昨年2010年12月1日時点の大学生の就職内定率が

68.8%と前年同期を4.3%下回り、悲観報道が過熱しています。

男子70.1%(2.9%減)、女子67.4%(67.4%減)

理系71.3%(7.3%減)、文系68.3%(3.7%減)

 国公立76.7%(4%減)、私立66.3%(4.2%減)


「1996年の調査開始以来初めて7割を割り込む就職超氷河期です」

という後ろ向きな報道ではななく、

「この厳しい労働市場においても、すでに7割近い学生が就職先を決めています」

という前向きな報道が増えれば、勇気を得る若者も増えると思うのですが。。



また、メディアは、

既成概念にのっとって企業採用側と学生側だけの取材ではなく、

国の無駄遣いなキャリア支援予算の実態や、

変わろうとし、変わるべきである大学側の実態も取材し、

もっともっと開示されるべきだとも思います。


あまりにも、取材するメディア側の

視野の狭さと、企画やメッセージの決めつけ感が気になって仕方ありません。



企業が正社員は厳選採用を押し進め、

企業内で職業訓練を受けられる若者が減っていくなか

あらためて学校教育のあり方が大切になってきています。


しかし。

国がなけなしの予算の中から大盤振る舞いする大学等のキャリア教育は

近視眼的な就活支援に留まらざるをえないのが現実。


こんな問題意識をベースに

教育の職業的意義―若者、学校、社会をつなぐ (ちくま新書)/本田 由紀

を読みました。




**************************************************

・教育固有の理念を掲げる側と、人を雇って働かせる側とでは、

 それぞれまったく別の論理に基づきながらも、

 教育と仕事を切り離して考え、切り離すことを望ましいとする点で、

 奇妙にも一致している




・教育は莫大な社会的費用をかけて

 日々運営されている制度である (約17兆円)





<抵抗>してばかりでも、一方的に<適応>に努めるだけでも、

 働く者は苦しい状況に陥る





教育の職業的意義とは、

 あくまで仕事の世界に対する

 基礎的で初歩的な準備を与えること


 実際に、仕事に就いてからさらに知識やスキルを伸ばしたり、 

 更新したり、転換したりすることは、むしろ望ましいこと





・職業的意義を持つ教育とは、

 個人が仕事の世界に参入する際の最初のとっかかりを与えること





教育の職業的意義は、のちのちの知識やスキルの

 伸長・更新・転換を見込んで構想・設計される必要がある





・特定の個別の職種にしか適用できないような、

 がちがちに凝り固まった教育ではなく、

 ある専門分野における根本的・原理的な考え方や専門倫理、

 あるいはその分野のこれまでの歴史や現在の問題点、

 将来の課題なども俯瞰的に相対化して把握することができるような教育


 一定の専門的輪郭を備えていると同時に

 柔軟な発展可能性や適用可能性に開かれているような教育


 「柔軟な専門性」





・自動車のクラッチやハンドルと同様の「遊び」を

 進路やキャリアに関わる各部の接合点において用意した上で、

 職業分野に関する「選択の練習」をしてもらい、

 職業的意義のある教育を受ける中で、

 その専門分野と自分自身との適合性を摺り合わせ、確認し、

 必要な場合には選択をし直してもらうほうが、

 若者自身が将来を築いていく上でずっと望ましいことなのだ





・現代日本では、

 教育と労働と福祉が、それぞれ大きな問題を含んだまま、

 互いにねじれて絡み合う形で固まってしまっている





・高度成長期から1990年代にかけて、

 「日本的雇用慣行」の確立と高校・大学進学率の上昇が急速に同時に進んだ





・新規労働力の給源とされた若年者の間の

 学歴構成の急変による教育歴と職務との対応の崩壊




 企業内部における一般的職務遂行能力を基準として処遇を決定する

 「職能資格制度」の定着普及


 


 これらの結果、日本における教育歴は多くの場合、

 抽象的な訓練可能性の代理指標としてみなされることになり、

 教育内容と仕事内容の実質的な関連性・対応性としての

 「教育の職業的意義」への社会的関心は著しく後退するにいたった





・90年代後半から「教育の職業的意義」と似て非なるものとして、

 日本の教育現場に強い支配力を及ぼし始めている「キャリア教育」




「キャリア教育」は方法論としては曖昧で拡散しており、

 若者に対して自己決定を求める

 規範や圧力としてのみ実体化している





・一度そこに入ってしまうとなかなか抜け出せないルート、

 それが日本の非正社員の世界






・日本の正社員は担当する職務=ジョブの範囲や量が明確でなく、

 企業という組織に所属する=メンバーであるということのみについて

 雇用主と雇用契約を結んでいる場合が大半である。

 言い換えるなら、「ジョブなきメンバーシップ」




・日本の正社員は強固なメンバーシップとしての

 雇用保障が与えられていることと引き換えに

 雇う側は「包括的人事権」を手にしており、

 従業員の配属部署や勤務地を柔軟かつ自由に決定することができる





・日本の非正社員は、担当する詐欺用としてのジョブはかなり明確である代わりに、

 企業という組織へのメンバーシップはきわめて希薄である





日本では正社員の将来にわたる責任や異動の範囲があまりにも

 無限定であるがゆえに、それと「同一労働」であるとみなせる

 非正社員はきわめて少ない





「ジョブなきメンバーシップ」を原理とするい社員と、

 「メンバーシップなきジョブ」を原理とする非正社員という、

 二つの両極端な世界が併存している





・守島基博氏

 「 「職務給」の要素を、

 もっと正社員の賃金に取り入れる必要がある。

  同時に非正規を精機にきちんと東洋する道をつくり、

  移動の壁を低くする。そりにより、もともと職務給の非正規と正規が

  歩み寄る形で、適正な賃金に平準化されていくのではないか」





・アメリカの社会学者 メアリー・C・ブリントン

 「1960~80年代の日本の若者が経験していた

  教育と仕事の関係性-学校という「場」に

  しっかり帰属している状態から

  職場という新しい「場」にしっかり帰属した状態への

  移行の道筋がはっきり標準化されていたこと-

  のほうがむしろ特異なものであった





・明治維新以降の近代日本社会

 西洋文化を日本に導入する役割を担うエリートを養成するための高等教育と

 国民として不可欠な基礎的知識や規範を教えるための初頭教育の制度化

 その後に両者をつなぐものとしての中等教育が拡充





・1948年から9149年にかけて高校統廃合を通じた統合制化により、

 単独学科の高校は大きく減少し、総合制高校が倍増して一時は最多に





日本の学校や大学は、仕事の世界に向けて

 若者を準備させるという重要な機能が、

 他国と比べて明らかに弱体





・経済的発展段階が高い国ほど

 後期中等教育における普通教育コース在学者比率が低い傾向





・高校生の大半を擁している普通科は、

 若者を仕事の世界に向けて備えさせる機能を

 まったくと言っていいほど欠いている。


 普通科を卒業後に上位の教育段階に進学しない者は、

 毎年12万人以上に及ぶ





教育内容の実質的な「意義」ではなく、

 学業成績が進学のために先発基準とされているということのみが

 学習の動機づけになっているような日本の教育、 

 とくに高校教育の問題は、過去から繰り返し指摘されてきた





・職種別採用を行っている企業ほど、

 入社三年後までの離職率が低い





・キャリア教育

 2000年代において、

 若者は一方では「やりたいことがわからない」 

 という不安を募らせ、

 他方でやりたいことが見つかった者の場合は、

 「それが実現できるかどうかわからない」

 という不安を募らせてきた




・川喜多喬氏

 「まっとうな雇用・就業機会を用意できない社会、

 まっとうなキャリアを市民の権利として考えず

 「市場の原理」に任せようとするような社会に対する、

 ごく自然の抗議が、キャリア選択の前でだじろぐ学生の姿」





・筒井美紀氏

 「労働の実態・制度・構造に関する知識の摂取が不足しているほど、

 成果主義を信奉するほど、労働行政の役割を等閑視するほど、

 将来の就労に自信があるほど、自己責任論に賛成である」





・「教育の職業的意義」を考えようとするとき、

 陥りやすいのは、いかなる変化や領域にも対応可能な

 汎用的・一般的スキルをつけておけばいい、という発想





・柔軟で汎用性の高い能力が過剰に称揚されることに対しては、

 あくまで警戒が必要だ


 そうした力を兼ね備えた人間像を望ましいものとして

 どれほど高く掲げようとも、どうすればそのような人間像が育成されうるのか、

 とくに教育という制度の枠内で具体的にいかなる方法が可能なのかについて、

 現段階ではほとんど何も明らかになっていない






特定の専門分野の学習を端緒・入口・足場として、

 隣接する分野、より広い分野に応用・発展・展開してゆく

 可能性を組み込んだ教育課程のデザインが必要


 「柔軟な専門性(flexpeciality)」





・専門高校生の調査

 「身につけた専門性が今後の自分の生涯において支えになる」

 と考えている生徒ほど、

 「専門分野以外のことも身につけていきたい」という意欲が高い




・これまで日本では疎かにされてきた、

 労働者の職業上の「能力」と処遇との対応の妥当性を確保するためのしくみを、

 可能なところから築いていくしかない





・「キャリアラダー」

 労働者が技能と経験を蓄積しながら、

 より責任があり、より賃金のよい自己とへと前進しうるような、

 職務と処遇の体系を人為的に作り出すことであり、

 具体的には、教育訓練・職務経験年数・職位のマトリックスに即して

 賃金を設定すること





・過去の職務経験や教育訓練経験を企業横断的で

 業種内共通の基準で評価し、それに見合った

 ポストと報酬を与えてゆくことは不可能ではない

 

**************************************************




日本の学校教育に職業的意義が弱く、

特にキャリア教育がうまく機能していないことは

同意できます。





私は、大学で講義する際で、社会で伸びる人材は

「 多様な人間関係社会の中で、
 変化を感じ取り、
 自ら課題や目標を見出し、
 必要な知識・技術を学び続けられる人材」

と定義し、話しています。




大切なのは希望を育む素直力と

立場の違う人と絆を紡げるコミュニケーション力であるとも。




本田氏の指摘する「柔軟な専門性」に近い概念です。





ただ、高校のタイミングで専門性を決めさせることや

 職種別採用を支持する意見には少し懐疑的です。




最近の合理性・効率性を自由詩する風潮、

特に即戦力を求める労働市場の影響を受ける個人は

近視眼的に稼げるスキルや知識・テクニックを求めがちです。




本田氏の主張する柔軟な専門性は理想論ではあるけれども、

それを現実世界・現場に持ち込もうとすると、

近視眼的な硬直的な専門性へと変化してしまい、

潰しがきかない人材育成につながりかねないと思うからです。






また、正社員も職務給という考え方にも疑問があります。

正社員非正社員の格差は解消しなければならないものの、

同一労働同賃金の次元が困難なのは本田氏も指摘している通り。




だからといって、正社員に職務給を導入しようとするほど、

ただでさえ、ダイバーシティ化が進み、一枚岩の強い組織を作ることが困難で

日本企業が没落していっている現在です。




さらに利己主義をはびこらせ、

組織の中の絆の崩壊を助長していくことが想定できるからです。



この懸念に対する処方箋もセットで考えなければなりません。







----------------------------------------

今いる従業員を最大限活かし、「思い」を実現させる

Feelリーダーズゼミ 見学会

●日 時 : 2011年2月26日(土)15:00~17:00
●ファシリテーター : 前川 孝雄 FeelWorks代表取締役
----------------------------------------------


()FeelWorksの活動は、以下でもチェックくださいね。

◆FeelWorksのホームページ


【おかげさまで、満員御礼!】

前川孝雄の&quot;はたらく論&quot;