ハーバード大学の戦略

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とかいう本を母が図書館のリサイクル図書から見つけてきた。

図書館で用済みになったということは随分と古いわけで、91年までハーバード学長を務めていたDerek C. Bok氏によるものである。


高等教育機関の最高峰としょうされる(あくまで称される)ハーバード大学、やはり興味は尽きない。


教育の重要性を噛み締めている今だからこそ。新しい教育の場に飛び込もうとしている瞬間だからこそ。


とかなんとか言って実は、


まだ読み始めていないんだけどね~。

だからなにを論じているのかもわかっちゃいない。

頭痛くなりそうだけど頑張るぞ。


今は、The Bluest Eyeを読み終えようとしているところ。

この本、おもしろいよ。

文学としても、黒人の視点を垣間見るひとつの媒介としても。


Toni Morrisonを読みつくそうかと思っているくらいだ。

そういえばWesleyanのEnglishに


The Fiction of Toni Morrisonっていうコースがあった!


一人の文学者を1セメ学びとおすのって、すごいことかも。

それだけ深みがあり、収穫の多い作品なのだろう。

うーん、次は何にしようかなぁ。。。

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2005体育祭

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ここ3,4日、久しぶりにたくさんの懐かしい顔に会えた。

人に会わない生活が続くと私はきわめて危ない精神状態に陥るわけで。

ちょっとリフレッシュできたのは良かった。

ほんと、ブログの更新もメールの返信も億劫極まりなくなっちゃうの。大丈夫かこんなんで。


27日は母校の体育祭。

私が生徒として参加した6回分の体育祭が、ひとつひとつに異なる感触と重みを持って思い出された。

作り上げる過程に力を注いだ最後の2回は特に、鮮明にフラッシュバックされる。

かけがえのない仲間と、居心地の良い空間と、人間としての大きな成長を私にくれた、大好きな役職。

今年も後輩たちが懸命に準備した体育祭は、無事成功を収めたようで、ほっと胸をなでおろす。


卒業生として存分に楽しませてもらったし、みんなに歓迎されてとっても嬉しかったけど、なんだかやっぱり寂しかった。

私たちの「白」はもう「私たちの」白ではない。

私たちはもうここに属さない。

学校の営みはまた1コマ進んで、新しい年は確実に落ち着きを見せはじめていた。


後ろ髪を引かれたままではいけない。私は私で進まなくちゃ。

みんな懐かしいけど、みんな大好きだけど、毎日楽しくてしようがなかったけど、

だけど、もう戻れないから。

卒業直後のような、心を引き裂かれるほどの切なさはもう感じないから、きっと大丈夫なんだろう。

自分がそう思ってしまうことが、また寂しい。


友達や先生としゃべった。たわいのない話でも、元気をもらった。心が和んだ。

みんな、私に期待してくれている。なぜか。でも、それがとっても嬉しい。

自分はつまらない人間だという思いに捕らわれて息が詰まりそうになっていた私にとって、

周りの優しさはなによりの救いだから。

ありがとうvvv


ところでうちの体育祭はおもしろい。

オリジナルの競技っていうのは他の学校にもあるものなのかもしれないが、

うちのは、名称から内容を思い浮かべることはまずできないと(私は勝手に)自負している。

たとえば去年私たちがアイディアを振り絞って作った新競技。


渚のカウボーイ。


謎でしょ?意味不明でしょ?

紹介したときのみんなの戸惑いは見ていておもしろいものがあった。

ほかにも、波乗りパイレーツ、ハングリーダッシュとか。

誰かのアイディアが生きつづけている。すごいことだなぁ。


完全に生徒主導で運営する体育祭は、それなりにトラブルも生じたりする。

でもそれ以上に半年の準備期間で得られるものは大きいことを、今年の子達も学んでくれたと信じている。

これからも、過保護な親に負けず、時代の移り変わりに左右されず、続けていってほしいなぁ、生徒主導。

いつになっても、本来の教育理念を揺るがせない学校であってほしい。


ほんと、良い体育祭でした!!楽しかったー!気持ちよかったー!

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あと3ヶ月日本にいるよ

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しばらく更新を怠っていました・・・。

ブログのネタにも困るほどつまらん生活を送っています。

このブログでどうでもいい私生活話をしたことがない気がするので、

増えつつあるJGviewerの為にもちょっぴし公開。

なんちゃって5月病→夏バテへと直行しかけているとしても、、とりあえず生きてるんでご心配なく。

心配してくれるなら連れ出してちょうだいなv


んで、なにをしてるのかって言えば


本や雑誌でリーディング、Harvardの講義が聴けるHPでリスニングの練習をしたり、

 (なによりも力を入れるべきなのはライティングなんだけど・・・)


バイト先のデパ地下で、渦巻く人間模様を観察したり、


スポーツジムに通って、泳いだり踊ったり踊ったり踊ったり。

 基礎っぽいジャズダンスやヒップホップが習えるんだけど、

 私が体操で培った筋力や体の使い方がことごとく否定された気がする。

 アメリカでもダンスやりたいけど、ついていけるのかなー・・?


あとは、日本の大学ツアーをちょこちょこ決行したりしてます。

今のところ行ったのはICUと慶應だけ。なので今の時点ではノーコメント。

もうちょっと増えたら記事にしてみよう♪


一人でいる時間が長いと考え事をしすぎてしまって頭が非常に疲れます。

たまにはどうでもいいことも書いていこーっと。




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書類第2弾到着!行くぞアメリカ!

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ということで、入る寮を選んだり、カタログを読んで選択する授業を考えたりと、

大学生活のイメージがやっと膨らんできた。

アメリカに行くのはまだまだだけどね。


寮は、ルームメイトが欲しいのでダブルを選びました 。

生活習慣や性格などで組み合わせを練ってくれるのかと思ったら、そんなことはなかった。

どっかの学校はそんなことをしてくれると言っていたのに。

完全にランダム・・・!いいのか・・・!?

まぁでも、運を天に任せて、新しい出会いを縁に任せて、楽しみに待つことにします。


それにしても驚いたのは、この選択肢。


・I would prefer a roommate of the same legal sex.


OR


・I would prefer that my legal sex not be considered in making my roommate assignment.


正直、心の性に対する配慮が寮にまで反映されているとは思っていなかった。


All assignments are made without regard to race, religion, national or ethnic origin, sexual orientation, gender identity  or gender expression. 

と言い切っているあたり、さすがアメリカというのか、さすがWesleyanというのか。


その下にしっかりと、legal sex と gender identity と gender expressionについての説明があった。

もちろん当人たち向けではないはず。

みんなに理解してもらおうとする姿勢に、性同一性障害に対して排他的な日本しか見てきていない私は、やはり感心してしまう。

最近では日本でも法的に認められつつあるものの、周囲の理解がなければ、カミングアウトすることすらできないのが現実ではないかと思う。


マイノリティの人々の住みやすさを確保するためには、法律などの形を整える以上に、社会全体からの見えない圧力をなくさなければならない


というのは性の問題に限らず当然のことだと思う。



っと、また話が重ーくなりつつあるな・・。

とにかく、そんなDiversityの中に飛び込める日が楽しみになる一方なのです。


Wesleyanに行く、アジアの子たちともいっぱいチャットして仲良くなっておく作戦 v

ま、彼らはフリーマンだけどねっ。

やはり悔しさを引きずっているのか、私。

よく考えてみたら1次選考で落とされてRegularで合格っていうことは

ハナから「日本の奨学生」としては枠外にいたわけで。

だからって、中国の奴らに立ち向かう勇気もなかったわけで。財力からしても即キックアウトでしょ。


つまり、私がWesleyanに入るためには、Regularで全額自己負担という道しかなかった。

いつか、自分が選ばざるをえなかったこの道に感謝する日が来ることを信じている。

今の私が、中国で生まれたことを、日本に来たことを、中高をJGで過ごしたことを、最高にラッキーな経験だと言い切れるように。



土産話その参~子育て事情に寄せて~

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一人っ子政策のもとで生まれた私は、決して自分の子供を一人っ子にはしたくない。

だから、今の中国では子供を育てたくない。


でも、たとえ一人っ子政策が解かれたところで、今の中国では子供を育てられないとも思う。


中国の子供たちは苦労してるんだよ、という言葉の真意が、今回やっと少し垣間見れたんだ。

中学生のころから8時間授業。帰宅時刻は夜9時。

大学の競争率の高さは言うまでもない。


めいっぱいの期待を背負って、子供たちは、勉強にげっそり。

簡単には大学に入れないので、大人たちは、教育費にげっそり。


ほんと、半端じゃないだろうと思うよ。

子供には無駄な苦労をさせたくない。でも人間として成長する為に通過すべき関門はある。

何年後に直面ことになるかわからない葛藤だけど、

そのときには「どこの国で育てるか」という、環境の選択も強いられることを思うと、

世のお母さんたちの苦悩が目に見えるようだ。

与えられた環境の中でやりくりしていかねばならないんだからね。

強いなぁ。



そんな環境が人の心を歪ませるのか。

テレビでは、親の離婚を目前にした、小学生の女の子が映し出されていた。

彼女は泣きながら訴える。


「私が女の子だからお父さんは私を捨てるんだ。

 女の子は男の子に負けるから、
 いっぱいお金をかけても無駄だから。


 男の子だったらお父さんにもかわいがられて、大事にされたのかな。

 お父さんに遊んでもらったことなんて、一度もない。


 こんなの理不尽だよ。

 女の子だって男の子と同じくらいチャンスがあっていいはずじゃない。

 女の子にだってできることはあるんだから。なんで区別されちゃうのかな。

 認めてほしい・・・」


言葉が出なかった。

自分の子供は無条件にかわいい。

そんな感情を抱くのが当たり前ではない、という、実は当たり前なことに気づいて。


でも、女の子だからいらない、というのは、蹴り飛ばしてやりたいほど許せない言い分だ。

これは私が女だから思うことなのか。

人倫には限界があるのか。




女だらけの同窓会

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初めての中高の同窓会。


そして私にとっては、あと4年は参加できないだろう同窓会・・・


なにがすごいって、白髪のおばあちゃんたちまでもがわざわざ足を運んでくることだよ。


そんな昔から学校があったことは知っていたけど、


そんな昔から愛されていたんだなという、当たり前かもしれないことに気づいて、


ちょっぴり感動してしまった。


この先輩たちはどんな人生を歩んできたのだろうと、興味がわいた。


力強い歩みに対する誇りが、講堂に充満している気がして、私もそれをわけてもらっている気分になった。


みんな、繋がっている。



2ヶ月ぶりに会った同級生たちは、もう大学生の顔をしていた。正直眩しかった。


いいな。早く大学生になりたいな。


そんな気持ちがむくむくと頭をもたげる。


「生徒か同窓生かわからない」といわれるくらい高校生くささが抜けてない私。


まだ制服の学生を見て「年下だ」と認識するまでには時間がかかってたりして。


だって今でも発作的に着たくなるよ?



なにはともあれ、大学に行くことを純粋に楽しみだと思えた日。


みんな、飲みすぎるなよ~~。

頭の中のカオス流出

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昨夜放送していた、「世界がもし100人の村だったら」という番組を不本意にも見てしまった。

世界の片隅で飢えや貧困に苦しんでいる人の為に働きたい、と私が思い始めたのも、思えば同名の本がひとつのきっかけだったから。

番組を見ながら私の頭は高速でまわり始めていた。いろんな考えが巡っていく。


私はこれを見てまた泣くの?泣いて、貧困の現状を目にしたとでも思ってそれで終わり?

たとえ現地に行って、彼らの生活をつぶさに見たからといって、涙を流すのは卑怯だ。

目の前で涙を流されたって彼らは嬉しいはずがない。

ゴミ山を仕事場にするのも、命を削りながら鉱山で働くのも、彼らの生きる術。気高いことだ。

生きることになんの代償も払わず、苦労も知らない私なんかが「感動した」とか言って泣くのはそれこそ自己満足にすぎない。

たとえ彼らの生活が安定を取り戻した形で番組が終わろうとも物語は決してそこで終わりじゃない。

同じことは世界のあちこちで、今までもこれからも繰り返されてきたんだ。
本当に、貧困や飢餓に苦しむ人を助けるために力を尽くしたいなら、どんなに酷い現実を目の当たりにしても動じない気丈さが必要なのかな。

でも・・・

私を駆り立てるのは、そういった熱い気持ちだったはずだ。

感情移入しすぎることが好ましくないのなら、なにを動機にすればいいんだ?

感情だけではものごとは動かせない。

でも、感情が先立って初めて意欲が生まれる。

それに私にはまだほどけきってない葛藤があった。

誰かが言っていた。ボランティアというのは、人を選んで助けているんだよ。

平等を目指して、偏りを無くそうとして頑張ったって、結局は一部の人しか助けられない。

そのことを知りながら携わらなければならない。

それは、だから、自分のしていることに矛盾を感じながら、決して見ることのできない出口を信じて歩き続けるようなもの。

なにを信じればいいというのだろう。

みんな助けられないなら誰も助けなくてもいい?

人間はもとから不平等にできているんだ。

貧困にあえぐ人たちの心は豊かで、その‘生’は私の何倍も輝いている。それもひとつの生き方。

だったら、そのままにしておけばいい?

そうは思えない。どうしても思えない。こんなの、論理とか根拠とかで説明できる気持ちじゃない。

理不尽な世界の秩序が生み出している、人の手による貧しさだから。

それを許せない、と思う気持ちは、どこからくるんだろう、本能的なものなのかもしれない。

人のため、なんてうそぶきたくはない。根本的なところでは、だれでもない、自分のためだ。自分が満足したいからだ。それでもいい。


今日もここまで考えて力尽きる・・・

弱っちくても、根拠なんてなくても、自分で答えを出さなくては。

なにが正しいのかなんてわからないけど、むしろわからないから、みんな自分が出した答えを信じるんだろうな。


社会の矛盾を目の当たりにしたとき、どうしたらいいのかわからないんだけど何かをせずにはいられない、という気持ちは、今だから抱くものなのだろうか。

若いから?世間知らずだから?

私の考えは甘ったるいかもしれない。青いのかもしれない。

だけど、世の中の厳しさなんたらを知って、諦めることを覚えるのが大人になるということなら、私は子供のままでいい。

こんな風に拗ねているあたり、ガキそのまんまだけどさ。

オリエン報告

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行ってきました、留学オリエンテーション。

まるごと英語かと思ったら全くの見当違いでちょっとがっかりしたものの、大事なのは中身中身。

‘生’の留学生活を聴けてなかなか良かった。

パネリスト3人は、留学体系も、私が判断する限りでは性格も違ったので、いろんなタイプの経験談を聴けたことは大きな収穫。

まぁ私にとっては、なによりWesleyanの卒業生がいらしていたので、そこだけで満足度アップだったんですけどね。

オリエンの内容は録音してあって、貸し出しをしているみたいです。


ここでは私にとって大事だった内容をかなりピンポイントでメモります。


・大学に到着したらすぐ日本領事館に在留届を提出する。

・クラスはさっさと選んだ方が賢明。人気のあるものはすぐに埋まるって。一応変えることもできるみたいだし。

・ビザ申請の際に、高校卒業後でも成績証明書が必要。在学中の場合のみって本に書いてあったので会場でも皆さん混乱されていました。大使館の人が言うんだから要るんだね。

・英語学校に行ってから大学へ入る場合、ビザ申請に必要なのは先に入る英語学校のI-20。

大学のI-20が先に届いていたのなら一緒に持っていっても構わないみたいだけど、もし使わなかった場合、向こうへ渡ってから英語学校と大学に話して編入手続きをしなければならないので、大学側が混乱しないように、I-20を使わなかった旨を知らせる必要がある。

・先生と友達を活用しよう。いろんな意味で。

・所持金は$20以下。危ないしカードで十分生活できる。

・本を持っていきすぎない。特に日本語の本は。


有益な情報はもっとあったんだけど、全部書いたらきりがないや。

行った方、なにかあったら書き足して下さい。

これは?っていう疑問がある方、質問もどうぞ~。



土産話その弐~my roots and routes~

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5年の月日は私の故郷も、懐かしい人々も、程度の差こそあれ、変えてしまったようだ。

でもまたその変化を尊きものとして受け入れられる自分も、変わったのだなぁと思う。


親戚のお姉ちゃんは、結婚して、もうすぐベイビィが誕生する。大きなお腹を抱えて一緒に遊びまわってくれた。私が退屈しないように絶え間なく気を配ってくれるところは、昔からちっとも変わってない。

親戚の弟くんたちは、随分と背が伸びて、かっこよく成長していた。かわいくってしようがなかった。

幼馴染の男の子たちも、大分大人びて、なんだかちょっと寂しかった。

街も、発展の波に乗り遅れまいと、猛スピードで姿を変えているのだろう、通いなれた道も、懐かしい家並みも、新しい顔で私を出迎えていた。

故郷に、自分の中に、確かに流れた時間を感じる。


なにより、18歳になった私を見るみんなの目が、以前と全く違うものであることに気がついた。

大人扱いされたなによりの証拠、それは、祖母が私に初めてしてくれた、‘授業’。

アメリカへ行くにあたって、私に心に留めておいてほしいこと、ひとことひとこと丁寧に言葉を注いでくれた。私の為だけに語ってくれた、愛情たっぷりの授業。おすそわけするわけにはいかないんだなv

あぁ、父もこういう授業を受けて育ってきたのだ、と思うと、涙が止まらなかった。

自分が何を背負って生きてきて、生きていくのかを、知った気がする。

これまで日本で頑張ってきたことだって、海の向こうからしっかり見守っていてくれたんだ、と思えた。


祖父母の馴れ初め秘話も聞けたし。両親をとりなした人にも会えたし。

それはまさに私のルーツを辿る旅。

自分がこの世に生きていることが、とてつもなく愛おしく思えた。


きっとアメリカへ行って私は価値観ごと揺さぶられるだろう。

でも、どんなに考え方が変わろうが、私のルーツは常にアジアにある。それを痛感した旅でもあった。

それにしては私は中国のことを知らなすぎる。知ろうとしてこなかったからだ。

こればかりは恥ずかしすぎる。後悔しても遅いので今から取り返さないと。

親戚の兄ちゃんに、「次帰ってくるときはボーイフレンドを連れてくるのかな~」と冷やかされたが、「アメリカ人でもいいけど、中国語を話せないと始まらん」と釘をさされちゃった。

私もこれはシリアスな条件として受け取った。確かに、連れて帰って見せたいもんな。

なんにしろ、自分の根っこを確認する旅で、これから私が歩んでいく道にも自信がついたんだ。

なにがあっても私の根っこは揺るがない。ずっしりと腰を据えて、中国から見守っててくれるんだから。
そっから養分もらって、これからもにょきにょき伸びてくぞ。

アメリカ人に、追いつけ追い越せ。

土産話その壱~日本観~

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「日本人って中国に対してどう思ってるの?いじめられない?」

「南京大虐殺のことってちゃんと勉強するの?」


こんな質問をひっきりなしに浴びせかけられたのは久しぶりのことだ。

日本でなら繊細な問題として避けられるか、良くて‘恐る恐る’切り出される話題を、親戚の男の子に始まり、知り合いのおじいちゃん、更には初対面の女の子にまでいきなり持ち出されては、こっちがたじろいでしまう。

反日デモの報道がなされていないとはいえ、国連常任理事国入りへの反発は強く、ネット上での不買運動の呼びかけも盛り上がっていたという。

デモに行って騒ぎを起こす人は一部だとはいえ、国民の大半が、肯定的であろうが否定的であろうが、隣国の動きに関心を持っていることは確かだ。

国の未来に関わる世界の動き。

視点に柔軟性があるか否かを別にすれば、関心や意識をもつことの影響力を考えさせられる。

願わくばそれが外から植えつけられた愛国心から発するものでなく、内から自然と湧き出る自国への尊敬が生むものであってほしいものだが。


その初対面の女の子は、シリアスな話をする反面、日本の歌手や漫画についても良く知っていた。

「中国人男性と日本人女性はもっとも相性が良い」とされているらしく、男の子たちは日本の女の子と知り合いたくてたまらないらしい。(もっとも日本女性が「謙虚でおしとやか~」なイメージ通りだとすれば、だけど)


私から見ても、日本という国は、文化、ひと、言語、どの面をとっても特殊で興味深い存在である。

その近現代史から学ぶことも多いはず。強みにできる教訓を自国の指導者がなおざりにしてるとはもったいない話だ。


今両国にとって大切なことはなにか。しっかりと見極めていきたい。
中国側が過去への執着をある程度和らげる意味でも、日本側が誠意を込めた対応をするという意味でも、共に一歩譲って過去を清算しなければ、ほんとうの意味で手を取り合って先へ進むことはできない。

日中には乗り越えてほしい壁がある。

私を育ててくれた、大切な祖国たちだから。


もっと書きたいことがあったのに帰国して頭が大幅に弱っているらしく、エンジンがかかりません。

来週は母校で高校3年生の礼拝を任されているというのに原稿はまだまだという情けない状態。

机の上は一種のカオスです。頭の中もカオスです。

日本にいられる時間も、あと2ヶ月もないかもしれないのに・・・!