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今回は、サンデル教授の
Lecture4、講義2-2部
「喜びを測定して出した結論は公平か」
「高級な喜び、低級な喜び」
を紹介します。

サンデル教授の
テーマに沿っての質疑の仕方を身に着けて、
それぞれの正義について話し合っていきましょう。

正義のない所に自由は存在しません。


 
今回のサンデル教授の講義は、
「喜びを測定して出した結論は公平か」
「高級な喜び、低級な喜び」
を考え学んでいきます。

講義2、は、
「命に値段をつけることに正義はあるか
喜びを測定して出した結論は公平か」は、

Lecture3・講義2-1部
(命に値段をつけることに正義はあるか)
Lecture4・講義2-2部
(喜びを測定して出した結論は公平か)

の構成になっています。

※ビデオ内では、
Lecture3・講義2-1部、~24分まで
Lecture4・講義2-2部は、24分から始まります。

今回は、Lecture4日本語訳を紹介しています。

サンデル教授の講義を参考に、
さまざまな正義について話し合ってみましょう。

**********************

すでに、裁判所の判決に、
民間から判決の判断に参加する事になっていたり、
選挙権は、18歳からや
来年からは、小学、中学へと段階別に、
社会正義(公正・公平)の勉強が始まったり
市民レベル、各自治体などでも
国民の自由を高めるために、
積極的な、社会正義の学びが進行中です。

公正・公平・社会正義教育開始のニュース
正義を重んじ公正・公平な社会を(文部科学省)
公正公平社会正義教育実行まで,
このような準備がされました。
(国立大学法人 東京学芸大学)


各校・地域取組例
H26防府市立松崎小学校
H26柳井市立新庄小学校
【学校必修】として扱っている指導計画例

多様な教育課題に対応した(東京都) 
など、、、

そこで、今回は、
数年前、NHKEテレで大変話題となりました。
ハーバード白熱教室
マイケル・サンデル教授の講義を準備しております。

 

マイケル教授の講義を見ていますと、
正義と言う
難しいテーマを
質疑の中で、

隠れている個々の正義を
対立する考えや擁護する考えなど、

学生の意見をうまく引き出しながら、
教授と学生たちが一体となり、
正義についての講義が進められます。

面白く、わかりやすく、
白熱して来る質疑に、
わくわく興味を深々と魅かれていきます。

次第に、
日頃、良きことだと信じていた、
隠れている理性
(当前の事、普通の事など)の不安
を明らかにされ、
深く考えを進められます。

それぞれの正義を導き出す
考え方、質疑の進め方
(マナー)などが
次第に養われ、
正義の根本に迫っていきます。

正義を考える上で、
必要な知識や考え方が
自然と入ってきます。

1講義、おおよそ1時間が、
あっという間に過ぎてしまう。
もっと聞きたくなる、
もっと参加していたくなる、
そんな講義です。

サンデル教授の質問に、
あなたなら、どう答えますか?


講義に参加してると思って
一緒に考えてみてくださいね。

自分で使えそうだと思えば、
どうぞ、遠慮なく日常でも、
どんどん取り入れていきましょうね。

*************

正義と言うと、

アニメや時代劇に出てくる
正義の見方〇〇登場のように、

悪事を働く悪人を退治する
絶対的な正義のヒーローを

つい連想してしまいますよね、

でも、

実は、違います。

正義は、一つではありません。

人間には、様々な考えがあり、
それぞれに正義があります。
73億の人がいれば、
73億人個々一人一人に正義があります。

 

自分にも、相手にも、すべての人に、
ゆずれない正義がある事を認めましょう。


正義と正義が対立している時は、
互いの正義がある事を認め合いましょう。

お互いの平和や
良き関係を保ったり、築いたり
お互いの更なる幸せを追及するために、

お互い相手に、敬意や尊厳を表し、
正しい知恵、忍耐、勇気、寛容さを持ち、

協議し合い、優先順位を考えてゆき、
隠れている理性を明確にしながら、

互いの共通する正義、又、
より良き方向性への正義を
生み出す事が必要になります。

その時に注意を払わなければならない、
基本となる代表的な派として、
3つの正義の派があります。


3つの正義

1、結果重視
2、自由重視
3、人生の生き方・美徳の重視


より良き
1、社会として幸福の結果を求めて、
(結果の正義を重視)
wikipedia
より
ジェレミ・ベンサムジョン・スチュアート・ミル

幸福と苦痛とのギャップを最大限の
結果を目指します。

全体の幸せを最大化・
苦痛を最小化
それぞれの結果を目指します。

2、人間として公正と自由を求めて、
(自由の正義を重視)
wikipedia
より
ロバート・ノージックジョン・ロック
イマニエル・カントジョン・ロールズ

誰もが人として権利を尊重される事を目指します。

個人の権利を最大限、
の実現へ、

権利の犠牲は最小限、
の実現を目指します。

3、生き方として善や美徳の正義を求めて、
(人生や社会の理想の正義を重視)
wikipediaより
アリストテレスマイケル・ウォルツァー
マイケル・サンデル

人として正しい生き方とは?
社会のあるべき姿とは? 
理想の正義を目指します。

それぞれを追求、区別することで、
議論をより明確にし、
よりよい結論をめざしていきましょう。

*****************

ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の
哲学の講義12回24部の中の

Lecture1、講義1-1部
・想像編(THE MORAL SIDE OF MURDER )

Lecture2、講義1-2部
・実践編(THE CASE FOR CANNIBALISM

Lecture3、講義2ー1部
PUTTING A PRICE TAG ON LIFE


に続き、今回は、
Lecture4、講義2-2部
「喜びを測定して出した結論は公平か」
「高級な喜び、低級な喜び」
を日本語へ翻訳しています。

※Lecture4、講義2-2部、の日本語の翻訳文は、
動画の下に紹介しています。

※Lecture5、講義1-1部
「課税に正義はあるか」は、
こちらへどうぞ。


******************

それでは、サンデル教授の
素晴らしい講義を
お楽しみください。

※ビデオ内の講義内容は、英語ですが、
ビデオの下に、日本語へ翻訳されています。
一緒にお楽しみください。

ビジュアルレクチャーより

ハーバード大学
マイケル・サンデル教授


Lecture03
PUTTING A PRICE TAG ON LIFE
Lecture04
HOW TO MEASURE PLEASURE 


時間:55:10


 

要点

JUSTICE 第2回
「命に値段をつけることに正義はあるか」
「喜びを測定して出した結論は公平か」

ハーバード大学:サンデル教授:白熱教室

Lecture04、講義2-2部
「喜びを測定して出した結論は公平か」
「高級な喜び、低級な喜び」

功利(大幸福)主義者ベンサムは
道徳の最高原則は、
社会の幸福のために、
全体として快楽が、
苦痛を上回るようにすること、

つまり
「効用の最大化」だとした。

そして、
共同体は、
個人の集まりだとした。

この功利主義の論理は、
費用便益分析(Cost-benefit analysis)
という名で、
昔から企業や政府がよく使い、

効用は、数値で表され、
たいていはドルで換算され る。

この講義では、
タバコ会社、自動車会社が、
行った費用便益分析
(Cost-benefit analysis)を取り上げ、
その問題点を考える。

そして功利主義に、
対する2つの反論が
学生から示された。

1つは
「個人の権利、もしくは、
少数派の権利を尊重していない」
というもので、

もう1つは
「人々の好み、あるいは、
価値を合計することをできない」
というもの。

後者 に関しては、
心理学者ソーンダイクの実験を示し、
その結論をどう捉えるべきか?
と疑問を残し講義は終了する。


「喜びを測定して出した結論は公平か」
「高級な喜び、低級な喜び」

功利主義のベンサムを
弁護する哲学者ミルを考える。

ミルは、道徳的な高さは、
効用の大きさで決まるとした。

効用の大きさの計り方は、
人は2つのものを両方経験すれば、
自然と高級なものを選ぶ。

経験から生まれる願望は、
正しい道徳的根拠だとした。

しかし、本当だろうか。

シェイクスピア(Wiki)のハムレットと
アニメのシ ンプソンズ(wiki)を比べると、
ほとんどの人
がハムレットを
高級なものだとするだろう。

しかし、
ハムレットのおもしろさがわかるには
理解、あるいは、教育が必要だ。

こ の2つを、
理解なしに、経験したら
シンプソンズの方が、
今は、好きだと思う人は多い。

※漫画シンプソンの動画は、
こちらへどうぞ。
(youtube)

だとすれば、
両方経験しても、
自然と高級を選ぶ、
という考えは間違いではないか。

また、功利主義は、
社会全体の幸福の最大化
を目指すわけだが、

一方、
少数派は、ないがしろに、
されているのではないか、

この個人の権利は、
ミルはどう考えているの だろうか。

ミルは、個人の権利は、
尊重されるべきだとしている、

そして個人が正義を行えば、
長期的にみて、社会全体は、
向上するという。

本当だろうか。

どうも、ま ずは、
個人の権利について、
考える必要がありそうだ。

1度、功利主義から離れて、
個人の権利を次回から考えることにしよう、

として、講義は終わる。


Lecture04
「喜びを測定して出した結論は公平か」
「高級な喜び、低級な喜び」

これまでジェレミーベンサムの功利主義に対する、
反対意見に、ついて議論してきた。

君たちは、
2つの反論を出した、

1つ目は、

功利主義は最大多数のための
最大幸福に重きをおいているため、
個人の権利を尊重することができない、
というものだ。

(例えば、)

9月10日にテロの容疑者を逮捕したとしよう。

君は、彼が3000人以上を殺害する差し迫った
テロ攻撃についての決定的な情報を持っている
と信じているが、

情報を引き出すことができない。

その情報を得る ために
その容疑者を、
拷問することは正しいだろうか、

あるいは、
君には、個人の権利を尊重する
道徳的義務があるから、
やってはいけないのか。

る意味、
これは最初に議論した
路面電車と臓器移植の
話に通じる問題だ。

それから前回の講義では、
費用便益分析の例を紹介した。

だが、多くの人が
費用便益分析のために
命に値段をつけることを
良しとしなかった。

それが、この2つ目の反論へつながる。

はたして、
すべての価値を一律の基準で
捉えることは可能なのか、

という問題だ。

種類の違うものを
同じ尺度で計ることが
できるであろうか。

では、ここで、
もう1つの例をあげてみよう。

これは、実際に、あった話で、
私の個人的な経験からきている。

少なくとも、
全ての価値を、
功利主義の議論に
当てはめていいのか、

どうか考えさせてくれるだろう。

何年も前、私がまだ大学院生だったこと、
オックスフォード大学は男女共学ではなく、

男子カレッジと女子カレッジに分かれていた。

そして女子カレッジの寮に
男性を泊めることは禁じられていた。

でも、この規則は形だけのものになっていて、
みんな平気で破っていた、
と私は聞いた。(会場笑い)

1970年代の後半になると、
この規則の緩和を求める圧力が高まり、

女子カレッジの1つ
セントワンカレッジで話し合いが持たれた。

年配の女性 教職員たちは保守的で、
従来の規則を変えることに反対した。

しかし、時代は既に変わっていた。

彼女たちは、
本当の理由で反対をするのが恥ずかしくて、

議 論をすり替えて、
功利(大幸福)主義の理論に当てはめた。

男性が泊まると大学側の出費が増える、
と彼女たちは言った。

どうしてそうなるのか、
男性が風呂に入ると、
お湯の消費量が増えるからだそうだ。

さらには、
マットレスを交換する頻度が
増えるという意見まででた。(会場笑い)

改革を求める人たちは、
条件を付けることで大学側と合意した。

各女性が、
泊められる男性は週に3人までとする。

同じ男じゃなきゃいけない、
という決まりはなかった。
(会場笑い)

条件は、もう1つあった。
宿泊客は、費用をまかなうために
50ペンスを支払わなければならない。

翌日、
全国紙の見出しには、
こんな文字が載った。

セントワン(セントワンカレッジ)の女の子は
1晩50ペンス(1ペンス=おおよそ1,55円)。
(会場笑い)

この例では、
定説という価値が考慮されていないことからも、

全ての物ごとを、
功利主義にあてはめることが、
いかに難しいかがわかる。

ところで、
功利主義に対する
2つ目の反論について
例をあげて説明してきた。

そして、
少なくともその反論には、
次のような疑問が含まれていることがわかった。

私たちは、
全ての価値を
同じものさしで測れると
前提の下で、

道徳的な考慮事項にも
ドルという価値を当てはめることが
できると想定しているが、

果たして、
これは、正しいのだろうか?

さらに、
私たちが、
価値や好みを集計することに
懸念するのには、
もう1つ理由がある。

なぜ人々の好みを、
良い好みと悪い好み に分類せず、
全てを一律に計る必要があるのか、
と考えるからだ。

私たちは、
高級な喜びと低級な喜びを
区別すべきではないだろうか、

人間の好みに優劣をつけない、
というのは、
ある意味では、
魅力的なことだと言える。

なぜ、
そう言えるかというと、
判断を必要しないし、
平等主義的だから。

ベンサム派の功利主義者は、
誰の好みも重要だと言う。

他の人が何を望むか、
何をもって幸せを感じるか、
に関わらず、

全ての好みが、集計されるべきだと
ベンサムが重要視したのは覚えているね。

喜びや苦痛の種類ではなく、
その大きさと長さだった。

ベンサムにとって、
いわゆる高級な喜びや崇高な美徳とは、

より強く、より長く、喜びを
もたらすものだった。

この考えを表した有名な言葉がある。

喜びの量が同じであれば、
プッシュピンは詩と同じように良い。

プッシュピンとは子供の遊びで
ピンをはじくゲームだが、
それは詩と同じように良いと
ベ ンサムは言った。

この言葉には、
こんな主張が込められている。

私たちには、
他人を比較して、双方の価値が、
どちらの方が優れている、

などと判断する権利 はない。

この優劣の判断を
拒む姿勢は、魅力的だ。

世の中には、
モーツァルトが好きな人もいれば、
マドンナが好きな人がいる。
バレーが好きな人がいれば、
ボーリングが好きな人もいる。

ベンサム信奉者なら、
誰の喜びの方が
高級で価値があるかなんて、
誰にもわからない、
というだろう。

しかし、
本当にそれでいいのか。

喜びの優劣を考慮 しなくて、
いいのだろうか。

同じ喜びでも、
ある種のものは、
他のものより優れていたり、
価値が高かったりする、
という考えを完全に、
取り払っていいのだろうか。

古代ローマでは、大勢のローマ人の快楽のために、
キリスト教徒の人権が侵害されていた。

そして、そのことから、
ベンサムの理論の別の問題点も見えてき た。

より多くの人の幸福が、
何かを決めるためには、
戦いを見物するローマ人が享受していた、

邪悪で下劣な喜びにも、
何らかの価値を与え、
評価しなければなら ないんだろうか、
ということだ。

これが、
ベンサムの功利主義に対する反論だ。

実はかつて、
その反論に答えようとした人物がいた。
もっと後の時代の功利主義者、
ジョン・スチュワート・ミルだ。

 

ここからはジョン・スチュワート・ミルが
ベンサムの功利主義に対する反論に
説得力のある答えを
持っていたかどうかをみていこう。

ジョン・スチュワート・ミル、
1806年生まれ、

父親のジャイムズ・ミルは、
ジャレミーベンサムの弟子で、
息子のジョン・スチュワート・ミルに
模範的 な教育を受けさせようとした。

ジョン・スチュワート・ミルは神童だった。
彼は3歳でギリシャ語、
8歳でラテン語を理解し、
10歳でローマ法の歴史について 書いた。
20歳で神経衰弱に陥った。

その後、5年間は鬱状態であったが、
25歳の時、
ハリウッドテイラーという女性と出会い、
鬱状態から抜け出す。

2人は結婚し幸せに暮らした。
そして彼女の影響の下で、
功利主義を血の通ったものにしようとした。

ミルが試みたのは、
個人の権利などの人道的問題や、
高級な喜びと低級な喜びを区別する
必要性を考慮に入れた上で、

功利主義の計算法を拡大し
修正できるかどうかを
確かめようとするものだった。

1859年には、
有名な著書「自由論」を書き、
個人の権利と少数派の権利を
擁護する側の重要性を説いた。

さらに、
晩年1861年には、
この授業でもとりあげる
「功利主義論」を書いた。

ミルは、道徳性への高さは
効用の大きさで決まると考えていた。

つまり、
ベンサムの前提を
否定していたわけではない。

その証拠に彼ははっきりと述べている。

望ましいものとは、
実際に人が望むものである。
経験から生まれる願望こそ、
正しい道徳的根拠である。
というわけだ。

しかし、
第2章の8ページでは、
彼は、功利主義者が
高級な喜びと低級な喜びを
区別することが可能だと論じている。

さぁ、すでにミルを読んだ人なら、
彼がどうすれば、
区別できると言っているかわかるね。

功利主義者は
どうやって、劣ったもの、
卑しいもの、価値のないものから、
質の高いものを区別するのか。
君!

学生A:
両方をためしてみれば、
人は、自然に、
高級なものの方を好むものです。

サンデル:
そのとおりだ、君の名前は?

学生A:
ジョンです。

サンデル:
ジョンが指摘したように、
ミルは、こう言っている。

人々の願望や好みを
除外して、考えることは、できない。

なぜなら、
それでは、功利主義の前提を
くずすことになるからだ。

高級な喜びと低級な喜びを
区別する方法は、

ただ1つ。

両方を経験した人が、
それを好むかどうかである。

そして第2章には、
さっき、ジョンが、説明してくれたことを
ミルが主張する一説がある。

2つの喜びのうち、
両方を経験した者が、
全員、または、ほぼ全員、
道徳的義務感と関係なく、

つまり、
どんな基準にも、
左右されずに、
迷わず、選ぶものがあれば、
それが、
より好ましい喜びである。

さぁ、君たちは、どう考える?
この議論は、成功しているだろうか。

成功している人は、手をあげて。

この方法で、高級な喜びと低級な喜びを
区別できると思う人?

では、無理だと思う人?理由を聞きたいが、

その前に、ミルの主張を確かめるために、
1つ実験をしよう。

これから、君たちに、3つの映像をみてもらう。
人気のある映画や番組のワンシーンだ。

1つ目はハムレットの「独白」。
その後に別の2つの何かがつく。

では、はじめよう。
各youtubeなどへ
(ムービー:ハムレットの独白youtube
(ムービー:フィア・ファクターyoutube
(ムービー:ザ・シンプソンズyoutube

どれが好きだったか、聞くまでもないね。
じゃあ、シンプソンズだと言う人。
(会場大多数)

シャイクスピアの人は?
(会場一部)

フィアファクターはどうかな?
フィアファクターがよかった人?
(手をあげて人に対して)
ホントに?

シェイクスピアの人よりも、
シンプソンズが、
好きな人の方が、圧倒的に多かった。
どれが、最高の経験、
最高の喜びだったと思うか。

シェイクスピアだと思う人?
(会場ちらほら)

フィアファクターだと思う人?
(手をあげて人に対して)

いや、そんなわけない!ホント?
(会場笑い)

理由は?

学生B:
一番おもしろかったからです。

サンデル:
それはわかるが、それが
もっとも価値がある、
崇高な経験だったか教えて欲しい。

学生B:
僕にとっては、愉快なことに価値があります。
他の人がどう考えるか、
関係ないのではないでしょうか。

サンデル:
わかった、
君は純粋なベンサム派に属するわけだね。

人々の好みを集計するのはいいとしても、
その価値を誰かが判断するのはおかしい。

なるほど、君の名前は?

学生B:
ネット

サンデル:
ネットかぁ。

シェイクスピアが、
最も高級だと、考える人の中で、
実際には、シンプソンズの方が、
好きだ、と言う人の意見を聞きたい。

学生C:
シンプソンズは笑わせてくれるので
見ているだけで楽しめます。

でも、シャイクスピアを楽しむには、
読み方や解釈の仕方を誰かに
教えてもらわなければなりません。
レンブラントの絵画などと同じだと思います。

サンデル:
君の名前は?

学生C:アニーシャです。

サンデル:
アニーシャ、もし誰かが君に
シェイクスピアの方が、いいと教えてたら、
君は、それを無条件で、受け入れるの?

シェイクスピアが、高級だと言ったのは、
そう教えられたからなのかい?
それとも、自分自身でも、
納得しているんだろうか。

学生C(アニーシャ):
シェイクスピアは、
教えられたからではありませんが、
レンブラントはそうです。

レンブラント・ファン・レイン
Rembrandt van Rijn

 
    『自画像』(1640年)

レンブラントの絵はすごい、と言われればそう思いますが、

 
   『風車』、1645-1648年

実際は彼の絵を分析することよりも、
マンガを読むことの方が楽しいと思います。 

サンデル:
なるほど、君が言うように、
文化と伝統の圧力というもの、ある程度はあると。

私たちはどれが良い作品であるということを、
教えられているからねぇ。
他には?君!

学生D:
今日のこの授業の中では、
シンプソンズが1番楽しいと感じました。

でも、残りの人生を3つの作品のうち、
どれか、1つについて考えて過ごすと したら、
僕は、シンプソンズとフィアファクターは、
選ばないと思います。

深い喜びについてじっくり考えれば、
自分自身の視野が広がり、
さらに多くの喜びを引き 出すことができるからです。

サンデル:
君の名前は?

学生D:
ジョーです。

サンデル:
ジョー、では君は、
残りの人生をカンザスの農場で過ごすことになって、
シェイクスピアかシンプソンズのどちらか
1つしか選ばないとしたら、
シェイクスピアを選ぶんだね。

(※ここでは、カンザスの農場で暮らすことが、
誰もが、嫌がるかのように思われては、、、
と思いますので、カンザスの旅情報もご覧ください。
こちらから byあかり )


ジョン・スチュワート・ミルは、
高級なものと低級なものの
両方を経験した人は、
高級な方を選ぶと言ったが、
それは証明されただろうか。

学生D(ジョー):
別の例をあげてもいいですか?

サンデル:
どうぞ。

学生D(ジョー):
神経生物学の授業で教わったのですが、
ネズミの脳には強烈な快楽をもたらす神経があり、
その神経を刺激する方法を学んだねずみは
食べることも忘れて死んで しまうそうです。

それだけ強力な快楽を得られるそうです。
僕は強烈な喜びは生涯にわたって、
得られる喜びよりも質の低いものだと思います。

もちろん、強烈 な喜びを得たいとは思います。
でも、そうでしょ?
本当にそう思っています。
(会場拍手)

でも、長い目でみれば、
ここにいるほとんど全ての人がつかのまの
強 烈な快楽をおぼれるねずみであるよりも、
高級な喜びを享受する人間でありたいと考えると思います。

先生の質問に答えると、このことが証明する、
いえ、証明 するとまでは言えませんが、

2つの喜びのうち、どちらを選ぶか、
たずねられた時、過半数の人は、
高級の喜びを選ぶだろうということです。

サンデル:
つまり、ミルは正しかったということだね?

学生D(ジョー):
そうです。

サンデル:
ありがとう、誰かジョーに、
反対するという人はいないかな?
今回の実験で、ミルの誤りがわかったと思う人?

功利主義の枠組みの中で、
喜びを高級なものを区別することは、
不可能だと考える人は?
どうぞ!

学生E:
人は良いものを選びます。
それは相対的なもので、
客観的な定義はありませんが、
シンプソンズがより好まれる社会もあるでしょう。

シンプソンズは、誰にでも理解できますが、
シェイクスピアを理解するのは教育が必要だと思います。

サンデル:
なるほど、
高級なものを理解するには教育が必要だ、
ミルも高級な喜びは理解と教育が必要すると言っている、
その点は争っていない、

そして、1度、教育 されると、
人は、高級なものを低級なものの違いが、
わかるようになり、
実際に、低級なものより、
高級なものを好むようになると言うのだ。

ジョン・スチュワート・ミルの有名な1節がある。

満足した豚であるより、
不満足な人間であるほうがよい。

満足した愚者であるより、
不満足なソクラテスである方が良い。

その愚者がもし異を唱えたとしても、
それは愚者が自分の側のことしか
知らないからに過ぎない。

ここからも低級な喜びと
高級な喜びを区別しようとする姿勢がみてとれる。

美術館にいくか、家のソファーで、
ビールを飲むか、
時には、
私たちも、後者の誘惑に、
負け ることがある。

それは、ミルも、承知している。
しかし、私たちは、物臭に、
ダラダラ過ごしている間にも、
美術館で、レンブラントのもっと
高級な喜びを得られる
という ことを知っている。

どちらも経験しているからだ。

そして、
レンブラントをみるのが、高級なのは、
それが、人類の高度な能力に
関わっているからだ。

個人の権利が、
尊重されないという反論に

ミルは、どう答えようとしたのだろうか?

ある意味では、彼は、
同じような論拠を使っていて、、
それは第5章に書いてある。

私は、効用に、基づかない
正義の架空の基準を作り出す、
どのような見せかけの理論にも意義を唱える。

一方で、効用に根ざした正義こそが
すべての道徳性に主たる部分であり、
比類なく、もっとも神聖で、
拘束力を持つものであると考える。

つまり、正義はより高級なもので、
個人の権利は特権的だが、
功利主義の条件から
外れない場合においてのみ、
尊重されるということだ。

正義とは、ある種の道徳的要請の名称であり、
集合的に見れば、社会的効用は、ほかの何よりも大きく、
ほかの何よりも優先されるべき義務なのである。

正義は、神聖で、
最優先されるべきものであり、
それより劣るものと、
簡単に交換できるものではない。

しかし、その理由は究極的には
功利主義の考えに、
基づいたものであると、
ミルは主張する。


私たちが、考慮すべきなのは、
人類全体の全てと長期的な利益である。
もし、私たちが正義を行い、
権利を尊重すれば、
社会全体が向上するだろう。

この考え方に、説得力はあるだろうか、
それともミルは、
質の高い喜びや神聖で
特に重要な個人の権利
について論じることで、

知らず知らずのうちに、
功利主義の枠組みに
はみ出してしまったのだろうか。

ここではその問いに、
答えることはできない。

権利と正義を論じるためには、
いったん功利主義から離れ、

別の方法で権利とは何かを説明し、
それらの考え方が成功しているかどうか、
確かめなければならないからだ。

ところで、道徳と法哲学の考え方として
功利主義をはじめたジェレミー・ベンサムは
1832年に85歳で亡くなった。

しかし今でもロンドンに行けば、
文字通り彼に会うことができる。
彼は自分の遺体に防腐処理をして
ロンドン大学に飾って欲しいと言い残していた。

それは実行され、ベンサムは、
本当に生前着ていた洋服に身をつつみ、
ガラスケースの中に座っている。

亡くなる前、ベンサムは、
彼の哲学に関連するある問いに答えた。

死者はどのような形で人の役にたつことできるか。
1つは解剖学の研究のために遺体を使わせることだ。

しかし、偉大な哲学者の場合は、
未来の思想家を刺激するために、
その肉体を保存する方が良い。

はく製になったベンサムをみたいかい?
さぁどうぞ、これだ。

 
ジェレミ・ベンサムの
オート・アイコン(自己標本)

ところで、近くでよくみるとわかるが、
本物の頭は防腐処理に失敗したので、
替わりに、ロウの頭がつけられている。
そして、足元に目をやると、
そこには、本物の頭が置いてある。

皿の上に、(会場笑い)
わかるかな?ここだ。

では、この話の教訓はなんだろう。

ところで、
大学はベンサムの身体を会議につかせて、
議事録には、出席したが投票せずと、
書いているそうだ。(会場笑い)

これぞ哲学者だ。
生きている間も死んでからも、
自分の哲学の原則に忠実だった。
次回は権利について続けよう。

※Lecture5、講義1-1部
「課税に正義はあるか」は、
こちらへどうぞ。

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