【古市佳央】オープンハートな世の中へ

世界一幸せな講演家 古市佳央のオフィシャルブログ
~温かい心を持った人で埋め尽くすために~


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みなさんこんにちは、11月19日と20日の被災地レポをお届けします。

今回の被災地支援は色々な想いが含まれていて、濃い支援活動となりそうだ。

まずは18日の23時に新田駅に優者5人が集まった。

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今回のメンバーは全員が数回被災地に行っている優者だ。

ピロコがお茶会で配るかりんとうを持ってきて見送ってくれる。

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さあ出発だ!

一つ問題です。これは何でしょう?

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いつも運転してくださる次元アニキです。

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今回の目的地の最初は陸前高田市です。

もう何度も通っている場所で、友人や顔見知りもたくさんいる場所だ。

そしてこの活動の最後に僕の人生に陸前高田市がとんでもない繋がりがあることを僕は知ってしまうことになる。

約8時間かけて陸前高田市へ到着。

今回はマイクロバスではないのでペースも早く余裕をもって到着。

9時に岩手の優者の、福士さんとヨッシーと合流する。

まずは、陸前高田市の広田半島へ移動し、民宿「志田」さんを訪れた。

何と、「志田」さんの横にはひまわりが、今何月だよと思いながらも命の強さに思わずパシャリ!

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今回は、元気に過ごしているのか顔を見に行くのが目的だった。

なぜこの民宿に強い想いがあるのは過去のブログを読んでほしい。

到着すると、娘さんの子供や妹さんのお子ちゃまたちが元気に迎えてくれた。

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おかみさんと旦那さんは仕入れに出かけているという。

今回、仮設住宅の集会所でやろうと思っている、エコ芳香剤の手作り体験の話をしたらとても興味を持ってくれてぜひやりたいという事になった。1時間以上後におかみさん夫婦が帰って来るというので先に違うところを回り、後に来ることにした。

次なる目的地は慈恩寺。ここも4月に訪れてからのご縁のある場所。

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到着すると住職が出てきてくれた。僕の顔を見ると驚いていた。

それもそのはず、住職は僕が以前訪れてから、アメブロを毎日見てくれていたのだ。

その僕が突然現れ驚いたというわけだ。

久しぶりの再会に話が弾む。

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一時は70人もの避難者を預かっていた慈恩寺は、唯一畳と布団のある場所だった。

住職はもらい物の毛布などを処分せずに何かの時に必要になるはずだと、積み上げ保管していたそうだ。

それが今回の震災の時にはとても役に立ち多くの人の寒さを軽減させてくれた。

しかし、今は布団が1枚もないのだそうだ。仮設住宅に移る人にすべてあげてしまったそうだ。

そんな心の優しい住職から「遥拝」という言葉を教えて頂いた。

震災などの災害があった時に現地に行けない人がいる、しかし遠く離れていても祈り拝むことが出来る。それを遥拝というのだという。

素敵な言葉です。

また仏教用語で「忘己利他」もうこりたのポスターが、慈恩寺に貼ってあった。

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これは、自分のことはあとにして人の幸せのために動きなさいということ。

お寺にはいろいろな教えがある。

また、住職は「津波てんでんこ」ということも教えてくれた。

それは、津波が来たらてんでんばらばらに高台へ逃げろということ。

過去の津波の経験からそれが伝わったそうだ。

とにかく命を残せということなのだ、みんなが命を落とすと村もなくなるという意味も含んでいるようだ。

今回の津波でも津波てんでんこの教えを守った人の多くは命が助かったそうだ。

家族を置いてでも逃げることが出来るのかという深い問いになる。

ホワイトボードには、ここでお世話になっていた子供達からのお礼の言葉がびっしり書いてあった。

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ありがとうを埋め尽くす位書いた子供の気持ちを考えてしまった。

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そして、この慈恩寺でAKIRAさんとのオペラも決定した。

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多くの人に見てもらい生きる希望を持ってもらいたいと思う。

入口には狸の置物が二つも・・・

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表にはゆずの樹にゆずが生っていた。

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慈恩寺さんにまた来ることを伝え、民宿「志田」さんに戻る。

今日は久々に物資が届くそうでたくさんの人が「志田」さんの前に集まってくる。

この物資は処分される物資を捨てるくらいなら欲しい人に届けたいという事で届けられた物資だ。

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あっという間に無くなっていく、こうして手元に届かない物資を運んでくれる人もとても重要なのだろう。

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さて、子供たちも集まっているのでエコ芳香剤つくりの始まりだ。

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今回この手作り芳香剤を企画してくれたのは介護職のちあきちゃん。

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ケーキやアイスに入っている保冷剤を瓶に入れ、アロマオイルをかけて匂いをつける。さらに絵具で色を付け最後は装飾する。

子供たちも、岩手の福士さんも夢中になっている。

大人の僕はつまはじきなのですねてみた。

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大人は別の時間を楽しもう。

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さあ完成だ。

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素敵な作品がたくさん出来てみんな喜んでくれた。

志田さんのおかみさんは4月に来たときはまだ大変な時期で、眠れぬ日々が続いたそうだ。

今日は素敵な笑顔が戻っていた事に、僕は時間が経った事を感じていた。

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物資を運んでくれた方達と地元の方々。

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そして、オープンハートの優者と志田さんファミリーでパシャ!

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取れたてのタコまで頂いちゃいました。

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今度は泊まりに来ると約束して後にした。

さあ、次の目的地は陸前高田市の高田第一中学校の仮設住宅の集会所だ。

高田第一中学校の僕の友人の千秋さんに連絡を取り、向かう前に中華料理に寄ることを伝え45線沿いに仮設で営業を始めた「四海楼」のラーメンがおいしいということで訪れた。

千秋さんの先輩がやっている店のようで席を確保してくれていた。日頃行列ができる人気店。

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僕は五目ラーメンをチョイス。他にもおいしそうなメニューがたくさん。

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最初に来てから7か月が経ち、あのひどかった場所でラーメンが食べれていることにうれしい気持ちになった。

最近僕の周りは ちあき だらけ。沖縄の千明さんが手編みのマフラーを届けてくれ、高田の千秋さんにプレゼントした。最高の笑顔でパシャ!

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一緒に同行したちあきちゃんが持ってきてくれた高齢者用の婦人服が大人気。

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お茶会が始まり、おしんこやお茶、お菓子が並べられて皆さんとお話をする。

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高齢者の方に芳香剤づくりが受けるのかもわからなかったが、次々と集まりみんな真剣に作り始めた。

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うれしかったなー。

真剣に作りおばあちゃんが終わった後に笑顔で言ってくれた言葉

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「津波の事を忘れられる時間だったよ、ありがとう」

って言ってくれました。

楽しい時間を持つことは悩んでいる時間を消すこと。

その積み重ねが心を塗り替えてくれる。

続けて行く理由の一つでもある。

おしんこの残りを僕がむさぼりつく。撮らないでー。

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そして僕の芸術的な作品をお見せしよう。

テーマは「地球」

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あっという間に夜になり、千秋さんのお知り合いの方が電気屋をオープンしたので顔を出すことに。

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小林さんは、僕がお茶屋さんをやりたくて場所を探しているときに口をきいてくれた方なのである。

人がつながっていく、可能性は無限です。


さあ、今日の宿は鈴木旅館。旅館は素泊まりで激安、食事は千秋さんの職場から刺身とオードブルを仕入れ、お酒を買い夜の宴へ。

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このお酒はとてもおいしい岩手産。

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いったいこの人はどこのお殿様?

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千秋さんを含めこれからの岩手についてもみんなで語った。


20日
今日はとても特別な日だ。

僕の叔母の友人で和ちゃんという人がいる。

今回は和ちゃんを探す旅でもあった。

経緯を説明します。

和ちゃんは岩手の大船渡に住んでいてご両親は旅館を経営していた。

和ちゃんが20代の頃東京に和裁の勉強に来ていたころに叔母と出逢い友人になる。僕の母や祖母も仲良くしていたそうだ。

僕が3歳から4歳の頃、和ちゃんによく遊んでもらったそうだ。

昔の写真を見せてもらった事もあるがほとんど記憶には無い。

和ちゃんの両親は、僕の両親とも交流があった。

そして一度岩手に遊びに行っていた事もよく聞かされていた。

僕の人生で初の岩手がその旅行だったのです。

その和ちゃんは岩手に戻り結婚をして、宮城県の本吉町に移り住んだそうだ。

厳しい家庭に嫁いだこともあり、全く外部と連絡が取れなくなったことを和ちゃんのご両親から僕の母や叔母は聞いていたそうだ。

今回の震災が起こり、大船渡にあった旅館は流され、和ちゃんのご両親が亡くなったことは叔母が新聞で確認していた。

叔母からは和ちゃんの行方が分からないと聞いていたが何の手がかりもなかった。

僕の母からは和ちゃんは気仙沼というところに住んでいたらしいよと聞かされていた。でもそれだけでは探せないだろうと思っていた僕がいた。

先日、母のアナログなアドレス帳を見ていると、岩手の大船渡の住所があり、「これは誰?」と聞いてみた。

すると和ちゃんの親だとわかった。そして母は、「亡くなったそうよ、津波で流されて」と静かに答える。

さらに、めくっていくとK野和子さんの名前がある。本吉町?と書いてある。

「これは誰?」と僕が聞くと『和ちゃんよ』って母が言う。

「生きているのかなー?」と聞き返すと、『わからない』と母が答えた。

叔母も連絡を取りたがっているが、新聞などにも死亡者の欄に名前が出てきていない事からわずかな可能性を祈っているそうだ。

ふとインターネットでK野和子と入れてみた。すると、ツイッターで名前が出ている事がわかり、さらに検索を進めていくと3月13日にケーウェーブという避難所にいたことが分かった。

しかし、同姓同名の可能性もあったり、例え逢ったとしても元気でいる保証もない。

調べていくと本吉町という住所は気仙沼市に合併していた。

しかし、もう11月。3月の避難所にいた記録から探せるのだろうか?ましてや本人かもわからずに。

でも、探してみることを決めた。

岩手の福士さんに相談し、気仙沼の市役所と、当時いた避難所のケーウェーブに先に下調べをしてくれることになった。

ありがたい。

結果は市役所では何の手がかりもつかめず、ケーウェーブでは、居たことが分かったが、行先はわからない。しかし、施設の人から宮城県塩釜市に行っている事を聞いてきてくれた。

少ない手がかりから今回の人探しの旅が始まった。

朝を迎え、気仙沼の市役所から探していこうと思っていた。

すると朝のミーティング中に「今日日曜日だよね?」

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という絶望的な言葉が飛んできた。

そうだ、今日は日曜日だった。

真っ白になった。

しかし、すぐに頭を切り替え、元々住んでいた場所に行ってみて近所の人たちがいたら行先を知っているかもしれない。そこで聞き込みをしようと考えた。

気仙沼に向かった。

陸前高田から気仙沼に向かう途中に高田松原の一本だけ残った松が見える。

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奥は海水浴場だった、手前も観光地だったが今は陥没して一本松だけが希望を残している。

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仮設のスタンドがあり、その脇からも希望の松が見えた。

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住所地に到着すると、さらなる絶望が襲った。

崩壊した街並み、まだ整備されず泥くさいにおいのする静かな町がそこにあった。

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ひどい、心が痛んだ。

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聞き込みはあきらめ、以前居たとされるケーウェーブという避難所だった施設に向かうことにした。


今回、逢えるかどうか分からなかったが、叔母に和ちゃんに逢えたときに手紙を渡したくて事前に書いてもらっていた手紙を見ながら祈りを込める。

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絶対逢える!必要なら逢える!


ケーウェーブに到着すると、なんとまだ数人の避難者が暮らしていた。

そこで聞いて見たがわからなかった。

何せ、当時は1000人くらい非難者が居たそうだ。

受付の方に最後の神頼みで聞いてみた。

身内でもなんでもない僕が、怪しまれないだろうか?

不安もよぎるが、つてが無くなってしまうのが怖かった。

事情を話し、叔母の手紙を見せながら説明した。

しかし、帰ってきた言葉は、個人情報は教えることが出来ないという事だった。。。

その女性しっかり調べてもいないのに。

予想の範囲内の言葉だが、悔しかった。

ならば、持ってきた手紙を送る方法がないかと聞いてみる。

この手紙を渡したいんだ、送って頂けませんかと頼んだ。

すると、女性は和ちゃんの事を調べ始めた。

「確かにここにいました」それだけだった。

僕は、事前に福士さんに調べてもらっていた塩釜市の話を切り出した。

和子さんは塩釜市に行っていることはわかっているのですが、塩釜市役所に行っても教えてくれないですよね?と

すると、受付の女性は少し考えたのち、

「わかりました、塩釜市までわかっているのなら、お教えします」

と言ってくれたのです。

最高にうれしかった!想い通じたよ。

早速、塩釜市に向かった。

本当に今そこに住んでいるのか?

行って、逢えたとしても本人かどうかの確認もある。

不安と期待が心を揺さぶった。

1時間半かけて住所地に到着した。

一軒家の前に車が止まっていた。

表札を見ることもなく、僕ははやる気持ちでインターホンを押していた。

「はーい」

女性二人の声が聞こええた。

扉が少し開き、不安そうに僕を見る白髪交じりの女性。

僕は『K野和子さんですか?』と尋ねた

すると「はい」という返事が返ってきた。

僕は興奮し、叔母の手紙を握りながら叔母の名前を伝えた。

すると、和ちゃんは扉を開け興奮するように

「もしかしてよしおちゃん?」「よしおちゃん?」

って僕の名前を呼んだのです。

36年ぶりぐらいの再会なのに、しかも僕はやけどをして昔の面影がないのに、なんで?

和ちゃんは 「週刊誌やテレビで見たのよー、大変だったねー」

って僕の手をぎゅっと握り興奮して話している。

僕はもう涙が止まらなくて、言葉でなかった。

「ありがとう」「ありがとう、よく来てくれたね」ってずっと言ってくれた。

「あがってー、話したいから」と言われ、お邪魔することに。

娘さんが小さなお子さんを連れていた。娘さんは、お母さんがこんな興奮している姿見たことないって言っていたのだ。

和ちゃんは、叔母にもずっと連絡が取れず連絡を取りたかったそうだ。

そして、津波の時は黒い津波がすぐそこまできていて。2,3分後には自分のいた場所が呑まれたそうだ。

まさに危機一髪だった。

こうして生きて出逢えたことも奇跡なんだ。

そして、和ちゃんと話していると、僕が幼少のころに岩手に遊びに来た時の話になった。

先ほど通ってきた陸前高田市の一本松の奥の海水浴場に和ちゃんの家族と一緒に海水浴に行ったのだそうだ。

とてもきれいな海岸だったそうだ。

今は松一本だけになり、海水浴場もなくなり、地盤沈下で無残な姿になってしまった。

僕が行き続けている一本松の陸前高田市。

和ちゃんと叔母との出逢いから、家族で岩手へ訪れていて海水浴をしていた事、和ちゃん親子と一緒に来ていた事。

僕の記憶の奥には、岩手の陸前高田での海水浴はきっと残っている。

震災が起こった後も懐かしい場所に引き戻されるかのように陸前高田市にたどり着いたこと。

僕の人生には欠かすことのできない岩手県とのつながり。

それが、今明かされた。

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これからも古里に帰るような気持ちでこの土地を訪れるのだろう。

そして、この先の岩手県をしっかりと見て行きたい。

そう思う。


分かれ惜しいが、叔母の電話番号を伝え和ちゃんのお宅を後にした。


いつも、僕とお供してくれる最高の優者に感謝です。

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このあほたちが日本を救っていくのだと確信する。

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早速この日の夜、和ちゃんが叔母のところに電話して話に花が咲いたそうだ。

良かった。

本当に良かった!
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