2010-11-04

実感

テーマ:ヨーガ
朝の目覚め、スッキリ。心も体も軽くなったような気がする。昨夜、20日ぶりに参加したヨーガ教室の効果だと思う。
「痩せるために頑張る」なんて書いた(10月13日)のに、まったくできず(案の定と言うべきか)、自己嫌悪に陥っていたのだが、そんなドンヨリした気分も一発で吹き飛んだ。
やっぱりヨーガは凄い! それを実感できただけでも、この20日間の停滞は意味があったと考えよう。
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2010-10-13

油断

テーマ:ヨーガ
映画観賞会と重なったり、ぎっくり腰をやらかしたりで、ほぼ3週間ヨーガ教室に行けなかった。行けないまま長崎旅行に出発し、そこでは当然記念写真を撮ってもらう。その写真を見てガクゼンとした。「俺って、こんなに太ってるのか。と言うより、こんなに腹が出ているのか」と……。
醜い! こんな自分は見たくない! 消えてしまいたい!
ぎっくり腰になったのは出発の4日前で、旅行に行けなくなると同行の友人に迷惑がかかるので、安静にこれ努めた。つまり寝てばかりいた。それもあって太ったのだと思うが、3週間のヨーガ・ブランクも影響していると思う。若いころと違って、この歳になるとすぐ太ってしまう。油断大敵である。

というわけで、旅行から帰ってすぐ、ヨーガ教室に行った。「お久しぶりです」と声をかけられ、「3週間ほど全然来れなくてね」と答えると、「でも、体形なんかもほっそりされて」と言われ、「ええー、とんでもない」となった。これで《ほっそり》なら、俺って普段どれだけ太ったイメージを持たれているのかと、逆にこたえた。太めの人に対しては、気安く「太った」の「痩せた」のと言わぬのが心遣いというものであろう。私もしょっちゅう言ってしまうのだが。

さて、久しぶりのアーサナ(ヨーガの姿勢・ポーズ)は、やっぱりきつかった。特に私の苦手なハラ・アーサナ(鋤の形)では、よっぽど辛そうに見えたのだろう、指導者がほかの人より早く「はい、やめて」と声をかけてくださった。ヤレヤレ。
ケセラセラ通信日記-ハラ・アーサナ(鋤の形)
ヨーガ本来の目的は痩せることではないのだが、今はなによりも痩せたいと思う。邪道なのは分かっているが、それがモチベーションとなってヨーガに励めれば、それはそれで良いことではないかと思っている。
しかし、煙草値上げを機の禁煙もできなかったし、このダメ人間に結果が出せるのだろうか。
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2010-07-05

師の沈黙

テーマ:ヨーガ
何度も書いているが、私が通っているヨーガ教室の大師匠は京都におられる。その大師匠が、6月半ばにニューヨークへ旅立たれた。ヨーガ指導のためである。帰国は9月半ばの予定。
出立は伊丹空港からだったので、お見送りに行った。ほかにも10人ぐらいの弟子たちが来ておられて、搭乗までの数十分、師を囲んで歓談した。すると弟子のなかのMさんが、私のことを「このごろ毎週(ヨーガ教室に)来ておられるから、顔色がいいですね」と言ってくださった。私の隣におられた師に対して、言外に「この人、最近は真面目にヨーガに取り組んでいるんですよ」と伝えてくださったのだと感じた。
私はうろたえつつ「いや、いや。僕の問題は、クラスに行った時しかアーサナ(姿勢・ポーズ)をしないということで……」と応えた。事実そのとおりなので、それを聞かれた師から「できれば毎日やったほうがいいね」とか「アーサナをするのも習慣だから、そのきっかけを掴めればね」などの言葉が返ってくるのではないかと思った。
しかし、師はただ微笑んでおられるだけだった。これが、あとから効いてきた。師の沈黙の意味を考えざるを得ないわけで。
「言わなくても、もう分かっているはず」あるいは「何を甘えたことを。アーサナを毎日やるのは基本中の基本。ごちゃごちゃ言わずに実践しなさい」。
沈黙の中に、そんな導きが含まれていたのではないか。

ヨーガ教室に通い始めて、もう5年になる。昨年の春からは週1ペースで参加しているが、その前はムラが多かった。ここまで書いて、過去5年分の手帳を引っ張り出してきた。それによると、2005年の6月15日が最初だ。それから1年半はだいたい週1ペースで通っているが、2007年と2008年はほぼ全滅。考えてみれば、この時期は仕事がうまくいかず、ややウツ状態でもあった。そして2009年の4月から、また週1ペースに戻っている。
だからヨーガを始めて5年といっても、実質はその半分ぐらいだし、しかも通えていた期間中も、週に1回か多くて2回しかアーサナをやっていない。これではとても「ヨーガをやってます」なんて言えたものではない。
そういう時に、師から「毎日やるべき」という示唆を受けた(と感じた)のだから、これはもうやるしかないでしょ。
というわけで、「こんな狭い所ではできない」と思っていた事務所でやってみた。なんとかできるんだな、これが。畳一枚分のスペースがあれば、アーサナはできます。しかも何の器具も要らない。ヨーガの凄さを再認識した。
師が発たれてから今日で18日。毎日はできなかったが、そのうちの12日、つまり三分の二はアーサナをやった。「少しは体重減ったかな」と思い、久しぶりにヘルスメーターに乗ってみたが、変化なしで、ちょっとショック! でも、師が帰ってこられる9月半ばまでには結果を出したいと思っている。誰のためでもなく、私自身のために。

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2010-05-31

出発

テーマ:ヨーガ
京都で開かれたヨーガの「瞑想会」に参加。30分間の瞑想に挑戦するのだ。その前に、10年近くヨーガの修行をしてこられたGさん(女性)の体験談をお聴きした。

若いころ(今もお若いが)、生きることが不安で、「人生の目的」について真剣に悩んだ。本当に夢中になれるものを求めて、仕事や居場所を転々とした。それでも求めるものは得られず、イライラしたり落ち込んだり、感情の起伏も激しかった。そんな折、瞑想に興味を持ち、ヨーガを始めた。
しかし、自分は瞑想をしたいのに、その前にアーサナ(姿勢・ポーズ)をしなければならない。これが辛くて痛くて、なんでこんなことしなくちゃいけないの、と思った。瞑想そのものも、やり方がよく分からないし、座っても5分と集中できなかった。聖典と呼ばれるものを読んでも、日本語で書かれているのに、その意味がさっぱり理解できなかった。そんな具合で、長いあいだ迷いと懐疑の中にあった。
だがあるとき、「こうしてなんだかんだと理屈を付けてアーサナから逃げ続けているのは、これまでの生き方と同じではないか!」と思い、それからは毎日、ともかくアーサナと瞑想をやってみた。すると、自分でも気づかぬうちに、少しずつ変化が表れた。過去にこだわることなく、未来に不安を抱くこともなく、今の瞬間瞬間に集中できるようになった。喜怒哀楽の激しかった性格も、だんだん穏やかになったと思う(笑)。
それでも瞑想は難しい。瞑想の方法には3つあると教えられた。①真理とは何か、②本当の自分とは何か、③神とは何か。このうちのどれかに集中すれば良いと。何を選べばいいのか分からずにいたら、師から「自分が何を真剣に求めているかだ」と諭された。そこで、昔から興味を持っていたブッダに集中してみた。すると、徐々に徐々にではあるが深く集中できるようになった。瞑想の中で、無条件の喜びが湧き上がってきたこともあるし、すべてが軽やかになったこともある。振り返ってみれば、コツコツと積み上げていけば、何かを掴むことができる、ということではないか。
さて、そんなふうにヨーガに向かって歩いてきたのだが、ヨーガに対する懐疑が完全になくなったわけではなかった。そしてヨーガを始めて5、6年が経ったころ、聖者の言葉を読んでいたら、それが真実そのものであると、頭ではなく直観として理解できた。その瞬間に初めて、生きることへの不安が霧の晴れるようになくなっていた。もう「人生の目的」を探しにどこかへ行く必要はないし、またどこへ行くのもかまわない。

走り書きのメモと記憶に頼って書いたので、正確ではないが、Gさんのお話はおおよそこのようなものであった。何に感動したって、「こうしてなんだかんだと理屈を付けてアーサナから逃げ続けているのは、これまでの生き方と同じではないか!」という部分だ。
私自身、もう5年も不定期ながらヨーガ教室に通っているのに、自宅でアーサナをしたことは数えるほどしかなく、そこには怠惰と、しぶとい懐疑があったのだと思う。その懐疑的なところがGさんと似ている。それゆえに、自分のこととして聴くことができた。
もうひとつ、Gさんのお話で印象的だったのは、ヨーガにおける気づきと、その先にある悟りには、アーサナと瞑想という「実践」なくしては近づけない、ということだ。
そこまで分かって、さて私は、ヨーガの実践にいつ出発できるのだろうか。

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2010-05-23

あすなろ

テーマ:ヨーガ
今日は終日降っていた。その雨の中、京都まで出向き、ヨーガ教室に参加。
今月は連休があったりしたので、大阪のクラスは2回お休み。休みではなかった1回は、恒例の映画観賞会と重なってしまい、やむなく欠席。
余談だが、その映画観賞会で見た『オーケストラ!』(ラデュ・ミヘイレアニュ監督)は素晴らしかった。私にしては珍しく、音楽CD(チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲)まで買ってしまったほど。もう一度見てもいいと思っている。まだやってるけど、6月には宝塚のシネ・ピピアでも上映される(と、ちょっと宣伝)。
さて、というわけで、今月初となるアーサナ(姿勢・ポーズ)はきついだろうなあと思いつつ参加した。案の定、アーサナの途中でこむらがえりになるわ、私の苦手なポーズに限ってやたらに姿勢保持の時間が長いわで、もう汗ダラダラ。実は今日の指導者は初めての方(お顔はよく知っているのだが、大阪クラスでは指導されていない)で、私は「狙い撃ちされた!」と感じていた。つまり、いつまでたってもピシッとしない私に、ちょっと活を入れてやろうという親心だったのでは、と思うのだ。本当のところは分からないが。
アーサナをしているときは苦しい、苦しいのだが、終わってみればスッキリして、今日のアーサナは効いたぞ! と思えた。
驚いたのは、6年ぶりに参加されたという男性がおられて、なんと彼はその6年の間、ほぼ毎日自宅でアーサナと瞑想をやっていたのだという。「精進」というのは、こういうことをいうんだろうなあと感心しきりであった。
それに比べてこの私は……とネガティブ・シンキングに陥るのは、ヨーガがもっとも嫌うところであるから、良い刺激をいただいたと感謝し、私も明日からちゃんとしようと思いつつ、今日はもう寝るのである。
明日も雨だとか。事務所にこもって仕事するには、うってつけではないか。
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2009-04-16

大事なこと

テーマ:ヨーガ
映画の感想へ行く前に(行けるのかな)、書いておきたいことをひとつ。

13日(月)、友人2人とともに「カンテ・グランデ中津本店」(大阪市北区)で開かれたキールタンの夕べに参加。キールタンというのは、すでに何度か書いたように、神を讃え求めるサンスクリット語の歌。私が会員になっているヨーガ教室の仲間や先輩たちが「シャクティ」というグループを結成して、4年ほど前からあちこちでキールタンの公演活動を続けている。
もう1年近くアーサナ(ヨーガのポーズ)のクラスには行っていないのに、会場では多くの仲間や先輩が親しく声をかけてくださる。ありがたいことだ。彼・彼女らと知り合って、もう何年にもなるが、その間、一度も嫌な思いをしたことがない。これはちょっと凄いことではないだろうか。
さて、キールタンを聴くのはこれでたぶん4度目。京都・新風館で、細見美術館で、大阪のインド料理店・ニューメイフィルで、そして今回。そのつど味わいが異なるのが面白い。今回は、店の雰囲気とキールタンがよく合っていると感じた。インド風のインテリアと、まるで今回の催しのために設けられたかのような小さな舞台。
その舞台に4人のシャクティ・メンバーが座り、3曲を披露。アンコールを求める拍手があって、4曲目は他のメンバーも加わって大いに盛り上がった。演出なのかハプニングなのか分からないが、最後は踊りだす女性メンバーまでおられた(これを読んでくださったヨーガの先輩から指摘があり、踊りだしたのはシャクティの「メンバー」ではなく、当日来ておられた「お客さん」だったそうだ。てことは、完全なハプニングだったわけだ!)。
キールタンそのものは、正直に言ってこれまでで最もラフな印象を受けたが、そのぶん親密で和やかな雰囲気が会場に満ちた。一緒に行った友人たちは、楽器や基調音を出す機械にも興味を持ったようで、しきりにその名称を知りたがった。そういうことの解説や、メンバー紹介があってもよかったと思う。
私自身はといえば、繰り返し神を求めるその歌声(サンスクリット語だから、歌詞の内容は分からないのだが)に包まれながら、「俺は何をしてるんだろう、こんなことでは駄目だなあ」と思い続けていた。さぼりっぱなしのアーサナ・クラス、「ヨーガをやってます」なんてとても言えないメタボ体形、そして、どうしようもないグウタラ生活。そんなことが重なって、ますますクラスから足が遠ざかっていた。
そこへ、キールタンを通じて真摯に、かつ楽しそうに真実を求めている人たちを目の当たりにし、自分が恥ずかしくなった。「よし、ともかく最初の一歩からまた始めてみよう」と思いつつ帰路についた。

で、翌14日(火)、久々にアーサナ・クラスへ行った。手帳をひっくり返して調べてみたら、9カ月ぶりだった。直前になって怖じ気づき、「雨降ってるし、やめとこうかなあ」と思ったりしたが、前日の決心が背中を押してくれた。
クラスはちょうど「春の目覚めキャンペーン」(4月14日~28日)中で、受講料が格安になっており、初参加7名、経験者2名と盛況だった。私はT先輩に指導していただき、懐かしいアーサナに取り組んだが、もうボロボロ。
体が重い、曲がらない、腕の筋肉はつりそうになる、呼吸が苦しい、股関節はカチカチになっている、という具合。これまで、自分のことを<不肖の弟子>と言ってきたが、それでも週1ペースでクラスに通っていたころには簡単にできていたことが、まったくできなくなっているのだ。体は実に正直である。
しかし、できないことが悔しく、「クソッ、絶対きれいにできるようになってやる!」「明日から、毎日やるぞ」と思えたので、私にとっては大いなる前進なのかもしれない。翌日は何もしなかったけど。
この歳から<悟り>に至るのは無理だと思うが、若い人たちに交じってまがりなりにもアーサナを行なえるうちに、しなやかで強い体をつくり、いつまでも元気で映画を見続けたいものだ。
よたよたと帰ってきて、洗面所で鏡を見ると、目の下にクマが出来ていた。

だが、その翌日も翌々日(今日)も、激しい運動をした後のような筋肉痛はどこにもなく、ヨーガの素晴らしさを実感している。

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2009-02-23

聖なる歌、聖なる人

テーマ:ヨーガ
2月20日(金)のことを書く。
19日(木)、ヨーガの先輩(といっても、年齢はかなり下)Mさんから「明日の夜、南森町のインドレストランで仲間とキールタンを歌います。よかったら来てください」というようなメールが入る。キールタンとは、昨年11月3日の日記でも触れたが、神を讃えるサンスクリット語の歌。歌詞の内容はまったく分からないのだが、神の名と神への愛を繰り返し歌っているのだという。
Mさんは私のミューズなので、何はともあれ駆けつける。6時半ごろ指定された店に着くと、先客が5人ほど。ヨーガの関係者ではなくて、常連客のようだ。若い女性も交えてワインなど飲み、きわどい会話も聞こえてくる。「おやおや」と思ったが、店のママさんが初対面の私にいろいろと話しかけれくれる。むかしMさんたちが勤めていた会社が近くにあり、ママさんとのお付き合いはそのころからのようだ。その縁もあって、今回の催しが実現したのだろう。
ベジタブルカレー・セットを注文し、しばし待つ。もちろん酒は飲まない。午後7時ごろから、それは始まった。Mさんをはじめ、オレンジ色のサリーに身を包んだ4人の歌姫が登場。みんな私がよく知っている先輩たちだ。観客は、写真撮影を頼まれたという、これもヨーガの先輩Tさんを含めて7人。彼女らの歌を聴くためだけに来ているのは私一人という案配で、なんとも贅沢な会となった。途中から、Tさんの上司・Nさんも来られた。
キールタンは何度か聞いているので、こういうものだったなという感じだが、見知らぬ人たちの前で、堂々と明るく楽しそう歌っている彼女たちの姿に打たれた。Mさんたちの思いは、「キールタンをきっかけにして、少しでもヨーガに近づいてくれれば」というものであったはずで、これも彼女らの<修行>の一環なのだ。
そういう思いを知ってか知らずか、大声で騒いでいたお客さんたちも水を打ったように静かに聴き入っていて、3曲ほど聴き終わると「よかった~」「素晴らしい」と拍手の嵐。父兄のような気持で座っていた私もホッとした。
ここで一旦休憩とし、先客たちとテーブルをくっつけて歌姫たちもお食事タイム。そのときにも彼女たちは、まるで旧知の仲というノリで知らないおじさんやお嬢さんたちとしゃべっている。私にはそれができず、もっぱらNさんやTさんと話していた。思うに、彼女たちには「神が見守ってくれている」という安心感があるのではないか(ヨーガでいう神は、キリストやブッダなどの特定の神ではなく、そう呼ぶしかない大きな存在のことであるが。またそれは、一人一人の内にすでにあるもの、とされる)。彼女たちの屈託のない笑顔を見ながら、そんなことを考えていた。みんな私よりずっと若いのに、ヨーガの道の上では、遥か遠くに先行しておられるのだ。

食後にあと2曲歌われ、ささやかな会は終わった。私は夜の街を一人で30分ほど歩き、コーヒーを飲んで帰ってきた。
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2007-12-26

今年最後のヨーガ教室

テーマ:ヨーガ
仕事で忙しかったり、会議や講義と重なったりで、ずっと行けなかったヨーガ教室に参加。今日が今年最後のチャンスだった。手帳を見てみると、なんと6週間ぶり。その前は12週もあいているから、これではとても「ヨーガをやってます」なんて言えやしない。
年末で受講生も忙しいのか、教室には指導者を含めても5人だけ。なんだか得した気分になる。しかし1カ月半もブランクがあるので、おそるおそるアーサナ(姿勢、ポーズ)を始めてみると、これが意外と楽にできる。体が覚えているということもあるのだろうが、どうやらこのところのハードな仕事で少し痩せたようで、体が動きやすいのだ。
というわけで、アーサナはまず及第点だったと思うが、雑念の多さには我ながら驚いた。アーサナとアーサナの間には、シャヴァアーサナ(屍の形)という全身をリラックスさせるポーズを挟む。また、最後には20分ほど瞑想をするのだが、このシャヴァアーサナのときも瞑想のときも、雑念が次から次へと浮かんでくるので閉口した。
それはこんなふうだ。家族のこと、仕事のこと、あの件は電話すべきか連絡を待つべきか、来年のこと、将来のこと、禁煙しようか、歯医者へ行ったほうがいいか、メガネも作り替えなければ、「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし」その次は「身捨つるほどの祖国はありや」か、いい歌だなあ、寺山修司は天才だなあ、中原中也も天才だ、明日は何時入りだっけ……。そんなとりとめのないことが、間断なく浮かんでくる。その都度、これではいかんと打ち消すのだが、また別の事柄が湧き上がってくるのだ。まことに我が日常は、雑念・妄想・煩悩にまみれていると思い知った次第。
週1ペースで通えていたころは、こんなことはなかった。シャヴァアーサナでも瞑想でも、かなり「無」に近付けていたように思うのだ。それがヨーガの目的かと問われたら、私には答える資格も術もないのだが、個人的な感覚で言うと、雑念や雑事から離れ、ひとときでも空無になることによって、新しくなれるというか、明日に向かってリセットできた感じがあったと思う。
とはいえ、ヨーガの世界でも自分がまだまだ未熟であることは実感できたし(本当に奥が深い世界だ)、いつも変わらずに優しく接してくださるSさん、Uさんにも会えたし、今年最後のヨーガ教室に参加できてよかった!
さて来年は、もう少し真面目に取り組んでみるかな。人生、いくつになっても精進あるのみ。なんちゃって。
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2007-11-15

生きにくい

テーマ:ヨーガ
「忙しい」という言葉(文字)は、心を亡くすと書くので、あまり使っちゃいけない、と言った人がいるそうだ。なるほどなあと思いつつ、そのことをよく思い出すのは、心を亡くしかけている証拠かもしれない。
毎週土曜日、京都でヨーガの大師匠を囲み、そのお話を聞く会がある。ヨーガの実践(アーサナ)も全然できていないのに、高尚なお話を聞いても猫に小判だし、参加費もちょっと高いので、敬して遠ざけてきた。しかし,最近の数カ月は大阪の教室にも参加できず、ヨーガ仲間とも会っていなかったので、「たまには行ってみるか」というくらいの気持で京都まで出かけた。
11月10日(土)午後7時ごろ、大師匠のご自宅2階に、三々五々人が集まってくる。私は少し早めに着き、部屋の隅に座らせてもらっていた。到着した人たちが、大師匠にあいさつし、親しげに話し込み、あるいは参加者同士で談笑している。大師匠はニコニコ笑っている。そこに〈権威〉は微塵もなく、みなが平等で自由なのだという雰囲気が満ちあふれていた。
そんな様子を「いいなあ」とほほえましく眺めているうちに、ジワッーと涙が出てきた。いかんいかんと、汗を拭くふりをしながら涙を拭いていたら、今度は「いったい俺は何をしているんだ」と自分が情けなくなり、涙が止まらなくなってしまった。
大師匠のお話は始まっている。全部で30人ぐらいの人たちが、集中してそれを聴いている。しかし涙は止まらず、やがて大きな嗚咽に変わっていった。「まずい、まずい」と思うのだが、寄る辺ない気持は深まるばかり。前に座ったHさんの陰に隠れるようにしていたが、私が滂沱していることは皆に分かってしまっただろう。だが、大師匠をはじめ、誰もそのことに触れない。
ひとしきり泣いて、落ち着いたころ、大師匠が映画の話題を私にふってくださった。それはミケランジェロ・アントニオーニの『欲望』(66年)に関してで、もちろん見ているのだが、原題(『BLOW-UP』)で言われたために分からず、「すいません、知りません」と答えたら、「そんなはずはない」と言われ、その場は笑いに包まれた。私は、大いなる優しさを感じていた。

この体験を、〈宗教的啓示〉などと言うつもりはない。また事実、そういうものでもないだろう。ただ、何事にも斜に構え、シニカルに見る傾向が強い私にとって、自分でも驚くような体験であったことは確かだ。あとから「俺って、けっこう素直じゃん!」と思った次第。
最近の私が、人間関係の中で悩み、傷つき(と感じているだけかもしれない。たぶん、私も人を傷つけている)、なぜうまくいかないのだろうと思っているところへ、ヨーガ修行者たちの闊達で突き抜けた明るさに接し、自分の未熟さ至らなさを思い知った、というところだろう。
生きていくのは難しく、自分にはその能力が欠如しているのではないかと思う今日このごろであるが、これも〈修行〉なのかもしれない。それにしても、遥かに遠い道のりではある。
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2007-07-07

少しずつ

テーマ:ヨーガ
水曜日、7カ月ぶりにヨーガ教室に参加したことはすでに書いたが、以来、体のあちこちが筋肉痛である。それは「きいてるな」と、ヨーガの効果を実感させるものであり、体がさらに運動を欲しているような感じもあって、昨日も行ってきた。
指導者2人に、受講生4人。受講生が少ないと、なんだか得したような気分になる。今回も「初心者コース」でとお願いした。うまい具合に、初心者コース2人、上級者コース2人に分かれた。前回とほぼ同様のアーサナ(姿勢、ポーズ)をこなしたあと、指導者Sさんのお話を聞く。「自宅でアーサナをするときは、ひとつかふたつでもいいんです」とおっしゃる。いい話を聞いた、と思った。というのも、基本的なアーサナは10ほどあり、ひとつのアーサナを終えると、シャヴァ・アーサナという全身をリラックスさせるポーズを挟むから、全部やろうとすると2時間近くかかってしまうのだ。部分的にでも、短時間でも、やらないよりはやったほうが良いということは、頭では分かっているのだが、私は妙に完全主義なところがあり、やるとなればきちんと時間をとって全部やりたいと思ってしまう。それが自宅でアーサナをできない理由のひとつだと気付いたのだ。
ひとつのアーサナでも、呼吸はこう、背筋はのばす、肩の力は抜くなど、注意すべき点はいくつもある。それをいちいち意識しなくてもできるようになるまで、繰り返しやってみるというのでも良いわけだ。
先に書いたシャヴァ・アーサナにしても、仰向けに寝て全身の力を抜くというだけのことなのだが、これが案外難しい。どこかに力が入ってしまうのだ。首筋や肩のあたりとか。特に顔全体を弛緩させるのは至難の業だ。〈屍の形〉と訳されるほどだから、私は死体の写真やデスマスクを思い浮かべたりしている。怖いとか悲しいなどの気持を別にすれば、死者の顔ってだいたい安らかだと思いません? それに、忍者のように〈気配を消す〉という側面もあって、私は気に入っている。
もっとも、このシャヴァ・アーサナは、自分の肉体を極限まで曲げたり伸ばしたりするアーサナ(無理に力を入れてそうするのではない。今の自分ができる範囲の中で、精一杯曲げたり伸ばしたりすればいいのだ。やがて、水滴が岩をうがつように、少しずつできる範囲は広がってゆく。いい話でしょ)の合間に挟むものなので、アーサナの例としては適当ではなかったかもしれない。
さて、今夜はひとつ、バッダコーナ・アーサナ(閉脚の形)にでも挑戦してみるか。
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