今日のお仕事 | ケセラセラ通信日記

今日のお仕事

この日記の5月5日に、特集上映「彷徨する魂を追う~NDUからNDSへ~」のことを書いた。いま彼らNDS(中崎町ドキュメンタリースペース)は、その記録集を作っているという。そこに、上映作品の一本『遺言なき自死からのメッセージ』の作品評を書いてくれないか、と宣伝担当のGさんから頼まれた。
なぜ私なのか、は訊かなかったが、嬉しいことである。喜んで引き受けた。

『遺言なき自死からのメッセージ』(2010年、梶井洋志監督)は、他のNDSメンバーが社会的弱者をテーマにしているのに対し、自分(監督)の父親の自殺と後輩の女子学生の母親の自殺を題材にしている点で、NDS作品の中では異色と言っていい。パーソナル・ドキュメンタリーの範疇に入る作品であろう。
ふたつの自死に言及しつつ、そのどちらの原因にも迫れていない、という側面もある。だから駄目、と斬って捨てるのは簡単だが、私はこの映画に流れている何か思索的・内省的な面に惹かれた。それは、いま27歳の監督の人柄でもある。真面目で素直なのだ。彼に寄り添って考えてみたらどうか。
同じ悲しみを共有しているはずの家族(母と弟)に向き合えない、という限界にも映画の中で正直に触れている。ノリコという後輩のケースを撮ることで、そこに自分の思いを投影することができるのではという期待も、自殺した人の背景や残された家族の思いなどが違い、思うようには進まない。
つまり、自殺の内実は人それぞれで、しかもその人がもうこの世にいない以上、その原因も正確には分からないのだ。この当たり前のことに、当初の目論見が崩れていく中で、監督は気づいていったのではないか。
まあ、そんなことを書いたつもり。

DVDを送ってもらい、それを繰り返し見て、4200字ほどにまとめた。大作でしょ。執筆時間は、のべ26時間。やっつけ仕事ではないが、そのぶん軽さやユーモアには欠けるかもしれない。まことに文章を書くのは難しい。そうそう、締め切りもちゃんと守りましたよ、K先生!

『遺言なき自死からのメッセージ』を見ている人は少ないだろうが、せっかくだからいずれ当ブログの「映画評」にも載せるつもり。しかし、まずは記録集で活字になるのを待とう。それが仁義でもあろうし。