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今日は、正義について話し合って見ましょう。
正義のない所に、自由は存在しません。


既に、裁判所の判決に、
民間から判決の判断に参加する事になっていたり、
選挙権は、18歳からや
来年からは、小学、中学へと段階別に、
社会正義(公正・公平)の勉強が始まったり
市民レベル、各自治体などでも
国民の自由を高めるために、
積極的な、社会正義の学びが進行中です。

公正・公平・社会正義教育開始のニュース
正義を重んじ公正・公平な社会を(文部科学省)
公正公平社会正義教育実行まで,
このような準備がされました。
(国立大学法人 東京学芸大学)


各校・地域取組例
H26防府市立松崎小学校
H26柳井市立新庄小学校
【学校必修】として扱っている指導計画例

多様な教育課題に対応した(東京都) 
など、、、

そこで、今回は、
数年前、NHKEテレで大変話題となりました。
ハーバード白熱教室
マイケル・サンデル教授の講義を準備しました。

講義は、12講義、1講義が2部に分かれており、
全部で、Lecture24(24部)ございます。
今回は、そのLecture1、講義1-1部を下記に翻訳しております。

Lecture2、講義1ー2部は、次ページになります。

 

マイケル教授の講義を見ていますと、
正義と言う
難しいテーマを
質疑の中で、

隠れている個々の正義を
対立する考えや擁護する考えなど、

学生の意見をうまく引き出しながら、
教授と学生たちが一体となり、
講義が進められます。

面白く、わかりやすく、
白熱して来る質疑に、
わくわく興味を深々と魅かれていきます。

次第に、
日頃、良きことだと信じていた、
隠れている理性(当前の事、普通の事など)の不安
を明らかにされ、
深く考えを進められます。

それぞれの正義を導き出す
考え方、質疑の進め方
(マナー)などが
次第に養われ、
正義の根本に迫っていきます。

正義を考える上で、
必要な知識や考え方が
自然と入ってきます。

1講義、おおよそ1時間が、
あっという間に過ぎてしまう。
もっと聞きたくなる、
もっと参加していたくなる、
そんな講義です。

サンデル教授の質問に、
あなたなら、どう答えますか?


講義に参加してると思って
一緒に考えてみてくださいね。

自分で使えそうだと思えば、
どうぞ、遠慮なく日常でも、
どんどん取り入れていきましょうね。

*************

正義と言うと、

アニメや時代劇に出てくる
正義の見方〇〇登場のように、

悪事を働く悪人を退治する
絶対的な正義のヒーローを

つい連想してしまいますよね、

でも、

実は、違います。

正義は、一つではありません。

人間には、様々な考えがあり、
それぞれに正義があります。
73億の人がいれば、
73億人個々一人一人に正義があります。

 

自分にも、相手にも、すべての人に、
ゆずれない正義がある事を認めましょう。


正義と正義が対立している時は、
互いの正義がある事を認め合いましょう。

お互いの平和や
良き関係を保ったり、築いたり
お互いの更なる幸せを追及するために、

お互い相手に、敬意や尊厳を表し、
正しい知恵、忍耐、勇気、寛容さを持ち、

協議し合い、優先順位を考えてゆき、
隠れている理性を明確にしながら、

互いの共通する正義、又、
より良き方向性への正義を
生み出す事が必要になります。

その時に注意を払わなければならない、
基本となる代表的な派として、
3つの正義の派があります。


3つの正義

1、結果重視
2、自由重視
3、人生の生き方・美徳の重視


より良き
1、社会として幸福の結果を求めて、
(結果の正義を重視)
wikipedia
より
ジェレミ・ベンサムジョン・スチュアート・ミル

幸福と苦痛とのギャップを最大限の
結果を目指します。

全体の幸せを最大化・
苦痛を最小化
それぞれの結果を目指します。

2、人間として公正と自由を求めて、
(自由の正義を重視)
wikipedia
より
ロバート・ノージックジョン・ロック
イマニエル・カントジョン・ロールズ

誰もが人として権利を尊重される事を目指します。

個人の権利を最大限、
の実現へ、

権利の犠牲は最小限、
の実現を目指します。

3、生き方として善や美徳の正義を求めて、
(人生や社会の理想の正義を重視)
wikipediaより
アリストテレスマイケル・ウォルツァー
マイケル・サンデル

人として正しい生き方とは?
社会のあるべき姿とは? 
理想の正義を目指します。

それぞれを追求、区別することで、
議論をより明確にし、よりよい結論をめざしていきましょう。

***************

さて、本日より、
ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の
哲学の講義12回24レクチュアーを紹介していきますが、
本日は、その初めの講義1にあたる
レクチャー1(THE MORAL SIDE OF MURDER ・ 想像編)
レクチャー2(THE CASE FOR CANNIBALISM ・ 実践編)をどうぞ。

※それぞれ、
講義の内容は、動画の下に日本語で翻訳されています。
レクチャー2の翻訳ページは、こちらから→どうぞ。
(※レクチャー2は、只今、準備中です。暫くお待ちください。)
ビジュアルレクチャーより

ハーバード大学
マイケル・サンデル教授


Lecture01
THE MORAL SIDE OF MURDER
Lecture02
THE CASE FOR CANNIBALISM 


時間:54:56


レクチャー1
殺人に正義はあるか?

1人の命を犠牲にすれば、5人の命が助かるなら、
1人の命を犠牲にすることは、正しいのか。

もし、1人の命の犠牲の仕方が、殺人であったならばどうか。

その殺人に、正義はあるのだろうか。

電車事故のケースと医療のケースで考える。
ここで、大きく2つの考え方がみえてくる


1、5人と1人の命を天秤にかけ、
結果を考えてから決断を出す考え方と、

2、結果を考えるのではなく行動の動機、
殺人という行為が無条件的に、
正義ではないと考え決断を出す考え方だ。

そして、
1、の前者の考えを、哲学者ベンサムが、
2、の後者の考えを、哲学者カントが、
代表的な哲学者であると示す。

また、政治哲学を学ぶことにリスクがあることを
ソクラテスの時代と重ね合わせて説明している。

サンデル教授は締めくくりに、
この講義の目的は理性の不安を目覚めさせ
それがどこに導いていくのかを見ることだと述べる。

【日本語訳】

サンデル:
この講義は正義についてです。まずこの話からはじめよう。

君は、路面電車の運転手で、
時速100キロの猛スピードで走っている。

君は、行く手に5人の労働者がいることに気付いて
電車を止めようとするが、ブレーキは効かない。

君は絶望する。

そのまま進んで5人の労働者に突っ込めば、
5人とも死んでしまうからだ。

ここでは、それは、確実なことだと仮定しよう。
 
君は何もできないとあきらめかける。
が、その時、
脇にそれる線路待避線があることに気付く。

しかし、そこにも働いている人が1人いる。

ブレーキは効かないがハンドルは効くので、
ハンドルをきって、脇の線路に入れば、
1人は殺してしまうけれども、5人は助けることができる。

ここで最初の質問だ。
 
正しい行いはどちらか?
あなたならどうする?

多数決をとってみよう。

サンデル:
ハンドルをきって避けるという人は?手を上げて!
(大多数の人が手をあげる)

サンデル:
では、曲がらずに直進するという人は?
直進するという人は、手を上げたままで、、、、
極少数の人だけだね。

学生A:
1人を殺せばすむところを5人を殺すのは、
正しくないからです。

学生B:
911同時多発テロ事件と同じです。
ワシントンに向かった飛行機の乗客は、
地上で犠牲になる人より、
数が少ない自分たち乗客が、
犠牲になることを選んだからヒーローなんです。

サンデル:
そこにある原理は、
同時多発テロの場合と同じだと言うことだね。
悲劇的な状況だが、
5人が助かるなら、1人を殺すことの方がいい。
ということだ。この意見がほとんどかな?
では、少数派の意見をきいてみよう。

サンデル:
ハンドルをきらない理由は何かな?

学生C:
これは大虐殺や全体主義を正当化する真理と同じです。
ある人種を残すために、他の人種を消滅させるんです。

サンデル:
では君は?身の毛もよだつ大逆殺を避けたいがために、
まっすぐ突っ込んで行って5人を殺すってことかな?
(会場笑い)

学生C:
はい、たぶん。

サンデル:
突っ込む?他には?今のは、
勇気ある答えだったな。

サンデル:
では、路面電車の別のケースを考えてみよう。

こっちのケースでも5人を助けられるなら
1人が死んでもしかなたい。
という原理を皆が指示し続けるかどうか、
みてみよう。

サンデル:
今度は、君は、
路面電車の運転手ではなく、傍観者だ。
電車の線路が見える橋にいて、
見下ろしていると。電車がくるのが見えた。

線路の先には5人の労働者がいる。
ブレーキはきかない。
このままだと電車は、
猛スピードで電車は突っ込み5人は死ぬ。

今回は、君は、運転手ではない。
(傍観者である。)

サンデル:
何もできない、と諦めかけた時、
自分の隣に橋から身を乗り出している
ものすごく太った一人の
男がいることに気付く。
(会場笑い)

サンデル:
もし、君がこの太った男を突き落とせば、
彼は、橋から走ってくる電車の前に落ちる。
彼は死ぬが、5人を助けることができる。

サンデル:
さて、彼を橋から突き落とすという人は?
手をあげて?

サンデル:
じゃあ突き落とさない人は?

サンデル:
突き落とさないという人がほとんどだ。

サンデル:
さぁここで質問だ。
1人を犠牲にしても5人の命を助けた方がいい。
といった原理はどうなったんだ?

さっきは ほとんどが賛成した
原理はどうなったのかな?
どちらのケースでも多数派だった人の
意見を聞きたい。

どうやって、この2つの違いを
説明をするのか?君は?

学生D:
2番目のケースでは人を突き落とす。
という能動的な選択を
行わなければいけません。

僕が、突き落とさなければ、
彼をその状況とは全く関係なかったはずで、

僕が、彼を突き落とすという
選択をしたせいで、関係なかったはずの状況に、
彼を関わらせることになります。

最初のケースは
運転手と5人と1人という、
3者の関係だけでしたけど、
今回はそれに別の要素が
加わっていると思います。

サンデル:
でも、待避線の男だって、
太った男と同じで、
自分の命を犠牲にすることを
自分で選んだわけじゃないよね。

学生D:
その通りです。でも、線路の上にいた。

サンデル:
こっちの男は橋の上にいた。
(会場笑い)
 
サンデル:
後で、また意見を言ってくれ。
これは難しい質問だ。
君の意見はすごくよかったよ。

この2つのケースで多数派が
矛盾した答えを選んだ
理由がわかる人は?
君!!

学生E:
最初のケースは、
1人が死ぬか、5人が死ぬか、
を選ばないといけないわけで、
その結果、人は死にますが、

死ぬのは電車が原因であって、
自分が手を下したせいではないし、

電車のブレーキは効かない上、
一瞬でどちらかを選ばなければなりません。

でも、太った男を落とすのは
殺人行為です。
突き落とすか、落とさないかは、
自分の選択だけど、
電車の暴走は、
自分が選んだことじゃない。
だから状況が違います。

サンデル:
今の意見に対して反論がある人は?
いい意見だったが、
今の意見が正解だろうか。

学生F:
それは違うと思います。
どっちにしても、
死ぬ人を選ばなければ
いけないのは同じです。

ハンドルをきって、
1人を殺すのも自分の意思による行為だし、

太った男を突き落とすのも、
自分の意思による行為です。

いずれも自分の選択で
あることに変わりはありません。

サンデル:
反論があるかな?

学生D:
それはちょっと違うと思います。
実際に線路に、突き通して殺す。

という行為だと、
自分がじかに殺すことになります。

サンデル:
自分で手を下すからねぇ。

学生D:
そうです。運転していたら、
それが、人に死をもたらしたのとは違います。
不謹慎かもしれませんが。

サンデル:
いや、いい意見だ。君の名前は?

学生D:
アンドル

サンデル:
じゃあもう一つ質問だ。
橋の上に立っていて、
君はハンドルを回すと、
彼を落とせるとしよう。
(会場笑い)

サンデル:
ハンドルを回すかい?

学生D(アンドル):
いや、それは、
さらにしてはいけないことのように思います。
偶然、ハンドルに
寄りかかっちゃったら回っちゃった。
とかならいいけど。(会場笑い)

あるいは電車が
落とし穴のスイッチに向かって、
突進しているとかなら、
納得できますけど。

サンデル:
よろしい。やはり抵抗があるんだね。
最初のケースではハンドルを
切るのは抵抗がなかったけど。

学生D(アンドル):
最初のケースでは、
はじめから状況の当事者だったけど、
このケースは傍観者なわけです。
男を突き落として、
はじめて当事者になるわけで。

サンデル:
よし、じゃあ、このケースは、
しばらく脇に置いといて
違うパターンを考えよう。

サンデル:
今度は君は、
緊急救命室の医者だと仮定しよう。
そこへ6人の患者がやってくる。
彼らはひどい路面電車の事故にあったんだ。
(会場笑い)

内5人は中程度の怪我をしている。
1人は重傷だ。
重傷患者に一日中かかり切りで
手当をすれば助かるが、
そのかわり5人は死ぬ。

逆に、中程度の5人の手当をすれば、
5人は助かるが、
その間に(1人の)重傷患者は亡くなる。

医者として5人を助けるという人は?
では、1人を助けるという人は?

とても少ない、一握りの人だけだ。
同じ理由だろうね。
1人の命、対、5人の命だ。

サンデル:
では、別の医者のケースだ。
今度は君は、移植医で、
生きるためには臓器移植が、
どうしても必要な5人の患者を抱えている。

5人はそれぞれ心臓、肺、腎臓、肝臓、
を必要としている。

最後の1人は膵臓だ。
そして、臓器のドナーはいない。
君は5人の死を目前にしている。

その時、君は、隣の部屋に、
健康診断を受けにきた
1人の健康な男がいるのを思い出す。
(会場笑い)

 彼は昼寝をしている。
 (会場笑い)

そっと部屋に、忍びこんで、
5つの臓器を抜き取れば、
その人は、死ぬが、
5人を助けられる。

自分ならそうする、
という人は?、、、いるかな?
そうする人は手をあげて?

上の方の人は?

学生F:
僕はそうします。
気をつけて、
乗り出して落ちないように。
(会場笑い)

サンデル:
そうはしないという人は?
よーし、じゃあ意見を聞こう。

上にいる健康な人から臓器を
抜き取ろうとする君!
理由は?

学生F:
僕は違う可能性にかけたい。

臓器が必要な5人の可能性の内、
最初になくなった人の4つの
臓器を使って残りの4人を助けるんです。

サンデル:
それは名案だ。(会場拍手)
実にすばらしい。
ただ、一つの難点は
私が設定した哲学的な問題を
台無しにしてしまったところだ。
(会場笑い)

さて、今までの話や議論を離れて、
議論が、展開してきた方向に
ついて明らかになった、
いくつかの点を見て行こう。

今までの討論から道徳の原理が、
いくつか、その姿を見せはじめている。

これらの道徳的な原理が
どのようなものか考えてみよう。

討論から出てきた
最初の道徳的原理は、
何をするのが、
正しくて道徳的か、
と、いうことは、
行動の帰結で決まる、ということだ。

つまり、帰結、結果が良ければいいわけだ。

1人が死ななければいけないとしても、
5人が助かる方がいい。

これが、帰結主義者が
道徳を論じる時の論じ方だ。

帰結主義者は、
行為の帰結に道徳性を求める。

つまり、その行為によって、
社会が恩恵を受けることが大事なわけだ。

しかし、もう一歩進んで考えてみたところ、
別のパターンでは、
帰結主義的な論法には
賛同しない人が多かった。

ほとんどの人が
橋から太った男を突き落としたり、
何の罪のない患者から
臓器を取り出したりすることには、
ためらいを覚えた。

ためらう理由は、行為の帰結とは関係なく、
行為の本質に関係があるようだったね。
帰結として5人が助かるとわかっていても、
そうしようと思わない人が多かった。

何の罪のない人を1人殺すことは、
無条件で、即ち、
定言的に間違っていると考えた。

少なくとも、例としてあげた
話の2番目のケースでは、
無条件で、定言的に間違っていると考えた。

これは、道徳を考える際には
定言的な考え方もある。
ということを示している。

定言的な考え方では、
帰結がどうあれ、
ある種の絶対的な
道徳的必要条件や義務や権利
の中に道徳性を求める。

今後の講義では帰結主義者と
無条件的な道徳原理との間を見ていく。

帰結主義者の道徳理論で、
最も影響力のある例は、
18世紀のイギリスの
政治哲学者ジャネミーベンサムが
生み出した主義。

功利主義だ。

一方、定言的な道徳理論の
最も重要な哲学者は、
18世紀のドイツの
哲学者イマヌエル・カントだ。

この講義では、
この2つの異なる
道徳理論の論じ方を学び、
評価すると同時に、
他の論じ方も見ていく。

私のこの(12回の)講義では、
数多くの名著を読んでいく。
アリストテレス、ジョンロック、
イマヌエルカント、
ジョンスチュワートミルらの著作だ。

本を読むだけではない、
哲学的問題を定義する、
現代政治や、
法律の議論も取り上げる。

平等と不平等。
アファーマティブアクション。
言論の自由対憎悪発言。

同性同士の結婚、徴兵制など。

連の時事問題についても
議論していく。なぜか?

過去の抽象的な
名著を蘇らせるだけでなく、
哲学のために、
私たちの日常生活。

及び、
政治的生活に、
おける哲学的問題を
明確にするためだ。

だから、これらの
本を読み、問題を議論し、

どのように、
名著同士が情報を与え、
啓発し合うかをみていこう。

楽しそうに聞こえるかもしれないが、
ここで一つ警告しておこう。

どんな警告かというと、
これらの本を自己認識に、
おけるエクササイズ、

自分をより深く理解するための
訓練として読むことには、
ある種のリスクがある、
ということだ。

リスクには、
個人的なリスクと
政治的なリスクの両方があるが、

そのことは、
政治哲学を学ぶ学生なら、

誰でも身をもって
知っていることだと思う。

なぜ、こういうリスクが
発生するかというと、
哲学という学問は、私たちを、

私たちが既に、
知っていることに直面させて、、、

私のたちに教え、
かつ、
動揺させる学問だからだ。

ここに皮肉がある。

この講義の難しさは、
君たちが、
既に知っていることを教える、
という点にある。

それは、
慣れ親しんで、
疑いを感じたこともないほど、

よく知っていると思っていたことを、
見知らぬことに、
変えてしまうこともある。

私たちが、
今日の講義の、
冒頭で取り上げた例が、
まさにそれにあたる。

遊び心とまじめさを
両方織り交ぜた
仮説だったつもりだが、

哲学の本が
どう役にたつか
というのも、
これと同じだ。

哲学は、
私たちを慣れ親しんだ
ものから引き離す。

新しい情報をもたらすことに
よってではなく、
新しいものの見方を
喚起することによって引き離すのだ。
しかし、ここにもリスクがある。

慣れ親しんだものが、
見慣れないものに変わってしまえば、
それは二度と同じものにはなりえない。

自己認識とは、
純真さを失うようなものだ。

不安を感じるだろうが、

私たちは皆、そんな思いを経験し、
探求を続けてきた。

この試みが難しく、
しかし、おもしろくしているのは、

道徳や政治哲学は、
物語であり、
その物語が、
どこに連れて行ってくれるかわからないが、

それが、自分についての物語だ。

ということはわかっている、
ということだ。
これが個人的なリスクだ。


では、政治的リスクは、
何だろうか。

本を読み
問題を議論することで、

よりよい責任感のある
市民になれると、
君たちに約束するのも
一つの方法だ。

それによって、君たちは、
公共政策の前提を検討するようになり、

自分の政治的判断に
磨きをかけ、
公共の事柄に、
より効率的に、
参加できるようになる。

しかし、
この約束は、
部分的にしか実現せず、
違う結果に、
終わってしまうことが多い。

政治哲学は、ほとんどの場合、
そのように機能してこなかったからだ。

政治哲学は、
君たちを良い市民にするよりも、
悪い市民にする危険性を秘めている。

少なくとも、良い市民になる過程で、
一旦は、悪い市民になってしまう可能性もある。

なぜかというと、
哲学というものは、
人を社会から距離を置かせ、
衰弱するような活動だからだ。

ソクラテスの時代でもそうだった。
ゴルギアスという対話の中で、

ソクラテスの友人の1人、カリクレスは、
彼に、哲学をしないように説得する。

カリクレスは、ソクラテスにこう言う。

人生のしかるべき時期に、
節度をもって哲学を学ぶなら、
哲学は、かわいいおもちゃだ。

しかし、
節度を超えて哲学を追求するなら
破滅する。

私の助言をききなさい。
カリクレスは、こう続ける。

議論を捨てよ。

高等的な人生の成果を学べ、
気の利いた屁理屈に、

時間を費やしている人ではなく、

善良な生活と評判と他の多くの恵みを
持っている人を手本にせよ。

要するに、

カリクレスはソクラテスに、
哲学なんてやめて、
現実を見ろ!

ビジネススクールへ行け
と言っているのだ!(
会場笑い)

カリクレスの言うことも最もだ。

哲学は、
私たちを常識や約束事、

何となくそうだと信じていることに、
疑いを抱かせる学問だ。

これらの、
個人的にも、政治的にも、
リスクである。

そして、
これらのリスクに直面した時、
よく使われる言い訳。

それが、懐疑主義だ。

例を上げると、

 私たちは、
色々なケースや原理について
議論をしたけど、
何も解決しなかった。


アリストテレスやロック、カントでさえ、

長年かけても解決できていないのだから、

この講堂に、

集まった私たちが
1学期の講義で、
解決できる分けがない。

要するに各自が
自分なりの原理を
持てばいいのであって、

それ以上の議論は必要ない。
論じても無駄である、

これが懐疑主義の言い訳だ。

これに対しては、
私は、次のように答えたい。

たしかに、
これらの問題は、
長年に渡り議論されてきた。

しかし、それが、くり返され、
議論され続けてきた、
まさに、その事実が、

この問題の解決が、
例え、
不可能であっても、

議論を続けることが、
避けられないことを示唆している。

なぜ避けられないかと言うと、

私たちは毎日、
これらの疑問に答えを
出しながら生きているからだ。

だから、懐疑主義に、
飲み込まれ諦めてしまい、

道徳に、関する熟考をやめてしまっては、
解決にならない。

カントは、この懐疑主義に、
絡む問題を次のように表現している。

懐疑主義は、人間の理性の休息所である。
そこは、独善的な、さまよいを熟慮できるところだ、

しかし、永久にとどまる場所ではない。

単に、懐疑主義の同意しても、
理性の不安を克服することは決してできない。

私は、対話や議論を通じて、
ある種のリスクと誘惑
その危険と可能性を示そうと思う。

この講義の目的は、
理性の不安を目覚めさせ

それが、どこに導いていくのか見ることだと、

述べて、締めくくりの言葉としたい。

どうもありがとう。

※サンデル教授 「正義について話そう。」
Lecture2、講義1ー2部は、こちらへどうぞ。

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