2010-07-29

今日のお仕事

テーマ:映画
この日記の5月5日に、特集上映「彷徨する魂を追う~NDUからNDSへ~」のことを書いた。いま彼らNDS(中崎町ドキュメンタリースペース)は、その記録集を作っているという。そこに、上映作品の一本『遺言なき自死からのメッセージ』の作品評を書いてくれないか、と宣伝担当のGさんから頼まれた。
なぜ私なのか、は訊かなかったが、嬉しいことである。喜んで引き受けた。

『遺言なき自死からのメッセージ』(2010年、梶井洋志監督)は、他のNDSメンバーが社会的弱者をテーマにしているのに対し、自分(監督)の父親の自殺と後輩の女子学生の母親の自殺を題材にしている点で、NDS作品の中では異色と言っていい。パーソナル・ドキュメンタリーの範疇に入る作品であろう。
ふたつの自死に言及しつつ、そのどちらの原因にも迫れていない、という側面もある。だから駄目、と斬って捨てるのは簡単だが、私はこの映画に流れている何か思索的・内省的な面に惹かれた。それは、いま27歳の監督の人柄でもある。真面目で素直なのだ。彼に寄り添って考えてみたらどうか。
同じ悲しみを共有しているはずの家族(母と弟)に向き合えない、という限界にも映画の中で正直に触れている。ノリコという後輩のケースを撮ることで、そこに自分の思いを投影することができるのではという期待も、自殺した人の背景や残された家族の思いなどが違い、思うようには進まない。
つまり、自殺の内実は人それぞれで、しかもその人がもうこの世にいない以上、その原因も正確には分からないのだ。この当たり前のことに、当初の目論見が崩れていく中で、監督は気づいていったのではないか。
まあ、そんなことを書いたつもり。

DVDを送ってもらい、それを繰り返し見て、4200字ほどにまとめた。大作でしょ。執筆時間は、のべ26時間。やっつけ仕事ではないが、そのぶん軽さやユーモアには欠けるかもしれない。まことに文章を書くのは難しい。そうそう、締め切りもちゃんと守りましたよ、K先生!

『遺言なき自死からのメッセージ』を見ている人は少ないだろうが、せっかくだからいずれ当ブログの「映画評」にも載せるつもり。しかし、まずは記録集で活字になるのを待とう。それが仁義でもあろうし。
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2010-07-25

大阪の夏

テーマ:日常
天神祭を見に行った。夕方、友人親子と待ち合わせ、まずは天神橋筋七丁目の蕎麦屋で腹ごしらえ。ビールは舐める程度にしておく。
都島橋まで歩き、橋の上から花火見物。打ち上げ花火は見えるが、下のほうで光る仕掛け花火(?)は木の陰で見えず、なんだか締まらない。ポンポンと上がり、5分ぐらい待って(つまり、その間は下のほうで上がっている)またポンポンという具合だから。30分ぐらいで飽きてしまった。
もっと花火に近い源八橋まで行ってみることにする。屋台の並んだ大川沿いの道を歩いたが、源八橋に近づくにつれて人が増え、いささかうんざり。たこ焼きやらアイスクリームやらを持った若者たちが行き交い、いつ服に付けられるかと気が気ではない。
ようやく源八橋にたどり着いてみれば、警官がわんさと居て、人を立ち止まらせないようにしている。その整理の仕方に文句をつけ、早々に立ち去る。
せっかくだから大阪天満宮まで行ってみようということになり、また歩く。ちょっと喫茶店で休みたいと思うが、そういう店がない。あっても、満員。松ケ枝町あたりで見つけたカフェもほぼ満席だったが、「別々の席でもいいですから」と、強引に入れてもらう。かくして、2人はテーブル席、2人はカウンターで、ジュースやコーヒーを飲む。しかし、店内は禁煙。仕方なく、私だけ外のテラスで煙草を吸う。ちょうど花火が終わる時刻で、そのクライマックスのすさまじい音だけがドドドドドン!と響いてきた。
カフェを出て、天満宮の近くまで行ったとき、「シネ・ヌーヴォ」スタッフのYさんとばったり。浴衣姿が素敵でした。
大川から天満宮に続く路上で、宮入りの行列を見物。「ソレーッ」の掛け声とともに、若い女の子たちが踊りながらゆっくりと進んでいく。汗にまみれ、でも明るい表情で自分に与えられた仕事を全うしている彼女らを見るとき、私はいつも元気をもらい、「大阪の夏だなあ」と思う。
神霊が納められているという御鳳輦(ごほうれん)が帰っていくのも見て、その場を後にする。南森町駅近くのスペイン料理屋へ入り、「今日はよく歩いたね、お疲れさま~」と一杯。さあ、また明日から頑張るぞ!
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2010-07-20

キッパリと夏

テーマ:日常
各地に豪雨と災害をもたらした梅雨が明け、キッパリ!と夏が来た。蒸し暑い日本の夏は苦手なのだが、この数日の突き抜けた明るさは気持がいい。

夏休みの記憶からか、何か目標を持って「秋までには」と決意するのにふさわしい季節、という気もする。もっとも、そういう目標を達成できたためしはないのだが。しかし、こうもくっきりと夏になると、懲りずにまた目標を立てたくなった。
何を目標にするかは言わない。達成できなかったときにミジメになるから。
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2010-07-10

お気をつけて

テーマ:日常
またもや電車ネタになるが、シネ・ヌーヴォで映画を見た帰り、昨夜の午後10時40分ごろのこと。
地下鉄中央線・九条駅のベンチに座って本を読んでいた。すると、向かいのホームから人が線路に落ちた。落ちたところは見ていない。なにか騒がしいので顔を上げると、小柄なおじさん(60代と見た)が線路の上でもがいている。プラットホームの上から青年が手を伸ばし、つかまれと言っている。しかし、おじさんは起き上がれない。酔っているのか、骨折でもしたか。
「列車が入ってくるとヤバイな」と思った瞬間、手を伸ばしていた青年が線路に飛び降りた。こちら側のホームからも一人の青年が飛び降り、二人でおじさんを抱え上げようとしている。プラットホームの上には、もう一人青年がいて、手助けしている。「これでどうやら大丈夫」と思った。
駅員を呼びに行った人もいるようだ。このごろの駅って、プラットホームに駅員の姿がないものね。私の近くに立っていた中年男性は、柱に設置してある非常用ボタン(?)を押した。すさまじい音がして、パトランプのような赤い警告灯がホームのあちこちで回り始めた。
誰が指示したわけでもないのに、その連係プレーは見事であった。私はといえば、ただ座ってそれを見ていただけだったが、内心は「俺が飛び降りて、もしプラットホームに上がってこれなかったら、二次災害になりかねないしな」などと考えていた。
おじさんは無事に助け上げられ、ベンチへ。そこを痛めたのか、しきりに左の腕をさすっている。駅員も二人走ってきて、おじさんに事情を聞き始める。救助した三人の青年は、いつの間にかどこかへ行ってしまった。
野次馬が集まり、酔っぱらったサラリーマン風の二人は、「あのおっさんか」「電車遅れて、どないしてくれんねん」などと言っている。どうしようもないアホだ。やっぱり男は、寡黙なほうがいい。救助した青年たちを見たまえ。
ひとつ学んだことは、非常用ボタンの効果だ。あれを押すと、走行中の列車にも非常が知らされ、運行が停止されるらしい。非力な私にもできることで、覚えておこうと思った。

むかし私がお世話になっていた雑誌の編集長も、似たような事故で亡くなっている。酔って列車に乗り、目的の駅には着いたが、プラットホームを歩いているときに、停車している列車の連結部分に落ちた。そこで気を失ったか、動けなくなったか、眠ってしまったのかは分からないが、動きだした列車に轢かれて亡くなってしまったのだ。
プラットホームと線路との落差って、けっこうありますからね。そう思って見ると、怖いぐらい。酔っていても、いなくても、皆さまどうぞお気をつけて。
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2010-07-08

ゆずり、ゆずられ

テーマ:日常
先日、京都で市バスに乗ったときのこと。
そのバスが目的地を通るかどうか不安だったので、すこし込んでいたが、運転席の後ろに設置されている路線図を見にいった。小さな字でびっしりと表示してあったので、一人掛けのシートに座っている青年の前に身をのりだす格好になった。すると、その青年が「どうぞ」と言って席を立った。
一瞬、何が起こったのか分からなかった。席をゆずってくれているのだと気づき、「いや、これを見ていただけで」と言ったが、相手はもう席の横に立っている。そこで押し問答をするのもみっともないので、「すいません」と言って座ってしまった。
座ってから、いろいろと考えた。そんな歳に見えたのだろうか。彼の前に身をのりだしたことが、「席をゆずれ」というアピールだと思われたのか。たぶん学生さんだろうが、いまどきこんな青年もいるんだ、等々。
自分が学生のころは、「席をゆずれ」オーラを出しているジジイ・ババアには、意地でも席を替わらなかったものだが。

そして昨日、地下鉄車内でのこと。
梅田駅でどっと乗客が増え、座っていた私の前に、腰の曲がったおばあさんが立った。どこかに座れるところはないかとキョロキョロしている。明らかに「席をゆずれ」オーラを出しているのだが、不思議と抵抗なく席を立つことができた。あなたにゆずったんですよと伝えるために、小声で「あっ、どうぞ」と言うのも自然にできた。おばあさんも、お礼の言葉を返してくれた。
しかし、それからの一駅間が長かった。降りるときにも礼を言われるのは面倒だから、おばあさんにはずっと背を向けていた。周りの乗客たちに「ええカッコしやがって」あるいは「素敵ね♡」と思われてはいないだろうか。自意識過剰なのは分かっているが、そんなことを考えてしまう。でも、たぶんそういう人はけっこういるのだと思う。

で、あの「優先座席」って、どの程度機能しているんだろう。私自身は、なるべくあそこには座らないようにしているが、大股広げて座り、ケータイをいじくっている馬鹿者もよく見かける。「すべての座席が優先席です」と、あれを廃止してしまった電鉄もあったはずだが、その後はどうだったのか。
たしかに、強制されるのはイヤなものだが、今日のように人心が荒廃してしまっては、それも仕方ないのかとも思える。
結論は出ないままだが、初めて席をゆずられ、もう堂々と優先座席に座ってもいい年齢なのか、と思ったりしている今日このごろです。


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2010-07-05

師の沈黙

テーマ:ヨーガ
何度も書いているが、私が通っているヨーガ教室の大師匠は京都におられる。その大師匠が、6月半ばにニューヨークへ旅立たれた。ヨーガ指導のためである。帰国は9月半ばの予定。
出立は伊丹空港からだったので、お見送りに行った。ほかにも10人ぐらいの弟子たちが来ておられて、搭乗までの数十分、師を囲んで歓談した。すると弟子のなかのMさんが、私のことを「このごろ毎週(ヨーガ教室に)来ておられるから、顔色がいいですね」と言ってくださった。私の隣におられた師に対して、言外に「この人、最近は真面目にヨーガに取り組んでいるんですよ」と伝えてくださったのだと感じた。
私はうろたえつつ「いや、いや。僕の問題は、クラスに行った時しかアーサナ(姿勢・ポーズ)をしないということで……」と応えた。事実そのとおりなので、それを聞かれた師から「できれば毎日やったほうがいいね」とか「アーサナをするのも習慣だから、そのきっかけを掴めればね」などの言葉が返ってくるのではないかと思った。
しかし、師はただ微笑んでおられるだけだった。これが、あとから効いてきた。師の沈黙の意味を考えざるを得ないわけで。
「言わなくても、もう分かっているはず」あるいは「何を甘えたことを。アーサナを毎日やるのは基本中の基本。ごちゃごちゃ言わずに実践しなさい」。
沈黙の中に、そんな導きが含まれていたのではないか。

ヨーガ教室に通い始めて、もう5年になる。昨年の春からは週1ペースで参加しているが、その前はムラが多かった。ここまで書いて、過去5年分の手帳を引っ張り出してきた。それによると、2005年の6月15日が最初だ。それから1年半はだいたい週1ペースで通っているが、2007年と2008年はほぼ全滅。考えてみれば、この時期は仕事がうまくいかず、ややウツ状態でもあった。そして2009年の4月から、また週1ペースに戻っている。
だからヨーガを始めて5年といっても、実質はその半分ぐらいだし、しかも通えていた期間中も、週に1回か多くて2回しかアーサナをやっていない。これではとても「ヨーガをやってます」なんて言えたものではない。
そういう時に、師から「毎日やるべき」という示唆を受けた(と感じた)のだから、これはもうやるしかないでしょ。
というわけで、「こんな狭い所ではできない」と思っていた事務所でやってみた。なんとかできるんだな、これが。畳一枚分のスペースがあれば、アーサナはできます。しかも何の器具も要らない。ヨーガの凄さを再認識した。
師が発たれてから今日で18日。毎日はできなかったが、そのうちの12日、つまり三分の二はアーサナをやった。「少しは体重減ったかな」と思い、久しぶりにヘルスメーターに乗ってみたが、変化なしで、ちょっとショック! でも、師が帰ってこられる9月半ばまでには結果を出したいと思っている。誰のためでもなく、私自身のために。

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