ボブディラン

ノーベル文学賞

数年前から騒がれてました

 

僕の生活のパーツ

ジグソーパズルの最後のピース

尊敬するボブディランに語らしてください

 

僕がボブに出会うのは15歳でした

ビートルズのホワイトアルバムを聴き倒して

たまたまレンタルで借れた風に吹かれてでした

 

僕はあまり好きな歌ではなかった

 

そのままイメージで18歳までボブに触れることはなく

 

ブルース音楽に興味を持ち

ハウリンウルフやビービーキングに陶酔して

 

ロバートジョンソンに行きつきました

 

するとキーワードにボブディランが出るように

 

ボブはフォーク音楽だと思い込んでいた僕は

なぜ?と思いました

 

そのころ僕は音楽のすべてを知りたくて

ワクワクしていました

 

さっそくプラネットウェ―ブというアルバムを買いましたが

はずれでした

 

どうしてこんなにも誰もがボブディランを崇拝するのか

わからなかった

 

ところが運命は音からではなく

文字から飛び込んできました

 

どんな気がする

 

このフレーズが心を揺るがして

いまだに僕の胸を転がしてしまう

 

深い言葉

 

ふかすぎて

 

広くて

 

冷たくて

 

泳ぎつかれた言葉

 

泳がずにいられない言葉

 

僕の調理場の真ん中にこの言葉を飾ってある

 

どんな気がする

 

武道館にコンサートに行ったけれど

 

毎回歌い方が違うので

感動しなかった

 

僕はそのころからボブの詩を研究し始めた

 

ボブは不愛想だ

 

なぜあんなに不機嫌に歌うのか

 

詩の中に答えがあるんじゃないかと

 

ビート詩人

 

グレゴリーコルソ

 

ギンズバーグ

 

意味を持たない言葉の意味

 

どうでもいいのかもしれない

 

世界と生活をあきらめた新しい解釈

 

ジョンがボブになれなくて

ボブがジョンになれないのは

 

 

悲しいことを知りすぎたのかも

 

 

ジョンもボブも僕のヒーローだ

 

ジョンが生きてたらノーベル平和賞を断っただろう

 

正直ボブには辞退してもらいたい

 

転がる石のように

 

栄誉なんて望まない方が光るボブでいてほしい

 

 

どんな気がする

 

帰り道がないのは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武道館に