メンデルスゾーン
 89年録音。メンデルスゾーン、ゆかりのライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。マズア指揮の交響曲全集の完結にあたる第1、5交響曲の録音です。ロマンの交響曲。メンデルスゾーンの作品は、古典的均衡を摂取しながら、作品も一定の型を有し、品位も持っています。そのため、置かれた時代を見失いがちですが、出自はあくまでもロマンにあります。ゲヴァントハウス管弦楽団も音楽の享受者の移行を反映しています。王侯貴族から、市民階級。世界初の民間による自主経営から出発したこと。その出自を誇りにしてきたオーケストラです。歴史は古く、メンデルスゾーンが楽長就任したのは1743年の設立から92年目のことでした。この時代に、楽団の基礎は固まりました。それは音楽的なものだけでなく、楽員の生活の安定といった経営には欠かせないところも見なおされていったのです。メンデルスゾーンの交響曲認知は、第4番「イタリア」、次いで第3番「スコットランド」、第5番「宗教改革」が広く採り上げられているものの、それ以外のところでは光はあたりにくいのが現状です。マズアのメンデルスゾーン録音は多く、交響曲も通常は別系統に置かれる初期の「弦楽のための交響曲」をも含み、重要でありながらあまり採り上げられない声楽曲の大作をも録音しています。使命感に似たものは、縁のオーケストラを率いての出自も大きく影響しています。東西ドイツの統合から、多くが経営の問題から、質的なものが低下する中、ゲヴァントハウスのヨーロッパ的古色が保たれたのはマズアの貢献でした。
メンデルスゾーンの第1交響曲が採り上げられにくいのは若書きであることにあります。15歳の交響曲ではありますが、17歳の「夏の夜の夢」の序曲が広く演奏されていることを考えれば、早熟であることは不利には働かないはずです。実際、「弦楽のための交響曲」は、それ以前12~14歳のときの作品です。早熟もまたロマン派のキーワードの一つでした。ロッシーニが「弦楽のためのソナタ」を作曲したのも12歳。弦の書法は古典から連なる当時の管弦楽法の基礎にありますが、習作期に、こうした書法把握に使われたのでした。その後、ロッシーニは歌劇に、メンデルスゾーンは器楽に向うことになります。当盤は作品番号を隔てた5番を次にもってきていますが、これは実質的には第2交響曲。ドレスデン・アーメンがモチーフとして用いられることから標題が付いています。ユダヤからの改宗をはじめ、社会への順応はメンデルスゾーン一家の大きな課題でした。カトリックとプロテスタントという二つの軸。メンデルスゾーンのバッハ「マタイ受難曲」の蘇演が20歳。中からの対位法の摂取と、擬古典的な形の中に展開するのは、当時の先端の技法でした。バッハの音楽のうちに普遍的なものを見出した成果。これが交響曲を1、5番(実質的2番)とつなげている当盤の構成です。

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以下、第1交響曲はドホナーニ、マズアのものは弦楽のための交響曲


 ドホナーニ メンデルスゾーン交響曲第1番


 Mendelssohn: String Symphony No. 9 (Leipzig Gewandhaus Orchestra, Kurt Masur)
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ミンツ
プロコフィエフ/ヴァイオリン協奏曲第1番
こちらもアバドとミンツの共演。管弦楽はシカゴ交響楽団でした。プロコフィエフもアバドの重要なレパートリー。ブラームス以上に真価を発揮しています。

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 Mintz plays Prokofiev Concerto 1 (1/3)
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ブラームス
 87年録音。ミンツの独奏、アバド指揮のベルリン・フィル、ブラームスのヴァイオリン協奏曲の録音です。アバドがベルリン・フィルと交響曲録音に取り組んだのが88年~91年にかけてのものでした。それは「ハイドンの主題による変奏曲」、「悲劇的序曲」「大学祝典序曲」代表的な管弦楽曲(ほかハンガリー舞曲の管弦楽編)ほか、声楽曲をも含んだもので、交響曲録音だけなら2枚のディスクで収まるところをできるだけ網羅的に捉えた内容でした。ピアノ協奏曲の2番ではポリー二との再録音、詩人ヘルダーリンを主軸に据えての企画盤にブラームスの「運命の歌」、ハンガリー舞曲集に、若き日の2曲のセレナード。ヴァイオリン協奏曲も当盤の13年後のシャハムとの録音があり、この二者は独奏の線はやや細い。5年後のムローヴァとの共演は、コーガン直系の胆力といったものが示されたものでアバドの指揮は、共演者とともに音楽をつくっていくもので対応は変わるところです。当盤は、交響曲録音と続くベルリン・フィルとの一環。当時、ミンツはメンデルスゾーン80年、プロコフィエフ83年やなどのアバドとの共演があり、アバド以外にも多くの共演をこなし、室内楽の録音も続いていました。ベルリン・フィルは、カラヤンとの関係から、64年のフェラス、81年のムターなどの録音を生み出し、その交響的な響きを、ときに独奏楽器を伴った交響曲とされるブラームス的な協奏曲の考えを反映した曲に対応してきました。独奏楽器としては若きムターの録音時の方がより押し出しがあるのですが、ミンツ盤では、アバドのブラームス的な交響観が反映しています。それは、交響曲でいえば第2番などに適応を示す、呼吸を重視した柔和な表情と叙情性を持ち味にしています。
ミンツの独奏以上に、ブラームスが仕掛けた管弦楽パートが通常以上に表情あざやかに見えてきます。実際のところ、ヴァイオリンは管弦楽の中にも含まれる楽器であり、それを独奏楽器として用いるという協奏曲。創作の契機となったのがサラサーテの演奏であり、モデルとした協奏曲のうちにはベートーヴェンのものがあります。当初は4楽章という構想があり、のちに現在の形となりました。独奏パートへはヨアヒムの助言。作品は交響曲第1,2番が完成したあとになり、創作期としては好調な時期。作風にも陽光が差し、ニ長調でありながら、短調に向う傾向はあるものの3楽章にロマの音楽的な効果を挙げる楽章を置いています。柔への対応としてのアバド。2楽章はサラサーテが我慢ならないとした独奏登場までのオーボエや、管の表情も豊かで巧みです。カラヤンでは、カラヤンという個が完成品を為していたものが、アバドでは楽員の自発性といったものに還元され、結果、音楽も生きてくるもの。それは交響曲の全集の傾向にもつながります。その点、ミンツには優等生的で物足りなさもあるのですが、のちのシャハムの起用などと、アバドのうちにも、この協奏曲を構成する好みといったものがあったのかもしれません。

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 Mintz plays Brahms Concerto (1/5)
 Mintz plays Brahms Concerto (4/5)
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