スポーツについて思うこと

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広島県福山市で、「家族関係」や「人間関係」で悩んでいる方々のカウンセリングと、子供たちの学習支援をしている『たあさん』です。

 

 

5ヶ月ぶりの書き込みです。元気に生きています。
2018年(平成30年)が始まって、早2ヶ月が経とうとしています。
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
今年の冬は、ラニーニャ現象と北極海の氷が少なくなっていることなどが原因で、日本列島に寒気が入りやすく、かつ南からの暖かい空気と北からの冷たい空気が日本上空でぶつかりやすくなっているそうです。その結果、日本海側や山沿いで大雪が降っているようですが、ここ福山市は小雪がぱらつく程度で、今のところ積雪はありません。

ただ私自身は雪国生まれで、毎年1m以上積雪があるような山間部で育ったため、雪景色が懐かしくなることがあります。


そして、お隣りの韓国では平昌(ピョンチャン)オリンピックが2月9日から開催されており、連日テレビを賑わせています。今日のフィギュアスケートの羽生結弦選手の演技は圧巻でした。

また、北朝鮮選手の参加が認められ、開会式では北朝鮮と韓国の選手たちが南北統一旗での入場行進を行ないました。

核ミサイル開発などで世界の大国の仲間入りを果たしたい北朝鮮にとっては、自国をアピールするための格好の場だと捉えているのでしょう。美女応援団の統一された言動には、気持ちよさと気持ち悪さの両方を感じてしまいます。

一方、ロシアは筋肉増強剤などのドーピング問題で、国としての選手の出場は禁止され、ドーピングに関して潔白であることが立証された選手だけが個人として参加できるように配慮されています。選手たちに責任はないと思うので、少し可哀そうな気持ちになります。

 


 

日本では昨年末から現在まで、相撲界の問題が大きなニュースとなっています。モンゴル出身の力士同士の暴力事件に端を発して、貴乃花親方と相撲協会理事との確執が表面化し、貴乃花は理事を解任される結果となりました。また、暴力を振るったとされる横綱・日馬富士(はるまふじ)は、責任を取って自ら引退しました。


スポーツ界における暴力事件は昔から後を絶ちません。厳しい指導を良しとする(奨励さえする)日本のスポーツ界において、選手が精神的・肉体的に苦痛を感じるような指導をした方が、忍耐力や『なにくそ』という闘志を養うというような考え方は、当たり前のように受け継がれてきました。従って、練習中や指導の際の暴言や暴力も認められ、黙認されてきたのが実態だと思います。


貴乃花は、そういった悪しき慣習を変えようと思っていたのかも知れません。あるいは、モンゴル出身の力士が増え(幕内だけで6人に1人の割合)、日本人らしい寡黙さや慎ましさが失われつつあることに違和感を感じていたのかも知れません。私は別に貴乃花を擁護するつもりもありませんし、モンゴル出身力士を悪者にするつもりもありません。ただ、相撲界が大きく変わりつつあることは否めないと思います。


かつて相撲は神事であり、神社の神様への奉納の意味がありました。また、その年の天下泰平・五穀豊穣・大漁などを願う意味もあり、どちらが勝つかでその年の運勢を占ったりもしたので、観戦する人たちが満足するようにあらかじめ勝ち負けを決めて戦ったりしていたそうです。いわゆる八百長相撲が一般的だったということですね。

また近年は、地方巡業や本場所における入場料や、企業や個人からの寄付金、テレビの放送権料などが収入源として確保されているので、財政的にも続いてきたという面があるようです。つまり、相撲は昔から人気のあるスポーツだったということです。そう言えば、かつては「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉もありました。
 

近代になって、オリンピックを始めとして、プロ・アマを問わずスポーツマンシップの精神が重要視されるようになり、正々堂々と真剣勝負をして勝敗を競うことが期待されるようになりました。

ただ、相撲においては、100kg~200kgもある巨体をぶつけ合って相手を突き出したり投げ飛ばしたりするのですから、本気でやれば筋肉や関節を痛めて、しばしば休場しなくてはならないでしょう。しかも無理やり体重を増やす(特に筋肉を付ける)のですから、寿命を縮めることにもなりかねません。まさに命懸けのスポーツだと思います。

 


そして、2020年には東京オリンピックが開催される予定になっており、日本全体でスポーツ振興を推し進めようという機運が高まっています。

オリンピックの東京への誘致の際には、安倍首相も直々にスピーチをし、「施設も資金調達も整っている」「原発事故は適切に処理されていて、完全にコントロール下にある」などと発言しました。その後スポーツ庁まで作ったのですから、かなりの熱の入れようです。

強い国、世界のトップレベルを目指しているという点では、かの国と似ているようにも感じます。
 

ところで、国を挙げて何かを国民に期待する時、犠牲になる人が出てくることも私達は経験しています。戦争が最たるものですが、経済発展における公害・過労死・ゲームやスマホへの依存・格差…、教育改革における受験競争の激化・不登校・いじめ・弱者排斥…、そしてスポーツ振興における柔道などの危険なスポーツの奨励・暴力的な厳しい指導・楽しむというより勝つための自己犠牲と健康被害、などです。
そういった犠牲者を出さないための取り組みも、絶対に必要です。誰のための国の安泰なのか、何を目的とした教育なのか、何のためのスポーツ振興なのか、よくよく考えてほしいと思います。

日本に住むすべての人に関係することなので、自分のこととして考えたいものです。

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衆議院解散?

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広島県福山市で、「家族関係」や「人間関係」で悩んでいる方々のカウンセリングと、子供たちの学習支援をしている『たあさん』です。

 


 

9月になり、朝晩はだいぶ涼しくなりましたが、日中の陽射しはまだまだ暑いですね。
夜も寝る時は少し暑いので、扇風機を1~2時間のタイマーで回し、タオルケットだけ掛けて寝ています。しかし、明け方になると少し冷えるので目が覚め、薄い夏蒲団を掛け直して2度寝することが多いです。
皆さんはどうしておられますか?

 

さて、メキシコの地震、北朝鮮の核実験とミサイル発射、トランプ大統領の言動の危うさ、日本では議員の不適切な発言、不倫騒動、衆議院の解散 …と、気になる事件には事欠きません。
私は以前から、政治家の発言は嘘が多いと感じています(そう感じておられる方は多いと思いますが)。今回の衆議院の解散についても、その理由として、2019年10月から消費税率を10%に引き上げるのはそれによる増収分の使途を「国の借金返済」ではなく「幼児教育の無償化」に回すとか(崩壊寸前の民進党が言いそうなことですが)、「北朝鮮に対する対応」に関して国民の信を問うとか、いかにも取って付けたようなものです。
要は、野党の人気が低迷している今、東京都知事小池氏が立ち上げようとしている新党が勢いを増す前に解散して、自民党の過半数議席を守ろうとしているのが見え見えです。

 

それにしても、小池都知事の大胆さや行動力には目を見張るものがあります。
『日本の政治をリセットする』、『改革保守』、『希望の党』 …、勢いはすごいのですが、リセットした後、日本をどういう方向に導こうとしているのか、消費税率引き上げなしにどうやって財政再建をするのか、具体的にはまだ分かりません。
選挙で勝った後で考えるのでしょうか?

安倍首相が目標としている最大の案件は『憲法改正』でしょう。第一次安倍内閣の時から、それは明言していました。その前段としての『教育基本法改正』は、その時に早々と実現しています。


その結果、教育現場に行政が介入できるようになり(おそらく、これが最も重要な改変だと思います)、ゆとり教育は廃止され、教育現場の管理や効率化が進められてきました。

教職員は、自らの年間目標を立てて文書化し、年度末にはその報告書を作るという業務や、生徒個々に対する細かい評価基準が作られ、それに基づいた評価をしてこれも文書化して残すといった仕事も増えました。
人間相手ですから、目標を作ってもその通りにはものごとが進まないことが多く、従ってこれで良いというわけにはいかず、仕事は増える一方で、病休に追い込まれる教職員も増えています。

 



一方、子供たちに目を向けると、以前よりも2~3割ほど増えた教科内容を消化するために、1日6時間授業が7時間になり、補習という名目で曜日によっては8時間目が組まれている学校もあります。

おまけに大量の宿題が出されます。クラブ活動に力を入れている生徒たちは、睡眠時間を削って疲弊しながら頑張っています。学校からの距離が遠い子供たちは、更に大変です。
こういう過酷なストレスが原因で体調を崩し、不登校になっている生徒たちも増えているようです。
また、小学校での学級崩壊や校内暴力やいじめが増えているようですが、それらも子供たちに掛かっているストレスと無関係ではないでしょう。
そういう学校内や世の中の雰囲気を一番敏感に感じ取るのが、子供たちだからです。

この流れは、どこまで加速して行くのでしょうか?
戦時中のように、一億総玉砕(?)するまで突っ走ろうというのでしょうか?


子供たちや若者たちを時間をかけて大事に育て、少しでも生きやすい社会を作るために『政治的リセット』を行ってほしいものです。

人間性(人を愛する心、尊敬する心、創造力、生きていく希望、精神的自由、など)を大切にする社会を作る努力をして行ってほしいものです!!

 


 

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教職員数を増やす?

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「文部科学省が、2018年度の公立小中学校の教職員数を3800人増やすように財務省に求める方針を固めた。」と、8月下旬の新聞に載っていました。
理由としては、小学校で英語が正式科目になり授業時間数が増えるので、特定教科を受け持つ専任教員を増やす。
中学校では、いじめや不登校などの生徒指導を担当する教員を増やす。また、事務職員を増やして教員の負担を減らす。
また、発達障害がある児童・生徒らが、必要に応じて別室で指導を受ける通級指導の担当や、日本語の指導が必要な外国人児童・生徒らを受け持つ教員も増やす。
とのことでした。

いかにも、文科省は教職員や児童・生徒のことを考えて改革を進めています、というような文言ですが、これには裏があるようです。
1つには、少子化の影響で児童・生徒数が減り、それに対応して教職員数は3000人が自然減となるので、実質的には800人の増員になるということです。
2つ目は、現職教職員数の年齢による比率が定年に近いほど多いため、これから若い教員の増員が見込まれ、実質的には人件費が減るようです。
国の予算が年々増加する中で、教育費を増やすわけではなく、むしろ減るので、使い道として上記のような案が出されたようです。

もちろん、教職員数が増えるのは良いことだと思います。
しかし、教育の中身をより良いものにする方策を本気で考えるのが文科省の役割だとするなら、予算配分だけでは解決できない問題にも本気で取り組む必要があるでしょう。
例えば、いじめや不登校の原因の究明を徹底的にする。そして、それらの解決策を示す。事務作業の不必要な部分は削っていく。などです。

1クラスの生徒数の定員を減らして20~25人位にすることも考えて良いと思います。

 


また、発達障害の症状を呈する児童・生徒に対する教育内容も、大いに検討の余地があると思います。そういう子供たちの特徴を理解し受け入れる、周囲の人たちの意識改革のための施策も必要でしょう。

そうすることが、人を大切にする、すべての人にとって生きやすい社会を作っていくことになると思うからです。

外国から来て日本で働いている親たちに対する日本語教育も、従来から大きな問題とされてきました。そして、一緒に来日した子供たちや日本で生まれた子供たちに対する日本語教育も、後手後手に回されてきました。
私は、かつて定時制高校に勤めていたことがありますが、親と一緒に日本に来た子供たちがかなりの比率で入学して来ていました。学校の授業が分からないまま、放っておかれているケースもありました。
それでも、日本語の習得は親よりも子供の方が速いため、子供が親の通訳をしたり、親が病院などに行く時は付き添いで一緒に行ったりしていました。
海外から日本に来る人がこれから増加することが見込まれる今、日本語を教える教員数を増やし、子供たちはもちろん、大人も学べるようにすることが必要だと思います。

 

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暴力的な雰囲気

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近年、社会全体に暴力的な雰囲気を感じます。皆さんは、いかがですか?

 

例えば学校。まぁ、学校は昔から嫌なことをたくさん強いられる所でしたから、今に始まったことではないのでしょうが。

しかし、ゆとり教育に終了が告げられ、教科内容が2~3割増しになり、かつ学習指導要領に書かれている以上のことを教えても良いということになり、全国統一テストが実施されるようになってからは、競争がより激化し、子供たちへの強制力がより強まっているように感じています。

 

それから、病院や福祉施設。「え~!」とお思いの方もおられるかも知れませんね。

医療や福祉の現場で働いておられる方々の職場環境にもよると思いますが、薬を多用して収入を増やしたり、人間を物体(骨や筋肉や内臓の集まり)と見て、ただ生かすためだけの対応が取られ、その人の意志や感情が軽視されている状況を見聞することがあります。

ただし、こういった傾向が近年問題視されるようになり、インフォームド・コンセントが義務付けられたり、治療方法の選択を患者さん自らが決定できるようになってきているようではあります。

病院のための患者、施設のための利用者ではなく、患者さんや利用者さんのための病院や施設であってほしいと切に望みます。

 

そして、企業。会社も、グローバル化が進んでいるこの時代の中で生き残るために、合理化や経費削減は必要だと思います。

しかし、過労死するまで働かされたり、非正規雇用という形で契約を結ぶことで賃金を低く抑えられたリ、正社員になっても管理職に任ぜられて時間外手当がもらえなかったり…。様々な形で過重な労働を課せられている人達が大勢おられます。

仕事にしても収入にしても、人間らしい生活を送るためにあるはずなのに、まるで仕事や企業の収益のために人間が使われているようにも感じます。

 

 

少子高齢化が容赦なく進む時代の中、年齢や性別に関係なく、働けるだけ働かなくてはならなくなっています。

「女性活用」という表現を「女性活躍」に変えて、「女性活躍推進法」が2015年8月に制定され、2016年4月から施行されました。それと合わせて「障害者雇用促進法」も、同じく2016年4月から施行されています。

また、政府は「一億総活躍社会」の実現を掲げて、まるで戦時中のように、日本中の人々が経済活動に従事することを求めているようです。

戦時中と違うのは、人を殺めることは悪だという共通認識があること、質素倹約よりも散財を奨励していること、民主主義という名の下で政策を実現するために世論操作が行なわれつつある、…というようなことでしょうか。

 

何はともあれ、これまでに経験したことのない時代になっていることは間違いないでしょう。

様々な暴力的な環境から身を守るために、知恵を使わなくてはなりません。不登校やひきこもりも、身を守るために必要な場合があるのかも知れませんね。

ただし、生きるためには食料が必要です。食料を得るには労働が必要です。強いジレンマがあります。

子供たちの置かれている環境や職場の環境を良くしていくことが、今は最優先の課題でしょう。

 

そのためにどうしたら良いかを、御一緒に考えていきましょう!

 

 

教師の長時間勤務について思うこと

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 日本全体が益々忙しくなっている感じがしますが、学校現場も例外ではないようです。

 最近の調査で、教師の勤務時間が過労死レベルに達している率が、小学校で4割弱、中学校で6割強に上っていることが分かったと報道されました。実際には、家に持ち帰っての仕事もあるようですから、疲労困憊している教師はもっと多いと思われます。

 そのニュースを聞いて、いろいろ思ったことを書いてみました。

 

 小中学校および高等学校の教員の勤務時間が長時間に及び、過労死レベルになっていることがやっと問題として取り上げられ、改善策が図られつつあるようです。教員の病気休職者が年々増加し、精神的に病む教員も増加の一途をたどっている現状からして、遅過ぎる感もあります。
 教師の仕事は学習指導の他に、子供たちの挨拶や服装また健康管理など生活面の指導、近年特別な配慮を要するようになった発達障害の子供たちなど、コミュニケーションや情緒面での問題を抱えている児童生徒のケア、保護者や地域との連携、様々な計画書や報告書の作成など多岐に渡ります。

 それらの仕事量がどんどん増え、主な業務である学習指導の準備に費やす時間や、児童・生徒とじっくり関わる時間が思うようにとれないのが現状のようです。 それらに加えて、中学校と高校の場合はクラブ活動の指導もあります。
 そこで改善策として、まずクラブ活動を週に1回休みにするという措置がとられているようです。その程度の措置で、教師の負担は軽減するでしょうか?


 効率化や成果主義の名のもとに評価基準が作られ、目標がどの程度達成されたかを数値化したり、ABC判定をしたりすることは本当に必要でしょうか?
 良い商品やサービスを提供して利益を上げるという明確な目標を掲げ、その結果が数値で毎年はっきりと出てくる企業と同じように、学校での仕事の成果を考えるのは無理があると思います。子供たちは商品ではなく、個性と人格を持った人間なのですから。
 成果が現れるのは10年後かも知れませんし、20年後、30年後かも知れません。それに、生徒たちにとって学校は、学ぶ場所、人間関係を作る所であり、決してある形の人間に矯正を強いられる場所ではないのです。
 それに、1クラス40人(小学校低学年は35人)という定員の多さも大きな問題です。30人を超えると、全ての生徒の状況を把握することは困難です。その中に特別な配慮を要する子供がいれば尚更です。
 思いきって教員の数を増やし、クラス定員を25人位にする。クラブ活動の指導は、外部から経験者を雇って任せる。そうすることで、教師の過重労働は軽減され、授業準備や生徒との関わりにもっと時間を割くことができるのではないでしょうか。


 子供たちは日本の将来を担っていく存在であり、これから成長してそれぞれの能力や才能を開花させていく尊い存在です。大人社会の目先の利益を上げることよりも、自ら声を上げるのが難しい子供たちや社会的弱者を大切にし、そういう人たちが成長しやすく、生きやすい社会を作ることが優先されるべきではないでしょうか。
 もちろん、お年寄りを大切にすることも重要です。要は、人間を大切にする社会の実現を目標にすべきだということですね。


 一方で、最近の子供たちはとても忙しそうです。各教科の内容が増えたことも大きいですが、宿題の量がとても多く、クラブ活動にも力を入れている子供が多くいます。おまけに、夜は学習塾にも通っていたりします。宿題をこなすためには睡眠時間を削るほかはないという子供が大勢います。
 またスマホの普及によって、友だち通しで頻繁にSNSなどを使っての交流もしなくてはならず、睡眠時間は減る一方です。
 

 最近の研究によると、睡眠不足は脳や身体に深刻な影響を及ぼすことが分かってきたとNHK特集で放送していました。アメリカの脳科学者たちが、様々な実験や統計結果から得た結論だということですから、信頼できる情報だと思います。
 睡眠不足によってどのような影響があるかと言うと、発ガン率の増加、糖尿病や脳血管障害など成人病の増加、それにアルツハイマー型認知症になるリスクも高くなるとのことでした。
 睡眠は脳の疲労回復に不可欠で、記憶や思考などの脳の働きを調整したり、脳を使うことによって生じる老廃物「アミロイドβ」が睡眠中に脳内から除去されるのだそうです。

 睡眠不足が続くと脳の働きの調整がうまくできなくなったり、アミロイドβが蓄積して病気のリスクが高まります。認知症に関しては20~30年かけて老廃物が溜まり、発症に至るのだそうです。
 適正な睡眠時間としては、個人差はあるにしても、大人で7~8時間、中高生は8時間、小学生は9時間、乳幼児は10時間位が良いと、番組では提言していました。成長期ほど睡眠時間は長く必要なのです。

 現在、適正な睡眠時間がとれている子供はどの位いるでしょうか?
 番組に出演していたある専門家は、「今の子供たちの睡眠不足は深刻です」と語っていました。私も同感です。5~6時間しか寝ていない子供は、ざらに居ます。もしかしたら学校の授業中に、足りていない分の睡眠をとっているのかも知れませんが、それはそれで問題です。


 大人の平均睡眠時間も年々減少しているとの統計結果が出ており、このままでは認知症の発症が増加の一途をたどるとの予測が出されています。
 忙し過ぎる現代社会の中で、ゆとりを持って生きるにはどうしたら良いのでしょうか?大人も子供も真剣に考えなくてはなりません。まずは、睡眠時間の確保でしょうか。

 

 

 

危うい状況から思うこと

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またまた、ずいぶんと久しぶりの発行になります。

私は、まあまあ元気でいますよー。

最近の物騒なニュースを見聞きして、思ったことを書いてみました。

 

北隣りの国で物騒な気配が漂っています。その内、日本にも火の粉が降りかかって来るかも知れません。
また、地球上のあちこちで戦火の引き金になりそうな出来事が起こっています。テロ事件も後を絶ちません。
『これらの出来事の根源にあるエネルギーは何だろうか?』と考えます。競争心でしょうか? プライド? 優越感? はたまた、心理学で言う承認欲求でしょうか。
 

かつて日本が大陸に侵略行為を行なった動機は、世界の大国(欧米諸国)に経済的・軍事的に追い付くことでした。いわゆる「富国・強兵」策のもと、国民全体を巻き込んでそれを実現しようとした無謀な行為でした。
今はどうでしょうか。基本的には変わっていないように思います。日本もそうですが、先進国と言われる多くの国が同様のことを行なっているように見えます。
 

ただ昔と違うのは、それが民主的という外套をまとっている点です。民意を反映しているという言葉巧みな策略によって、それを正当化しようとしているように感じます。
民意とは何でしょうか? 選挙や世論調査で住民の多数の支持を得たということなのでしょうが、そこにも落とし穴があるように思います。
ある政策の実行によって利益を得る人たちに調査をすれば、当然支持率は高くなるでしょうし、不利益を被る人たちに調査をすれば、支持率は低くなるでしょう。当然と言えば当然のことです。
 

一般の人にはよく内容が分からない事柄については、いわゆる専門家や有識者と呼ばれる人たちの意見が大きく影響するでしょうし、メディアでの扱われ方も大きいでしょう。そして、専門家や有識者あるいはパフォーマンスの上手な政治家の意見が公平で偏りが無いのであれば、民意にも偏りが無くなるでしょう。
しかし、専門家と言えども自分たちの利益を優先することが多いので、偏りが無いとは言い難い現状があります。彼らの利益とは、研究費や収入、社会的地位の維持と向上、メディアに出た場合のイメージ・アップなどです。

私は、物事を判断したり人生の岐路に立ったりした時に、重要な指針として聖書を読むことが多いのですが、その中に次のような文章があります。

『私たちは何ひとつこの世に持って来なかったし、また何ひとつ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。
金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで有害な多くの欲とに陥ります。
金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。』
      (テモテへの手紙・第Ⅰ 6章7節~10節)

お金は人間の生活を便利にするために人間が作ったものです。お金のために人間が生きているわけではありません。
ですから、お金はできるだけ多くの人に回るように、特に困っている人たちに行き渡るように配慮しなくてはいけないと思います。
 

私の大学の卒業論文のテーマは、「生物の適応に関する数学的考察」というものでした。端的に言うと、ある種の生物が繁栄するためには、個々の生物が自分の食料や利益を優先して行動した方が有利か、それとも種全体の利益を考えて行動した方が有利かということを数学的に解明しようとしたのです。
結論を言うと、全体の利益を考えて行動した方が種の繁栄に向かうという結果が出ました。つまり、個々の生物が自分の目先の利益を優先して行動していると、種全体が衰退していくのです。現在の人間社会がそういう方向に向かっているように感じているのは、私だけでしょうか。
 

かつて世界で最も貧しい大統領と呼ばれ、昨年来日したウルグアイのホセ・ムヒカ氏は、2012年、国連の「持続可能な開発会議(リオ+20)」での有名なスピーチの最後に、次のように言っています。

『発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。
愛を育むこと、人間関係を築くこと、子どもを育てること、友だちを持つこと、そして必要最小限の物を持つこと。

・・・ 幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。』
(「世界でもっとも貧しい大統領ホセ・ムヒカの言葉」 佐藤美由紀著、双葉社発行 より)

今なすべき事は何か、よく考えてみたいと思います。

 

環境と子供の遊び

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梅雨が明けて、厳しい暑さの時季となりました。今年も、扇風機とエアコン、水分と栄養、適度な運動と睡眠で、この夏を乗り越えようと思っています。

今年6月末に、ここ福山市で珍しく大雨が降りました。多くの家屋が浸水し、全国ニュースでも放映されました。
福山市は瀬戸内海のほぼ中央に位置しており、これまで水不足になることはありましたが、大雨による被害はほとんどありませんでした。地球温暖化による降水量の増加が、ここ瀬戸内地方にも影響を与え始めているようです。





こうした気候の変化は、日本全国至る所で見られます。豪雨、竜巻、猛暑などです。そして、気候の変化は生態系にも影響を与えています。
近年、野生のシカ、イノシシ、クマなどが増えて、農作物や人に被害を及ぼしていますが、これは温暖化により積雪量が減少したり降雪期間が短くなって、野生動物の生存率が高くなったことが一因と考えられています。

生態系の変化の原因は温暖化だけではありません。人間による河川や海岸の工事なども大きく影響しています。
工業用水や農業用水の確保のため、また水害の予防策として、河川はコンクリートで固められ、川のあちこちや河口などに堰(せき)が作られて、川や川原に住む動植物の生育環境に大きな変化をもたらしています。
また、波による浸食や災害を防ぐために海岸に作られたコンクリート壁やブロックも同様です。
そして、陸地には高速道路網や鉄道路線が張り巡らされて、広大な土地が分断されています。こちらも、生態系に大きな影響を及ぼしています。

コンクリートやアスファルトには、生きものは住めません。たまにその上を歩く動物はいたりしますが、事故で死ぬ動物も数多くいます。
川のあちこちに作られた堰によって、アユ・サケ・ウナギなどの川と海を回遊する魚類は、多くの河川で、もはや生きてはいけない状況になっています。
ちなみに、河川や湖沼に生息する淡水魚は日本全国に約180種いるそうですが、このうちの100種以上は一生のうちのある時期に海が必要な魚だということです。つまり、日本にいる淡水魚の半数以上の種が、激減しているわけです。

私が住んでいる福山市北部は、かつては農村地帯で田畑が広がり、河川には多くの魚や生きものが住んでいたそうですが、現在は河川工事や農薬の使用などによって、魚類はごく僅かしか見ることができなくなっています。
たまに釣りをしている人を見ますが、釣ることを目的に誰かが放流して増えた、外来種のブラックバスを釣っているようです。ブラックバスは汚れた水にでも住めますし、元々いた在来種などを捕食して増え続けています。

子供たちは、近所の溝川にいるザリガニを取って遊んでいます。ザリガニも、汚れた水に住む生きものです。まぁザリガニがいれば、まだ良い方かもしれません。
また、田んぼの周辺にはまだカエルが生息していますので、子供たちが取って楽しめるのは、ザリガニとカエルくらいです。しかし、カエルも種類と数が昔よりはだいぶ減ってきています。

ところで、以前にも何度か触れたように、子供たちが外であまり遊ばなくなって久しく経ちます。
ゲーム、インターネット、スマートフォンなどの普及、夏の猛暑、身近な動植物の減少、戸外で遊ぶ場所の減少、所謂(いわゆる)ガキ大将を中心とした子供社会の消失などが原因だと思われます。
その結果、かつては子供時代に遊びを通して学んでいたことを、学べないまま大人になる人が増えているようです。
遊びを通して学ぶことは、勝負に勝ったり負けたりした時に自分の感情をどうコントロールするか、自分の欲求を満たすために他者とどう関わっていくか、自分の気持ちや考えを相手にどのように伝えるか、自分の要求を通すか周囲の状況に合わせるかの葛藤をどう調整するか、などです。

そういう力や術(スキル)を学ばずに成長すると、自分の感情をうまくコントロールできなかったり、他者との関わりで相手に合わせ過ぎてしんどくなったり、自分の感情を表現できなくて溜めこんだ結果、心身に不調をきたしたり、周りの雰囲気や流れに合わせることに必死で、自分が何を感じているのか何をしたいと思っているのかが分からなくなったり、といった状態になりがちです。
でもそれは、そのような環境にいる子供たちの責任ではなく、そういう環境を作ってきた大人たちの責任です。我々大人の責任によって生じている問題に対して、次世代の子供たちに「何とかしろ」と言うのは、傍(はた)迷惑で無責任な話です。
でも、何とかしなければなりません。生活環境は、年齢に関係なく全ての人に係わる問題なので、お年寄りも若者も一緒になって解決していかなくてはならないと思います。

話は少しそれますが、近年、脳の働きが次第に解明されてきています。若者がキレやすくなっているとか、忍耐や我慢ができない若者が増えているとか言われていますが、それについても新たな見解が出されています。
幼少期および子供時代に、我慢を強いられる時間が長過ぎたり、不安や恐怖を感じることが度々あったりすると、脳の中の偏桃体[脳の奥にある胡桃(くるみ)大の器官で、左右に1対ある]が敏感に反応するようになり、苦痛や不安を感じるような状況に対して過剰反応して、ストレス耐性が弱くなるというのです。
一般には、子供の頃に我慢することを学ばせなければ、我が儘(まま)で手に負えない大人になってしまうのではないかと心配する親御さんが多いのですが、最近の研究結果によると、子供時代の過剰な我慢や不安によって、ストレスフルな状況に対して敏感な脳が作られ、逆にストレスに弱くなるということが分かってきたのです。
これは、大変重要な知見だと思います。

現代の子供たちが置かれている状況は、勉強やスポーツでの競争を強いられ、遊びがかなり制限されて、忍耐や我慢を強いられ、テレビなどマスメディアからは不安や恐怖を煽るようなネガティブな情報が垂れ流しにされています。
こういう状況に対して、子供たちの脳がどう反応するか想像してみてください。

子供たちが自然の中で安心して楽しく遊ぶことができるようにする。そこでは年上の子が年下の子を守りながら、自分たちでルールを決めて、皆が楽しめるように工夫して遊ぶ。大人たちはそれにあまり干渉せず、遠くから暖かく見守る。子供たちのリーダーと地域の大人たちは、時々話し合いの場を持つ。
学校では、子供たちの年齢に応じた有益で有用なことを、遊びを取り入れながら、子供たちが主体的に学べるようにする。競争よりも共生に重点を置く。
といったことが、今最も必要ではないかと思います。

強い国、豊かな国を目指すということ

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アメリカ大統領選挙が近付き、選挙戦が盛り上がっているようですね。
トランプ氏がもし大統領になったらと考えると、怖い感じがします。

このところ、テロや戦争に関わるニュースが増えているように感じます。
中国の軍事増強、北朝鮮の核実験とミサイル発射。日本では、安保法制の改定で集団的自衛権が認められ、日本が戦える国になったことも大きいと思います。そして、中東アラブ諸国の政情不安、ヨーロッパの金融不安など、これでもかというくらい不安を煽るニュースが流れてきます。
また、アメリカはフィリピンとの軍事協力を強化し、日本や韓国との関係も強めています。アメリカや中国など大国の戦略に、日本を含むアジア諸国がどんどん巻き込まれている感じもします。

一方で、日本には憲法9条があり、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」また「この目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と定めています。
多くの学者も、今の安保法は憲法違反だと主張しているようです。またフィリピンの憲法では、自国内に他国の軍事基地を置くことを禁じているとのことです。
政治の世界は実にややこしいですね。政治家が嘘つきに見えてくるのも仕方がないのかもしれません。

強い国、経済的に豊かな国を目指すことは、多くの犠牲を伴うということが、これまでの歴史が証明しています。公害、過労死、地域社会の崩壊、経済的格差、虐待、原発事故、などなど。
人に勝つことや利益を上げることが声高に叫ばれ、また優先される社会は、住みにくいです。いつも頑張って、周囲の人たちと比べて中位以上にいようと努め、できれば上位、可能ならばトップに立とうと皆が意識しているような社会は、息苦しいです。
最後は、最も力の弱い小さな子どもたちや、障害を抱えた人たちや、心身の不調によって勉強や仕事ができない人たちを排斥し、時には死に追いやるようなことにもなりかねません。

もちろん「好きこそものの上手なれ」で、興味関心があることを積極的に学んで身に付け、それを社会の中で生かしたり人に伝えたりすることは素晴らしいと思います。むしろ、そういう人たちが増えることを私は望んでいます。
しかし、それを皆に強制してはいけないと思います。他にやりたいことがある人や、心身の不調で動けない人に、行動や勉学を強いてはいけません。

私たちは皆、弱い存在です。病気にもなるし、年老いてもいきます。
「お互いさま」という言葉があります。弱った時には誰かが助けてくれる、悩んでいる時には話を聴いてくれる人がいる、気付いたことや改善したいことをしっかり表明できる場所があり、必要なことを実行してくれる人たちがいる、そんな社会であることを心から願っています。

いじめによる自殺について

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またまた、久しぶりの書き込みです。
今回は、今でも時々ニュースとして取り上げられる“いじめ”についてです。

最近また、いじめによる中学生の自殺について度々ニュースで報道されています。「またか」という思いと同時に、憤りのような怒りのような感情が、悲しみと共に湧き上がってきます。
私の身近でも、これまでに自殺はありました。小中学校時代の友人の親、大学時代の友人、今の住居の近くにある中学校の生徒、そして実兄。これらの出来事も、私がカウンセリングをライフ・ワークとするに至った理由の1つです。

自死を選んだ人の辛さや苦しみ、そして孤独感に思いを馳せると、「死にたいと思う」ことと「実際に死ぬ」こととの間には大きな壁があるのを感じます。それは、死への恐怖心と、生きることへの執着心でしょうか。その厚い壁を壊して死ぬというのは、恐怖も執着も吹き飛ぶほどの想像を絶する苦しみだったのだろうと思います。あるいは、死んだら楽になれるという、根拠のない希望を抱くしかなかったのかも知れません。

私自身、中高生時代に死にたいと思ったことが幾度かあります。
それはどんな時かと言うと、自分で自分に価値がないと感じ、私がいることで周囲に迷惑ばかりかけていると思った時です。虐待やいじめを受け続けた場合も、そのような心理状態になりやすいと考えられます。
その反対に、自分には価値があると感じていて、周囲の人たちは自分の存在を喜んでくれていると思っていれば、死ぬことなどまず考えないでしょう。そして、自死する人の気持ちなど想像もつかないでしょう。頭がおかしくなったくらいに考えて、自分とは関係のないこととして忘れてしまうかも知れません。

私が自死を考えたのは、親から見捨てられ、誰からも愛されていないと思い込んでいた時です。でも私が自死を選ばなかったのは、心の中に死への恐怖と生への執着があったことにもよりますが、他の要因としては、自分の内にあるまだ表現されていない力を感じていたこと、将来に対する微(かす)かな希望を持っていたことが大きいと思います。

その後、20歳を過ぎてから死にたいという気持ちは全くなくなったのですが、それは、私の価値を認めてくれ、私の存在を喜んでくれる人が現れたことによります。やはり、人は他者から愛され認められてこそ、生きる力や喜びを感じるのだと身を持って実感しました。他者とのそういう関係がないと、生きるのが辛くなり、生きる力を失っていくように思います。

いじめは相手に苦痛や恐怖を感じさせる行為であり、愛や承認とは全く反対のものを与えることになります。そして、被害者の生きる力を奪い、喜びや安心とは反対の苦しみや不安を感じさせるものです。相手の人生を狂わせる犯罪だと言っていいでしょう。

20年ほど前、大河内清輝くんという中学2年の男子生徒がいじめを苦に自殺しました。
清輝くんの両親が彼の遺書をマスコミに公開したことで話題になり、全国から両親のもとに多くの手紙が寄せられました。その手紙の内容には、自分もいじめを受けて苦しんでいるというもの、いじめを受けていることを親に言えない心情について説明したものなどがあり、その1通1通に清輝くんの両親は心を込めて返事を書いたそうです。
そして、手紙や電話でのやりとりによって気持ちが楽になった子供たちや、自殺を思いとどまった人たちもいて、ご両親は救われた思いになったといいます。
また夏休みには、全国から子供たちが大河内さん宅に泊まりに来て、現在も交流が続いているということです。

いじめは子供たちだけの問題ではありません。
人をバカにしたり、人の欠点を笑いものにしたり、他者を感情を持たない物のように扱う大人がいます。また、自己の利益のために人を利用したり、お金目当てに人をだましたりする大人もいます。パワー・ハラスメントやモラル・ハラスメントといった問題も多く聞かれます。子供の問題は、大人社会の問題でもあります。
核家族化が進み、夫婦だけ、親子だけのつながりが増えています。1人暮らしの人も増えています。親戚付き合いは希薄になり、近所付き合いもあいさつ程度が当たり前になってきています。このような社会状況の中で、夫婦関係や親子関係がギクシャクして、職場での人間関係にも悩み、生きるのがしんどいと感じている人たちが増えているように思います。

心のしんどさは身体のしんどさよりも耐えるのが困難です。誰かに話しを聞いてもらい、理解してもらえる人は幸いですが、誰にも言えず、独りで解決しようともがいている人は大変だと思います。精神的な症状で病気休職する人が毎年のように増えているのは、こういう所にも原因があるのではないでしょうか。

人と人のつながりや命と命のつながりを取り戻し、子供たちを社会全体で守り育てることを目指したいと思っています。子供たち同士のつながりも大切です。そして、利益追求ではなく、人間の価値や生命の尊厳を追求していきたいものです。
こんな大きなことを言っていても、小さなことしかできない自分ですが、小さなことを大切にしたいと思います。1人1人が小さな善を心がけ、それを実行していけば、大きな力になると思います。

映画「6才のボクが、大人になるまで」

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 久方ぶりの書き込みです。
 
 最近、久しぶりに映画を観に行きました。「6才のボクが、大人になるまで」というタイトルの、12年間に渡って撮影されたドキュメンタリー風の映画です。リチャード・リンクレイター監督が2002年から撮影を始めて、2014年まで毎年夏に同じ出演者が集まり、連続したストーリーに仕立てた超力作映画です。

 主人公の少年メイソンが、両親の離婚や養父からの虐待、友人関係のトラブルやいろんな人たちとの関わりの中で、時に悩み時に喜び、次第に成長し逞(たくま)しくなっていく様子が、成長の各段階でのエピソードと共に自然体でリアルに描かれていました。なにせ同じ人たちが12年間演じるのですからリアルです。メイソンの気持ちが、観ている者にも伝わって来ました。
 私も少年時代の気持ちに戻って、一緒に悩んだり笑ったり、やるせない気持ちになったり希望に胸をふくらませたりしながら、2時間半余りの時間を楽しく過ごせました。

 出演者の中では母親の存在感が際立っていました。若くして妊娠、結婚し、夫のギャンブル癖や浪費癖が原因で離婚したらしく、2人の子供(メイソンと姉のサマンサ)を育てるために、様々な仕事を転々とします。その後、大学で学び直し、再婚と離婚を繰り返しながら、教師の職に就きます。私自身の人生と重なる部分もあり、彼女の苦悩や、弱さや強さがよく表現されていて感動しました。

 また、母親の再婚相手の大学教授が、超真面目ではあるけれど融通が利かず、子供たちを思い通りに動かそうとし過ぎて暴力を振るうようになったり、次第にアルコールに溺れていく様子は、私が仕事柄出会う人たちの中にも同じ様なケースがあって、リアルな怖さを感じました。

 母親の元夫は音楽と遊びが好きで、時々メイソンとサマンサを遊びに連れ出し、いろいろな経験をさせてくれます。安定した収入は無いけれど、子供たちを愛おしく思い、彼らの幸福を願っています。
 彼もやはり再婚して、新たに子供が生まれますが、メイソンたちと時々会うことを続け、メイソンの誕生日や高校卒業・大学入学の折には心のこもったお祝いをしてくれます。

 いろいろな性格や価値観を持った人たち、様々な生き方をしている人たちが登場してきて、その一人ひとりが愛おしく感じられました。また、子供はこうやって、いろんな人たちとの関わりに中で成長していくんだなぁと、改めて実感できました。
 そして観た後、生きることへの希望を感じました。私がこれまでに観た映画(200本位かな)の中でも、10本の指に入る見ごたえのある映画でした。