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2014-05-25

発信すること

テーマ:映画
なんと、昨年8月8日以来の更新である。自分の書くものに、どれほどの意味があるのか、という思いが常にある。慧眼と認める知人から「つまらぬ」と言われたこともある。打たれ弱い私は、黙り込む。物言えば唇寒し……という思いもある。

昨日(5月24日)から、シネ・ヌーヴォで「革命の映画/映画の革命」という特集上映が始まった。これは、ボリビアのホルヘ・サンヒネス監督を中心とする「ウカマウ集団」が制作してきた全作品のレトロスペクティヴだ。
その1本目として、最新作『叛乱者たち』(2012年)を見た。チラシによれば《18世紀末、スペインの支配からの解放を目指す先住民族の戦いに始まり、(中略)2006年、ついに先住民出身のエボ・モラレス政権が誕生するまでの歴史を物語り……》とある。200年以上にわたって抑圧・差別されてきた先住民たちの戦いの記録と記憶が、83分のうちにコンパクトにまとめられている。南米大陸の内陸部にあるボリビアという国の知られざる歴史に触れるという興味が、映画を最後まで飽きさせないが、私はずっと「健全だなあ」という思いで見ていた。
公園に入ることも、道路の歩道を歩くことも許されなかったという先住民たちの被虐性は目に余るものだが、それに対して、直接民主主義と言ってもよい集団的討論を繰り返すことによって対抗策を考え実践してきた抵抗の歴史、新自由主義を背景とする多国籍企業の水や天然ガスの収奪に対する闘争など、そこには負け戦を覚悟しつつも正しいと思うことを主張し、正義を実現しようとする強い意志が連綿と脈打っている。
それを見て、「健全だなあ」と思った次第。ひるがえって、わが国はどうか。3・11以後、見捨てられる被災者たち、根本的見直し・出直しが行なわれない原発政策、特定秘密保護法、集団的自衛権……。どうしてこんな国になってしまったのか、という思いが強い。そして、私ごときが何を言っても、この流れは変えられないだろうという諦念。

『叛乱者たち』の上映後には、ウカマウ集団の映画を日本に紹介し、今日まで彼らと並走してきた太田昌国さんのトークもあった。出版社「現代企画室」編集長であり、『極私的60年代追憶』『「拉致」異論』などの著書もある太田さんは、世界を覆うグロバリゼーションや新自由主義への違和感を、静かに、しかしキッパリと語られ、それらの言葉は、めずらしくストンと私の胸に落ちてきたのだった。

というわけで、たとえ負け戦であっても、ごまめの歯ぎしりであっても、言いたいことは言っていこうと思ったのだ。小さな発信であっても、いくばくかの影響を他に与えられるかもしれない、と信じて。いや、「信じて」というほど強い意思でもないのだが。
今日も午後4時40分から、ウカマウ集団制作『地下の民』(1989年)の上映がある。続けて、ウカマウ集団にシンパシーを感じている(?)空族(くぞく)の名作『サウダーヂ』(2011年、監督:富田克也)も上映される。で、私は今日もシネ・ヌーヴォへ行く。
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2013-03-05

『セデック・バレ』を見るべし

テーマ:映画
昨日(4日)の夜、大阪・福島のABCホールで『セデック・バレ』の第一部「太陽旗(たいようき)」が上映された。8日(金)から始まる「第8回大阪アジアン映画祭」のプレオープニングとして。監督のウェイ・ダーションさんも舞台あいさつに来てくれた。その中で印象的だったのは「(日本人と台湾人の)和解を願ってこの映画を作った」という言葉だった。1年ぶりに見る彼は、やはりどこまでも誠実で偉ぶらない、好い人でありました。昨年は不肖わたくしがトークショーの司会を務めたので、ひよっとしたら覚えていてくれるかな、などと思っていたが、顔を合わせる間もなく、作品キャンペーンのために東京へあわただしく向かわれた。
映画についての感想は、昨年3月19日のこの日記に書いたので繰り返さないが、今回あらためて見て感じたのは、ウェイ・ダーションは抒情の人なのだなあということだった。その意味では、前作の『海角七号/君想う、国境の南』と変わってはいない。また、殺し殺されという激烈な内容なのに(歴史的事実としてそれがあった)、残酷なシーンは極めて抑制して撮られていると感じた。
この映画、ともかく余計な先入観を持たずに、できるだけ多くの人に見てほしいと思う。第一部・第二部で計4時間36分におよぶ大作。東京では4月20日(土)からユーロスペースと吉祥寺バウスシアターで、大阪では4月27日(土)からシネ・ヌーヴォと第七藝術劇場で、その他全国40館で順次公開される。
ぜひご覧ください。

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2012-10-09

私のトピックス/その2

テーマ:映画
ノーベル医学生理学賞を受賞された山中伸弥さん、おめでとうございます! まったく面識はないが、お人柄も良さそうだし、大阪人で、講演でも必ず笑いをとることを心がけているというのも嬉しい。
原発問題で脚光を浴びた京大原子炉実験所助教の小出裕章さんもそうだが、学者・研究者の世界には、本当に人類や地球のことを思い、私利私欲なく地道な研究や実験に没頭している人がいるようで、まことに清々しい。

さて、私が主宰する(と言うのもおこがましいが)月一回の映画観賞会は今も続いていて、先月はアッバス・キアロスタミ監督の『ライク・サムワン・イン・ラブ』を見た。見る作品・日時・映画館を私が決め、毎回30人ほどにメールをお送りしているが、来られるのは大体2~3人。この日は、Nさん、Yさん、K先生の3人がお越しになった。
イランの監督が、日本人俳優とスタッフを使い、日本で撮り、日本語で作られた日本・フランス共同製作という作品。侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の『珈琲時光』を思い出したりした。
おもな登場人物は3人で、84歳の元大学教授タカシ(奥野匡)、女子大生のデートクラブ嬢・明子(高梨臨)、その彼氏のノリアキ(加瀬亮)。タカシは亡妻にも似たデートクラブ嬢・明子を自宅マンションに呼ぶが、明子はタカシが用意しておいた食事にも手をつけず、眠いと言いだす。翌朝、タカシは明子を車で大学まで送るが、そこにはストーカー的に明子を束縛しようとするノリアキが待っていて、明子に詰め寄る。タカシはその様子を車の中から見ているが、会話の内容までは分からない。ノリアキはタカシを明子の祖父だと勘違いする。やがて、ノリアキはタカシと明子の関係を知り、タカシのマンションに押し掛けて手荒くドアをたたく。その部屋には明子も居て……。
というような展開が、24時間にも満たない時間設定の中で起こる。説明的なセリフはまったくないので、謎がやたらに多い。そもそも、タカシはどこで明子を見つけたのか。明子を部屋に呼んだ理由は何か。ノリアキはどのようにして二人の関係を知ったのか。しかし、その「二人の関係」すらも曖昧なのである。
それはまるで3人の人生の中に突然飛び込み、わけも分からぬままに一晩と半日付き合わされ、また唐突にそれを打ち切られてしまったような映画体験なのだっだ。キアロスタミ監督は「私の映画は始まりもなく、終わりもない」と語り、また、タカシ役の奥野匡も「撮影に入るときになっても台本はないと言われ、毎日翌日撮影する分だけしかもらえませんでした。だから明子とタカシのあいだに何があったのか、僕らにもわかりません」と語っている。だとすれば、この謎の多さ、曖昧さは監督の意図したことではないのか。つまり、人生とはこういうものだと。

映画を見終わったあとは飲み会と決まっていて、この日も4人で居酒屋へ。見てきた映画の話になることもあれば、まったく触れられないこともあるのだが、この日は映画の話で盛り上がった。なにしろ謎だらけなのだから。たとえば、老教授はなぜ運転中の信号待ちで居眠りをしてしまったのか、という問題について。K先生は歳をとると眠くなるんだと言い、私はノリアキとの対決で実は疲れていたのではと混ぜ返す、という具合。
そんな話をしていると2時間があっという間に経ち、さてそろそろお開きにするかというころ、K先生が携帯のメールに気づいた。なんと、別のYさんが飲み会に合流しようと、どこかで待っているという。みんな青くなった。話に夢中で、4人とも携帯の電源を切ったまま(つまり、映画が始まる前に4人ともお行儀よく電源を切ったということ)だったのだ。あわてて電源を入れたら、私の携帯にもGさんからのメッセージが残っていた。「ヨドバシカメラあたりで時間をつぶしてます」と。というわけで、この日は2人の女性に待ちぼうけをくらわせてしまったのだった。すみませんでした!

翌日の夕方、K先生からメールが来た。「パンフレットを読んでいたら、女性評論家が、朝うとうとしてしまうのは、あの二人がしていたからだと書いていました。なるほど!と膝を打ちました。」とある。えーっ!?と思い、私もパンフレットを読み返してみた。川口敦子さんが《明かりが消えた後、ふたりは何かをしたのか。》と書いているが、「した」とは断定していない。しかし、朝の車の中で明子があくびをしていたことにも言及していて、これは私が見落としていた部分で、ちょっと分からなくなった。だが、タカシがソファーの毛布をたたんでいるカットもあったはずで、それはタカシがソファーで寝たことを示しているのではないか。うーん、これはもう一度見てみなければ。
京都映画祭で、この日のメンバーを交えてまた飲んだ。当然この話になり、K先生とYさんは「した」派、Nさんと私は「していない」派に分かれた。ますます、もう一度見てみなければという気持が強くなった。
もう上映は終わったと思っていたが、大阪では12日まで梅田ガーデンシネマで朝一回だけ(9:50~)上映していることが分かった。もちろん見に行くつもりだが、何度見ても迷うような気もしている。

ところで、タイトルの意味は「恋をしている誰かのように」ということだろうか。なかなか良いタイトルだと思う。私が身近に感じるのは、当然ながらタカシだが、84歳の恋心はまだ分からない。
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2012-08-09

木下惠介を見直す

テーマ:映画
シネ・ヌーヴォで「生誕百年 木下惠介監督全作品上映」が始まっている。全49作品が一挙に上映されるのは、世界初。しかも東京発ではなく、この大阪だけの企画である。
木下惠介といえば『二十四の瞳』『喜びも悲しみも幾歳月』あたりが有名で、抒情的でセンチメンタルというイメージが強いかと思う。私もそう感じていた一人だが、今回あらためて見直してみて、それだけではない幅の広さと透徹した人間観察眼に驚いている。
『お嬢さん乾杯』『破れ太鼓』などはコメディで、しかも実に上質なセンスの良い笑いに接することができる。
『二十四の瞳』にしても、小豆島の美しい風景(余談になるが、今日8月9日は長崎に原爆が落とされた日。それを教訓として生かせず、再びこの風土を放射能で汚してしまったのかと、木下作品の美しい風景を見るたびに思う)、無垢な12人の子どもたちと大石先生との心温まる交流だけでなく、当時の貧困、太平洋戦争へと突き進んでいく世相の息苦しさ、そして戦争の悲惨さ理不尽さもきっちりと描かれている。
『少年期』という作品も素晴らしい。ここにも戦争が影を落としているが、疎開した家族を通して、価値観を押し付けられることの怖さ、それでも節を曲げない人間の潔さ誇り高さを、静かに映し出している。
『惜春鳥』もいいなあ。中学時代に仲の良かった5人の青年が、20歳ぐらいになって再び集う。しかし、それぞれの経てきた人生があり、もう昔と同じ5人ではない。将来を嘱望されていた一人は、詐欺事件にかかわって逮捕される。貧困の苦しさを知っている一人は、見合いの相手が友の好きな人だと知りながら、条件の良いその話に乗る。しかし、とことん友に尽くし、守ろうとする一人もいる。8月4日にシネ・ヌーヴォでトークをしてくださった追手門大学名誉教授の佐々木徹さんは、その著書『木下恵介の世界』の中で《『惜春鳥』は、友情の挽歌である。》と書いておられる。言い得て妙、という言葉が浮かんできた。
木下監督の実験精神・チャレンジ精神にも舌を巻く。オールロケで、登場人物はほぼ男と女の2人だけという『女』。そうかと思えば、オールセットで歌舞伎仕立ての『楢山節考』。相思相愛の人がありながら、犯された男の妻にならざるを得なかった女の情念を描いた『永遠の人』では、なんとフラメンコが映画音楽に使われ、しかもその歌詞は日本語!
『日本の悲劇』『女の園』などは、山本薩夫も真っ青の社会派作品と言ってもいいだろう。
というわけで、何を見ても面白く、作品ごとに期待も高まるのだが、今のところ「私の」木下作品は『野菊の如き君なりき』である。泣くもんか、泣くもんかと思いつつ、最後にはこらえ切れずに涙してしまう。こんなにうつくしく、陶酔できる恋愛映画があるだろうか。政夫と民子の健気さ、他者への思いやり、秘められた一途さがたまらない。それゆえ、流す涙でこちらの心が洗われてゆくように思えるのだ。
「生誕百年 木下惠介監督全作品上映」は、9月7日までシネ・ヌーヴォでやってま~す。
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2012-03-19

大阪アジアン映画祭「私の一本」

テーマ:映画
昨日、ある人から「お誕生日からブログ更新されていませんね」と言われ、もうそんなになるか、と思った。
更新できなかったのは、「第7回 大阪アジアン映画祭」の準備のためだった。1月・2月は同映画祭のポスター、チラシ、公式カタログづくりに忙殺され、「過労死するのはこんなときか」と思うぐらい働いた。ちょうど単行本(きのこ著『発酵マニアの天然工房』三五館)の仕事と重なったためもあるが、1月中には、2晩続けての徹夜を2回もやっている。自分でも信じられないぐらいだ。
かくしてポスター2種、チラシ(16ページ)、公式カタログ(69ページ)が出来上がり、3月9日からの映画祭本番は映画を見まくるぞ、と思っていたのに、なにしろお金と人が足りないため、トークイベントの司会やら映画上映時の舞台挨拶および質疑応答の進行役などの仕事を仰せつかり、そういうのは大の苦手なのに「素人っぽさが新鮮で良かった」などとおだてられ、結局5、6本の映画で人前に立つことになった。無事に終わったから言えることでもあるが、質疑の内容を振り返ってみて、大阪アジアン映画祭の観客は温かく、レベルが高いと思う。
そんな中で特に印象深いのが、トークイベント「『セデック・バレ』ウェイ・ダーション監督を囲んで」の司会を担当したことだった。『セデック・バレ』(11年)は台湾の劇映画で、第1部「太陽旗」(143分)、第2部「虹の橋」(131分)からなり、日本統治時代の1930年(昭和5年)に台湾中部の山岳地帯で起こった先住民の抗日暴動「霧社(むしゃ)事件」を描いている。
この霧社事件は、1992年に55歳で亡くなった小川紳介監督が、その晩年、台湾の若き映画人たちと協同してドキュメンタリー作品にしたいと言っておられたテーマで、私には感慨深いものがあるのだ。また、こういうハードな題材を『海角七号/君想う、国境の南』(08年)のウェイ・ダーション監督が取り上げたことにも興味があった。
そんな思いを抱きつつ『セデック・バレ 太陽旗』と『セデック・バレ 虹の橋』を見た。これが素晴らしい。日本人にも台湾先住民にも同等に視線が注がれている。先住民セデック族には「首狩り」という習俗あるいは宗教的慣習があるのだが、そのことも真正面から捉えている。ーーしかし首を切る描写は極めて抑制されている。この映画を「残酷」「野蛮」などと批判する向きもあるようだが、どうかしていると思う。ーーまた、日本人と結婚させられ蜂起に加われなかった先住民の苦悩、蜂起した300人を追走する立場になった先住民の葛藤もあり、事実を基にした物語は重層的な相貌を見せる。
さらに、アクション映画としても見事な出来栄えである。裸足で縦横無尽に山を走り、沢を渡り、樹の上に隠れ、飛び降り、神出鬼没で日本軍をおびやかすセデック族の戦士たちは、ともかくカッコいい。その族長モナ・ルダオの顔、声、言葉の味わい深さも忘れがたい。彼は俳優ではなく、牧師になる勉強をしている素人なのだというから驚く。
私が最も感銘を受けたのは、蜂起すれば、その先には死しかないことが分かっていて、それでも守らなければならないものがあるという彼らの強い志だった。人は何のために生き、また死ぬのか。その目的を明確に持てた300人の戦士は、間違いなく彼らの「虹の橋」を渡っただろう。
さて、トークイベント直前の打ち合わせで、私はウェイ・ダーション監督に「こういう質問は困るとか、これについては言いたくないということがありますか」と訊いた。中国と台湾の関係、日本の侵略についてなど、さまざまな立場や意見があり、トークイベントでの監督の発言が、台湾や中国で問題になることがあるやもしれない、と考えたからだった。
監督の返事は「いや、何もありません。どんな質問が出ても答えます」だった。小柄で華奢、優しい顔立ちのウェイ・ダーション監督は、実に骨太な大人(たいじん)でありました。トークイベント本番でも、70人以上の参加者を前に、マイクの設備もない会場でよく話してくださり、1時間の予定が1時間半にも及んだ。
そのトークイベント後に、満員のABCホールで『セデック・バレ 虹の橋』が上映され、時間の関係で質疑応答は行なわれなかったが、舞台挨拶はあり、監督と並んで私もマイクを持って舞台に立った。そして最後に、「この映画、台湾では昨年の9月に公開され、大きな反響を呼んだと聞いております。日本での公開はまだ決まっておりません。前・後編を合わせると4時間半にもなりますが、ここに配給会社の方がおられましたら、ぜひご検討いただきたいと思います。台湾と日本で公開されてこそ、この映画は完結したと言えると思いますので」と言えたこと、少し拍手をいただけたことが嬉しかった。
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2011-08-10

見るべし『大鹿村騒動記』

テーマ:映画
7月19日に71歳で亡くなった原田芳雄さんの追悼を、私なりに行なってきた。
シネ・ヌーヴォで『原子力戦争』(78年、監督:黒木和雄)と『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』(85年、監督:森崎東)を見、テアトル梅田で『反逆のメロディー』(70年、監督:澤田幸弘)、『ツィゴイネルワイゼン』(80年、監督:鈴木清順)、『われに撃つ用意あり READY TO SHOOT』(90年、監督:若松孝二)、『父と暮せば』(04年、監督:黒木和雄)を見た。そこには、40年以上にわたって、金はないが映画を撮る志は熱く高い監督たちに共感し、自由奔放な演技でそれに応え、また自らの映画魂をスクリーンに刻印してきた原田芳雄さんの姿があった。
直接お話ししたことはないが、守口(もりぐち)で行なわれていたころの「おおさか映画祭」(おおさかシネマフェスティバルの前身)に受賞者として来てくださったときには、われわれスタッフと居酒屋で酒を酌み交わし、シネ・ヌーヴォにゲストとして来てくださったときには、旧松島遊郭の中にあった(今はない)和風旅館をいたく気に入ってくださるなど、その飾らない気さくな人柄から、兄貴分のように思ってきた。
そして今日、梅田ブルク7で最新作であり遺作となった『大鹿村騒動記』(11年、監督:阪本順治)を見てきた。結論から言うなら、これが遺作でよかった! 笑って、泣いて、ジンときた。原田芳雄さんは堂々たる主役ぶりである。
亡くなる8日前、この映画の完成披露試写会に車椅子で現れた、やせて痛々しい姿の原田さんとは別人のように立派な体躯でもある。
内容についてはあえて触れないが、長野県下伊那郡大鹿村に300年続く村歌舞伎が物語の柱になっていて、私に歌舞伎の素養がないのが悔やまれた。しかし、そんな人のために(?)、必要最低限のことは瑛太君が台詞の中でうまく説明してくれる。脚本は荒井晴彦と阪本順治。
デビュー作『どついたるねん』(89年)から見ている阪本順治監督も大御所になったなあとか、共演している大楠道代、岸部一徳、石橋連司ら、原田さんの同志と言ってもいい人たちの思いはどんなだろうとか、さまざまなことが思い浮かぶ。さらに付け加えれば、キャメラの笠松則通も良い。ラストに流れる忌野清志郎の「太陽の当たる場所」も泣かせる。女の子のような声を出す新人・富浦智嗣(とみうら・さとし)も良いアクセントになっている。
梅田ブルク7での上映は8月19日までだが、ともかく一人でも多くの人に見てもらいたい「大人の映画」だと思う。映画人の粋な計らいか、料金は一律1000円である。
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2011-06-13

近況

テーマ:映画
書かないほうが楽なので、ついつい更新をサボってしまう。しかし、ときどき覗いてくださる方もあるようだから、どうってこともない近況だが、思いつくままに書いておこう。
シネ・ヌーヴォで「生誕百年記念 森一生映画旅」が始まった。初日に『銭形平次』(1951年)、『花の講道館』(1953年)、『薄桜記』(1959年)の3本を見る。『銭形平次』と『花の講道館』は長谷川一夫主演。ともによく出来ている。「講道館」のほうは柔術家の役だから、どうかなあと思ったが、話が面白いので引き込まれて見た。「銭形」の犯人捜しも二転三転で、飽きさせない。でも、寛永通宝だかを投げて敵を倒すのは無理があるなあ、やっぱり。
『薄桜記』はまさに傑作で、見逃したら損。市川雷蔵と勝新太郎のダブル主演だが、実質的には雷蔵の映画。常に筋を通す身の処し方をし、心から妻を愛している武士が、奸計によって追いつめられ、妻を離縁せざるをえない状況に陥る。その運命は悲惨きわまりないが、最後まで妻を想う気持を貫く、そこがうつくしい。
『薄桜記』の後は、映画評論家・山根貞男さんのお話を聞く。森一生という監督は、映画を撮ることが大好きだったようだ。別の監督がスタートさせたシリーズ物の2作目、3作目をあてがわれても頓着せず、一生懸命に撮ったという。そんなに現場が好きな監督も、夕方になるとソワソワしだすというエピソードも面白かった。もり・いっしょう(本名はかずお)と呼ばれるほど酒好きだったからだ。撮影を終えて、みんなと飲みたかったのだ。映画職人に徹して仕事をし、夜は仲間と酒を飲む。そのようにして生涯に129本を撮った森一生の人生も、うつくしいと思う。

翌日、BSプレミアム(BS2がBSプレミアムになったらしいのだが、プレミアムとは何のこっちゃ。私はいつもビールを連想してしまう)で『キューポラのある街』(1962年、浦山桐郎監督)を見る。これがまた素晴らしい。過酷な労働、貧困、組合、朝鮮人差別、北朝鮮への帰還……そんな環境の中で健気に生き抜こうとする少女(吉永小百合)。「社会派」と呼ばれることが多い作品だが、そんな分類はどうでもよく、こういうリアルな映画が今ないことが寂しい。
これがデビュー作なのだから驚くが、こういう傑作を最初に撮ってしまった浦山監督の、その後の苦労・葛藤も思わずにはいられなかった。

明日は『戦火のナージャ』(2010年、ニキータ・ミハルコフ監督)を見に行こうと思っている。
また映画の話に終始してしまった。次回は別のことを書くつもり。

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2011-02-03

「大阪アジアン映画祭」に向けて

テーマ:映画
先月から急に忙しくなり、今年、映画館で見た映画はまだ2本(『最後の忠臣蔵』と『モンガに散る』)。すべて、目前に迫った「大阪アジアン映画祭2011」(http://www.oaff.jp)の準備のためである。私は印刷物担当で、ポスター、チラシ、公式カタログづくりなどに追われている。上映作品は、関西初上映、日本初上映、海外初上映、世界初上映となるものが多く、情報も限られているため、作品名・監督名・作品解説・人物プロフィールなどの確定に気を使う。これがまた、途中で変更になったりするので、常に気が抜けない。
先月末、ようやくチラシ(といっても16ページもある)が私の手を離れた。次は大物「公式カタログ」づくりである。おそらく、映画祭が始まるまで、この日記もあまり更新できないだろう。映画祭にかかわる者は映画を見られない、という矛盾。しかし、映画祭の日程は決まっていて、そのときに役に立ち、分かりやすく、正しく、美しい印刷物をお届けしたい。またそれは、〈物〉として後世に残るのだ。そのためには、私のプライベートなど、どうだっていいのだ。
事務局の皆さんも、連日深夜までお仕事をされています。それでも、大阪アジアン映画祭がつまらなければ、どうしようもない。でも、今年も凄いんです。ラインナップには自信を持ってます。どうぞ皆さま、これを読まれたら、ぜひ「大阪アジアン映画祭2011」にお越しください。お待ちしております。
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2010-12-17

「東京フィルメックス」リポート/その5

テーマ:映画
このリポート、読者のほとんどが見ていない映画について書いているので、読むほうは面白くないだろうと思うが、乗りかけた船なので最後までやってしまいたい。いましばらく、お付き合いください。

『Peace』監督:想田和弘
『選挙』『精神』などのドキュメンタリー作品で知られる想田和弘監督の新作。
監督の義理の父母・柏木寿夫と廣子は、岡山市で介護ヘルパーを派遣するNPOを運営している。意義ある仕事だが、運営は楽ではない。キャメラは、二人の仕事と生活に密着する。
白眉は、ヘルパーが訪問するお年寄りの一人、橋本至郎氏の存在だ。撮影時91歳で一人暮らし。肺ガンの末期だが、両切りのピースを愛煙し、経済的な理由から入院せず、自宅療養。その自宅がすごい。ベッドひとつが、生活空間をほぼ占領している。流しの石鹸はネズミにかじられ、部屋にはダニだかノミがいるらしく、訪問ヘルパーは虫除けスプレーを欠かせない。
つまり、このご老人、地位も名誉も家族も財産もないのだが、人格的に素晴らしいのだ。ヘルパーが来るときには、シャツとネクタイを着用する(ズボンをはいていなかったりするが)。病院へ連れて行ってもらうと、看護師さんたちから親しく声をかけられ、「ありがとうございます。ご迷惑をおかけして申しわけありません。早くあの世へ行きたいのですが、こればっかりはどうしようもなく、ご迷惑をおかけしております」などと言うのだ。これは、20年後、30年後の自分の境遇かもしれない。ならば、せめてこの橋本老人のように達観してありたい、と思った。おそらく、もう亡くなっているだろう。ご冥福を祈る。
今回の東京フィルメックスで、観客賞を受賞。

『ふゆの獣』監督:内田伸輝
同じ職場で働く4人の男女の恋愛模様。ありがちな設定だけど、心理描写や会話の密度がハンパではない。
シゲヒサとユカコは半同棲のような関係。しかし、シゲヒサはアルバイトのサエコと浮気している。そのサエコはノボルと何度かデートし、ノボルから告白もされるが、「友達以上には思えない」と拒否している。ある日、シゲヒサの煮え切らない態度に疲れ果てたユカコが地下道でうずくまっているところにノボルが通りかかり、話を聞いているうちに……。
こう書いても、やはり凡庸な話ではあるが、男を問い詰める女、言い訳から逆ギレになる男、ようやく告白する気弱い男、自分に正直に(?)拒否する女などの会話のリアルさ、ときに「そんな自分勝手な」と言いたくなるような、しかし身に覚えがあるような心理展開に納得し、その描写に舌を巻いた。
内田監督は、インディペンデント映画の世界では有名な人らしい。この映画も超低予算で作られたとか。人物設定と場面(シーン)は監督が考え、そこに俳優たちを放り込んで、会話は全部アドリブだという。名前も知らない4人の俳優(佐藤博行、加藤めぐみ、高木公介、前川桃子)が、それぞれに見事だ。
今回の東京フィルメックスで、最優秀作品賞を受賞。

『夏のない年』監督:タン・チュイムイ
「マレーシア映画新潮」に連なる映画か。悠然たる長回しの、映像詩のような美しく静かな画面が、延々と続く。あまりの心地よさに眠ってしまい、もう一度見たが、やはり少し眠ってしまった。
タン・チュイムイ監督は驚くほど若いお嬢さんだった。自分の故郷である海辺の村スンガイ・ウラでこの作品を撮ったという。
アザムという男が、30年ぶりに故郷の村を訪れる。かつての親友アリとその妻ミナは、温かく彼を迎える。三人は夜釣りに出かけ、少年時代の思い出や村に伝わる人魚伝説などの話をする。映像は、彼らの少年時代を描いたりもするが、これといったドラマは起こらない。アザムは村を出て歌手になったらしいが、それほど有名でもないようだ。何も起こらず、何もなく、しかし海や森は限りなく美しい。それでいいじゃない、それが大切、と監督は言いたいのか。あまりに抑制がききすぎていて、何を言いたいのか分からない映画になっていると思う。しかし、忘れがたい映像である。

今日はここまで。では、また。
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2010-12-14

「東京フィルメックス」リポート/その4

テーマ:映画
ほぼ毎日、ホームページを更新している人がいる。しかも長文。仕事もあるだろうに、いったいいつ書いているのだろう、どれだけ時間をかけているのだろう、と思う。私など、このリポートに四苦八苦しているというのに。
遅筆の言い訳(?)はこれくらいにして、先を急ごう。「コンペティション」作品の続きです。

『独身男』監督;ハオ・ジェ
中国・河北省の山深い村が舞台。60歳前後の「独身男」たちが、村の辻で何をするでもなくダベっている。仕事(農業)もしているようだが、あまり忙しくはないらしく、しかし収入はそれなりにあるようだ。彼らがなぜ独身なのか、詳しくは語られないが、要するに嫁の来手がないということだろう。そして、その村の不思議な人間関係が描かれていく。
独身男の一人・ラオヤンは、昔の恋人で今は村長の嫁になっているアーヤートウと関係をもっている。それが「これ、ちょっとお裾分けね」とか言いながら家に来た女が、ためらいもなく寝床に上がり込み、「時間がないから早くしよ!」などと言うのだ。しかもこのアーヤートウさん、ほかの独身男とも関係があり、知らぬは亭主ばかりなり、なのである。そのあたり、なんとも大らか。必要から生まれた慣習であろうか。あるいは、所変わればモラルも変わる、ということか。
また、ラオヤンが、四川から連れてこられた若い女を6000元(約7万5000円)で嫁に買うというエピソードもある。しかし、この女がラオヤンに懐かず(当然か)、逃げ出そうとする。実際に逃げてしまった例もあるようだ。あげく、村の若い男がこの女に惚れ、「俺の嫁に欲しい」と言いだして村じゅうがすったもんだ。なんともおかしく、哀しい話ではある。
つまりこの映画は、私たちがまったく知らなかった中国農村部の人々の実態をあからさまに見せてくれる。監督自身もこの村の出身で、出演しているのも、四川から来た若い女(女優)を除いて全部村人なのだという。脚本も村人たちと練ったそうだ。それもまた大らかと言うか、ほほえましい気がするが、中国本土では上映できないんだろうねえ。
ラスト、二人の独身男がしゃがんで、夕暮れの山並みを眺めながら交わす会話が秀逸!
今回の東京フィルメックスで、審査員特別賞を受賞。

ああ、今日も一本しか触れられなかった。このリポートがいつ終わるのか、私は知りません。
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