引き続き

今日も腰痛に苛まれる。旧友を介して知り合った[フミネエ]との約束を、昨日に続いてドタキャンする。何もできない。シャバの空気が吸えない。タバコだけが増える。

4月から続いた禁煙は4ヶ月。1日に5本、平日のみと決めた喫煙もいつの間にか禁煙前と同じ本数になってしまった。きっかけさえあればまた禁煙できるのだが、と他力本願。
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武蔵野美術大学へShing02のイベントに[ウチシバクン]と行くつもりだったが、腰痛で家を出れず。ドタキャンした。チケットが売り切れとの噂で、しかもこの雨でどっちにしろ行かなかったかもしれない。

Shing02。ヒップホップという枠組で括っていいのだろうか。ラッパーだけでなくいろいろな側面をもっている多角形な人物だ。あまり詳しくないけど。どんなパフォーマンスをするのか楽しみだっただけに、いろいろと残念である。
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十人十色

ジャグジーズ 4人で飲み語らう。彼らとはもう8年の付き合いになった。結婚観、親交論、それはさまざまである。それぞれの価値観がある。それを押し付けることなく語り合った。どんなに深く付き合っていても、他人をすべて知ることは不可能だ。だからこそ人はおもしろい。

今日はホームページ作成が佳境を迎えたということでの会合だった。構想2ヶ月、結構長い道のりに感じた。何もしてないけど。[コウヤマ]が頑張ってくれているが、HTMLやら文字コードやら難関がたくさんあるみたい。ナイスファイ。
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フランス映画「クリクリのいた夏」は僕のベスト10に入る作品だ。その監督ジャン・ベッケルの新作を劇場まで。彼の父ジャック・ベッケルは「穴」「現金に手を出すな」の巨匠で戦中戦後のフランス映画界を担った。ジャンは戦争の記憶が鮮明に残っているようで、本作も「クリクリのいた夏」もその時代を背景にして回顧調で描いている。

教師のジャックは日曜日にピエロになる。息子のリュシアンは笑われる父親を好きになれずにいた。そんなリュシアンを見かねて、ジャックの親友アンドレは彼にジャックがピエロになったきっかけを話す。単純明快、気分爽快の後味すっきりな映画ながら、随所にフランスらしさが垣間見える。大戦中ドイツ占領下のフランスで、ジャックとアンドレを含む4人が人質・捕虜となる。死に直面してもなお、関係のない些細な事柄で言い争う4人。会話の妙を突くウィットなユーモアはフレンチらしさという趣だった。そして戦争批判も忘れない。4人の立場に同情した一人のドイツ兵が、他の兵士に気づかれないようにピエロを演じて、悲壮な彼らを笑いで勇気づける。「いつも心にユーモアを」。これは永遠のテーマだ。そのドイツ兵が上官に、4人に銃を突きつけるよう命じられたとき、彼は翻意して銃を置きピエロの赤い鼻を付けて上官を見る。そして彼は上官に殺された。多くの要素を詰め込んでいる。

監督ジャン・ベッケル×喜劇俳優ジャック・ヴィユレの「クリクリのいた夏」の牧歌、ジャック・ヴィユレ×ティエリー・レルミットの「奇人たちの晩餐会」のシチュエーションコメディーというお約束的なリードは要らないか、な。
大芸大その2で借りた「ばかのハコ船」は熊切和嘉の助監督を務めていた山下敦弘の監督作品。処女作「どんてん生活」での主人公のリーゼント姿や、独特の間(ま)で日本のカウリスマキと呼ばれている。なるほどオフ・ビート感覚の笑いはそれに近いかもしれない。「リアリズムの宿」と2作品を見て、俗に言うところの「負け組」を世の主流として丹精込めて描いている人とみた。

上映時間111分がもっと長く感じる。しかし怠惰な生活観を写すにはそうなった然るべきなのだろう。ラスト近くで納得する。自主販売を試みて多額の借金を抱えるダメカップルが、男の故郷で返済に奔走する。ダメなりにダラダラと。腹立たしい反面、やたらと共感を覚えて苦笑を誘う。甲斐性なしの男・大輔となんだかんだで離れない彼女・久子は、僕の理想の女に近かった。設定では二人は7年間付き合っているということだった。愛よりも情での繋がりのようで、全くもってそれがあるべき男女の姿だ。片田舎に出戻り、恥ずかしい過去を蒸し返す。そこにコメディーを見出している。うなづける。皆、愛すべき人間なのだと。人生とは情けないものだと。

Ongoing

以前、会社で同期だった[ハトウサン]が出展している、西巣鴨で開催中の「Ongoing vol.3 壱万円展」に行く。廃校になっている中学校で展覧しており、おもしろい情緒を醸し出していた。コンセプトは同年代を生きた1970年生まれのアーティストが、世界をどのように生きて表現しているかということで、同世代として大変興味深かった。。生と死をテーマにヒナ鳥と人間を描いたモノクロームのアニメーション。遠近法を活かして発泡スチロールなどを建造物のように捉えた風景写真。雨にさす傘など展示物そのものをスピーカーにして触れることで音と振動を体感できる作品。球体に描かれた360度の風景画。しかも展示作品を一万円で購入できるというのが豊か基本的に芸術家は食べていくことが難しい。しかしそれでも彼らは満ち溢れているように見える。満ちて生きる術を知っているように感じる。[ハトウサン]が各々の作品を解説してくれ、その表現作品を一歩深く受け取れた気がした。

喫茶室でバンドパフォーマンスもあり、ボーカルとギターの男性が恋人同士とのことだった。レインボーはゲイのカラーだと教えてもらう。勉強になった。
最近映画監督を多く輩出している大阪芸術大学というカテゴリーで2本借りる。1本目は熊切和嘉監督作「鬼畜大宴会」。

今現在ではなく、舞台を過去(もしくは未来)にすることの意義は何だろう。その時代背景でしか生まれないであろう秩序や世界観でなければ描けないからだろうか。またはその時代に思い入れがあるとか。日本の1960~70年代は学生運動が盛んだった。暴力性が前面に出た時代かもしれない。熊切和嘉は1974年生まれで僕と同世代、当時の状況を実際に見ていない。テレビや本、親の体験談などでその狂気を知ったのだと思う。

ある学生運動グループのカリスマリーダー相澤が獄中で自害する。彼の出所を待っていたメンバーが彼の死を境に狂い、連鎖する。せまい世界ゆえのルールのもろさが描かれていた。相澤の恋人だった雅美がエゴ丸出しで指揮をとる。彼女の欲望とメンバー個々の欲望が絡む。相澤と刑務所で知り合い、出所後にその学生運動グループに参加した藤原は、俯瞰の視点で彼らが狂うさまを見ていた。血しぶきが付着した日の丸に、藤原が日本刀を刺す。ドン、ドン、ドンと壁に刀が当たる。次に刀を振ると、場面は転化して無音で息の根を止める。そして彼も正常ではなく、ピリオドをうった。

これが大学の卒業制作。提供:松畜には笑った。セックスと暴力は世界共通で時代を超越する。

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いまいちトラックバックの機能を分かっていなかったが、実際もらってみるとやはりよく分からない。コメントを付けつつ自分のブログにも記事を載せることができるというものだろうか。とにもかくにも嬉しい。
コンビニやスーパーのレジを打つ女の子が、お釣りを渡すときに努めてこちらの手を触れないようにしている。まるで腫れ物を扱うかのように。小銭をつまみ、実に器用な指使いで触らない。それが当たり前なのだなと感じていた今日この頃、近所の100円ショップでその出来事は起きた。大量に買い物をしてお釣りをもらおうと手を出したとき、そこの女の子はお金が落ちないように僕の手を軽く握ってから釣銭をそっと手のひらに置いた。妙に嬉しい。店を出てからニヤける。何故にこれほどにも喜びを感じたのだろう。思えばここ最近、女性と触れていなかった。まるで童貞中学生のようなこの感覚。それに気づいた28歳になりたての僕はしばし自己嫌悪に陥る。成長の跡が見られない。