2009-09-22 02:12:39

「人工宗教」でニセ(疑似)科学はなくせるか

テーマ:ニセ科学
ええと以前のエントリ「成果・効果・科学・思想(その1) 」「成果・効果・科学・思想(その2) 」の続き。主にコメント欄でのメカさんのコメントへの返事です。

 メカさんの主張をまとめると、

(1)カルトや疑似科学をなくすのは不可能だから、人工宗教を作り、強制的に信じさせることで、社会問題を引き起こすようなカルトから人々を引き離すことができる(「無害化されたカルト」への信仰の強制)

(2)ニセ科学において、科学的事実を偽っていることは本質ではなく、またそのことを指摘することは無意味

(3)宗教は民主主義に反するものである

となるでしょうか。膨大なコメントは、いずれも上の二点から演繹されるもののようですので、ここに絞って論じます。

 と言ってもまあ、私がモタモタしているうちに、zororiさんや黄金の口さんが論じてくださってしまったので、今更付け加えることもないのかもしれませんが、まあそれはそれとして。

 先に(2)の方から。
 「本質」の意味をどう捉えるかにもよるのですが、前半については同意するところ多、です。単に科学的に間違ったことを言うだけであればあれほど蔓延はしなかったでしょうし、また問題にもならなかったでしょう。一部の好事家のネタとなっていただけだと思います。
 問題は後者です。何度も言っているのですが、実際問題として、私の周囲では、そのことを指摘することは大いに意味があります。またコメントいただいた他の方々からも、そのような声をいただきました。もちろん定量的に検証したわけではありませんので、グゥの音も出ないほど完璧に示すことなどできないわけで、メカさんが「いやオレは信じない」と言うのであれば、それ以上何かを言うことはありません。ただ私としては実際に効果があることを見ているし、明らかに逆効果であったこともないので、これからもこの路線で行くでしょう。メカさんの主張になんらかの説得力があれば参考にすると思いますが、観念的に「間違っている」と言われても、ねえ。
 ですから、敢えてメカさんに好意的に言うなら、ここは理論が併存している状態であって、それぞれが検証する段階、ということになるでしょう。私のほうが間違っているかもしれません。もし間違っているとするなら、メカさんに徹底的に論破されるか、あるいは実践を積み重ねた結果、意味がないことを悟るかですが、現状では意味があるとしか思えませんので、メカさんがなにか私が忘れている重要なポイントを指摘するぐらいのことはしていただかないと、路線を変えることにはならないでしょう。


 次に(1)について。
 まあ色々言いたいことはあるのですが、そのあたりはきっとずっと昔から論考があるだろうし、コメント欄でも色々指摘していただいているし、詳細は私の能力を越えますので、簡単に少しだけ言うに留めます。

 まず第一。人工宗教が必要だと言うのであれば、「水伝」でいいじゃん、というのがメカさんのコメント読んで最初に思ったこと。水伝、理想的じゃないですか?それ自体は完全に無害ですよ。ホメオパシーは人を殺すが水伝は人を傷つけません。まあ「御飯に声かけ実験」でクラスメイトの名前を書いて、クラスメイトを傷つけるぐらいのことはあるかもしれませんが。しかも、既に蔓延しています。メカさんがやるべきことは、水伝を教育指導要領に記載させ、すべての教科で水伝に基づいた授業をヤレ、ということなんじゃないですかね?違います?

 第二。メカさんはこうコメントされています。
> その時に、無害な疑似カルトを用意しておいたからってそちらに行くとは限らないでしょう?

だから強制的に教育するのだ、といってるのだが。放っておくのが問題なんだよ。もちろん国家宗教の教育を受けた上で、それに上乗せする形でそれぞれの宗教に入信するのは認めざるを得ないけどね。
それぞれの宗教に入信するのを認めるのであれば、危険なカルトに行く可能性はいくらでもあるでしょう。現状に比べてそんなに変わるとは思えませんが(むしろ増えたっておかしくない)。江原啓之にしろ、たしか麻原彰晃もだったと思いますが、いろいろな宗教を渡り歩いた挙句、自分で宗教開いてカルト化するパターンって結構ありますよね(江原をカルトと呼ぶかどうかはともかく)。だから、認めるのであれば、有効性はないと言ってもいいでしょう。
 それから、当然、メカさんも私もその教育を受けることになるわけですよね。私は嫌です、そんな教育を受けるのは。メカさんはいいんですか?メカさんや、メカさんの子どもたちがそんな教育を受けることになって。

 第三。日本はほんの60数年前まで、国家宗教を国民に強制してましたよ。その結果はどうだったでしょう(国家神道は宗教ではなかった、とかいうのはナシですよ)。

 第四。水伝のようなニセ科学の問題は色々ありますが、他のニセ科学への耐性を低くしてしまうことも問題の一つとして挙げられるでしょう。水伝が入口になって、たとえばホメオパシーにはまったり。人工宗教だって、同じ機能を持つのではないかしらん。

 第五。第二の最後の文章と絡みますが、いつ誰がどの時点で誰を人工宗教の信者にすべきかを判断するのでしょうか。あるいは信者でなくてもよいと判断するのでしょうか。確認しておきますが、そんな社会になったら、メカさんも私も、間違いなく人工宗教を信じなければ危険人物扱いですよ。
 関連しますが、ある子どもが科学的思考に向かないかどうかは、いつ誰が判断するのでしょうか。おそらくは現場の教師がするしかないのだと思いますが。教育によって科学的思考ができるようになる子どもだって大勢いるでしょう。教育を放棄しておいて、向くだの向かないだの判断することが果たして人として正しいことなのでしょうか(価値観の問題です)。それに、そんな重大な判断ができるほど人を見る目のある教師が一体世の中どれだけいるというのでしょうか。

 (3)について。
 これはまあ蛇足です。蛇足ですが、メカさんの「議論」の姿勢が伺えるので、あえて独立した項目にしてみました。
 私は宗教一般が民主主義に反するだとか、国民を騙すものだなどと言ってはいません。むしろ、そうではない、ということは言ったつもりなんですが。ところが、たとえばメカさんはこうおっしゃいます:
> ロジックとしてはとても似てますよね。一般大衆など幸せに騙してやればいいのだ、ということですから。

宗教を「騙す」という概念でしか捉えられないところに、あなたの思考の限界というか偏りがあるように思うね。たとえば精神障害者に対して抗うつ剤など薬で解決するというのは、人によっては強引な手法と感じることもあるだろう。精神分析みたいな手法が正しいと信じられた時代もあったよね。心の問題なのだから心の中の悩みを時間をかけて解きほぐすのが正しいのだ、と。
メカさんの言う人工宗教が国民を騙すものだ、と言っているのであって、宗教一般について「騙す」ものだなどと勝手に広げないでくださいね。どうもメカさんには、私(FSM)という人間はこう考えているはずだ、というのが抜き難くあって、それに合う文言が表れると、一部を切り取ってそれが全体であるかのように言う癖があるようです。もちろん先入観なしに物事を見ることはできませんから、メカさんが、FSMというのはこういう人間だろう、と予想するのは別に問題ないのですが、せめて書かれたことぐらいは読み取って欲しいなあと思います。それともそんなに読み辛い文章ですかね?


というわけで、(2)の論点については、メカさんは頑なに御自分の意見を変える気はないようですし、こちらとしても客観的に示せるようなものがあるわけではありませんので、これ以上は議論しても仕方がないでしょう。希望を一つ挙げるならば、ぜひ、御自分で、色々な方と-特にニセ科学をなんとなく信じてしまっているような人々と-直接話をしていただきたいと思います。ネット上じゃなくて、ね。ネット上だと、また少し話が変わると思うので。書いたものが残っちゃいますから、意固地にもなるだろうし(このことはpoohさんのところでも書きました)。
 (1)の論点については、とりあえずざっと気付くだけでもこれぐらいの問題点があります。民主主義については、原理的に最善だと思っている人はあまりいないでしょうが、しかし知られているなかでは最善であろうというあたりが皆の合意するところではないでしょうか。そして、人工宗教がそれを解決するとは思えない、と。


あとは本当に蛇足ですが、返答が必要かなと思われるコメントについてだけ、レスしておきます。zororiさんや黄金の口さんのコメント内容とかぶる点が多々あると思いますが、ご容赦ください。
> 受容者は、自覚的にある思想を持って何かを信じているわけではないですよね。

その点が俺と決定的に考え方が違う。自覚はしていなくても、人間が疑似科学やカルトや宗教に求めているものには一つの普遍的な存在があると俺は考える。ただこれまでその存在が人間には断片的にしか見えていないので、様々な形(キリスト教だったり、水伝だったり、オウム真理教だったり)をとっているだけだ。
ですから、自覚はしていないけど、「求めている」ことの根底を分析すると、おそらく共通するものがある、ということですよね?それは私も同意しています。
人工宗教の構築という考えと疑似科学批判の接点として「疑似科学を信奉する人の心理」が見えるわけだ。俺はそういうとらえ方をしているので、そういう表現になる。だから疑似科学との接点だけに話を限定するならばあなたの定義でも問題ない。ただ、そこに限定する限り疑似科学の問題は解決できないというのが俺の考えなので、そういう話にはしたくない。

(中略)
> だから、直接的には受容者がどういう心理的メカニズムで信じるに至ったか/信じ続けるか、という問題の分析が必要だし、

そのアプローチを続けたのに成果が上がらないのだから、アプローチを変えるべきで、信じるメカニズムではなく、信じるモノ、本体に焦点を当て、本体の全貌を描き出すことが、俺のいう「思想に切り込む」ということ。
ええとよくわからない。「信じるモノ、本体」というのは、具体的には何をイメージしています?「水伝」だったら、江本の主張(あるいは思想)ということでしょうか?受容者側についてではなく。さっきまでは受容者側の話だと思っていたので、混乱しております。下を見ると、やっぱ受容者側のことを問題にしているようにも見えるけれど。
> 後者については思想と言ってもいいのだとは思いますが(そして私が「恐るべきイデオロギー」などと言っているのはこちらに当たります)。

そういう分け方だと俺がいう思想の本質は「後者」になるだろうね。
ということであるならば、「信じるモノ、本体」というのは、受容者側に蔓延するものの見方のようなものになると思いますが…。いや「信じるモノ、本体」という言葉がよくわからないのですが、受容者側において、受容者が受容するに至る過程の本質のようなものを指しているのでしょうか?江本のような発信元の主張でもなく、個別の受容プロセスのことでもなく。
何が「ちゃんとした世界観」なのかって話だよねぇ。あなたにはあなたなりの「ちゃんとした世界観」があるのだろうけど、それがどうしてそんな自信満々に唯一のものだと信じられるのか。
なにをもって「ちゃんとした」かは深い問題だと思いますよ。ただ、自分で考え判断する力であるとか、そのためには世界をどう見るべきか、とかは自と定まってくるのではないでしょうか(漠然としてではあれ)。少なくとも、嘘であることがわかっているものを押しつけるのがいいことであるとは思えません。
宗教が民主主義に反するというのはおそらく、教義や教祖に盲従し個人の意見を持たない人間が増える事を危惧しているのだと思う。しかし現実的には大部分の人間は自分の意見を積極的には持っていない。他人や世論やメディアに盲従しているだけだ。だから大部分の人間が盲従することそれ自体は民主主義に致命的だとは俺は思わない。

問題があるとすれば宗教やカルトは自己変革の要素を持たないか非常に乏しいことだ。その点自然科学は極めて優れているよね。だからあなたは民主主義と自然科学が好きなのだろう。俺も好きだ(笑)。しかしキリスト教だって長い年月がかかったがある程度自己変革を行ってきていると思う。自己変革の要素を持たないことが宗教の本質ではないと俺は考える。
これも同意です。というか、そういう話をしていたつもりだったのだけど。
宗教がカバーする範囲を法律できっちり制限し、その外側にはみ出さないようにすれば、危険性はかなり減るはず。
ここが問題。既に法律的には宗教団体の定義はあるわけですが(税制上の問題として)、そういう話をしたいわけではないのですよね、きっと。とすると、個々人の思想に法律の網をかけようというわけで、それがメカさんの言う人工宗教のことなのかもしれませんが、そんな世の中私ゃゴメンですよ。
繰り返しになるけれど大部分の人間は論理的思考も科学的思考も客観的思考も出来ないし、望みもしない。そしてそういう状態で人類はここまで来たのだから、それでいいと思うよ、俺は。出来ないものを無理に「すべきだ」とやらせたところで、出来ないことには変わりないし、苦痛が残るだけだ。出来る人間だけがやればいいし、今までもそうだった。
だから、出来る人が少しづつでも増えればいいのでは?それに、誰が出来る出来ないを判別するのですか?大体、そんな世の中になったら、メカさんが「できる」側にまわらせてもらえるとはとても思えないですよ(私も含めて、ね)。
フランス革命が起きたとき、それまで政治を引き受けてきた王様も、民衆に政治なんて出来るわけがない、危険すぎると思ったんじゃない?(笑)
麻生太郎だってそう思ってたんじゃないかな。いや、いっそう強く思っているかも。
まあ実際に強制するとかしないとかの話の前段階として、そういうもの(人工的な宗教)がどういうものになるかどうか、それが本当に人の心の一定部分をカバーできるか、などを研究する価値はあると思うけどね。それとも遺伝子組み換えみたいに、研究すること自体が危険であり許し難い神への冒涜という考え?
いや、研究すればいいのではないでしょうか。というか、ありそうな気がするけど。そういう発想に私は賛成はしかねますが、研究したい人は研究すれば?というだけです。
> 表れ方は多様ですから、メカさんの問題意識にある受容者の下半分の人々もいれば、なんとなく信じる人もいるし、普通の科学の結果と同列のものとして捉える人もいる。

カルトや疑似科学は人間の心を研究する良い材料だと思うよ。精神障害者を研究することで健常者の脳の働きも解明されてきた。極端なものの方が研究しやすいはず。人工宗教を作ってそれを国教とするにしても、長い時間がかかる。50年とか100年とかかかるんじゃなかろうか。とりあえずそのための研究は始めるべきだと思う。始めないことには永久に始まらない。その過程でやっぱダメだという結論になったなら、それはそれでいいわけだよ。
人工宗教がworkするとはとても思えませんが、まあその通りだと思いますよ。
> > 疑似科学を信じる理由や状況は様々であり一筋縄で分析することは難しい
> ということと矛盾するとは思いません。たぶん、メカさんと私は、似たようなことを考えているのだと思います。

難しいからそこには触れないで差し迫ったことにだけ注力しようと考えるか、難しくてもいつか始めなければ始まらないと考えるかの違いかな。
「だけ」に注力しているつもりはなくて、問題意識としては持っているのだけれども、難しいからとりあえず放置、ときどき思い出したように論ずる、という感じかな。ある程度まとまった論考であれば、触れられているとは思いますけどね。それに、ニセ科学の文脈とは別に、そういう論考をされている方もいるようですし。やるべきだ、と思った方がやっていただくのが一番なんですよ。私も、私がやるべきだと思ったことをやっているわけで。
> かなり誤解されていると思いますが、ニセ科学においては、カルト的主張は誤った科学的「事実」によって根拠づけられています。ですから、「こじつけ」ではなく、彼らの主張の重要な部分になっているのです。

耳にたこができるほど聞いてるんだけど、なぜ疑似科学側がいう「科学的事実」が、自然科学でいう「科学的事実」と同じであり、自然科学の尺度で測れるものであると思うのだろう。

そういうと「彼ら(疑似科学支持者)自身が、科学だといってるじゃないか」という答えが返ってくると思うのだけど、なぜ彼らが考える「科学」と疑似科学批判者が考える「科学」が同じものでなければならないのか。

もちろん混同すると社会に多大な混乱を巻き起こす事柄はある。医師とか医薬品とかは重大な問題を引き起こすから、自称してはならないと法律で規制されているわけだ。しかし「科学」という言葉を自由な定義で使うことは、現在の法律では規制されていない。つまり社会にとってそこまで重大な事だとは考えられていないわけだ。むしろ規制してしまうことの問題の方が大きいと考えられているのだろう。

そういう現実を無視して、「科学」という言葉を自分たちの考える以外の意味で使うのはまかり成らんという主張は、神という言葉を自分たちがあがめ奉る神以外に使うのはけしからんと主張するのと同じだと思うよ。
いやいやいや、彼らは同じ意味で使おうとしているのですよ。たとえば(「水伝」ばかりで申し訳ないけど)江本の本を読めば、波動の説明は音叉の共鳴から入るし、現代量子力学で説明可能だとか言っているし。もちろん彼らの科学の理解は決定的に間違っているので(書かれたものを読む限りは)、それをもって彼らが考えている「科学」が我々のものと違うと主張することはできる。でも、それに一体何の意味があるでしょう?
 なんというかな、児童虐待の言い訳に「これはしつけだ」というのがよくあるわけですが、それに対して「それはしつけではない」と批判するのが意味がない、と言うのと同じに聞こえますね。
> そして、こうやって水伝を批判することが、
> > それを争点にして世間にその是非を問い、審判を仰がなければならない
> のプロセスの一つであるわけです。

批判の仕方が正しくないといってるのだが。水伝の思想(水の結晶に善悪の判断を委ねること)が不健全と思うなら、その点を批判すべきで、科学という言葉を自分たちの専売特許というか既得権のごとく捉えて、水伝にその使用を禁じるのは、正攻法な批判ではない。宗教が同じような主張をやったらあなたはどうするのか。人類の誕生については我々の宗教しか語ってはならない、とか。
どうしてそう捉えられるのか不思議で仕方ありません。
あなたは、
水伝が社会的に有害であると主張するなら、それを争点にして世間にその是非を問い、審判を仰がなければならない。自分が「水伝は有害だ」と考えるからと言って、何とかダメージを負わせる手段はないものかと本質的な問題点でない部分でスキャンダルを探して社会的に抹殺を画策するというのは、正当な手段ではない。自分の判断が間違っていたらとんだ独善ではないか。
と言ったのであって、それに対して、(1)科学的に間違っているということは本質に含まれる、(2)科学的に間違っていることを流布させようとすること自体問題を孕んでいる(社会の周辺であれば問題視されなかったであろうが、教育現場などでの蔓延を放置するわけにはいかない)、(3)科学の部分だけではなく、道徳(水伝の場合であれば)その他においても問題が多い、ということを言ったつもりです。ですから、これがまさに「争点にして世間にその是非を問い、審判を仰」ごうという過程の一つなわけです。過程の一つですから、我々が間違っている可能性は当然折り込み済みです。あなたの視点からは我々の批判が間違っているということになるのでしょうが、それはあくまでもあなたの視点です。あなたの判断と違うことをもって独善のように言うのはおかしくありませんか。
> 水伝の主張自体が、既存の科学にダメージを与えるものです。

そんなこと言い出したら、科学が宗教にダメージを与えることも配慮しなければならなくなる。つくづく思うんだよね。疑似科学批判者というのは逆の立場に立たされて、自分たちが今使っている同じ武器で自分が立ちが攻撃されたらどうするかを考えていない。
科学が宗教にダメージを与える可能性はあります。宗教に限らず、いろいろなものにダメージを与え得ます。善意にだってダメージを与えます。だからこそ、客観的に検証されるというプロセスが必要なわけで、そこが科学とそれ以外を分ける分岐点でしょう。この社会において科学を進歩させることに合意するということは、人類の思惑とは異なる結果になることをも(検証されれば)受け入れざるを得ないということを含意しているのです。それにですね、科学は常に攻撃にさらされてきたのですよ。ガリレオを例に出すまでもなく。それを、客観的な検証という強力な武器をもってはね返してきたわけです。
疑似科学番組を減らすようにメディアに圧力をかける話についても、どこかの宗教が数にものをいわせてテレビ局に逆のことをやった場合、あなたはそれを国民の意見の反映だと肯定するのだろうか。
誰にだって抗議する権利はあります。だから、有限の資源である電波については法律で規制がかかるわけだし、なるべく公権力の介入を招かないようBPOのような自主的な団体によって自制させることも重要なわけです。科学に反することを実行する権利は誰にだってあるのですよ。そういう人が多数になれば、国家としてそうすることだって実際問題できるわけですよ。肯定するとかしないとかじゃなくて、それが現実でしょう?
> 繰り返しますが、科学的に誤っている部分も、彼らの主張の重要な一部です(図の右側)。そこを指摘することは、奇手で妙手でもないし、邪道でもありません。

どうしてそう考えるのか俺には理解できない。少なくともあんたの一連の文章には説得力を感じない。強弁しているだけに見える。あなた自身、自分の説明に説得力を感じているの?
ええ、江本の本をいくらかでも読めば、科学的な説明は彼らの根本を成していることはすぐわかりますし、またいままで話しをしてきた人々の反応からも、ゆるく受容している(そして多くはこういう層)人々は、科学的に根拠があるから受容してきたということが実感としてあります。
 あなたが疑うのは自由ですよ。私が実感していることをメカさんに伝えられないのは残念ですが、しかし逆にメカさんの言葉に私は説得力を全く感じないので。
> その疑問はもっともで、その影響についても論文中では指摘されています。実際にどれくらい影響があるかの分析は、残念ながら書かれていませんけれども。

ん?あなたが統計をとったんじゃないの?まあ、どうでもいいけど、そういう自分にとって不都合な面を(俺から突っ込まれるまで)言わないという姿勢はあまり感心できないな。疑似科学支持者が不都合な実験データを隠して、都合の良いデータだけを並べるのと変わらない。
私じゃないですよ(と言ったはずだけどなあ)。心理学者の論文です。それに、そこは論文の趣旨の本質じゃないし、詳しい紹介はいずれしたいとも述べたはずです。

***

なんというのかな、そこまで我々が物を考えていない人間と思われているのかと思うと、悲しくなりますね。
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22 ■無題

オウム真理教には「霊性進化」説と「誤った優生劣生思想」もある。「優魂」思想も。
「欲望で精神と霊性が動物へ退化し病んだ劣者」を人工淘汰し、「精神と霊性が進化した健全な選民」による安心して暮らせる「透明な理想社会」を建設するという、過激な統一思想。

「霊魂を否定しないダーウィン教」の致命的欠点「中立」は、オカルト側もダーウィン教側も財政上双方の利益となる統一思想を隠す。
本物の科学に「中立」は無いということです。

日本の政治屋議員や都知事が震災被害者に対してカルト教祖と大差がない「官尊民卑のオカルト発言」をしているのに、もう慣れてしまっている。
医療事業に「霊的支援」などと称してオカルト宗教者が参加しても、もう習慣化している。
「いや安心してください。これはオカルトではありません。誌的なレトリックだから」と騙すことも可能ですよ。
表向き疑似科学やカルト批判をしている側の正体が、実際はそれであるケースですね。

オカルトは「ビジネスパートナーと顧客側の理性を弱め眠らせて置ける」。
負のニーズによる、負のオペラント。
オウム真理教の「教育洗脳」も、マーケティング戦略の一部でした。信者から財産を搾取。
関係者と資金に対する警察の全貌解明を、阻止したのです。
社会資源を便利に使い、財政上の効率化を生んでいる。
「貴方のためだから霊的ケアも」
粘着質な囲い込みと売り込み。財政利権です。

21 ■無題

疑似科学カルト指定は、実害組織を適切に分けている箇所もあるけど、その一方で実害とは無関係な組織に対する「冤罪の正当化」も含まれており、人道上極めて蒙昧で危険な性質がある。
不寛容な攻撃性と憎悪や悪意による冤罪は、イスラム戒律社会や共産主義体制でも同じ。
中世の宗教裁判だけではない。
多くの人々にとっては、自分も他人も「倫理的に普通に平等」でなければ、不安に感じるものです。「共通善に対する思い込み」があるのですから。
全体主義の共依存病は資本主義社会も同じです。
「人間に個性は無い」「社会や国家(あるいは企業)が求める通りに個人と集団を加工し、修整を続けなればならない」
精神科の自称医師たちの狂信的全体主義。

20 ■無題

正統の伝統宗教だろうが新興宗教だろうが、財政詐欺や性犯罪、殺人などの「実害」が無い限りは放置しても良いものです。
「その昔、天から降りた神様たちが地球上の全ての生命を創造された」と誰かが信じていたとしても、その異質な思想を持つ他人を「危険な創造論者」と見なして精神科病院に監禁すべきではありません。

実害ではない個性の多様性は、「不透明な社会」です。

19 ■無題

そもそも、どの宗教も「人間が作った」のだから「人工宗教」です。
農耕や畜産業も「全く自然のまま」ではない。

18 ■Re:方向としては噛み合っていたのだと思うのですが

>poohさん

> こっちの想定している議論の水準をおもんぱかってくれないかな

それは痛いほど伝わってきました。(^^;;
スキルの問題ではなく、議論に何を求めるか、というあたりなのかな、という気がしています(それがまさに水準、ということなのでしょうけれども)。

17 ■方向としては噛み合っていたのだと思うのですが

議論の水準を設定できませんでした。
こちらとしては「こっちの想定している議論の水準をおもんぱかってくれないかな。そのへんの材料になることはたくさん書いてるよ」と云いたかったりはしたのですけど、そう云う方向に議論を向けることができなかったのはぼくの対話スキルのつたなさが原因ではあります。

16 ■> 黄金の口さん

ええとここまで深い話になると、私の手に余る(ボロが出そうになるとも言う^^;;)のでなかなか迂闊なことは言えないのですが、おっしゃることは納得できます(2の方は、現代では自然淘汰論というよりは、より広く進化論とするべきかもしれませんが)。どちらも大変重要な問題だと思っています。

特に(1)については、まわりまわって pooh さんの問題意識とも密接に関わることだと思うのですが、実はメカさんの問題意識にストレートに噛み合っていたのは pooh さんなんですよね。

15 ■偽科学批判批判・批判

それ故、偽科学信奉者が自分の心情を偽って科学を装うとしている限り、批判されるのは当然であって、
それを、偽科学信奉者の本質はこうなのだから表面上科学を装っていることを批判するのは的外れだとする偽科学批判・批判者の要求は、偽科学批判者に過分の負担を要求していることになります。
実際にネット上などで偽科学信奉者がかなり挑発的な方法で自分の主張を繰り広げるなら、単純に偽科学を科学と誤解している人もいるわけですから、偽科学信奉者の主張に反論を加えないわけには以下のいのです。
もし偽科学批判・批判者が、偽科学信奉者と偽科学批判者の対立の本質を俯瞰できていると主張するならば、
偽科学信奉者が科学を装っていることにこそ注意を促すべきでしょう。
その意味で偽科学批判・批判者の批判の方法は的外れなのです。

14 ■「本質」の問題(続き)

続きです。
(2) 人生の目的
こちらのほうがよりシリアスですが、進化論との関係でみていきましょう。
ダーウィンの自然淘汰説の最大の特徴は、目的とか意志という概念を用いることなく生物進化のメカニズムを説明できることでしょう。これはしかしそこに人間存在の意味を見出していた人々にとって大きな打撃だったことは想像に難くないでしょう。けだし人間は大いなる目的のために創造されたのではなく、偶然の産物に格下げされてしまったからです。
自然淘汰理論のそのあらゆる科学的成功にもかかわらず、ID理論その他自然淘汰理論に反する(科学的と称する)理論が後を絶たないのは、このためでしょう。
ID理論等にとっては、科学的に正しいことが本質的なのではなく、人生の意義のよりどころを与えることが本質的に重要なのです。だから科学的欠点を突かれてもアメーバのように姿を変えながら立ち現われるわけです。
とはいえ、現代で最も成功した学問体系である自然科学の支持が欲しいのもまた事実で、それゆえ科学の装いをまとって現れるわけです。

13 ■本質的の問題とは何か

FSMさん、やはり本質とは何かを考えてみないといけない段階になったようですね。
とはいえ、メカAGさんは、あるところでは思想と言ってみたり、別のところでは精神的負担の軽減とか思考停止とかいっているので、よくわかりません。
ですので、自分なりに本質と思っているものを挙げます(といってもジャック・モノーの「偶然と必然」の受け売りですが)

(1) アニミズム
科学が発達する前は、人々は天上だけでなく海には海の神がおり、山には山の神がいた。草木や石にいたるまで精霊が宿っており、神や精霊は人間と同じように喜んだり怒ったりするものだった。
このような世界観は科学の発達とともに修正を迫られてきたわけですが、わかりやすい話をするために擬人的な表現を好んで用いる傾向があることからもわかるように、アニミズム的な考え方となかなか手を切れないでいることもまた事実です。また、マルクス主義やテイヤール・ド・シャルダンの哲学のような「偶然と必然」の発刊当時支配的であった思想の中に見出されることをモノーは同書の中で告発しています。
アニミズム的指向の強い人々は、無生物の振る舞いが自然法則という形で解明されつつあったにせよ、自分とは異質な環境の間で暮らしているという不気味さを拭い去ることはできなかったです。
「水伝」が偽科学とすら呼べないほどの粗雑な代物であったにもかかわらず、ある種の人々に簡単に信じられてしまったのは、それがアニミズム回帰願望を満たすものであったからでしょう。

12 ■Re:無題

>タカキさん

> FSMさんが云う「本質」が蔓延する原因を指すならば、その原因を分析しそこを叩く方がより効果的ではないですか?

もちろん、その「本質」の問題点を指摘して、それがストンと胸に落ちてくれればいいのですが、その方法がよくわからないのですよね。

> FSMさんが仰ている効果ですがそれは「ニセ科学」という括りで効果があったのですか?
> あるニセ科学に対して効果があったというものではないですか?

はい、もちろんそうです。個別のものについて、たとえば「水伝」について、「なんとなく」信じていた人が信じなくなった、そういう意味での効果です。「本質」の部分については、その効果を測ることはもとより、効果があったと実感することも難しいと思います。だから、よくわからない。

ただ、信じていたことから脱却した、という経験の積み重ねが、ニセ科学やオカルトへの耐性につながる(つまり、「本質」の部分に影響していく)のではないか、という「期待」がある、と、まあそういうお話です。「期待」でしかないので、本当のところどうなのかはわかりません。

そこの部分についてさらに言えば、個人レベルで「本質」にどう到達するか、ということと、社会的にビリーバーを増やさないように「本質」の部分をケアするのは分けて考える必要もあるだろうと思っています。

> そうと分かりながら科学的間違いを批判する理由が分かりません。

上で述べたような「目的」に加え、もっと単純に、どうせなら正しいことを知ってほしいという気持ちもありますね。一つはお節介として、一つは国民の科学リテラシー(この言葉も曖昧ですが)の向上として。

タカキさんの疑問はもっともだと思います。
「目的」は一つではない、というところを納得していただけると、多少はわかっていただけるのでは、とも思います。

11 ■Re:ワシが神様じゃ

>トンデモブラウさん

まあ、とりあえず思想の大枠を思いつきで言ってみた、ということのようですから、これから深化されることを期待、ってことで。

関係ないですが、人工宗教的なネタって、70~80年代あたりのSFマンガにありそうな気もするんですが、どうでしょう。萩尾望都とかいかにも描いてそうだけど。宗教というより、マザーコンピュータに支配される社会、かな。

10 ■Re:これはにゃーにゃー言ってません(笑)

>うさぎ林檎さん

あー確かに根底に流れる思想は共通するものがありそうな。違うのは、メカさんは人々を二種類に分けているところでしょうか。人工宗教を信じさせる必要のある人々と、そうでない人と(そして、メカさんは御自身は「そうでない」人と分類されているのだろうと思いますが)。違ってたらすみません>メカさん。
人工宗教が「同志スターリン」に対応するのでしょうが、その存在を認めてしまえば、それは全国民にとっての「同志スターリン」にならざるを得ないと思うのですがねえ。

能力はともかく、社会における存在としては「同志スターリン」がいない以上は対等平等の扱いを受けないといけないのでは、というあたりで人工宗教とは矛盾しそうです。

9 ■無題

最後の一文の「私には」は余分でした。
もっと推敲しなければと反省するばかりです。

8 ■無題

> FSMさん

私にはFSMさんがニセ科学に対して何をしたいのか分からなくなってきました。

科学的事実を偽っていることは本質では無いと認めながら、本質で無い部分を批判する。
ニセ科学そのモノに対して何かしたい訳ではないのかと思いきや、ニセ科学に対して効果がないと言われれば足を引っ張られると感じるという。

仮にニセ科学がFSMさんの批判を受け批判部分を修正しても本質の部分を残したままニセ科学として存在することは可能です。
その意味でFSMさんの批判は意味がないですよね。
FSMさんが云う「本質」が蔓延する原因を指すならば、その原因を分析しそこを叩く方がより効果的ではないですか?
一部の好事家のネタレベルに留まるんでしょ。

そうと分かりながら科学的間違いを批判する理由が分かりません。
何が目的なのでしょうか?

FSMさんが仰ている効果ですがそれは「ニセ科学」という括りで効果があったのですか?
私にはあるニセ科学に対して効果があったというものではないですか?

7 ■ワシが神様じゃ

人工宗教(←コレは自然信仰に喧嘩売ってるネタなのかと思ったよ。)の創造って、人間の想像力をなめてるよね。
空想だけでUFOにも乗れるし、歴史上の人物の生まれ変わりにもなれるのに。

ということで、真正ビリーバーを改心させるのも、真正ビリーバーを産まない土壌を作るのも、無理でしょう。
想像は元手なしの上無限ですからね。

それでもメカさんはロボトミー手術したいっていうなら止めはしませんけど。
無駄じゃない?

6 ■これはにゃーにゃー言ってません(笑)

こんにちは。

全体を斜め読みで申し訳ないんですが、一連の流れで地下猫氏の「スターリニズムの反転」あたりを思い出しました。

http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/searchdiary?of=0&word=%a5%b9%a5%bf%a1%bc%a5%ea%a5%f3

こっちも(私には)十分ムツカチくて理解が半端なので、今の話とはハズしてるかもしれません(完全にかぶっているわけでもないし)。でもなんとなく「何でも知っている同志スターリンはいにゃー」だろうと思っているので、メカさんの「人工宗教」は馴染めない感じです。

5 ■Re:無題

>黄金の口さん

(1)についてのコメント、同意します。上部構造から土台へのフィードバックは必ずあるわけですが、しかし土台は土台で独自に進み得るわけですから、そこを無視して無理矢理人工的ななにかを作っても、いずれ破綻するのではないか、と思います。

(2)のほうですが、まあ腹が立つわけではないのですが、足を引っ張られている感じで「困ったなあ」というところでしょうか。感情で言うと。

で、ビリーバー対策なんですが、おっしゃるように、放置していいとは思わないんですよね。ただしかし、どうやったらいいのか、というところで、悩んでしまうわけです。すでになってしまった人については、もう統一協会やオウムから脱会させるような脱洗脳が必要で、それはもはや言論の問題ではなくなってしまいます。
 で、予備軍の阻止、ということになるわけですが、どうしたらいいのでしょうかね。ニセ科学やオカルトの蔓延がビリーバー予備軍の増大につながっているのではないか、という予想から、ニセ科学の蔓延を阻止することがまず第一歩かな、とは思うのです。が、どのようにして予備軍から正規軍へと移行するのか、あるいは予備軍の意識というのはどういうものなのかをもっと分析する必要があるのだと思います。

私自身の手には余ってしまう課題なのですが、おっしゃるように考える必要のある問題だと思います。

4 ■Re:提案は大変なこと

>zororiさん

> メカさんが「人工宗教」という提案を提出されたのは、ものすごい進展で有意義なことであったと思います。

そうですね。それだけでも議論が深まったと思います。

3 ■無題

次に(2))ニセ科学において、科学的事実を偽っていることは本質ではなく、またそのことを指摘することは無意味
そうですよね。FSMさんのように実際に偽科学批判をしている人にすれば、無意味といわれれば腹が立ちますよね。
実際に、単純に偽科学を科学と誤解している人もいるのだし、そういう人にとっては偽科学批判という啓蒙活動は意味がある。また、偽科学批判が疑似科学信奉者の予備軍をそうならないように防いでいるということもあるでしょう。
ただ、真正ビリーバをこれはもう手がつけられないとして放っておいてよいものかという疑問があります。
「水伝」のようなチャッチイものを相手にしていると見えてこないかもしれませんが、たとえばオウム真理教の場合、幹部には高学歴の人間(お医者さんとか弁護士)がいて、しかも大学では理系の学科を専攻していたという事実があります。オウムも偽科学まがいの言説をたくさん振りまいていたわけですが、こうなると科学的リテラシーが無いことが原因ではないことは明らかです。
なぜ、知識も思考力もある若者がオウムのような宗教(まがい)に簡単にはまってしまうのか、そこのところを解明しないとサリン事件のようなものが再発することは避けられないというのが、当時の識者の認識だったように記憶しています。
ただ、この解明というのもうやむやになったまま今日まで来ているのが恐ろしいところです。
ニセ科学の真正ビリーバもそれと相似しているわけで、やはり放置しておくのは不味いと思います。
困難なことだとは思いますが、当人に直接アプローチすることが唯一の方法だと思えませんし、そういう人間を生み出す社会のメカニズムを解明するというのも一つの方法かもしれません。
それでもすでに真正ビリーバになってしまった人を戻す方法はないかもしれません。しかしせめて真正ビリーバの予備軍を阻止することぐらいは考えるべきだと思います。
ただそれが人工宗教だとは思いたくありません。
それは、理解するというより力ずくで抑え込んでしまうというニュアンスをそこはかとなく感じますので。

2 ■無題

FSMさん、新エントリにもすごく大量に書かれていますね。
私はそんな大分な文章は書けませんので、手短にコメントします。

まず、タイトルの人工宗教で(疑似)科学は無くせるかですが、
それ以前に人工宗教というのものが存在しうるのかということに疑念を呈しました。
それを、別の角度から検討しましょう。
マルクス主義の考え方ですが、宗教のような上部構造は下部構造に規定されるというものがあります。
宗教も社会現象の一つであって、歴史的存在だということです。
だから、人間心理の研究とか、そういう普遍的なものの研究から直接宗教を人工的に作り出すのには本質的な困難がつきまといます。
ただ、メカさんの
>では宗教の本質とは何か?
>「考えたくない人は考えなくていい」「考えたくないときは考えなくていい」という部分だと思う。
という理解の仕方はそれほど一般的ではないので、そもそもメカさんの「宗教」が普通の人がイメージしている宗教と同様なものか自体に疑念があるのですが。

1 ■提案は大変なこと

メカさんが「人工宗教」という提案を提出されたのは、ものすごい進展で有意義なことであったと思います。

この先、進展しないかもしれませんし、進展しても決着が付くとは思いませんが、聴衆が判断できるだけの材料は既に提出されたと思います。結構なことです。

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