オーディションのようなものに参加していた。しかも歌の。歌唱力など全く自信がないにもかかわらず、僕はその会場にいたのだ。誰だか知らないが相棒が隣にいる。彼はギターで僕がボーカルという、自分の音楽性とは程遠い編成のユニットである。もうすぐ順番がまわってくるというのに曲目すら決めていない。いざ審査員の前に立って、歌ったのはPERSONZという微妙なチョイスが我がことながら不思議で仕方ない。起きてからその動画を探し、見聞きする。
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その友人とはおよそ1年ぶりの再会だった。その時はさして深い話もせず別れたので、酒を交えての席は彼女の変貌ぶりを目の当たりにすることとなった。僕より1つ年下のはずが、もはや年上然として凛々しい。仕事によるストレスをためているようだが、それは成長を促して器を大きくしているように思う。

その点、僕はどうだ。なんて、自分を戒める真似も白々しいほど苦いものに目を背ける癖が沁みついている。
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ドゥンドゥンはジャンベと対を成すが、地味なこともあって奏者は少ない。アフリカでも皆がジャンベをやりたがり、子供がドゥンドゥンに回るという話を聞いたことがある。吉祥寺のSTAR PINE'S CAFEにて、そのドゥンドゥンが主役のライブを見た。N'tanga Camaraの撥さばきに鳥肌が立つ。一遍に6つの太鼓を叩く。といってもドラマーなら普通のことだが、ドゥンドゥンの場合はせいぜい3つが常套。まだ20代前半というから末恐ろしい。
小笠原は気迫のこもった素晴らしい内容だった。先輩の川上といい、後輩の横浜・木塚といい、アドレナリン分泌はそれぞれにせよ、鬼がのりうつるのは大学の系譜だろうか。相変わらずの援護の少なさをもろともせず、先発投手の責任を最高の形で果たした。ローテーションを守っての、初の規定投球回数到達も、今の段階から現実味を帯びる。

じくじたる思い

アフリカンフェスタで公演するジャバテ・ファミリーによるダンス・ワークショップに参加した。踊りは初めてだ。それもジャンベの腕を磨くため。リズム感は養っている自負があったのでソツなくこなせる自信はあった。代々木オリンピックセンターのリハーサル室でおこなわれたが、そこに鏡がないのが不満だった。これでは自分の動きが確認できない。

自信の喪失と不満の解消は早かった。僕の踊りは酷い。酷い醜い。足の動きを覚えようとすると手がおぼつかない。滑らかでない。力強さと優雅さとを融合したアフリカンダンスを講師から全く受け継げなかった。そんな自分を鏡に映さなくて、心から良かったと思う。劣等感を味わいながら1時間半は長かった。いかに体力が落ちたかも痛感する。

ドラムサークル

ジャンベを担いでドラムサークルに参加。児童館にて小学1年生と、楽器を作ったり太鼓を叩いたりして遊ぶ。「ボランティア、何某」と名前を書いたシールを貼って子供たちに接していたが、「ボランティアってことは今日だけなんだね」という子がいてその言葉が今もなお刺さっている。

僕の最近の雨男ぶりはすさまじく、びあんち号に乗る日またはヒロシを持つ日の降水確率が高い。東京の雨は僕の行動とリンクする。

一寸先の闇が怖い

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仕事が辛く、ストレスを溜めていた時期がある。とうに辞めているのだが、そこに職場復帰しているという夢。経緯は省かれ、当時の格好で働いている自分がいた。どうにか理由をつけて脱走しようとする。

思えば逃げてばかりだ。辛いことは直視しない性格である。認識はしていても改善に努めない。故にそういう夢を見るのであろう。
先々週のアフリカンが2度目の登場。そろそろ国に帰るらしい。持参した楽器、民族衣装、布を売りさばこうとして英語とフランス語を駆使する。気になる楽器があり、それが幾らなのか聞いたところ、その楽器の希少性や歴史など、交渉に入るまでの時間がかかった。やり手だ。我の強いアフリカンに勝てるわけもなく、途中で面倒になって諦めた。
霊が僕の鼻を潰しにかかる。頭を押しつけているようで、鼻が潰されると同時に毛が穴に入って不快である。そうしつつも、執拗に尻をまさぐられた。もはや何を望んでいるのかなど考えなくなった。他人の気持ちさえ分かる術がないのに、それが霊ならなおのこと。ただ、これらのことから推測するに、彼は背が低いようだ。