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今回は、サンデル教授の
講義3 「富は誰のもの?」

Lecture5、講義3-1部

「課税に正義はあるか」
リバタリアン(自由原理主義)
を紹介します。

サンデル教授の
テーマに沿っての質疑の仕方を身に着けて、
それぞれの正義について話し合っていきましょう。

正義のない所に自由は存在しません。


 
今回のサンデル教授の講義は、
Lecture5、講義3-1部
 「課税に正義はあるか」
を考え学んでいきます。

講義3、
「課税に正義はあるか
・個人の権利をどこまで認めることが公平か」は、

Lecture5・講義3-1部
(課税に正義はあるか)
Lecture6・講義3-2部
(個人の権利はどこまでみとめることが公平か)
の構成になっています。

※ビデオ内では、
Lecture5・講義3-1部、~24分まで
Lecture6・講義3-2部は、24分から始まります。

今回は、Lecture5
日本語訳を紹介しています。

サンデル教授の講義を参考に、
さまざまな正義について話し合ってみましょう。

**********************

すでに、裁判所の判決に、
民間から判決の判断に参加する事になっていたり、
選挙権は、18歳からや
来年からは、小学、中学へと段階別に、
社会正義(公正・公平)の勉強が始まったり
市民レベル、各自治体などでも
国民の自由を高めるために、
積極的な、社会正義の学びが進行中です。

公正・公平・社会正義教育開始のニュース
正義を重んじ公正・公平な社会を(文部科学省)
公正公平社会正義教育実行まで,
このような準備がされました。
(国立大学法人 東京学芸大学)


各校・地域取組例
H26防府市立松崎小学校
H26柳井市立新庄小学校
【学校必修】として扱っている指導計画例

多様な教育課題に対応した(東京都) 
など、、、

そこで、今回は、
数年前、NHKEテレで大変話題となりました。
ハーバード白熱教室
マイケル・サンデル教授の講義を準備しております。

 

マイケル教授の講義を見ていますと、
正義と言う
難しいテーマを
質疑の中で、

隠れている個々の正義を
対立する考えや擁護する考えなど、

学生の意見をうまく引き出しながら、
教授と学生たちが一体となり、
正義についての講義が進められます。

面白く、わかりやすく、
白熱して来る質疑に、
わくわく興味を深々と魅かれていきます。

次第に、
日頃、良きことだと信じていた、
隠れている理性
(当前の事、普通の事など)の不安
を明らかにされ、
深く考えを進められます。

それぞれの正義を導き出す
考え方、質疑の進め方
(マナー)などが
次第に養われ、
正義の根本に迫っていきます。

正義を考える上で、
必要な知識や考え方が
自然と入ってきます。

1講義、おおよそ1時間が、
あっという間に過ぎてしまう。
もっと聞きたくなる、
もっと参加していたくなる、
そんな講義です。

サンデル教授の質問に、
あなたなら、どう答えますか?

講義に参加してると思って
一緒に考えてみてくださいね。

自分で使えそうだと思えば、
どうぞ、遠慮なく日常でも、
どんどん取り入れていきましょうね。

*************

正義と言うと、

アニメや時代劇に出てくる
正義の見方〇〇登場のように、

悪事を働く悪人を退治する
絶対的な正義のヒーローを

つい連想してしまいますよね、

でも、

実は、違います。

正義は、一つではありません。

人間には、様々な考えがあり、
それぞれに正義があります。
73億の人がいれば、
73億人個々一人一人に正義があります。

 

自分にも、相手にも、すべての人に、
ゆずれない正義がある事を認めましょう。

正義と正義が対立している時は、
互いの正義がある事を認め合いましょう。

お互いの平和や
良き関係を保ったり、築いたり
お互いの更なる幸せを追及するために、

お互い相手に、敬意や尊厳を表し、
正しい知恵、忍耐、勇気、寛容さを持ち、

協議し合い、優先順位を考えてゆき、
隠れている理性を明確にしながら、

互いの共通する正義、又、
より良き方向性への正義を
生み出す事が必要になります。

その時に注意を払わなければならない、
基本となる代表的な派として、
3つの正義の派があります。


3つの正義

1、結果重視
2、自由重視
3、人生の生き方・美徳の重視

より良き
1、社会として幸福の結果を求めて、
(結果の正義を重視)
wikipediaより
ジェレミ・ベンサムジョン・スチュアート・ミル

幸福と苦痛とのギャップを最大限の
結果を目指します。

全体の幸せを最大化・
苦痛を最小化
それぞれの結果を目指します。

2、人間として公正と自由を求めて、
(自由の正義を重視)
wikipediaより
ロバート・ノージックジョン・ロック
イマニエル・カントジョン・ロールズ

誰もが人として権利を尊重される事を目指します。

個人の権利を最大限、
の実現へ、

権利の犠牲は最小限、
の実現を目指します。

3、生き方として善や美徳の正義を求めて、
(人生や社会の理想の正義を重視)
wikipediaより
アリストテレスマイケル・ウォルツァー
マイケル・サンデル

人として正しい生き方とは?
社会のあるべき姿とは? 
理想の正義を目指します。

それぞれを追求、区別することで、
議論をより明確にし、
よりよい結論をめざしていきましょう。

*****************

ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の
哲学の講義12回24部の中の

Lecture1、講義1-1部
・想像編(THE MORAL SIDE OF MURDER )

Lecture2、講義1-2部
・実践編(THE CASE FOR CANNIBALISM

Lecture3、講義2ー1部
(PUTTING A PRICE TAG ON LIFE)
Lecture4、講義2ー2部
HOW TO MEASURE PLEASURE


に続き、今回は、
Lecture5、講義3-1部
「課税に正義はあるか」
を日本語へ翻訳しています。
※動画の下に紹介しています。

※Lecture6、講義3-2部
「個人の権利をどこまで認めることが公平か」
は、こちらへどうぞ。
(只今、編集中です。暫くお待ちくださいませ。)

******************

それでは、サンデル教授の
素晴らしい講義を
お楽しみください。


※ビデオ内の講義内容は、英語ですが、
ビデオの下に、日本語へ翻訳されています。
一緒にお楽しみください。

ビジュアルレクチャーより

ハーバード大学
マイケル・サンデル教授


Lecture05
FREE TO CHOSE
Lecture06
WHO OWNS ME? 

時間:55:08



 

要点

JUSTICE 第3回
「課税に正義はあるか」
「個人の権利をどこまで認めることが公平か」
ハーバード大学:サンデル教授:白熱教室


Lecture05
「課税に正義はあるか」


ベンサムの功利主義を弁護するミルだが、
その主張には限界があるように思える。

そこでもっと強力な原理理論を紹介したい。

哲学者ロバート・ノージッ クたちが主張し、
個人の権利を非常に重要だと考える
リバタリアニズム(自由原理主義)だ。

彼らはシートベルト着用という
自分を守ることを強制するような
干渉主義的な法律に反対し、

同性愛者間の性的な
親密さを禁止するような
道徳的な法律に反対し、
金持ちから貧しい人に
再分配する課税法に反対する。

その例として
ビルゲイツやマイケルジョーダンをあげる。

ノージックは税金を課することは
所得を取り上げることに等しいと言う。

課税は盗みだ。

極端に言えば
課税は道徳 的に強制労働に等しい。

個人の労働に対する独占権を
政治団体が部分的に
所有していることになるから、
奴隷のようなものだ。

つまり自分が自分を所有していな い
ことになる。

このようなリバタリアニズムの
考え方の根本的な原則に
自己所有の考え方がある。

そしてもし彼らを否定したいなら、
この論理展開を論破しなく てはいけない。

その疑問を残し講義は終了する。


※youtubeの字幕を(英語)で見る場合 
動画をPLAYして、動画内右下の  または  (字幕)を
クリックして下さい。
詳しくは字幕の オン / オフ の切り替え方は、こちらへどうぞ。

Lecture05
「課税に正義はあるか」


前回までの講義では、
ベンサムの功利主義への批判に対する
ジョンスチュワートミルの反論について考えた。

ミルは「功利主義」という著書の中で、

彼の説 を批判する者に対し、

功利主義の枠組みの中で、

高級な喜びと下級な喜びを

区別することは可能だ、

とういことを示そうとしている。

私たちはその考えを、

アニメ、シンプソンズとシェイクスピア
でためしてみた。

しかし、ミルの考えに
疑問を感じざる
負えないような結果が出た。

君たち の多くは、
シンプソンズの方が好きだが、

シェイクスピアの方が高級であり、
価値のある喜びだと考えた。

この結果はミルの主張とは異なる結果だ。

ミルは、
功利主 義の第5章で

個人の権利と正義が、

特に重要であることを説明しようとしているが、

これについてはどうだろう。

ミルは個人の権利は、

特に尊重されるべきものであると考えている。

実際、正義とは、
道徳の最も神聖な部分であり、

他とは比べようもない
拘束の強い部分である、

とまで言っている。

しかし、ミルの主張のこの部分についても
同じ疑問を呈すことができると思う。

なぜ正義は、

道徳の中でもっとも重要で、

他とは比べ物もないほど

拘束力が強いのか。

ミルは、
もし私たちが正義を行い、

権利を尊重すれば、
長い目でみた時、

社会は全体として
良い方向へ向かうからだと言う。


本当だろうか。


もし例外を設けて、


個人の権利を侵害したところ、


人々の暮らしがよくなるような
ケースがあったらどうだろう。


あるとしたら、


人を利用しても

かまわないんだろうか。



正義と権利についての

ミルの考え方には、
さらなる反論が可能だ。


ミルが言っているように
長い目でみれば、

功利主義の計算法が
正しく機能するとしよう。


個人の権利を尊重することで、

全員の暮らしがよくなっていくと仮定しよう。


しかし、これが正しい理由だろうか。

それだけが、
人を尊重する理由なのだろうか。

もし医者が、
健康診断にきた健康な人から

5人の患者を助けるために
臓器を摘出したとすれば、
長期的にみれば悪い影響が出てくる。

いずれは人々にこのことがバレ、
健康診断に行くのをやめてしまうからだ。

でも、それが正しい理由なのだろうか。

医者として、
どこも悪いところがない健康な人から

臓器を摘出しない唯一の理由は、

そういうかたちで、

彼を利用すると長い目で見れば

もっと多くの命が失われるからなのだろうか。


それとも、他の理由があるのか。

個人として、
本能的に、
その人を尊重しなければならないと思う。

(何かを本能的に)感じている、

からなのだ。

その理由が、
重要なものであるならば、

ミルの功利主義では、
もはや説明できないのではないか。

ミルの主張に対する、
この2つの懸念、反論を十分に、

検討するために
さらに、深く考えてみよう。

高級な喜び、
あるいは、
より価値のある喜びについて考える時、

喜びの価値に対して、

個人の道徳の基準を示すことのできる
理論があるのか。

あるとしたら、どのようなものか。

これが質問の1つだ。

正義と権利の問題については、
厳密には功利主義とは言えない、

人間の尊厳や他人の尊重という概念に

ミルが知らず知らずのうちに、

よりかかっているとするならば、

ミルでさえ持っているこの直感について、

説明できるさらに、
強力な原理理論があるのではないだろうか。

つまり、
他人を尊重する理由、
人を利用しない理由は、

長い目でみれば、
効用をしのぐ、というものである。

今日は、そういった
今日の原理理論の1つを考えていこう。

その原理理論では、
個人は、より大きな社会の目的のために、

もしくは、効用を最大化させるために、
使われる単なる道具ではないとされる。

個人は、
尊重される価値のある

独立した人生を持つ、
独立した存在である。


だから、強力な原理理論
は、
人々の好みや価値観を

足し合わせることによって
正義や法律について

間違っていると、される。

今日、私たちがとりあげる強力な原理理論は、

リバタリアニズム=自由原理主義、
ないし市場原理主義である。


リバタリアニズムでは、
個人の権利を非常に重要に考え、
その権利は自由の権利であると考える。

私たちは独立した存在であるため、
社会が期待する、

あるいは、
考え出せるいかなる用途にも利用されてはならない。

私たちは、独立した個人で、
あるがゆえに、自由という基本的な権利を持っているのだ。

だから、私たちは自由に選 択する権利、

自分が望むように、人生を生きる権利を持っている。

他人が同じようにする権利を尊重することが条件だ。

これが基本的な考え方だ。

リバタリアニズムを報じる哲学者の1人、

ロバート・ノージックは著書の中で次のように言っている。

個人には権利がある。

その権利は、
あまりにも強く広範囲にわたるため、

国家が行うことがあるのか。

あるとすればそれは何か。

という疑問を提起する。

リバタリアニズムでは、
政府や国家の役割は、どう考えているだろうか。

ほとんどの近代国家が行っていることで、

リバタニアリズムからすれば誤りであり、
不当であることは3つある。

1つは、
干渉主義的な立法だ。


これは、人々が自分を守ることを強制する法律だ。

例えば、
シートベルト着用、オートバイのヘルメット着用など。

リバタリアンは、
シートベルトをしめるのは、いいことかもしれないが、

閉めるかどうかは、
個人に委ねられるべきだと言うのだ。

国家や政府には、法律によって、
シートベルトを閉めるよう無理強いすることはできない。

それは強制だ。

だから、干渉主義的な立法の否定が一番だと言う。

2番目は、
道徳的な立法の否定だ。

法律の多くは、
市民の美徳を促進しようとしたり、

全体としての
社会の道徳的価値観を
表現しようとたりしている。

リバタリアンは、
それも自由に対する権利の侵害だとする。


古典的な例をあげると

道徳を推進するという名の元に、

同性愛者の間の性的な親密さを
禁止する法律がかつては存在した。

リバタニアンに言わせれば、
他に誰も 危害をこうむっておらず、
誰の権利も侵害していない。

だから国家は、
美徳の促進、ないしは道徳的な、

法律という事業からは、
完全に撤退すべきだ、
というのだ。

そして、3番目

リバタニアリズム的な哲学においては、

所得や富を、裕福な者から貧しい者に、

再分配するという目的でつくらた課税法や政策は、

いかなるものでも認められない。


リバタニアンに言わせれば、
再分配は、ある種、強制である。


それは
民主主義に限っていうならば、
国家、ないしは、

多数派が成功していて、
大金を稼いでいる人から盗むのに等しい。


ノージックをはじめとするリバタニアンた ちは、

唯一認めている課税とは、
社会の全員が必要とする

国防、警察、契約や所有権を
実行する司法制度を維持するためのもの。

それも最小の政府によるもの。

そ れだけだ。

リバタニアリズム的な見方の3番目について、
みんなの意見を聞きたい。

賛成の人、反対の人、
それから、その理由を聞いていきたいが、

まずは、話を具体的にするために、

そして、現状の問題が何かを知るために、

アメリカの富の分配をみていこう。

アメリカは、
民主主義が発達する国家の中で、
富の分配も最も不平等な社会の1つだ。


さぁ、これは、
公正だろうか、公正ではないだろうか。

リバタニアンは何といっているだろうか。

リバタニアンたちは、
私が今上げた事実だけでは、

分配が正しいか正しくないかは、
知ることができないと言う。


傾向や分配や結果を見ただけでは、
それが公正かそうでないかは判断できない、

どのようにしてそうなったか、
知る必要がある。

最終状態や結果だけをみるのではなく、

2つの原則を考える必要がある。

彼は、1つ目の原則を
取得の正義、または、最小の保有と呼んだ。


この意味は、
収入を得るための手段を
公正に取得したかということだ。

つまり、最初の保有に、
正義があったかどうかを知る必要がある。

その人たちは、
土地や工場やも のを盗んで、
金を稼ぐことに成功したのだろうか。


正当に取得したものであるならば、
1つ目の原則は満たされたことになる。

2つ目の原則は、その分配が、
自由な意思決定によるかどうかだ。


人々は、市場でものを買い取引をする。

みんなも知っている通り、
リバタニアリズム的な正義の概念は、
自由市場の正義の概念と一致している。

自分が使うものを盗ん だのではなく、
公正に取得している。

個人の自由選択の売買の結果、
分配が生じたとしたらその分配は正しい。

そうでなければ公正ではない。

では、理論をわかりやすくするために、
実際の例を1つあげよう。

アメリカで最も裕福な人、
世界一の金持ちは誰か。

ビルゲイツだ。

その通り。彼だ。(会場笑い)

大金持ちにもなれば、
笑顔にもなるさ。

ビルゲイツの資産は、
どれぐらいか検討がつく人。

(400億ドル)すごい数字だ。

クリントン政権の間、
論議を呼んだ、

政治資金提供者の
問題を覚えているかな。


選挙への大口献金者は、
ホワイトハウスに、 リンカーンベットルームに、
一晩紹介された。

2万5000ドル以上、寄付したらぁ、、だったと思う。

だとしたら、ビルゲイツは、
今後6万6000年間、リン カーンベットルームに、

泊まり続けられることになる。
と、計算した人もいた。(会場笑い)

ビルゲイツの時給はいくらか。
計算した人もいた。

ビルがマイクロソフト社を立ち上げてから、
1日14時間働いたとして仮定して計算した。

まぁ打倒な 仮定だね。

その結果、ビルの報酬のレートは、
150ドル以上になった。

これは1時間あたりでも、1分あたりでもない。

1秒あたり150ドルだった。

つまり、 ゲイツが会社に行く途中、
道に100ドル札が落ちていることに、

気付いても立ち止まって拾う価値はない。
(会場笑い) ということになる。

君たちのほとんどは、これだけ大金持ちなら、
課税してもいい、そして、教育を受けられなかったり、

食べるものや、住むところがなかった人たちの
ニーズを満たすべきだと言うんじゃないかな。

彼らの方がずっと困っているだからね。

でも、功利主義者だったらどうするか。
どのような課税方針をとるだろうか。

一瞬にして再分配するんじゃないだろうかな。

それだけの金持ちなら、
取られても、

きっと、気付かないくらいの金額であっても、

最下層の人々を生活や福祉を

大きく改善することができるからだ。

しかし、リバタニアニズムにおいては

人々の好みや満足を
そのようにただ集計することはできないとされている。

人は、他人を尊重しなければならない。

他人の権利を侵害することなく、

取得の正義、 移転の正義
という2つの原則に従って

公正に稼いだ金であれば、
その金を取り上げるのは間違っている。

それは強制だからだ。


マイケルジョーダンは、
ビルゲイツほど金持ちではないが、

かなりの金持ちだ。

マイケルジョーダンをみてみるかい。

これが彼だ。

ジョーダンはプレーによる収入が1年で3100万ドル。

ナイキなどの企業との契約の収入が4700万ドル。

つまり、年収7800万ドルということになる。

貧しい人たちに、
食べ物や住む家や、医療や教育を与えるために、

稼ぎの3分の1を政府に、
寄付しろとジョーダンに要求することは強制だ。

それは公正ではなく彼の権利を侵害している。

ゆえに再分配は間違っている。今の議論に賛成の人は?

つまり、貧しい人たちを

助けるためであっても、
再分配は間違っていると思う人は?

今の理論に反対の人?
まず反対の人の意見から聞こう。

再分配に、反対するリバタリアンの
主張のどこが間違っていると思う?

君!

学生A:
ジョーダンのような人は、
社会から一般の人よりは、
大きな贈り物をもらってるのですから、

再分配によって、それを返すより
大きな義務を負っていると思います。

ジョーダンも1日十数時間、
洗濯をしている人と同じくらい
必死にやっているかもしれませんが、

収入は、はるかに多いわけで、
それを全てジョーダンが一生懸命やったからだ
というのは違うと思います。

結構、では、次にリバタニアニズムを
擁護する側の意見を聞こう。

貧しい者を助けるために、
金持ちに課税するのは、間違いだと思う人は。

学生B:
ジョーです。

僕のスケートボードのコレクションは、
100個くらいあります。

僕が100人の社会に
住んでいるとして、突然、皆がボードを欲しいと思い、
僕のボードを99個持っていってしまったとします。

それは公正ではないと思います。

でも、ある種の状況では、
そういう不正を見過ごす必要があると思います。

難破した船の少年が殺されたのも、
しかたないみたいな。

生死がかかっている場合は、
不正を見逃す必要があるでしょうが、

人の所有物や資産をとりあげることは、
不正だということを覚えておくべきです。

じゃあ、飢えている人に、
食べ物を与えるためでも、

ジョーダンに33%の税率でやはり、
間違いであり、盗みであると言うわけだね。

学生(ジョー):
えぇ、不正だし盗みです。
でも、その盗みを見逃す
必要もあるかもしれない。

サンデル:
でも、盗みは盗み。

学生(ジョー):
はい。

サンデル:
なぜ、それが盗みになるのかな?
君のボードを取り上げるのと同じになる理由は?

学生ジョー:
僕の意見では、そして、リバタリアンでは、
正当に稼いだのですから彼のものです。
それを取り上げれば定義によって盗みになります。

サンデル:
今のジョーの意見に反論のある人は?
君!


学生C:
あなたは、100個も
スケートボード持っているんだから、

政府が、99個とりあげたとしても、
何の問題もないと思います。

そんなに、たくさんボードを持っていたって

どうせ、使いきれないんだから、

政府が、その1部をとりあげて分け与えても、
ちっとも悪くないじゃないですか。

政府が再分配しない社会に住んでいたら
金持ちはどんどん裕福になっていってしまい、

貧しい人はいつまでも貧しいままです。

架空の社会ではなく、
現実の社会では、スタート地点で、

すでに、差がついてしまっているわけですから、
一生人より低い賃金で働くことになってしまいます。

サンデル:
ある程度の富の再分配がなければ、
底辺に取り残された人々には
機会の平等が与えられなくなる、
ということだね。結構。


課税は盗みだという考え、
ノージックは、その考えをもう1歩進め、
課税は盗みだ。


彼はジョーよりもっと厳しい。


盗みは盗みだが、
極端な状況では許される。


という意見だったね。


腹をすかせた家族を助けるために、
パンを盗んだ親は許される。

ジョー、君には自分を何と呼ぶ?
思いやりのある純リバタニアン?(会場笑い)

ノージックは、税金を課することは、
所得を取り上げることに等しいと言う。


言い換えれば、それは、
労働の果実を取り上げることを意味する。

国家が、個人の所得や労働の果実を
取り上げる権利を持っているとすると、

それは道徳的に国家が
個人の労働の一部を要求する権利を持っている。
と言うに等しい。

ならば、課税は、
道徳的に強制労働に等しい。

なぜなら、強制労働は、
必然的に個人の余暇や時間、
努力を取り上げることになるからだ。

それは、課税は、個人が
働いて稼いだ金を取り上げるのと同じである。

ノージックたち、
リバタリアンにとっては、
再分配にとっての課税は盗みである。

盗みだけではなく、
人間の人生と労働のある程度の時間を
要求するのに、道徳的に等しい。

だから、課税は、道徳的に強制労働に等しい。
となる。

国家に、個人の労働の果実を
要求する権利があるなら、

個人の労働そのものに
対する権利があることを暗示している。

では強制労働とは何か。

ロージックが指摘する
強制労働とは何だろうか。

それは奴隷制だ。

個人に、自分自身の労働に対する
独占権がないのだとしたら、

政府、もしくは、政治団体が、
個人の部分的所有者ということになる。

国家が、個人の部分的所有者に
なるとはどういうことか?

それは私が奴隷だ、とういことだ。

自分が自分を所有していないことになる。

この一連の論理展開から
明らかになるのは権利に対する

リバタリアンの考え方の根本的な原則だ。

その原則とは何か。

自分を所有するのは自分だという考え方、

自己所有の考え方だ。

権利を重要なものだと考えるなら、

人間を単に好みの集合体と見なしたくないのなら、

そこから導かれる根本的、

道徳的概念は、私たちが、自分自身の所有者、

持ち主だという考え方だ。

それこそが、功利主義が破綻した理由だ。

人間は、他人に属しているのでも、
コミュニティに属しているのでもない。

自分自身に属しているのだ。

同じ理由で、

自分で自分を守ることを強制することをつくったり、

いかに生きるべきか、
どのような美徳に従って、

生きるべきか指図したりする法律を
つくることも間違っているし、

貧しい人助けるとう大義であっても、

裕福な人に課税するのも間違っている

施しを頼むのはいい。

しかし、課税するのは
強制労働を課すのと同じことなのだ。

毎週の試合をサボって、
ハリケーンカトリーナで住処を失った
人々を助けに行って欲しいと頼めるかな。

道徳的にはそれと同じことだ。

それでは、課していることが大きすぎる。

リタバリアニズムに対する反論もあったね。

だが、リタバリアニズムを否定するなら

個人の所得を取り上げるのは、

個人の労働をとりあげることと同じであり、

個人の労働をとりあげることを
個人を奴隷にするのと同じことだ、

という論理展開を論破しなくてはいけない。

リタバリアニズムに反対の立場の人は、
反論を用意しておくように。

次回はそこからはじめよう。

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