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ルプー K.488

2012-02-16 22:12:06 テーマ:協奏曲
モーツァルト/ピアノ協奏曲第23番K.488 ルプー

モーツァルトの碩学、ヴェーグといえばシフとの間にいれた協奏曲。恣意的なところのない純度の高いものでした。こちらはルプーとの映像。特に緩徐楽章にピアノ本来の音とリリシズム。本領を発揮します。

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モーツァルト/交響曲第41番 45−46年トスカニーニ盤

2012-02-16 11:12:15 テーマ:交響曲
$ラストテスタメント クラシック-デフォルメ演奏の探求-モーツァルト/トスカニーニ

なぜか、あまり論議の壇上にのぼらないトスカニーニのモーツァルト。指揮者にとって、避けることのできない後期交響曲は録音史上、きわめて重要な作品群です。ここで対照的であったもう一人の指揮者フルトヴェングラーを挙げてもいいかもしれません。特に40、41番に限っていえば、3曲ある交響曲はどれも個性豊かなユニークな作品。演奏一つとっても違いがあり、それがそのまま適性といったことにつながります。すなわち、名盤として挙げられることが多いのがフルトヴェングラーのウィーン・フィルによる48年盤。これが41番となると、ひじょうに分が悪くなるといった形です。壮麗無比な崇高。41番も3部作の最高峰、ギリシア最高の「ジュピター」の名が冠せられて(一説には、この起源はハイドンを招いた興行師ザロモンが名づけた)いますが、今日的には40番の主題造形と比べると、特徴的なものではないことが指摘されます。バッハの死後、37年。久しく忘れられていた対位法を駆使したフーガを交響曲に使用。それが、ソナタ形式という形の枠内に収まり、それがもっとも純粋な調性であるハ長調となっていること。いわゆる「ジュピター」音型が全音符C-D-F-Eに対し、第二ヴァイオリンの奏するのは8分音符の極めて単純な伴奏からはじまります。フルトヴェングラーの芸風では、特にポリフォニックな作品、それがあの独特なゆらぎによりあきらかにされます。それが情感的な面での音楽と一致したときに、陶酔となって聴こえてくる。こうした音楽は、ドイツの音楽の伝統の裡に多かれ、少なかれあったものであり、それがナチスの旋風吹き荒れるドイツ国内。あえて、その伝統堅持のために留まることを選択した理由の一つでした。メカニックな部分では欠点もある古い演奏。それが、ゆらぎを拒否し、リアリスティックに作品を表現しようとしたトスカニーニの造形がモーツァルトにあってはあまり論議されないのが不思議でもあり、残念なところです。辛口な名作オペラブックスの『魔笛』でのディスコグラフィではトスカニーニ盤の古い演奏があがります「《魔笛》のレコードを指揮した全指揮者のうち、この作品の社会的、イデオロギー的、美的転換を音楽的にも造形できたのはただひとり、アルトゥーロ・トスカニーニだけである」。その早いテンポで音楽が進み、「夜の女王」のアリアでは実況ゆえの瑕疵もある。さらに録音も古いときていますが、これも聴くに値する録音。よい方に働いたときのトスカニーニでは、その造形が圧倒的な感銘に働きます。つまり逞しい造形が、早いテンポで進む。その中に色々なニュアンスが表現されるのです。ユーモアの逸話としても40番で、ハンカチをおとしながら「ひらひらと落ちるように演奏しなければならない」。NBC、こちらは50年録音ですが、幾つか古いロマン的な伝統の歌わせ方が残ります。アポロン的な情緒を排したものとなっていないこと。現在のピリオド楽器のモーツァルトはもっとリアリスティックです。
 モダンのモーツァルト。しかし、これが「ジュピター」ともなると、推進力が特別な感慨があります。ポリフォニックの反対がモノフォニック。たとえば同じようなリアリストのセルで聴けば、「水平なポリフォニー」といった、自身だけがバランスをとっていると確信していたものが高い精度で確認できます。トスカニーニ流のカンタービレは、オペラの発達の起源。ルネサンスのポリフォニーがオペラの登場、劇性の担保のために、モノディ様式。メロディを浮かび上がらせるという方法を確立。それがイタリアの伝統となり、オペラの興隆を築きました。トスカニーニのジュピターは終楽章の主題提示でも特徴的。それは全ての主題が推進力を保ったまま歌っている。福島章恭氏は、そんな笑わぬ指揮者の逸話を引いて、この交響曲評に添えていました「『わしは写真を誰にやることも好まん。写真を欲しがる奴はみんな低能児だ』と言いながら、親しい人々には鄭重な言葉書きを添えたサイン入りの写真をプレゼントし、NBC響との楽旅ではプレーヤーたちとのプライヴェートな写真にもおさまる」。この巨匠は、多くの作曲者と直接、接し、多くの有象無象がその周囲に群がり、時に写真に収まった姿を見ていました。俗物を軽蔑し、作曲者に対しては音楽で忠実であろうとする。「楽譜に忠実」。それは、今日、聴くトスカニーニのベートヴェンのように、余計な情緒を排しながら、一方で楽譜には識見により手を加えられていました。「楽譜に忠実」とはむしろ作曲者の内実の実現。むしろ再現者としては謙虚すぎるほどでした(ルバートを嫌ったこの人がフルトヴェングラーを認められなかったのはこのあたりにも原因がある)。一つの楽器のように鍛えあげたオーケストラはニュアンスが徹底され、イントネーションを統一して響きが純粋になっていく。ダイナミクスの幅で振幅される。それが、このポリフォニーの集成のような曲の造形でも生きています。40番にも、ポリフォニックな書法が随所に施されている。こちらは録音の点数もあり、モーツァルト受容が、トスカニーニの時代にあっても演奏の変遷を受けていることがわかります。もっとのちのイタリアのジュリーニがベルリン・フィルを振ったものに、テンポがぐっと遅くなった中に歌うポリフォニー。テンポの違いを越え、「歌」が追求されていることに意外な共通点が見えたのでした。

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当盤の演奏が動画上にありませんでした。以下、参考

リハーサル風景

40番~第1楽章

41番~終楽章 マッケラス

ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯

2012-02-15 22:16:03 テーマ:管弦楽
R.シュトラウス/ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯

14世紀ドイツ。実在したといわれるいたずら者。伝承も錯綜し、異説も幾つか。そこにある描写性は聴き手が発見すべきものです。なぜか、最近、あまり演奏されなくなって残念。クラウスの指揮、さりげない中に、ニュアンスを伝えるもの。作曲者縁の演奏はそれでも、濃厚な上に甘美。

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