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今回も引き続き、
正義について話し合っていきましょう。
正義のない所に自由は存在しません。


 
今回のサンデル教授の講義は、
「実際にあった事件を元に正義とは?」
を考え学んでいきます、実例編です。

ビデオには前回同様、
「殺人に正義はあるか?」は、
前半1部(想像編)・後半2部(実例編)
の構成になっています。

今回は、2部(実例編)
(※ビデオでは、24分頃から始まります。)
の日本語訳を紹介しています。

サンデル教授の講義を参考に、
さまざまな正義について話し合ってみましょう。

すでに、裁判所の判決に、
民間から判決の判断に参加する事になっていたり、
選挙権は、18歳からや
来年からは、小学、中学へと段階別に、
社会正義(公正・公平)の勉強が始まったり
市民レベル、各自治体などでも
国民の自由を高めるために、
積極的な、社会正義の学びが進行中です。

公正・公平・社会正義教育開始のニュース
正義を重んじ公正・公平な社会を(文部科学省)
公正公平社会正義教育実行まで,
このような準備がされました。
(国立大学法人 東京学芸大学)


各校・地域取組例
H26防府市立松崎小学校
H26柳井市立新庄小学校
【学校必修】として扱っている指導計画例

多様な教育課題に対応した(東京都) 
など、、、

そこで、今回は、
数年前、NHKEテレで大変話題となりました。
ハーバード白熱教室
マイケル・サンデル教授の講義を準備しております。

講義は、12講義、1講義が2部に分かれており、
全部で、24部ございます。
今回は、その講義1-2部を下記に翻訳しております。
講義1ー1部は、前ページになります。

 

マイケル教授の講義を見ていますと、
正義と言う
難しいテーマを
質疑の中で、

隠れている個々の正義を
対立する考えや擁護する考えなど、

学生の意見をうまく引き出しながら、
教授と学生たちが一体となり、
正義についての講義が進められます。

面白く、わかりやすく、
白熱して来る質疑に、
わくわく興味を深々と魅かれていきます。

次第に、
日頃、良きことだと信じていた、
隠れている理性
(当前の事、普通の事など)の不安
を明らかにされ、
深く考えを進められます。

それぞれの正義を導き出す
考え方、質疑の進め方
(マナー)などが
次第に養われ、
正義の根本に迫っていきます。

正義を考える上で、
必要な知識や考え方が
自然と入ってきます。

1講義、おおよそ1時間が、
あっという間に過ぎてしまう。
もっと聞きたくなる、
もっと参加していたくなる、
そんな講義です。

サンデル教授の質問に、
あなたなら、どう答えますか?


講義に参加してると思って
一緒に考えてみてくださいね。

自分で使えそうだと思えば、
どうぞ、遠慮なく日常でも、
どんどん取り入れていきましょうね。

*************

正義と言うと、

アニメや時代劇に出てくる
正義の見方〇〇登場のように、

悪事を働く悪人を退治する
絶対的な正義のヒーローを

つい連想してしまいますよね、

でも、

実は、違います。

正義は、一つではありません。

人間には、様々な考えがあり、
それぞれに正義があります。
73億の人がいれば、
73億人個々一人一人に正義があります。

 

自分にも、相手にも、すべての人に、
ゆずれない正義がある事を認めましょう。


正義と正義が対立している時は、
互いの正義がある事を認め合いましょう。

お互いの平和や
良き関係を保ったり、築いたり
お互いの更なる幸せを追及するために、

お互い相手に、敬意や尊厳を表し、
正しい知恵、忍耐、勇気、寛容さを持ち、

協議し合い、優先順位を考えてゆき、
隠れている理性を明確にしながら、

互いの共通する正義、又、
より良き方向性への正義を
生み出す事が必要になります。

その時に注意を払わなければならない、
基本となる代表的な派として、
3つの正義の派があります。


3つの正義

1、結果重視
2、自由重視
3、人生の生き方・美徳の重視


より良き
1、社会として幸福の結果を求めて、
(結果の正義を重視)
wikipedia
より
ジェレミ・ベンサムジョン・スチュアート・ミル

幸福と苦痛とのギャップを最大限の
結果を目指します。

全体の幸せを最大化・
苦痛を最小化
それぞれの結果を目指します。

2、人間として公正と自由を求めて、
(自由の正義を重視)
wikipedia
より
ロバート・ノージックジョン・ロック
イマニエル・カントジョン・ロールズ

誰もが人として権利を尊重される事を目指します。

個人の権利を最大限、
の実現へ、

権利の犠牲は最小限、
の実現を目指します。

3、生き方として善や美徳の正義を求めて、
(人生や社会の理想の正義を重視)
wikipediaより
アリストテレスマイケル・ウォルツァー
マイケル・サンデル

人として正しい生き方とは?
社会のあるべき姿とは? 
理想の正義を目指します。

それぞれを追求、区別することで、
議論をより明確にし、
よりよい結論をめざしていきましょう。

*****************

ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の
哲学の講義12回24部の中の
講義1
Lecture1、講義1-1部・想像編(THE MORAL SIDE OF MURDER 
Lecture2、講義1-2部・実例編(THE CASE FOR CANNIBALISM

今回は、Lecture2、講義1-2部
実例編THE CASE FOR CANNIBALISM
の部分を日本語へ翻訳しています。

Lecture2、講義1-2部(実例編)、の
日本語の翻訳文は、動画の下に紹介しています


※Lecture1、講義1ー1部(想像編)、日本語訳は、こちらへ

※Lecture3、講義2ー1部
(命の値段をつけることに正義はあるか)は、こちらへどうぞ。

*****************

それでは、サンデル教授の
素晴らしい講義を
お楽しみください。

※ビデオ内の講義内容は、英語ですが、
ビデオの下に、日本語へ翻訳されています。
一緒にお楽しみください。

ビジュアルレクチャーより

ハーバード大学
マイケル・サンデル教授


Lecture01
THE MORAL SIDE OF MURDER
Lecture02
THE CASE FOR CANNIBALISM 


時間:54:56



講義1-2部(Lecture02)(実例編)
「殺人に正義はあるか(実例編)」


要 約

実際にあった話を、例に、
許される殺人はあるのかを考える。

19世紀のイギリスで、乗組員4人の船が沈没した。

4人は、救命ボートに、避難したが、
食糧は、カブの缶詰2つだけで、真水はなかった。

4日目、カブの缶詰を、1つ開けて食べ、
5日目、亀をつかまえ、亀と残りのカブの缶詰で、
数日過ごした。

それから、
8日間、彼らには、何もなかった。

19日目、船長は、残りの者を助けるため、
「くじびきを行い、誰が死ぬか決めよう。」
と言ったが、
反対され結局は、くじびきは、行われなかった。

20日目、 海水を飲んで、今にも、死にそうで、
しかも、身寄りもいなかった、
17歳の乗組員パーカーを殺した。

(それから、)
4日間、乗組員3人は、
(17歳の乗組員)パーカーの身体と血液で生き残った。

そして助けがきた。

彼らは、裁判にかけられ、
3人が生き残れるのなら、
1人の犠牲は、仕方がないと論じた。

この事件に対して、学生たちの意見から、
3つの問題が提起された。

(1)殺人は、殺人であり、
正当化されるべきではない。

という反論から、

「殺人が、正当化され得ないのは、
17歳の少年にも、
基本的人権があるからだろうか、」

だとしたら、

「その権利は、
どこから、やってくるのか、」

という問題。

(2)もし、
「皆が、くじをすることに同意していれば、」
と仮定すると、
「殺人は、許されたかもしれない。」

と思う人は増 えた。

なぜ、
「ある公正な、手続きをふめば、
それによって生じた結果は、
正当化できるのか、」

という問題。

(3)もし、
「パーカーが、強制でなく、
残りの者を助けるために、自ら同意した。」

と、仮定すれば、

「命を奪うことに、対して許される。」

と思う人は多かった。

ではなぜ、

「同意があれば、
命を奪うことが、
道徳的に、
許されるようになるのか、」

という問題。

この3つの質問に答えるためには、
何人かの著作を読まなければならないとし、
次回以降にまわすとした。
 
*********************

「殺人に正義はあるか(実例編)」

サンデル:
ここまでの講義で、道徳的なジレンマを巡る話をいくつかさせてもらった。

路面電車や医者や健康なのに、
臓器を取り出されそうになった患者の話だった。
そして、議論を通して、2つのことがわかってきた。

1つは、議論の展開の仕方だ。

私たちは、まず、ここのケースについて、
判断することからはじめ、
その判断の背後に、ある理由、もしくは、
原理をはっきりさせようとした。

別のケースを検討する際には、
それらの原理を再検討し、
他の原理と照らし合わせて見直す、
という作業をした。

すると、それぞれのケースについての
判断や見直した原理を
整合が、とれたものにしようとする
無意識の圧力が、働くこともわかった。

また、討論からでてきた
論争に、ついてもわかったことがある。


私たちは、自分の行為が、
道徳的であるかどうかを、
その行為の帰結によって判断する
傾向があることに気付いた。

これが帰結主義者の道徳理論だ。


しかし、行為の道徳性を帰結から
判断しないケースが、あることにも気付いた。

私たちの多くが、行為の帰結ではなく、
その行為の内在的な性質が
道徳的に重要である、
と感じるケースもあった。

例えば、
1人の命を犠牲にして、5人を助けた場合、
帰結だけみれば良い行為にも、
その行為は、無条件に、
許されないと感じる人もいた。

そこで、私たちは、
帰結主義者の道徳的原理と
無条件的道徳的原理を
対比させて、考えることにした。

今日から何回か、
帰結主義者の道徳論の中で、
最も、影響力のある
見解の1つを検討していく。


それは、
功利主義(大幸福主義)の哲学だ。

ジェレミー・ベンサムは、
18世紀のイギリスの政治哲学者で、
功利主義(大幸福主義)の道徳理論に、
はじめて明快で系統だった説明を与えた。

ベンサムの理論の根幹をなす考え方は、
とてもシンプルなもので、
それに道徳的に共感する人は多い。

ベンサムの
基本的な考え方とは、
正しい行いとは、
効用を最大化するものだ、
というものだ。


ベンサムのいう効用とは、
何を指すのか。

彼のいう効用とは、
苦痛よりも快楽、すなわち喜び。
受難よりも幸福、
というバランスを意味している。

さて、ベンサムがどのようにして、
効用を最大化する原理に、
たどりついたかを考えてみよう。

彼は、あらゆる人間を
観察するところからはじめた。
人間は誰でも、苦痛と快楽、
つまり、喜びとに支配されている。

私たち人間は喜びを好み、苦痛を嫌う。

だから、我々の道徳性は、
それに基づくべきだ。

人生で、何をすべてかと、考える時、
立法者として、あるいは、
市民として、法律とは、
どんなものであるべきか、

何が、正しい行いかについて、
個人的、あるいは、
全体的に、考える時、


私たちは、
全体の幸福度を
最大化させるやり方で行動すべきなのだ。

それゆえ、
ベンサムの功利主義(大幸福主義)は、
再大多数の最大幸福という言葉に、
集約されることも多い。


この効用の基本原則を、
念頭に置きながら、
あるケースについて考えてみよう。

今回のケースは、架空の話ではない、
実際にあった事件で、
2人の船乗りが、被告として裁かれた。

19世紀のイギリスの事件は、
ロースクール、法科大学院でも、よく議論される。

では、どんな事件か説明しよう。
概要を説明するので、
自分が陪審員だったらどう採点するか、

考えながら聞いて欲しい。
当時の新聞に、
事件の背景を解説した
記事が載っている。

悲劇的な海岸事故の物語だ。
船の生存者の物語ほど語られることはなかった。

この船の名はミニョネット号、
南大西洋の喜望峰から。
2000キロは離れたところで沈んだ。

乗組員は4人、
船長のダドリー、一等航海士のスティーヴン、
そして、船員のブルックス、
全員素晴らしい人格の持ち主だった。


少なくとも、新聞は、そう伝えている。

4人目の乗り組み員は、
リチャード・パーカー。
17歳。彼は孤児で身寄りもなく、
これが、彼にとっての最初の長い航海だった。

新聞によれば、友達は、
パーカーを行くなと止めたが、

彼は、この旅が、
自分を男にしてくれるだろうと考え、
若者らしい希望に、胸を膨らませて、出向した。
だが、悲しいことにそうはならなかった。

波が船に打ちつけ、ミニョネット号は沈没。
4人の船員は、救命ボートへと避難した。


唯一の食糧は、
カブの缶詰が2つだけで、真水はなかった。
最初の3日間、彼らは何も食べずに耐えた。

4日目にカブの缶詰を1つ開けて食べた。
その翌日、亀をつかまえた。それから数日間、
彼らはもう1つの缶詰と亀を食べて持ちこたえた。

だが、それ以降の8日間、彼らには何もなかった。
食べ物も水もなかった。

そのような自分の状況を考えてみて欲しい。
君ならどうするだろうか、彼はこうした。

すでに、パーカーは、
救命ボートの横に横たわっていた。


パーカーは他の者の忠告を無視して、
海水を飲んだために具合が悪くなって、
死が近いようにみえた。

19日目に、
船長のダブリーは、皆でくじびきを行い、
残りの者を助けるために、
誰が死ぬかを決めようと提案した。

ブルックスは拒否した。
彼は、くじを引いて、
決めるという考え方が、
気に入らなかったからだ。

自分が、
当たったら大変だからと思ったのか、
それとも、
絶対的な道徳的原理を信じていたからなのか、
しかし、
いずれにしても、くじ引きは行われなかった。

その翌日、相変わらず、救援船は現れず、

ダドリーは、ブルックスに見ないように言い、
スティーヴンに、パーカーを殺そうと合図した。


ダドリーは祈りをささげた。

彼はパーカーに、
「お前は最後の時がきた。」と告げ、
ペンナイフで頸動脈を刺して殺した。

ブルックスは、
良心による拒否から抜け出し、
身の毛もよだつような恵みを共有した。

4日間、彼ら3人は、
パーカーの身体と血液で生き残った。
本当の話だ。そして、彼らは救助された。

ダドリーは救助された時のことを信じがたい
婉曲表現で日記に書いていた。

24日目に私たちが「朝食」を食べていると、
ついに船が現れた。

3人の生存者はドイツの船に収容され、
イギリスに連れ戻され、
そこで逮捕され裁判にかけられた。

ブルックスは国の証人となった。
ダドリーとスティーヴンは裁判にかけられた。

彼らは事実については争わず、
必要に迫られての行為だと主張した。

そして、3人が生き残れるのなら
1人の犠牲は仕方がないと論じた。

検察官は、その議論に惑わされることはなかった。
検察官は、「殺人は殺人である」。と言い、
事件は、裁判にかけられた。

さぁ、自分が陪審員だと、想像して欲しい。

ただ、事件を単純化させるために、
法律的な問題は横において、

 君たちは、彼らが道徳的に、
許されるか、いなか、のみを
判断する責任を負っている、
と仮定しよう。

彼らは有罪ではない、
つまり、彼らがしたことは、
道徳的に許されると思う人?
(会場少数手をあげる)

いや、有罪だ。
彼らがしたことは間違っている、と思う人?
(会場大多数)
ほとんどの人がこっちだね。

じゃあ、その理由を聞いていこう、
少数派から始めよう。
まずは、
ダドリーとスティーヴンを弁護する側から聞きたい。

なぜ、なぜ、彼らの行為は、
道徳的に許されると思うのか。君!

学生A:
道徳的には、避難されるべきであると思います。
でも、道徳的に避難されるのと、
法的に責任があるのとは違います。

逆に、
「道徳的なことが、いつも法にふれるわけではない。」
とは限りません。

僕は、必要だったからという理由が、
盗みや殺人や、いかなる違法な行いも、
正当化するとは思いませんが、

必要性の程度が有罪を免除されるケースもあると思います。

サンデル:
よろしい。弁護側の他の意見を聞きたい。
彼らがしたことをどうやって道徳的に正当化するのか。


君!

学生B:
そういう状況で生き残るためにしなければならないことをしなければなりません。

サンデル:
しなければならないことを?

学生B:
しなければならないんです。
食べ物なしに19日間を過ごし、
誰かが犠牲になれば、他の人が生き残るんですから。

もしも、生き残った彼らは、
100万ドルのチャリティーをはじめるとかして、
社会に貢献したとすれば、
みんなのためになったわけですから。

いや、もちろん僕は、彼らがその後、
何をしたのか知りません。
もっと人を殺したかもしれませんけど。


サンデル:
故郷に戻って、彼らが殺し屋になったとしたら?

学生B:
彼らが殺し屋になったとしたら?

サンデル:
誰を殺したか知りたいよなぁ。

学生B:
たしかにそうですね、知りたいですね。

サンデル:
結構、君の名前は?

学生B:
マーカス

サンデル:
マーカスありがとう。
私たちは弁護側の意見を2つ聞いた。

次は、検察側から聞いてみよう。
ほとんどの人は彼らがしたことは
間違っていると思っている。
なぜか。君!

学生C:
私が最初に考えたことは、
長いこと食べずにいたのだから、


彼らは精神的に
影響を受けていたかもしれないし、
それを弁護に使えることです。

つまり、彼らは適切な心理状態ではなかった。
適切な心理状態であったならしていたであろう、
決断をしなかった。

適切ではない心理状態でなかったからこそ、
そのようなことをしてしまったと言えます。

でも、こう弁護する人たちは、
本心は、彼らの行為は道徳に反していると
考えている。というわけです。

サンデル:
君は、どう思うの?
君は、彼らを弁護しているが、
君は、有罪派?

学生C:
はい、私は彼らが道徳的に
正しいとは思いません。

サンデル:
なぜ、正しくないのかな?さっき、
マーカスが彼を弁護した時、
何て言ったか聞いていたよね。

学生C:
はい。

サンデル:
しなければならないことをしなければならない。
君はマーカスになんと反論する?

学生C:
人間が、他の人間の運命を決めたり、
他の人間の命を奪うことは、


どんな状況でも認められません。
人間には、そんな権限はないのです。

サンデル:
結構、君の名前は?

学生C:
ブリット

サンデル:
ブリットありがとう、他には?どう思う?立ち上がって!

学生D:
ダドリーとスティーヴンが、
死ぬことについて、
パーカーの同意を求めていたら、、
と思います。

それは、彼らの殺人行為から
免除されるでしょうか。

だとしたら、それでも道徳的に、
正当化できるでしょうか。

サンデル:
それはおもしろい、同意か、君の名前は?

学生D:
キャスリン

サンデル:
キャスリンの言うように、もし、
彼らが、パーカーの同意を得ていたら、
どうだったろう。

ダドリーが、ペンナイフを手にして、
お祈りをせずに、あるいは、
お祈りの前にパーカーに、こう言う。
「パーカー殺してもいいかな?」(会場笑い)

オレたちは、腹ペコなんだ。
さっきマーカスも言ってたけど、
めちゃくちゃ腹ペコだ。
どっちにしろ、君は、長くは持つまい。

学生D(キャスリン):
君は、殉教者になれるぞ(笑)

サンデル:
殉教者になってくれ。
頼むよパーカー(会場笑い)

サンデル:
それで、道徳的に、正当化されるだろうか?
パーカーが半分意識がもうろうとした状況で
「いいよ」って言ったら?(会場笑い)

学生D(キャスリン):
それでは、道徳的に、正当化できるとは思いません。

サンデル:
それでも正当化できない?
同意があっても、道徳的に、正当化できるとは思わない。

キャスリンの同意を巡る考えだが、
同意を得れば、
道徳的に正当化されると思う人?

されると思う人は手をあげて!
(会場そこそこ手があがる)

サンデル:
これは、おもしろい、
なぜ、同意が道徳的な違いを生むのか?
なぜ、正当化されるのか?

学生E:
パーカーが自分からそう言い出せば、
その場合に限ってのみ、
彼の命を奪うことが
正しいと認められると思います。

その場合には、彼がプレッシャーをかけられた、
と、いうことはできないからです。

これは3対1の状況、
大勢対1人ですから。


自分で自分の命を与えることを決め、
誰かに頼んで殺してもらおうとすれば、
安心する人もいるだろうし、
その決断に、反対する人もいるでしょうけど。

サンデル:
すると、彼が、
自分から死ぬと言い出した場合のみ、
道徳的に間違っていない。


だったらオーケー、というわけだね。


さもなければ、それは状況の下で
強制された同意になると考えるんだね。

サンデル:
パーカーの自発的な同意があっても、
仲間が彼を殺すことは正当化されない。
と、考える人はいないか?

サンデル:
なぜか教えて欲しい。君!

学生F:
パーカーが殺されるのは、
他の乗組員が救助されるという
望みがあるからですよね。

でも、いつ助けが来るとはわからないんですから
パーカーが殺されるべきだという
明白な理由はありません。

だから無意味な殺人です。
救助されるまで、誰もいなくなるまで
仲間を殺し続けるんですか?

サンデル:
この状況の道徳的な論理はそうだね。
救助されるまで、一番弱い者を一人ずつ選んでいく、
というものだろうね。

この事件の場合は,、幸運にも、
3人がまだ生きている、
ところで救助されたということだ。

サンデル:
さぁ、パーカーは同意したとすると、
これで、問題ないのだろうか。

学生F:
いえ、正しくありません。

サンデル:
なぜ、正しくないのかな?

学生F:
カニバリズムは、道徳的に正しくないと思います。
とにかく、人間を食べるべきではありません。

サンデル:
カニバリズムは、
道徳的にあるまじき行為だ。というわけだ!


じゃあ、殺すのではなく、
死ぬまで、待った場合でも、
やはりしてはいけないと。

学生F:
はい、私個人としてはそう思います。
全ては、個人の道徳観で決まると思います。
でも、これは単に私の意見です。
もちろん、反対する人もいるでしょうけど。

サンデル:
じゃあ、君を説得できる理由があるかどうか、
みてみるとしよう。


それじゃあ、誰か、同意が、あれば、
オーケーと思う人の中で、
なぜ、同意が、そういう道徳の違いを生むのか。
説明できる人は?

サンデル:
くじを引く。という、アイデアは、どうだろう?
これを同意と考えられるだろうか。

思い出して、欲しいのは、
最初に、ダドリーは、
くじ引きを提案しているところだ。

仲間が、くじ引きを同意したとしよう。
それなら、問題はなくなると思う人は?

くじを引きで、パーカーが負け、
パーカーが殺されることになったとする。


それなら道徳的に許されると思う人は?

くじ引きを加える事を賛成する人数が増えた。

くじ引きが、道徳的な違いを生む。
という人の意見を聞こう。


その理由は?

学生G:
僕は、それを犯罪足らしめる、
必要不可欠要素は、

彼らがある時点で、自分たちの命は、
彼の命より大事だと考えたからだと思います。

どんな犯罪にも、その根底には、
自分の必要なものや欲望は、
人のより優先されるという考えがあります。

でも、くじ引きに同意したのなら、
彼らは、全員、仲間を助けるために、
自分を犠牲にするということですから。

サンデル:
問題はなくなる?

学生G:
グロテスクではありますが。

サンデル:
道徳的には許される。君の名前は?

学生G:
マット

サンデル:
つまり、君がひっかかるのは、
人の肉を食べることではなく、
適正な、手続きがないことなわけだ。

学生G(マット):
ですね。

サンデル:
よろしい。
では、マットに賛成の人で、

なぜくじ引きが、それを道徳的に、
許されるものにするのか、

さらに、説明してくれる人、君!

学生H:
私の理解では、問題は、
パーカーは、自分の身に、
何が、起こるのか聞かされていない、

元々のくじ引きの場合でも、
自分が参加するかどうか、
意見を聞かされていないということです。


彼が死ぬことになるんだ。と決められただけで、、。

サンデル:
そう、実際はそうだった。


しかし、もしくじ引きがあり、
全員がその手続きに、
同意したら、オーケーしたら、問題ないかな?

学生H:
はい、それなら全員、誰かが、
死ぬと、わかっているから。


でも、パーカーは、その議論が、
起きたことを知らなかったし、
君が、死ぬことになるかもしれないぞ、
と、知らせる警告すらなかったわけです。

サンデル:
じゃあ、全員が、くじびきに同意したとしよう。
そして、くじ引きをしたら、
パーカーが負け、気を変えたら、、。

学生H:
いえぇ、同意は、
同等の契約のものようなものだから、
撤回はできません。

自分が死ぬのは、
仲間を助けるためだとわかっているんだし、
自分だって、他の誰かが死んだら食べるでしょう。

サンデル:
まあね、でも、やはり自分が負けたら嫌だよ。

学生H:
パーカーには、何も相談がなかったということが、
道徳的問題の全てであって、


彼には、何も知らされなかったことがおそろしいんです。


知らせていたのなら、
彼らの行為も少しは理解できますけど。

サンデル:
よろしい、彼らの行為は、
道徳的に許されると考えるものもいるが、
たったの20%だ。マーカスを筆頭に。


そして、ここでの本当の問題は、
同意がないことだと考えるものだという。

くじ引きへの同意、公正な手続きへの、
同意がないことだと考えるものもいれば、

キャスリンのように、
死ぬ前の同意がないことが、
問題だと言うものもいる。

サンデル:
いずれにせよ、同意があれば、
犠牲は、道徳的に、
正当化されると考える人は、増えてくる。

最後に、同意があってもなお、
くじ引きへの同意があっても、


今際の際(イマワノキワ・死に際)に、
パーカーが同意の言葉をつぶやいたとしても、

なお、犠牲にするのは間違っていると
考える人の意見を聞きたい。


なぜ間違っているのか、そこを聞かせて欲しい。

学生I:
私はずっと、無条件の道徳理論の立場です。
くじ引きへの同意で、
大丈夫な可能性もあると思います。

負けたものが、
誰の手も借りずに自殺をすれば、
殺人行為になりません。


でも、たとえそういう方法であっても、
それは強制だと思います。

それに、そこには、
良心の呵責(カシャク・責めさいなむこと)が、
あったとは思いません。

ダドリーは、日記に「朝食を食べていた」
なんて書いていますから。

他人の命を重んじるようなタイプには思えません。
無条件道徳論です。

サンデル:
告発したい?
良心の呵責を感じておらず、
悪びれてないかな?

学生I:
はい。

サンデル:
よろしい。同意があろうがなかろうが、
無条件に断固として間違っているという人は?
立って!なぜだい?


学生J:
殺人は殺人です。


我々の社会においては、どんな場合にも殺人は殺人で、
殺人に違いがあるとは思えません。

サンデル:
1つ質問だ。
1人の命に対して、3人の命がかかっていた。

1人の方の、少年パーカーが
身寄りも家族もいなかったが、

他の3人には国に帰れば、
身寄りも扶養すべき妻子もいた。

サンデル:
ベンサムに戻って考えよう。


ベンサムは、私たちは、
皆の福祉、効用、幸福を考えるべきで、
その全部をたして考えなければならないと言っている。

それは単に3人対1人ではなく、
故郷の家族も関わってくる。


事実、当時のロンドン新聞や大衆の意見は、
ダドリーやスティーヴンに同情的だった。


新聞は故郷の家族への愛情や心配がなかったら、
彼らはこんなことはしなかっただろうと書いた。

学生J:
でも、失業している人たちだって、
家族を養いたいと思うのは同じじゃないですか。

どんな場合でも自分の状態を
より良いものにするために、
誰かを殺したら、それは殺人です。

どんな理由の殺人であれ、殺人は殺人であり、
例外をつくってはなりません。


同じ行為は、全て同じ、
殺人も殺人にいたる精神状態も
家族を養う必要性も同じです。


サンデル:
これが3人ではないと仮定しよう。
30人、いや、300人だと仮定しょう。


例えば、戦争中で、3000人の命がかかっている、
としたら、どうだろうか?

学生J:
もっと、大勢の命がかかっていても、やはり同じです。

サンデル:
ベンサムは、正しい行いとは、
集合的な幸福を増すことだ、と、
言っていることは間違いだ、と思うわけだ。


学生J:
そうは思いませんが、殺人は殺人です。

サンデル:
だとしたら、ベンサムは間違っている。

学生J:
えぇ、僕が正しいです。

サンデル:
ありがとう、
結構だ、議論から一歩離れて、
彼らがしたことに対して、
いくつ反論が出たか考えてみよう。

サンデル:
彼のしたことを弁護する意見もあった。
あの悲惨な状況で、生き延びるには、
必要だったという意見。

また、数も重要だという示唆もあってね。
当事者の数だけでなく、もっと広い効果も重要だ。

彼らは、故郷に、家族や扶養する者がいたが、
パーカーは孤児だった。


彼がいなくなっても悲しむ者はいない、
だからこれらを足し合わせて、


幸福な苦しみのバランスを計算すれば、
彼らが、したことは正しかった。と、
いう言い分もあるかもしれない。

しかし、これに対して、
3つの異なるタイプの反論があった。
彼らが、したことは、
絶対間違っているという反論。


最後に、マイクが述べた通り、殺人は殺人。

例え、社会全体の幸福が増えるにしても、
無常権に反対という意見だ。
絶対に許されないということだねぇ。

しかし、殺人が、
無条件に誤っている理由を
調べる必要がある。
最初の質問だ。

殺人が正当化され得ないのは、
少年さえも、ある種の基本的権利を
持っているからなのか、

だとしたら、その権利はどこから来るのか、
全体の福祉や効用や幸福という
考え方からくるのではないとしたら、
どこからくるのか。

それが質問の1。

くじを引けば事情は、変わるという人もいたね。
公正な手続きが、必要だとマットは言った。
その意見に傾く人もいた。
その意見は無条件に反対ではない。


一人一人が公共の福祉のために
犠牲になることはあっても、
この考えは別の質問を提起する。

なぜ、ある公正な手続きをすることに、
皆が同意しさえしていれば、
その手続きをふんだことによって
生じる帰結を正当化することができるのか、

これが質問の2。

そして、第3の質問は、
提起したのは、キャスリンだ。

犠牲となったパーカーが、
自ら同意したのなら、
そして、付け加えられないように、
強要の下でなければ、

残りの者を助けるために、
彼の命を奪ってもいいのではないか、
この考えに賛成した者は多かったね。

しかし、それは第3の哲学的な質問を提起する。

同意が、行う道徳的な働きは、なんだろうか、
なぜ同意するという行為は、
道徳的な違いを生み出すのか、

命を奪うという行為は、
同意なしでは許されないが、
同意があれば、
道徳的に許されるようになるのはなぜか。

この3つの質問に答えるためには、
何人かの著作を読まなければならない。


次回から功利主義(大幸福主義)の哲学者、
ベンサムとジョン・スチュアート・ミルを読むことにしょう。

※サンデル教授 「正義について話そう。」
講義2は、こちらへどうぞ。

講義2は、只今、編集中です。暫くお待ちくださいませ。m(_ _)m

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