリフを作り出したのでしょう。「悪魔のような異名」は原文では「that black name」、つまり「その黒き(恐ろしき)名」となっています。 クレシーの戦い(1346年)では弱冠16歳で一軍を率い、ポワティエの戦い(1356年)では3倍の兵力のフランス軍を打ち破り、フランス王ジャン2世を捕虜にしています。百年戦争前半のヒーローと言ってもよいでしょう。 ↑カンタベリー大聖堂に黒太子の棺があり、そこに像(金箔の銅像)が飾られています。   当時の武具や衣装が分かる貴重な資料にもなっております。 これらの勝利は黒太子の軍事的才能によることももちろんですが、イングランドの軍事改革の成果でもあります。 イングランドの軍事改革 中世ヨーロッパといえば「騎士」という答えが返ってくるほど、騎士たちの果たした役割は大きいものでした。当然戦争も彼らが中心となっていました。騎士は馬上鎧をまとい、槍を持ち、名誉のために戦います。 彼らが中心であった頃の戦争は今から見るとまことに優雅なものでした。 まず馬から武具から全て自前でしたから、そんなに長期間戦わない。いや、戦えない。王も貴族も原則それは同じですから、軍の規模はそれほど大きくはありません。数千名いれば大軍でした。 次に戦争で彼らが命を落とすことは滅多にありませんでした。降伏した相手を殺すことは騎士道に反しますし、殺してしまうよりも生かして身代金をとったほうが何倍も儲かるからです。 ですから貴族たちにとって、このころの戦争はスポーツみたいなものだったでしょう。むしろ槍試合や仮などで怪我をしたり命を落としたりしていました。 それが徐々に変わってきます。戦争の規模も拡大し、農民や市民の歩兵に騎士が殺されるケースが多くなってきました。彼らには捕虜をとるという悠長な考えはなく、殺して身につけているものを剥ぎ取ったほうが儲かるからです。何より彼らは死に物狂いでした。 イングランドは長年スコットランドと戦争をしていました。ときにはゲリラ的な抵抗を受けるこれらの戦いの中で、代々の王は軍事改革を進めていきます。 それは歩兵に長弓を持たせ、騎士を下馬させたことです。長弓隊と歩兵隊をミックスさせ、突撃してくる敵に矢の雨を降らせるのです。そのあと騎兵が突入していきます。 これは西洋版長篠の戦ともいえるべき改革で、非常に興味深いですね。 もちろん日本でも鉄砲以前から弓があり、弓によるさまざまな戦術が作り出されていましたから、信長が参考にしたのはむしろ日本の弓戦術でしょう*。 長弓。 さすがロビン・フッドを生んだ国ですね。エドワード3世も弓の重要性を充分理解し、戦時だけでなく平時でも訓練を怠らないようにさせました。 こうして実戦で鍛えられたイングランド軍がクレシー、ポワティエで勝利を収めるのです。 クレシーとポワティエ もちろんフランス軍だってバカではありません。 クレシーの戦いでは長弓に対抗してジェノヴァの弩兵(弩はいしゆみ*のこと)を傭兵として雇い入れました。しかし長弓兵の威力に怯んでもともと士気の低い彼らは退却。しびれを切らしたフランス騎士が正面から突撃を試みて何度も撃退され敗北しました。 ポワティエではクレシーの教訓をいかして騎士たちを下馬させます。しかし逃げると見せかけたイングランドの策にひっかかって大軍が狭い場所に突入してしまい、身動きが取れなくなったところを攻撃されて敗れ去りました。この戦いで国王ジャン2世が捕虜となり、身代金を払うことができず、イングランドで残りの生涯を過ごすことになります。 1360年プレティニーの和約が結ばれます。エドワード3世はフランス王位という名よりも実益をとり、王位の要求は一旦置いといて、占領地域の統治を認めさせました。 百年戦争の前半はイングランド優勢のうちに終わります。この後は小競り合いがあったものの、休戦状態が続きます。 この和約によりジャンは釈放されますが、身代金は未払いのまま。そこで王の身代わりの人質を送ったのですが、その一人が逃げたため自ら責任を取って再びイングランドへ行きました。そして囚われの身のまま1364年死去。 もっとも捕囚とはいえ、その暮らしは贅沢なものだったと言います。 この王様、約束を違えずに再び補習となりました。人はよいのですが、政治家としては今ひとつですね。 後を継いだのはシャルル5世(1364-1380)。賢明王と称される彼の時代にフランスの巻き返しが始まるのです。 国土の疲弊 黒太子は戦上手で、また降伏してきたジャンを丁重に扱うなど騎士道精神を持ち合わせており、当時から人望を集めておりました。 しかし戦争はいつの時代でも生産ではなく破壊活動です。お金もうんとかかります。 エドワード3世は方々からお金をかき集め、さらに税を取り立て、どうにか戦費をととのえます。 こうして戦争が拡大するにつれ、徴税システム、すなわち官僚制が整えられてゆきました。これはフランスでも同じ。そして税が重くなれば不満が高まるのも古今東西変わりません。ましてやフランスは戦争により国土が荒廃しているのですから。 こうして起こったのが1358年のジャックリーの乱です。 さらにこの時期、黒死病(ペスト)が大流行し、人口の4分の1が死んだと言います。 フランスもイングランドも戦争している場合ではなかったのです。 それでも戦争好きな黒太子は新たな戦地を求め、スペインに出向きます。 そしてこれが彼の命取りとなるのです。 次回は「ドン・ペドロとブラック・プリンス」です。 *源義平(1141-1160) 源義朝の長男、つまり頼朝の兄。鎌倉にあって父の代わりに関東の経営をしていました。15歳で叔父の源義賢(よしたか;木曽義仲の父)を討ちとって武名を轟かせ「悪源太」と称されます。1159年の平治の乱では父義朝に呼び出され、関東の兵を引き連れて京都に上り、弟の源朝長・頼朝と共に参戦。『平治物語』では平清盛の長男、重盛(しげもり)に一騎打ちを挑むなど縦横無尽の活躍をします。しかし源氏は破れ、一旦は落ち延びたものの再び京に舞い戻り、清盛の命を狙いましたが捕らえられ、処刑されました。 *長弓よりもいしゆみのほうが破壊力があるのですが、矢を放つ速度が長弓にくらべ遅く、また横向きに矢を放てないので、この戦いでは充分な威力を発揮できませんでした。 *長篠の戦でいわゆる「鉄砲の三段撃ち」があったかどうかは現在議論の的になっています。鉄砲の戦術は信長でなく根来衆が作り出したものらしいです。

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  • 15 Oct
    • 百年戦争 (シェイクスピアの史劇)

      勇んで出航だ、戦旗を掲げよ もしフランス王になれなければ、イングランド王の座などいらぬ。      ――ヘンリー5世(『ヘンリー5世』第2幕第2場) 百年戦争。なんともスゴイ名前です。百年も戦争をするなんて、イングランドとフランスはよほど仲が悪かったのでしょうか。 わが国の南北朝の動乱がおよそ60年。戦国時代は百年余りありますが、これはさまざまな勢力がぶつかり合っているのですから、二者対立の南北朝や薔薇戦争、そしてこの百年戦争とは異なるでしょう。なんとも不毛な、というか、気の長い、というか。 百年戦争は1337年にエドワード3世がフランスに宣戦布告をしてから1453年にカスティオンの戦いでイングランドがカレー(フランス北西部の港町)を除く大陸領を失うまで、その名の通り100年以上続きました。 イングランドではエドワード3世からヘンリー6世まで、フランスではフィリップ6世からシャルル7世まで、双方ともに5代の王の治世にまたがっています。 もっともこの間何度か休戦条約が結ばれており、実際に戦争していたのはもっと短い期間であります。 とはいえ、休戦期間の間もお互い敵視していたのは事実。その結果、イングランド国内ではフランス語が敵性語扱いとなり、英語の復権がなされています。 この百年戦争でもっとも有名なのがジャンヌ・ダルク(1412-1431)でしょう。彼女は百年戦争の後期に活躍しました。シェイクスピアの『ヘンリー6世 第一部』にも主君シャルル7世とともに登場します。私たちの思わぬ姿で。 ジャンヌについてはそのときにお話しするとして、今回は百年戦争の原因について。 その1 昔からの因縁 「ジョン王」 の項で述べましたように、プランタジネット朝の王はイングランド王である前にフランスの大貴族として広大な土地を所有していました。しかしジョンの代にそのほとんどを失ってしまいました。 失ったものほど大きく美しく見え、惜しいものはありません。それ以来代々のイングランド王にとって大陸領の回復は悲願となりました。 こういった例は古今東西どこにでもあります。日本が朝鮮半島南部の任那(みなま)を失ってより、しばらくの間その回復を悲願としていたのとよく似ていますね。 イングランドにしても当時の日本にしても大陸(半島)に利害を持っていたのは王だけではありません。貴族(豪族)たちも、その他もろもろの人々の中にも大勢いました。また、何度か系図でお見せしたように、王も貴族たちも、フランスなどの大陸の王侯と密接な血縁関係を結んでいました。この時代の血縁関係はそのまま相続、継承問題になります。 その2 フランドル地方をめぐる争い フランドルというのは現在のオランダ、ベルギー、フランス北部にまたがる地域で、日本では「フランダース」という名前でもよく知られています。ここは中世には毛織物業を中心に産業が栄え、ヨーロッパの先進地域となっていました。イングランドはこの地域に自国で生産した羊毛を大量に輸出していました。ですがフランス王がフランドル地方の支配を強めようとしたため、経済的つながりの強いイングランドが強く反発したのです。 その3 フランス王位をめぐる争い 前回「サリカ法」 で述べましたように、フランス王家ではカペー朝が断絶、分家ヴァロア家のフィリップ6世が後を継ぎました。これに異をとなえたのがエドワード3世。自分の方がフィリップよりよほど血縁が近い、というのです。 エドワードにしてみれば、今のままではフランス領内で自分は一貴族、フランス王の臣下に過ぎません。これもまたややこしい関係なのですが、イングランドでは王としてフランス王と対等な関係でも、フランス国内では貴族である自分より上にそのフランス王がいるのです。ややこしい。 例えがちょっとかけ離れているかもしれませんが、家では対等な夫婦であるのに、会社では上司と部下の関係になっているようなものでしょうか。 このようにいろいろな要素が絡み合って、英仏両国の関係は悪化しておりました。 そんな折、1337年にフィリップ6世がフランス国内のイングランド領ギュイエンヌ(フランス南西部でワインの産地)の没収を宣言しました。先ほど書きましたように、フランス国内では自分の方がより上位の領主であることを利用したのです。当然エドワードはこれに反発、フランスに宣戦をして、ここに百年戦争が始まるのです。 実際に両国間で戦闘が起こったのは1340年。スロイスの海戦でイングランドはフランスに勝利し、制海権を握ります。この年2月8日、エドワードはフランス王即位を宣言。 リチャード1世以来イングランド王の紋章となっていた3頭の獅子にフランス王家の百合を加えます(図参照)。しかもイングランドの紋章よりフランスのほうを上においております。 冒頭のヘンリー5世のセリフではないですが、イングランド王である前にフランス王であろうとしたのです。 まあ、これは無理からぬこと。 戦争の勝利を願う、いわゆる気合入れの意味もあるでしょうが、公平に見ればイングランドよりもフランスの方が豊かな国なのですから。 エドワード以後のイングランド王もずっとフランス王であることを称し続け(つまり「フランスおよびイングランド王」と名乗り)、紋章にもフランスの百合を入れ続けていました(1707年には百合の紋章を第2位にしてますが)。紋章から百合が消えるのは、すなわち「フランス王」の称号を捨てるのは、なんと1801年のジョージ3世まで待たねばなりません。百年戦争が終わっても何百年もずっと「フランス王」と名乗っていたのですね。すごい執念です。 **図をクリックしていただくと、大きな画像で見ることができます** こうして始まった百年戦争ですが、英仏両国とも苦難の道のりを歩むこととなります。 次回は「黒太子」です。 *以前お話したイングランド軍の新戦法についてはこの「黒太子」で書きます。

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  • 14 Oct
    • 秋髪

      「最近シェイクスピアの話ばかり」 「ええ? そうかな」 「フーシェは単純なんだから」 「そうかなあ」 「『エースをねらえ!』に凝ってたときはときどきお蝶夫人みたいなしゃべり方になってたし」 「マジですか」 「すぐ影響されるのよね~。今は口調がもったいぶっちゃって」 「本当?」 「この間も『酒だ、酒をくれい! 酒をくれたら王国をやるぞ!*』なんて言ってたんだよ」 「記憶にございません」 「酔っ払ってたもんね~」 「シェイクスピア関連以外で何か本買ってないの?」 「ええと。こんなん買いました」 秋髪。 [2005]―AUTUMNヘアカタログ2005 「あの~、もしもし?」 「はい、なんでしょう?」 「中年男性のあなたが何でそんなの持ち歩いているの?」 「いや、持ち歩いてるんじゃあなくて、今日買ったから持ってるだけですって」 「中年男性のあなたが何でそんなの買うの?」 「おかしい?」 「おかしいよん」 「いやさ、君のその美しい髪がどのような名前のスタイルなのか知りたかったし」 「だから、そーいうことばかり言ってるから、ぜんぜん信用無いの!」 「。。。秋は女性のファッションもヘアスタイルも美しい季節です」 「ど~せモデルの女の子がきれいだからでしょ~?」 「いや、これが結構面白いんだ。毎年買ってるわけじゃあないけど、時たま買うよ」 「やっぱりおかしい」 「昔から髪型とかコスチュームは好きだったんだよ。古語辞典ってあるでしょう?」 「あるよね」 「あれの巻末に付録で昔の日本の服装や鎧兜、髪型の絵が載ってて」 「うん、あるね」 「それを見てるのが好きだったんだ。あと官位相当表や幕府の組織図も載ってたなあ」 「そういうの好きだよね。組織に属するのは嫌いなのにね」 「でさ、この本(「秋髪」)なんかもそうだけど、モデルさんが身に着けているものの名称と値段が載ってるでしょ?」 「そうね」 「これって、まんま古語辞典の付録のノリだと思うんだよね」 「そう?」 「うん。こういった雑誌風に紹介すればもっと歴史が好きになる人が増えるのになあ」 「たとえば織田信長の有名なこの肖像(長興寺蔵)なんかもね」 小袖 ○○貫/肩衣 ●●貫/扇子 ××貫 ヘアメイク 森蘭丸  「なんてどう?」 「ファッション誌見ながらそんなこと考えてるわけ?」 「面白いと思うんだけどな~」 「でもこういう本を見るたびに思うのだけれど、顔の形や服の色、季節、そして場によってヘアスタイルにもいろいろな工夫があるんだね」 「女は苦労してるのよん」 「昔もさ、女性のはよく知らんけど、男性の髷もいろんなのがあったんだよ」 「そういえば、ハゲの人はどうしてたの? 髷結えないよ」 「そういう人のためにかつらがちゃんとあったらしいよ」 「へええ」 「私の場合は整髪料なし、自然乾燥でブラシもほとんどしないんだけどね」 「フーシェはそれがらしくていいよ」 「本当は髪洗うの面倒だからスキンヘッドにしたいんだけど、周囲が反対するんです」 「当たり前です! スーツにスキンヘッドなんて」 「やーさんみたい?」 「フーシェの場合は怪しいアングラ劇団か宗教団体みたいになるからやめて!」 *リチャード3世のセリフ「馬だ! 馬をよこせ! 代わりに俺の王国をくれてやる」のパクリ。

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  • 13 Oct
    • サリカ法 (シェイクスピアの史劇)

      フランスの王権にたいする 陛下のご要求をはばもうとするものはただ一つ、 かのファラモン王から伝わる次の一条文のみです、 「In terran Salicam mulieres ne succedant」 「サリカ国において女子は相続することあたわず」   ――キャンタベリー大司教(『ヘンリー五世』第一幕第二場) イギリスはなんとなく「女王の国」というイメージがあります。私には。現元首が女王エリザベス2世であることもそうですが、エリザベス1世(在位1558-1603)、ヴィクトリア女王(在位1837-1901)の代にイギリスが繁栄したという事実も「女王の国」のイメージを支えています。 この二人の他にもカクテル「ブラッディ・メアリ」にその名を残すメアリ1世(エリザベス1世の異母姉)や飲んだくれのアン女王(ブランデー・ナン)、夏目漱石が「倫敦塔」で言及している悲劇の女王ジェーン・グレイなど有名な女王が何人もいます。 一方、フランスには女王はいません。 カトリーヌ・ド・メディチもマリー・アントワネットも王妃であって女王ではありません(英語だとどちらもQUEENだけど)。 現在ヨーロッパにはオランダやデンマークなど女王が治めている国をはじめいくつかの君主国がありますがすべて女性の継承権を認めています。 ではフランスに女王がいなかったのはなぜでしょうか。 その根拠が冒頭に掲げたキャンタベリーのセリフにある「サリカ法」です。 「サリカ国において女子は相続することあたわず」 どこかの国の皇室典範のような、そして漫画『リボンの騎士』にも出てきたようなこの法律。もともとはフランク人サリー族が作った法律です。フランス王はこの法律をたてにエドワード3世やヘンリー5世の要求する王位継承権を拒否し続けてきました。 ここでもう一度系図を見てください。(クリックすると拡大します) ユーグ・カペー(987-996)にはじまるカペー朝はルイ10世(1314-16)で直系が絶え、滅亡の危機を迎えます。彼は在位わずか2年で男子なく死亡。ただ后が妊娠中であったため、家臣たちは祈る思いで出産を待ちます。ここらへんの状況はわが国の徳川家綱(4代将軍)→綱吉への継承と似てますね*。 祈りが天に通じてか、后は無事男子を出産。しかしジャンと名づけられたその男の子は生後わずか4日で死亡。ここに再び王位継承が問題となりました。 ルイ10世には実はもう一人子どもがいたのです。ジャンヌという、これもまだ6歳の子どもでしたが。ところがジャンヌ女王誕生に異議を唱える人物が出てきます。 ルイ10世には弟が二人いました。当然乳児のジャンには政権担当能力などありませんでしたから、叔父のフィリップが政務をとっていたのです。彼フィリップがジャンヌの王位継承無効を主張します。実はジャンヌの母とジャンの母は違う人物でした。ジャンヌの母マルグリットは家臣との不倫疑惑からルイ10世より離縁され、投獄。後に処刑されてしまいました。ですからジャンヌの血統には疑惑がある、とフィリップは主張したのです。しかしこれだけでは外聞も悪いですから、何とか他に根拠はないものか、と探した挙句に見つけたのが「サリカ法」だったのです。 *ジャンヌはその後ナバラ王国(現スペインの一部)女王ファナ2世となりました。 この時点では 「女子の王位継承を認めない」 という解釈であって、「女系による(つまり女子の子孫の)継承」についてはまだ問題になっていませんでした。 こうしてフィリップは王位を継ぎ、フィリップ5世を名乗ります。 ところが皮肉にもフィリップは王位を継いで6年で死去。その後を継いだ弟のシャルル4世も6年で死去。結局3人兄弟とも女子しか生まれず、つまり王位継承者を残せず相次いで世を去りました。自分で自分の首を絞めてしまったんですね。 1328年、カペー朝断絶。 フランス王位はフィリップ4世の弟ヴァロア伯シャルルの子、フィリップが継ぎ、フィリップ6世を名乗りました。ヴァロア朝(1328-1589)です。 ところで系図をご覧になってお分かりの通り、カペー朝最後の王シャルル4世とヴァロア朝の祖フィリップ6世の間は4親等。一方イングランド王エドワード3世は母イザベルを通じてフランス王の血が流れており、こちらは3親等。フィリップ6世よりも近い存在です。 ここで今まであいまいだった 「女子には王位継承権はないが、その子ども(男子)に継承権があるか、ないか」 が問題になってきます。 フランス王としてはもちろん「継承権なし」でしょう。 一方のイングランド、プランタジネット家の祖ヘンリー2世が前王朝(ノルマン朝)の娘の子どもとして王位を継承しているという事実が既にあるのですから、答えは「継承権あり」。 当時エドワード3世は16歳。未だ母とその愛人に実験を握られた存在でした。彼がフランス王位を主張するのはまだ少し先のこととなります。 次回は「百年戦争」です。 *1680年、徳川家綱が子どもなくして死亡。これは徳川幕府始まって以来の直系の断絶でしたから、後継者問題は深刻でした。当時権勢を誇っていた大老酒井忠清は 「北条氏の先例に倣い皇族将軍を迎えよう」 と主張。「下馬将軍」といわれるほどの忠清の言葉です。殆どそれに決まりかけましたが、末席の老中だった堀田正俊が家綱の弟綱吉にすべきと主張します。これに水戸光圀らが賛成したため酒井案はつぶれ、堀田案が通りました。こうして五代将軍綱吉が誕生。正俊は大老に、忠清は辞任後まもなく死亡。 この後継者選択時の忠清の発言は権勢を私するものとして今でも忌み嫌われています。 ところが。 実はこの時家綱の側室で懐妊中だった人がいたのです。忠清が綱吉の継承を認めず、「皇族将軍を迎えよう」と言った裏にはこんな事情があったのです。生まれた子どもがもし男子であればその子に将軍を継がせ、宮様には京都に帰ってもらう、そういう算段だったそうです。 悪評の高い忠清でしたが、意外にも忠義の男だったんですね。 ちなみに誕生を待たれた子どもは不幸にも流産してしまいました。

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  • 12 Oct
    • エドワード3世 (シェイクスピアの史劇)

      さてシェイクスピアの史劇の中で何度も言及されるエドワード3世。 彼はどんな王様だったのでしょうか。 父エドワード2世が廃位され、惨殺されたとき、彼はまだ15歳でした(1327年)。実権は母イザベルとその愛人マーチ伯ロジャー・ド・モーティマーに握られています。 父を殺され、母と愛人の傀儡になったエドワード3世。しかし彼は祖父エドワード1世の資質を受け継いでいました。そんな彼に周囲の期待が集まります。 1330年モーティマーは国王に無断で国王の義理の叔父であるケント伯エドマンドを反逆罪で逮捕、処刑しました。反逆罪、その罪状は国王の父エドワード2世を救出し、復位(すなわち現国王3世を廃位する)というもの。2世王は3年前に惨殺されているのですから、まったくナンセンスな話です。 これに激怒した彼はモーティマーを逮捕。母とともに幽閉します。さすがに母を手にかけることはしませんでしたが、モーティマーは2世王惨殺の罪も問われ、処刑。こうして3世は18歳で実権を取り戻します。 母イザベルは死ぬまで幽閉をとかれませんでした。 夫2世王も愛人で身を滅ぼしましたが、妻もまた。「フランスの雌狼」と恐れられ、嫌われた女性のさびしい晩年でした。 実の母でさえ王権のためには排除することをためらわない。3世王は父とは異なった人物のようです。 ここのくだりを読むたびに私はもう一人の帝王を連想してしまいます。彼もまた実母とその愛人を排除し、その資質を周囲に知らしめたのでした。そう、秦の始皇帝です。 親政を開始した3世は祖父の事業を引き継ぎ、スコットランドに兵を送ります。1333年、スコットランド王位をめぐる内紛に介入し、ハリドン・ヒルの戦いでスコットランド軍を撃破。スコットランド1万4千、イングランド1万が激突。イングランドの戦死者20名に対し、スコットランドほぼ壊滅という完全な勝利です*。こうして父王の失敗を挽回することに成功しました。 負けたスコットランド王デヴィッド2世はフランス王フィリップ6世を頼ります。敵の敵は味方というわけです。これもまた百年戦争の原因のひとつです。 ガーター騎士団 エドワード3世の事跡として有名なのがガーター騎士団の創設でしょう。 現代も続いている由緒ある騎士団で、国王を団長とした(つまり現団長はエリザベス2世)社交クラブのようなものです。3世の頭にはアーサー王伝説があったのかもしれません。 ガーターとは靴下止めのこと。つまりは女性の下着。なぜこんなものが騎士団の象徴なのでしょうか。 1347年、百年戦争始まって数年、カレー陥落を祝う祝宴が開催されました。そこで3世はソールズベリー伯爵夫人とダンスをしましたが、その時伯爵夫人のガーターが落っこちてしまいました。 公の場でガーターを落とすなど貴婦人にあるまじき行い。夫人は恥ずかしさのあまり死にそうだったでしょう。居合わせた貴族たちは、ただ笑って見ているだけでした。その時青いリボンのガーターを拾った3世はそれを自分の足にはめると、貴族たちに向ってこう言い放ちました。  Honi soit qui mal y pense         (邪なる心の持ち主に災いあれ) そして 「ガーターは間もなく最高の尊敬を得ることになるだろう」  と宣言しました。 こうしてできたのがガーター勲章。これは今日英国の最高位の勲章となっています。そして後に結成されたのがガーター騎士団です。 青いリボンでおわかりのように、 映画などの最高作品に贈られる「ブルーリボン賞」はこのガーター勲章にちなんでいます。 一人の婦人を恥辱から救った騎士道精神あふれる行動は現代でも名残を残しているのです。 さびしい晩年 ソールズベリー伯爵夫人といえばシェイクスピアの『エドワード三世』では3世王に迫られながらも貞操を守り、逆に3世の目を覚まさせた賢婦人として描かれています。おそらくシェイクスピアの頭にもこのガーターのエピソードがあったのでしょう。 実際の伯爵夫人は国王の家庭教師だったそうです。 3世の后はこれも劇に出てきたフィリッパ。二人の間にはなんと14人もの子供が生まれています。 少なくとも夫婦仲は悪くはなかったようです。伯爵夫人とのロマンスはやはりシェイクスピアのフィクションなのでしょうね。 ところが1369年に后が亡くなった後、3世はかつて后の侍女であったアリス・ペラーズという人妻に骨抜きにされてしまいます。アリスの望むがままに領地や財宝を与え、ついには政治や裁判も彼女の言うなり。 3世は祖父の資質だけでなく、父母の好色な血も引いていたようです。劇で人妻に迫る好色な王もまた3世の一面だったのです。 百年戦争もすっかりやる気をなくしてしまいました。 貴族たちや議会もあきれ、また皇太子エドワード(ブラック・プリンス)も深く憂い、アリスを追放。 しかし1376年にブラック・プリンスが死ぬと彼女は舞い戻ります。 1377年、50年もの長きにわたる在位の果て、重臣たちにそっぽをむかれ、寂しく死んでいった3世。枕頭にいたアリスは王の死を見届けるやその指にはまっていた指輪を抜き取り、そこにあった財宝を盗むと姿をくらましてしまいました。 *この戦勝にはイングランドの軍制改革と新戦法がバックにありますが、それは次々回の「百年戦争」でお伝えします。 次回は「サリカ法」です。

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  • 11 Oct
    • 王様の名前 (シェイクスピアの史劇 番外編)

      ******各画像はクリックしていただくと拡大され、見やすくなります****** 人は誰にでも名前がある。いい名前もあれば悪い名前もある。ボクは自分の名前でずいぶん苦労した。 ボクの名前は東海。読めるかな? 「とうかい」じゃないよ。「ひでみ」と読む。 東は日が出る方、だから「日が出る方の海」で「ひでみ」だ。 まず読める人はいない。学校の先生も。次に読み方がわかると 「変わった名前だね」 と言われる。中学になった今はそれくらいで済むけれど、小さい頃はよくからかわれた。女の子みたいだから。だから小野妹子や蘇我馬子には親しみを感じたものだ(後でその時代には珍しい名前ではないと知りがっかりしたけど)。 こんなおかしな名前をつけてくれたのは、そう、伯父さんだ。こりゃあ伯父さんに文句の一つでも言って、ついでにゲームを買ってもらわなきゃあ気がすまない。思春期の少年はデリケートなんだ。 「なんでこんな名前をつけたのさ」 「なんでって、お前さんにでっかい人間になってほしいからよ」 「ええ?」 「日本から見て東の海たあ、どこだえ?」 「太平洋」 「そうよ。世界で一番広い海。そんな男になってほしいと『東海』とつけたのサ」 「なるほど」 「お前の母さんは『宇宙一の男になってほしい』と願って『宇宙』と書いて『そら』という名前にしたがっていたがな」 「ええ? マジ?」 「周りが反対したよ」 「名前にはつけた人の願いが込められているんだね」 「そうだな。人間、誰しも我が子には幸せになってほしいからな。昔は名前には魔力、パワーがあると思われていた。だから祖先のパワーを身に宿したり、自分のパワーを分け与えることで影響力を強めるために、偉い人の名前を借りたり、一字をもらったりしたもんなんだ。(「大名の名前について」 も参照してください)」 「へええ。それって日本や中国なんかの話だよね。他の地域ではどうなの?」 「うーん、おいらが知っているのは西洋の話だけどな、東洋のは知らない」 「それでもいいよ。聞かせてよ」 「今おいらはシェイクスピアを読んでいるんだが、これはシェイクスピアが劇で扱った時代の王様の一覧だ」 「なんかおんなじ名前の人が多いね」 「そうだな」 「全部で14人いるけど、名前はヘンリー、ジョン、リチャード、エドワードの4種類しかないよ」 「そうだね。日本は漢字だから親と同じ字を用いても、それは一字だけ。他の字と組み合わせることで違う名前にできるが、西洋の場合、そういった例もあるが、この表のように親子で同じ名前をつけるのも多い」 「ややこしいね」 「だから2世、3世とつけるんだろうよ。また、生まれた場所を名乗りにつけて区別することもある。 ヘンリー5世はウェールズ(イギリス―ブリテン島の西部)のモンマスで生まれたからヘンリー・オブ・モンマスという場合もある」 「あ、それ、聞いたことあるよ。レオナルド・ダ・ヴィンチもそうなんだよね。『ヴィンチ村のレオナルド』という意味なんでしょう?」 「おお! よく知ってるなあ。フランシスコ・ザビエルもそうだよ。彼はスペインのザビエル城で生まれた」 「へえええ」 「地名をつけて区別するのは日本でもそうだな。それから領土や爵位をもらうとそれが呼び名となり、本名では呼ばれることが少なくなる。お前さんたちでも校長先生のことは名前ではあまり呼ばないだろう?」 「というか、校長先生の名前、知らないよ」 「偉い人だと肩書きが名前代わりになるんだな」 「それから、日本人の名前の種類はものすごく多い。現代では名前に使う漢字は制限されているが、読みはある程度自由だ。お前さんの名前のようにな。苗字になるとこれは法律で『この字を使うな』とは制限できないから、それこそたくさんある。同じ漢字文化圏の中国や韓国に比べてるとずっと多いんだ」 「西洋の名前は少ないの?」 「そうだね。日本が多すぎるんだが。西洋の場合、よく見るのが聖書からとった名前だね。トム、マーク、ピーター、メアリー、それにスーパーモデルのナオミ・キャンベルのナオミと、これらは聖書に出てくる人名だよ。他にもたくさんある」 「そうなんだ。じゃあこのヘンリーやリチャードなんてのもそうなの?」 「この中ではジョンが聖書に出てくる名前だな。日本語訳だとヨハネという名前になるが」 「ジョンとヨハネって全然似てないよ!」 「そう聞こえるがな、おなじアルファベットを用いていても、英語やフランス語、ドイツ語などで読みが少しずつ違ってくるからだ」 「そうなんだ」 「これは同じ漢字を使っている東アジアでもいえるよ。お前さんの名前、東海(ひでみ)は中国読みではトンハイになる」 「なんかやだなあ」 「まあ、それはおいといて、こいつが聖書に出てくる名前だ」 「そうか、それでピーターはPiterじゃなくてPeterだったんだ」 「まあね」 「リチャードやヘンリーはどうなの?」 「これらは古いドイツ語でそれぞれ『家の支配者(ヘンリー)』、『厳しい支配者(リチャード)』という意味だよ。だからもともとイングランドの名前でなくて、ドイツからフランス、つまり大陸の名前なんだな。 フランス語ではそれぞれアンリ(ヘンリー)、リシャール(リチャード)というよ」 「じゃあエドワードは?」 「うん。これはもとからイングランドの名前だった。古い英語で『豊かな守護者』という意味があるよ」 「西洋の名前でもドイツ系とかフランス系とかあるんだね」 「最初の表に出てきたプランタジネット家はフランス系だ。代々の王様も長い間(14世紀くらいまで)フランス語を使ってきた」 「それでイギリスの王様なの?」 「彼らにとってはイングランドは征服地だったんだね。だから現地語(古英語)は使う気にもならなかったろうよ。この時代にstate, armour, justice, sport, dressといったフランス語由来の英語ができるんだよ」 「sportはフランス語出身だったんだ。英語にもそんな歴史があるんだね」 「だからエドワードというイングランド本来の名前の王様が即位したとき、皆は喜んだのさ」 「名前ってやはり大事なんだね。一度つけられたらまず変えることできないし」 「名前を見るとどこの国の人か、あるいはいつの時代の人かわかる場合もあるしな」 「ボクもボクの名前をもっと好きになるよ」 名前は一生ついてまわる。ボクも自分の名前をもう少し大切にしよう。人の名前も大切にしよう。 ゲームを手に入れることはできなかったけれど、母さんや伯父さんの思いを知ることができたから、よしとするか。 フーシェの追記 ちなみに「ひでみ」というのは私の本名ではありません。念のため。

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  • 10 Oct
    • シェイクスピア 『エドワード三世』 (シェイクスピアの史劇2)

      そして美しきイザベルの嫡男にふさわしく、 敵の頑なな首に鋼のくびきをかけ、 フランスにおけるわが王権を認めさせてやろう。           エドワード3世(第一幕第一場) 今までシェイクスピアの戯曲は37作品とされてきましたが、近年新たに次の3つが彼の作品であるとほぼ確定されました。 『エドワード三世』・『二人の貴公子』・『サー・トマス・モア』 前二作品は邦訳も出ております。 ウィリアム・シェイクスピア, 河合 祥一郎 エドワード三世 著作権という概念などなかった近代以前ではなかなか作品の特定というものも難しいものです。 そこらへんの議論は置いといて、『エドワード三世』はごく初期の作品。『ヘンリー六世』が書かれた前後と推測されております。イングランド王を扱っておりますから史劇に分類されます。 『ジョン王』の記事 でも申し上げましたように、一口に史劇といっても『ジョン王』と『ヘンリー8世』は残りの八部作とはやや趣を異にしています。 作成年代順に並べますと『ヘンリー6世第2部』~『第3部』、『リチャード3世』の前期4部作が薔薇戦争を、『リチャード2世』~『ヘンリー5世』の後期4部作がその原因となったランカスター家による王位簒奪とその後を描いているように、8部作は薔薇戦争をメインテーマとしているといってよいでしょう(「チューダー朝神話」の記事 も参照してください)。  ではこの『エドワード三世』はどうかと言えば、なるほどエドワード3世(1327-77)はリチャード2世(1377-99)の先代であり、一見連続しているように見えます。冒頭に掲げたように百年戦争の発端とブラック・プリンス(黒太子)エドワードの活躍を描いています。ですが私としては8部作とのつながりが薄いように思われます。悲惨な内乱を描き、なぜそれが起こったのかを追求した8部作とはやはり趣を異にしているのではないかと。 同胞相打つ内乱はどこの国でも、いつの時代でも悲惨なものです。日本でも源平の内乱、南北朝の内乱は人に無常観を与え、『平家物語』や『太平記』といった傑作を生みました。なぜ内乱が起こったのか、とう疑問に対して当時の人が考えた答えの一つがこれらの作品だと私は思っております。 『エドワード三世』の制作年代が中期の『リチャード2世』の頃だとすればまだしも、初期の『ヘンリー6世』の前後だとすれば、この2者の間の内容の連続性を感じられません。 ですがこれはあくまで素人である私の所感であります。 『エドワード三世』の内容は大きく二つに分けられます。 前半ではスコットランド軍を蹴散らした王がその地で人妻であるソールズベリー伯夫人キャサリンに懸想し、強引にこれを求め、拒絶にあい、その貞操と王としての本来の責務を自覚します。このやりとりがなかなかに面白い。さすがシェイクスピアですね。 後半ではクレシー、ポワティエの戦いでのブラックプリンスの活躍を描いており、ポワティエでフランス王ジャン2世と王子を捕虜とし、イングランドの勝利で幕を下ろします。 史実ではクレシーが1346年、ポワティエが1356年と10年の開きがありますが、劇ではこれをひとつながりとして一気にクライマックスへ持っていきます。16歳の王子エドワードの爽やかな若武者振りと、わが子が窮地に陥ってもあえて援軍を出さない父王の厳しさとその底にある信頼が心に残ります。王、前半のメロメロ振りとは打って変わって颯爽としております。 冒頭王が自分の王位継承権を確認したり、フランスより挑発的な使者が来る所といい、この後半部といい、後年の『ヘンリー5世』さながらです。ただ充分な長さがないため、今ひとつといったところ。 エドワード3世とその長子ブラック・プリンスはこの後の史劇にもたびたび名前が出てきます。プランタジネットにおいてそれほど重みのある存在だったのでしょう。日本で言えば八幡太郎義家や悪源太義平といったところでしょうか。 ブラック・プリンス、エドワードは皇太子でありながら父に先立って死去。王位はその子リチャードに引き継がれることになりました。 ↑クリックすると画像が拡大されます

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