やぶへび | エバンジェリスト ZORO

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やぶへび(藪蛇)とは、「藪をつついて蛇を出す」のことですね。
余計なことを言ったり、したりして、かえって自分にとって悪い結果を招く。
そのようなことを、通称「やぶへび」と言います。

実は、昨夜のことらしいのですが、
テレビで「東京都心では過去50年、ホワイトクリスマスは無かった」と、
つまり、クリスマスに雪が降ったことがないということを、
何らかの番組で放映していたそうです。(妻からの情報)

私は東京に住んでいませんし、その番組を見ていませんので、
ことの真偽は不明ですが、私の住む愛知県はどうなのだろう?
そんなことを思ったとき、昔の記憶がふとよみがえったのでした。

妻と結婚する前に、一緒に行ったコンサートの帰りに雪が降ったことを。
そして、それがたしかクリスマスイブだったと思ったのです。
ですから、妻に聞いてみることにしました。

「コンサートへ行った帰りに雪が降ったことがあったよな?」
「そんなことってあった?」

妻は記憶が曖昧なようなので、さらに聞いてみました。

「ほら。あの山下達郎・・・じゃなくて、何だっけ? たしか・・・
  山、やま・も・と、そうだ、山本だ。山本たつひこ? とかいう人の」
「やまもとたつひこ? 誰それ?」

いや、待て待て待て待て。「誰それ?」は無いだろう。
それとも名前を間違ったか?

そう思った私は、知っている曲の歌詞を口ずさんでみたのです。

「てのひらのキーホ~ルダ~・・・」とか、「ロマン、ザ、マン~」とか、
そういう歌を歌っていた人だよ、と。

「何それ? そんな歌知らない」

だから、待て待て待て待て。「何それ?」は無いだろう。
それとも、そんなに私は歌が下手か? それはあるかもしれない。

しかし、山本達彦のコンサートは、妻(当時は彼女)が行こうと誘い、
彼女がチケットも入手したもので、私はまったく興味がなかったのです。
それを妻が知らないというのには驚きだったわけです。

名前が違うのか? 歌が下手だからわからないのか?

そう思っていると、妻は早速タブレットを開き、検索を始めました。
やはり山本達彦(やまもと たつひこ)という名前で当たりです。

私が口ずさんだのは、
山本達彦の「LAST GOOD-BYE」と「ロンリー・ジャーニー」でした。

ユーチューブで、これらの曲をひとしきり聴いていた妻は、

「やっぱり、こんな人知らない。こんな歌も知らない」

おいおいおいおい、知らないことはないだろう。
我々の年代ならば、たいていの人は聴けばわかるはずです。
その程度には流行った歌なのです。

挙句の果てには・・・・・・

「誰か別の人と行ったんじゃないの?」

と怒り気味です。とんだ「やぶへび」でした。
いや、この場合「やぶへび」というよりも、正確には「濡れ衣」ですが、
もうどうでもよくなり、やぶへびだったということにしてお茶を濁しました。

妻以外の女性と付き合ったことがないかと言えば、あることはありますが、
コンサートに一緒に行ったことがあるのは妻だけです。

ですので、私の記憶に間違いはないと思いますし、
コンサート後に雪が降って、その際の妻と妻の父親との電話でのやりとりも、
特徴のあるものでしたので、そのあたりのことを伝えれば、
たぶん、妻も「言われてみれば、そんなこともあったような・・・」と、
きっと記憶がよみがえるはずではあるのですが、それも放棄しました。

最近思うのですが、
人間にとって大切なことは、良くも悪くも「変化」だということです。

安定志向の人が増えている昨今に不自然な言葉かもしれませんが、
変化ということは結構大事なことだと、つくづく思います。

以前の私だったら、誤解を解いて、その上でさらに、
私がしっかりと覚えていたこと=妻との思い出を大切にしていること
という点をアピールすることが多かったのですが、
(真の理由は思い出を大切にしているのでなく妻より記憶力が良いだけのこと)
そんなことも当たり前になってしまえば、何の価値も感じられなくなります。

人は「当たり前」に対して「ありがたみ」を感じません。
まあ、当然ですね。ありがたいとは漢字にすれば「有難い」です。
つまり、当たり前でないことですからね。

夫として、妻に優しくすることは「当たり前」だと言われますが、
当たり前では、ありがたみがない=幸せを感じることが出来ないのですよね。

困ったものです。

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