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Daydream Believer 【3/15 後編】

2011年04月06日(水) 16時12分45秒 テーマ:
大宮に着くと、お義母さんが新幹線の改札口で待っていてくれた。

そこから実家までの電車中、記憶がない。
乗り換えた記憶も薄い。
着いたとき、お義父さんも早退して家に居てくれたんだった。

その日辺りから東京でも米不足?な話になっていたような。
おばあちゃんがお米屋さんに注文していた。

会社や先輩に連絡したのはその日だったか、
それとも次の日だったか。

一服は外でするのだが、タバコを持つ手が震えていた気がする。

落ち着かなかった。
嫁子供を連れてこれて良かった、これで一安心です。
約束を果たせました!
そう胸を張れると思っていた。

だのになんだったんだろう、
あの落ち着かない気持ちのザワつき。

水が出ない家で
食糧確保もままならず、
家はどうなるんだろう、
会社は存続するのだろうか、
これから先どうなっていくんだろう、
ずっと心に抱えていた思いと、

今自分が目にしている、
目の前を走り過ぎる子供たち、
犬を散歩する老人、
通常運転の電車、
あまりにも平和な街並み、
そこに立っている自分。

あまりにもギャップがありすぎて、
頭では処理しきれなかった。
気持ちもついていかなかった。

現実はどっちだ。
さっきまでいたあの場所は幻か。
俺は、何をしているんだ。


よくタイムスリップしてしまった人がギャップに戸惑うというドラマがある。
浦島太郎。
戦国自衛隊。
(そんなものしか思いつかない)



後で気が付いたんだ。
それが「罪悪感」だということに。

見えない自由が欲しくて 【3/15 前編】

2011年04月06日(水) 15時34分45秒 テーマ:
3月15日(火)

前日に調べた結果だと、
下の道(4号線)で南下し、那須塩原駅まで向うには通常1.5h。
渋滞等を見越して一時間の余裕を持ち、
最初の那須塩原出発のが午後一だとの情報を得たので、
チケットを買う時間を考え、12時30分に着くように計算。
なんだかんだで9時45分に家を出発。

郡山、須賀川バイパスまですんなり行く。
須賀川の4号線左右の建物の損壊が酷い。
総崩れの工場もあった。
だが、それは序の口だった。
鏡石、矢吹と進み、道路が片側一車線になったあたりが一番酷かった。

白河に入ると、ポツポツとラーメン屋さんが開いている!
コンビニも数件やっているところがある!
トイレをかり、嫁ちゃんが暖かい缶コーヒーを買ってくれた。
子は大人しくしていてくれた。
前出の通り、何かただ事ではないことを感じ取ってくれていたと思う。
本当にありがたいと同時に申し訳ない。

ガソリン節約のために、少しアクセルを踏み込んで、
ある程度スピードに乗ったらニュートラルで流す、という運転。
結構功を奏して、平均燃費が29キロ!
我ながら大したもんだろ思うがあれは信用してもいいのだろうか。

那須塩原付近まで来ると、
ガストもコンビニも焼肉屋のランチも通常営業。
なんだこれーと軽いカルチャーショック。
もう一度おトイレを借り、いよいよ駅へ。
去年お義母さん達と那須旅行しておいてよかった、
その時に停めたコインパーキングへ無事到着したのが12時15分。

ここに来て大問題。
嫁が持って行くべき荷物が多すぎて
一人では持てなそう。
加えて不安になった嫁が少しパニックに。

色々考えた挙句、とりあえず俺も一緒に行くことに。
問題は車だ。


この問題は全国ニュースでも大きく取り上げられたので
ご存知の方も多いと思う。
那須塩原駅に車を乗り捨て が社会問題に


とりあえず、コインパーキングの管理会社に連絡。
俺「翌日出庫予定ではあるが、数日になっても問題はないか?」
管「完全な時間単価積み上げなので、その分もらうようになります」
とのこと。
その他、計画停電区域なので出口を開けっ放しにしないといけないので
カウントできないから参っちゃうよ~と愚痴。
加えて、責任は取れないからね?とのこと。

後先を考えずに来るところまで来てしまったし
路上駐車ではない!コインパーキングに停めた!
ちゃんと一言ことわった!などと言っても、
結局は同じこと。
俺が停めたところに停められなかったからその人は路上に乗り捨てたんだ。
結局は、同じことをしたんだ。
申し訳ないです。
那須塩原駅周辺の方々、それから不都合があった方々、本当にごめんなさい。
本当にごめんなさい。
ご迷惑をおかけしました。


そして、行くと決まったところでまた問題。
俺、何の荷物も持ってきていない!
帰り道でガソリンなくなったときに漫画喫茶とかに寄れればと思って
ノートPCやダウンジャケットは持っていたが、他は何も。
ただ、無駄にデカいリュックがあったので、それに
車の中のあれやこれやを詰めて、いざチケット売り場へ。

列も、俺の前に8人くらい。
サラリーマンと、子供連れ多し。
無事チケットも買え、特に混むこともなく搭乗口3番目に並び、
13時50分(2便目)の新幹線に乗れた。

待っている最中、雨がポツポツと降り出していたようだ。
発射後すぐ、横殴りの雨がガラスを叩いた。
この日は15日、大きな爆発があった日。
詳しくはわからないが、浴びずに済んでよかった雨なのかもしれない。

新幹線が走りだした後、持ってきたおにぎりをみんなで食べた。
ジュースも飲んだ。
味はわからなかった。
とにかく、飲み込むのが大変だったように記憶している。

チビ助は初の新幹線だったが、大人しく楽しそうに乗っていた。
暖かさ重視の服装が、いなかっぺ顔をさらに引き立たせていた。

こうして俺たちは福島県を後にした。

The White Stripes

2011年04月06日(水) 14時53分42秒 テーマ:
今思った。

俺、ホワイトデーのお返しできてないわぁ。
ごめんねお母ちゃん。
今度行ったときに31のアイスおごってあげよう。

このときに福島県から出るには、3つのパターンしかなかった。

①飛行機  ⇒ 情報が少なく、TELも繋がらず、すこし不安、でも一番早い

②高速バス ⇒ 高速道路が復旧していないので、4号線なので長い、
        一番オススメできない

③俺の車  ⇒ 前出の通りガソリンが全国的に無かった。
        行くとすれば新潟経由で南下か?と前日まで迷う

そこに現れたのが④新幹線。
郡山から那須塩原まで自家用車、那須塩原から大宮まで新幹線、
それからJR私鉄を乗り継いで嫁実家へ、の予定を立てた。
子供は初新幹線、嫁も初子供と2人での新幹線ということで
すごく心配ではあったが、
ここは何とかしてもらうしかあるまいと。
そう思っていた。

チケット取るとか、手順とか、高速バスの状況とか、
嫁妹にも大変お世話になった。


本当に皆さんどうもありがとう。


今度行ったときに31…

Tomorrow Never Knows 【3/14 後編】

2011年04月06日(水) 14時34分22秒 テーマ:

「嫁と子だけでも東京に逃がしたい」


元々東京から嫁いできた嫁と、生まれる場所を選べない息子。
ここで生まれて生きてきた俺がどうなろうと構わない。
とにかく、この2人だけでも助けたい。

(この「助けたい」「逃がしたい」という言葉が当てはまるのかどうか。
今日現在、今の状態ではわからないけど。
考えすぎ、とりこし苦労で終わることを心の底から願いたいが。)

ずっとそう思っていた。
実際不安なのを隠していた。
外に出ることが少なく、郡山の壊滅的状況を知らない嫁には

う~ん心配するほどでもないんじゃないのぉ~?
なんとかなるでしょうよ
でも一応俺も復旧とかで忙しくなるかもしれないからさ
とりあえず東京に送ってあげられれば心配も減るし
その方がいいんじゃないのぉ?

的な感じで接して。

ただ、子供には普通じゃないこと、俺の心のうちはすべて見透かされていたと思う。
一晩で下がりはしたが知恵熱が出て、常に誰かにべったりで、
わがままばかり言っていた。
小さい体で、なんとなく異変に気付いていたんだと思う。
俺の顔を覗き込んでは機嫌を取るようにいつも以上に俺と遊んでくれた。
子がまっすぐ瞳を向けてくれるのだが、
申し訳なくて、情けなくて、かわいそうで、愛おしくて、辛くて目をそらしてしまった。

その時にはたと気付いた。
俺はこの子の事をちゃんと見ていない。
ちゃんと向き合っていない。
どうしようどうしようとオロオロし、気遣う素振りは見せても、
俺の意識は心はここにない。
それは、嫁にも同じだ。
何が安心か。
何が守るだ助けるだ。
一番大切なものは何か、ということだけじゃないか考えるのは。
あとはどうなったってかまわない。

それは、3/13(日)の夜。


そして、3/14(月)会社にて。

まず、お義父さんに電話。
勤務中で出ずのため、お義母さんに連絡。
2人だけでも逃がしたい、預かってほしい旨伝え、あちらも同じ気持との事で
これから随時連絡を取り合おうと約束。

その後、お義父さんから俺の携帯へ折り返しの着信。
先程お義母さんに伝えた話を、もう一度。
お義父さんも快く了承してくれた。

一通りの連絡と状況報告が終わった後、
ずっと抱えていた気持ちを吐露。
せっかく郡山くんだりまで嫁いできてもらったのにと。
それを祝福して送り出してもらったのにと。
こんなことになってしまって本当にすみませんと。
必ず責任を持って送り届けますから、と約束。
労いの言葉をもらった。
覚悟が決まった。
が、目がグシュグシュで花粉のせいにしていた、それからずっと。

午後、電話番と客先確認の合間に、インターネットで復旧情報を確認する。


『3/15、東京・那須塩原間で東北新幹線 臨時ダイヤにて復旧』


でた。
これしかない!と思った。

この時点ではまだ福島から脱出云々という話はなかったと思う。あまり。
この時点で、この先どうなるかわからないけど
とりあえず混む前に送ってあげなければ、と思った。
会社には休暇申請を出した。

その夜、家の老人たちに郡山市や福島県の現状とこれからどうなるかの俺なりの考えを説明、
嫁子の今後についての説明をし、
嫁が荷造りをする間、子供と一緒に寝た。


翌日は郡山~那須塩原間を往復する。
ガソリンを求めて数キロの渋滞が起きるようになった頃。
俺の車の燃料計は半分より少し上を差している。
那須塩原への片道は約85キロ。
往復で170キロ。
往復はどうかわからないが、二人を送るだけならできる。
帰りのことは、帰りに考えよう。

夜中にGoogleMapとにらめっこしながらそう思っていた。

いつでも本音の少し手前 【3/14 前編】

2011年04月06日(水) 13時58分21秒 テーマ:
地震後、初の正式な出社日。

一応スーツを着て行ったんだ。
とりあえずいつもの通りで、ということだったと思う。
仕事は何をしただろう、覚えていない。
喫煙所は、いつもの外階段から中の喫煙室に変更となった。

とりあえず昨日話せなかった人や会えていなかった人と情報交換をし、
現状を把握、ただしこの時点でも全体像は把握できていなかったと思う。

この日はまだ開いているお店もなく、
外出しての食事なんかもってのほかで、
この日時点で電気・ガス・水道が止まっている家も多く、
というより三拍子そろっている家の方が皆無に近かったため、
皆さん持ち寄りのおにぎりや水、漬物などでやり過ごした。
俺は家から持って行ったおにぎりと、インスタント味噌汁。

今、というかこの遡ってまとめている間もずっと
地震の全体像、地震の被害、津波の被害はいつ知ったのだろうと疑問に思っている。
そしてあの『人災』についても。


今逆算していたら、いろいろ思い出してきた。

地震が危険だと思ったのと、
それから福島第一原子力発電所で事故が起き、放射能の危険があるということ、
それを本格的にヤバいと感じ始めたのはこの日の前日の日曜日、
3/13だった。

とにかく何度も嫁に呟いていた。
俺のすべきこと、燻り続けている決意を。

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