2008-01-31

この先どうなるのか

テーマ:日常
コピー用紙を買うために、いつもの文房具店へ行った。信号を渡る前から、シャッターが閉まっているのが分かる。「おかしいな、もう11時なのに。木曜は休みだったか」。近づいていくと、ガラスのドアの内側から張り紙がしてある。しかし左隅のテープがはがれ、向こう側にだらりと折れ曲がっているので、何が書いてあるのかほとんど分からない。どうやら、何日付で閉店しましたということのようだ。
ご夫婦と息子さんで切り盛りしている店だった。買うと、必ず1割ぐらいは値引きしてくれた。文房具ばかりでなく、ファンシーグッズというのか、ぬいぐるみやクッションなども扱っていた。今から考えると、いろんな商品を扱わなければ、やっていけなかったのかもしれない。閉店の理由は分からないのだが、経営に行き詰まってと判断するのが普通だろう。
家族で、地道にコツコツやってきた店を閉めざるを得ないとは、なんとしたことだ。暗く、不安な気持になる。大阪府知事には、私の嫌いな橋下が当選してしまうし。また、身辺にもろくな話はない。まったく、この先どうなってしまうんだろう。それより、コピー用紙はどこで買えばいいんだ!?

コンビニを2軒回るが、売っていない。結局、梅田ロフトの6階へ。もちろんここでは、値引きはしてくれない。ついでにポスト・イットの大きいのも買っておこう、と思うが、これがどこにあるのか分からない。重いコピー用紙を抱えたまま店員さんに訊くと、「ポスト・イットってなんですか?」ときた。エーッと思いつつ説明する。「ほら、メモなんか書いて貼っておくやつで、またはがせるやつ」「あ、付箋ですね」「そうそう(ポスト・イットは知らないのに、付箋という言葉は知っているのか)」「ご案内しま~す」。
かくして、ポスト・イットも無事に買えたのだが、なんだかなあという思いの拭えない朝なのであった。
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
最近の画像つき記事
 もっと見る >>
2008-01-30

ハンカチを買う

テーマ:日常
服を替えて家を出たら、ハンカチを持っていないことに気づいた。夏場ほどではないが、この季節にもハンカチを使う機会はある。さて、どうしよう。駅の売店かコンビニで買うのが普通だが、センスの良くないチェック柄のものなどが想像され、ああいうのはあまり持ちたくねえなあと思う。
そのまま梅田へ出て、銀行と郵便局で用を済ますと、目の前がデパートだった。そうだ、デパートで買おう! 人の流れに乗って1階に入ったが、どこがハンカチ売り場だか分からない。案内所で尋ねてみたら、そのすぐ横だった。ちと恥ずかしい。
そこでは、5、6人のオバサマ方が、ギフト用にパッケージされたものを物色中。なるほど、ハンカチを人に贈るのもアリだな、と思う。もらって悪い気はしないし、「ネクタイを贈るのは、首ったけという意味」みたいなヘンな色も付いていないし……。そんなことを考えながら、紳士用の棚へ。色といい柄といい、さすがに洒落たものがたくさん並んでいる。しかしいずれも、ジバンシイ、バーバリー、カルバン・クラインなどのブランド物だ。私のような貧乏人が、ハンカチだけブランド物というのもなあ、という気がしてきた。ブランドのロゴなど入っていない、普通のはないのか。そう、普通の白いやつ。
また店員さんに訊くと、別のケースのほうへ案内してくれた。売り場の隅のガラスケースの、そのまた隅っこに、ひっそりとそれはあった。綿のものと麻のものがある。麻の素材感も捨て難いが、アイロンをかけるのが面倒くさい。「綿」と決めるが、それも5、6種類ある。同じ白でも、色合いに微妙な差があるのだ。真っ白いのから、生成りに近いものまで。洗濯してあるのに「黄ばんでる」と思われるのもシャクだなと思い、いちばん白いのにした。よく見ると、ストライプ状に細かい織り柄が入っている。その奥ゆかしい感じも良いではないか。消費税込みで1050円也。
自分で選んだ一枚のハンカチがポケットにあることで、ちょっといい気分だ。嬉しいことがあったときなど、その小さな記念に、また買ってみようかな。誰もくれないし。
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2008-01-28

子供は親を選べない

テーマ:映画
恒例の映画観賞会で『ぜんぶ、フィデルのせい』(06年)を見る。
急に来られなくなった人続出で、最初は私とKさんのみ。上映が始まる直前にFさんが駆け付けて、3人での観賞会となった。
1970年代初頭のパリが舞台。弁護士の父、雑誌記者の母をもち、何不自由なく暮らしている9歳の少女アンナが主人公。ところが、スペインのフランコ政権に対して反政府活動を行なっていたキノ伯父さんが亡くなったことをきっかけに、スペインを故郷にもつ父が、そして母も変わりはじめる。
反フランコの活動を始めるのなら分かるが、この両親はアンナとその弟のフランソワを置いて突然チリへ飛ぶのだ。そして帰ってくると、アジェンデ支持のために猛烈に活動を始める。父は弁護士を辞め、母もフェミニズムに傾倒して一流雑誌の仕事からは離れていく。要するに、急に社会的良心に目覚め、左翼化していくのだが、このあたりの急激な思想的変化は、当時の世界的な「政治の季節」を知らない人には理解不能かもしれない。
当然収入も減り、庭付きの立派な家から狭いアパートに引っ越し、しかもその新しい住まいには、得体の知れない活動家たちが始終入り浸ることになる。子供にとっては、たまったものではない。アンナは果敢に反抗する。「前の家がいい!」「ぜんぶフィデルのせいなのね」と。フィデルとは、フィデル・カストロのことだ。
物語を単純化するためかもしれないが、両親が軽薄に見えてしまうところが、欠点かと思う。特に、機動隊と衝突するようなデモに子供たちを連れて行き、催涙弾を浴びて逃げまどう群集の中にアンナが置き去りにされかけるシーンなど、腹立たしくなってくる。しかし、子供たちに対する愛情がないわけではなく、アンナに問われれば「団結」などについて説明しようとはする。
それにしても、大人が何を信じようと勝手だが、そこに子供を巻き込むのは、どう考えても理不尽である。だが、この映画の救いは、さまざまなものを目にしながら、子供自身が自分の力で物事を考えはじめる点だ。仏頂面のアンナは、「富の公平分配」についてヒゲもじゃ長髪の活動家たちと議論し、図書館でチリについての本を読み、母がインタビューしている中絶を経験した女たちの話に聞き入る。「チューゼツ」が何かはおぼろながら、彼女たちの苦痛と悲嘆を無視することはできないのだ。このあたりが素晴らしい。やがてアンナは、自分でひとつの決断を下し、新しい世界に飛び込んでいく。
親はなくとも子は育つというけれど、アンナを演じたニナ・ケルヴェルのキリッとした真っすぐな瞳が、確かな希望を与えてくれる。
監督はジュリー・ガヴラスで、あの『Z』(69年)や『ミッシング』(82年)などで知られるコスタ=ガヴラス監督の娘なのだ。これが初のフィクション長編映画になるという。社会派監督と呼ばれた父親との関係が、この映画にも反映されているのだろうか。
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。