昨日は、G1・両国大会(初日)でした。




私がデビューした1991年から始まった、G1クライマックス。


その第1回目が、両国国技館での三連戦だったので、今でも【G1】と聞くと、両国三連戦のイメージが強烈に残っています。




そんな三連戦の初日。


私は、自分のタッグマッチを終えて、テンザンのセコンドに就きました。


あくまでも“正式決定”ではありませんが「テンザン最後のG1」の、最後の公式戦となった試合。


相手はSANADA。


現在、アルファベット表記でSANADAというリングネームになってますが、もともと、真田聖也というリングネームでした。


そして、真田がプロレス界に入門したのが全日本プロレス(2006)で、当時、私は同じ団体の仲間として生活していました。


仲間どころか、私の身の回りの世話をしてくれる付き人として、巡業中はほぼ一緒に生活している関係。


当時まだ10代だった真田は、試合後の食事会に行ってもアルコールは飲めず、黙々と食事していました。


そんな懐かしい感慨もあったけど、この日はあくまでテンザンのセコンド。




テンザンの試合前、私の気持ちというか思いは、もう爆発寸前だった。


涙が出そうな気持ちだったり、叫びたくなるような気持ちだったり、とにかく表現しようのない複雑な思いしかなかった。




テンザンと一緒に入場した瞬間、耳をつんざく様な大テンザンコールが、二人の身体中に浴びせられました。


私は、とにかく爆発しそうな気持ちを抑えるのに必死で、少しでも平常心でいようと考えていた。




試合が始まり、ずっとテンザンだけを見つめました。


変な言い方だけど、1vs1で闘ってるのに、相手の真田は全く視界に入っていなくて、テンザンの動きだけしか見えていなかった。


多分、会場の皆様は気づいてないと思うけど、G1での公式戦でのテンザンは、試合中に何度も私にアイコンタクトを送っていた。


この日もそう。


テンザンのピンチに私が叫ぶと、必ずこちらに視線をくれて、うなずく。


私の声がテンザンに届いていると思えば思うほど、声が大きくなっていった。




そして、満身創痍なのに繰り出した、ムーンサルト。


私の顔を見ながらサポーターを外し繰り出した、ラリアット。


全身ボロボロの状態で繰り出した技は、語弊を恐れずにいえば、どれも不恰好だった。


でも、不恰好な技が私にとっては、これ以上ない最高のカッコいい技に見えた。




最後は真田の胴締めドラゴンスリーパー。


テンザン、G1完走。


クシャクシャの顔で、リングに一人で立ち、四方に礼をするテンザンを見ていたら、身体が勝手にリングに上がっていた。


私とリング上で抱擁。


本当は、こういう事(リングで抱擁)をしたくなかった。


経緯はともかく、テンザン一人で闘い抜いたG1だったし、私はあくまでもセコンドなのだから。


それでもテンザンは、私に対して「ごめんな」「ほんまにごめんな」を繰り返していた。


私は「素晴らしい試合をありがとうございました」と言いました。




二人でバックステージへ行く。


私は、溢れる涙を堪え切れない。


ただただ、テンザンに対して感謝の気持ちしかなかった。




私の拙い語彙力では巧く表現できなくて申し訳ないのですが…今書けるのはここまでなので、また改めて整理して書かせていただきます。






本日、両国国技館にて、18時30分ゴングです。