武骨鉛筆

鉛筆を使うようになった。シャープペンシルは全て譲った。若干の弾力がある書き具合が良い。それに伴って、ナイフで鉛筆を削るようになった。これが難しい。僕が削ると、むき出しになった木の部分から鉛の先までが極端に短くなる。人間の、首が埋まった状態に似ている。シュッとしていない。首を長くさせようとすると、刃が木に深く入ってえぐる形になってしまう。ますます不格好になる。しかしそれもまた武骨で自分らしいというポジティブ・シンキング。
AD

お台場ジャム

お台場ジャム お台場に集合して海を眼前に砂浜で叩いた。快晴も手伝ってすこぶる心地良いがしかし塩と湿気が怖い。今回は10人以上の大所帯、ダンスにカホン、ベースも混じって幅が広がった。午前中から日没までヒロシと向き合う。はしゃぎすぎて友人の肘を損傷させてしまい、非常に申し訳ない。それは戒めつつ、後に海に落ちた行為はこれからもキャラクターとして継続させていきたい。分別のあるはしゃぎ方を心がける。

名前をつけようということでジャンベチーム“一期JAM”結成。定期的に活動して、ジャンベを叩き、しかしそれは毎回が一生に一度のことであるとの意味を込めつつダジャレにもっていく。

AD

また鴨

テーマ:

また鴨 今年も小鴨がかわいい。小さな羽をばたつかせて尻を振る。猫や烏から防ぐ手はないだろうか。しかし自然の摂理だから仕方ない。視点を変えればそれらもまた生きるためにすること。おぼつかない足取りで石を登り、必死に親鴨の後を追う。そして見物客がそれを追う。緑道の行列は長い。人の触れ合いの場でもあるが、鴨は見守るだけで皆マナーが良い。

昨年一昨年 も鴨を記事にしてマンネリ化が進んでいる。写真も変化がない。朝霧jam然りクリスマスイブ然り12月30日然り。毎年の恒例行事が増える。

AD

東京タワー オカンと僕と、時々、オトン 一人っ子であることと、一度家を出てまた同居したことと、両親が別居していることと、ボクのために生きてくれた―ボクのオカンというコピーが僕を必要以上に入り込ませた。僕にとって今、考えられうる最も辛いできごとといえば“オカン”の死だろう。いつか来るその日はなるべく遠い未来であるよう願ってやまない。“オカン”にとって僕は全てであり、これまで文字通り心血を注がれてきた。僕にとっても誰より影響を受け、誰より尊敬し、誰より大事な人である。母の強さ、底のない愛、自己犠牲を学び、それを還元すべく模索中。

リリー・フランキーの私小説的ベストセラーの映像化は、2時間超の長尺でも足りないくらいのボリュームだと、読んではいないが推し測る。東京タワーが見える病室にボクこと雅也とオカンがいて、刻一刻と死が近づくオカンを見守るリアルタイムを、幼少時からのフラッシュバックが追いかけ、最後に追いついた。細かいエピソードがいちいち涙腺をつき、鼻水も垂れて、なぜかヨダレまで出ていた。

身近な人間の死や悲しい別れなど、要は今まであったものが失われるということを題材に盛り込めば大体において泣ける。それと良い映画というのは別問題だ。僕の涙など安いものなのだ。

筋に劇薬

いつまでもすじがゆい 。ついには痛い。体温が上昇すると顕著で、風呂上りは要注意である。湯船から出て、冷水のシャワーで睾丸の袋をクールダウンさせる。湯冷めを避けるために足をがに股に開き、陰茎を持ち上げて、睾丸だけを冷やす。そして浴室を出る。

どうやらこれは雑菌によるかゆみのようで、消毒液をふりかけることにした。かきすぎて皮が剥がれて粉っぽく、いくばくか腫れた睾丸にマキロンは予想をはるかに上回る衝撃だった。僕はこんなにも高い声が出るのかと、知られざる自分の音域を知ることができた。

月見る君想う

アコースティック・レゲエを月見ル君想フ にて。エコロジーに則している。3組のアーティストにドラムはいない。パーカッションにばかり目がいった。コンガ、ボンゴ、ジャンベ、アシーコの他、カウベルやシェイカーの類にもそそられる。もう一つ、金属系の何かがほしい。家族的な雰囲気の中、程よいキャパシティでまったりと過ごした。DJはしょっちゅうボブ・マーリーをかけていた。ふつふつと沸きあがる、バンドとDJへの思いが僕を能動的にさせる。

粛清

1週間くらい前に切ったばかりで、しかも念入りに根こそぎ刈ったというのに、最も成長の早い鼻毛は外界に出んばかり。伸びる速度は体中の毛の中で群を抜いているのではないだろうか。とりあえずざっくり切った。

切られたそのスピードキングを鉄砲玉とするならば、太さを誇るワイヤーのような鼻毛は組長とでもしようか。悠然と私腹を肥やし、なかなか表に出ずになりを潜めている。奥のほうで幅をきかせ、無闇にそれを刈ってはまたより太い毛が生えるので、しばらくは泳がせることにする。

るつぼジャム

アースデイ アースデイ

ヒロシを持っていった。ジャンベを叩き、イベントを見て、ジャンベを叩き、イベントを見て、ジャンベを叩く。その合間には飲む。代々木公園にはいつにも増して様々な人がいた。浮浪者にじゃがりことポッキーを盗まれて寛容でいられるほどピースな気持ちになる。1歳10ヶ月のハーフの子どもにヒロシを渡す。触ることも怖がっていた彼が徐々に慣れてジャンベをさすり、叩き、とびきりの笑顔を見せてこぼれんばかりの頬さえあれば他に何もいらないのではないかと、彼も将来ジャンベをやればいいのだが。「セッションしてもいいかい」と話しかけてきた男性は歌いだし、娘がその父親の様子を冷ややかに見ていて、彼女も将来ジャンベの魅力を知ってくれればいいのだが。アフリカンや他のジャンベグループともジャム。コネクションはどこまでも続く。