ライブ用耳栓のススメ

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昨日ライブ会場で、勝手ながら飛行機用の耳栓はどれだけ効果があるかのデータを採取させていただきました。以下、箇条書き。


・モニタリング地点はラウド系バンドの最前列中央、後方空間、最前列のスピーカー至近の3地点。
・耳栓をつけた状態とつけない状態でバスドラ、スネア&金物、ベース、歪みギター、ボーカルに要素を分けてモニタリング。
◆【最前列中央】ギターとドラムのミッドハイ~ハイ成分がそれなりにカットされ、いい意味でマイルドなサウンドに。
◆ハウリングの不意打ちから耳を守ってくれます。
◆演奏がしっかりしていれば、バスドラとベースの音にはほとんど何も影響がないためノリに大きな支障はないと判断。
・ギターの歪み系、ドラムのスネアや金物が最も耳に与えるダメージが大きいとこの時点で思われた。


・【後方】低音がやや減退するように感じられるが、耳を壊す種類のハイはそのまま来ます(涙)
・したがってやはり耳栓オススメ。ノリたければ前列に行きましょう。
◆だいたい1kHz以上の帯域が軒並みカットされてるイメージです。いわゆる抜けと呼ばれる部分が少しなくなり、特にシンバル類がこもった音になるのは否定できず、好き嫌いが分かれそうな要素だと思いました。装着の違和感もありますし…。
◆耳栓を外すとある意味クリアで空気感があり、ある意味キンキン刺さるように感じられる。耳栓がサウンドの聞こえに与える影響はシンバル類が一番大きいようです。


◆【スピーカーの直撃位置・ギター側】ここが一番厳しい。耳栓してても痛い時があった。
◆他の地点では気にならなかったバスドラの中音域とボーカルのミッドハイ以上が増幅されて耳に刺さるようになった。ギターの直撃は免れたが音源が近くドラムの金物も減衰せずに飛んでるし、万一ギターサウンドの調整が悪かったりハウリングと重なれば耳が逝きそうだと思った。
◆バスドラの増幅音に腹部をブン殴られたければむしろここを占拠すべき。実は埋もれがちなボーカルを含め、各パートのサウンドが一番明確に聞き取れた場所でもあった。ベースはここでもおとなしい印象だったが、スラップやドンシャリなどハイを強調したサウンドであればやはり危ない。
◆スピーカーにギリギリまで顔を近付けると、バスドラが鳴るたびにその衝撃波で髪の毛や顔じゅうの産毛が振動しているのを感じ取ることができました。これが鼓膜に到達すると本当に耳を壊しかねないので、良い子の皆さんは真似をしないでくださいorz


…そのまま約2時間ほど爆音の中に身を晒していたのですが、帰宅してみたところいわゆる「つんぼ」感がいつもよりかなり少なかったので(全くなかったわけではない)、ドラムメーカーなどの専用品でなくても似た形状ならばある程度の有用性があることを確信しました。
あるとないとでは確実に違うと思います。ギターなどのサウンドメイクにもバンドごとに上手い下手(上手いサウンドは適正な音量でノレて耳にも優しい)ありますが、いずれにせよハウリングの可能性は0にはできないもの。末長くミューズと付き合うためにも、ホームセンターなどで約800円から買える気圧調整耳栓で上手に耳を守りましょう~♪


※現在iOSブラウザからもPCブラウザからも、さらにはiOSにAmebaアプリをインストールしても画像のアップが全くできない状態です。私の環境では非常に使いにくいので、発信先をTwitterとFacebookに完全移行してこのブログを閉じるかどうか検討しています。

もしアメブロ以外でもつながりたい、オススメのお引っ越し先ブログサイトがあるという方がおりましたらこの記事へのコメントか、またはメッセージにてお伝えください(過去記事もAmeba内に残さず完全撤収してしまいますので)

勝手ながら、宜しくお願い申し上げます。

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私がなんでジャパンハンドラーとかユダヤ陰謀論の類を嫌うのかについて、簡単に説明を。
それらの論理はひたすら「相手が悪い、相手が悪い」に終始しており、民主主義における主権者としての責任意識を全く欠いているということ。ただ現政権に反対していればOKかといえばそうではない。

受け身な意識が変わらない限り、また次の支配者に振り回されることになる(おそらくユダヤ陰謀論にハマるような人たちは主体性を要求されるような状況を拒むがためにそれを内心望んでいるんだろうけど)
しかし覚えておいてほしいのだが、独裁者の「力」とは有権者の「沈黙」と「服従」に他ならんのですよ。

不甲斐ないのは、売国する政治家を沈黙のうちに、あるいは何がしの恐怖のために受け入れてしまっている我々主権者である。
主権、自由とは責任と常に表裏一体。しかし誰もが、国の未来について責任を持つことを嫌がって目を背けてきた。だから今、この頽廃した状態があるのだ。

これは有権者を責め、政治家を擁護する文ではない。有害な政治家の政治生命は、有権者の責任を以って断たねばならないということ。戦争がないことが平和なのではなく、戦争との戦争に常に勝利し続けることが平和だというようなことを誰かが言っていた。
あれこれ言ってたらやがて手錠をはめられるかも知れないが、私は発言をやめない。その手錠は不当なものだからだ。私は「悪法も法なり」と毒を飲んだソクラテスとは違う。

政治家自体が人を殺すのではない。その政治家に従った人が制度や暴力によって人を殺す。
そのことを忘れてはいけない。そして自分以外の何者かの指図と利益のために他者を損ない、殺めるような人間を少しでも減らしたい。
外国のも含め、大企業や金融や政治家に全ての諸悪の根源があると思い込んでいる人は、どこかで根本的な思い違いをしている、実際に命令に従い手を下すのは誰かということを。政治家は神でも何でもなく、単体では何一つできやしないちっぽけな生命体だということを。

彼らを生かしているのは自らのために作り出したいびつなシステムと、そのシステムにエネルギーを供給する心の弱い人間たちだ。
彼らは弱い。そして、弱い者に怯える者はさらに弱い。
だがエネルギーとしては常に同等のものを持っている。だからそれに気付くかどうかだ。原発をメルトダウンさせるように、エネルギーを絶ってしまえば政治家は動けなくなる。エネルギーを受け取るだけではなく、その行き先を細かく制御することも主権者の役目だろう。

敵は、自分自身の服従心である。服従は自分に軸がない人間に起こる特有の現象である。
これを全面的に学校制度のせいにしたところで依存心は抜けない。気付いた時点で自ら動くことがゴールなのだから、システム改良を提唱しつつ、理不尽なものには従わなければそれでいいのである。

日本の政治はこれからも変化の芽を潰すために家族を強制的に紐づけ人質に取ったり、反旗を翻した人間の居場所を制度的に奪っていくような姑息な政策をしばらくの間、続けていくだろう。
そうした時に一般的な生き方でない、つまり婚姻もしてなければもともとの家族縁族とも疎遠である、といった従来白い目を向けられてきたような人間の有用性も明らかになるだろう。

そのような人々が、やがて血のつながりを人質に取るような卑怯な真似をさせうる日本の悪しき儒教文化をも消し去ることを私は切に望んでいる。
誰もが従属と引き換えに住む場所や仕事を得ている日本は、まるで毒親王国のようだ。そしてその構築は、ある領域からは間違いなく毒親=日本自身が進めている。それを未だに「おばあちゃんガー、ひいおじいちゃんガー」のように言うのは不毛であると思う。

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熊本で最大震度7の大地震が起き、数日間にわたって激しく揺れ続けるという異常事態。最初に気付いたのはフォロワーさんのツイートによってでした(私はテレビや新聞を使っていない)

就労支援事業所通いが始まったり、今後のために見通しを立てるなど各種作業に追われる中、SNSを中心に熊本地震についての情報をチェック・シェアなどしていました。

私の目が穿っているのかも知れませんが、とにかく目についたのが「被災地に負担をかける類の善意を振り回すな」という警告と災害に乗じて跋扈する怪しげな輩の情報。
使用済みのタオルや服を送りつけたり、一つの段ボールの中に様々な種類の物を混ぜたり、挙句の果てには着払いで被災地に送りつける人までいるそうです。そうした「二次被害」があの東日本大震災の時にもあったらしく、なぜそうしてはいけないかなども有志によってまとめられたりしていました。

被災地とそれ以外との地域の温度差。事態を想像できず学ぼうともせず、ただヒーロー気取りでいい気分を味わうために自分勝手な「寄付・協力」に至っているなら、動かずにおとなしく金銭だけ差し出した方がよほど良いのでは、とも思えます。

そこで、偉そうに色々言っている私に何ができるかというと、結局信頼できそうな情報をシェアするかお金を差し出すくらいのもので。
現時点で脈ありな反応があるのはやはり地元十勝中心のフェイスブックより全国各地にフォロワーが点在するツイッターの方です。とはいえ、誰かれ構わずフォロー・フォロバしているわけではないので現在のフォロワー数はメインアカウントでも280人前後であり、影響力は微々たるもの。
なのでお金もほんの少しだけですが、Yahooの方に送りました。あとは、デマやおかしな人間に惑わされない人々が一人でも増えることを祈るばかりです。

行政に任せるように言うツイートも多いが、政治も本当に当てにならない。政治家は災害にまともに向き合わず、対抗勢力の揚げ足取りと誹謗中傷に終始している様子。熊本県内のとある首長も、得体の知れぬ団体に支援や口座の管理を任せてしまったりと判断力に疑問が…。
その一つの象徴として、新幹線その他あらゆる交通網が寸断され逃げ道が失われてしまった中、なおも稼働させ続ける川内原発があるのかも知れません。私はこの数日間で、人間のドロドロとした汚さを頭から思いきりかぶってしまった感があります。自分がそうなりたくないから知るしかないのですが、何ともつらいものです。

今回の地震で亡くなった方がいることも耳に入っています。冥福をお祈りすると共に、これ以上の犠牲者が出ないことを切に望みます。
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最近のFB発言

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お金は目的ではなく、手段です。

ロボットやAI(人工知能)も目的ではなく、手段です。

いくら有名な大学の博士号を取っていようとも、ロボット文明のために人間が犠牲になることを肯定するような人物は頭が良いとは思えません。それなら、(人間というものを広い目で見たとして)将来自分の首を締めるものを一生懸命作って生み出していることになるからです◆長文注意◆

 

こうした矛盾は「自分は他の人間と違い、ロボットやAIに置き換えされない優れた能力の持ち主である」と前提を書き換えると解消されます。

ただ、そのように考えると見捨てられた「下層の」人間たちの反乱に対処するにも、逆に洗脳し黙らせ殺して死後の始末するにも莫大なコストがかかるということに直面しなければならなくなりますし、さらにはそのようなディストピア化に人権団体や欧米諸国(今とあまり変わらない路線であれば)などの反発が予想され、国際的(現時点で国際とはほぼ欧米を指していると言ってよい)に孤立します。もちろん貿易も輸入資源のルートも絶たれる。

また、もう一つ重要なのは、ロボットは消費活動をできません。いくらロボットとAI(と一部の人間の指示)で効率良く作っても、使う人がいないコンテンツや道具は、ゴミです。

 

ちなみに先ほどの「下層」にカテゴライズされてしまうのは、肉体労働系が最もイメージしやすいと思いますが数値入力やパッキングなどの軽作業、さらには一部の知的活動までが締め出しを食ってしまうことになります。当然、障害や病気を背負った人間には容赦なく死ねというような世の中になるでしょう。

私はそのような社会やビジョンを支持しませんし、企みに関しては全力で阻止しようと思います。スペックを満たしていても様々な事情でスキルを伸ばせない人もいるし、そもそもスペック云々を本質的な問題にしてしまうと人間社会や国家の存在意義が問われます。基本的に高能力者は、大規模な集団を築き所属しなくても生きていけるのですから。

 

ここまでお金に固執する人が多いのは、ベーシックインカムとか最低限生存してていいよって考えや気持ちがこの国に少しも根付いていないからでしょうね。

一応法律・制度的には生活保護という最後の砦があります。しかしそれを受給すると、世間体にとらわれた人々から「甘え」とか「社会のお荷物」という視線や言葉がバシバシ飛んでくるわけです。そりゃ自分が落ちてそうやられるの嫌だから金に汚くもなるわな、と。

 

身も蓋もありませんが、そんなことを言わなければ何も問題はないんです。しかしその前に、なぜそう謗りたくなるかと考えるプロセスが必要だと思います。

なぜ弱い者に憐れみ(これも心理学上問題のある接し方らしいですが)ではなく憎しみを燃やさなければならないのか?

宗教的な意味を度外視して、日本人は全員新訳聖書だけでも読破しろって怒鳴りたくもなりますが、まぁあれはものすごく分厚い上に注釈だらけで回りくどいので…。

 

仮に自分たちの(現時点での)機械文明理想郷を確保し指導者ポジションを獲得したとして、必ずしも自分の子供が自分と同じ能力を持って生まれてくるわけではない。

ロボットやAIに全てにおいて負けるかも知れないし、障害や病気を持っているかも知れない。で、品質基準に満たないわが子を殺すか否か。

それでようやく気付いたって遅すぎるんですよ。

 

かと思えば、ひどく凡庸で封建的な一族の中から突然変異種が現れることだってある。ギフテッドは遺伝すると言われていますがあくまで傾向に過ぎず、100%そうじゃないってことです。

さらにはある分野で盲目であっても他の分野では卓越した見解を持っていることもあるし、そういう類のモノの線引きなんてほとんど不可能ではないかと思ってます(教育界におけるギフテッド理論は、基本的に「天才とは何か」を定義付けるものだと思っている)

 

 

 

動植物を含めた、生きとし生ける全てのものへの慈悲がない仏教徒は仏教徒とは言わない。

仮にもゴータマの志を継ぐというなら、完全にコピーとまでは行かなくとも彼にならって考え、彼のように人や動植物に優しく生きる(よう心がける)べき。

 

どうも最近思うのだが、キリスト教であれ仏教であれ、何でも救うよ許すよって一方的にやってたら人って弱いからつけ上がって、ついには暴走するんだよね。

キリストを磔にするような人々と何も変わらない脆弱さだ。

 

そういう意味で東西を問わず、後世の人が色々付け足したり解釈し直した教えというのはあまり好きになれない。私はルターやマルティンや空海や親鸞じゃなくて、キリストやゴータマその人の言ってることややってることが好きで真似したいと思うのよ。

原理主義って言われればそうとしか言いようがないね…。

言ってしまえば、私はキリストやゴータマ以上の才覚をその後に続いた人たちに感じなかった、ってことだ。いや、その時代その環境では十分すごい人たちだからこそたくさんの人の支持を得たんだろうけど、私の心にはしっくり来る内容ではなかった。

 

キリストやゴータマには覚悟があるのよ。パイオニア、かつ自分の心に従うためには孤独も死も厭わない覚悟が。

そこがすごく好き。

 

 

 

最初にアクセルがあった。しかしそれは異世界でのみ有効な機関だったため、次に現世へとつなぐ歯車を必要とした。

また、現世は異世界と違い走りっ放しではぶつかるのでブレーキも必要になった。

 

この歯車兼ブレーキが知識。私が知識を集めるのは現世での推進力を確保しつつ、ブレーキを準備する意味合いがある(と言ったらこじつけか…)

 

用途が用途だけに、得た知識は多くの場合そのままではなく概念化・もしくはアーカイブされた状態で記憶領域(必ずしも脳とは限らないかも知れない)に保存され、何かの拍子に結合・統合され新しいファイルを生成する。

 

「され」と書くのは、自分の意思で制御できないからである。情報を漁る時の私は渇望に駆られ参照しているに過ぎない。結合・統合も好きな時に好きなようにできていたらそこまで会話に困ることはない。

 

 

 

私が「一人間としての自分の意思で」制御していることはその実、とても少ない。私は理想の自分、超未来の自分を乗せるセスナ機だから。そしてアクセルは、間違いなく「彼」の持ち物なのだ。

だがそれを悲しいと思うことは全くない。私はそのことに、所有しているか否かということにさほど「こだわらない」彼の望みは私の望みで、私の喜びは彼の喜びなのだから。

 

執着していないのではなく、執着するものが違う。

昔から、私は人が顧みないような事象にばかり熱中する。

私は痛みを、この世の闇を知りたがった(あるいは、知るように命じられた)。死と孤独と虚無の正体を知ることを渇望した。その結果、それらは目の前に現れ、今やもう一つの日常のようにそこにある。

 

通常の日本社会より、排除され分断された社会的弱者や紛争地域に暮らす信仰者たちの方が私の心理的世界に近い。ブッダことゴータマは王子として恵まれた将来を約束されながらふとした場面にこの世の虚しさを感じ家を出たが、その気持ちは理解できる。

生まれながらにそうしたものを求めてしまう人種というのは、きっと存在するのであろう。それが恵みか災いかは、周りではなく本人が決めることである。

 

新約聖書はキリストの人柄ゆえか全体にキラキラしている感じがあるが、旧約が書かれた時の時代背景は仄暗い。

たとえば「わが子を命の危険に晒してでも」信仰の強さを証明しなくてはならない、それが旧約の世界のようだ。

そのせいかモーセや預言者たちは、恍惚というよりはやむにやまれず神(ヤハウェ)の使者として人々に切迫感と共にのべ伝えたのだろうと私は考える。

 

仮にもか弱き人間に向かって「子供を捧げよ」、などとのたまったヤハウェを邪神と非難するのは簡単である。しかし結果的に子供の命は取られず、手段は荒っぽいものの試された者の信仰心が内なる神に認められた(有名な逸話のはずだが、誰だったかちょっとよく思い出せない)

つまり、ある神が想像・観測されたとして、他人の神は他人の神でありその神を我がもののように盲信しつつ人に押し付けるから、宗教的な全ての(不毛で悲惨な)争いは起きているのではないかと(旧約の預言者たちが感じたヤハウェも、名前は同じだがポケモンの色違いくらいのレベルで微妙にバージョンが違っている可能性が考えられる汗)

 

 

 

この世界は常にアップデートされている。それは宗教や哲学が扱う精神世界も例外ではない。

しかし新しければ何でもいいわけでもない。だから結果が検証され続ける必要がある、あたかも起床から食事排泄・睡眠に至る流れのように絶え間なく。

 

資本主義やグローバル化は比較的新しい概念であるが、近年この国でもその欠陥があらわになりつつあるし、もっと直接的にえげつない被害を受けている国もある。

だが一方で(金さえあれば)生活が楽になったり外国の人と簡単にコミュニケーションが取れたり、世界中の情報にアクセスできるなどの恩恵もある。

あなたは何を選び、…何を捨てるのか? あなたの喜びと悲しみは何か? 恩恵と災厄の入り交じるシステムに身を置く時、軸が必要になる。

 

ある方向に進む力、その軸がアクセルである。私があまり他の人に尋ねたりまたは対話を進んで行わないのも(汗)、軸があまりにもはっきりし過ぎていじくる余地がもうないからである…。

少なくとも人生やその目的的な意味で、他者との対話によって詰める材料はほぼなくなってしまったようだ。何年も前から、私はのべ伝えるだけの存在にシフトしてきている。私は他者にとって100にはならないが、自分自身にとってのみ100である。

 

やることは決まりきっていて、=何のために生きるかでもあるから、死ぬ動機もやはり死にたいくらいはっきりしている。私が私でいることが状況的に許されなくなった時、肉体が不可逆的に用を為さなくなった時。

日常的に死や終わりを意識していると、心の狭いことではあるが暇つぶし的なニュアンスで絡まれたり誘われたりすることが苛立たしくもある。一分一秒も巻き戻せない大切な時間、命をかけたミッションの燃料。そうした意識を持つがゆえに、…複数の勤務先で遭遇したサービス残業を少しの時間でも我慢できなかった。生きずらい。

FBの自記事転載

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複雑に進化した生物、特定の性能に特化した生物ほど、大規模な環境変化に対して脆くなります。
進化とはそれ以外のあらゆる要素に支えられ初めて成立しうるものです。私はこの星の生態系を眺めていてそのように感じ、また前述の代表格たる人類が以上の事実に対しおしなべて目を伏せているのを見て暗澹たる気分になります。

彼らは自らの生物的特性が抱える脆弱さと、それをカバーする様々な要素に自ら火をつけてしまっていることに気づいておらず、また気づいてもその問題から逃げます。自分の身を焼きながら、焼いてなんかいないor焼いているのは自分ではないと壊れたレコーダーのように繰り返すのです。

誰か、ホモ・サピエンスの中に自己を生物学的に正確にマッピングした上で何を為すべきか確信を得た方というのはおられるのでしょうか。人類の現生種、ホモ・サピエンスはむしろ「自らを正確に把握する」ことを最も苦手としているように思われます。
自らを正確に把握することができれば、あらゆる自滅行為を退けることができ、生態系のネットワークに良い意味でアクセスすることが可能になります。キリのない対症療法を抜け出し、根本的なシステムの最適化に向けて動くことができます。
なお、以上の労働の報酬は自分のさらなる進化のためのバックグラウンド(背景)とリソース(資源)です。

また、あまりに高密度では人は進化することができません。種の保存の他に「個を濃縮する」という選択肢を手に入れた現生人類にとり、子孫を増やし地に満ちることだけが繁栄などというのは既に遠い昔の話となりつつあります。
地球のシステム最適化の一環として、人口調整が持ち上がるのは必然の流れとなるように思われます。既に支配者層にこうした考えが広まっているようですが、彼らのやり方…たとえば都市やインフラ・国家ごと破壊したり致死性ウイルスを撒き散らす、特定地域を放射性物質で汚染などすることにより事態が予測不可能な域に入ることは目に見えています。ですから、あくまでも穏やかに人々の意思を尊重しながら増え過ぎた人口を制御するのです。

法による強制ではなく節度ある教育により望まれない妊娠と出産、それにつながる周囲のプレッシャーやセカンドレイプ的思想の除去。民度は法の縛りではなく知の宿る教育により向上させることができます。
望まれない妊娠出産を減らすことにより、授かった両親がより純粋な気持ちと余裕を持って子供に接することができるし、子供を持てない人々の嫉妬や焦りもやがては取り除くことができます。

科学の強大な力を手にした人類にとって今や最大の問題は、人手が足りないことではありません。中身がないことです。だから、人体というハードウェアの生産から精神や知性というソフトウェアの開発にシフトしなくてはいけないのです。
話題の人工知能は、いかに開発を重ねてもアシストが最適任であり人間そのものの代わりとなることは無意味です。人類自ずからアップデートを重ねないことには、この先はありません。
人工知能に支配されたくなければ、生身の脳のポテンシャルを最大限に引き出し、人工知能より知性として優位に立ち続けることです。そして責任を持ってこの星の全ての資源を平和的に管理するのです。それこそが「万物の霊長」たる者の威厳なのではないでしょうか。
「日本おまたぢから協会」代表・立花杏衣加氏について
日本おまたぢから協会について、NATROMという方が見解を示していましたので私も意見を述べます。



この協会名を友好的に扱う中には、おそらくとんでもなく頭のいい人もいます。
頭がよくこの協会がどういうものか理解しているが、付き合い上肯定せざるをえないのか、あるいは元から発想がぶっ飛び過ぎていた結果そのような思想に本気で共感してしまったのかはわかりません。様々な隠れカルトが跋扈する昨今、尊敬する誰かがいた→その人と仲良くしてる人はみんな素晴らしく良い人たちだ となる流れには、待ったをかける必要性を強く感じました。

本当に一人きりでは何もできない。それは事実。しかし自分が何らかのアクションを起こしに協力を仰いだ時、誰がどういう狙いを持って近付いてくるかなんてわからないものです。タッグを組む相手の素性は、徹底的に調べ上げるのが個人的には安全策だと思います。
もし私が調べ上げられる立場になったとしても、是非そうして欲しいんです。過去のブログやツイートには政治的・宗教的な物言い、クスリでも決めたかのような物言いもたくさんありますからね。必要であればそれらも参照した上で、私が信頼に値するかを見定めて欲しく思います。

これこれは誰々の言うことだから絶対正しい、これこれをやらねば/やめねば災いになると脅すなどは以前からカルトの手法でよく使われていることだし、これらは残念にも盲信し押し付けながら広めていく信者たちによって実効力を持ってしまうものなのです。現在の隠れカルトのトレンドは宗教色が薄く、これまでの医療の否定や極端な自然主義、また指導者的地位にしばしば女性が就くことでソフトな印象を醸し出したりしてます。

宗教を信じること自体が悪ではありません。私の世界観は古代のシャーマンなどにかなり近いものがあるし、本当にイエス・キリストのような慈愛を持って生きていければいいなあとずっと思ってました。
けれど人って弱いもので、誰か力の強い人や集団を見つけるとそこに同化して自分の承認欲求や優越欲求、支配欲求などを満たしたくなるものなんです。ツイッターは楽しいだけの場所ではなく、そういう具合が悪くなるような人間内部のダークサイドを目の当たりにすることだって多々あります(表示されるアカウントをカスタマイズしたのは他ならぬ私ですが)。

ちなみにカルトになりうるのは小さなグループとは限らず、国全体がすっぽりとカルトに染まることが少なくないので注意が必要です。いわゆる「ネトウヨ」、自分を支えるために勝手に定義イメージした「日本」に激しく同化しては適当な理由をつけてマイノリティいじめをするような人たちも一種のカルト信者なんだろうと思います。一部の脱原発も、やはり特定の人物を神か何かのように崇めていて怖いですしね。右も左も頼むから、検証して。という感じです。



Facebookでも同様の内容を書きましたが、実名登録で公開がためらわれたため公開用としてアメブロを使うことにしました。なので拡散可とします。よろしくお願い致します。

過去の歌詞の断片

テーマ:
最も孤独な一瞬に、生きる意味の深淵を見た
果てなき闇夜に、蘇生の調べを聴きに行こう
自分に奇跡を見いだせるまで、今日も明日もその次も
果てなき廃墟に、蘇生の調べを響かせよう
彼らが奇跡を見いだせるまで、何度でも



うまくつなげることができれば、使える気がしないでもない。

生存報告

テーマ:
とりあえず何とか生きてます。別に食事の用意さえ滞りなくできれば、生死に関わることはほとんどない状況なんだが。

近頃本当にまともな物が食べたくなくて、先日は一日に二回袋ラーメンという暴挙をやらかしました。

こんなボロブログでも訪れてくれてありがとうございます。良いお年をお祈りします。