演劇をやっていたことで、就活に成功 | 藤村正宏のエクスマブログ

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今日はいい天気でした。

寒かったけどね。

夕方のベランダから、富士山のシルエットが見えて、それがとってもきれいでした。

今日は一日、自分の部屋で、依頼されていた原稿を書いていました。

その合間に、最近人気のブログ記事「藤村正宏自伝」を書いたよ。


シルエットになった富士山
シルエットの富士山がきれいでした


「それじゃ、とりあえず、履歴書と、なんでもいいから作品を、上原宛に送ってください」


週刊就職情報で知った「株式会社 京屋」に電話したら、経験者しか面接しないって言われ、でも粘ってこう言ってもらった。
そこまで昨日は書きました。
大学を出ても、仕事もせずにぶらぶらしていて、ディスプレイデザイナーに応募した時の話です。


ボクは始めて履歴書を買ってきて、書き込みました。
丁寧に書いたのですが、「志望動機」の欄に書いていると、そのスペースだけには、書ききれなくなってきました。
そこで志望動機欄の最後に「別紙につづく」としました。
そして、A4の便箋につづきを書きました。
伊勢丹のマツダミツヒロさんのディスプレイを見た時に、これは演劇と一緒だと思って感動したこと。
演劇というのは、文学、美術、音楽、さまざまな芸術の要素を内包している、綜合芸術だということ。
そして、ディスプレイも同じ総合芸術だと。
そして、その仕事はボクがやってきた演劇がとっても役立つ。
そういうことを、情熱的に書きました。


次に作品。
作品なんて言っても、芝居しかしていないので、舞台美術の図面を描いた。
そして、そこにたくさんの解説。
他に舞台の写真。
特に舞台美術がよく見える、そういう写真を選びました。


そのセットを京屋の上原さん宛てに送ったのです。
届いたかどうかちょっと不安でした。
見てくれたら、きっとボクに興味をもってくれるはず。
そう信じて待っていました。
数日後、電報が届いた。
電報が連絡手段だったんだね。(笑)
当時は通常の手紙やはがき、他には電報しかなかった。
その電報には、電話をしてくれということが書いてありました。
ボクはすぐに公衆電話に走って、京屋に電話をしたのです。
すると、上原さんという男性が、面接に来るようにということ。
やった!
経験者しか採用しないのに、面接にこぎつけた。
というわけで、リクルートスーツを着て、面接に行ったのです。


京屋の東京本社は表参道の交差点の近くにありました。
表参道なんていうのは、ボクたちにとってはちょっと近づきがたい街です。
学生時代から、ほとんど行かなかった。
そのおしゃれな街に、おしゃれなビルが建っていました。
角砂糖のようなデザイン。
ホワイトキューブっていっていた、京屋東京本社ビル。
今はもうありませんが、当時はまだ新しく、すごく格好よかった。


ボクはガチガチに緊張して、面接を受けました。
相手は二人。
ひとりは上原さん。
デザイン部VP課の課長。
もう一人はデザイン部の部長。
上原さんはラテン系のイメージだった。
口髭があって、薄い色のついたレイバンのサングラスみたいなのをかけていた。
藤 竜也っていう俳優が人気だったんだけど、あの人のイメージ。
ふたりとも怖そうな感じだった。


部長がボクにいろいろ質問してきた。
業界のこと、ファッションのことなどなど・・・。
ボクはまったく答えられなかった。
だって、そんな業界もファッションのことも詳しくないから。
あろうことか、その時まで京屋っていう会社が、マネキンメーカーだってことすら、知らなかったんです。
デザインの会社だと思っていた。
今みたいにインターネットがないから、調べるにも大変だったんだね。
部長はあきれた顏でボクに言いました。
「君ね、この業界に就職したいなら、少しは調べてきたほうがいいよ」
が~ん!!
もうダメだ・・・
しょぼん、としたときです。
今までボクの提出した書類をずっと見ていた藤竜也。
上原課長が、言いました。
「お父さんが画家なんだね」
「はい」
「芝居やっていたんだ」
「はい」
「確かにそうだよな。ディスプレイは綜合芸術なんだよな」そうつぶやいた。
「そうです!演劇とものすごく近いと思うんですよ」
ボクはそれから、演劇の素晴らしさ、伊勢丹のザ・ステージのマツダミツヒロさんのディスプレイ。
現代美術のことを、雪崩のように一気に話した。
「面白いね、君は」と上原さんが言った。
「君ね、絵は描ける?」
「はい」
「図面は?」
「図面・・・?」
上原さんは目の前のテーブルを指して言いました。
「たとえば、このテーブルをまったくないところから作るとする。それを作ってもらう工場に発注するための図面」
「たぶん書けると思います」
「そうか、じゃ、1週間後、絵を描いて、もう一度おいで。なんでもいいから絵を描いて」
そんな感じでボクは1次面接をなんとかクリアしたのです。
そして上原さんが言うように、絵を描いて翌週また面接に行きました。
たぶん、エアブラシというのを使って、けっこう時間をかけた広告に使えそうな絵を、何枚か描いていった。
今度は面接官が上原さんだけでした。
それもクリアして、3次、4次と面接が続きました。


4回目に行った時です。
「じゃ、今度はディスプレイのプランを立案してきて。そうだな・・・、婦人服専門店の10坪のショーウィンドウのディスプレイプランを考えてきて。テーマはクリスマス」
ボクが最初に羽田空港で彼女に「週刊就職情報」を見せてもらってから、もうすでに1ヶ月以上たっていました。
そろそろ10月も終わりに近かったと思う。
ボクは家に帰って、その架空の婦人服ブティックのディスプレイプランの作成を始めた。

まず、10坪の謎。
今では当たり前だけど、そんな単位は知らなかった。
畳2枚で1坪っていうのを知ったのもその時だった。
次に婦人服。
何が流行しているのかがわからなかったので、当時人気だった雑誌「アンアン」や「JJ」を本屋さんで買ってきて、そこに出ている冬物の服を絵に描いた。
そして演出。
照明を考えた。
商品に当てるスポットライト、ショーウインドウの背景の色を変える照明ホリゾントライト、商品を下から照らす照明。
そして音楽。
ショーウィンドウの外にスピーカーをつけ音楽を流し、それと照明の調光を合わせる。
そういうプランを3作品もっていきました。


この5回目の面接が最後でした。
見事、ボクは合格したのです。
デザイン部VP(ビジュアルプレゼンテーション)課、デザイナーとして採用されたのは、11月の半ばくらいでした。


後になって聞いたのですが、最初の面接をした部長は1回目の面接でボクの採用を反対したそうです。
上原課長がボクを採用することを決めた一番のポイントは、ビジュアルだけでなく、照明や音響まで考えていたということ。
それまでのディスプレイで照明や音響なんて、誰も考えなかった時代です。
業界でも考えている人はいなかった。
目に見えることだけでデザインするのがデザインだった。
それを五感に訴えるデザインをしたのが、評価されたんです。
でも音響や照明は、演劇では当たり前に重要です。
それがなかったら意味がないと言っても過言ではありません。
だからボクは何も意図的に狙ってプランをしたわけじゃなかった。

それを考えるのは、ボクの住んでいた演劇の世界では、当たりまえだったってことです。
流通やアパレル業界では素人だったけど、ある意味、もっと進んだ世界にいたわけです。
「ビジネスと文化の融合」
昔からやっていたんだな。


今、エクスマセミナーで照明や音響にこだわるのは、昔から当たり前にやっていたってことを、あたりまえにやっているってことです。
でも現在でも、セミナーでそんなことする先生はあまりいません。
少しずつボクのお弟子さんを中心に、増えてきてはいますけど。
セミナーの世界では、ボクがたぶん日本で初めて音響や照明を使ったり、エンドロールを取り入れたんだと思う。


ね、演劇ってビジネスに役立つでしょ。
というか、これからのビジネスは文化的な教養がなければならないと思うんですよ。
だから、今年のボクのテーマのひとつ。
「ビジネスと文化の融合」
なんだな。


一応、藤村正宏自伝は、この後京屋でサラリーマンとして面白いことをやっていくんですけど、それはまた機会があったら。
とりあえず、2014年のお正月の自伝はこれで終わりです。
またいずれやります。
ここまでつきあってくれて、ありがとうね。