Eye of the God ~神の眼~

現代における預言の言葉。黙示。
現代の常識、価値観では幸せになれない人たちへ。
新時代に合うものの考え方を紹介していきます。
あまりにも常識と違うので、戸惑われることでしょう。
でも、キリストはかつてこう言いました。
『耳のあるものは聞くがよい』。


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Q.

 

 国際問題、政治問題。環境問題。

 これらの問題をどうとらえ、どう行動していくことが新時代の価値観に合うのでしょう?

 例えばテラさんは、政治問題に関してはどのようなスタンスを持っておられるのでしょうか?



A.どうでもいいと思っています。関心があるのは、自分の喜びだけです。


 

 今回の話題は、これまでの記事にも増してデリケートな話題である。

 ホンネを書く私の姿勢は一貫しているので、今回も包み隠さず書くがー

 取りようによっては、私が 「とんでもないやつ」 に思えるかもしれない。

 言葉というのは不便なもので、本当に言いたいニュアンスを伝えることは難しい。

 それでも、折角質問をいただいたので、あえて挑んでみることにする。

 

 

 今日の問題を論じる前に、ひとつの大前提を掲げておきたい。

 そのためには、過去記事が参考になる。

 お時間のあるかたは、下のリンクから過去記事をお読みいただきたい。


 『あなたがいなければ…』 (5月24日過去記事)


 この記事の言いたいことをまとめると、こういうことである。



  宇宙の中心はあなたで、あなたがすべてを創造している。

 あなたが認識しないものは存在しない。

 あなたが今見ていないもの (あるいは心に描いていないもの)は存在しない。

 あなたが目を向けた瞬間、そこにすべてが創造される。

 あなたが目を離した瞬間、そこにあったものは消える。


 

 ちょっと、量子物理学的な話である。

 あなたが意識を向けていないものは、存在していない。

 逆に、あなたが関心をもって意識を向けたものは、瞬時に創造される。

 常識では、逆だ。

 あなたは、飛行機に乗って海を越えればそこにアメリカがあると思っている。

 今そこにいないし見ていないというだけで、そんなことに関係なく変わらず存在している、と思い込んでいる。

 実は、あなたがアメリカにもいないで、心にも意識していない時、アメリカは存在していない。

 そういうことを言うと、こう反論してくる人がいるだろう。

 アメリカがない、だって?バカな?

 そこでその人は、飛行機のチケットを手配し、手間暇かけてアメリカの地を踏む。

 で、「ホラ、あるじゃないか!」 という。

 でも、実際はー



 宇宙の王であるその人が 「アメリカはある!」 という意識でそこに向かおうと欲するのでー

 そのために必要な手段、人、道、空、飛行機がどんどん創造されー

 ついにはアメリカまで創造され、その地を踏むことになる。



 そういう現象でしかない。

 ちょうど、何もない空間に足を踏み出すそばから、地面がどんどん出現してその人を支える感じ。

 それを超高速早送りで体験しているので、全てが止まっていて最初からそこにあるように見える。

 でも三次元ゲームどっぷりの人は、学習してしまった思い込みから、こう考えてしまう。

 この世界が大昔にできて、長い歴史が流れてきて、私は何十億今いる中のたった一人に過ぎず、この世界からしたら吹けば飛ぶような小さな存在でしかない。

 私が日本でどうしていようが、世界は常にそこにあり、いろいろなドラマが繰り広げられている。

 私が駅に行かなくても、見ていなくても駅はいつものあの場所に変わりなくある、と信じている。



 この常識を捨てた私ですら思うのであるが、皆さんがこの考え捨てるのはかなり勇気がいると思う。

 ムリはしなくていい。

 すべてはあるがままにあり、完全。

 あなたが喜びを求めて生きているのであれば、それでいい。あとの物事は、勝手についてくる。



 そういうことを押さえた上で、この三次元ゲームの中で耳に入ってくる厄介な問題ー

 政治経済・国際情勢などの問題について考えてみよう。

 私たちが意識を向けるものが、力を持って存在するようになる。これをさっき学んだ。

 同じことが、この世で起こる、ニュースで伝わってくるような事件に関しても、言える。



 私たちが悲惨なニュースを聞いて、「まぁ、可哀想!」 と思う時。

 そのかわいそうな人たちが、創造される。

 原発問題のニュースを聞いて、「これは大問題だ!立ち上がらねば!」 と思う時。

 あなたは、その問題にかえって力を与え、現実化する手助けをしている。


 

 さぁ、ここが誤解を生む最大の難関だ。

 私が意識を向けていない時。世界のどんな問題も事件も被害者も、存在していない。

 意識を向けるから、関心を持つから、その対象はどんどん命を吹き込まれる。

 究極的にはそれが命を持ち、無視できない圧倒的存在感をもって、立ちはだかるようになる。



 例えば、原発問題。

 脱原発、反原発って表明するするほうが、世間的に受けがいい世界がある。

 もちろんポーズだけでなく、心から本気でその考え方を生きている人がほとんどだと思うが。

 スピの先生方の中にも、はっきり自分の立場を表明される人がいる。

 (ほとんどは脱原発だろう)

 じゃあ私テラはどうか?

 体裁のいい言葉を使えば、中立である。

 ぶっちゃけた、過激な言葉を使うとー



 どうでもいい。



 …ということになる。

 でもこれは、世界が無茶苦茶になってもいいとか、日本が滅んでしまえとか思って言っているわけではない。

 私が自分の使命に忠実に生きる上で、このことで私に出来ることはほとんどない、ということ。

 私の宇宙において、そんなことに構っているヒマはないのだ、ということである。

 これって、問題発言?

 私の言葉に引っかかる人は、次のような思考の罠に囚われている。



 ①私の外に、「問題」 というものが存在し、それは放っておけば脅威になる。

 ②私とは関係ない遠い世界の話であっても、いつか必ず何らかの形で私の身に降りかかってくる。 

 ③だから、自分の喜びに時間を使うことは後回しにしてでも、その脅威と戦うために立ち上がるべきだ。

 ④それに関わらない者は、無責任である。



 これは、全部常識とか、教育を通して染み付いてきた倫理道徳観、偽の責任感に縛られたウソである。

 新時代の常識では、こうである。



 ①宇宙には、私しかない。すべてはあるがままで完全であり、外には問題などない。

 ②ただ、問題と認識されるような幻想がリアルに 「放映されている」 だけである。

 ③あなたがそれを自分の人生に取り込みさえしなければ、それは力の供給を失い、やがて消えてゆく。

 ④すべてあなたが外に見る問題は、あなたの内面世界の反映である。

 ⑤ゆえに、スクリーンと格闘するよりも早いのは、私の意識を変えることである。

 ⑥自分の使命と、それを果たす喜びにさえ忠実なら、他は一切構わないでよい。



 あなたが例えば、事件に巻き込まれた本人、親族、友人だった場合。

 それは、あなたが負ったカルマであろうし、それと向き合うことは避けられない。

 むしろ、必要だろう。

 あなたは、それに向き合う 「使命」 を与えられているのだ。

 例えば、その人が政治家として生きる使命 (カルマも含め) を持っていたらー

 政治問題や原発問題に関わらざるを得ない。

 でも、そこで命を燃やして活動することが、喜びかもしれない。

 そうであった場合のみ、幻想と格闘することに意味がある。



 でも、あなたがゼンゼン問題とは遠く離れたところにいて、ですよ。

 あなたにできることは、ほとんどないのにですよ。

 ああ、これは大変!などと言って現地へ飛んで。

 運動して。

 一見、とってもいいことのようですがー

 強迫観念から、自分を守ろうとしているだけ。

 その問題が巡り巡って自分を脅かす危険がある、と決めてしまっている。

 あなたが意識を向けなければ、大してあなたの人生に登場しなかったはずのことがー

 あなたがムキになって怖がり、何とかしようしようとすることで、しなくていい体験をし、現実化しなくていい問題を現実化してしまう、というような皮肉な結果を招いてしまう。



 例えば原発問題を、幻想としてまったく相手にするな、と言っているのではない。

 そこにカルマが関わってくる人物は、その清算のためにも、愛をもって向き合っていくことが必要である。

 でも、そこに本来の使命がない者まで、世間的な価値観である 「問題意識を持って生きなきゃ。自分も、責任感じなくっちゃ。でなければ、私無責任になっちゃう!」 と考えて、過度に首を突っ込もうとしてしまう。

 デモにでも参加して、何とかしなくちゃ!と思う。

 私は、人が何かの行為をする時に、そこに喜びや使命感を感じることができるというのなら、何をしたっていいし、自由だと思う。

 ただ、「こうしないといいけない」 とか、「こうしとかないと私はこの世界でエラいことになる」 という恐怖や、実際そうすることに何の楽しみもやりがいも見出せないのに 「こうするべきだから」 という義務感で動くことが、時間のムダ使いだと言いたいのだ。



 すべての物事の価値は中立である。

 別に、自分の政治的立場をはっきりさせたっていい。

 それはいいこととか悪いこととか、そういう次元で考えちゃいけない。

 立場をはっきりさせるのが 「楽しいか」 「ワクワクするかどうか」 である。

 要は、好き嫌いの世界である。

 私は中立と言ったが、それは 「立場をはっきりさせることに意義を見出さない」 からである。

 楽しくも何ともないからである。

 立場をはっきりさせる先生、そんなもんどうでもいいという私テラ。

 どちらが正しくてどちらが間違い、とかどちらが素晴らしい、とかいうのはない。



 どんな立場も、その人が喜びから、自己責任の上で選んでいるなら最高



 なのである。優劣も上下も高低もない。

 あえて、よろしくないものがあるとしたらー

 それは、ホンネとちぐはぐした行為である。

 いいことだ、と周囲から言われることをやろうとして、本来もっと自分が時間を使いたかった、情熱を傾けることのできる内容を犠牲にするような行為である。

 また、本当はやりたくないことなのに 「これは自分が本当はやりたいことなんだ」 と、自分に対して無理に思い込ませようとする行為。

 例えば、親から家業を継げ、と言われ、本当はもっとやりたいことがあるのに人情に負け、「これが、自分には一番いいんだ。これでよかったんだ!」 と思い込もうとする行為もそのひとつだ。

 


 皆、恐怖に負けてキーキー言い過ぎだ。

 目を、覚ましなさい。

 あなたは神である。

 この世界は、あなたのホンネを、他者という役者 (登場人物) に投影して映写している映画だ。

 あなたの見ているのは、映画という幻想である。

 スクリーンと格闘するのをやめなさい。

 現実と格闘して、何かを勝ち取れることはあるかもしれない。

 でもそれは、スクリーンとケンカをしてスクリーンの一部を破り取っただけ。

 その部分はくっきり映像が映らなくなるから、問題がなくなったと錯覚してしまう。

 スクリーンに映し出すもとのデーターはあなたの中なのだから、映像と取っ組み合って何とかできたように思っても、依然としてあなたの中のデータは変わらないから、何の解決にもなっていない。破れていないスクリーンをまた用意すれば、前と同じものがまたそこに映る。



 宇宙の王はあなたである。

 しかし、あなたが 「自分を脅かすもの、殺したり傷つけたりすることのできる力が外にある」 と思い込んでいるなら、その座を放棄しているようなものである。

 何度も言うが、全部自分が生み出している。

 総理も官僚も。民主党の面々も、橋下徹氏もー

 あなたが生み出している。

 (本当のその人は 「本当のその人」 を味わっているが、他人は 「自分の宇宙観から、自分の見たいようにその人を見ている」 ので、そういう意味で 「他人を創造している」 とあえて表現している。)

 だから、それらの人を受け入れられない、と思う時。腹が立つ時。

 それは自分なんだ、と思おう。

 そこで、本当の解決は、だからといって政治運動にさらに入れ込んだりすることではない、と知ろう。

 (ただし、使命やカルマの働きによりその渦中で生きるべく定められている者は別)

 外側を変えるより、自分の内側を変えることが大事だったのだ、と見抜こう。

 もちろん、心の世界の中だけに終始して、手足をまったく動かすな、行動を一切するなということではない。

 ただ、内的な土台基礎なしで、上に高く積み上げようとしても、そのうち崩れるだけですよ、ということ。



 この世界において、何かの問題を解決しよう!という運動なり反対なりのほとんどは、恐怖が正体である。

 恐怖こそ、黒幕である。

 要するに、自分が何者かに傷つけられる、という笑える思想である。

 まぁ、マジにこの世の縛りがしっかり入っている人には、こういうこと言うとつまづかれるんだろうなぁ。

 そういう意味では、覚醒っていいかも。



 覚醒者とは、ある意味外部に敵も問題もないと悟った人のことである。

 だから、何も怖くない。

 怖くないから、相手にしない。

 覚醒者が何かするとしたら、それは喜びを動機として以外あり得ない。

 解決しなければならない問題、したくないけどやらないと困ることがなくなるから。



 以下の言葉は慎重に聞いて欲しい。

 誤解されやすいから。

 死などないんですよ。

 私たちは永遠なんですよ。

 ゲームキャラが死んでも、どうってことないんですよ。

 (もちろん、死なないに越したことはないですよ)

 本心の声に従い、喜びに従って生きること以外しなくていいんですよ。

 そうして生きていく上で起こってくることは、あるがままを受け入れればいいんですよ。


 

 それで惑星のひとつやふたつ吹っ飛んでも、別にどうってことない。



 と、ここまで腹をくくれば、怖いものはない。

 だから、テラは原発が怖くない。

 恐怖におののいて、私も何かせねば!とはならない。

 それは、何かをしたくない、ということではない。

 私は私で、もっとやるべきことがあるから、それをするのだ。



 使命と喜びに生ききれば、それ以外のことは放っておいてもうまく回りだす。



 皆さん。

 自分が何かしたって限界があることで気を揉んでも、仕方ないじゃないですか。

 そんなもん、ほっときましょうよ。

 もちろん、何かの機会にちょっとした募金をするとか署名をするとか、ゼンゼン構いません。

 (共生共栄を願う心で。決して、相手が可哀想で弱くて助けてあげないといけないから、というのは×)

 それ以上のことは、自分がもっと何かすることに使命や喜びを感じる人じゃないのなら、そっとしておいて。

 私は、ブログにて発信をすることが生きる喜びだから、それをすることで私の宇宙を喜びに変えていけるから、力を入れている。その時間を削って、原発反対のデモに行こうとか、思わない。

 それは、他の魂の役目。

 人によっては言いにくいことを、はっきり言おう。



 私は政治には関心がない。



 もう、ゼンゼン。

 好きにしてください。

 私が宇宙の王なんで。

 私が、私の認識し得る生活範囲において、喜びを追求していけるなら。

 私も栄え、私に関わる人も栄えていくように生きるならー

 それがそのまま、私の宇宙が栄えていく原動力となる。

 私に向いていないこと、担当でない部分に関しては、宇宙が勝手にうまくやってくれる。

 そんな部分までコントロールしようとしたら、疲れる。

 


 私の知らないところで何が起こっているか、分かったものではない。

 だから、私は世界の情報をできるだけ知る必要があるー。

 そう考えている人は少なくない。

 だから皆、しゃかりきに世界で何が起こっているか知ろうとする。

 


 愚かな行為である。

 あなたは、自分から知ろうとすることで、自分の世界に存在する問題を増やしている。

 実は、あなたは宇宙のすべての情報をもった空意識。

 だから、すべての情報がある中で、あなたが意識の光を当てた部分が現実として浮き出る。

 つまり、何かを知ろうとすることは、もともと知っている内容に光を当てて確認する行為である。

 同じ引き出すなら。同じ光を当てるならー

 楽しい情報、自分をワクワクと情熱に導く情報のほうが、よくありませんか?

 世の中、知らないでいい、ということはあるのだ。

 知らなければ、その人の宇宙にその問題は存在できないのだから。



 この三次元の世界は、時間性というものの縛りを受けている。

 現在、意志でもって固く決意していることが、少し後の未来に反映されるようになっている。

 今の心の状態と、それを反映した現実の引き寄せとの間には、時間差があるのだ。

 人は、明日を、来月を、来年を心配する。

 しかし、そんな必要はないのだ。

 今の心の状態が、ズレて後の未来を創ることになるならー



 今ここが平安であり、喜びで在り続けるならばー

 未来をまったく心配する必要がない。



 だから私は、明日を心配しない。

 今という瞬間を常に、揺るぎない心で楽しめている確信があるから。



 では、本日のまとめに入ろう。


 

 ①あなたが相手をして構う対象が、力を得て現実味を帯びてくる。

 ②外部の問題に関して、恐怖を動機として解決する動きに出ると、かえって本質的解決とは逆行する。

 ③国際問題、政治問題、環境問題は大変な問題に見えるが、実はあなたの意識の産物である。

 ④その意識の方に取り組まないでスクリーン上の映画と戦うなど、ドン・キホーテもいいところである。

 ⑤政治的立場の表明は、好き嫌いの問題。

 ⑥こう表明した人が立派だとか、どっちでもないのはいい加減ということはない。

 ⑦あなたが神であり、問題など存在しない。ゆえに問題が命をもって暴れだすかどうかは、あなた次第。

 ⑧問題に関わるゲーム設定 (カルマ) の者もいる。彼らが使命感と情熱をもって取り組む分にはよい。

 ⑨使命と喜びの追求が別のことにある者まで、誤った責任感や恐怖から問題に立ち向かうべきではない。

 ⑩あなたが、世界の情報を知ろうとすればするほど、問題を増やすことになる。

 ⑪あなたが知らない問題は、あなたの宇宙では力を振るえない。知らないでいいことというのは、ある。

 ⑫空意識はすべての情報を持ち、その一部に意識の光を当てて確認する行為をゲームキャラはしている。

 ⑬同じ光を当てるなら、あなたがワクワクし、喜べる情報のほうがいいのではありませんか?



 前回の記事で、書きましたね。



 与えられた条件の中で全力を尽くす姿が美しい。

 


 世界情勢や、政治的問題をまったく意識するな、と言いたいのではない。

 あなたが、そういったものに取り組むことに心からの喜びを感じる者ならよい。

 でも、今のあなたに家族があって。大事な友人がいて。

 情熱をもって打ち込める仕事や趣味があるのなら。

 それをこそ、一番にやってください。一番優先的に大事にしてください。

 休日の家族サービスほったらかしで、プラカード持ってデモに出るなんてやめてください。

 (しつこいですが、喜びだったらやってください。家族もそれが喜びなら、なおよいですが)

 外部の世界に見せられる問題を恐れることが本望なら、快感なら、止めません。

 どうぞ、お好きなだけ怖がって、必死でもがいて生きてください。

 何度も言いますが、喜び以外の動機で何やってもムダです。

 たとえそれが世間的には 「正しい」 と言われて評価されている行為でも、です。



 あなたは、あなたにできる喜びにつながる行為を、

 とことん追求するだけでいいのですー

 あとは、あなたが信頼する宇宙自身が解決するでしょう。

 

 

 

Eye of the God ~神の眼~-wor2




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