2008-02-25

『抵抗』の手と音

テーマ:映画
『抵抗』(56年、ロベール・ブレッソン監督)のビデオも借りてしまった。邦題の表記が変わったようで、今は『抵抗(レジスタンス) 死刑囚の手記より』というらしい。ちなみに、『ぴあシネマクラブ』の92年版では前者、96年版では後者の表記になっている。
なんと申しますか、静謐、簡潔、繊細、緻密な映画で、脱獄ものだからと派手なアクションやドラマチックな展開を期待する人は「もの足りない」と感じるかもしれないが、狭い独房の中で、そこにある物だけを使って淡々着々と脱出の準備を進めるフォンテーヌ(フランソワ・ルテリエ)の冷静沈着な行為のなかに、私などはそれこそ〈抵抗〉の精神を感じ、いたく感動した。だって、抜き打ちの房内検査でもあれば、即銃殺なんだから。

冒頭、監獄の全景が映し出される。そこに、《この映画は実際にあった話をそのまま再現したものである》と字幕がかぶさる。これが効いている。どんなに地味に見える行為でも、本当にあったことなのだから、と納得できるのだ。
続いて字幕。《ドイツ軍占領下のフランス、10万人の男女が捕われた。その内7,000人が獄中で命を失っている》。クレジットロールが入って、ふたたび字幕で《リヨン 1943》。説明らしいものは、これだけだ。
そして、手のアップから物語は始まる。骨ばった、どちらかといえば華奢な男の手で、神経質に車のドアレバーに伸ばしたりひっこめたりする。車で監獄に移送されているフォンテーヌ(あとで「中尉」と呼ばれるけれども、くたびれたスーツを着ているから、レジスタンスなのだろう)が、逃げる機会をうかがっているのだ。
このシーンだけでなく、手の動きが印象に残る映画だ。独房のドアが木製で、その羽目板をはずして脱出するのだが、それをはずそうとする作業の途中で、10センチばかりの木片がバキリとはがれ落ちる。それを元に戻す。割れ目が白く目立つので、鉛筆で黒く塗る。小さな木片も拾い、スプーンで軽くたたいて元の位置に嵌め込む。あるいは、ドアを削るときに出た木くずを、ベッドの中のワラを抜いて作った小さなホウキで掃き集める。そんな一連の手の仕草が、静かにじっくりと描かれるからだろう。
この映画を見るのは3度目ぐらいだが、いちばん憶えていたのは、フォンテーヌがドアを押さえる仕草だった。はがれ落ちた木片はただ嵌め込んであるだけだから、強くドアを閉めると落ちてしまう。それは脱獄計画の発覚を意味する。だからフォンテーヌは、ドアが閉まる直前に必ず手をそえて、衝撃を和らげようとするのだ。命にかかわる必死の行為なのだが、これがなんとも優雅というか紳士的に見えて、実生活でも真似してみたりした。
ちょいと脱線したが、そんな手の動きを見ていると、人間の手の、いや人間というものの偉大さや可能性というものを思った。残念なのは、その同じ手で、ドイツ兵を一人殺してしまうことだ。気絶させただけとも考えられるが、息を吹き返せば確実に撃たれるのだし、それまでの緻密なフォンテーヌの行動からしても、やはり殺してしまったのだと思う。〈戦争〉なのだから仕方がないとも言えるし、人間は英雄にも罪人にもなれると監督は言いたかったのかもしれない。もっとも、そこには格闘シーンがあるわけでもなく、ごくサラッと描かれているのだが。

この映画でもうひとつ印象的なのは〈音〉だ。独房の中では、音に意識を集中せざるを得ない。コツコツと壁をたたき、隣の房と交信する音。看守の足音、話し声、解・施錠する音。まして脱獄しようとしている身であれば、自分が出す音にも細心の注意を払わなければならない。スプーンをノミにするために床で研ぐ音、ガラスを割る音、鉄鉤を曲げる音、自らの足音などなど。
しかもそれらが実に効果的に使われ、まるで私たちがその場にいるようにすら感じられるのだ。それを可能にした録音も素晴らしい。たとえば、独房の中にも外の列車の音が聞こえてくるのだが、フォンテーヌが監獄の屋根の上に出た途端、その音は大きく生々しくなり、さらに風の音まで聞こえてきて、まだ脱獄は成功していないものの、そこが〈外〉であることがひしひしと感じられるという具合。

ぜひ見てほしい映画なので、結末はあえて書かないが、そうそう、ブレッソンが職業俳優を使わないのは有名な話で、フォンテーヌをはじめ途中から同房になる少年、牧師、隣の房の老人、その他の個性ある囚人仲間たちが、みんな素人だとはとうてい信じられないぐらいなのだが、事実そうなのだから凄い。こうなると、映画における演技、また演出とは何ぞやという問題にもなり、興味はつきない。
映画史に残る傑作は、やはりハンパじゃなかった。
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2008-02-23

いいなあ

テーマ:映画
このところ、ちょっと昔のモノクロ映画にハマっている。
最初に見たのが『激しい季節』(59年、ヴァレリオ・ズルリーニ監督)のビデオ。『人のセックスを笑うな』の井口奈己監督が、その参考のために見たと言っているのを読んだからだ。主演女優がエレオノーラ・ロッシ・ドラゴで、これが文句なしのストライク! なんだか名前もいいねえ。その相手役が、若き日のジャン・ルイ・トランティニャンで、彼が画面に出てきた途端、「おお、こんなところに」と思った。二人の関係に嫉妬するのが当時のアイドル、ジャクリーヌ・ササールで、きれいな女優さんだが、ロッシ・ドラゴの成熟した魅力の前ではかすんで見える。
若いブルジョア青年が、年上の戦争未亡人と恋に落ちるというだけの話だが、これが良く出来ている。第二次世界大戦末期のイタリアが舞台で、まず死が身近にある。政情は不安定で、ファシスト党の幹部だった青年の父親も失脚する。そのため、父の力で兵役を延期されていた青年も戦地に赴かざるをえなくなる。未亡人のほうには、かわいい娘と交際に反対する母親がいる。
というわけで、恋のハードルは幾重にも立ちはだかるのだが、それを越えて……というところ。ともかく、エレオノーラ・ロッシ・ドラゴの美しさにやられました。

次に見たのは、『穴』(60年、ジャック・ベッケル監督)。わが映画仲間のHさんがセレクトする映画観賞会で。彼女が働いているそば屋さんが休みの日、その店内にスクリーンを張ってDVDを見るというユニークな会。参加者は10人ほどで、それぞれが食べ物や飲み物を持ち寄り、映画を見てからわいわいと酒盛りになる。そば屋のご主人が作ってくれた豚汁が美味であった。
映画のほうは、文句なしの名作。なにしろ脱獄の映画だから、出てくるのは男ばかり。しかも、実際に脱獄を経験した男(ジャン・ケロディ)が主役級を演じ、原作も脱獄経験者(ジョゼ・ジョバンニ)が書いているから、リアリティが凄い。穴を掘る音のものすごさ、男たちの身ごなしの素晴らしさ。みんなけっこういい体格なのに、猫のようにしなやかに素早く動くのだ。ほとんど無名の俳優ばかりを使っているのも成功している。
この映画を見るのは2回目だったが、ラストシーンをすっかり忘れていて、新鮮に驚くことができた。また、ロベール・ブレッソンの『抵抗』(56年)を連想させ、そちらも見たくなった。

最後は『暗黒街の弾痕』(37年、フリッツ・ラング監督)。「昔の映画、昔の映画」と思いつつ、TSUTAYAのクラシックの棚から抜いてきた。これはもう、文句なしの傑作。
前科のある男(ヘンリー・フォンダ)が出所して真面目に生きようとするが、世間から受け入れられず、どんどん窮地に追い込まれる。だが、それを支えようとする献身的な妻(シルヴィア・シドニー)がいて……という、ありがちなお話なのだが、先が読めない。こちらの予想を見事に裏切ってくれる。まず、そういう展開の面白さで見せる。
次に、映像としての素晴らしさがある。激しい雨、たちこめる毒ガス、深い霧など、手作り感あふれる画(え)なのだが、強く印象に残る。こういうのを見ると、CGでなんでも作れる今は、はたして映画的に進歩したのだろうかと思ってしまう。それは、光と影の効果を知りつくしたフリッツ・ラングだからこそできた〈芸〉なのかもしれないが。
妻ばかりでなく、最後まで主人公を裏切らない神父や弁護士の存在も胸を打つ。タイトルは、原題「YOU ONLY LIVE ONCE」のほうが断然いい。

かくして、今日もまたクラシックの棚に寄ってしまいそうだ。パソコンやテレビの小さい画面でしか見られないのが残念だが、映画の遺産・財産は、深く広く眼前に拡がっている。しかし、仕事もしなくちゃなあ。
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2008-02-16

『人のセックスを笑うな』ふたたび

テーマ:映画
先日(10日)、『人のセックスを笑うな』(07年、井口奈己監督)を見て少し眠ってしまったので、リベンジした。座席指定券も上映の4時間前に購入。ついでに、映画館の人に気になっていることを訊いてみた。「この前も立ち見だったんですけど、なんでこんなに混んでるんですか」と。窓口の女性いわく、「若い人に人気のある俳優さんが出ているからだと思います」。松山ケンイチのことだろうが、オッサンにその名前を言っても知らないだろうと思ってか《若い人に人気のある俳優さん》と言われたのが、ちょっと悲しかった。ともかく、私の好きな井口監督人気ではないようだ。
同名の原作小説(山崎ナオコーラ著、河出文庫)も再読してみた。しかし、一行目からつまずいた。《ぶらぶらと垂らした足が下から見えるほど低い空を、小鳥の群れが飛んだ》とある。垂らした足は誰の足? それを下から見ているのだから、本人のではないよね。それに、それが見えるほど低い空って言われても、どの程度の低さなのか分からないなあと、迷路に入ってしまったのだ。
その数行あとに、《(鳥たちが)またオレの立っているバス停目指し、ぎりぎりまで降りてくる》とあるのを読んで、ああ、垂らした足は小鳥のだったのかと気づいたのだが、これって私の読解力不足なのだろうか。
さらに20ページ目、《学校では普通に接せられて来た》とあって、《接せられて来た》は日本語としておかしいだろうと、著者の文章力に疑問を抱いてしまった。
そんなつまずきが最初にあったためか、内容にもそれほど感動せず、「なんだか青山七恵の『ひとり日和』に似てるなあ」という感想を持った。他者と軋轢(あつれき)を起こさず、淡々と自他を描いているからだろうか。
解説の高橋源一郎などは大絶賛で、《女性化しつつある男性を肯定するこの小説は、その本質において攻撃性を持たない。それが攻撃的な(いや権力的な)「男性文学」に抗する真の「女性文学」であるなら、この小説以前には、「誰もトライしていなかった」のである》と書いているのだが、私自身が女性化しつつあるのか、攻撃的でも権力的でもないので、それほど大層なことにも思えなかった。
で、私の好きな井口監督は、この原作に惚れ込んだのだろうかと思っていたら、「大阪映画サークル」(第1142号)のインタビューで《この企画は、「こういう原作があるのですが、映画化しませんか?」という話が打診されたことが出発点だったのです》と答えていて、少しホッとした。
余談だが、この「大阪映画サークル」の監督プロフィールには《いぐちなお》(正しくは、いぐちなみ)とルビがふられていて、前・後編に分かれた次の号も同じ誤植のままで、「これはないだろう」と思った。

さて、映画である。残念ながら、前作『犬猫』(04年)のほうがいい。
まず、セリフの聞き取れないところが多い。そしてワンシーン・ワンカットが多すぎて、冗漫になりかかっている。
前者は、たとえば美術学校での授業中のシーン。山田先生(温水洋一)が前で喋っているところに、みるめ(松山ケンイチ)と堂本(忍成修吾)の会話がかぶさり、両方とも何を言っているのか分からなくなっている。また、ラスト近く、みるめがバイクで土手の道を行くシーンには、みるめとユリ(永作博美)の電話でのやりとりがオフで入ってくるのだが、ここは音楽が大きすぎる。さらに、全体的にささやくようなセリフが多く、これが聞き取れないので相当にイライラする。〈自然に〉ということを意図してのことだろうが、セリフが聞き取れなくては、伝えたいことも伝わるまい。録音への配慮と、その技術力の向上を望みたい。
後者のワンシーン・ワンカットは、素晴らしい効果を上げているところもある。たとえばユリとみるめが自転車に二人乗りし、川沿いの道を行くシーン。あるいは二人でエアマットをふくらませるシーンなど。おそらくアドリブもたくさん入っているのだろうが、それこそ自然で、映画の醍醐味にあふれている。だが、前述した土手をバイクで走るシーンなどは明らかに長すぎるし、同じテンポで2時間17分は、しんどいのだ(『犬猫』は1時間34分)。編集に〈緩急をつける〉ということを意識してほしいと思った。
しかし、10日の日記にも書いたように、比類のないところも多々ある。ユリ、みるめ、堂本、えんちゃん(蒼井優)という4人の人物造形は見事だし、魅力的でもある。最初見たときはユリに惹かれ、今回はえんちゃんの、いや蒼井優の巧さに舌を巻いた。女優の才能を見事に引き出した演出のたまものだろう。
ユリのアトリエ、自宅、みるめの家など、シナリオに《新しい物が何もない》(アトリエの描写)と書かれているように、いずれもどこか懐かしい落ち着いた古い日本家屋の中に、若者たちの恋と迷いを生き生きと展開させえたのは、木村威夫の美術が大いに貢献していよう。ユリのアトリエに置かれた半球形の白い《オブジェ》などは、いかにもという感じだ。
セリフや設定などの部分が、原作とはだいぶ変わっているが(もちろん、それは全然構わないのだが)、小説の持っているエッセンスは残そうとしたように思える。それは、人を好きになることの素晴らしさと切なさ、そして残酷さといったものか。
というわけで、期待が大きすぎたためにアラが気になったというところなのだが、何人気であろうとこれだけお客さんが入っていれば、次作もつくりやすいだろうと思われ、井口奈己監督の映画的センスに惚れている私としては、その新作の出現を待ちたい。

追記:映画のクレジットでは、桂春團治の〈治〉は、ちゃんとサンズイになっていました(10日の日記参照)。
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2008-02-14

炎上?

テーマ:映画
前の日記(12日)の最後に、《(アダルト系の迷惑)コメントの送信者には、この日記は読者も少なく、お互いに無駄な手間がかかるだけだから、もうやめなさいと宣言しておく》と書いたら、とたんにその種のコメントが増えた。昨日(13日)は7件、今日はすでに4件である。敵さんもこの日記の読者なのかとおかしくなったが、相手の顔は見えないわけで、不気味でもある。いちおう〈禁止IPアドレスの設定〉なるものをしておいたが、そのIPアドレスというものも頻繁に変えているようなので、どこまで効果があるかは分からない。こういうのも〈炎上〉というのだろうか。まことにばかばかしく、うっとうしいことだ。

炎上といえば、『炎上』(58年)を撮った市川崑監督が亡くなった(13日)。92歳で、眠るような最期だったというから、大往生であろう。
私にとっての市川崑は、『股旅』(73年)である。それまでに見たことのない斬新な時代劇で、成り上がろうともがきながら、みじめに死んでいくチンピラ渡世人たちにヒリヒリと共感した。大学を出てすぐ、何者でもなく、先の見えない不安を抱えた自分と重なる部分が多かったためだろう。
それに比べて『東京オリンピック』(65年)は、まだガキのころに見たので、その芸術性(?)を理解できなかった。日本人選手の活躍をもう一度見たいと思っているのに、ライフル射撃の選手たちが銃床の上にアゴをのせる動作を延々と撮っていたりして、なんだこれは? と思った。それ以来一度も見ていないので、ぜひ見直してみたい作品ではある。
全作品を見ているわけではないが、『おとうと』『ぼんち』(ともに60年)、『細雪』(83年)などが忘れがたい。常に新しい表現やキャメラワークを追求していたという印象があり、それが市川監督の変わらぬ〈若さ〉を刻印していた。死ぬまで、瑞々しい映画を撮った人といえるだろう。ご冥福を祈る。
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2008-02-12

悪意

テーマ:日常
ふだん、火つけ、ドロボーなどの犯罪者と接する機会はないのだが、この世が邪悪な欲望に満ちていることを実感するのは、毎日来るいわゆる〈迷惑メール〉に接するときだ。
誰にも「何通ぐらい来ますか?」と訊いたことはないけれど、私の場合は相当な数だ。たぶん、このホームページ上でメールアドレスを公開しているからだろう。それが証拠に、携帯のほうへはまったく入ってこない。事務所で使っているパソコンでは、「これは迷惑メールです」と1回登録しておけば、次からは迷惑メールのホルダーに自動的に入ってしまうので、一発で消去できるのだが、自宅のパソコンはどういうわけかその機能が働かず(というか、私がそういう設定にできないだけだと思うが)、数日留守にすると何百というメールが溜まっていて、消去するだけでも大変だ。しかもそこには〈迷惑〉ではないものも交じっているわけだから、けっこう気も使う。
迷惑メールの多くは、出会い系かキャッシング、わけの分からない英文のもので、時間はかかっても機械的に消去していけばいいだけなのだが、敵もさるもので、なかには「ちょっと待てよ、これは消去してはいけないやつかも」と思わせる〈件名〉にしてあるものもあって、念のため開いてみることになる。それも、これまでの経験では例外なく出会い系なのだが、つられて〈無料登録〉の一歩手前まで見てしまったりする自分が情けなく、後ろめたい。
そんな迷惑メールに対して、規制強化の法改正が行なわれる見通しだという報道が、昨日あった。遅きに失するという感じだが、大いにやっていただきたい。
ついでに言っておくと、最近はこの日記のコメント欄にも、その種の書き込みがある。気がつけば即削除しているが、たまたま目にされた読者がおられたら、さぞ不愉快だったろうと思い、この場を借りてお詫びしたい。コメントの送信者には、この日記は読者も少なく、お互いに無駄な手間がかかるだけだから、もうやめなさいと宣言しておく。
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2008-02-10

いやはや

テーマ:映画
予想外の映画観賞会となった。午後6時からテアトル梅田で『人のセックスを笑うな』(07年、井口奈己監督)を見ることにしていて、早めに座席指定券を買っておこうと、5時20分ぐらいに劇場へ出向いた。すると、劇場前に「午後6時からの回はお立ち見になります」という張り紙が。エーッ! なんで? 急に誰かが舞台挨拶にでも来ることになったのか。ともかく受付で訊いてみる。「土・日は朝からこんな状態です」という。井口監督ファンとしては嬉しいが、2時間17分の立ち見はつらい。次の回は8時40分からで、終わると11時過ぎになるし、座席も残り少ないようだ。
さて、どうしよう。事前に参加の連絡をくれていたのは、NさんとKさん。KさんはN君も連れてくると言っていた。ともかく相談してみよう。Nさんの携帯にかけるが、つながらない。Kさんのほうは留守電になってしまう。そうこうしているうちにも、お客さんがどんどん来る。次の回も立ち見になるかもしれない。困った。しかし、何度電話しても同じ。Nさんに3度目の電話をかけようとしていたら、階段の上にご本人が現れた。やれやれ。Nさんも立ち見はしんどいとおっしゃる。じゃ、次の回にして先にご飯を食べようと決め、座席指定券を買ったら、それが最後の2枚で、しかも最前列の端っこだった。なんとか席は確保したが、Kさんたちが来るかもしれないので、6時10分前までロビーで待ってみた。誰も現れない。仕方がないねと、居酒屋に移動。そこからまたKさんに電話してみるが、やはり留守電のまま。今この店にいますから、とメッセージを残して切る。
居酒屋で1時間半。Nさんも私も、映画の途中で眠くなると困るので酒はビールの小ジョッキ1杯だけにして、あとはウーロン茶でおしゃべり。異動して半年になるが、Nさんの仕事は相変わらず大変なようだ。
居酒屋の後はカフェに寄って、コーヒーで酔いをさます。これで大丈夫だろう。
上映の20分前に劇場へ戻る。入れ替えを待っていたら、6時の回を見た人たちがゾロゾロと出てきた。なんとそこに、KさんとN君、Yさんもいた。立ち見で(実際には通路に座って)、見ていたという。Kさんの携帯は充電が切れていたようだ。やあやあ、僕たちはこれからなんだ、じゃあねと、あわただしく別れる。

というわけで、最前列の端から斜めに見上げるようにして見た『人のセックスを笑うな』だが、不覚にも私は最初のほうで少し眠ってしまったようだ。あとからNさんに「寝てたでしょ」と言われ、「ちょっとだけでしょ」と返すと、「いやいや、けっこう本格的に。寝息がイビキになったら起こそうと思ってたけど」と言われ、愕然となった。帰って、パンフレットに載っていた「シナリオ決定稿」を読むと、覚えていないセリフがいくつもあり、《本格的に》眠っていたのは間違いないようだ。もっとも、「採録シナリオ」ではなく「決定稿」なので、実際には採用されなかったセリフもあると思うのだが。
そんな映画観賞会だったので、映画の感想はもう一度ちゃんと見てからにしたいが、今の若者の言葉や仕草をこんなに自然に、生き生きと描けるのは井口奈己監督以外にはいないだろうという気はする。それに、木村威夫の美術も素晴らしかった。
蛇足だが、主演の松山ケンイチのおじいさん役が桂春團治で、『そうかもしれない』(06年、保坂延彦監督)に続いていい味を出しているのだが——いい味といえば、この映画の永作博美もすごくいい!——パンフレットでは春團治の「治」が「冶」になっていて、しかもそれが何箇所も出てくるので、本当は「冶」なのかと思い、ネットで調べてしまった。ネットでの調べものは正解が得にくく、今も半信半疑なのだが、氏が所属する松竹芸能のホームページでも春團治となっていたから、やはり誤植なのだろう。

それにしても、ちゃんとした感想を書きたい。私の場合、「見るなら飲むな、飲むなら見るな」を厳守しなければならないようだ。残念。
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2008-02-04

こんな日は

テーマ:日常
用があって、京都まで出向く。寒い。そこでの話の内容も、暗い。帰りの駅までの道は遠く、電車を待つホームは吹きっさらしで、寒さが骨身にしみる。空はどんより灰色で、ますます陰々滅々たる気分になる。
こんなふうに生きるのが辛い日、人はどうするのだろう。
マザー・テレサの映画を見た日に買っておいた『マザー・テレサ 日々のことば』(女子パウロ会)を読んでみる。いくつか心に響く言葉もあるが、そこに厳然とあるのは「神」への信頼と帰依だ。残念ながら、私にはそれがない。マザー・テレサも遠い人に思われ、本を閉じる。
そんな気持のまま、いつもの喫茶店へ行く。ドアを開けると、ママさんの変わらぬ笑顔があった。話をするわけではないが、そこでゆっくりと新聞を読み、熱いコーヒーをすすっていると、落ち着いた。
何があっても、日常を生きるしかない。神(?)が死をたまわるまで。その後のことは、知らないし、分からない。でも、完全な「無」ではないような気がする。まあそう思っておくほうが、少しは救われるし。

2日(土)は、昨年12月20日に87歳で亡くなった「田中徳三監督とのお別れ会」が関西学院会舘で催され、200人以上の方々が来てくださった。私も微力ながらお手伝いしたが、最大の功労者は世話人と司会を務めた景山理氏(シネ・ヌーヴォ代表)だろう。身近にいたからそう思うのかもしれないが、さまざまな人からの要望や意見(あるいは苦情)を聞き、調整し、さらに当日の1週間ほど前から風邪をひき、一時は声も出ないほどだったのだから、その頑張りには頭が下がる。
行き届かない点は多々あったと思うが、田中徳三監督も笑って許してくださっているだろう。
4月5日(土)から25日(金)まで、シネ・ヌーヴォで「追悼 田中徳三監督」という特集上映も行なわれる。
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2008-02-01

青春の特権

テーマ:映画
自分の嗜好や関心からすれば、絶対に見ているはずの映画なのに、なぜか〈奇跡的に〉見逃しているものがある。たとえば、『モーターサイクル・ダイアリーズ』(03年)がそうだ。公開当時から、いい、いいとは聞いていた。その後も何度か見るチャンスはあり、手帳に控えたりもしていたのに、仕事の都合や何かで行けなかった。それが2、3日前、NHK-BS2でやっていて、偶然見ることができた。
結論から言えば、まぎれもない傑作! 今度スクリーンで見る機会があったら、何があっても駆け付けようと思った。
説明は不要だろうが、若き日のチェ・ゲバラが、友人と二人で南米大陸をオートバイで縦断する1万キロの旅。青春映画であり、ロードムービーであり、成長物語であるが、どの言葉も、その根源的な意味においてピタリと当てはまる、という気がする。つまり、青春映画の、ロードムービーの、成長物語の代表作であり、象徴だと言ってもいい。
ラスト近く、夜のアマゾン川をゲバラが泳いで渡るシーンがある。それがクライマックスであることは分かっており、前半の伏線がきいていることも分かっているのだが、涙を止められなかった。
そして、気持はまだ若い、人生これからだと思ってはいても、こういう冒険はもう絶対にできないし、人々と接してこんなふうに自分を開いていくこともまずないだろうと気づくとき、わが青春はすでに終わっていると認めざるを得ないのだった。それゆえにこそ、この映画は私にとって、長く愛惜する対象になるであろう。

監督はブラジルのウォルター・サレスで、ほかにどんな素晴らしい作品を撮っているのだろうとフィルモグラフィーを見てみたが、失礼ながらそれほどのものはない。監督にも、作品との奇跡的な出会いというものがあるのだろう。だが、一本でもそれがあれば、御の字だ。
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