金魚飼育に関して後世に残してはならない物
過去記事
イソジンの正しい使い方について
http://ameblo.jp/fairlady-sp310/entry-11998752168.html
オゾン・オキシ系静菌をあてにしてはいけない3つの理由
http://ameblo.jp/fairlady-sp310/entry-12023054298.html
-------------------------------
どんぶり金魚、その背景。
http://ameblo.jp/fairlady-sp310/entry-12096784712.html
どんぶり金魚(有害図書)、その背景。 2
http://ameblo.jp/fairlady-sp310/entry-12097382487.html
どんぶり金魚(有害図書)、その背景。 3 政治をする学者
http://ameblo.jp/fairlady-sp310/entry-12098181544.html
-------------------------------------

先の記事に対しての反論に
「みんなどんぶり金魚をそれほど真剣に推奨していたわけでもないし、熱を入れて普及させようとしていたわけではない。インテリア性に優れていたから金魚の普及になると思ったが、その普及という言葉はどんぶりにはかかっていない。自分たちは金魚を普及したかっただけなのに、真剣に反論されても困惑する。」
という要旨のご意見を頂戴した。
日本人は議論を避けて調和を尊ぶ、という向きもあるが・・・しかし。
困難に直面した瞬間、自分が当事者ではなく傍観者に摩り替わることで責任を回避する精神状態、とも言えると私は考える。
これが若い方であれば、このようなスタンスを常時選択する癖をつけると、それが自己防衛の為の手段であっても、いつしか人間に対して真っ向からぶちあたる能力が退化して、人生が非常につまらなくなるので、ほどほどにしたほうが良い、と、「大人の責任」としてご助言を申し上げます。
人間は順応する生き物なので「習い性になる(自分が好んでそれを行わなくても、繰り返していくうちに自分の本質になってゆく)」ものです。
「習い性」になってしまう前に、自分自身の内面に向き合うことは重要かと存じます。
「金魚の普及」この部分でさえすり替えがあり、正しくは「金魚の消費」と表現をするべきであったことは指摘しておきます。全てのスタンスにすり替えがあり、自己を必死に正当化している姿しか読み取ることが出来ません。
どんぶりについて全てが真剣ではなく、深く考えが無かった。これが結論であり、肯定派の最後の捨て台詞のように聞こえますが、真剣ではない、そして深く考えない、この2点だけ取っても、じゃあ生き物飼わなければいいんじゃね?的な感想となります。
お年を召された方であるならば、土俵に乗らない方とは議論を行うことも作業を行うことも出来ないと申し上げます。どうしても土俵に乗れないのであれば、この問題についてお忘れになり、日々を送ることが宜しいかと存じます。ご自身の正義について最後に肯定する人間はご自身以外に存在しないことも、付け加えて申し上げさせていただきます。

前振りが長くなりましたが、「どんぶり金魚の飼い方」について欠落した重要な要素についての指摘を続けさせていただきます。

1)外部環境の問題
どんぶり飼育並みの状況でも「飼えてしまう」ことがあるということは、以前にも申し上げた。それは、日照や照明器具の状況、置かれた場所の温度/湿度変化、通気状況等、外部の要素に相当左右されるものである。
濾過飼育であっても、例えば大規模なハイマニアの方や、私どものような店舗では【出来ない水槽】というものが必ず発生することは比較的良く知られた事実である。全て同じものを使っているのに、ごく少数、濾過バクテリアの移植を試みてさえ「弱い」か「駄目」な状況になる水槽は、大規模に水槽を設置した場合、必ずといっていいほど発生してしまうものだ。
【出来ない水槽】の原因?として、壁の中の配線や、壁の向こうに置かれた家電類の干渉があったり、空気の流れがその部分のみ極端に悪かったり、壁の内部の設備に水道管があり、その水槽の背面のみ常時気温がわずかに低い等、事前に予測することが困難な要素でそれらは発生する。

そういった事態が発生した場合、私たちは干渉をしている要素を遮断したり、緩和したり、最終的にはそこに水槽を置かずにインテリアを配置する等対策を施して被害を出さないように努めるる。ほんの些細な外的環境の欠落でさえ、濾過バクテリアはダメージを受け、修正不能になる場合が少なくはない。
水が循環している状態の濾過水槽でさえそういう事態が発生するのだから、水が止水になるどんぶりでは更に条件は悪くなる。
奇跡的に「出来た」「飼えてしまった」少量止水飼育の場合、外的環境(光・気温・湿度・通気、その他全ての要素)はほぼ完璧であると言っても過言ではない。
飼育の根本として、「設置場所の調整」という視点が抜けた指南書は、片手落ち以下のものであると私どもは考える。

2)器の問題(日本の伝統工芸への視点の欠如)
僅かな外的環境の変化が濾過バクテリアに甚大なダメージを与えることを1)で述べた。
しかしながら、「濾過バクテリア」というものは【定着する場所】が必要なものである。
これらは買ってきたりするものではなく、空気中から自然に入り、急速に定着を開始するものだ。(例:コップの水を数日放置すると、内側がヌルヌルする等)
神頼みにも等しい状況で、僅かな濾過バクテリアの「定着」を計らなければ、奇跡的に出来た飼育は完成しない。
「器は何でも良い」ことが、どんぶり飼育の大前提として語られている。
つべこべ言わず、ここははっきりと申し上げる。
とんでもないことである!
少量止水飼育を試みる場合、器の条件には水量以上のものが求められる。
(それ自体私はお勧めしませんが、奇跡を求めてトライ&エラーされるならば、それは堂々と「消費しながらやっている」と仰っていただきたい。普及や飼育という言葉を使うべきではないし、まじめに取り組まれている方々へ大変失礼なことである。非常に簡単な話である。どんぶりで金魚を飼い、眺める行為は結果的に単なる命の浪費であり、それを正々堂々と言ってのけてから、実行されたし)
【必要条件】
ⅰ)磁器ではなく陶器であるべき(多孔質であるべきという意味)
ⅱ)必ず国産のものであるべき
  http://www.kct.ne.jp/~maru33/shinsyu/cha_touki.htm
 中国産他外国産の陶器からは鉛やカドミウムが溶出することが多い。
 国産でも古い時代の派手な絵付けものかはら溶出が有る場合もある。
 これは酸性物質に反応してより多く溶出するので、金魚の排泄物(アンモニア・亜硝酸・水道水中の硝酸塩等、長期放置で必ず酸性に傾く要素)は溶出トリガーとなる。
ⅲ)釉薬は無釉であればベストである。内側が素焼きであれば尚良い。
ⅳ)びいどろ釉の場合、貫入が多いことが条件になる。
ⅴ)釉薬を使うならば梅花皮(かいらぎ)や貫入が内側にくまなく入った自然釉が理想的
ⅵ)水量はなるべく多く確保できること
ⅶ)「遠赤外線効果」があると謳う陶器があるが、水質を浄化する能力は無い。
  http://www.yasuienv.net/FarIRPhysics.htm
  陶器に於いて「遠赤外線の力」が最大に発揮されるのは、過熱し、肉が焼けるような温度を保った時である。確かに陶板焼きの料理は味がよくなるが、陶板に素材を乗せているだけでは味を良くすることはできない。「加熱する状況」それ以外には謳われるような効果は無い。
一部推奨派は遠赤外線パワーで水質浄化するどんぶり等、奇天烈な主張をしているが、それは似非科学である。似非科学とは良い表現であり、嘘や詐欺と断定出来る領域の話である。それらを声を大にして今の時代に喧伝することは、自らの無能=私は馬鹿で~す!と大声でお客にPRしているに過ぎない。
この手合いは、遠赤外線だけではなく、トルマリンやゲルマニウム、その他もろもろの商材として世間に蔓延している。いずれにしてもそれらが効力を発揮するシチュエーションは、金魚には無縁である。


これらを満たす「どんぶり」とは?
萩焼や伊賀信楽焼の大鉢であったり、その他産地の窯にもよるが、梅花皮(かいらぎ)や貫入がくまなく入ったものは「作品」であるケースが多く、大鉢サイズのものは非常に高額となる。おそらくだが、箱&サイン付でないものは殆ど見出せないのではなかろうか?
※派手な絵付けで有名な九谷焼では、近年「無鉛釉薬」を武器として海外にアピールを続けている。http://shoko.or.jp/000deli/2005/j-kuta02.html「無鉛」が武器になる点からも、海外の釉薬には鉛が多いことがうかがえる。「Made in China」というだけで排除することは決して差別ではないのだ。

現在どんぶり金魚を推奨する問屋やショップに置いてある安価な中国産&国産のけばけばしい、如何にも素人が喜びそうな陳腐な絵付けどんぶりは、上記の点でもお話にならない。
熱くしたり酸にすると陶器の鉛やカドミウムが溶出してくるので、そういった食事は地味な(鉛が入らない自然釉の)食器に盛ることが料理人の経験的な常識としてどこの国にもあるのだが、その常識を覆す「無鉛釉薬」で九谷焼は世界に売り込みをかけている。
食べる僅かな間でさえ鉛の溶出は気にすることが日本の陶器の世界では常識としてとらえられているにも関わらず、どんぶり金魚の飼い方はその辺の安価などうでも良い、下手をすると食用の安全基準にも達さないものを推奨し、その点について何一つ注意喚起は無い。
※鉛もカドミウムも魚には有害であり、水を張って中和以前の問題である。
しかしながら、その毒性に於いて金魚が死ぬ前に水質の悪化や各種疾病等で斃死するので、ここでも推奨派は消費を繰り返すことが十分に想像できる。
大幅に譲っても、少量止水飼育がうまくいく可能性が万に一つぐらいはあるどんぶりが販売されているのを、私は一度も見たことが無い。

逆に、上記の基準を満たす小ぶりなどんぶりであっても、その価格は相当なものとなる。
※近年、日本の作陶のようなデザインの陶器が中国から輸入されているので注意されたし。
はっきり入って、貫入がくまなく自然に入ったようなものは全て「作品」であり、金魚を入れるなど陶芸界の人間から見れば「頭がおかしい」と見られても仕方が無い。

即ち、「誰でも気軽に簡単に」という前提は、ここでも覆されてしまう。
すぐに楽しめるようなどんぶりは、余程のお金持ちが糸目をつけずに買い漁るか、陶芸の目を養い、各地の窯を探訪して「発見」するしかないのだ。陶器の世界で窯巡りはそれだけで楽しい趣味であるが、スレッスレの基準外れでNGとなり廃棄&廉価販売処分される作品の出来損ないを発見できることなど、年に一度あるか否かの「幸運」である。飼育の容器を求めてあてどもない窯巡りを繰り返すのは、殆ど意味が無いものになる。
常識的に考えて、少量止水飼育に万に一つぐらいは適する可能性があるどんぶりを買うならば、殆どのケースで水槽セットを買ってもおつりが来てしまう。
そこでやはり「おき場所が無い」「どこでも楽しみたい」という向きには、これからは金魚を「消費します」「虐待します」等はっきりと宣言をした上でお楽しみいただくことが最大の条件となる。
(そもそも置き場所が無いとか、安く手軽に、等、経済的にも飼育の圧迫が耐えかねるのであれば、飼わないことが生き物の命に対する唯一誠実な方法となる。ここは、はっきりと申し上げておく)

何故?と未だに疑問なのが、本まで出して「どんぶり飼育」を定着させたかったのであれば、
何故??日本中の窯に呼びかけをして、「内側素焼、無釉の大鉢」をコラボして作ってもらわなかったのか?
これは本当にわからない。
文化としてみた場合にも、作陶界とコラボした場合非常に広範囲に影響が及ぶものであり、少なくとも現状よりも未来はかぼそく繋がったであろうと私は考える。


その視点が全欠如していたのか、自分たちだけ儲けたいと考えたのか?それは定かではないが、命あるものを飼育する行為に対して、あまりにも軽はずみであり真摯さが欠如した姿勢が見え隠れするように思われてならない。

追記:
余談だが、萩焼などの吸着力の強い陶器は器としての能力以外に、その吸着力を利用した環境改善資材として「陶片」が様々な形で利用されている。無論、これは濾材としても有用である。どんぶりが陶芸とコラボしなかったことによって、自然派で環境に優しいエコな吸着濾材「○○焼の陶片」シリーズとして日の目を見なかったことは資本主義経済に於いても失格であったのではなかろうか。
(○○焼の陶片濾材はこの業界のセオリーとして、急に出現する可能性も十分にあり得ると予告しておく※パクらないで下さいね!出す前にご一報ください。)



ペタしてね