Nothing Compare 3年目

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記事の数は1000に近づいている。もはや生活において睡眠の次に時間を割いている。何が僕をそうさせたか。テーマ別の割合算出は大晦日の恒例行事 である。括弧内は昨年比。

 映画もしくはRENTALたまにはCATV 22.1%(1.5pアップ)
 音楽 を聴く で踊る 13%(0.5pダウン)
 スポーツ 中でも野球 とりわけ中日 13.6%(1pアップ)
 READING REED 2.9%(横ばい)
 ツーリンポ 8.8%(1.3pダウン)
 ソウウツ&ブンレツFAMILY 8.1%(1.2pダウン)
 バトンは履歴書 4.8%(0.6pアップ)
 努々夢 0.7%(新規)
 日記をしてみむとてするなり 22.1%(0.4pアップ)
 このブログ 3.9%(0.9pダウン)

映画を見ることに努めたことと中日が優勝したことが反映されている。自転車に乗る機会が減り、近隣の銭湯を行き尽くしたことも表れた。これは挽回したい。読書の時間も増やしたい。ネタ切れ防止に備えて新たに加えた夢の話は増えそう。自分が何に重きを置いているかも分かる。

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ダーウィンの悪夢 アフリカのタンザニア、ケニア、ウガンダにまたがるヴィクトリア湖にナイルパーチと呼ばれる外来魚が放たれ、その白身魚は脅威の繁殖力でヴィクトリア湖の生態系を壊した。そのナイルパーチは食用として海外への安定供給を生み、近隣住民の生活形態までも変える。誰が、どのような目的でナイルパーチを放流したかという、核に達しないまでの事実をドキュメンタリーで映し出す。

加工して輸出すれば大金になり、一部の人間は巨額の富を得ていた。仕事の需要も増えるが貧富の差は拡大するばかりだった。治安は悪く、エイズは蔓延し、ストリート・チルドレンも少なくない。子供ですら食料を求めて骨肉の争いをする。うじ虫がたかる加工後の魚が強烈だった。それを陳列しながら、労働者は農家をしていた頃に比べればましな生活をしていると語る。映画から得られるのは視覚と聴覚の情報だけで、ヴィクトリア湖周辺の臭いは分からない。相当な臭気を帯びていると想像するに留まるのは、対岸の火事でやるせない。各国大使が集まってサミットが開かれる建物の外にはスラムが広がっていた。

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うわべジャム

クリスマスイブが3年連続の一人で映画館なら、大晦日イブは3年連続で と過ごして恒例化しつつある。一昨年 は釣堀に行き、昨年 は一緒に映画を見た。痛々しい。

先日、彼がベースを買ったことを知ったのでジャンベとジャムセッションをすることにした。お互いまだ始めたばかりでリズムキープは数秒も持たず、主導権は譲り合い、どういう音を出したいのか不明瞭で、ぐだぐだだった。ただ時折グルーヴを感じることがある。その一瞬の刹那に喜びを見出し、満足する謙虚さを共有する。

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虫干し

パンフレット群 古くから映画を趣味としているブンレツさんの友人がいて、持っているプログラムを処分するというので全てをもらうことにした。宝の山だった。シャンテ・シネ、岩波ホール、シネマライズのものが多く、こけら落としの作品まである。ブンレツさんよりさらに一回りお年を召した方だが、拡大公開から単館系まで満遍なく、若年向けの作品も網羅してぬかりない。紙袋が8つ。五十音順に整理しようと思っているが、正月の三が日までに終わるかどうか。

忘れていたがソウウツカズンにも大量のプログラムをもらったことがある。それも引っ張り出してまとめなければ。2008年までには。
安眠はできていないものの僕の操 は守られている。肛門に何かをあてがわれることはないが、その代わり手を握られるようになった。順序が逆だ。気色悪いのは、左右の手を近い位置で腹の上に置いているにも関わらず、その両方で繋いでいること。両手首だけを切り取ってくっつけたような間隔で霊の手がある。体の切断が自在にできるのか知らないが、そこまでして手を繋ぎたいのか、相変わらず彼のすることは理解に苦しむ。

女は女である 映画に“オサレ”は全く求めないのは、流行ほど普遍と遠い存在はなく、クールを装った作品でも下手したら数ヵ月後にはださい代物になっている可能性がなくはないからである。時代によって色あせることなくオサレを保てる稀有メイカー、ジャン・リュック・ゴダールによる本作は実験的思考が強い。

男女ともにタバコの量が半端ではない。ひっきりなしに吸っている。それでも彼、彼女はキスを繰り返し、ヤニにまみれたそれは見ていて口臭が気になる。しかし不滅オサレにとってそんなことは凌駕する。

アンナ・カリーナが24時間以内に子どもが欲しいというストリップ女優アンジェラをコケテッィシュな魅力で好演する。赤や青のストッキングから連想されるのはトリコロールで、純粋かつ奔放なロリータ・エロスがたまらなかった。「勝手にしやがれ」ジャン・ポール・ベルモンドが彼女に思いを寄せるアルフレッドを、「いとこ同志」ジャン・クロード・ブリアリが彼女の恋人エミールを、それぞれ振り回されながオサレ・エスプリが展開される。理解が困難なものは全てエスプリで。ただただオサレで。

愛の昼下がり フレデリックの独白から物語は始まる。弁護士の仕事は順調で、勝ち組然とした中産階級以上の典型的フランス人というか、刷り込まれたイメージそのままの人間による女性論が延々と続く。鼻につく講釈とくだらない妄想の後、旧友の元恋人クロエが彼の前に現れた。

美しい妻のエレーヌと娘のアリアーヌに加えて息子のアレクサンドルも生まれた。郊外に家を構え、住み込みの家政婦を雇い、フレデリックの家庭には不満がないように見える。クロエは頻繁に彼の事務所に顔を出し、最初は疎ましく感じつつも次第に生活の一部へとなっていった。敬遠しているとつきまとい、欲すると離れる彼女は魔性の女を地で行く。

アリアーヌもクロエも異様に細い。背中のラインには、指でつまめるのではないかと錯覚する。アリアーヌへの貞操か、クロエへの欲望か、フレデリックの葛藤がエリック・ロメール6つの教訓話の最後を締める。徳利セーターの襟口を頭で留めて、彼の心に去来するものは。そいえばジャミラは元フランス人の宇宙飛行士だった。

夢精

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夢では触覚、視覚、聴覚があり、味覚と嗅覚がない。前者3つに敏感で後者2に鈍感なのだろう。見えていた景色や聞こえていた声が突然遮断されることがある。実際に五感のうちのどれかが使いものにならなくなったとしたら、という恐怖を抱いてはいるが、夢の中でその現象が起きても心が乱されることはない。寝ている状態のほうが悟りに近い。

触覚はといえば、痛みはあまり感じない。殴られたり、締めつけられたり、何かにぶつかったりぶつけられたり、瞬間にこれは痛いと思ったが、そこに意識を集中させると痛みは消えている。自己暗示は快感も同じで、触り、まさぐり、挿入すれば心地良く感じるが、ふと我に返るとただそう思いたいだけだった。下着を汚さずに済んだ。三十路でそれはさすがにへこむ。

得体の知れないものを警戒するのは至極普通の思考回路だが、それが強いとエゴイストになり兼ねない。潔癖症の心理は、自分やその身辺のみを清潔とし、それ以外を蔑んでいるということなのだろうか。自分の屁や耳垢、鼻糞に興味があっても、他人のそれを忌み嫌うのは改めようと思う。もしくは自分のそれすらも嫌うとか。

電車の中で、年老いた男性が一心不乱に鼻をほじっていた。金塊を探り当て、外界にさらして指で丸める。それを許すか、もしくは自らもほじるか。

公共の場の認識は人それぞれの価値観により、あたかも一般論であるかのように持論を展開する気はない。常識すら、僕には曖昧だ。ただ凝り固まることだけは避ける努力をする。男であるがゆえの視点だが精神的苦痛は肉体的暴力と同等で、他人の鼻糞などいわばデコピン程度の打撃であり、良しとする。

雨月物語田舎の百姓暮らしは常に苦しい。時は戦乱で治安も悪い。金が人を変えると宮木は言う。その夫の源十郎は陶器で商いを始め、それが当たって執着心が出た。源十郎の妹・阿浜も今の生活に満足していない。阿浜の夫・藤兵衛は都で武士となって一旗上げることを夢見ていた。宮木の憂いは彼女の犠牲によって消える。その最期は長回しで、襲われてなお家路に歩みを進めようとする彼女にカメラは寄ることなく、逆に引いて奪った食糧を漁る盗賊を遠目に映した。スクリーンはかくも立体感を得る。

溝口健二の遺作「赤線地帯」を先に、しかも割と最近見たばかりのため、京マチ子に対する蓮っ葉な娼婦というイメージが拭えず、若狭が同じ女優と捉えられない。その妖艶さは、彼女が画面に登場するだけで、描かれた世界がいかがわしくなり、幻想的な光景になる。モノクロの、強い陰影が彼女を浮き彫りにして、まるで発光体のようだった。

若狭に導かれた源十郎は辛くも現実へ戻ってきた。故郷に帰り、もぬけの殻となった我が家に入る。ぐるりと一周する彼をカメラは追い、パンして再度、扉をくぐるとそこはまた現実ではない世界で次は宮木に導かれる。身の丈を知り、見合った生き方をすべきであると、ファンタジーのコーティングをかけて説く。