2007-11-30

一日一善

テーマ:日常
ある日、郊外の自宅に帰ったとき。電車を降りて歩きはじめたら、駅前の空き地に人が倒れているのに気づいた。時間は夜の12時前。たぶん酔っぱらいが寝ているのだろうと思い、そのまま通り過ぎた。
歩きながら、「寝ているとしても、この寒さでは、凍死はしないまでも風邪を引くだろう。心臓発作という可能性もある。あるいは喧嘩をして刺されたとか、強盗にあったとか……。新聞に『駅前で男性死亡。無関心が生んだ悲劇』などと載ったら、さぞ後味が悪いだろうなあ」などと考え、引き返した。
近づいていくと、それは作業着姿の中年男性で、足元には帽子が落ちている。数メートルの距離まで近づくと、足音に気づいたのか、むっくりと上半身を起こした。やはり酔っているようで、目の焦点が定まらない。
「こんなところで寝てると風邪引きますよ」と言いながら、帽子を拾ってやる。「ああ、どうも」「ちゃんと家へ帰ってくださいね。大丈夫ですか」「ああ、はい、はい」。
そんな短い会話を交わしたが、男はまだ寝ぼけている様子。しかし、これ以上何ができる? 「ともかく、気をつけて」と言い残して、その場を離れた。歩きながら振り返ると、道路を挟んだ向かいの焼き鳥屋から別の男が出てきて、くだんの男のほうに歩いていくのが見えた。やれやれ。どうやら一緒に酒を飲んでいて、別の男が勘定を済ませたりしているうちに寝入ってしまったということのようだ。まあ、何事もなくて、よかった。自己満足かもしれないが、悪い気はしないのだった。

また別の日。朝、喫茶店でコーヒーを飲み、事務所に戻る途中でのこと。ビルの駐車場に白いバンがとまり、後ろの大きなドアをはね上げて荷物を下ろしている。電気工事か何かなのだろう。気になるのは、はね上げたドアが歩道にはみ出し、横から見ると白い一本の線になっていて、そこに障害物があることが分かりにくいことだ。歩道とはいえ、道路の端に白線が引かれているだけだから、自転車やバイクがかなりのスピードでそこを通り過ぎていく。
「あぶないなあ」と思いつつ、車に近づいていった。紺色の作業服を着た男たちが2、3人、忙しそうに動き回っている。そのうちの一人と目が合った。30歳前後の、若い男だ。私の目に非難する色が浮かんでいたのだろう、「何か文句あるか」という表情で見返してきた。「そのドア、あぶないよ」と、喉まで出かかっていた言葉をのみ込む。
そのまま通り過ぎたが、気になって仕方がないので、何度も振り返った。せめて、作業が終わったらドアを閉めてくれよと思うのだが、それはいつまでもはね上げられたままだった。
翌日、同じ場所を通り、道路に血の跡でもないかと探したが、何もなかった。心配しすぎだったのかもしれないが、なぜあのとき、「あぶないよ」のひとことが言えなかったのだろうと、自分の勇気のなさが悔やまれた。相手が「やかましいわ!」などとスゴんできたとしても、黙って立ち去ればいいだけのことだったのに……。

「一日一善」をお題目のように掲げるのは偽善の臭いがするが、何か無償の行為をすることは、人のためというより、自分のためになるような気がする。そこに私の名前は必要なく、ただ人を助けたり役に立ったりする行為だけがある。人生の目的って、案外そんなところにあるのでは。
しかし、「善」を為すのは難しい。この殺伐としたご時世では、マナーの悪さをちょっと注意しただけでも、ブスリとやられかねないからだ。そうではあるが、地位も名誉も財産も仕事上の業績も無意味だとすれば(私は最近、マジでそう思いつつある)、必要なのは、どこでどんなふうに死んでもいいという覚悟だけではあるまいか。人に知られず、無償の行為を命がけでやる。こんなにカッコいいことが、ほかにあろうか。
でもね、そこに「俺が」「私が」というエゴが、しぶとく立ちふさがってくるんだなあ。それに、誰だって痛い目には遭いたくないわけで。
さて、凡人たる私は、死ぬほどの覚悟もないので、怪我をしないよう、危うきには近寄らずで、それでもせめて自分を捨てていく練習をしていくべきか。
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2007-11-15

生きにくい

テーマ:ヨーガ
「忙しい」という言葉(文字)は、心を亡くすと書くので、あまり使っちゃいけない、と言った人がいるそうだ。なるほどなあと思いつつ、そのことをよく思い出すのは、心を亡くしかけている証拠かもしれない。
毎週土曜日、京都でヨーガの大師匠を囲み、そのお話を聞く会がある。ヨーガの実践(アーサナ)も全然できていないのに、高尚なお話を聞いても猫に小判だし、参加費もちょっと高いので、敬して遠ざけてきた。しかし,最近の数カ月は大阪の教室にも参加できず、ヨーガ仲間とも会っていなかったので、「たまには行ってみるか」というくらいの気持で京都まで出かけた。
11月10日(土)午後7時ごろ、大師匠のご自宅2階に、三々五々人が集まってくる。私は少し早めに着き、部屋の隅に座らせてもらっていた。到着した人たちが、大師匠にあいさつし、親しげに話し込み、あるいは参加者同士で談笑している。大師匠はニコニコ笑っている。そこに〈権威〉は微塵もなく、みなが平等で自由なのだという雰囲気が満ちあふれていた。
そんな様子を「いいなあ」とほほえましく眺めているうちに、ジワッーと涙が出てきた。いかんいかんと、汗を拭くふりをしながら涙を拭いていたら、今度は「いったい俺は何をしているんだ」と自分が情けなくなり、涙が止まらなくなってしまった。
大師匠のお話は始まっている。全部で30人ぐらいの人たちが、集中してそれを聴いている。しかし涙は止まらず、やがて大きな嗚咽に変わっていった。「まずい、まずい」と思うのだが、寄る辺ない気持は深まるばかり。前に座ったHさんの陰に隠れるようにしていたが、私が滂沱していることは皆に分かってしまっただろう。だが、大師匠をはじめ、誰もそのことに触れない。
ひとしきり泣いて、落ち着いたころ、大師匠が映画の話題を私にふってくださった。それはミケランジェロ・アントニオーニの『欲望』(66年)に関してで、もちろん見ているのだが、原題(『BLOW-UP』)で言われたために分からず、「すいません、知りません」と答えたら、「そんなはずはない」と言われ、その場は笑いに包まれた。私は、大いなる優しさを感じていた。

この体験を、〈宗教的啓示〉などと言うつもりはない。また事実、そういうものでもないだろう。ただ、何事にも斜に構え、シニカルに見る傾向が強い私にとって、自分でも驚くような体験であったことは確かだ。あとから「俺って、けっこう素直じゃん!」と思った次第。
最近の私が、人間関係の中で悩み、傷つき(と感じているだけかもしれない。たぶん、私も人を傷つけている)、なぜうまくいかないのだろうと思っているところへ、ヨーガ修行者たちの闊達で突き抜けた明るさに接し、自分の未熟さ至らなさを思い知った、というところだろう。
生きていくのは難しく、自分にはその能力が欠如しているのではないかと思う今日このごろであるが、これも〈修行〉なのかもしれない。それにしても、遥かに遠い道のりではある。
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2007-11-01

女性の時代

テーマ:映画
昨日、パソコンのメール送信が復旧した。So-netのテクニカルサポートデスクというところへ電話したのだ。相手は若い女性(たぶん)。「パソコンのメール画面を立ち上げてください」から始まって、彼女の指示のままにクリックし、文字を入力していったら、30分もかからずに直ってしまった。「凄い!」と思い、最後は「ありがとうございました」と電話口で頭を下げた。
彼女にすれば、よくあるケースで、たいしたことではないのかもしれない。しかし、彼女にこちらのモニターは見えていないのだ。それに仕事の性質上、「分かりません」は禁句だろう。ということは、パソコンのシステムやトラブルの種類を熟知していなければ、務まるまい。やっぱり凄いや。
そんなことを考えながら歩いていると、道行く女性たちがみんな颯爽として、顔を高く上げているように見えてくる。彼女たちだって、生きる辛さは同じだろうに、いや、まだまだ男中心の社会なのに、なぜこんなに生き生きして見えるのだろう……。「勢いというものかな」と思う。女性を縛りつけ、抑圧してきた多くのものが、急速になくなり、あるいは壊されている。その勢いやパワーを、世の女性たちは無意識に感じ取っているのではないか。

そういえば、山形国際ドキュメンタリー映画祭で見た映画も、女性が中心だったと言えなくもない。
王兵(ワン・ビン)監督の『鳳鳴(フォンミン)―中国の記憶』は、1950年代以降に中国で起きた反右派闘争や文化大革命の粛正運動で酷い迫害を受け、1974年に名誉回復するまでの、一人の女性・和鳳鳴(ホー・フォンミン)さんの物語だ。自宅のソファに座った鳳鳴さんが、延々と自分と夫が受けた筆舌に尽くせぬ差別や迫害のありさまを語る。キャメラは据えっぱなしで、ナレーションも当時の映像なども入らない。ただ、よどみなく話し続ける、ということは自己の内面で自分の人生を繰り返し反芻し続けてきたのであろう鳳鳴さんの、年輪が刻まれた厳しい顔を正面から映すばかりなのだ。
確かに、ものすごい人生だし、とてつもない国だと思うのであるが、これで3時間は、正直言ってしんどかった。しかし、最もシンプルな、究極のドキュメンタリーだとも言え、これに大賞(ロバート&フランシス・フラハティ賞)を与えた審査員の見識もたいしたものだ。
上映後の観客との質疑応答で(これがあるのがヤマガタのいいところだ)、「なぜこういう撮り方をされたのですか」と問われ、王兵監督は「何よりもまず、この鳳鳴という女性に惹かれたから」と答えていたと記憶するが、まさにこの映画は一人の女性の存在感に支えられているのだ。

似たようなテーマの作品に、東志津(あずま・しず)監督の『花の夢 ある中国残留婦人』がある。こちらは「お国のために」と18歳で満州に渡った栗原貞子さんの、35年にわたる苦闘の物語。中国人と結婚し、子供をもうけるが、そのために帰国もできず、敗戦後は差別と貧困にあえぐことになる。現在は日本で暮らしておられるが、共に来日した子供や孫は、中国人差別にさらされている。戦争に翻弄された愛国少女の、なんともやりきれない苛酷な人生だ。
ただこちらは、栗原さんの現在の日常もきめ細かく描かれ、少しホッとできる部分がある。
監督の東志津さんは、1975年大阪生まれで、これがデビュー作になるという。32歳の女性が「戦争」という大きなテーマを、真正面から、しかし軽やかな手つきで描いているところに新鮮さを覚え、その勇気に感心した。

また中国映画になるが、馮艶(フォン・イェン)監督の『稟愛(ビンアイ)』はアジア千波万波部門に出品され、小川紳介賞を受賞した。三峡ダム建設にともない移転させられる一家の主婦・張稟愛(チャン・ビンアイ)さんを7年にわたって追った作品。稟愛さんは、病弱な夫、高校生の息子、中学生ぐらいの娘のために黙々と働く農民で、口数も少なく、監督と打ち解けるまでにはかなりの年月を必要としたようだが、近づいて話を聞いてみると、自分の人生経験から得た見事な「智恵」を持っていることが分かってくる。移転の条件について、彼女が横柄な役人とやり合うところは、本作の白眉と言ってもいいだろう。だが、結局のところ、庶民が辛い目を見るのは、いずこの国も同じなのであるが。
この馮艶監督は、私も少しお手伝いした小川紳介監督の発言集『映画を穫る―ドキュメンタリーの至福を求めて』(93年・筑摩書房)に惚れ込み、日本語を猛勉強して、その本の中国語版を出版してしまった女性で、私も面識があり、それゆえに今回の小川紳介賞受賞は嬉しい結果だった。

いっぽう男性監督のほうは、『遭難フリーター』を撮った岩淵弘樹君(24歳)がいる。時給1250円の派遣アルバイトで索漠とした日々を送る自分自身を描いたセルフ・ドキュメンタリー。これまで述べてきた女性に比べ、申しわけないが、なんともパッとせず冴えない日常だ。
これも上映後の質疑応答でだったと思うが、「なぜ自分を撮ろうと思ったのですか」と問われて、「他人にキャメラを向けるのは怖かったから」と答えていた。そういうところにも、今どきの男の子の弱さが表れていよう。ただ、これ以上落ちるところはないという〈怖いものなさ〉があって、それが妙に小気味よい効果を生んでいる。
何より印象に残ったのは、良くも悪くも現代の若者の〈今〉が、ビビッドに捉えられていることだった。
さて、岩淵君、いやフリーターを脱皮した岩淵監督、次はどんな映画を撮るのだろう。
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