2008-06-23

イヤな季節

テーマ:日常
この梅雨どきがいちばん嫌いだということは何度か書いたと思うが、ますます嫌いになりそうだ。
6月17日(火)、川本三郎さんの奥さんでファッション評論家の川本恵子さんが亡くなった。私と同じ57歳。
6月18日(水)、「プレイガイドジャーナル」第3代編集長の山口由美子さんが亡くなった。山口さんも57歳。
6月19日(木)、宮迫千鶴さんが亡くなった。60歳。
3日連続の、しかも同世代の訃報は、さすがにこたえた。
山口由美子さんのご葬儀は大阪であったので、列席した(21日)。『「プガジャ」の時代』でお世話になった方々にお目にかかることができたが、「まさかこんなところで」と言うしかなかった。喪主を務められたご子息は、まだ20代かと思うが、立派に挨拶をされた。

今日も朝から小雨が降っている。亡くなるには早すぎた彼女たちの無念さが、そこここに漂っているかのようだ。ご冥福を祈る。
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2008-06-20

残された

テーマ:日常
私が編集を担当した『「プガジャ」の時代』(ブレーンセンター)にインタビューが載っている山口由美子さんが、亡くなった。『プレイガイドジャーナル』(1971~87年。86年に誌名を『ぷがじゃ』に変更)の第3代編集長を、76年7月から80年2月まで務められた。B6判からB5判になる(83年)前で、このころの「プガジャ」がいちばん面白かったともいわれる。
ご病気だということは聞いていた。ゲラも、人を介して、病院のベッドで読んでくださったようだ。刊行がたいへん遅れた本だけれど、「なんとか間に合った」という思いと、「(亡くなるのは)早すぎる」という思いがある。
一度もお目にかかったことはないのだが、たぶん私と同世代。インタビューを読むと、ざっくばらんで素敵な人だったという印象を受ける。
50代の死を「早すぎる」と感じるのは妥当なことだとは思うが、私にもやがてその日は来る。そして、残された時間はあまりないのだ。焦る気持はないが、ぼやぼやしてはいられない、しっかり生きなければ、と思う。
明日のご葬儀には、出席するつもりだ。 
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2008-06-16

歩み

テーマ:日常
またたく間に日が過ぎる。
11日(水)、写真家の首藤幹夫さんが東京から『ヤーチャイカ』の舞台挨拶に来てくださった。シネ・ヌーヴォ代表・景山の提案で、舞台挨拶は上映1回目と2回目の間、3回目と4回目の間の計2回となり(そのほうが話せる時間が長くなり、かつすべてのお客様に聞いてもらえるので)、しかも2回目は私が司会を務めることになった。しかし、景山のように質問しながら進めるという器用なことはできないので、首藤さんの紹介に徹して、あとは首藤さんご自身にお任せした。そのせいか、後日首藤さんのブログ(http://www.h6.dion.ne.jp/~shuto/)を読むと「2回目のほうが緊張した」とあって、申しわけないことであった。
嬉しかったのは、「どこよりも映写状態がいい」と、映像のプロである首藤さんに言っていただけたことで、スタッフも喜んでいた。また、観客数も徐々に増えてきているらしく、ありがたい。その『ヤーチャイカ』も20日まで(午前10時からの1回上映)となった。見逃している方は、ぜひ。
往復とも深夜バスで、来るときは眠れなかったという首藤さん、ありがとうございました。でも、あなたがそんなに酒に強いとは知りませんでした(別名、酒盗神酒夫というらしい)。今度お目にかかれるのは、首藤幹夫写真集の出版記念会かもしれませんね。そのときは、おおいに(?)飲みましょう。

13日(金)、7月5日~18日にシネ・ヌーヴォXで上映する『映画の都 山形国際ドキュメンタリー映画祭89』(91年)、『映画の都 ふたたび』(07年)の飯塚俊男監督がキャンペーンのために来阪され、食事をともにする。元・小川プロの助監督で、私たちとは長い付き合い。遠慮のない言葉が飛び交う。その飯塚さんも、もう60歳だという。最後が互いの子供の話になったのには、感慨深いものがあった。
ちなみに、上記2作品(ともに山形国際ドキュメンタリー映画際をめぐるドキュメンタリー)には、私もチラッと出てきます。

ほんの1週間のあいだに、ニュースは秋葉原の無差別殺傷事件から、岩手・宮城内陸地震へと移っていった。あれよあれよという感がある。そして、新しい仕事に取り組むと言いつつ、まだ十分にできていない自分がいる。世間のことは世間のこととして、自分の歩みはしっかりと進めなければならない。
出来上がった『「プガジャ」の時代』(ブレーンセンター)は、いま本屋さんに並んでいるはず。ある大型店では、50冊も注文をくれたそうだ。興味のある方は、手に取ってみてください。私からお送りすると約束した方には、今日発送しました。
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2008-06-10

予習・復習『ヤーチャイカ』

テーマ:映画
当初、首藤幹夫さんは明日(11日)の昼ごろ来阪の予定だったのだが、舞台挨拶の折に観客に見せる5分ほどの秘蔵写真DVDの編集を丁寧にやってくださったために、事前に送ることができなくなり、当日持参してくださることになった。だが、シネ・ヌーヴォのスタッフとしては、お客様に見せる前に映写のテストをしておきたい。そのため、首藤さんは東京から深夜バスで大阪入りし、明日の午前10時にシネ・ヌーヴォへ来てくださることになった。
本番前のチェックは不可欠と言ったヌーヴォ・スタッフも立派なら、たった5分の、それもお話の参考にする映像のために、それだけの労力を注ぎ込む首藤さんも凄い! 律義というか、生真面目というか……。
で、私は明日の11時からもう一度『ヤーチャイカ』を見ておこうと思っていたが、10時に首藤さんが来てくださるのなら、その先はどうなるか分からない。というわけで、今日の11時の回を見た。私を含め、観客は2人だけ。「明日もこんなだったらどうしよう」と思うが、こればっかりはどうしようもない。考えても仕方のないことは考えないことにして、画面に集中する。
やっぱりこれは、いい映画だ。特に私は、香川照之が立ち去ってからあとの、ラストの数分が好きだ。A氏がいいと言っていた音楽は、確かに良いのだが、ちょっと説明的すぎるかなと思った。つまり、主人公たちの感情表現として、楽しいところは楽しげな、悲しいところには悲しげな音楽がついていて、最初見たときはまったく気にならなかったのだが、今日はそれがちょっと過剰というか、うるさく感じられた。
写真も言葉(詩のようなナレーション)も美しすぎる、という批判もあるようだが、それはこの物語がひとつの寓話だと考えれば納得できるのではないか。
自殺しようとしていた男が、ひとりの若い女と出会い、彼女の家に泊めてもらっている間に、自然や人に接して生きることに目覚め、そのことが、恋人を事故で失った女の閉ざされた心も開いていくという展開は、確かにアマい。しかし、それはひとつの枠組みなのであって、その中で作者たちは生と死の意味を深く問うているのだと思う。だからこそ、具体的な動く映像ではなく、抽象的な静止画が必要だったのだ。
そういう初めての試みゆえ、見る人に分かりやすくと考えたのか、昨日書いたように写真はストーリーの説明となり、音楽は主人公たちの感情表現のために使われたという感がある。これはこれでいいが、次回は、写真も音楽も、もっとストーリーから離れて跳ねてもいいのではないかと思った。
それにしても、こんなにも世間の注目度が低くては、次回作もおぼつくまい。映像ジャーナリズムの不在、ということを考えざるを得ない。これが海外の映画祭で何か賞でも獲れば、マスコミがどっと押し寄せるのだから、何をか言わんやである。だが、マスコミとはそもそもそういうものだから仕方がない面もある。必要なのは、小さくても確かな核になる映像ジャーナリズムであり、映画評論だ。
「映画新聞」(1984~99年)をつぶしてしまった私に、こんなことを言う資格はないのだが。
さて、ともかく明日は首藤さんに失礼のないよう、せめて大阪を楽しんで帰っていただけるよう、努めるとしよう。みんなも来てね。
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2008-06-09

『ヤーチャイカ』!

テーマ:映画
8日(日)、恒例の映画観賞会で『ヤーチャイカ』(08年、監督:覚和歌子・谷川俊太郎、写真:首藤幹夫)を見た。動かない写真だけで出来た《写真映画》。ありそうでなかった表現形式だ。スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが、「詩を映画にすると、こうなる」と書いているけれど、そんな感じ。
見る前は、いったいどう見たらいいんだろうと思っていたが、ストーリーはちゃんと分かるし(分かりすぎるぐらいで、写真はストーリーからもっと離れてもいいんじゃないかと思ったほど)、見ているうちにそんな心配は消滅した。
見終わると、いわゆる普通の映画より、画(え)・言葉(台詞はなくナレーションのみ)・音楽が深く印象に残っていることに気づいた。映画は綜合芸術だといわれ、この『ヤーチャイカ』もそうには違いないが、画・言葉・音楽がそれぞれに独立し、しかもおのおのが際立っているという印象なのだ。いわくいいがたい、不思議な観賞体験だった。
どうでした? と、一緒に見たおふたりに聞いてみる。「音楽が良かった。CDは出てないのかなあ」とA氏(CDは6月末に出るらしい。遅すぎる!)。Nさんは「こんな映画、もっとあってもいいのに」と、おおむね好評でホッとする。実は、この映画のすべての写真を撮った首藤幹夫氏は私の友人なのだ。見たら、正直な感想を言わなければならないし、他の人の評価も伝えなければならない。
私自身は、ここに盛られている世界観には共感したし(われわれは自然とともに生きている。生と死はつながっている、というようなこと)、新しい表現形式に戸惑っている部分もあるが、それに挑戦したスタッフ・キャストに拍手を送りたいと思った。身びいきを承知で付け加えれば、主演(香川照之、尾野真千子)と監督(覚和歌子、谷川俊太郎)ばかりがクローズアップされているが、この写真映画の写真を撮った首藤幹夫も〈主役〉と言っていいのではないかという思いがある。

で、その首藤幹夫氏が、シネ・ヌーヴォ(http://www.cinenouveau.com/)で舞台挨拶をしてくださることになった。6月11日(水)12:35、14:10、15:45の『ヤーチャイカ』上映後である。水曜はレディースデーなので、女性は1000円。映画には使われなかった秘蔵写真も見せてくださることになっている。『ヤーチャイカ』を見た人も見ていない人も、この機会にぜひお越しください。首藤氏は40歳(たぶん)で、映画俳優にしたいようなイイ男で、性格も良いのだ。
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2008-06-04

一人・ひとり・独り

テーマ:日常
仕事が一段落したと思ったら、人生相談係みたいになってしまった。不思議と、いろんな人から「話を聞いてほしい」と言われる。話を聴くのはかまわないが、私には何もしてあげられない。アドバイスといっても、常識的なことしか言えない。ただ、話を聞いてもらうだけでいいという場合もあるから、ほとんどフンフンと聴いている。
人生には難問が多い。そして、それぞれの人が、懸命に生きている。Aさんの話を聴けば、それでいいと思うし、対するBさんの言い分を聞けば、それももっともだと思う。
高校生のころ、親しくしてもらっていた大学生のお兄さんがいた。こちらも多感な時期だったから、「思想が違うだけで、なぜ殺し合ったりするのか」と訊いた。学生運動や内ゲバやらで、世情が騒然としていたころだ。お兄さんは「誰でもね、付き合ってみれば、そんなに悪い人はいないんだよ」と言った。そのあとがどう続いたのか、まるで覚えていないのだが。
つまり、よほどのことがない限り、人の話を聴いて「それは違う」とか「許されない」と思うことは、私の場合、あまりない。それは難しい問題だなあ。でも頑張ってるんだ。うまく解決するといいねえ。みんな幸せになってほしい……そんなことばかり思ったり、言ったりしている。
さぞ相談しがいがないと思うが、結局のところ、それぞれの当事者が自分で乗り越えたり解決するしかないことなのだ。冷たいようだけど、それが現実。私にできることは、寄り添っていることだけ。金もないしね。

夕方まで迷っていたが、思い切ってヨーガ教室へ出かけた。手帳を見てみると、1月30日以来、行っていない。自慢じゃないが、この間、自宅でも事務所でも一切やっていない。アーサナ(姿勢、ポーズ)の名称も忘れてしまっているのではないかと、それだけは復習して出かけた。
講師の先生が2人、受講生は私を含めて8人(私以外は女性ばかり)。講師も1人が替わっており、受講生も知らない人のほうが多い。だが、穏やかで温かな雰囲気は変わっていない。
約2時間、4カ月ぶりのアーサナに取り組んだ。なんとか皆についていけたが、体のあちこちが硬くこわばっているのが分かる。『千と千尋の神隠し』の主題歌「いつも何度でも」(作詞:覚和歌子)の一節《ゼロになるからだ》が浮かんできた。まさに、身も心もゼロになるという感じ。この感じを忘れていたな、と思う。この教室に通いはじめて何年になるんだろう、しかし俺はずーっと〈初心者〉のままだな。毎日顔を洗うように、飯を食うように、ヨーガを生活の中に組み込めばいいんだ、などと思う。
講師の先生方は、相変わらず優しく接してくださるが、それは寄り添ってくれているだけなのであり、ヨーガを深めていくのは私自身をおいてない。誰に代わってもらうこともできないのだ。と、珍しく殊勝になった私なのでした。
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2008-06-03

さて、次へ

テーマ:日常
『「プガジャ」の時代』は、当初の予定より約2カ月遅れた。それにかかりきりになっていた間、当然ほかの仕事も遅れてきているわけだから、手が空いたらすぐ次の仕事に取りかからなければいけなかったのだが、さすがにそれはできず、少し休ませていただいた。
5月30日(金)はシネ・ヌーヴォXで土本典昭監督の映画を3本見た。『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事』(06年、藤原敏史監督)、『不知火海』(75年)、『水俣 患者さんとその世界』(71年)。最初のは土本作品ではないが、76歳(当時)の土本監督に密着し、そのドキュメンタリー作法に迫ろうとした野心作。意義深く、貴重な作品だが、1970年生まれの藤原監督と28年生まれの土本監督との世代間ギャップは、どうしようもなくあるという感じ。あとの2本は、伝説的なドキュメンタリーの傑作。ミナマタという苦海に身を投じながら、なお人間の希望に目を向けていこうとする意志、ヒステリックにならない冷静さ、記録者としての謙虚さなど、見ていて尊敬の念が自然に浮かんでくる。その土本監督はいま、千葉・房総で病気療養中である。ご回復を祈るばかり。
6月1日(日)、友人のお嬢さんが大阪で就職試験を受け、その慰労を兼ねて鶴橋の韓国料理店「まだん」で会食。珍しいマッコリがいろいろあり、それをチビチビと味見させてもらっているうちに酔っぱらい、後半はほとんど眠っていた。ただ、生まれて初めて参鶏湯(サムゲタン)というものを食べた。奥深い味で、ほかの店のも試してみたくなった。
6月2日(月)、近畿も梅雨入りだという。私の嫌いな季節。朝から細かい雨が降り、外出を控える。
6月3日(火)、やはり朝から雨。雨ごときに負けてたまるかと思い、妹尾豊孝(せのお・ゆたか)さんの写真を見に行く。「写真家150人の一坪展」で、会場は本町の富士フイルムフォトサロン大阪。文字どおり一坪のスペースに、「大阪」と題された写真が20点展示してあった。ごくそのへんにいるオジサン・オバサン(今回はお年寄りが多かったように思うが)の日常の一瞬を撮ったもので、べつにどうということはない被写体なのだが、不思議と印象に残る。それがプロの才能なのだろう。なにより、ホッとできる写真なのがいい。
同会場には、ほかに37人の写真家の作品が展示してあり、それもざっと見た。広島の街を撮った徳平尚彦氏の写真がいいと思った。「写真家150人の一坪展」は、大阪市内の5会場で展開されているが、他の会場へ行くつもりも気力もなく、梅田でコーヒーを飲んで帰ってきた。
午後、『「プガジャ」の時代』の見本が届いた。5月24日(土)に私の手を離れて以来、見る夢は、「別紙参照」と本文中に書いてあるのに、その別紙を作っていなかったとか、誤植がボロボロ出てくるとか、ろくでもないものばかりで、出来上がった本を見るのは怖いなと思っていたのだが、こうして手にしてみると、なんだかニヤニヤしてしまう。完璧はあり得ないが、新書判420ページ、資料や注も充実しており、まあ「労作」という感じはする。いろいろなことがあったが、もって瞑すべし、というところだろう。
てことで、さあ次の仕事に取りかかろう。
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