LIBIDO

発情期だ。性欲がえらいことになっている。ほぼ常に悶々としている。街行く女性が性対象。薄着になっていい季節だなんて危ない。視姦も犯罪である。

溜まっているなら自力で出せばいいのだが、ぶっちゃけると自慰行為にも飽きてきた。風俗に行こうにも経済的に厳しい。映画やCD、書物、服を我慢してまで行こうとは思わない。いや思わなかった。ここにきて性欲が物欲を逆転しそうな勢いだ。

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新寿湯 新寿湯 代田5-11-7

行楽シーズンどこ吹く風、今日も銭湯は空いている。そんな銭湯を好いている。廃業に追い込まれないために繁盛してほしい反面、いつも大きい浴槽を満喫したい気持ちもある。

訪れた銭湯の中で最も規模が小さいだろうか。浴槽は薬湯ラベンダーの紫色が映えるジェット風呂一つだけ。広い浴場も魅力があるが、こじんまりとしたそれもまた一向。今回も髭剃りを持参する。家で剃るよりも切れ味が鋭いと感じるのは確実に気のせいではある。

番頭はうたた寝をしていた。コーヒー牛乳代の小銭をそっと置いて、スポーツ新聞、タバコに火をつける。テレビはゴールデンウィークのラッシュの模様を伝えている。女湯から「まあ、見てこの人ごみ。そんな大変な思いをして馬鹿みたいね」と聞こえてきた。彼女は毎年同じことを言っているのだろう。

今日は汗ばむ陽気で、Tシャツが背中、肩、脇とリュックサック状に濡れている。そろそろ着替え持参で巡るとするか。

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バッド・エデュケーション 監督にペドロ・アルモドバル、主演にガエル・ガルシア・ベルナルとスペイン語圏の脂の乗り切った二人が満を持して組む。といったところだろうか。アルモドバルの作品にはよくゲイが出てくると思っていたら、どうやら彼も同性愛の気があるようだ。半自伝的な映画ということで、ここにきてカミングアウトした。

若い映画監督エンリケの前に現れた、幼馴染だと名乗る美青年イグナシオ。二人の禁断の愛と隠された秘密が暴かれる。寄宿学校で惹かれ合うがイグナシオを偏愛するマノロ神父によって引き裂かれた少年期、再開を果たすもイグナシオが本当に彼かどうかエンリケが疑いをかける現在、イグナシオが持ってきた脚本を撮影した映像の3部が交錯する。少年期はイグナシオ、現在はエンリケの視点で語っていた。

欲望と復讐と愛が渦巻いている。3役をこなしたガエルが、男性としても女性としても美しい。愛し、愛される人間とはかくも妖しい。美しいはスペイン語にもいえる。彼らの織り成す愛の言葉は淀みなく流れる清水のようだった。

少年時代のイグナシオとエンリケがフィルムノワールの特集上映をしている映画館に行く。黒い映画を「僕らみたいだね」と、彼らは劇場内で互いの性器をまさぐり合いながら見ていた。カメラの前を二人が通り過ぎ、その後カメラは動いて映画館のポスターをアップにする。何の作品かは分からなかったが、オマージュ的なものがあったような気がする。

4月28日は渋谷(428、シブヤ)の日で渋谷の映画館が一部を除いて一律1000円だった。代々木、新宿間のテアトルタイムズスクウェアもぎりぎり含まれている。映画前に金券ショップでチケットを購入しようとすると、店員がわざわざ教えてくれた。利益追求だけでない殊勝な彼に乾杯。

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春のうららのフィッスマンズ。僕は完全な後追いで、佐藤氏が亡くなってから聞き始めた。リアルタイムを知っていたら僕はどんな人生だったろう。当時ロック一直線だったことを否定しかねないから、そう考えるのはやめる。

タワレコに寄るとベストアルバムが発売されていた。2枚組を2つ。やり口が汚い。未発表音源を盛り込んで、全アルバムを持っているようなコアファンまで惹きつける。聞いてみるとやはり心地よいわけで。「ナイトクルージング」「すばらしくてNICE CHOISE」と所有タイトルまで試聴する。

浮遊感と開放感。ポケットから手を出して、腕組みもしない。

アーティスト: フィッシュマンズ
タイトル: 空中キャンプ


4月26日
訪問者数:187人
総合:1470位
ジャンル:254位
2回連続でCATVの録画に失敗した。元々成功率はかなり低い。先日はチャンネルをロックし忘れ、今日は午前と午後を間違えていた。撮ったら撮ったで、それで満足して見なかったりもするのだが。録画する番組は9割方映画なので、そんなに見たかったのならばレンタルショップで借りてくればいい。しかしその350円がとてつもなくもったいない。


4月25日
訪問者数:187人
総合:1549位
ジャンル:277位

M字型

整髪料をつけるとき、自分がある行為をしていることに気づいた。額の両脇を髪で隠すようにしている。そのことに躍起になっている。だいぶ広がってきた。M字型脱毛が洒落で済まなくなっている。

父方の家系は髪が薄い傾向にある。ソウウツシニアはオイリーで細く少ない。ソウウツカズンなど三十路を過ぎた頃には禿げ散らかしていた。僕も資質は十二分に持っている。まだ額が広めで通せるが、このスピードが怖い。

思えば若い頃は随分と髪をいじめてきた。長髪を切るのがもったいなくてドレッドにし、貫禄が出るかと髭も含めて銀髪にし、Red Hot Chili Peppersのフリーに感化されてらせん状に刈り込んだりもした。「遺伝だから仕方ねえ。今やりたいようにやってやる」と息巻いて、いざ直面して慌てふためくなど情けない。そしてやりきれない。


4月24日
訪問者数:224人
総合:1632位
ジャンル:300位

黒沢清監督、役所公司主演、しかも役どころが同じ刑事だったりで「CURE」と混ざりそうだ。記憶の混同回避は僕の課題である。

人間と自然、1本の木と森。共存共栄の意義を問う。冒頭で「世界の法則を回復せよ」とある。役所公司扮する藪池刑事が、人質と立てこもる犯人から受け取ったメッセージ。これが本作のテーマとなる。

激務で疲弊しきった藪池は、立てこもり事件で犯人と人質の代議士を生かせず、責任を取らされて強制的に休職させられる。ふらりと東京を離れた彼はある森に迷い込んだ。幻想的な木が1本だけぽつんと生えている。その木の周りだけ枯れ果てていた。

木をカリスマと名づけてその長寿を守る、精神を病んだ青年・桐山。カリスマの毒素によって枯れゆく森林を保護するため、またカリスマで大金をせしめるため伐採を企てる植林作業員・中曾根。森林の再生には全ての破壊しかないとする大学教授・神保美津子。三者三様の行動を藪池が見つめる。藪池は桐山のところに身を置き、彼の手伝いをする。カリスマと藪池が接触するシーンは、太陽による逆光がまぶしく、照明の光の当て具合が危うい。

中曾根はプラントハンターの猫島を呼び寄せてカリスマの伐採を謀る。桐山は奪回するが美津子の妹の千鶴に襲われ、カリスマは焼かれる。落胆する桐山だったが、藪池は新たなカリスマを見た。そのカリスマの存在は、この人間模様の生態系を壊す。「生きる力と殺すカは同じものだ。1本の特別な木と森全体、両方が生きようとしているのだから両方が生きればいい」。矛盾が複雑に生じて、正解のない世界を生き抜かなければならない。

本を読まなくなった。活字離れが激しい。その理由に、行末から行頭へうまく移行できないことが挙げられる。同じ行を繰り返したり、一行飛ばしたりしてしまう。まあそれは言い訳であって、結局は面倒くさいのである。映画や音楽、コミック。それらはある程度思考を止めても垂れ流してインプットができるが、こと文章だけになるとそうもいかない。想像力と読解力を駆使するのは疲れる。要するに面倒なのである。

そんな自分を叱咤するべく、これを手に取った。詩人・荒川洋治編集で、森鴎外に始まり町田康で終わる。ハズレがない。短編集なのでサクッと読める。語彙の少なさ、文章の稚拙さも解消。と青写真を描く。一つずつ書評でもするとして退路を断つ。

著者: 荒川 洋治
タイトル: 名短篇―新潮創刊一〇〇周年記念
通巻一二〇〇号記念



4月22日
訪問者数:118人
総合:1835位
ジャンル:357位

方便

緑内障でブンレツグランマが左目を失明した。遺伝的なもので、右目も時間の問題だという。薬で時期を延ばす。せっかく戻った気力もまた失いつつある。目をかばって時代劇もあまり見ていない。医者は「今のうちに見たいものを見ておけ」と、その通りなのだがどうも心無い。読書にも不憫で字も下手になり、落ち込むばかりだった。「時期に慣れてすぐに読み書きにも不自由なくなる」と励ました。適当なことを言った。

さらにホームで盗難に遭う。金色のアームバンドを盗まれたことが拍車をかけていた。グランマは犯人の目星をつけていて、それは隣の部屋の老女だそうである。きらびやかなものには揃って目がなく、見栄えが最優先事項だ。どうも高価なものだと勘違いをしていて、百円ショップで新品を買い与えた。どこで買ったかは言わない。


4月21日
訪問者数:129人
総合:1890位
ジャンル:370位

CURE [RENTAL]

先週末はTSUTAYAが半額デーだった。5本くらい借りてやろうかと思ったが見れるわけもなく、しかも日曜の夜ともなればだいぶ貸し出し中になってしまっている。いつも通り2本に留め、いつもの倍近い長蛇の列に並んだ。黒沢清ホラーを借りる。ビデオを見る行為がとにかく億劫で、今日になってやっと1本目。「借りたのだから見なければ」と義務になってしまった時点で鈍り、渋る。

被害者が胸をX字に切り裂かれる事件が多発した。犯人に接点はなく、偶然か必然か担当刑事の高部は悩まされる。高部の友人で犯人の心理分析をする心理学者の佐久間の見解は「犯罪の目的は分からない」。他人のことは知り得ない。その本質を突いている。一連の事件に絡む青年・間宮に記憶はない。会話が成立しない。そして催眠暗示によって犯行を促す。暗示の手口は一人目、二人目と接するうち徐々に明らかになった。「俺の中にあったものは全部外にある。だからあんたの中にあるものが見える。その代わり俺は空っぽ」な間宮が扱う火と水。終始暗い中、ライターを灯し水の滴りが響く。

高部と佐久間は間宮に辿りつくも、真相を暴くはずが逆に追い詰められていく。高部の妻・文江は精神を病んでいた。努めて彼女を気遣う高部だったが、間宮には見抜かれていた。わずらわしくて仕方がないこと。妄想と焦燥、画面には陰鬱な圧迫感が常に潜んでいる。淡々と進みながら、恐怖は常に煽られていた。ラストはあたかも平静のように見せ、実はそれはとにかく薄い表面でしかなく、あるいは狂気に気づきたくないのかも知らん。

何かの雑誌で「黒沢清はアンゲロプロスに似ている」と読んだことがある。横スクロールでの人物の捉え方に秀でる。