Kボード

キーボードの隙間をブラシでなぞったら出てくるわ出てくるわ。それはもうホコリと縮れ毛の嵐。そういえば昔、PCのキーボードはトイレよりも汚いという記事を読んだ。疑いの余地はない。さてこの毛は陰毛なのかわき毛なのか。何本か抜いて比較検討したが見分けはつかない。陰毛なら不可、わき毛なら可ということもなく、むしろ陰毛よりもわき毛のほうが臭気は強いと思われ、この件に関して考えることをやめた。
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最近、酒を控えている。先日の健康診断の結果でγ-GTPの数値が恐ろしかったから。基準値0~55に対し、今年は138をたたき出した。飲む頻度は多くないし、摂取量も大したことないし、この数字は何だ。納得いかないが、おそらく元来肝臓が丈夫でないのだろう。そして加齢とともに機能が落ちているに違いない。近く、再検査をしたほうが良さそうだ。去年も74と、基準よりも高かったが倍近く跳ね上がるとさすがにへこむ。黄信号ととらえよう。
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いつもタバコを吸っている、スーパーの脇の灰皿のあるスペースに、赤い男がいる。半袖、短パン、靴下、スニーカー、ポシェットが全て赤。吸っているタバコのケースも赤い。携帯電話も赤かった。GIカットの中年だった。短パンとポシェットとGIカットという組み合わせだけでも充分怖いのに、目つきも鋭いのだが、なにしろ赤い。というか赤しかない。そんな赤い男を、僕は昨日も同じ場所で見た。

昨日はピンクだった。シャツ、パンツ、ソックスがピンクだったのを覚えている。しかしそうすると鞄や靴も桃色だっか、煙草や携帯もそうだったか、そこまでは記憶にはないが、どうもそうだったように思えてならない。時間を戻して確かめたくて仕方ない。
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付き合ってちょうど2年になる彼女にプロポーズをした。快く受けてくれた。「いーよー」と。聞けばスリムクラブの真栄田を意識した返事だったという。ともあれ僕もいよいよ所帯を持つわけだ。

太鼓を通じて出会い、当初はそれなりにデートらしきこともしていたが、今となっては一緒に出かけるのは太鼓を叩く時だけの手軽な交際になっている。そんな安直なことしかしてない僕の、骨は拾ってくれるそうだ。なんともありがたい話である。
友人が実家に帰る。頻繁に会っていたわけではなかったが、頻繁に会えなくなる現実をつきつけられると期するものがった。Uターンすることは彼にとって良かったと思う反面、正直寂しい。最後の晩餐よろしく、酒を飲むことは多々あれど酔っ払ったのは久方ぶりだった。彼は地元の愛知に帰ると思うと感極まる。僕にとって彼の存在が大きかったことが、失うことで思い知らされた。この、なくした時に気づくというのも世の常である。失敗から全てを学べたら苦労しない。

彼と飲んで語り合った帰り道、僕は有意義だったとか得も言われぬ充足感とか、そういうことを感じながら僕は別れ際に感極まり、ひどい面をして歩いていたのだ。そしてコンビニで最近お気に入りのスニッカーズを買って帰ったのだ。坂道を登った所にある100円ショップに行けばそこで売っているスニッカーズをそれを面倒くさがった120円で買ったのだ。そして店を出る頃にはすっかり泣きやんで平気の平左で歩いて帰ったのだ。

キーコーヒーという名前のインパクトに惹かれる。KEY COFFEEとアルファベットで表示されると魅力は半減するのだが、音にした時の心地よささたるや、その見事さに聞き惚れる。「キー」と「コー」との同じ子音の続き。そして「キー」と「ヒー」の頭と尻との母音の重なり。美しい3連符である。

コーヒーに被らせる帽子として「キー」が最適ならば、靴を履かせるとしたらどれが良いだろう。「ホー」だろう。続く子音、重なる母音を照らし合わせるとそうなる。そんな法律ができないものだろうか。内容は問わない。


1年以上、連絡が取れなかった友人から返信がきて、口実を作って約束をとりつけた。長いこと電話も出ず、死んだかもしくは出家したとばかり思っていたので安心する。

何かに対して怒っていたらしい。それは彼らしくもあるのだが、まさか僕まで連絡先を消されて無視されるとは、いささかショックだった。ものを捨てたがり、そぎ落とす生活ぶりは変わっていなかった。俗世との遮断を計る彼の手段として、僕の存在が多分に漏れなかったようだがそれも許そう。彼にとって僕は数少ない、もしかすると唯一の友人だし、僕にとっても彼は無二の存在だし。

何に対して怒っていたかは、聞かれたくなさそうだったのであえて聞かなかった。それは二の次だ。積もる話もあって会話が弾んだかといえばさほどでもないが、それも二の次だ。定期的につきまとうことに決めた。

中国男女

その中華料理店に入ったのは昨秋、ちょうどプロ野球の日本シリーズがやっている時だった。町の、よくある大衆的なそれである。おそらく夫婦であろう、切り盛りしている二人は明らかに日本人ではなかった。発音が、よくある一般的な向こうの人のそれである。

テレビではダルビッシュが快投を続けている。主人が「やっぱりダルビッシュはすごいね」と、夫人にかもしくは僕らにか言った。客は僕と連れしかいない。オーダーの確認も日常会話も、二人が交わす言葉は常に日本語だった。

ここで故郷の言葉を使ったら、それが分からない客にとって疎外感を味わわせることになるだろうと、そう思ったのだろうか。彼らの心意気に感動した。料理の味は普通だったが。

その店が閉まっていた。しばらく休業するとの張り紙がある。いつも客がまばらなその店がまた再開するかどうかは微妙だと思えてならないが、また可もなく不可もないその店の味が惜しく感じた。

今日の屁

今朝、屁をこいた。連続で2発。まるでアヒルの鳴き声のような音だった。しかもそれが「アフラック」と聞こえた。1発目が「アフ」で2発目が「ラック」である。奇跡に近い。僕は誇らしげな顔をしていたに違いない。「アフラック」と尻が言った直後に鏡を見るべきだった。

KのTHでDK

江ノ島へ。舌鼓を打ちたくて、という体で、落ちているであろう友人を盛り上げたくて出かけた。鎌倉を観光する。悪いことが重なるというのは世の常である。支えに慣れれば本望だ。

僕はといえばおみくじを引いたら大吉だった。人生初だと思う。というかこれまで記憶にない。