「お父様の御聖和とお母様と状況証拠」をちょっとお休みして、「天の父母様」に関してインスピレーションを受けましたので、そのことを書きたいと思います。

「原理講論」の第七章 キリスト論、第四節 重生論と三位一体論 の(一)重生論 (1) 重生の使命から見たイエスと聖霊 に、

「罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく聖霊である。」

「聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、」

と書かれています。


イエス様が十字架に架からなければ、イエス様のときに、聖霊は真の母として地上にこられていたわけですが、イエス様が十字架に架かってしまったために、「聖霊」が霊的母という立場に立ちイエス様と聖霊が霊的真の父母という立場に立ったということです。


ということは、そのとき地上にいた聖霊の使命を持たれていた女性から聖霊は抜けて、霊界に存在するようになったということが考えられます。


その聖霊は、神様の女性性相の側面を持った女性神ということでしょうか。しかし、女性の人格神というよりは機能的存在であると私は思います。

アダムとエバが真の父母になり、霊界において無形の神様が、真の父母の霊人体を通し、男性の神様、女性の神様として霊界において顕現されるという捉え方のほうが論理的であると思います。

だから、聖霊の実体である真のお母様が地上にいらっしゃるということは、霊界には、神様と真のお父様しか居ないということで、「天の父母様」は真のお母様が、霊界に行くまで存在しないと思っていました。

今まで何度か説明してきましたが、仁進様の件のように非原理的愛の世界に生きていることにより神様(天の父)と対峙できない為、「天の父母様」という存在しない神様を存在する神様を無視して、本当の神様の横に「天の父母様」おいて信仰しているように思っていました。
お母様もそのような罪を過去に犯したため、お父様に何度も責められるようになり、お父様の御聖和をきっかけに「天の父母様」と呼ぶように神様の呼び方を変えました。

基本的にはその考えは変わりませんが、

原理のみ言葉を読んで、もっと本質的問題に気づきました。

真のお父様の御聖和により、聖霊はお母様から離れてしまったということです。

実際は、数十年前から離れてしまった可能性があります。


お母様から離れてしまった、女性神である聖霊が霊界に存在する為、真のお父様とその聖霊を指して「天の父母様」と呼ぶということになってしまったということです。


つまり、現在の真のお母様は、聖霊の実体ではないという可能性があるということが導き出されます。

なぜ、お母様から聖霊が離れてしまったのか、

そのことが「お父様の御聖和とお母様と状況証拠」によって解るということです。


ある意味、真のお父様と霊的母である聖霊を「天の父母様」と呼ぶことは間違いではないかも知れませんが、

神様と真のお父様にとって、狂わんばかりの呼び方であるとその言葉を聞くたびに傷ついて折られると思います。


お母様が聖霊の実体として戻ることができるできるでしょうか。




にほんブログ村