絶賛放置中!!

テーマ:

え~。


放置してから随分と経過いたしましたが・・・

今でも『成り下がり読んでます』とか『早く続きが読みたいです』といった嬉しい声を掛けてくださる方々が多く、大変感謝しております。


が!俺、今現在、仕事にバンドと大変忙しく、続きを書く時間が全くナーイのであります。

でも、この夏の終わりまでには一本だけでも更新したいと思っております。


一番最初に『成り下がり』書いたのが2006年の3月・・・

一ヶ月くらいで書き終える予定だったのに、もう三年半も経っちゃたよ・・・

2010年までには完結してぇなぁ・・・。



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the Sinister Six #4


1995年・夏


試行錯誤を繰り返し、迷走するシニスターシックス。

そして、試行錯誤の甲斐あって、俺とヤマダが各一曲づつ新曲を完成させた。

俺は自分が作った曲に満足していたし、ヤマダの作った曲も凄く気に入っていた。


これで次への展開が見出せる!


メンバーに発破をかけた甲斐があった。

みんなやれば出来るんだ。

お互い切磋琢磨して成長するんだ。


コウちゃん(ヤマダ)の曲はカッコイイから、次のライブまでに仕上げよう!


ヤマダの作った曲は、今までにない曲調と展開で歌詞を載せるのが難しそうだったが、ここで俺が流れを止めるワケにはいかない。ここで自分に鞭を打たなければ、俺はただの威張りん坊になってしまう。

俺は足りない頭をフル回転。超特急で歌詞を書いた。

超特急で書いただけあって出来はイマイチな感は否めなかったが、『ご近所のパンクバンドに一泡吹かせる出来ではある』という判断の元、次のライブで初披露する事にした。


向かうは新宿アンティノック。

いざ参ろう。


新宿に向かう車中は穏やかな雰囲気であった。

ここ最近は、俺の怒号や嫌味が車中を埋め尽くし嫌な緊張感を生んでいたが、この日は俺が一番ゴキゲンだったためみんなの心も晴れ晴れとしていた。

俺は確信していた。今日のライブは絶対にいいもんになる!と。


○いや~、それにしても、コウちゃんの新曲いいよ~凄くいい!!


●そぉ、それなら良かった・・・。


○俺の歌詞、急いで作ったからまだ甘いけどさ、ちょっとづつ変えて良くすっからね!


●え?あ?うん、、、、


○それにしても、あんなフレーズよく考えついたねぇ~!


●あのぉ・・・それなんですけどぉ・・・


○え?なに?


●実はですね・・・


○うん。


●ちょっとコレ聴いてみて・・・


ヤマダはカーステレオにカセットテープを押し込んだ。

カーステレオからは、ヤマダの新曲が流れてきた。


カッコイイ!!

やっぱカッコイイぜ!!


と思ったのは時間にして、わずか数秒。

俺は自分が置かれている状況がわからなくなった。


はて・・・?

これはナニ・・・?

練習スタジオでカセット録音した音源にしては音質が良すぎるし・・・

MTRで自宅録音した音でもない・・・

つーか、俺の書いた歌詞でもない・・・


○ねぇ・・・これなに・・・?つーか誰・・・?


●え~と・・・、Dipです・・・


○はぁ、Dipね・・・で、これ、俺らの曲と一緒だよね・・・?


●はぁ・・・


○え?そうなの?そういう事なの?ねぇ!?


●う~ん・・・まぁ・・・


○そりゃねぇよ!!それってパクリじゃん!!しかも、まんまじゃん!!


●いや・・・こういう曲持ってったらキーチさんはどんなメロディ載せるかな~?って思って・・・実験的にね・・・そしたら予想外に気に入ってくれちゃったから・・・言い出しにくくて・・・。


○言えよ!!言わなきゃダメじゃん!!


●いや・・・あと、パンクの人はDip知らないだろうからイイかなぁ・・・?って・・・。


○ヤメ・・・


●え?


○ヤメだ辞め・・・今日のライブでこの曲はやらねぇ・・・。そんな恥ずかしい事出来ネェよ・・・


● ・・・・・・・・・


○これ、この曲がDipのパクリだって事、みんな知ってたのかよ?


● ・・・・・・・・・


○オメェら、ふざけんなよ!!つーか、俺の事もナメてるし、他のバンドの事もナメてるよ!!俺、そういうの好きじゃねぇよ!!パクリを全否定はしねぇけどよ、俺は現在進行形のバンドのパクリはしたくねぇんだよ!!みんな知らないだろうからって、そんな人を騙す様な事したくねぇんだよ!!


あ!っという間に車中に暗雲が立ちこめ、雷鳴が鳴り響く。

そしてIKAZUCHIが盆暗どもの脳天に直撃。


しかし、俺の怒りは次第に寂しさに変わっていった。

彼らも彼らなりに努力してんのかもな・・・?

俺の言ってる事って、やっぱあいつらにはまだわかんないのかな・・・?

俺はあいつらと出会って変われたけど、あいつらは変われないのかな・・・?

あいつらを頼りにしちゃぁイケねぇのかもな・・・。


怒るのも俺の仕事・・・

励ますのも俺の仕事・・・

曲作るのも俺・・・

歌詞も俺・・・


しょうがねぇか・・・

バンドは俺がやりたい事なんだからな・・・


よし、まぁ、この曲の事はしばらく保留にしとこう。

コウちゃんの『キッカケを作ろうとした』って気持ちは認めるよ。

でも、今日のライブは今までの曲でやろう。

とにかく、全力で!!


結果、その日のライブは皆、屈辱を闘志に変換する事に成功し、お客さんや箱からの評判が良かった。

そして、今回の俺の真剣な怒りに、メンバーも『そろそろマジでヤバイかも?』という再確認が出来た様に思えた。

俺達、バンドマン。どんなにマイナスな出来事からでも、プラスへ導く意志を持とう。


よし!!じゃあ、来月の渋谷のライブも気合入れていくぞ!!



1995年・9月某日・【渋谷TAKE OFF7】


リハーサルを終え、対バンの「ストロベリーズ」というバンドのリハーサルを眺めている俺とトクマル。

「ストロベリーズ」はコブラとCOWCOWのコピーバンドだった。


○渋谷でライブだから・・・対バンも結構期待してたけどぉ・・・コピーバンドかぁ・・・。


■まぁ、いいじゃん。俺らは俺らでさ。


○まぁね・・・さっきココのベースと少し話ししたんだけど、なんかナマイキな感じなんだよな!『俺らコブラのコピーバンドっす!!』ってよ『あんたらには負けねぇ!!』って感じで自信満々に言ってくるんだよ(笑


■ははは、ナメられてんじゃん!!(笑


○な?ぜってーナメてるよね?(笑


※余談ではあるが。

数年後、このストロベリーズのベーシスト・コンドウくんとトクマルが千葉で再会。

『COS』というバンドを結成し、千葉ロックシーンの中心的存在となるのであるが、この時点ではまだ赤の他人。


と、まぁ、そんな話をしていると、コウちゃんが俺の側にやってきた。

ちょっと話がしたいんだ。と。

トクマルに席を外してもらい、さて何事でしょう?


○どうした?なんかあった?


●突然で申し訳ないけど、俺、シニスターシックス辞めます。


○え!マジで?そっかぁ・・・で、なんで?


●俺、どうしてもキーチさんの言う『ジャパニーズ・ロック』とかわかんないんですよ。


○そっか、それならしょうがないね。で、辞めてからどうするの?


●俺は俺で、俺のロックを追及してみます。自分のバンドを組みます。


反対する気は更々なかった。

やっと自分の意志でコウちゃんが動き出した事が嬉しかった。

自分の意志を俺の前ではっきりと言えるコウちゃんが男らしく思えた。

最初は、ヤル気のない野郎はクビにするつもりで集めたメンバーだが、逆に『ダメダメなこいつらのヤル気を起こさせられなかったら、それは俺に力がないって事だ』とも思っていた。

しかし、今、やっとコウちゃんは変わった。

望んでいた形ではなかったが、今のコウちゃんは殺る気満々だ。


ふと、肩の荷が降りた気がした。

もう、そこんとこの意地は張らなくていいかな・・・?と。

ケンゴとトガシは相変わらず盆暗だけど、コウちゃんは変わった。

全て俺の功績だとは思わないが、俺がキッカケにはなったとは思う。

そして、そのコウちゃんのヤル気はきっとイイ方向に向かうはずだ。


コウちゃんは、『今日で辞める』とハッキリと意志を伝え席を立ち、入れ替わりで近くに居たトクマルが俺の側にやって来た。


■どうしたの?なんだって?


○あぁ、コウちゃん、今日でシニスター辞めるって。自分のバンド始めるって。


■マジで?そっか~、辞めちゃうのか~。


○つーかさ、俺らも辞めちゃおっか?


■辞めちゃうか?


○んで、俺ら2人で新しいバンド作ろっか?


■作くっちゃおっか?でも、ケンちゃんとトガシくんは?いいの?


○バーロ~関係ねぇよ!!もうヤル気のねぇ奴らに付き合う事ねぇよ!!


■そっか、じゃあ、一緒にやろう!!


○よし!!じゃあ、今日でシニスターシックス解散!!じゃ、ケンゴとトガシに伝えてくるわ!


俺はケンゴとトガシを呼び出し、事の顛末を伝えた。

2人は『やっとヤル気も出てきたのに残念だ』と言った。

その言葉には『あんたに振り回された』という意味が含まれていた。

俺はそれを聞き、『おまえらはどこまでも卑怯な奴だ』『そうやっていつまでも他人のせいにして生きていくのか?』と一喝。


おまえらも、悔しいなら俺を見返すバンド自分達で組め!!

つーワケで解散だ!!今日は派手にやれよ!!


C&Cの解散同様、メチャクチャにしてしまえ!!という感じでライブに望んだ。

しかし、意志とは裏腹に、今までの努力の成果が出た安定したライブだったと思う。

急な解散の知らせに、お客さんも驚いていた。

ライブ終了後、解散するのは惜しいという声も多々あった。

しかし、俺は『次はもっとカッコイイバンドをやっから!!』という自信に満ちていたので、ちっとも惜しいとは思わなかった。


こうして当時を思い返すと、これまたC&Cの解散ライブと同様に『あの時、ケンゴやトガシはどんな気持ちで演奏してたんだろう・・・?』と思う。

しかし、これまた同様に、『でも、ケンちゃんは今また一緒にやってるし。トガシも今ではプロのカメラマンとなってC&Cのジャケ写撮ってるし、結果オーライだべ?』と思うのである。


1995年・10月


俺とトクマルは、トクマルが在籍していた『シナモンズ』からドラマー・アトベを呼び、新バンド『the Mr』を結成。

コウちゃんは、地元の友人・シンタロウとグランジバンド(?)『ラブ・ローションズ』を結成。(のちにSLIDEと改名)

ケンゴとトガシの盆暗2人はパンクバンド『the SNIPE』を結成した。


それぞれが、『次こそは!!』『我が先!!』と猛突進。

それは、想いとは裏腹に、恋と麻薬に溺れる転落人生の始まりだった。



成り下がり
文中では省いたけど(説明すんのが面倒だった)
最初はマリリンモンキーズのトクイチ(右端)がギターだった。



成り下がり
んで、あとからトクマルくん。


成り下がり
この頃、チャラいパンクのガキはみんなフェイクファー着てた。
今見ると、『キミは一体ナニになりたいのだね?』って格好。


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the Sinister Six #3



1995年・初春


ビジブルファッカーのギターリスト・ノムラの家に居候をし始めて、既に1年半の月日が流れていた。

なんとかせねば・・・と心は焦り、俺はこれからどうなるんだろう・・・と不安な気持ちで眠りにつく毎日。


ノムラに対して申し訳ないのは当然だが、当時付き合っていた彼女にも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

俺が普通の人であれば、休日になると恋人と二人っきりで遊んだり出掛けたりと出来るわけであるが、残念な事に俺は普通ではなかった為、俺と付き合った彼女はそんな当たり前の事が出来なかった。


「俺の家に遊びに行く」という事は、「ノムラの家に遊びに行く」という事であり、当然、家の主のノムラが居る。

ノムラは俺達を色んなとこへ連れて行ってもくれたし、週末にはケンゴやマーガレッツのウダ達が遊びにきて毎週の様に宴会騒ぎで楽しかったが、やはり彼女としては二人っきりで遊びたかったであろう。

当然、俺も二人っきりで会いたいという思いでいっぱいだったし、ノムラも一人の時間を満喫したかったであろう。

俺にとっても、ノムラにとっても、俺の彼女にとっても、このままこんな生活を続けるわけにはいかなかった。


どうにかしなければ・・・

お金さえあればなぁ・・・


ちょうどその頃、ケンゴやトガシも「ある事情」により大金が必要になる事態に陥っていた。

しかし、ケンゴは『やべーやべー』と言うわりにはそんなに焦っている感じではない。

なにか打開策でもあるのか?と思い、俺はケンゴに『おめぇ、そんな大金どうすんの?』と聞いてみた。

すると、ケンゴは『サラ金に行って借りて来ようと思う』等とほざいている。


●なに?サラ金?サラ金から金借りるのには保証人が必要なんじゃねぇの?


○いや、いらないらしいよ。


●ホントかよ?俺、二十歳のころ、知り合いにどうしてもって頼まれて借りに行った事あるけどよ。5万円借りるのにも保証人必要だったぞ。


○あ、そうなの?でも今は変わったんじゃん?借りれるらしいよ。


●マジで?保証人なしで貸してくれんなら俺も借りてぇけどよ、たぶん貸してくれねぇと思うよ。


○いや、大丈夫!とりあえず明日行って借りてくる。


バカな野郎だぜ。

なんの保障もねぇ野郎にお金貸してくれる訳がねぇだろ!!


と、思っていたが、もし本当に保証人ナシで貸してくれるなら、それはかなり都合がいい。

ここはとりあえず、ケンゴに先陣を切ってもらおう。

でも、たぶん、貸してくれねぇだろうな・・・。


予想は、いい方向に裏切られた。

翌日、ケンゴは見事に16万円のお金を借りてきた。


やるなら今しかねぇ!!


俺はサラ金のドアをノックした。

そして、20万円を入手。

そして、そのまま不動産屋のドアをノック。


やった!やっと俺の家が!

いや、俺と彼女の家が!

やっと二人で暮らせる家が手に入る!


俺は、ノムラの家から僅か数十メートル程先にあった一戸建ての平屋を借りる事が出来た。

築30年くらいの古い家で、床も歪んでいる部分もあったが満足だった。

狭いながらも庭もある。


外は雨が降っていた。
1年半も世話になったノムラの家に一礼し、荷物を運び出した。

荷物は衣装ケース一個と布団とベース。あとは猫。

自転車で2往復という簡単な引越しだった。


引越し先の平屋は湿気が多く、5月だというのに底冷えした。

夜、なにもない部屋で独りで眠ると今までと違う不安が圧し掛かってきたが、週末になれば彼女が来ると思うと耐える事も出来た。


普通の暮らしがしたい。

自分の帰る場所、自分が遠慮する事なく暮らせる家。


家族はいらない。

俺の家族は、彼女と彼女の親・姉妹だけでいい。


やっと、ここから始まるんだ。


しかし、現実はそう上手くはいかない。

彼女は一言、『あたしは一緒には暮らさないよ』とつぶやいた。

俺は動揺を隠し切れず、ただ『なんで・・・!?なんで・・・!?』と繰り返えした。


理由は彼女の父親の体の具合が悪い事など、家庭の事情だった。

『今、自分がこの家から離れるわけにはいかない』といった責任感から出た答えだった。

納得せざるを得ない理由。


それでナニかが変わるわけでは無いつもりだった。

前向きに考えて、『いつかは』と。

しかし、見えない未来は不安を呼び、不安は俺を臆病にさせる。


周りの連中は『金がない』と言っても、実家があったり家族や兄弟が居て、最後には誰かに頼れる。

だからこそ、パンクだ!ロックだ!バンドが一番大切だ!と言っていられる。


俺は『金がない』と言ったら本当にない。家族も居ないし、誰にも頼れない。

そんな状況で、パンクだ!ロックだ!バンドが一番大切だ!なんて言ってらんねぇ。


唯一、最後に頼れるのは彼女だけ。

そんな俺を護ってくれる彼女が一番大切!

バンドなんて自分次第でなんとかなる!

大体、女とバンドを比べる事自体、野暮!

だから、温室の中でバンドが一番大切なんて言ってる連中より、俺の方がバンドを大切に思ってる自信があるぜ!


でも、俺にとって一番大切な彼女は・・・

彼女にとって俺は一番大切な存在ではない・・・。


今ならそうは思わないが、当時の俺は『じゃあ、やっぱり俺はこの先もずっと独りなんじゃねぇか』と感じ、『もしこの先、俺を必要としている人が現れたならば、俺はそこに行かなければならない』という思いに駆られた。


想いは現実の世界に反映するものである。


数ヶ月後、俺の前に『俺を必要としている人』が現れ、彼女とは別れる事となった。

ここには書けないが、彼女には酷く悲しい思いをさせてしまった。

そもそも、全ては俺の心の弱さが原因なのである。

ここに書いた、当時の俺の言葉、想い、全てが俺の心の弱さの表れ。甘えである。


しかし、当時は目の前の現実しか見えていない。

いや、今でもそれは同じなのかもしれない。

自分の甘えなんてモンは全然自覚がなかった。


次の世界がある人は悲しみなんか感じない。

次の世界が見えない人は過去をひきずり悲しむ。


俺はあまり悲しまなかった。

『しょうがない』という都合のいい言葉で逃げたかった。



1995年・8月1日

仕事から帰ってくると、彼女はもう居なかった。

テーブルには置手紙が一枚。

手紙には、お金を無駄遣いしない様に、あまり猫を叱らない様に、と書かれていた。

文末には両手を振った彼女の似顔絵。その横に『バイバイ』と明るく振舞った台詞。


この陽の当たらない薄暗い部屋で、これを独りで書いたと思うと心が締め付けられた。

でも、俺は『しょうがない』という都合のいい言葉で逃げたかった。

俺は涙腺のユルイ女々しい野郎だが、この時ばかりは泣くのは卑怯だと思い泣かなかった。


この日以来、更に『バンドをやらなくちゃいけねぇ!』という思いが強くなった。

そして、ナゼか世の中のバンドマン(特にパンク)を憎む思いが強くなっていた。

『ふざけんじゃねぇ!俺はおまえらを名指しで批判するぜ!』と。

そして、それを実際に実行していたからタチが悪い。

『料金を払って観たのだから、言いたい事は言わせてもらう』と、先輩・後輩バンドに言いたい放題。

食ってかかる連中には『勝負すっか?拳でも口でもどっちでもイイぜ?それとも音で勝負すっか?』と強気強気の一辺倒。


なんでそんなに吠えていたのか?

答え一発放屁だぜ。


きっと、自分の弱さを認めたくなかったんだねぇ・・・

あと、新しい彼女に『こいつはヤル奴だ!』と思われたかったんだろうねぇ・・・(遠い目)


なにはともあれ、バンドは続く。


まだ一応在籍していたビジブルファッカーはドラムの都合で活動休止となり、俺は引越しを境にそのまま自然脱退した形になった。


トクマルのバンド「シナモンズ」は、一回だけライブをやったがその後ボーカルが脱退。

トクマルがギターとボーカルを担当し、ドラムのアトベと俺の3人編成となり、以前のメロコア色は薄れガレージパンク寄りの音へと移行しつつあった。


そして、シニスターシックス。

トクマルの加入により勢いは増したものの、なにしろバンドの統一感がない。

メンバーは、相変わらず俺がナニをしたいのかが分かっていない感じ。

俺は俺で、『ルースターズみてぇなR&Rがやりてぇけど、R&Rな曲って作るの難しいわ・・・』と挫折を感じ、『じゃあ、やっぱ博多のLAST CHILDみてぇなR&R寄りのB級パンクだな!』と試行錯誤を繰り返した。


季節は夏。

そろそろ本気出そうぜ!!

相変わらず発破をかける日々。


しかし、また、終わりはおまえが思うより、ずっと近くに来ていると・・・。


~後日~

前の彼女から別れ際に貰ったGパンを履いてみた。

買ったけど全然履かないからあげる。と言って置いていったものだ。


ポケットから一枚の小さな紙切れ。

紙には「ササミの梅和えの作り方」と書かれていた。


なんだこれ・・・?


しばらく考えて思い出した。

それは、初めて俺と二人で遊んだ日に作ってくれた料理だった。


へっ・・・俺に食べさせる為にこんな紙に書いてたのかよ?

でも、これ、あん時以来一度も作ってくれてねぇじゃん。


少し笑った後に、おもいっきり泣いた。


当時のLive

色々と間違った事ばっかしてた。


憧れのバンド・ラストチャイルド

(もしかしたら削除されっかも)

the Sinister Six #2


成り下がり


2006年7月


所用あり、現C&C・ギターリストのヒデ宅を訪問。

部屋に入るなり、ヒデが興奮気味で『ちょっと!すげーモン見っけた!これ知ってる!? 』と一枚のCDを差し出した。 CDのタイトルは「BLACK LIST」。
CDジャケットには、裸に上着を羽織り不敵な笑みを浮かべた男が写っている。 顔にはナゼかドラえもんの様な三本のヒゲ・・・。

このアーティストの名は「BABY MASUO」。

知っている・・・

俺はこのアーティストを知っている・・・。
実は数回ほど会ったこともある。


●これ、どうした・・・?

○ん?リサイクルショップで100円で買った。

●そうか・・・知ってるもナニも・・・知り合いだよ!この人、ケンゴの師匠だよ!!

○マジで!!知り合いなの!!!?


この男、BABY MASUOはある意味、千葉のアンダーグラウンドの帝王だった。
彼はボブ・ディランやブルースに憧れギターを手にしたが、80年代末期、千葉の凶悪ハードコアバンド・狂人病のライブを目の当たりし完全ノックアウト! 以後、彼のストレンジスタイルは確立された。

髪を逆立て路上で酒を呑み、5本の指に5つの指輪。

上半身は裸にドカジャン、顔にはトレードマークのヒゲ。

そして、やること成すこと全てが無謀。

群れを成すのを嫌った彼は、一人でリング(舞台)に上がるのを選んだ。
歌うは男と女のブルース!

それではBLACK LISTから一曲ご清聴(観閲)願いたい。

◆彩の詩~AYA◆

やりたい放題好きな様に振舞って
いつもお前を困らせた
それでもお前は笑顔を続けて
黙って俺を見つめてた

新しい彼氏がお前を泣かせたら
俺は彼氏をブッ殺す


どうです?
普通の感覚なら歌詞に「ブっ殺す」って絶対出てこない。
傍若無人に振舞った挙句に女と別れ、その女の新しい彼氏が女を泣かせたら許さねぇブッ殺す!
単刀直入にスタッブ・ユア・バック!そして、ネバーマインドボロックス!

スゲェ。


ちなみに聞いた話だが、アルバム「BLACK LIST」製作時には、印刷屋及び録音スタジオにデタラメなクレームをつけまくり、制作費をかなり安くさせたらしい。

1990年当時、ケンゴは彼に感化され自らも裸にドカジャン、呑めないのに路上で瓶ビールを煽る等、愚行を繰り返した。

アホウである。

BABY MASUOの弟子・ケンゴから聞かせてもらったMASUO氏の伝説の数々には、ホントにドギモを抜かされた。 笑いすぎて失禁そうになった事もある。

紹介したい話が沢山あるが、ここでは無理なので機会があったら是非ケンゴに聞かせてもらうといい。

でも ケンちゃんと会う機会なんかナイよ~!

だけど 、もっとBABY MASUO伝説を知りたいよ~!

という、わがままジュリエットな方にはコレ!


成り下がり

「親愛なる馬鹿どもへ」

実はBABY MASUO氏、増田 雄山名義で9年前に本を出版してます。
本人自ら爆笑伝説の数々を綴っています。

タイトルが「親愛なる馬鹿どもへ」なので、友人・知人の馬鹿話を書いてるのだね?と思っていたら90%が本人の話。読み終わった感想は・・・

アンタが一番馬鹿じゃん!!


である。

気になる方はネットで探せばすぐに見つかるので是非。

面白さは俺が保障する。


では、本題に参りましょう。



1995年・初春


デモ音源も完成し、売れ行きはそこそこ順調。

シニスターシックスという名前も定着しつつあった。

しかし、俺はまだまだ満足出来ない・・・

なぜなら、やはりメンバーにヤル気が感じられないからである。

相変わらず曲も作らない、自宅練習をしている様子もない、そして俺の居ない処でナニかコソコソとやっている。

この頃の俺は、スタジオの度にメンバーに対して怒鳴っていた。


●おい、ケンゴ、曲作ってきたか?


○え!? あ、うん!作ったよ!


●どれ、やってみ。


ボビボビ♪ドベドベ♪ボヘ・・・ボピ・・・


○あれ・・・?どうだったけか・・・?忘れちゃったな・・・


●おい・・・おめぇ、作ってきたってウソだべ?それ今作ってんだろ?


○違うよ!本当に作ったんだよ!あれ~どうだったっけなぁ~?


●おめぇ、どうせならバレねぇウソつけよ。


○ウソじゃないって!


●はっ・・・どうせ曲作りなんかしねぇで女遊びでもしてんだろ?


○うっ・・・


●なんだよ『うっ・・・』って、やっぱおめぇウソついてんじゃん!


○うっ・・・


こんな会話が幾度となく繰返された。

ケンゴほどあからさまではなかったが、ヤマダとトガシも同じ様なものである。


これじゃあ、本当にこのバンドはダメになる・・・

新しい血を入れよう、新しい風が必要だ。


俺は新メンバーをそれとなく探し始めていた。

出来れば、ギターリストが欲しい。

ヤマダは確かに才能があるが、その才能というプライドがヤマダをダメにしている。

新しいギターリストにはリードを担当してもらおう、そしてヤマダにはバッキングをやらせよう。

そうすれば、ヤマダだって立場を返上するために本気になるはずだ。

それでイジケて辞めちゃうなら、それでもOKよ。

俺は俺の為に!


そして数日後、打ち上げの席で一人の若者に出会った。

彼の名前は『トクマル』と言い、『シナモンズ』という若手のメロコアバンドのギターリストであった。

彼の事は時々ライブ会場で見掛ける事はあったが、一度も話をした事はなかった。

しかし、そこは酒の席。俺はナゼかトクマルと意気投合。


●トクちゃんって今、いくつ?


○俺、今、18です。


●じゃあ、ケンゴ達の1コ下だねぇ。俺の5コ下か~、若いなぁ!


○あ、そうなんすか?


●で、トクちゃん、バンドはどうなのよ?


○いや~、ドラムが辞めちゃったんで、ベースやってた奴がドラムになって、ボーカルの奴がベース弾きながらやってる状態なんすよ。


●そっか~大変だなぁ。で、調子はイイの?


○う~ん、正直ツライっすよねぇ・・・


●そっか~、やっぱバンドは楽しくねぇとな!つー事で、今度、俺らのスタジオ遊びに来ない?ある意味楽しいと思うよ?


トクマルのギターが上手いとかヘタとかは関係なかった。

とにかく、気の合う奴に手当たり次第声をかけるつもりだった。

トクマルはナマイキなとこもあるが、今はそのくらい勢いのある奴と一緒にやりたかったので丁度いい。


○うん、じゃ、一回遊びに行こうかな?


●うん!つーか、もう俺のバンドに入ってくれよ!(笑


○え!?・・・じゃあ、俺がそっち手伝う代わりといっちゃあナンだけど、キーチさん、シナモンズでベース弾いてよ。


●え!?・・・あぁ・・・まぁいいよ・・・。


トクマルはなかなか交渉上手な奴であった。


こうして、メンバーの意志など一切確認せず、俺の独断でトクマルの加入が決まった。

そして、俺はトクマルのバンド・「シナモンズ」のベーシストとしても活動する事となったのである。


トクマルをメンバーに入れたのは正解だった。

トクマルは予想以上にギターが上手かったのだ。

トクマルにとっても、シニスターシックスに加入する事はメリットがあった。

トクマルは実力はあるが、年下だからという理由で周りのバンドマンから見下されていたからだ。

シニスターシックスに加入し、同じ土俵で勝負する事によってその見下した先輩連中の天狗の鼻をへし折るチャンスが出来たのだ。

俺とトクマルは燃えていた。


全てブチかまそうぜ!!


そうなると、尚更、ケンゴ達にも厳しく指導しなくてはならない。

相変わらず彼らは、俺の前では真剣な面持ちをしているが、俺の居ないところではのらりくらりとしていたのである。


ある日のスタジオ練習。


ケンゴが少し遅刻してやって来た。
遅刻した上に、履いていたオーバーオールにべっとりと泥をつけてやって来た。

泥をつけていた。というより全身泥だらけ。

「どうした?」と尋ねるが、神妙な顔で「転んだ・・・」の一点張り。

俺は「はっ・・・どうせクダラネェ事でもしてきたんだろ?」と思い、それ以上問い詰める事もなく練習を開始した。



あれから13年・・・


2008年・冬



●ねぇ、ケンちゃん。そういえばさぁ、BABY MASUOは元気なの?


○あぁ、ちょっと前に会ったけど相変わらずだったよ。


●ふ~ん、そっか。それにしても、あの人の伝説はホント凄ぇよな~(笑


○あのさ、昔、シニスターシックスやってる時さ、俺、オーバーオールに泥だらけでスタジオ行った時あったじゃん。


●え?あったっけ・・・?あ!なんかそんな事あったかも!?


○俺、あの日さ、マスオさんから「ボクシングやろう」って電話掛かってきてさ、「これからスタジオだから無理」って断ったんだけど、「ちょっとだけだから」ってしつこく言われてさ、マスオさんのとこ行ったんだよ。


●あ、そうなの?で?


○そしたらさ、ぜんぜんボクシングなんかしないでさ、「ちょっと来て」とか言って、人ん家の敷地に入っていくんだよ。


●ほう?


○でさ、その家の風呂場の裏に着いてさ、「ここ覗けっから♪」って言うんだよ。


●マジで・・・?


○でさ、風呂場からザパーンとか聞こえてきてさ、マスオさん、ニヤニヤしながら覗いてんの。


●ははは!


○で、俺も覗きたいからさ、マスオさんの事グイグイ押してなんとか見ようとすんだけど、マスオさんもグイグイ押し返してくんだよ。


●おまえらバカだねぇ~(笑


○で、ずっとお互い狭い場所でグイグイ押し合ってるからさ、ガサガサ物音たつじゃん?そしたら、いきなり窓がガラッ!って開いて「おまえらナニやってんだー!!」ってそこの家の親父に怒鳴られてさ!


●あははは!!(爆笑


○そしたらマスオさん、超逃げ足速ぇの!で、俺、「マスオさん!待って!!」って叫びながら走ってたらさ、泥に足滑らさせてすっ転んだ・・・。


●ははは!!・・・・っておめぇ、あん時遅刻したのってそれが原因かよ!!




「親愛なる馬鹿どもへ」

勉強が死ぬほど嫌いで 学校は途中で辞めてしまい
薬にハマって喜びながら 夜の街を暴走する

ムカつくと相手を殴りつけ 怒られてその場は反省する
ヤクザな生き方に憧れて イキがってみたけど震えてた

でももう無邪気な十代は終わったぜ
朝早くから現場に出かけるぜ
「かったりぃ」とか「やってらんねぇ」と
言ってるわりには結構続いてる

親愛なる馬鹿どもへ 俺も全くその口さ
親愛なる馬鹿どもへ なんとかかんとかやっていこうぜ

女のために無駄な金使い 騙されてるとも知らないで
自分だけは最後の最後まで プラトニックな夢描いてる

溜まりに溜まった借金を 返すために働いて
身動きが取れなくなったのを 世の中のせいにしたりする

でももう自分だけの事じゃないないんだぜ
女房も出来れば子供も出来ちまう
「金持ち」だとか「ドラマ」みたいには行かないけども
それなりに楽しめるはずさ

親愛なる馬鹿どもへ 俺も全くその口さ
親愛なる馬鹿どもへ なんとかかんとかやっていこうぜ

親愛なる馬鹿どもへ どうか負けないで生きてくれ
親愛なる馬鹿どもが 時に俺の支えなんだから


作詞・BABY MASUO

the Sinister Six #1



1995年1月


俺の為の俺による俺の新バンド、シニスターシックスが活動開始した。


このバンド、実はC&Cを活動中に一度だけライブをやった事があるのだ(確か94年の夏頃)。
その時は、俺の作る曲をケンゴが歌えないならば「俺が見本を見せてやる!」という理由と「俺も一度だけボーカルをやってみたい」という理由で強引にやってみたのだ。
その時に、既に曲は作ってあった。なので、今回、活動開始後すぐにライブが出来る状況だったのである。


俺は燃えていた。
世間ではローファイやLowPUNKなんて言葉が流行りだし、流行の音楽と共に衣替えする二番煎じのバンドが増え始め、地元千葉では相変わらず先輩バンドがヌルイロックを奏で大手を振っている。


冗談じゃねぇ!
ナニがローファイだ!
7インチのレコードで音源出してぇだと!?
じゃ、俺はHi-Fiでやりてぇよ!! 
しかもシングルCDで音源出してぇよ!!
と燃えていた。


俺達は絶対に流されねぇ。
と燃えていた。


しかし、俺以外のメンバーはまだ若い。
俺の言う「日本語のロックをやる」「デタラメ英語の歌なんてクソ」
「パンクって言葉にこだわるな」と言う言葉はあまり理解できていなかったのが実状である。

俺はこのバンドを始める際、「非情な男になろう!」と決心していた。
他にイイメンバーが見つかったら、すぐに今いるメンバーをクビにするつもりだった。
今のメンバーの事は嫌いではナイ、しかしナニかが足りない・・・。
それはハングリー精神だ。すぐイジケル・すぐ泣く・すぐ誰かのせいや状況のせいにするetc・・・。
俺は、たとえクビを宣告されても「絶対に見返してやる!」と何度でも立ち向かう奴らとやりたいのだ。



だが、そう簡単に最高のメンバーが見つかる訳ではナイ。
とにかくライブを沢山こなして千葉のロックシーンに一石を投じよう。
そうすれば、おのずと最高のメンバーが向こうから「俺を入れろ!」とやって来ると思っていたのだ。
今思うとあまりにも世間知らずなガキであるが、当時はそれほどまでに「強気強気の一辺倒!」だった。



しかし、現実は厳しい
当初の予定とは裏腹なダメなライブが続いた。
即席で組んだバンドが初めから巧く行くワケがない。
やはり、C&Cと同じメンバーな為、俺が直接言われる事は無かったが「C&Cの方がイイ」と言う声が多かった。
だが、俺にも意地がある。というか意地しか無かった。


俺は勝手に解釈した。

「この曲のカッコ良さが分からないのだな?」

OK!それならば、しっかりと聴いてもらう為にも音源を出そうじゃないか。

既に曲はあるし問題ナシだぜ。
俺達はバンド結成から僅か数ヶ月で音源製作を開始した。



ちょうどその頃、千葉LOOK主催のイベントにシニスターシックスも参加する事となった。
そのイベントとは、千葉LOOKに出演しているパンクバンドを一同に集め、当日は出演バンドの音源が収録されたテープを無料配布するというライブであった。


その名も「千葉パンク大決起集会」


成り下がり


実は、この日のライブの記憶はあまり無い・・・
10バンドも出るのだから、たぶん2日間に渡って開催されたのでは無かろうか・・・?

とにかく覚えているのは、「わくわくしていた」という事だけだ。
なぜなら、出演バンドの『SNACH』は俺が前にやっていた『BIG JET MOUSE』のメンバーの新バンドだし、『津田沼ビートルズ』は俺のライバル『マーガレッツ』の変名バンド、その他のバンドは最近頭角を現してきたニューカマー達だったからである。


俺にクビを宣告した元メンバー達に
俺をナメ腐ってやがるライバル達に
俺を知らない若竹ドモに

俺のグレートなところを見せてやる!!


とワクワクしていたのだ。


そして、このカセットテープを見る度に不思議な気持ちになる。
A面に収録されたバンド『カルメンエイジ』。
このバンドを思い出すからだ。


彼らとの出会いは、この時のライブの数ヶ月前、まだC&Cをやっている頃だった。
対バンで一緒になり、ちょっと話かけてみた。どうやら木更津からやって来たバンドらしい。
俺は木更津のロックシーンに興味があったので、色々と情報がほしくて彼らに質問してみたのだった。



最近、木更津って熱いらしいね?


はぁ・・・まぁまぁっす・・・


ギターボーカルの子はかなり素っ気無い。
しかも髪型は変なパンチパーマだった・・・
ドラムの子は口さえ開かない・・・
ベースの子は質問には答えるが、心を開いている訳では無いのが伺える。



その後も彼らとは、たびたび対バンとなった。
そして、最初の頃よりは口数も増えた頃、ベースの子が「僕ら今度から都内で活動する事になりました」と告げてきた。
俺は先輩ぶって「おぅ、頑張ってな!俺らも頑張るからさ!」等とほざいた記憶がある。
それから暫くの間は、ライブハウスでカルメンエイジのフライヤーを見かける事があり「彼らも頑張ってるんだなぁ~」と嬉しく思っていたのだ。


が、それもつかの間、その後は二度と彼らのフライヤーを目にする事は無かった・・・。
彼らの音楽は俺の好みでは無かったのだが、彼らの同年代の中では一番真面目に活動している様な気がしていたので気になる存在であった。
俺の「ヤル気」の原動力は、若い奴らに期待と嫉妬する事によって生まれる事が多かったので、やっぱ解散しちゃったのかな?志半ばで諦めちゃったんだな・・・?と寂しく感じていた。



そしてそれから10年後のある日。


ケンゴから着信あり。


●あのさ、カルメンエイジって覚えてる?


○あぁ、覚えてるよ。


●マジで?俺あんま覚えてナイんだよね。


○え、木更津から来てた若い子達だろ?


●うん。俺、話した事あるかな?


○あぁ、あんだろ。で、カルメンエイジがどうかした?


●いや、そのカルメンエイジのベースやってた人から突然電話が来てさ


○ほう。


●俺が雑誌に載ってるのを観て、電話して来たらしいんだけど


○はぁ。凄いね。


●今度会おうって事なってさ


○へぇ~、俺も会いたいな。他のメンバーは?


●それがね、他の2人は今、氣志團やってるんだって。


○え・・・


彼らは夢を諦めていなかった。
変なパンチパーマの少年は『綾小路セロニアス翔』となり
無口な少年は「白鳥雪之丞」となっていたのだ。


凄ぇ事だ。
でも未だに、当時の彼らと今の彼らのギャップがデカ過ぎてピンと来ない。
不思議な感じがする。




the C&C #6

テーマ:


1994年・9月


C&Cの2ndアルバムのレコーディングが完了した。
タイトルは「「THE C&C MUSIC FUCK TO ME」。
このタイトルは、当時、巷で流行っていたダンスミュージック・グループ「C&C MUSIC FACTORY」をもじって付けたものである。
当時は「皮肉が効いててイイじゃねぇの?」と思っていたが、 今は「発音しづらい」という理由で好きじゃない。


俺とケンゴは、この音源の出来栄えに満足だった。年明けにはCDでの販売を考えていた。
それと同時に、俺の中では「これで、第二期のC&Cはお終い・早く次の展開に移らなければ時代に取り残される」という思いがあった。

なぜなら、この頃、千葉や都内のアンダーグラウンドシーンにも様々な変化がみられていたからである。
ライブハウスや街中に数多くいた所謂「初期パン」と呼ばれた九州パンクに影響を受けていたバンドが減りはじめ、ミクスチャーやメロコア、ガレージバンド等が多くなっていたのであった。


俺はいつでも焦っていた男である。
生活の基盤である家も無い、金なんかもちろん無い、お先なんか真っ暗よ。
それならば、開き直って一番やりたい事「バンド」に夢中になりたいと願う。

しかし、そのバンドの事を考えると、浜田省吾の歌詞で説明するならば「まるで~ナイフの~エッジを歩いてるぅ~様さ~♪」といった具合で不安になった(ウソだけど)


カッコ良く言えば、波打ち際の砂城とでも申しましょうか?
ひどく危なっかしい所で、なんとかしがみ付いている様な気がして不安だったのだ。

原因は山ほどあるのだが、一番の原因はケンゴの歌唱力と行動力の低下だった。
俺や、ヤマダが作った曲に歌詞がつけられない。
ならば、俺が歌詞も書こうじゃねぇの。
ほれ、歌詞かいたぞ。唄ってみ。
ところが、ケンゴは思い通りに唄えない。


これ、ケン坊よ。
キミ、歌詞も書けネェ、唄もうたえネェじゃボーカル失格だべよ?
しかも、おまえの持ってるイイ所つーのは、無茶苦茶な行動力じゃん?
だけど、オメー、最近ゼンゼンそんな活気ネェじゃん。


そんな思いが日増しに高まり、俺とケンゴの仲は悪化していった。
そして、メロディーメーカーであるヤマダの作る曲にも不満が生じる事が多々あった。
ヤマダは、俺らの中では一番楽曲センスのある男であったのだが、明らかに「やっつけ仕事」的な曲が増えてきたのだ。
しかも、その多くは、メロコアやガレージ「ぽっい」曲ばかり・・・。
俺としては「時代に取り残されるのも嫌だし、流されるのも嫌だ。俺達が新機軸になるんだ!」という思いがあったので、ヤマダの作る曲にことごとくダメ出しをした。
当然、バンド内の関係は悪化。


11月。
俺は決意した。
もう人に頼るのはヤメた、「俺による俺の為の俺のバンド」を作ろう。
もう、C&C辞めちゃおっと!と思い立ったが吉日。
俺はメンバーにこう言った。


俺、C&C辞めっからよ、新しいバンド作るんだ。 自分で曲作って、自分で唄う事にした。
でも、メンバーなんかゼンゼン決まってねぇからよ、すぐ始めてぇから、みんなの中で「俺もやる」って奴いたらコッチに来て欲しいんだ。 やりたくネェならソレでも構わねぇよ、とにかく俺は辞めっから!


誰もこっちに来る奴なんかイネェだろう。と思っていた。
俺のヤル気はハンパじゃねぇぜ!という所を見せ付ける為に言った言葉だった。


しかーし。
予想に反して、彼ら全員の答えは「俺もやります」だったのだ。
その結果、C&Cは解散という形になり、俺とケンゴのパートが変わっただけの新バンドが結成(?)される事となった。


新しいバンドの名前は「シニスターシックス」
当時、大好きだったスパイダーマンに出てきた悪の組織の名前をつけた。


そして12月。
C&Cの解散ライブが千葉LOOKで行われた。
たいした告知なんかしていなかったのに、お客さんが沢山集まってくれたのは嬉しかった。
俺達は「最後だしさ、せっかく新しい音源録ったんだから、来てくれた人にはタダであげちゃおうよ」と意見が一致し、CDで出す予定だった音源をカセットテープにダビングして数本だけ配布した。

時間も無かったし意味もナイ感じがしたので、ジャケットや歌詞カードは作らなかった。
タイトルも書かれていない真っ白なカセットラベル。
それはちょっと寂しいモノだった。
(この音源は、2006年の再結成ライブの時にCD-Rで出せて良かったと思っている)


そしてライブ。
俺・ヤマダ・トガシは終わりという事で「滅茶苦茶にしちまえ!」といった感じでライブに臨んだ(ヤマダなんかパンツ一丁でステージに上がってた)
俺は怒りにも似たヤル気に満ちていたので、解散する事に悲しみなんかゼンゼン無かった。


しかし、今は「あの時、ケンゴはどんな気持ちで唄ってたんだろう?」と思うと、時々、心が痛む時がある。


しかし、「ま。でも、今また一緒にやってるから結果オーライだべ?」と思うのがほとんどではあるが。




成り下がり
一番調子の良かった頃(だと思う)



成り下がり
解散間際のフライヤー。
アルバムの予告も書かれているが、結局それが出る事はなかった。
1月3日までライブ予定が入っているけど、12月14日で解散した(はず)
でも、大晦日は「祭りだから!」って事でC&Cで出たのかな・・・?
1月3日のアンティノックはシニスターシックスで出た(と思う)



成り下がり
この頃の俺・・・
殺る気のある顔してるぜ(笑

当時、アスレチックに遊びに行ったら、そこの管理人のオヤジに

「ナガブチツヨシかと思ったよ!」と言われた事がある・・・。





the C&C #5

テーマ:



少しばかり、時をさかのぼり。

1993年・冬

高円寺20000Vでのライブ終了後
ある1人の少年が俺達に声を掛けてきた。
少年はポークパイを被り、上着はチェックのシャツ 。
ジーパンの膝には赤い軍手がパッチワークされていた(カワイイ・・・)

〇あの・・・すみません、C&Cの人ですよね?

●え、うん、そうだけど・・・

〇おれ、しょっちゅうライブ観に来てます

●えーホント?(半信半疑)

〇ホントです!C&Cカッコイイです!

●ほんとにぃ?マーガレッツとかCHOPとか観に来たんじゃねぇの?(まだ半信半疑)

〇違いますよ!C&Cが一番カッコイイです!

なろー、イイ事言うじゃねぇか?
当時、俺達C&Cは千葉では「2流のパンクバンド」、そして都内では「お子様パンク」的な扱いであった為、こういった意見は大変嬉しい。


●おーい、ケンちゃん。ちょっと来いよ!彼、C&C観にきたんだって

◆マジで?チョー嬉しいよ!ありがと!で、どっから来たの?

〇立川です!

◆へ~。じゃ、キミいくつ?

〇15ッス!

◆若ケーなぁ!(ナメテル)

プププ・・・
18歳の小僧が、15の小僧に「若ケーなぁ!」ですって。
メクソがハナクソを笑ってますよ。
と、笑う俺も当時は思想と尻の蒼い、皮っかむりの22歳。


●じゃ、キミもバンドやってんの?

〇はい!ギターやってます!

●ライブもやってんの?

〇ライブはまだです!早く俺らもココでやりたいです!

●じゃ、頑張ってやりなよ、なんかあったら相談のるぜ(上から目線)

〇はい!お願いします!対バンもしてください!

●◆あぁ、イイよ。(優越感)

●で、バンド名は?

〇はい!PCエンジンです!


この少年の名は「イオリ」。
彼のバンド「PCエンジン」が東京・千葉・名古屋にて最年少にて最強のB級パンクバンドとなり、俺自身もPCエンジンに加入する事になるのは数年先の事。

時間を戻して1994年・秋

この頃、都内のライブハウスで活動していた最年少組のパンクバンドは、神奈川の「CHOP」柏の「GOZZ」千葉の「C&C」であったのだが(C&Cは俺のせいで平均年齢が上がったが・・・)、立川方面ではネクストジェネレーションとなる若竹どもがスクスクと育っていたのである。

そして、地元千葉でも、その傾向は出始めていた。

★現・THOUGHT CONTROLのVoダイちゃんが在籍していた仁戸名(笑)の「トリプルモンスター」
★数々の千葉パンクバンドで多大な功績を残したトクマルが在籍していた船橋の「シナモンズ」
★当時、サイコビリーシーンが熱かった街・木更津から単身で千葉に乗り込んできた得体の知れない三人組「CULLMEN AGE」
★現C&Cの変態ギターリスト・アホのヒデが在籍していた 鎌ヶ谷の「ラブラブ・プラトニック」(彼らは平均年齢高め)
★「クラッシュ」に「C&C」をまんま足したサウンドだった(格好も似てたな・・・)津田沼の「4Ks」

等である。


彼ら出現は、俺の心を動揺させた。
「俺がやつらに負ける訳がネェ!」と思う気持ちは「俺はやつらに負ける訳にはいかねぇ・・・」と同じであった。
ギラついた若者の投げやりなパワーは、時に年功序列や予定調和をブチ壊す。
俺自身も「ジジイは引退しろ!」と言わんばかりに年長者をバッタバッタとなぎ倒してきた(つもりだった)

「最下層のハネッ返り」

そこが若さの魅力でもある訳だが、だからと言って現役の俺達が易々と負ける訳にはいかない。

おう!ケンちゃん!コーちゃん(ヤマダ)!トガシ!
最近、おまえらより若い奴らがいっぱい出てきてるけどよ、ゼッテーなめられんなよ!
もう、格好とかで目立つんじゃなくて音だけで勝負な!
マーガレッツよりカッコイイって言われなきゃダメなんだよ!
ケンゴもウダのマネばっかしてちゃダメだかんな、自分がマネされる様になれよ!

つーワケで、来週までに新曲2曲づつ作ってこいよな。

俺の独裁的な指令とケンゴの行き当たりバッタリな提案のもと、新曲作りとフルアルバムの製作が開始された。

しかし、また
終わりはオマエが思うより、ずっと近くに来ていると。




成り下がり
the C&C・アー写(笑)
俺、昔っからデコッパチだねぇ・・・


成り下がり
ラブラブプラトニック(カラーギャング)の頃のヒデ(ナマイキな野郎だった)
このヒデ、なんか気持ち悪ぃんだよなぁ・・・





the C&C #4

テーマ:


1994年6月某日(日)

早朝、電話の着信音で目が覚める。

●はい、もしもし

〇あ、キーチさん?

●あぁ、ケンちゃんか。どうした?

〇あのさぁ、トガシがさぁ、事故ったんだって。

●まじで?

〇うん

●どこでよ?

〇トガシん家の近くだって

トガシが事故った。
これは一大事である。
しかし、この時、俺はまだ寝たかった。
ケンゴもそれほど焦った感じではない。
むしろ、お使いを頼まれた小僧の様な語り口調である。

よし。 それならば、詳細は後回し。
今はコアな部分を確かめよう。

●で、死んでねぇんだろ?

〇うん、死んでない。

よし。 俺はまだ眠い。
正直「すぐに病院に駆けつけよう!」という気にはゼンゼンなれない。

●じゃあよ、今、病院行っても家族とか集まって慌しいだろうし、かえって迷惑になっからよ、後で行こうぜ。

〇うん、そうしよう。

「メンドクセェ」と言う理由をそれっぽい理由に変換し、俺はまた深い眠りに就いた。

昼過ぎに起床し、再度、ケンゴから事故の詳細を聞く。

事故発生時刻は同日・早朝。原因は居眠り運転。
夢うつつのまま、カーブに突入し、車は壁に激突横転 。
その際、トガシは窓から車外に放り出され起床。
目を開けたら、車が自分の下半身に落ちてきたらしい。

幸いな事に内臓は無事で、骨盤骨折と打撲の全治2ケ月で済んだとの事。(陰茎が紫色になってたそうな)

ケンゴは「お見舞い、いつ行く?」としきりに俺に尋ねてくる。
しかし、俺は、「別に今にも死にそうってワケじゃねぇし、そのうち行けばイイっぺ?」と思っていたので、曖昧な返事をしておいた。

さて、それはそうと困ったね。
ドラムが入院したんじゃあ、バンドは動けねぇよ・・・
しかも、2週間後には池袋でライブ、7月には恒例の稲毛海岸の野外ライブ、その後も数本ライブ予定アリ。

●おい、ドラムどうするよ?誰かにヘルプで頼むか?

〇トクイチでイイでしょ?

●あぁ、トクイチね。俺はイイけど、本人には聞いたのかよ?

〇まだだけど、やってくれるっしょ。

了解。
俺達は本人の了承も得ずに、勝手にトクイチにドラムをやってもらう事にした。
この頃のケンゴは、「たぶん大丈夫」という感覚のみで動く考慮深くナイ生き物だったので、これでOK。
実際、ほとんどの事が本当に大丈夫になっていたから不思議だ。

ちなみに、勝手にドラム担当に就任させられた「トクイチ」とは?
彼は当時、仁戸名パンクスから発生した「マリリンモンキーズ」というパンクバンドのギターリストであった。
マリリンモンキーズはR&Rベースのパンクロックで、俺の大好きな「ラストチャイルド」にも似た雰囲気の曲でカッコ良かった。

2週間後
俺は、まだトガシのお見舞いに行ってなかった。
ケンゴやヤマダは既に訪問済み。
さすがに、行かねぇとヤベエだろ?と思い、仕事帰りにケンゴと一緒にトガシの見舞いに行く事にした。

ケンゴは、でん六ピーナッツチョコレートをかじりながら、目をギラギラさせ「行くか!?行っちゃうか!!」と張りきっている。 ここ数日間、ケンゴはヒマになると「トガシの見舞い行く?」と言っていた。
見舞いってそんなオモシレェか・・・?

●よう、見舞いに手ぶらで行くのもなんだから、ケーキでも買っていくか?

〇え?大丈夫っしょ?

●大丈夫ってなんだよ? ナンにもいらねぇって事?

〇うん

●え?おまえ、いっつも手ぶらで行ってんの?

〇え、え~と・・・この前はチョコレート持ってった

●それ、おまえが喰うためじゃん

〇あぁ、そうか・・・

今思うに、ケンゴは「お見舞い好き」な野郎なんだと思う。
ヤツは誰かが入院しようもんなら、すぐに駆けつける。
こう書くと人情に厚いヤツと思うかもしれないが、本当は違う。
何が楽しいのか知らないが、目を輝かせワクワクしながら出張って行くのだ。
しかも、お見舞いにと持参する物は、「そんなの持って行っても迷惑じゃん?」と思われるウケ狙いの下らないモノばかり。
それか、自分が食べたいお菓子等だ。
ちなみに、これは↑「いらないの?じゃあ俺が食うよ」なんて言って、自分で全部食べちゃう。

ちなみに、トガシのお見舞いには変なキーホルダーを持って行こうとした事もあるらしい。
呆れた野郎だ。



病室に着くと、トガシのベッドの脇に見知らぬ女性が腰かけていた。
はて?誰だべか?

●よう、ケンちゃん、あれ誰だ?

〇あれ?あれトガシの前の彼女だ・・・

トガシは俺達の突然の訪問に戸惑いの表情を浮かべている。
微妙な空気を察知した俺達は暫く廊下で待つ事にした。

数分後、松葉杖をつきながらトガシがやってきた。
病室に戻り、今後のバンドの事等を相談する。
全ての事にうなずくトガシではあるが、ナゼかちょっとヨソヨソしい。
前の彼女を見られたからか?
いや、それは違うだろう。
やはり、俺が同じバンドのメンバーなのに2週間も見舞いに来なかった為であろう・・・。

他の仲間はみんな頻繁に見舞いに来ていた。
来ていなかったのは俺だけである。
俺は自分を恥じた。

やっぱ、仲間は大切にしねぇといけねぇよな!

2ケ月後
トガシは退院した。
そして、トガシは、俺にこう言いました。



あン時、前の彼女にフェラチオしてもらおうと思ってたのにさ
いきなりあんたら来るんだもんよ!!



アンタの演説聴きたくねぇぜ
ツラ見ただけで吐き気がするぜ
バカが集まりゃ答えは1つ
バカな事しか生まれない
Hey! Brother! Hey! Brother!
C&C is worst1

(RAP/theC&C)


C&C・・・
看板に偽りナシだぜ・・・



the C&C #3

テーマ:


1994年


今回は、ちょっと脱線して当時千葉で活躍していたバンドをいくつか挙げてみる事にする。
当時の千葉のロックシーンに関わってナイ方にとっては退屈なのは間違いネェ。


では。


● BELLETS
当時の千葉ロックの大御所。
90年にイカ天に出演。
それをきっかけに91年にメジャーデビューし、シングルとアルバムが発売された。
シングルカットされた「半端者」は名曲!
「チンピラにさえ~なれない半端者~♪」 というサビは、当時、江戸川区のチンドンパンクだった俺のハートをガシッ!っと鷲掴みした。俺は今でもたまに聴いている。
93年にインディーズに戻り、本八幡ルート14のピーナッツレコードから2ndアルバムをリリースした。


● 薮蛇古屋
千葉の総番・安井さん率いるバンド。
このバンドはベレッツと共に、千葉のビートロックシーンをリードしていた「つれづれ草」が母体となっていた。
「つれづれ草」は元々パンクバンドだったので、そのイメージのまま「薮蛇古屋」を観に行ったら、肩透かしを食らった記憶がある。 最初の頃は、変な歌謡ロックにしか聴こえなかったのだ。


安井さんは、昔、「狂人病のタケオか、つれづれの安井」と言われるほど千葉で凶暴な男だった。
そんな無骨な男が歌謡ロックなんかやりやがって!つれづれ草続けろよ!と勝手に憤慨していたもんである。
しかし、野次ってブン殴られるのは嫌だったので黙っていた。 この記録も安井さんが見ない事を切に祈る。

その後、ベレッツが解散しベレッツのベース・落瀬学さんの加入等もあり動員・実力共に千葉で一番となった。


しかし数年後、ベースの落瀬 学さんは突然帰らぬ人となった。
お通夜にも参列させてもらったが、正直、未だに実感はあまり無い。
学さんは、俺の良き理解者だったと勝手に思っている。
多くの知人が「学さんの偉大さ」を語っているのを聞く事があるが、確かに学さんは偉大だった。間違いでは無いと思う。
でも、俺は「チンピラにさえ成れない半端者(ロッカー)」だったという表現(暴言)の方が、あの人には似合っていると思う。


● CATCH THE CLOUDS
千葉イチ濃い顔のトムケン先輩率いるバンド。
俺はこのバンドに最初はナメてかかっていたら、後でしっぺ返しを食らった事がある。
当時、かなり生意気だった俺の戯言に、真摯に付き合ってくれたイイ先輩。
どんな音楽をやっていたかは忘れてしまった・・・(失礼)


● 麗紫
実力派・ガールズバンド。
ちょっとサイケっぽいR&Rだったような気もするが、いまいち思い出せない・・・(失礼)後半は結構ポップだったはず?
余談であるが、サイケと言えば千葉には「赤」という物凄いサイケなガールズバンドが居た。
サイケっぽいのに、水着で演奏している姿が異様だったのだ・・・
当時はナゼか「麗紫と赤は知り合いなのだろうか?」と音楽に全く関係ナイ所に興味深々だった。


それにしても、この麗紫のベースは凄ぇ。
多分、当時の千葉界隈で上位にランキングされる腕前。
俺と年は同じだが、当時は年上かと思っていた。 (本当は一つ上?)
一部のガールズバンドの憧れ的存在だった。


● CHICKS
アニメ・キテレツ大百科のオープニングテーマ「すいみん不足」を唄っていたバンド。
俺は「生でスイミン不足が聴ける!」と期待してライブを観に行ったら「やらなかった・・・」という苦い記憶しかない。
メンバーの方がこの記録を読まない事を切に祈る。


老舗はこんな感じである。


他にもまだ居たはずだが、俺は、あまり交流を持ってないバンドばかりなので割愛。
あと、この頃は、残念な事に(幸運な事に?)俺達にとっては恐怖の対象でしかなかった凶悪ハードコアパンクバンド「狂人病」は既に解散していた。
他に、千葉ハードコアの「G-10」や「紅椿」というバンドが健在だったが、俺達が主に活動していた千葉LOOKは当時ハードコア出演禁止の店だったので、あまり一緒になる事は無かった。
当時の俺からしてみれば、これは大変ラッキーな事だった。
各バンドのメンバーがこの記録を読まない事を切に祈る。


さて、若手。



● サイドワインダー
このバンドは短命だった記憶が・・・。
数年後「イエロークラッカー」というバンドになり、ボーカルの脱退により解散(だと思う)
その後、残ったメンバーで「LINK13」を結成。
「LINK13」は現在も活躍中で、千葉のロックシーンをリードするバンドとなった。
ちなみに、「サイドワインダー」のボーカル・ミトちゃんは現在 「THE STAR CLUB」のギタリストである。


● EXISS
現在は「アンモナイトチェアー」の名で都内で活動を続けている。
怒涛の曲の展開は、この頃から既に話題であった。
俺は結構好き。


● トルエン
ポップロックで女子高生の人気者だった。
彼らは千葉LOOKの店長・サイトウヒロシがイチ押しの若手バンドで、LOOKが運営していた「PPレコード」からアルバムをリリースし、全国ツアー等も行った(はず?)
彼らは、その不健全なバンド名が原因で、千葉駅前で行われた野外イベントに出演を断られるという伝説も持っている(K察からのご指導があったらしい)


● swichi No 5
当時では珍しかったガレージ(?)バンド。
若手の注目株であったが、活動して間もなく解散。
その後、ギターとドラムで千葉のガレージヒーローとなる 「ハウリング・ギター」を結成。
ハウリングは大手のレーベルからアルバムを発売したり、テキサスツアー等も行った。 すげぇ。
ハウリングギターは現在も活動中。


● BOY BOASTS
本格的なアメリカン・ガレージサウンドで千葉のパンクシーンに衝撃を与えたバンド。
ギター・ボーカルのケンケンは「ハウリングギター」のギターリスト・サカイにも影響を与えたのでは?と勝手に邪推。
音源が発売されなかった事が悔やまれる。


● パリジェンヌ
ケンゴの幼馴染の
「酔っ払ってクローゼットで寝小便を漏らしたヨッちゃん」と
「酔っ払って、寝ている嫁にションベンをかけたウザワ」と
ケンゴの同級生だったアホの山本がC&Cに対抗して作ったバンド。
山本は、ライブの始まりに「パ~リィィジェェーン!」とバンド名を叫ぶのだが、絶対に「ヌ」まで言わない。
ヨッちゃんと山本の壮絶な殴り合いによって解散した。


● ザ・マーガレッツ
ここではお馴染みの、千葉のパンクヒーロー。
この頃は自主企画「HI-TECH DINNER」を行い、都内の無名ではあったがカッコイイバンドを千葉に呼び寄せていた。
出演したバンドには「レジストレーターズ」や「アスフォート」と、その後有名になるバンドも多く、個人的にではあるが、この企画は今の千葉ロックシーンの礎となったと思っている。


● the C&C
この頃のC&Cは凄かった!
なにが凄いか?というと、なんとワンマンライブを行なっているのだ。

まず、その予兆は前年(93年)から確かにあった。
俺達は「ある意味」ツイている者の集まりなので、不思議な事が良く起きる。
大体において、その「ツイている」とか「不思議な事」というのは良くない意味を表すのであるが、その日もやはりそうだった。


93年の12月、俺達は千葉LOOKでライブを行なったのだが。
さ~て、もうすぐ出番だぜ~と、楽屋で呑気にスタンバっていると、突然あたりが真っ暗になった。
何事か?とフロアに出ると、フロアも真っ暗でバンドの演奏も中断している。


なんとこりゃ、大変だ。
停電である。



結局、この日の停電は1時間近く続いた。
電気が復帰した頃にはバンドもお客さんもすっかり冷め切っていた、この状況で演奏するのは辛かった。
店長のサイトウヒロシも申し訳なさそうにしている。

気落ちした俺達を元気づけようと、ヒロシはこう言いました。

来月のスケジュール表の表紙にキミらの写真使おうと思ってるんだよね~。


と。
俺達は喜んだ。
当時、LOOKのスケジュール表の表紙に載る事はバンドにとって誇らしい事であったのだ。


じゃ、ついでにライブも入れちゃおうか?
と言う提案に俺達は喜んで乗った。


対バンは?どんなバンドですか?
と言う問いかけに、ヒロシは


まだ決まってないからさ、決まったら連絡します。


と。


年が明けて、ライブ当日。
現場に到着した俺達に、ヒロシはこう言いました。


ゴメン・・・ 実は、予定してたバンドが今日になって次々とキャンセルしてきたんだよね・・・。


と。


え!じゃあ、対バンは・・・?


ナシ・・・?(みたいな)


てー事は?


うん・・・。


それって・・・もしかしてワンマンライブって事ですかね・・・?


そぅ・・・だね・・・。


マジっすか!?


ゴメン・・・。


こうして、俺達は人生初のワンマンライブに挑んだ。


1994年1月19日


「the C&C・ワンマンライブ」


観客動員数 4人!!



成り下がり
当時のLOOKスケジュール。
Vol35って事は、LOOKもまだ3周年くらいだったんだね?



成り下がり
で、中には停電のエピソードが書かれている。
当時のスケジュール表は手書きでね。
バンドマンはみんな自分のバンドがサイトウさんの手書きで紹介されるのが嬉しかったのよ。


成り下がり
BELLETSのメジャーデビューシングル
ベースラインがカッコイイ。
中古で見かけたら買え!!