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今回は、サンデル教授の

講義 4 Lecture 7  4-1部
JUSTICE  第4回
「国ができる前の正義を考える
土地の略奪に正義はあるか?

「同意と契約によってつくられた公平さ」
ハーバード大学:サンデル教授:白熱教室

ジョン・ロックや自然権について
自由原理主義(リバタリアン)
との比較などについて紹介します。


サンデル教授の
テーマに沿っての質疑の仕方を身に着けて、

それぞれの正義について話し合っていきましょう。
正義のない所に自由は存在しません。

 

今回のサンデル教授の講義は、
 講義4 Lecture 7 4-1部
「国ができる前の正義を考える
・土地の略奪に正義はあるか?
について考え学んでいきます。

※講義は、
アメリカインディアンと西洋文明の間で
進められますが、

日本では、
第二次世界大戦後の
日本を民主化するうえで、
戦中まであった日本的農奴制など
排除しました。

農民の自由権のために
土地所有権の確立など、
正に、国が一から作られました。

その他、このときの土地に関して
民主化(自由権)の為の憲法制定に、
重要な関わりがあった考えの一つです。

その考えは、最近の、竹島、尖閣諸島、
南沙諸島などの土地に関して、
国内や周辺地域、国際的での、
正義判断する上で
大変重要な考えの学びに
つながってゆきます。

Lecture 7  ・  4-1部
「国ができる前の正義を考える
・土地の略奪に正義はあるか?」
Lecture  8  ・  4 - 2部
 「同意と契約によってつくられた公平さ」
の構成になっています。

※ビデオ内では、
Lecture7・4-1部、~24分頃まで
Lecture8・4-2部は、24分頃から始まります。

今回は、Lecture 7
・4-1部
日本語訳を紹介しています。


サンデル教授の講義を参考に、
さまざまな正義について話し合ってみましょう。

**********************

すでに、裁判所の判決に、
民間から判決の判断に参加する事になっていたり、
選挙権は、18歳からや
来年からは、小学、中学へと段階別に、

 社会正義(公正・公平)の勉強が始まったり
市民レベル、各自治体などでも
国民の自由を高めるために、
積極的な、社会正義の学びが進行中です。

公正・公平・社会正義教育開始のニュース
正義を重んじ公正・公平な社会を(文部科学省)
公正公平社会正義教育実行まで,
このような準備がされました。
(国立大学法人 東京学芸大学)


各校・地域取組例
H26防府市立松崎小学校
H26柳井市立新庄小学校
【学校必修】として扱っている指導計画例

多様な教育課題に対応した(東京都)
など、、、

そこで、今回は、
数年前、NHKEテレで大変話題となりました。
ハーバード白熱教室
マイケル・サンデル教授の講義を準備しております。

 

マイケル教授の講義を見ていますと、
正義と言う
難しいテーマを
質疑の中で、

隠れている個々の正義を
対立する考えや擁護する考えなど、

学生の意見をうまく引き出しながら、
教授と学生たちが一体となり、
正義についての講義が進められます。

面白く、わかりやすく、
白熱して来る質疑に、
わくわく興味を深々と魅かれていきます。

次第に、
日頃、良きことだと信じていた、
隠れている理性
(当前の事、普通の事など)の不安
を明らかにされ、
深く考えを進められます。

それぞれの正義を導き出す
考え方、質疑の進め方
(マナー)などが
次第に養われ、
正義の根本に迫っていきます。

正義を考える上で、
必要な知識や考え方が
自然と入ってきます。

1講義、おおよそ1時間が、
あっという間に過ぎてしまう。
もっと聞きたくなる、
もっと参加していたくなる、
そんな講義です。

サンデル教授の質問に、
あなたなら、どう答えますか?

講義に参加してると思って
一緒に考えてみてくださいね。

自分で使えそうだと思えば、
どうぞ、遠慮なく日常でも、
どんどん取り入れていきましょうね。

*************

正義と言うと、

アニメや時代劇に出てくる
正義の見方〇〇登場のように、

悪事を働く悪人を退治する
絶対的な正義のヒーローを

つい連想してしまいますよね、

でも、

実は、違います。

正義は、一つではありません。

人間には、様々な考えがあり、
それぞれに正義があります。
73億の人がいれば、
73億人個々一人一人に正義があります。

 

自分にも、相手にも、すべての人に、
ゆずれない正義がある事を認めましょう。

正義と正義が対立している時は、
互いの正義がある事を認め合いましょう。

お互いの平和や
良き関係を保ったり、築いたり
お互いの更なる幸せを追及するために、

お互い相手に、敬意や尊厳を表し、
正しい知恵、忍耐、勇気、寛容さを持ち、

協議し合い、優先順位を考えてゆき、
隠れている理性を明確にしながら、

互いの共通する正義、又、
より良き方向性への正義を
生み出す事が必要になります。

その時に注意を払わなければならない、
基本となる代表的な派として、
3つの正義の派があります。


3つの正義

1、結果重視
2、自由重視
3、人生の生き方・美徳の重視

より良き
1、社会として幸福の結果を求めて、
(結果の正義を重視)
wikipediaより
ジェレミ・ベンサム
ジョン・スチュアート・ミル

幸福と苦痛とのギャップを最大限の
結果を目指します。

全体の幸せを最大化・
苦痛を最小化
それぞれの結果を目指します。

2、人間として公正と自由を求めて、
(自由の正義を重視)
wikipediaより
ロバート・ノージック
ジョン・ロック
イマニエル・カント
ジョン・ロールズ

誰もが人として権利を尊重される事を目指します。

個人の権利を最大限、
の実現へ、

権利の犠牲は最小限、
の実現を目指します。

3、生き方として善や美徳の正義を求めて、
(人生や社会の理想の正義を重視)
wikipediaより
アリストテレス
マイケル・ウォルツァー
マイケル・サンデル

人として正しい生き方とは?
社会のあるべき姿とは?
理想の正義を目指します。

それぞれを追求、区別することで、
議論をより明確にし、
よりよい結論をめざしていきましょう。

*****************

ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の
哲学の講義12回24部の中の

Lecture1、講義1-1部
・想像編(THE MORAL SIDE OF MURDER )

Lecture2、講義1-2部
・実践編(THE CASE FOR CANNIBALISM

Lecture3、講義2ー1部
(PUTTING A PRICE TAG ON LIFE)
Lecture4、講義2ー2部
HOW TO MEASURE PLEASURE

Lecture5、講義3ー1部
(FREE TO CHOSE)
Lecture6、講義3-2部
(WHO OWNS ME?)


に続き、今回は、
Lecture7、講義4-1部
「個人の権利をどこまで認めることが公平か
(土地の略奪に正義はあるか?)」

を日本語へ翻訳しています。
※動画の下に紹介しています。

※ Lecture8・講義4-2部
 「同意と契約によってつくられた公平さ」
は、 (只今、編集中です。暫くお待ちくださいませ。)

******************

それでは、サンデル教授の
素晴らしい講義を
お楽しみください。


※ビデオ内の講義内容は、英語ですが、
ビデオの下に、日本語へ翻訳されています。
一緒にお楽しみください。
ビジュアルレクチャー

ハーバード大学
マイケル・サンデル教授


Lecture07
THIS LAND IS MY LAND
Lecture08
WHO OWNS ME? 


時間:54:59


要点

JUSTICE 第4回
「国ができる前の正義を考える」
「同意と契約によってつくられた公平さ」

ハーバード大学:
サンデル教授:白熱教室

Lecture 7 ・ 4 - 1
「国ができる前の正義を考える」

ジョン・ロックは、
民主的に、
選ばれた政府であっても、

政府が覆せない、
ある種の個人の基本的な
権利が存在するとした。

その権利は、
生命・自由・財産に対する 
「自然権
」だ。


自然権を考えるには、

政府ができる前の状態、
法律ができる前の状態を
想像する必要がある。

その状態を、
ロックは「自然状態」と呼んだ。
自然状態は、
自由で平等だが、

好き勝手に
行動することとは違い、
ある種の法も存在する。

それを「自然法」と呼ぶ。

自然法の元では、
私たちは、
他の人の
生命、自由、財産を
取り上げることはできないし、

逆に、
自分自身の
生命、自由、財産を
取り上げることもできない。

なぜなら、
自然権は、
不可譲なものだから。

ロックの理論では、
政府誕生前から、

私有財産を
保有する権利を
持っていたことになる。


それは、
自然法で、
不可譲だが、
自己所有があり、
自分の労働も、所有している。

労働は、財産であり、
所有されていないものに、
私の労働を加えると、
それは、私の所有物になる。

しかし、
その所有物を守るために、
我々は、自然状態を離れ、

多数派や人間の法のシステムに
支配されることに同意して
社会に入り、政府をつくる。

しかし、そもそも、
何をもって所有権とするのか、

そして、
その所有権を定義するのは、

政府なわけだが、
これは矛盾しているのではないか。

次回も、
ロックについて考えるとして、
講義は終了する。



※youtubeの字幕を(英語)で見る場合 動画をPLAYして、動画内右下の または  (字幕)を
クリックして下さい。
詳しくは字幕の オン / オフ の切り替え方は、こちらへどうぞ。



Lecture 07
「国ができる前の正義を考える」

ジョンロック

今日はジョン・ロックを取り上げる。
一見したところ
ロックは、
市場原理主義者、
リバタリアンの強力な味方だ。

まず、彼は、今日の
リバタリアンが主張しているように、
ある考え方を信じていた。

それは、例え、
代理政府や民主的に
選ばれた政府であっても、
政府が覆せない、

ある種の個人の
基本的な権利が存在する、
というものだ。

それだけではなく、
彼はそういった基本的な権利には、
生命、自由、財産に対する「自然権」が、
含まれていると信じていた。

さらに彼はこう論じている。
財産権は、
単なる政府や法律の創造物ではない、と。

財産を保有する権利は、
政治以前のものである
という意味で「自然権」である。

それは、私たち、
一人一人が人間として、
本来持っている権利であって、
政府が登場する前から、そして、

議会や立法者が法を制定して、
権利を手にする前から存在したものなのだ。

ロックは自然権を持つというのは、
どういうことか理解するためには、

政府ができる前の状態、
法律ができる前の状態を
想像してみる必要があるという。

彼は、その状態を「自然状態」と呼んだ。

彼は、自然状態は、自由な状態だと言う。
人間は自由で平等な存在だ。

王様に生まれる人も入れば、
農奴に生まれる人もいる。

というのは間違った考え方で、
私たちは、あくまで自由で平等なのだ。

それでも、彼は、自由であることと、
好き勝手に、行動することは、違うと主張した。

なぜなら、自然状態であっても、
ある種の法が存在するからだ。

それは、自然法と呼ばれるもので、
立法者が制定するようなものではない。

この自然法があるから、
私たちは自由であっても行動は制約される。

では、どんな制約があるのか。

自然法により、制約される行動とは!
私たちの誰もが持っている権利、

つまり、自然権を自ら手放すことだ、
または、他人から取り上げることだ。

自然法の元では、私たちは、
他の人の生命、自由、財産を
取り上げることはできないし、

もちろん、
自分自身の生命、自由、財産を
取り上げることもできない。

私たちは自由であっても、
自然法侵害する自由はない。

自分の人生を取り上げる自由も、
自分を奴隷として売る自由も、
誰かに、
自分を支配する
絶対的な力を与える自由もない。

君たちからみれば、
最低限の制約かもしれないが、
なぜそのような制約があるのか。

ロックはこうした疑問に対して2つの答えを出している。

人間は、すべて、
唯一神 全知全能なる創造主の作品であり、
彼の所有物にあって他の誰のためでもなく、
彼が喜ぶ限りにおいて
生存するようにつくられている。

つまり、我々が、
生命、自由、財産の自然権を
手放すことができないのは、
厳密には、それらは、自分のものではないからだ。

結局、我々は、神の創造物である。
そして、神はより大きな財産権、
優先される権利を持っている、
というわけだ。

しかし、神を信じないものは、
この答えに納得できないかもしれない。

彼らにはどう説明すべきだろう。

ロックはここで人々の理性に訴えた。
こういう考え方だ。

自由であることの意味をよく考えれば、
それが望むことの何でもしていい、
という意味ではないことはおのずとわかってくる。

このことを意味するロックの言葉が

「自然状態には それを統治する自然法があり、
なに人もそれに従わなければならない。

その法である理性は、人類に、
すべての人は、平等で独立しており、

他人の生命、健康、自由または財産を
害するべきではない」
と教えている。

これはロックの権利についての
説明の不可解で矛盾する
部分につながる。

ある意味わかりやすいが、奇妙な考え方だ。

彼は、私たちの自然権な
不可譲のものと言った。

不可譲とは、どういう意味か?

あげてしまったり、取引したり、
売ったりすることができないということだ。

例えば、航空券は譲渡できない。

NFLのペイトリオッツやメジャーリーグの
レッドソックスのチケットもそうだ。

人にあげられないチケットは不可譲だ。

私は、そのチケットを
自分で使うことはできるが、
売ることはできないという

限定された意味で所有されている。

だから、
ある意味で不可譲の権利、
譲渡できない権利の元で、

私が所有しているものは、
完全には私のものではない、
とも言える。

しかし、不可譲の権利を
別の意味で考えると、

特に、生命、自由、財産の場合では、

原理が不可譲のものであれば、
それだけ深く完全に私のものになる。

それがロック言うところの不可譲だ。

トーマス・ジェファーソンは、

アメリカ独立宣言に、
ロックのこの考え方を活かした。

アメリカ国民には、

生命、自由、そして、
幸福の追求に対する
不可譲の権利がある、

というものだ。

不可譲の権利とは、
本質的に、自分だけのもので、
誰にも渡すことのできないものである。

政府が、存在する前から私たちが、
自然状態で持ち合わせている権利だ。

私た ちは、他人の命を取り上げることや
奴隷にすることができないように、
自分の命を奪うことも、
自分を奴隷として売ることもできない。

では、財産の場合はどうだろう。

ロックの理論では、私たちは、
政府が存在する前から、
私有財産を保有する権利を持っていたことになる。

しかし、政府がない状態で私有財産が
発生することなど、ありえるだろうか。

それに対するロックの答えは27章にでてくる。

人は誰でも、自らの一身に対する所有権を持っている。

これに、ついては、彼以外の何者も権利を所有しない。
彼の身体による労働、手による仕事はまさしく
彼のものであるといってよい。

そして、ロックは、
リバタリアンと同じような論理を展開した。

私たちは、
自分自身を所有しているということは、
自分自身の労働を所有していることにもなる。

彼はさらにこう主張した。

所有されていないものに、
私たちの労働を加えると、
それは私たち自身の所有物になる。

自然が、備えた状態から取り出すものは、
何でも、自分の労働を交えたものであり、
彼自身の何かを付け加えたものであるから、
彼の財産となる。

なぜか。

労働は、その労働者の
疑いの余地のない財産だから、
よって、彼以外の誰かが、
彼の労働が加えられたものに、
対する権利を持つことはない。

だが、これには、
重要な但し書きがある。

他者のために同じように
よいものが十分に残されている限り。

私たちは収穫した
果実やつかまえた鹿、
採った魚に対してだけ、
所有権を持っているわけではない。

土地を耕して周りを囲み、
ジャガイモを育てるのであれば、
採れたジャガイモだけでなく、
それを育てる土、
そして、大地も所有しているのだ。

人が耕し、植物を育て、
改善した土地から得られるものを
利用するかぎり、
その土地は彼の所有物である。

彼の労働が加わることで、
それは一般とは区別される。

権利は、不可譲という考えは、
ロックをリバタリアンから
遠ざけるように思う。

リバタリアンが、言いたいのは、
私たちには、自分自身に対する
絶対的な所有権があるから、
望むことは何でもできる。
とういことだ。

ロックは、その考え方の完全な味方ではない。

実際、彼は、自然権について真剣に考えれば、
私たちが自然権でできることには、
制約があることが気付くはずだと言っ ている。

理性によって与えらえる制約だ。

自由であるとはどういうことか考えてみれば、
権利は不可譲であり、そこには、
制約があることがわかるはずだと。

これがロックとリバタリアンの違いだが、
ロックの私有財産の説明にあてると,

再び、リバタリアンのとても、
良い味方に見えてくる。

彼は、私有財産についてこう考えていた。

私たちは、自分自身の所有者であり、
その労働の所有者であり、
労働の果実の所有者である。

自然状態で集めたり、
狩りをして、手に入れたものだけでなく、
囲いこみ耕した土地の所有者でもある。

労働が加わったことで、
誰のものでもない何かが、
その人の所有物になる、
という感覚が、道徳的に、
正当化される例はい くつかある。

そして、これは時には、
論争の的にもなる。

裕福な国と発展途上国の間では、
貿易に関連する知的財産権の論争がある。

最近の例をあげると
薬の特許法についての論争だ。

西側の国、特にアメリカは、
私たちには新薬を開発する
大きな製薬業界がある。

世界の全ての国に、
特許を尊重してもらいたい、
と言った。

それから、南アフリカでエイズ危機が起きた。

アメリカのエイズ薬は、
あまりにも高かったので、
アフリカでは、それを買える人は
ほとんどいなかった。

そこで、南アフリカ政府は言った。

私たちは、アメリカの抗レ トルウイルス薬と
同じ成分の薬をそれよりずっと安い値段で
手に入れるつもりだ。

その薬をつくる方法を解明した
インドの製薬会社を見つけたからだ。

特許を尊 重しなければ、
はるかに少ない金額で
大勢の命を救うことができるのだ。

すると、アメリカ政府は言った。
それはダメだ、研究に投資し、
この薬をつくりだした会社はどうなる。

ライセンス料を払わずに、
勝手に薬を製造することは許されない。

こうして論争がおきた。

その製薬会社は、南アフリカ政府を訴え、
より安い、彼らが海賊版と考える
エイズ薬を南アフリカ政府が買うのを防ごうとした。

この件は最終的には、
アメリカの製薬会社が折れて解決することになる。

しかし、この所有権、知的財産権、
薬の特許権についての論争は、
自然状態において、ある意味、
最後の未開拓分野と言えるかもしれない。

今のところ特許権や所有権に関する
国家間の一律の法律はないからだ。

国際的な合意により
規則が制定されるまでは
その合意の仕方はまちまち、
ということになる。

政府や法が存在しない状態でも、
私有財産権が生じる
ロックの考え方はどうだろう。

成功しているだろうか。

説得力があると思う人は手をあげて。
では、 説得力がないと思う人は?
反対意見から聞こうか?

同意なしに
自然財産が生じるという
ロックの考えは
どこに問題があるのだろうか?どうぞ!

学生A:
彼は、ヨーロッパ人の文化的規範を
正当化しようとしていると思います。

ネイティブアメリカンは、アメリカの土地を
文明化できなかったけれど、
ヨーロッパ人がアメリカ大陸に到着したことで、
そのままでは、起きなかったかもしれない
アメリカの発展が出現したからです。

サンデル:
つまり、土地の所有権を守るための弁護だと思うんだね。

学生A:
はい、到着したというだけでは、
その土地を手に入れたとは、
言いにくいからだと思います。

サンデル:
なるほど、君の名前は?

学生A:
ロシェルです。

サンデル:
ロシェルは、ヨーロッパ人が入植した頃、
北米で何が起きていたかを考えると
所有権に関するロックの説明は、
それに適合していると言う。

ロシェル、つまり、それは、土地の占有を
正当化するための弁護だということだね。

学生A(ロシェル):
はい、ロックは名誉革命も正当化しています。
だから植民地化を正当化することが
あってもおかしくないと思います。

サンデル:
なるほど、たしかに、
それはおもしろい説だね。
賛成意見も多いだろう。

でも、彼の議論の有効性についてはどうだろう。

君の言うように、これは土地を
囲っていなかったネイティブアメリカンから
北米の土地を取り上げることを
正当 化するのかもしれない。

だが、そもそも
ロックの理論は正しいのだろうか、
それとも、彼は、
単に、道徳的に正しくない行いを
正当化しようとしているだけなんだろう か。

学生A(ロシェル):
後者だと思います。個人的な意見ですが。

サンデル:
後者か。それじゃあ
次は、ロックの私有財産の考え方を
支持する人に聞こう。

ロシェルは、それは、アメリカの入植者が
ネイティブアメリカンから
土地を取り上 げたことを
正当化するための手段に過ぎない
と言ったが、これに対する反論が
聞けたらおもしろいね。

ロックを弁護できる人は、いないかな?
君、弁護できる?

学生B:
はい、ロックが、ヨーロッパ人の
植民地化を正当化しようとした
という証拠はありません。

たぶん植民地化は、正しくないでしょう。
それは彼が「統治二論(ロックの著書)」で
言っていた戦争状態です。

つまり、ネイティブアメリカンと
ヨーロッパ人の入植者との間で
起きたことは戦争状態だと。

お互いの合意があってはじめて
起こるものであり、
それがなければ始まり得ないものだった。

学生B:
そうです。双方がそれに、
同意しなければならなかったはずです。

サンデル:
君の名前は?

学生B:
ダンです。

サンデル:
ダン、さっき、
ロシェルにも聞いたが、
土地の所有権に
ついてのロックの議論はどうだろう。

これが打倒なものなら、
入植者が土地を占有して、
そこから他のものから
排除したことは正当化されるのだろうか。

ロックの理論をどう評価する?

学生B(ダン):
ネイティブアメリカンは、まだ、
占有していなかったということですよね?

サンデル:
ネイティブアメリカンは、
狩猟や採取を行っていたから、
土地を囲ってはいなかった。
ロシェルにもその点は承知していると思う,
今聞きたいのは、、、。

学生B(ダン):
でも、ロックは、ある特定の土地で
どんぐりを拾ったり、リンゴを摘んだり、
バッフォローを殺したりすれば、
労働によって、その土地自体 も
自分のものになると言っています。

だから、その定義によれば、
ネイティブアメリカンも
周りをフェンスで囲っていなかっただけで、、、、。

サンデル:
土地を使っていた。

学生B(ダン):
そうです。だったら、、、、

サンデル:
ロックの定義によれば、
ネイティブアメリカンも
土地の権利を主張できただろう。

学生B(ダン):
でも、それを主張する人がいなかった。

サンデル:
なるほど、ありがとう。
他に、ロックを弁護する人は?君!

学生C:
ロックを擁護するために言いますが、
彼は、他の土地を取ることができない場合もある
と言っています。

例えば、人々の共有財産である土地を
獲得 することはできません。

ネイティブアメリカンの場合は、
自分たちの文明を持っていて、
土地を共同で使っていたと思います。

ですから、
そのような共同財産を取り 上げることはできません。

サンデル:
それはおもしろいね

学生C:
また、他の人のために、
土地が残されていることを確かめない限り、
土地を取得することはできません。

自分が取得したのと同じくらい
良い土地が他の人たちのために
十分に残されているかどうか
確かめる必要があると思います。

サンデル:
その通りだ。ロックは、
土地の私有財産権には、
他の人のために同じくらい
同じように良いものが残されている、
という、但し書きがあると言っている。
君の名前は?

学生C:フェンです。

サンデル:
フェンもある意味ダンと同じで
ロックと同じで、ネイティブアメリカンに
有利に展開できる部分もあると言っている。

では、次の質問だ。

私有財産権が自然に生じるものである。

政府が誕生する前から、
私たちが持っているものであれば、
それによって政府にできることは、
どの程度、制約されるだろ うか。

ロックは政府をどう捉えていたのだろうか。

その点については、
リバタリアンに同調的なのか、
それとも批判的なのか、
それを見極めるために、
自然権が社会 に
入ったらどうなるのか?
について考えていきたい。

私たちは自然状態を離れ、
多数派や人間の法のシステムに
支配されることに同意して社会に入った。

しかし、人間と法律というのは、
それが、
私たちの自然権を尊重し、生命、自由、財産に
対する不可譲の権利を尊重する
場合のみ正当なものだ。

どんな議会、どんな立法者、それがいかに
民主的なものであっても、
合法的に、私たちの自然権を侵害することはできない。

いかなる法律も
私たちの生命、 自由、財産に対する権利を侵害できない、

というこの考え方は、
制限された政府という考え方を
主張することになるので、
結局、リバタリアンを喜ばせることに
見えるかもしれない。

しかし、リバタリアンは、
すぐに喜ぶべきではない。

たしかに、ロックは政府がつくられた後も
自然法は存続すると言っている。

さらに、彼は、政府をつくる目的は、
主に財産権を守ることであり、
政府は、それに、制約されている
ということを強く主張した。

しかし、一方で、
何をもって所有権とするか?
どうすれば、
生命や自由を尊重していることになるのか?

そういったことを
定義するのは政府だ。

私たちの財 産や生命、自由が尊重されている以上、
政府にできることは限られているように思える。

しかし、その一方で、何をもって、
私たちの生命や財産が尊重されている と
みなすかを決めるのは政府なのだ。

そんなことが可能なのか?
矛盾しているのではないか?
それともここには
重要な区別があるのだろうか?

ロックの見方が、
リバタリアンと一致するかどうか、
詳しく確かめるため、
次回は、ロックの考える正当な
政府とは、どんなものか詳しくみていこう。



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