• 30 Apr
    • 宮下あきら 『民明書房大全』

      あの幻の奇書が実在した? 著者: 宮下 あきら タイトル: 民明書房大全 「民明書房」 それはありとあらゆる知識の宝庫。 『スポーツ起源異聞』によれば ゴルフは「纏欬狙振弾(てんがいそしんだん)」の創始者、呉竜府(ごりゅうふ)に由来し、 『世界スポーツ奇譚』には フェンシングは「疆条剣(きょうじょうけん)」の使い手、邊真愚(へんしんぐ)に由来すると書いてある。 これらを荒唐無稽というなかれ。 旧ソ連の教科書には、 飛行機を発明したのはロシア人。ライト兄弟のちょこっと前に空を飛んだ。 電話を発明したのもロシア人。ベルのちょこっと前に実験した。 なんて書いてあったといいます。 ですからゴルフやフェンシングの起源が中国であってもおかしくない。おかしくないと思いませんか? そう思ったあなた、あなたは立派な民明書房の読者となるでしょう。 昔。 少年ジャンプ黄金期に、『キン肉マン』、『ドラゴンボール』、『星闘士星矢』などと並び、人気を誇っていた宮下先生の『魁!! 男塾』にしばしば引用されていた民明書房の書籍群。 最初のウチは 「へえ~、そんなんあるんや」 と無邪気に感嘆していましたが、やがて作者の遊び心に敬服するようになりました。 そう、この漫画にはさまざまな遊び心(ふっ)と、それと同等の真剣さ(フン!)が含まれていました。 上記の例では中国起源説ばかりでしたが、もちろん、日本やエジプト、ヨーロッパなど世界中の知識が集められて(いることになって)いました。 そんな幻の民明書房の成り立ちと各書籍の概説がこの本で分かります。 巻頭には民明書房の創設者、大河内民明丸の評伝漫画がついています! これも必見!

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  • 29 Apr
    • 9代 徳川宗睦  尾張藩の「吉宗」  

      このコーナー「尾張徳川十七代」は。。。 名古屋人は普段は節約しているのに、いざという時は派手!  そんな気質の原因を 江戸時代の名古屋の殿様にからめて考察していくコーナーです。 宝暦治水工事で恩恵をこうむったのは沿岸の農民たちばかりではありません。 尾張徳川家もまたその恩恵にあずかりました。 「尾張」徳川家は、尾張国のみならず美濃、信濃にもその領地がありました。特に木曽の山林は石高に計上はされていませんが、尾張家にとって大事な財源でした。 9代藩主宗睦(むねちか)は、この治水工事の恩恵もあり、傾いた財政を修復するための尾張藩の「天明の改革」に一応成功しました。 彼の治世は四十年の長きにわたり、人材登用、人材育成、法令の整備などさまざまな改革を行いました。 しかし、その彼をもってしても封建制の矛盾は克服できず、晩年に行った藩札の発行はその後長く尾張藩財政を苦しめることとなります。 宗睦は文教政策にも心を砕き、藩校「明倫堂」を創設しました。 その初代督学(学長のようなもの?)に、米沢藩の名君、上杉鷹山(ようざん)の師である細井平洲(へいしゅう)を指名。その平洲の意見により、一般の人にも聴講が許され、幕末まで大きな影響を与えました。 もともと平洲は尾張国の農家出身だったのですが、はやくから京都、江戸などで活躍。上杉鷹山の師として、その藩政改革を補佐し、米沢だけでなく多くの大名、庶民の支持を得ていました。 幕末、14代藩主となった徳川慶勝(よしかつ)は宗睦を理想とし、藩政改革を進めました。松平定信、水野忠邦が吉宗の改革を理想としたように。宗睦は尾張家の「吉宗」といえましょう。 藩校明倫堂はその後、明倫中学校→明和高校として、現在も続いています。 明和高校は愛知県下尾張学区(愛知には尾張、三河の2学区がある)有数の進学校としてあまたの人材を輩出しています。

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    • パーデュー 『ダ・ヴィンチ・レガシー』

      歴史ミステリと銘打ってありますが、アクション小説でしょう 恥ずかしながら私は『ダ・ヴィンチ・コード』未読です。 ハードカバーは重い、高い、かさばる、ので購入はつい慎重になってしまうんです。 早く文庫化してくれないですかねえ。 でもそれを待っていると、角川の『リング』シリーズのように旬が過ぎてしまう場合もありますね。 まあ、いつまでたっても良い物は良い。『ダ・ヴィンチ・コード』もそんな作品であることを期待しようっと。 そんなこんなで文庫版のこの本、あきらかに狙っているなとは感じましたけど、歴史にもミステリにも目がない私。ましてや歴史ミステリにおいてをや。早速読んでみました。 先ほど「狙ってる」と書きましたけど、本作が書かれたのは1983年だそうで、執筆時には「狙っていた」わけではないのですね。 で、それを現代の時代に合うように加筆修正して2004年に再出版。 80年代といえばソ連が息切れし始めてきたものの、そんな内部事情をわれわれが知るはずもなく、まだまだ冷戦の構造は続くものだと思っていた時代。レーガンが大統領で中曽根さんが総理で、 「ロン」 「ヤス」 なんて親交を深めていたとかいなかったとか。 しばし当時に思いを馳せつつ、読み始めました。 現代の情勢にあわせた、その加筆・修正の後を探すのがひとつの楽しみでしたね。 主人公が湾岸戦争参加者なんですが、これは多分ベトナム戦争だろうな、とか ローマ法王も登場するんですが、80年代も2004年も同じ方だけど、このときはまだお元気だったな、とか ヨーロッパ、ことにイタリアが主要舞台なのでユーロが出てくるんですけど、当時はリラだったけ? 1ユーロは何リラで、とするとこのチップの代金は。。。それにしても額面がずいぶん違ってくるよな、とか。 内容の方はといえば上に書きましたように、歴史ミステリというよりアクション。ダ・ヴィンチの失われた●●もネタとして使われているだけで、全編を引っ張るような魅力的な道具立てではありません、と思います。 なのでそう割り切ってしまえば面白いものだと思いますよ。 才能あふれた型破りなアマチュア研究家 美しく強い赤毛の女性記者 秘密結社 謎の修道院。。。 天才が残した恐怖のレガシー(遺産)とは何なのだ? ね。なつかしのスパイアクションものを連想するでしょう? そういった意味でこの作品はやはり冷戦構造下の作品であり、 出版社も「歴史ミステリ」なんて銘打たず、あのベストセラーを意識することなく売り出してほしかったですね。   著者: ルイス・パーデュー, 中村 有希 タイトル: ダ・ヴィンチ・レガシー

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  • 28 Apr
    • 8代 徳川宗勝  宝暦治水3

      1754年(宝暦4年)1月、鹿児島を出立した平田靱負(ひらたゆきえ)は大坂に立ち寄り、金策に奔走します。しかしすでに60万両(約600億~1200億円)を上回る借金がある薩摩藩に対し、はいそうですか、と貸してくれる商人が居るわけがありません。 「何も我々が浪費するのではない。 水害に苦しむ人々を救うために必要な金なのだ」 必死の説得にも商人たちは首を縦に振りません。 現代のように税金をあまねく徴収して、必要性の不確かな工事までやってしまうどこかのお役所には想像もつかない苦難でしょうね。 担保を要求する商人に対し、平田は独断で薩摩藩の専売品、砂糖を担保として差し出すことを約束し、なんとか7万両(約80億~140億円)を借りることに成功したのでした。 ちなみに当時砂糖はめったなことでは庶民の口に入らない高級品で、白砂糖などは薬として扱われていたほど、希少品でした。 1754年2月、薩摩藩士750名は美濃(岐阜県南部)に到着。工事に取り掛かります。 しかし、平田の言葉通り工事は難航を極めました。 特に幕府の嫌がらせは大変なもので、故郷から遠く離れた見知らぬ土地で、慣れない重労働にあえぐ藩士たちに対し、地元民に 「一汁一菜のほか提供するな」 「薩摩藩士たちが求める品々は、必ず現金を受け取ってからわたすように」 など厳しいお達しを出しました。 中には工事の妨害まであったといいます。 薩摩藩など国内の諸大名をを仮想敵とし、ここぞとばかりに痛めつける。この狭い了見にはあきれてものが言えません。 軍事政権であったはずの幕府が19世紀の欧米列強の外圧に対抗できなかったのも無理もありません。 悪天候と疫病、それに幕府の嫌がらせに、激高し自害する藩士も出ました。 それら悪条件にめげず、1755年5月、1年2ヶ月かけて工事は完成します。その出来栄えは見事なもので、あれほど妨害をした役人たちも言葉が出なかったといいます。 工事に参加した人数は薩摩藩から947人。雇った人数を加えると2000人以上。工事範囲は180ケ村に及びました。費用は全体で40万両(約450億~800億円)以上もかかったそうです。 薩摩藩士の犠牲は 割腹 52名 病死 33名 そして5月25日早朝、総奉行の平田靱負も責任を取って自刃。 住みなれし 里も今更 名残にて       立ちぞわづらふ  美濃の大牧 享年55歳。 藩主島津重年はもともとからだが弱かったところに、遠い地で苦労する藩士を思いやる余り病にかかり、平田の死も病床で聞きました。そして程なく死去。 こうして多くの犠牲を出して宝暦治水工事は終わりました。 尾張、美濃、伊勢。濃尾三川沿岸の人々は薩摩藩士たちに深く感謝し、治水神社を建て、「薩摩義士」たちを祭りました。 その薩摩義士たちが故郷を思って植えた松が今でも千本松原として残っています。 この薩摩義士たちの行いと、その歴史を子供たちに伝える学校教育を思うとき、歴史教育の素晴らしさを感じずにはおれません。 私も小学校4年生くらいで平田靱負と千本松原のことを学びました。 「ゆきえって女みたいな名前だがね」 なんて軽口をたたきながらも、自らの命までかけて「同じ日本の民だから」とわれわれの地域を助けてくれた行為に畏敬の念を抱きました。 「同じ日本の民だから」  平田はそういいましたが、あの時代ではむしろ稀有な考え方でしょう。尾張は尾張、薩摩は薩摩、それぞれの国(江戸時代までの、日本に60以上あった国。今の県に相当)のことは考えられても、国の枠を超えて意識できるなんて、現代でいえば国際的感覚といってもいいでしょう。 私はここにもう一つ、尾張と薩摩、不幸な歴史を持った両者の歴史共有のあり方を見て、今なお多くの人の心を痛めている日中朝韓の歴史共有の可能性を感じるのです。 自虐史観でもなく、皇国史観でもなく、お互いに尊敬と感謝の念を持った、歴史共有のあり方を。

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    • 安房直子 「秋の風鈴」

      ミステリアスな出だし、暖かな読後感 「おたくの風鈴がうるさくて眠れません」 秋になっても思い出の風鈴をつるしておいた「僕」のところに届いたナゾの手紙。 風鈴がうるさいなんて、どんな気むずしい人なんでしょう? いったい、だれがこんな手紙を出したんでしょう? 私が大阪で小学生の国語を教えていたとき、問題集にのっていたお話です。 なんともフシギナお話ではありませんか。続きが気になりませんか? なるでしょう? ところが、その問題集にはお話が全部のっていなかったのです! なんとも中とはんぱなところで終わっちゃってました。 それでも作者名と作品名はきちんと書いてありました。 安房直子―あわなおこ。 当時はまだインターネットなんて普及してませんでしたから、いろいろな本屋さん、出版社に電話して、やっとどの本にのっているのかをつき止めました。 これが私が安房直子さんのお話を読んだきっかけです。 以来、安房直子さんの描く彩り豊かな、風の香りがする世界によく足を運ぶようになりました。 そして毎日毎日の生活の中で忘れてしまった風景を見つめています。 現在、教育出版版の6年生の教科書には安房直子さんの「きつねの窓」がのっています。読んだ人も多いでしょう。「きつねの窓」と同様、この「秋の風鈴」も、フシギで優しいおはなしです。主人公が若い青年だというのも、同じですね。 このフシギナお話の結末が知りたい方はぜひ、本屋さんや図書館で、ご自分の目で確かめてみてください。 まちがいなくステキな体験をするでしょうよ。   著者: 安房 直子 タイトル: 銀のくじゃく―童話集

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  • 27 Apr
    • 8代 徳川宗勝  宝暦治水2

      1753年(宝暦3年)12月25日。江戸幕府は木曽三川治水お手伝い普請を薩摩藩島津家に命じました。 木曽三川――木曽川、長良川、揖斐川、濃尾平野を流れる三つの大河は伊勢湾上流で、200を越える支流が網の目のように絡み合い、流れていたそうです。ひとたび大雨になるやその被害は甚大でした。 その治水工事を、木曽三川から1200km以上も離れた、縁もゆかりもない薩摩藩に命じたのです。 いうまでもなくこれは幕府の嫌がらせで、薩摩藩の弱体化をねらったものでした。 参勤交代で痛めつけられ、数度の縁組で散在させられてなおこのような仕打ちに会わねばならぬとは。 このとき既に薩摩には60万両(約600~1200億円!)を超える借金がありました。治水工事をすればさらに借金が増えることは目に見えています。しかも工事をするのは、まったく縁もゆかりもない土地なのです。まさしく薩摩藩存亡の危機でした。 勇猛で鳴らした薩摩隼人たちは憤慨し、 「幕府と一戦を交える覚悟で辞退すべし」 「いや、幕命に逆らい、お家をつぶすことは不忠」 と激論を戦わせます。武士の維持を貫き通すか、お家大事で忍耐するか。議論は堂々巡りするばかり。 その場をまとめたのは家老平田靱負(ひらたゆきえ)の言葉でした。 「幕命にそむけば幕府との戦、命に従えば大自然との戦。 どちらにせよ命がけの戦になるだろう。どうせ命をかけるなら、断ってお家を滅ぼすよりは、従ってお家存続を図ろう。 遠く離れているとはいえ、同じ日本国ではないか。水害で苦しんでいる美濃(岐阜県)の人々を救い、薩摩魂を見せつけてやろうではないか」 藩論は統一され、平田が工事責任者として美濃へ出発することになりました。 時に平田靱負50歳。 宝暦治水工事は彼の言葉通り、命がけの戦いとなるのでした。

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    • 田中芳樹 『中国武将列伝』

      中国人から見た名将とは 日中朝韓、隣国でありながら理解しあえていない我々ですが、隣国ゆえに共通の体験――歴史を持っています。共有はしていませんが。 日本人は大体において中国、歴史と文化が好きな方が多いですよね。書店でも中国史、漢文学のコーナーにはたくさんの本がありますし、それらを題材にした傑作も数多くあります。 最近ではゲームやマンガでも人気がありますね。 漢字、儒教、そして大乗仏教といった共通の文化を持っているゆえに私たちは親しみを感じているのでしょう。勝海舟ではないですが、「中国は日本のお師匠様だ」という意識が多くの人にあると思います。 しかし、それが逆に理解の妨げになることもあるのではないでしょうか。共通の文化を持っているから分かってくれる、というのは甘い考えかもしれません。そしてそれゆえ日本は中朝韓に対し、理解してもらう努力を、国家の立場を保持する努力を怠ってきたのかもしれません。 さて、中国史ですが、日本での人気はやはり『史記』、『三国志』あたり。時代による人気の差はどうしてもあるもので、日本史でも「戦国、幕末、源平」あたりに人気が集中するのと似通っています。 だからある特定の人物については本場中国の人よりも詳しかったりするし、逆に中国では有名なのに日本では全く無名の英傑もいたりする。 まあ、そういったところが歴史の面白さなんですけれど、田中さんのこの本を読むと中国にはまだまだすごい人物がたくさんいたのだなあということ、中国史について「分かったつもり」になっていたんだなあということが分かります。 「武将列伝」とはいえ、ひとりひとりの武将について伝を立てているのではありません。冒頭、「武将百選」として九十九人の武将を上げていますが(残りの一人の選は読者それぞれにお任せするとの事です)、なるべくむらなく、特定の時代に偏ることなく、選ばれています。 ですから中にはまったく無名の人物も入っていて、逆にそういったことが自分の知識の枠を広げられる思いがして、とても面白いのですね。 著者: 田中 芳樹 タイトル: 中国武将列伝〈上〉 著者: 田中 芳樹 タイトル: 中国武将列伝〈下〉

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  • 26 Apr
    • 水戸黄門とマリー・アントワネット 3

      水戸黄門が実はそんな殿様だったなんて。 伯父さんの言っていることは相変わらず強引だけど、教科書や学校の先生が言ってることと逆なのが面白い。本当かどうかはわかんないけど。 「きつい言い方だけど、アントワネットも光圀も人々のことなど考えず、自分のしたいことをしたんだな」 「それって、伯父さんみたいだね」 「う、あ、そ、そうか? まあ、おいらも好き放題やってるからなあ。 話を戻すと、光圀がその後、将軍に歯向かったということで後の時代の人々の人気を得て、悪い面が忘れ去られたのに対し、アントワネットは革命なんて起こっちゃったから、未だに低い評価しかされていないんだな。 でもね、二人とも決して悪人じゃあないんだよ」 「ええ? さっきと言ってること、違うじゃん。人々を苦しめたんでしょ? 悪だよ、悪」 「光圀はともかく、アントワネットは人々を苦しめていたわけじゃあないよ。彼女は有名人だったんだ。今の皇室の方々と同じさ。やることが報道され、いい風にも悪い風にもとられてしまうんだね。 王妃様の無駄遣いが激しかったからって、フランス王国が滅亡するほどじゃあなかった。本当の無駄遣いは戦争だったんだよ」 「戦争って、お金がかかるんだね」 「ああ、そうだヨ。お金もかかるし、物を壊すし、命を無駄にするだけだから、本当の無駄遣いだね。 戦争や天候不順や、なにより身分社会の矛盾といったことから苦しくなった生活が、王妃のせいにされちゃったんだ」 「何か、可哀想だね」 「まあね。そんなときは身を慎まなきゃいけないんだけど、ソレをしなかったから、いけない。人気がなくなってくるのも当たり前だね。さっきの『パンが無ければ~』を彼女のせいにされたのも、それだ」 「アントワネットにしても光圀にしても、自分たちが悪いことをやっている、という意識は無かったと思うよ。光圀なぞ、逆に立派なことをやっている、とさえ思っていたろうね。反省がないものだからよけい始末が悪いわさ」 「伯父さんにかかったら黄門様も王妃様もぼろくそだね」 「そ、そうかえ? そんなに悪く言ったつもりあ無いんだがね。 ちゃんと評価しているつもりだよ。政治では有能とはいえなかったけど、文化上は後世に大きな影響を与えていると、思ってるよ」 「どんな?」 「そうさな。ハンケチ持ってるか」 「ええ~。そんなん、いちいち持ってないよ」 「まあ、男の子だから仕方ないか。ハンケチは正方形だろ」 「そのくらい知ってるよ」 「正方形になったのもアントワネットがそうしろ、と言ってからだそうだ」 「へえ~」 「彼女のサロンでは華やかな文化が栄えたんだよ。 おお! そうか!」 「何?」 「黄門様と王妃様の誰にでも分かる共通点を見つけたよ!」 「王妃はヴェルサイユにある『プチトリアノン』という離宮が好きで、そこに農村風の庭園を作ったんだ。 光圀もまた、隠居後、西山荘というところに移り住んで、質素な生活を送ったそうだ。 二人とも庶民的な生活にあこがれ、実行したんだね」 後で調べてみたら、光圀の時代は水戸徳川家は25万石しかなかったそうだ。それを無理やり35万石といったのだから年貢も重かっただろう。 でも、反面、西山荘に移ってからは庶民と親交を交えたという話も伝わっている。

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    • 水戸黄門とマリー・アントワネット 2

      水戸黄門とマリー・アントワネット。 諸国漫遊の伝説を持つお爺さんと、断頭台の露と消えた悲劇の王妃。一体どこに共通点があるのだろう? 「水戸黄門は知ってるかえ?」 「ウン。本当は徳川光圀っていうんだよね。歴史書を編修した」 「おお、よく知っているなあ」 コレでも日本の歴史には詳しい方だ。6年生の誕生日に、伯父さんからもらった「まんが 少年少女日本の歴史」を何度も読んだから。ちょっと残念なのはもらったときに既に古本だったこと。でも、ソレでなきゃ伯父さんが全23巻をポンとくれるわけが無いか。 マンガだけど人物の顔なんか、教科書に出てくる絵になるべく似せているところがすごい。それに人物事典や出来事事典がついていて、中学になった今でも十分使える。 「水戸黄門の諸国漫遊てなあもちろん作り話だが、その中に面白いエピソードがあってね。 黄門様が米俵に腰を下ろして、農家のおばあさんにえらい剣幕で怒られるという話だよ」 「そんなの知らなかったなあ」 「まあ、このお話はテレビでは殆どやらないからね。もちろん黄門様は自分の行為を深く反省するんだけどね」 「でも作り話なんでしょう?」 「そうだね。でも、そこには人々の黄門様に寄せる思いが表れているんだね。名君といえども、実際に接しなければ、人々の生活、有様が分からなかった、というね」 「ふ~ん。で、それがどうマリー・アントワネットとつながるの?」 「彼女にも有名なエピソードがあるんだよ。 あの時代、フランスでは社会がすこぶる不安定でね、食料、すなわちパンだね、パンをよこせと騒動が起こった。家来からソレを聞いた王妃様は 『パンが無ければお菓子を食べればいいじゃないの』 と言ったそうだ」 「うわ~~。何か、いかにも無知なお姫様って感じだね」 「もっともコレは本当は彼女が言ったんじゃあない。本当はルイ15世―アントワネットの旦那さん、16世のおじいさん―の娘が言ったそうだよ」 「それがどうしてアントワネットのせいにされたの?」 「ソレはアントワネットが良くも悪くも有名人だったことだね。かいつまんで言えば、無駄遣いの多かった王妃様は当時の国民に人気が無かった。いかにもそんなことを言いそうなイメージを持たれていたんだね」 「わからないなあ。伯父さんは正反対のことを言ってるじゃないか。人々に愛された黄門様と、嫌われたアントワネット。どこがどう似てるっていうの?」 「それはね、二つのエピソードが示すように、二人とも人々の生活なんて気にしちゃいなかったんだ」 「ちょっと待ってよ。黄門様は自分の行いを反省したんでしょ。第一、どっちも事実じゃないって――」 「事実でないにしろ、そういう風に見られていたんだよ。黄門様の場合は時代もずっと下ってできたエピソードだけど、『名君水戸光圀公』の正体に迫っている点で面白い」 「よくわかんないな」 「実際の水戸黄門―徳川光圀がやったことって何だえ?」 「歴史書を編修した」 「そうだね。『大日本史』を編纂した。もっとも、この大作が完成したのは光圀の死後、1906年。明治39年のことだけれどね」 「ふえ~~」 「彼がやったことはすごいことだった。でもね、当時の人々、自分の藩の人々には何の役にも立っていないんだよ」 「でも光圀は名君だよ」 「名君の条件が何かは、人や時代によって違うだろう。光圀の場合は主に ・『大日本史』を編纂し、尊王思想をとなえていたこと ・将軍徳川綱吉に対し、意見を言ったこと の二つが評価されたんだね。綱吉は知ってるだろ?」 「知ってるよ。犬ばかり大事にしたんで、『犬公方』って呼ばれたんだよね」 「ほうほう。なかなかですな。 光圀はその綱吉に対し、犬の皮でできた防寒着を贈ったというよ。それと跡継ぎ問題でワガママを押し通そうとする綱吉をきっぱり諌めたんだね」 「ふ~ん」 「でもその光圀、自分の領地の人々には恨まれていたんだよ」 「ええ? うそでしょ?」 「さっきも言ったことだけど、『大日本史』のような文化上の仕事は、後世の人々の役には立っているけれど、地元の人々を雇って作ったのではないから、当時の人々の食料やお金が増えたわけじゃなかったんだ。事実はむしろその逆で、たくさんのお金がいるから、厳しく年貢を取り立てたんだよ」 「うわ~~、ひどいね」 「光圀は確かに学問を大切にした。でも人々の暮らしについてはあまり考えなかった。米俵のエピソードが光圀の隠れた本質を言い当てていることがわかるだろ」 著者: 児玉 幸多, あおむら 純, 佐原 真 タイトル: 日本の誕生―旧石器(岩宿)・縄文(紋)・弥生時代

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  • 25 Apr
    • 水戸黄門とマリー・アントワネット 1

      僕の伯父、母の兄はかなりの変わり者で、もうかなりの年配なのに結婚もせず、本に囲まれて暮らしている。アリやハチなどの社会性昆虫の飼育もしていて、これじゃあ嫁の来るはずもないと祖父母からも親戚からもさじを投げられている。が、本人はそれを全く気にすることも無く、むしろうるさく言われないのをありがたがっているようだ。そんな変な伯父さんだけど、本ばかり読んでいるせいか、結構いろいろなことを知っている。まあ、すべて受け売りの知識だけど。それでも社会や理科の宿題ではその知識は役に立っている。とりわけ歴史に対するこだわりはなかなかのもので、けっこう強引な決め付けもあるけど、学校の授業よりおもしろくて、伯父の歴史講釈を聞きだすことが僕のひそかな楽しみとなっているのだ。今日も宿題でちょっと手に負えないところがあったので、伯父の好物である、母さん手製のキンピラゴボウを持って訪ねてみた。「コンニチワ」伯父の家は鍵がかかっていないのでいつものように勝手に上がりこんだ。「おう、いらっしゃい」伯父はこちらに背を向け、ねっころがってテレビを見ていた。好きな時代劇かなんかだろう。勝手知ったる他人の家。お土産の入ったタッパーを冷蔵庫に入れ、テレビが終わるまで邪魔にならないように、そこらへんにある本を手に取った。それにしても相変わらずすごい部屋だ。家具らしいものは殆ど無い。本がうず高く積み上げられ、窓辺には土の入った水槽が二つ三つ。コレと同様のものが台所にもある。いずれもアリやらハチやらが入ったものだ。「いつも、ありがとよ」テレビが終わって、自分でいれたコーヒーをすすりながら(ちなみに僕のは牛乳がたっぷり入ったカフェオレだ)、キンピラの礼を言った。これもいつものことだ。「で、今日は何の用だえ?」「うん、学校の宿題でね、イギリスかアメリカかフランスの市民革命について調べて来いってのが出たんだ」「ほう、そうかい。学校はもうそこまで進んだかい」昔塾で中学生を教えていたこともあって、話が早い。余計なことを説明せずに済む。学校の教科書だけを写しても大したボリュームにならないし、先生だってあまり評価してくれないのだ。そういったこともちゃんと心得てくれる。「で、お前さんは何について知りたいんだ、え?」「フランス革命」「そうか、そうか。それならな。。。」つっと立って本の山から4、5冊本を抱えてくると、「いいか、大体この時代ってのはな。。。」それから一時間あまり。「ありがとう、伯父さん。これなら分かりやすいし、面白い。発表したらみんな面白がるよ」「はっはっは。そうかい。そいつあよかったな」「ところでさっきは何のテレビを見てたの?」「ああ、あれあ『水戸黄門』だ」「ふ~ん」水戸黄門は確か江戸時代の前半だ。フランス革命の頃、日本は江戸時代後半。同時代だったら、いつものように伯父の歴史講釈が聞けるのに。そんな僕を見て伯父がにやっとした。「なんか当てが外れたって感じだな、え?」目がいたずらっぽく光っている。これはいけるかもしれない。「でも水戸黄門でしょ。フランス革命とは全然関係がないじゃん」わざと引いてみた。「そうとは限らないわさ。さっき、マリー・アントワネットってのが出てきただろ?」案の定、伯父が乗ってきたようだ。「処刑されちゃった王妃だよね、確か」「そう、よく覚えてるな。そのマリー・アントワネットと水戸黄門はよく似てるのサ」「ええ? ウソだ~」

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    • 影響されやすい私

       アンデルセン生誕200年記念。いわさきちひろさんのイラストが110点も! 著者: アンデルセン, 高橋 健二, いわさき ちひろタイトル: ぼくのものがたり―アンデルセン自伝スミマセン、興奮してしまいました。私にとってアンデルセン、高橋健二さん、いわさきちひろさんとくればそりゃもう、古の  巨人、大鵬、卵焼きに相当するんです。本当。中学生のときヘッセに読みふけっていましたが、これが高橋訳。アンデルセン、いわさきちひろは幼児期から親しんできた存在でした。表紙にはお母さんのエプロンの下で一人空想にふける少年ハンス・クリスチャンが描かれています。この情景は「自伝」に書かれているもので、福音館版の童話集(全3巻)挿絵を描いたオルセンさんも3巻の解説に掲げられています。私は主体性がないのか、読む本に影響されることが結構あります。アンデルセンの生涯もまた然りで、その辛く悲しい経験を、美しく優しい作品に昇華させた才能には強くあこがれました。なので恋愛もプラトニックなものを求め、いや、それ以前に悲恋を求めていた時期があります。。。。女性にもてないことの言い訳かもしれませんが。高校時代、青池保子さんの漫画『エロイカより愛をこめて』にはまって、それ以来ゆでたジャガイモが大好きになり、アンダーシャツにランニングを着ることはなくなりました。ええ、そういう描写が出てくるんです。中学時代、司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』を読んで、ご飯粒をわざとぽろぽろこぼしたりしたものでした。歴史小説や時代小説は好きで、題名は忘れましたが、血判の押し方を説明してあったものがあって、自分でもやってみたものです(友人に見せたら「チョコレートだろ」と言われました)。『あしながおじさん』を読んで、日記に詩を書いたり、『アンネの日記』に影響され、自分の日記に「十三郎」という名前をつけたりしました。小学生のとき、ドリトル先生にあこがれ、動物語を研究しようと、飼っていたコオロギの表情を必死で読み取ろうとしました。。。まあ、こんなことは他にもいくらでもありますが、大きな影響を与えたものとしてはアンデルセンと『徒然草』でしょうか。著者: 吉田 兼好, 西尾 実, 安良岡 康作タイトル: 新訂 徒然草殆どの中学生の国語の教科書に『枕草子』、『徒然草』が載っていますよね。中学時代の私は理屈っぽい方でしたから、清少納言の感受性に憧れたり共感したりはせず、兼好法師のやや辛口な物事の考え方にもろに影響を受けました。中学生に『徒然草』はちょっと危険なんじゃないかな、と今でも思います。『枕草子』だけで十分じゃないかと。むしろ高校生に読ませたほうがいい。高校で『源氏物語』をやって古文嫌いを増やすより、『徒然草』をやって、いろいろなことを考える機会を与えた方がいいんじゃないか、と思っています。まあ、古文の教材は内容ももちろんだけど、文法なども絡んでいるので簡単には決めれないですけどね。今振り返ってみると、中学時代の私は「分かったつもり」になっていた部分が多大にありました。徒然草の表面しか理解できず、物事に対して素直に感じずに、「でもね、別の見方もできてね」なんてひねたものです。それでも幼いなりに作品世界を理解しようとし、作者にシンクロしようとした経験は今に生きています。アンデルセンと兼好法師。私がつよく影響を受けた二人です。

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  • 24 Apr
    • !! 画像が変わっている?

      いやあ、びっくりしました。過去の記事、アンデルセン童話集 ルビ訳にコメントを寄せていただいた方がいて(ありがとうございます)、レスを書くためにも一度その記事を読んでみたんですが。。。何だ? この画像は? 表紙もタイトルも違う~~こんなのを貼っつけた覚えは無いぞ~こりゃまた「リニューアルに伴う不具合」かと思いきや、さにあらず。件の画像はAmazon Webで貼り付けたものでしたから、本自体の表紙とタイトルが変わっちゃったので、それが反映されたのですね。アメブロ事務局さん、ゴメンナサイ。それにしてもなかなかすごいではありませんか。確かに記事を読んでみて、画像をクリックしたときに  絶版です。または  そんなURLありません。なんて出たら困っちゃいますものね。でも、でも自分の持っているものと全く違う表紙&題名になってちょっとびっくり。それに私は著者名と書名を記事のタイトルにしているのでちょっと困った。困ったけど。。。記事のタイトルはそのままにしておきました。 

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  • 23 Apr
    • ロボの写真

      ↑クリックしていただくと大きな画像がご覧になれます。パンフレット11ページには他に、わなにかかったロボの写真や、その時使われたわな、ロボが噛み千切った投げ縄なども載っています。 上段ディズニー映画「狼王ロボ」の各シーン。左写真はロボと愛妻の黒狼、ソンブラ(!)下段シートンがロボ捕獲時に持っていたライフル。銃口近くにロボの歯型がついています。

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  • 22 Apr
    • ロボの毛皮

       ↑クリックすると画像が大きくなります以前、「シートン展」の記事で言及したロボの毛皮の写真です。シートン展のパンフレット11ページに載っているものです。大きさは160センチほどだったそうです。 見上げる位置に展示してあったので、また、私が子供だったということもあり、もっと大きく見えましたが。

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    • 8代 徳川宗勝  宝暦治水1

      ↑画像をクリックすると大きくなりますこのコーナー「尾張徳川十七代」は。。。名古屋人は普段は節約しているのに、いざという時は派手! そんな気質の原因を江戸時代の名古屋の殿様にからめて考察していくコーナーです。宝暦治水の話にゆく前に、宗勝の子供たちの養子先、嫁ぎ先を系図にまとめました。公家の九条家や浅野、上杉といった大身の外様大名と縁付きになったことが分かります。ただ、島津家だけは縁がなかったようで、島津宗信の許婚、房姫は婚姻なる前に17歳で亡くなってしまいました。また、浅野重晟室となった邦姫も、はじめは島津氏に嫁ぐ予定でしたが、今度は宗信が婚姻前に亡くなってこれもボツ。これで島津と徳川の縁がうすくなり、宝暦治水の遠因となるのです。江戸幕府とは世界史上類を見ない奇妙な政権でした。内政と外交、貿易を一手に引き受けながら、その長は今で言う国家元首ではありません。征夷大将軍とは天皇より任命される役職でしたから、実質日本国王となっても、形式上は朝廷の臣下でした。また諸藩の内政には不干渉でしたが、全国レベルの行政を行いながら、その収入は自分の領地(天領)より上がる年貢を主とし、他の大名やその領民から税をとる権限はありませんでした。(吉宗時代の一時期、「上げ米」と称して1万石あたり100石を上納させましたが、これは一時の例外で、期間も8年と短いものでした)自領のみの収入で全国の行政サービス、インフラ整備をしなければならない。ただでさえ赤字の幕府財政、まともに対処していたらペリー来航を待たずして幕府は崩壊していたでしょう。それゆえ幕府はしばしば「お手伝い普請」として、諸大名にそれらを実施させました。諸大名にしたらたまったものではありません。こちらもただでさえ苦しい財政事情なのに、縁もゆかりもない土地の普請や治水工事をさせられるのですから。それゆえ諸大名は競って幕府閣僚に取り入り、情報網を張り巡らし、なんとか「お手伝い普請」を免れるよう努力をしたのです。諸藩江戸屋敷、江戸家老の大きな役割は実にこの一事でした。薩摩藩島津家は常に幕府の仮想敵国として、厳しい警戒の目を向けられていました。一方で何とかして縁付きになろうと、政略結婚も盛んでした。5代将軍綱吉の養女竹姫が改めて吉宗の養女となり嫁いだのは5代藩主、島津継豊。しかしこれは半ば強引に押し付けられたといってよく、継豊には既に嫡男宗信がおりましたし、竹姫も当時26歳、この時代ではすでに薹が立っておりました。さらに彼女には吉宗が想いを寄せていたらしいと、なかなかいわく付の女性でありました。そのため、島津側は竹姫に男子が生まれても後継にはしない、という条件をつけました。そんなこんなでやっと実現した竹姫の婚姻ですが、まがりなりにも将軍家の姫君を迎えるのですから、島津側の出費は大変なものでした。そんないきさつがあったものですから、尾張家との婚姻が成り立たなかったことに胸をなでおろす家臣もいたとか。しかしこれが後々大きなツケとなって島津家に襲い掛かるのです。 

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  • 21 Apr
    • 8代 徳川宗勝  中興の名君

      ↑クリックしていただくと大きな画像で見られますこのコーナー「尾張徳川十七代」は。。。名古屋人は普段は節約しているのに、いざという時は派手! そんな気質の原因を江戸時代の名古屋の殿様にからめて考察していくコーナーです。宗春の跡を継いだのは分家の松平義淳(よしあき)。家督相続後、将軍吉宗から一字をもらい、徳川宗勝と名乗りました。彼は宗春や吉宗に劣らぬ幸運な巡りあわせで61万9500石の大名となったのです。はじめは尾張家分家、川田久保松平家に生まれ、父の死後、跡を継ぎます。このときの名は松平友淳(ともあつ)。友淳の友は6代藩主継友からもらいました。そもそも尾張徳川家には二代藩主光友のたてた三つの分家がありました。名乗りは皆松平でしたが、それぞれの江戸屋敷の所在地名をとって、次のように呼ばれました。(略系図参照;ちなみに御三家の分家を「御連枝」といいます)・四谷松平家3代藩主綱誠(つななり)の同母弟、義行の家系で、後に美濃(岐阜県南部)高須にて3万石の大名となったので、一般には高須松平家と呼ばれています。・大久保松平家光友の長男でありながら、側室の子供であったため三男とされた松平義昌の家系。奥州柳川(福島)にて3万石を領しました。義昌の孫、義真(よしざね)が17歳で跡継ぎなく死んだため、3代藩主綱誠の子、松平通春(みちはる)が跡を継ぎました。が、通春も1年で尾張家を継ぐこととなり、この家系は断絶しました。この通春こそ、徳川宗春です。・川田久保松平家光友の11男、友著(ともあき)の家系で、その子友淳が高須松平家を継いだために二代で絶家となりました。さて、友淳は1732年、28歳で同じ尾張家分家の高須松平家を継ぎ、義淳と改名します。この高須松平家は尾張家の分家の中では唯一幕末まで続いた家系で、幕末には天下に名をとどろかせることになるのですがそれはまた後のお話。その後1739年、以前に申しましたように宗春の隠居・謹慎の跡を受け、35歳で尾張徳川家の当主となりました。身代が大きくなってゆくたびに改名する様はまるで豊臣秀吉のようですね。・秀吉木下藤吉郎秀吉→羽柴筑前守秀吉→豊臣秀吉・吉宗松平頼方(部屋住み→越前葛野3万石)→徳川吉宗(紀伊55万石→8代将軍)・宗春松平通春(部屋住み→奥州柳川3万石)→徳川宗春(尾張61万9500石)・宗勝松平友相→松平友淳(川田久保家1万石)→松平義淳(美濃高須3万石)→徳川宗勝(尾張61万9500石)藩主就任後は宗春の赤字財政、幕府との軋轢という遺産を受け、よく頑張りました。幕府も宗春後の尾張家との融和を積極的に図りました。宗勝には15男10女、あわせて25人の子女が生まれ、そのうち10男6女が無事に育ちました。男子は各大名家や上級家臣の養子に、また女子は上杉や島津、水戸分家の松平といった大名家に嫁ぎました。これによって宗勝の発言力も増しました。そして、名古屋(おそらく鹿児島も)の小学生なら誰でも習ったことのある木曽三川の「宝暦治水」が行われたのです。

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  • 20 Apr
    • 法月綸太郎 「死刑囚パズル」

      名作か迷作か。。。敷居の高い作品 著者: 法月 綸太郎 タイトル: 法月綸太郎の冒険 両大戦間のいわゆる本格派黄金期、日本でも人気の英米ミステリの大御所、クリスティ、クイーン、カーがデビューしています。 アガサ・クリスティ   1920年『スタイルズ荘の怪事件』 エラリー・クイーン   1929年『ローマ帽子の謎』 ディクスン・カー    1930年『夜歩く』 人の好みはさまざまで、上記3人についても誰の作品をはじめに読んだかで結構嗜好が分かれるものです。ちなみに私はクリスティの『そして誰もいなくなった』(1939年)がホームズ以外の海外ミステリ初体験でした。で、それ以来のクリスティ・ファンです。 友人にはカーのファンが多く、その密室談義を幾度と無く聞かされたものです。 法月さんの作品は主人公の名探偵が法月綸太郎、その職業が作家、その父親が警視、といったようにあきらかにクイーンを模しています。 このクイーンを模しているところが法月さんの面白さでもあり、同時にとっつきにくさでもあるんですよね。 読者にはクイーンなんて知らないよ、という人もたくさんいると思います。そういう人たちにとってはこの作品スタイル、こだわりはとっつきにくいんじゃないかと。 で、問題の「死刑囚パズル」なんですが、これはクイーンというよりヴァン・ダインの『ビショップ殺人事件』を連想しました。刑務所内で、死刑執行前に死刑囚が殺される、というかなりショッキングな事件ですが、場所も時も限定され、ダイナミックな動きは無く、探偵がワトスン役と事件関係者の間を歩き回って、証言をもとに推理してゆく。 ですが私は一言いいたい。 この作品には致命的な欠陥があるぞ~!! 犯人は●●だけど、推理せずとも●●●の段階で分かっちゃうのだ~!!! わざとこむずかしくしているだけだぞ~!!!! ふぅ。法月作品は疲れますね。 著者: ディクスン・カー, 井上 一夫 タイトル: 夜歩く 著者: エラリー・クイーン, 井上 勇 タイトル: ローマ帽子の謎 著者: アガサ クリスティー, Agatha Christie, 矢沢 聖子 タイトル: スタイルズ荘の怪事件 著者: アガサ クリスティー, Agatha Christie, 清水 俊二 タイトル: そして誰もいなくなった

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  • 19 Apr
    • 日中韓の未来  勝『氷川清話』と福沢「脱亜論」

      歴史は繰り返す。今こそ歴史に学ぶときです! 中国で反日デモがやまず、韓国もまた中国、北朝鮮よりの外交になってきて、東アジアでの日本の立場は誠に難しいものとなってきました。 日本は、日本人は今真価を問われています。 目先の利益に流され、今現在のみの安泰を求めて問題を先送りにしてきたツケを払うときがやってきたと思います。 私個人の感情では、教科書の記述にしろ、靖国神社参拝にしろ、 「日本国内のこと。あれこれ言うのはやめてくれ。ならばあなた方の国の歴史教育、教科書、報道はどうなんです?」 と突っぱねたいところ。ですが、過去の日本のとった行動を考えればあれこれ言われるのも仕方ありません。 日本は敗戦国なのですから。「終戦」という言葉で置き換えるなんてごまかしはやめましょう。戦争に負けた国があれこれ干渉されるのは歴史上めずらしいことではありません。 もちろん、過去日本がアジア諸国に対して犯した罪も反省しなければなりません。しかし、国家の罪とはなんでしょうか? 過去は清算できるものなんでしょうか? 違いますよね。現状を見れば分かります。 平和のイメージのあるバチカンは中世幾度となく人々の血で手を汚してきたし、イギリスはアヘン戦争という暴力団そのものの手口を使って侵略を行いました。大なり小なり殆どの国が血塗られた歴史を持っています。だからといって、バチカンやイギリスに謝罪を求める声はないとは言いませんが、大きくはありません。過去を忘れるわけではないけれども、こだわっていては一歩も動けないからです。 このような過去の罪、謝罪、清算、といったことにこだわると 「韓国はともかく中国だって周辺諸国を侵略してるじゃないか。現在でもチベットを武力で占拠しているじゃないか」 「ODAだってたくさん出してるじゃないか」 なんて気持ちがむらむら湧いて来て素直になれない。 「どこまであやまればいいの」 というマイナス思考におちいってしまう。 日本は敗戦国なのです。中国は戦勝国であり、韓国は敗戦国日本から独立を回復した国。 戦後60年たっても日中韓の外交でこの認識は変わってません。 だから日本の外交は腰砕けとなる。そう映る。 序列を述べれば上から順に中韓日。これ、古来の中華思想とピッタリ。 むしろ近代、日本が中韓より上にあったのが異常なのです、歴史的には。 でもそろそろ認識を新たにしなくてはなりません。三国とも。もちろん、もう一度戦争をやって序列を決めるなんて事はしてはいけない。それでは不幸な歴史の繰り返しになってしまいます。 19世紀後半から欧米列強がアジアに襲い掛かりました。その中にあって、勝海舟は「一大共有の海局」を掲げ、広く人材を集め、幕府、雄藩を超えた日本の海軍建設を図りました。これが有名な神戸海軍操練所(塾頭 坂本竜馬)です。更に勝は日本、清、朝鮮で欧米に当たる三国同盟まで思い描いていたのです。 不幸にも彼の意図した「日本の海軍」は幕府につぶされ、「三国同盟」もまた実現に至らず、明治政府は全く反対の道を歩んだのですが。 勝は明治32(1899)年まで生きています。征韓論論争が明治6(1873)年、日清戦争が明治28(1894)年ですから、現実が自分の理想とかけ離れてゆくのをつぶさに見たことになります。 実際勝は日清戦争には反対でした。戦勝で沸き立つ中、ひとり危機感を強めていました。同胞が食い合うの愚を人々に語りました。それはこの『氷川清話』にも書かれています。 (ちなみに征韓論については当初、沈黙を守っておりました。盟友であった西郷の真意がわからず、徒に批判するのを避けたようです。西郷の死後、「征韓論は武力征伐ではない」との解釈を彼はとっています) 一方で福沢諭吉は明治18(1885)年時事新報に社説として「脱亜論」を発表しています。 「西洋の文明国と進退を共にし、その支那、朝鮮に接するの法も、隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず」 と、日本の独立を維持するためには西洋文明を積極的に取り入れ、近代化に背を向け、身分制度をよしとする儒教文化にこだわるの愚を説いています。 ただ、これは後年誤解されるような侵略主義を説いたものではありませんでした。福沢はその前半で西洋文明を最上のものではないと言っていますし、何より彼は朝鮮の近代化を強く望んでいました。 ここが大切なところなのですが、福沢が『脱亜論』を書いたきっかけ、日本が「脱亜入欧」をとなえ欧米列強に組みすることになったきっかけは朝鮮及び清の動向に絶望したからでありました。現在の状況とよく似ています。 前年の明治17(1884)年に朝鮮国内でクーデタが起こり、開化派の政権が誕生しましたが、清の武力干渉により、もろくも潰えてしまったのです。 「朝鮮はもはや自力で近代化することあたわず」 福沢は開化派を援助していましたのでこの敗北はかなりこたえたようです。 福沢の意図がどうであれ、この『脱亜論』がその後の日本の侵略を肯定するとられ方がなされたのは事実です。そして勝の日本・清・朝鮮同盟構想はついに日の目を見ることはありませんでした。 今中国・韓国での動きを見るたび、近代日本の分岐点となった上記の出来事を思わずにはおれません。 徒に反発することなく、今こそ冷静に事に当たらねばなりません。絶望からまた「脱亜」の道をとるか、過去を学び未来を見据え、対等な関係を結ぶことができるか。 今からの少なくとも5年から10年は辛抱しなければなりません。 著者: 勝 海舟, 江藤 淳, 松浦 玲 タイトル: 氷川清話

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  • 18 Apr
    • 浦野啓子, 松尾友子 『社会人ことば見習いBOOK』

      敬語の基礎。でも教えられてなければ使えません。人が、自分の意思、思考、感情を伝える方法はさまざま。詩、音楽、美術、体育などの芸術。ファッション、しぐさや表情。今流行の顔文字なども、端的ですが、その分かりやすさゆえ広まっているのでしょう。しかしより広範囲の人に伝えるには今も昔も言葉がもっともポピュラーでしょう。もちろん、人をその外見や言葉だけで全てを判断するのは正しくありません。それでも身なりや言葉遣いはその人の主体的な表現なのですから、それで判断されることに不満を持つのはやはり甘いと言えます。もちろんこれは公的な場所においての話であり、私的な場所で何を着、何を話そうがそれはその人の自由です。このインターネットという場でも然り。いえ、むしろ言葉が大部分を占める世界ですから、よりシビアでしょう。更に手書きと異なり、簡単に言葉を表現できるので一つ間違えれば取り返しのつかないことにもなりかねないでしょう。もちろん、ネットの世界でも文書を推敲してから発表する人も多いと思います。一方でその匿名性を利用しておのが表現を悪用する人も、悲しいかな、少なからず存在します。言葉は時に何よりも強く他人と自分を傷つけてしまうものですね。私も注意したいと思います。普段から使っている日本語。それゆえ「なおざりの心あり」という状態になってはいまいか。そんな反省の意味もあり、「社会人ことば見習いBOOK」を購入。巻頭、バーナード・ショウの次の言葉が私の心に突き刺さります。人間の価値は、話す言葉によって決まる。いや、ごもっとも。なかなか痛いことを仰る。私のうだうだ長い言い回しよりもよほどスマートで決まっているではありませんか。本書は新社会人向けに編まれたものですが、使いこなしていると思っていても体系立てて学びなおすのもよい経験になるのでは。「はい」から始まり「拝受」「拝借」にいたる120のフレーズがページごとに簡単に紹介されています。現代っ子、若者たちは礼儀、言葉遣いがなっちょらん! とお嘆きの方もいらっしゃるかと思います。けれども非常に人間関係に気を使い、必要と感じれば、納得いけば、きちんとけじめをつける子もたくさんいます。むしろ年をとって横着になった私の方が礼儀知らずになってはいまいか。この本でもう一度、勉強しようと思います。著者: 浦野 啓子, 松尾 友子タイトル: 社会人ことば見習いBOOK

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  • 17 Apr
    • The Witch Who Was Afraid of Witches

      やはり魔女と言ったらこういう顔なの?著者: Alice Low, Jane Manning, Jane K. Manningタイトル: The Witch Who Was Afraid of Witches (I Can Read)ウェンディは魔女のくせに魔女が恐ろしい女の子。なぜなら二人のお姉さんのようにほうきに乗って速く飛べないし、強力な呪文も使えない。恐ろしげな声で笑うこともできないし、暗闇が怖い。しまいには自分のほうきを失くしてしまう始末。劣等感のかたまりなんです。そんな彼女がハロウインの夜、人間の男の子ロジャーと知り合って自分の秘められた力に気づきます。魔女の子供でも人間同様、さまざまな悩みがあるんですね。それにしても、なかなか可愛いイラストではありませんか。表紙中央、羽ペンを持っているのが主人公のウェンディ。窓越しに覗いているのが二人のお姉さんで、右側の紫のフードをかぶったのが上のお姉さんポーリー。赤毛の魔女が二番目のお姉さんのウォグです。みんな緑色の皮膚で、とがった鼻。イボがふたつ出ています。そういえば 『オズの魔法使い』(映画)にも同じような顔をした魔女が出ていました。邪悪な西の魔女です。とんがりぼうしといい、ザンバラ髪といい、このイラストとそっくり。いや、映画は1939年ですから、イラストの方が映画にそっくり、と言わねばならないのでしょう。欧米の邪悪な魔女のイメージがこうと決まっているんでしょうか。もちろんウェンディは邪悪でも恐ろしくもありません。二人のお姉さんも含め、かわいらしくほのぼのしてしまうイラストです。同じいでたちでも描きようによってぜんぜんイメージが違ってくるんですね。この"An I Can Read Books"は本を読み始めた子供向けのシリーズで、語彙力により、段階も4つに分かれています。いずれも全ページカラーイラスト入りで内容もおもしろく、楽しく英語を学ぶことができます。タイトル: オズの魔法使 特別版

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