70期の新任判事補65名が1月16日、内閣によって任命された。

 

 法曹界ではその少なさが話題となっている。100名を優に超えていた時代を知っている者にとっては、司法試験合格者が増えているのに、判事補が増えないことに不信感が広がっている。

 

 最高裁当局の説明では、複雑な事件が増えているから判事補よりも判事を増員する努力をしているとか、裁判所が欲しい人材と渉外弁護士事務所等との採用の競合で優秀な人材が確保できないとかと言われている。

 

 しかしこの説明は何重にもおかしい。

 

 第一の理由は、それ自体は正しいようにみえる。私などが長年提唱している法曹一元の考え(判事補を廃止し判事だけにし、その給源はアメリカなどのように経験ある弁護士からにすればよいという大正以来の弁護士界の制度思想)に近づく。しかし最高裁はそんなことはつゆほども考えていない。そればかりか、1964年、2001年の2度にわたって法曹一元の採用を葬っている(法曹一元は英米系の国に多いが、判事補のような制度があったオランダや韓国も近年採用した)。つまり最高裁は判事補制度を護持する。護持しておいて、少し判事を増やすので、判事補は減りましたなどというのは御都合主義である。


 

 第二の理由は、はしなくも最高裁が優秀な人材と考えるのは弁護士でいえば渉外事件をやるような人々で、その採用を裁判所と大弁護士事務所で競って、裁判所が負けていると言っているのである。優秀とは司法試験や修習卒業試験の成績優秀者のことである。しかし裁判所にはそういう優秀者も要るが、人権感覚に溢れた優秀人材も要るのではないか。最高裁の発想法は官僚そのもので、国民的でない。大弁護士事務所に試験優秀者をとられたなら、弁護実務修習などでメキメキと力をつけた修習生を誘って裁判所に迎え入れたらどうかと思う。彼らは人権感覚溢れた判決を書くであろう。

 

斎藤浩