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2007-07-27

捜し物はなんですか

テーマ:日常
この数日間を駆け足で。
25日(水)締め切りだった仕事は、ギリギリで間に合った。その前夜は久しぶりにカンテツ(完全徹夜)したけど。
実は、ヨーガ教室の大師匠が本を出されることになり、出版社を紹介したり、打ち合わせに同席したりしてきた。しかし内容については、私のような初心者が口を挟むべきではないと、お弟子さんたちにお任せしていたのだ。それが最終段階に入り、いちど読んでみてほしいということになった。おそらく、私が編集者だからだろう。
それで読ませていただいたのだが、さすがに愛弟子の何人もが目を通してきただけあって、誤植はほとんどなかった。そのかわり、注の扱いやノンブル(ページ番号)の位置、読者への配慮などの点で気になるところがいろいろと出てきた。また、内容的にも、ヨーガについて多くを知らない(つまり私と同程度の)読者には分かりにくいだろうと思うところもあって、そういうところには忌憚なく意見を書いておいた。
で、締め切りの日、ヨーガ教室が始まる前に喫茶店でSさんとUさんに会った。ゲラをお渡しし、書き込み部分の意図についてご説明する。すると、ゲラを最初のページから細かく見ていかれ、しきりに感心してくださる。「よく読み込んでくださってますねえ。実は私たちもここは分かりにくいかなと思っていたんです」という具合だ。そう言われて、悪い気はしない。私のような初心者だからこそ、一般読者の代表にもなれるわけで、いくらかはお役に立てたのかなあと嬉しかった。
なんでも、私の労をねぎらうために、8月のある日、彼女たちが一緒に住んでいる京都の家にご招待のうえ、手づくり料理を振る舞ってくださるとか。さぞヘルシーな料理なんだろうなあ。楽しみ、楽しみ。

それからヨーガ教室に参加。あんまり寝てないのでと、今回も初心者コースにしていただいた。その途中、シャヴァ・アーサナ(屍の形)という全身をリラックスさせるポーズでは、初めて眠ってしまった。自分のイビキでそれに気づいたぐらいだから、みんなにバレバレだったことだろう。やはり徹夜明けのヨーガには無理がある。

当日は天神祭で、午後9時にヨーガ教室が終わるから、それから見に行くつもりにしていた。「一緒に行きますか?」と声をかけてみたら、Sさん,Uさん、Hさん、Yさんの4人が「行く、行く!」とおっしゃる。というわけで、女性4人をエスコートして、淀屋橋から天神橋まで歩く。花火は終わっており、ご神体が大阪天満宮に帰っていく〈行列〉が見られるはずだ。天満宮の正面の道は、人人人だったが、ギャルたちの〈傘踊り〉も見られたし、見知らぬおっちゃんから気さくに声をかけられるという大阪らしい一面も体験してもらえたし、ほんの1時間ほどだったが、楽しんでもらえたようだ。
これが野郎ばかりだったら、きっと居酒屋に繰り込んで、遅くまで飲んでいたんだろうな。ヨーガの後、2時間ぐらいは飲み食いしないほうがいいと教えられているし、SさんとUさんは京都までお帰りになるしで、極めて紳士的にご案内とエスコートに努めたのであった。

26日(木)。朝から一枚の写真を捜して、事務所中をひっくりかえすことに。知り合いの新聞記者が「何か書いてくれ」と言ってきて、それはありがたいことなのだが、事前に筆者のプロフィールと顔写真が要るという。たいした肩書もないので、プロフィールを書くのは簡単だが、顔写真で困った。ろくな写真がないのだ。写真屋で撮ってもらう〈証明写真〉って、どうしてどれもこれも指名手配犯みたいになってしまうのだろう。
要するに私の見栄なのだが、「去年,旅行したとき、友人が撮ってくれたのがあったな。あれが使えるのでは」と考えた。紙焼きをもらって、机の上に放り出しておいたのだが、それが今どこにあるのか分からない。たぶん、書類の山に埋もれているのだろう。それで、書類の山を崩しつつ捜したが、午後になっても見つからない。崩した山は、今度は床の上に2つ、3つの山になっている。さすがにメゲた。途方に暮れた。うんざりして、飯を食いに行った。
戻ってきてもやる気が出ず、テレビを見てしまった。夜になり、床の山々をふたたび机の上に積み上げ、寝てしまった。

で、今日27日(金)は6時に起き、段ボール箱を買ってきて、整理しながら捜していった。しかしついに発見できず、指名手配犯の中でもまだマシなのを選んで速達で送った。おかげで、ゴミ袋4つ分ぐらいの不要な書類を捨て、机の上だけはスッキリときれいになったが。
それにしてもあの写真、どこへ行ったのだろう。いつか、「うわっ、こんなとこにあったのか!」ということになるんだろうなあ。
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2007-07-23

忘却とは

テーマ:日常
ない! さっきまで使っていたタオルがない。しかも下ろしたてだったのに。 しかし、こういうことはよくあるので、台所、洗面所、居間と捜してみる。ほんの30分前までは手に持っていて、どう考えても、その3カ所にしか行っていないのだ。だが、ない。不思議なことがあるものだ。いよいよ本格的にモーロクしてきたかな、と思う。
仕方がないので、そのまま出かける準備をする。シャツを着て、ズボンをはく。また太ったのか、ズボンがきつい。
そのまま電車に乗り、喫茶店でモーニングセットを食べ、事務所に着いた。楽な服に着替える。ズボンを脱いだら、腰の後ろあたりからタオルが落ちてきた。さっき捜していたやつだ。それで思い出した。顔を洗おうとして、パンツの後ろのほうにタオルを挟んでおいたのだった。洗い終わるとそれを忘れ、いつもの吊るしてあるほうのタオルを使ったようだ。
どうりでズボンがきついはずだ。外にいるとき、ズボンからタオルがはみ出ていなかっただろうかと青くなったが、それはまったく分からない。知らぬが仏とはこのことだ。
よくコメントをくださる〈ちゃりんこちえ〉さんが、そのちゃりんこをどこに停めたか分からなくなったとブログに書いておられるのを見て、からかったりしたが、私も似たようなものである。人のことは言えない。

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2007-07-21

映画を作るということ

テーマ:映画
小津安二郎『晩春』(49年)ビデオの返却日。〈採録シナリオ〉作りのために繰り返し見たことは既に書いたが、作品として楽しみながら見てはいなかったので、最後に一度、通して見てから返そうと思った。
だが、再生を始めてみると、やはり気になり、もう提出して受講者にも渡っている採録シナリオを手元に置きながら見ることに。大きなミスはなかったが、「悪いもの」が「悪いもん」だったり、「思ってるんだ」が「思っているんだ」、またト書きには《すわる》となっているのに映像では〈しゃがむ〉だったりした。受講者には面倒くさがられるかもしれないが、テキストとして使われる9月までにもう一度チェックして、追加訂正をさせてもらおう。
それにしても気になるのが、笠智衆と原節子が暮らす鎌倉の家だ(美術は浜田辰雄)。玄関、茶の間、中廊下(ここには二階につづく階段がある)、台所、洗面所、二階の部屋、その廊下、たぶん同じ配置になっている一階の廊下など。そういう場所が、繰り返し出てくる。人が帰ってくると、必ずといっていいほど玄関が映るが、その全体は映らないのだ。こちらの部屋から三分の一ぐらいが見えたり、襖にさえぎられて玄関そのものは見えず、玄関を上がったところの三畳ほどの小部屋が見えたりする。中廊下にある階段にしても、階段そのものは決して映らず、そこを昇ったり降りたりする人物が、そのつど横から捉えられるばかりなのだ。
キャメラがあちこちに据えられるから、当然セットなのだが、この家の全体像はどうなっているのだろうと、ちょっと見取図を描いてみたくなる。つまり、〈家〉そのものが魅力的で、なおかつ大きな役割を占めているのだ。造られたセットが生き生きと呼吸しており、私たち見る者も、完全に実在する家としてそれを見ている、ということになろうか。
そんなことを考えながら、ビデオを返却して家に帰ろうとしていたら、シネ・ヌーヴォの支配人から依頼があった。『Academy アカデミー』(06年、ギャビン・ヤングス監督)の初日で、主演の高橋マリ子と杉浦太陽の舞台挨拶があるのだが、思ったほど人が集まっていない。よかったら来てくれないか、というのだ。
というわけで、ビデオを返却してから食事し、夜の8時半にシネ・ヌーヴォへ。高橋マリ子さんはモデルで女優。リプトン・リモーネや資生堂HAKUのCMにも出ている。杉浦太陽君は大阪出身で、元「モーニング娘。」の辻希美(つじ・のぞみ)さんと先月結婚したばかりなのはご存じのとおり。
その舞台挨拶。高橋さんは美しく、杉浦君は元気。景山支配人も苦労していろいろ質問していたけど、NHKの『アクターズ・スタジオ・インタビュー』のようなわけにはいかないのは、〈俳優〉をつくる、あるいは育てるシステムの問題かもしれない。
続いて見た『Academy アカデミー』だが、杉浦君が「監督はボクと同い年」と言っていたから26歳ぐらいなのだろう、その若さゆえの粗さ、未熟さが目立つと思った。まあ『晩春』を見た後では、ヤングス(名前も若い!)監督もかわいそうだが。
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2007-07-20

ダンドリ

テーマ:日常
夕方6時からの懐徳堂古典講座「小津安二郎の映画を読む」に向けて集中した一日。実は、7月18日に《くだんの仕事》と書いた作業は、これにかかわっている(関係者にはバレていたから、もう書いてもいいだろう)。この講座は小津作品を《舐めるように》じっくり見て、その本質に迫ろうとするものだが、そのテキストとして、残されている脚本を用いる。
だが、全集などに収録されている脚本は、出来上がった映画とは微妙に異なっている。たとえそれが〈決定稿〉であったとしても、映画撮影の現場では、さまざまな事情で変更されることがあるからだ。その異同を見ていくのも面白いが、あくまで出来上がった作品を対象にしようとするこの講座では、その作品に忠実な〈採録シナリオ〉があったほうがいいわけだ。
私はこの講座の一受講者にすぎないが、編集者という仕事柄、また講師である上倉庸敬(かみくら・つねゆき)先生と親しくさせていただいている関係から、その〈採録シナリオ〉作成を買って出た。昨年は『東京物語』(53年)をやり、今年は『秋日和』(60年)をやった。だが、今年は前期で『秋日和』を終え、9月からの後期は『晩春』(49年)を見ていくことになった。月に1回の講座で、8月は休講になるので、9月から使おうとすれば、今日7月の講座で受講者たちにお渡ししなければならないのだった。
その作業だが、まず作品のビデオを借りてくる。これは絶対にビデオのほうがいい。同じ場面を何度も繰り返し聞き、見る必要があるからだ。DVDのようにチャプター1、2というような大雑把なくくり方では、不便でしょうがない。ところが最近、レンタル〈ビデオ〉店でも、ビデオは少数派になりつつあり、探すのに苦労する。〈進歩〉の名の下に、失われるものもあるという一例だろう。
で、活字になった脚本のコピーを手元に置き、ビデオを細かく見ていきながら、実際の映画と同じになるよう、脚本を手書きで修正していくのだ。「あなた」と言っているか、「あんた」と言っているのか。「うん」「ああ」など、ほとんど意味のない言葉も、できるだけ拾っていく。活字にはあるが、映画には出てこないシーンもある。その逆に、新たに挿入されたシーンもある。シーンの順番が変わっていることも多い。ト書きも要注意だ。活字では〈窓〉となっているのに、映像では〈障子〉になっていたりする。登場人物の感情説明も、脚本には《不愉快そうに》と書いてあっても、映画の中の人物は悲しそうにしか見えない場合がある。そういうところも直していく。難しいのは、こちらの主観をどこまで書くかということだ。いまの《不愉快そう》にしても、悲しそう、恨めしそう、口惜しそうなど、見る人によっていろいろに判断が分かれるわけで、どういう表現がいちばん適切か、何度もビデオを見て悩むことになる。また、できるだけ主観を入れないで、登場人物の動きや姿勢、声の調子などを書き込むことで、その感情を表現できないだろうかと模索したりする。
そんなこんなで、上倉先生から提供された脚本の見開き2ページ分を修正するのに、だいたい1時間かかることが経験上分かってきた。今日朝の時点で、それが5時間分残っていた。そのため6時に起き、7時から作業を始め、11時半に終わった。昼食に行く時間が出来たので、そばを食べてきた。午後は、ビデオを通して見て、修正した脚本をチェックすることにした。1時間48分の映画だから、見直しには3時間、長くて4時間と踏んだ。最初はどうしてもセリフを聞くことに集中しているから、画面を見ることがおろそかになる。だから2回目は、画面への注意6、セリフは4ぐらいの気持で見ていく。その結果、ト書きを足したり消したりと、見直した効果は大いにあった。この作業が午後3時過ぎに終了。ほぼ予定どおりである。
それからコピーにかかる。修正した脚本23枚×受講者27名分をコピーするのだ。もちろん事務局にお願いすることもできるのだが、そのためには1日か2日は前に原稿をお渡ししなければならない。いつも泥縄の私には、それができない。ギリギリの時間に、自分でコピーすることになる(実費は事務局からいただいている)。この作業には2時間を想定した。だが、いまのコピー機には〈ソート機能〉というものがあり、つまり1部ずつページ順に並べてコピーしてくれるので、大いに助かった。ホチキス留めをしてから、抜けや白紙がないかをチェックすることもでき、ほぼ1時間半で終わった。コーヒーを飲む時間が出来たぞと喜んだが、電話がかかってきたりして、その余裕は失われた。
午後5時、講義が行なわれる大阪大学中之島センターへ出発。これまで、見事なほどダンドリどおりに進んできたが、極めつきは〈傘〉だった。出かけようとしたら、やけに空が暗くなってきた。「今日は降らないはずでは」と思い、ネットで天気予報を見てみたら、午後の降水確率は20~40%となっていて、それなら傘は要るまいと、出かける準備を始めた。ロッカーを開けて着替えの服を取り出したら、折り畳み傘のストラップが指にひっかかり、服と一緒に出てきたのだ。これは傘を持っていけという暗示かもしれないと思い、カバンに突っ込んでおいた。すると、淀屋橋に着いて歩きだしたら、パラパラと降ってきたのだ!
というわけで、テキストを濡らすこともなく、5時半には事務局のAさんにお渡しすることができた。6時からの講義も面白く、特に「『秋日和』は見ていて楽しい作品ですが、完成度としてはそれほど高くないのでは」という上倉先生の指摘は、ストンと腑に落ちた。潔癖すぎる娘と母親が、どこか異様なのだ。秋からの『晩春』も、エレクトラ・コンプレックスというのか、娘が父親にいだく愛情が過剰で、「この人は結婚して幸せになれるのだろうか」と思ってしまう。ともかく、小津作品は奥が深い。来年もこの講義は続くそうで、取り上げる作品が何本になろうとも、採録シナリオ作りは続けさせていただきたいと思っている。時間と労力はかかるが、やはりその作業が楽しく、興味深いからだ。

7時半からは、同じビルの9階で〈懇親会〉が開かれた。講師と受講者の、また受講者同士の親睦を図るためだが、会費2500円の自由参加にもかかわらず、しかも雨の日に、20人もの参加があった。順番に自己紹介していくだけでも1時間以上かかったが、映画ファン、劇場関係者、音楽家、演劇人、脚本家、学生、主婦、元新聞記者、デザイナーなど、実に多彩な人々で、そのお話も大変味わいがあった。月に1回集まって、黙って講義を受けて帰るだけでは、絶対に分からない20人の個性があり、その人生の厚みに圧倒される2時間であった。学生時代、こういう講義があれば、もう少し勉強に身が入ったのになあ。
10時からは、大阪に宿泊されるという上倉先生に、ホテルのバーでテキスト作りの労をねぎらっていただいた。テキーラYさん、事務局のAさんも同席してくださった。どちらも独身女性。すこぶる気分よく、プライベートなことなど、ちょっと話しすぎたかなと思う。11時過ぎにお開きとなり、12時前にはもう寝ていた。

長い一日だったけれど、完全に〈仕事モード〉に入っていて、まったく長さを感じなかった。これを維持していきたい。さいわい、年齢からくるものか、最近は睡眠時間が非常に短くなっている。眠れなければ、無理に眠ろうとしたり、気に病むこともなく、起きてしまえばいいのだ。
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2007-07-19

油断は禁物

テーマ:日常
今日もよく仕事しました。まだ終わっていないが、どうやら明日締め切りのものは格好がつきそう。
しかし、急ぎの仕事がまた別にふたつある。そのうちのひとつは、25日の締め切りなのに、ずっと27日だと思っていたのだ。手帳にそう書き込んであったのだが、どうもヘンだと思って過去のメールを調べてみたら、《締め切りは25日です》となっていた。アッチャー!という感じだが、気付かないよりはよかった。土曜日に東京の出版記念会に出席するという話もあったが、それも不義理をさせてもらおう。もちろん今日の木曜講座にも行けなかった。浅野さん、ごめんなさい。
仕事を始めると、〈適当に〉ということができない。要領が悪いのだ。健さんみたいに、「不器用ですから」と心の中で呟いてみるのだが、弊害は多々ある。でも、仕上げはきちんとしてるんです、と言い切れればまだいいが、振り返ってみれば、そんなに偉そうなことも言えないのである。
ともかく、この調子でもう少し頑張ってみよう。人はいくつからでも生まれ変われる、と信じて。
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2007-07-18

馬鹿は死ななきゃ……

テーマ:日常
連休中に片付けておきたい仕事があったが、台風が来たり(拍子抜けするほど何もなかったが)、新潟で地震があったりで落ち着かず、それに世間様はみな休んでいると思うとやる気も出ず、結局サボってしまった。
昨日は昨日で、急遽埋め草原稿を頼まれ、「400字で2枚ぐらいだから」と聞いていたのに本当は5枚で、それもあまり得意分野でなく、資料と首っ引きでなんとか仕上げたが、それで一日がパー。
今日は午後から会議があり、それは分かっていたのだが、「参考のためにこのDVDを見ておいてください」と言われていたのを思い出し、あわてて見るはめに。しかし、これが面白くないシロモノで、こんなものを3時間も見るのかとうんざりしていたら、後半の1時間ほどがミスで録画されていず、ホッとした。だが、それで午前中はほぼつぶれ、午後の会議に出て、早めの夕食を済ませて事務所に戻ってきたら5時。
それからくだんの仕事を始めたが、これがはかどらない。当然、ヨーガ教室へ行くのもあきらめた。そして、もう日が替わろうとしている。徹夜するとあとでこたえるので、これを書いたら寝るつもり。
明日は、夕方からシネ・ヌーヴォで木曜講座がある。映画評論家の浅野潜さんと映画を楽しむ会だ。上映作品は『四畳半襖の裏張り』(73年、神代辰巳監督)だったかな。久しぶりに見てみたいが、どうなることやら。

自分の見通しの甘さ、同じ過ちを繰り返しても懲りない能天気さを嗤うしかないが、切羽詰まってこうして転がりだしてみると、ちょっと充実感を覚えたりしているのだ。アホだねえ、まったく。

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2007-07-14

『傷だらけの男たち』

テーマ:映画
恒例の映画観賞会。OS劇場で『傷だらけの男たち』(06年)を見る。
大型の台風4号が接近中だったし、土曜日の午後2時という時間も中途半端で、今回は誰も現れないのではないかと思ったが、雨の中、AさんとHさんが来てくれた。
映画は、名作『インファナル・アフェア』シリーズと同じ監督(アンドリュー・ラウ、アラン・マック)、同じ脚本(フェリックス・チョン、アラン・マック)だし、主演も私の好きなトニー・レオンと金城武。また『インファナル・アフェア』をリメイクした『ディパーテッド』と同様に、レオナルド・ディカプリオ主演でリメイクも決定しているとあって、「今月はこれしかないでしょう」という感じで決めたのだった。
だが、期待が大きすぎたのか、私にはイマイチだった。トニー・レオンも金城武も、心に深い傷を負っている。金城武のそれはまだ理解できるが、トニー・レオンのほうは「ちょっと強引な設定では」という気がした。それにトニー・レオンの妻(シュー・ジンレイ)をつけ狙う不気味な男の行動が、本筋とは関係のない理由からだったと分かったとき、肩すかしをくらわされたような気分になってしまった。
また、殺人のシーンが残酷すぎるようにも思った。しかも、回想場面として何度も出てくる。もっともこれは、私が選択した映画を女性2人と一緒に見ているという状況から来る感情だったかもしれない。「気分悪くなっていないだろうか」などと考えてしまうのだ。特に、「こういう血の出るシーンが大嫌いなNさんが来ていなくてよかった」と、つくづく思ったのであった。そういう事情なので、自分一人で見れば、なんとも感じなかったかもしれない。
だが、素晴らしいところもあった。冒頭、凶悪犯を追尾する場面が凄い。相手に気づかれぬよう、バトンタッチするように車を入れ替えながらタクシーを追う。高速道路がのたくっている夜の香港の街を俯瞰で捉えた映像が印象的だ。原題は『傷城』で、「傷ついた街」という意味らしいが、それを象徴するようなシーンだった。
また、金城武の恋人となるバーの女が、スー・チーであるのも私には嬉しかった。いま私がハマっている『百年恋歌』のヒロインで、私は彼女がこの映画に出ていることをまったく知らなかったのだ。役柄としても、唯一救いのある人物像だったし。

さて、AさんとHさんはどう感じられたのだろう。それを話し合う余裕もなく、Aさんはお嬢さんたちの夕食を作るために、Hさんはご実家に車で帰省するために、あわただしく映画館の前で解散となったのであった。
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2007-07-11

かなわない

テーマ:映画
今日は蒸す。まるで湿気の厚い層が体を取り巻いているようだ。大阪にも大雨の予感。

遅ればせながら、『垂乳女(たらちめ)』(06年、河瀬直美監督)を見てきた。『殯(もがり)の森』の形而上的世界の根っこに、かくも命と直接的につながる世界があったのか、という感じ。ともかく、こんなにダイレクトに出産を描いた映画を私は知らない。6月14日の日記に、「河瀬直美の業」と書いたけれど、まさにそれ、キャメラが肉体と化しているのだ。河瀬直美にはかなわない。いや、命を孕み、命を生み、それと連綿とつながってゆく女性にはかなわない、と言うべきか。恐れ入りました。

昨日(10日)は、息子を誘って維新派『nostalgia』の2回目。会場前でシネ・ヌーヴォのスタッフ3人とバッタリ。しかも、そのうちの2人は『百年恋歌』の3回目を見に行ったとき(5月31日)に偶然出会ったYさんとNさんだ。会場内にも知り合いがいた。それだけ、維新派が、松本雄吉さんが私たちの身近な存在だということか。
前回見たとき(7月3日)、友人が「主人公の男は死んだんだろ」と言い、私は「いや、最後にまた出てきたから、死んではいない」と言ったのだが、よく分からなくなってきた。どなたか、きちんと解説してくださらぬか。あるいは、第二部が出来るのを待つべきか。
公演が終わり「ウルトラマーケット」から出てきたら、ちょうど大阪城ホールでのEXILEのコンサートも終わったところだったようで、人また人。その若者たちをかき分けるように歩き、途中の居酒屋で息子と1時間ばかり飲む。
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2007-07-08

大人のアニメ

テーマ:映画
大阪歴史博物館で行なわれた『アズールとアスマール』(06年、ミッシェル・オスロ監督)上映会のお手伝い。主催は三鷹の森ジブリ美術館とシネ・ヌーヴォ。三鷹の森ジブリ美術館では、最近、世界の優れた作品を提供・配給するライブラリー事業を手掛けており、『アズールとアスマール』は『春のめざめ』(06年、アレクサンドル・ペトロフ監督)に次ぐ第2弾。
私はフリーランスの映写技師Tさんのお手伝いをする。このTさん、関西の興行界では有名な人で、70代(たぶん)にして現役、どんな条件の映写でも経験と工夫によってこなしてしまう、といわれている。お名前は知っていたし、電話でもお話ししたことはあるのだが、お目にかかるのは初めて。いささか緊張したが、とても気さくな方で、ホッとした。大きなバンを自ら運転して会場に駆け付け、台車4台分ぐらいの機材を降ろす。私も少し運んだが、映写機をはじめ、やたら重いものが多い。翌日の筋肉痛は、ヨーガのためではなく、このためだったようだ。
トークショーのゲストとして、三鷹の森ジブリ美術館の館長・中島清文さんが来てくださった。冒頭、「館長というと、宮崎駿か高畑勲が来ると思っていらしたんじゃないですか」と観客を笑わせる。この中島さんもユニークな人で、『耳をすませば』(95年、近藤喜文監督)のころ、銀行員としてスタジオジブリと関わり、退職後に請われて現在の職場に入ったということだ。三鷹の森ジブリ美術館へはまだ行ったことがないが、中島さんのお話を聞き、ぜひ行ってみたいと思った。同館のライブラリー事業は始まったばかりで、まだ見通しも立たないが、少なくとも3年は続けたいとおっしゃっていた。
さて、『アズールとアスマール』であるが、プレミア上映にもかかわらず、宣伝が行き届かなかったのか、観客は泣きたくなるほど少なかった。しかし、作品は悪くない。アラビア人の乳母によって育てられた、青い瞳のアズールと黒い瞳のアスナールのお話。二人の少年の成長物語でもあり、冒険譚でもある。まず、映像が美しい。アニメーションだが、これまでに見たことがないような個性的な絵である。内容も、人種・文化・習慣・言語・風土・宗教などを異にする人々が、いかにして理解し合えるか、共存していけるかを探ったもので、とても深い。アズールが青年となり、海を渡って見知らぬイスラム世界を旅するところは、いくらでも活劇的な面白さを演出できたと思うが、そのあたりはサラリと描き、むしろ異なった人物像を象徴的に描き出すことに精力を注いだように思われる。大人の観賞に堪えるアニメーション映画だ。
この『アズールとアスナール』、フランスでは昨年公開されて160万人を動員、フランス・アニメーション映画史上最大のヒットを記録したという。外国人労働者が多いという国内事情もあるのかもしれないが、やはりフランス人は大人だなあと、その見識に感心した。
同作も『春のめざめ』も、7月21日からシネ・ヌーヴォで上映される(『春のめざめ』はシネ・ヌーヴォX)。ちょっと宣伝。
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2007-07-07

少しずつ

テーマ:ヨーガ
水曜日、7カ月ぶりにヨーガ教室に参加したことはすでに書いたが、以来、体のあちこちが筋肉痛である。それは「きいてるな」と、ヨーガの効果を実感させるものであり、体がさらに運動を欲しているような感じもあって、昨日も行ってきた。
指導者2人に、受講生4人。受講生が少ないと、なんだか得したような気分になる。今回も「初心者コース」でとお願いした。うまい具合に、初心者コース2人、上級者コース2人に分かれた。前回とほぼ同様のアーサナ(姿勢、ポーズ)をこなしたあと、指導者Sさんのお話を聞く。「自宅でアーサナをするときは、ひとつかふたつでもいいんです」とおっしゃる。いい話を聞いた、と思った。というのも、基本的なアーサナは10ほどあり、ひとつのアーサナを終えると、シャヴァ・アーサナという全身をリラックスさせるポーズを挟むから、全部やろうとすると2時間近くかかってしまうのだ。部分的にでも、短時間でも、やらないよりはやったほうが良いということは、頭では分かっているのだが、私は妙に完全主義なところがあり、やるとなればきちんと時間をとって全部やりたいと思ってしまう。それが自宅でアーサナをできない理由のひとつだと気付いたのだ。
ひとつのアーサナでも、呼吸はこう、背筋はのばす、肩の力は抜くなど、注意すべき点はいくつもある。それをいちいち意識しなくてもできるようになるまで、繰り返しやってみるというのでも良いわけだ。
先に書いたシャヴァ・アーサナにしても、仰向けに寝て全身の力を抜くというだけのことなのだが、これが案外難しい。どこかに力が入ってしまうのだ。首筋や肩のあたりとか。特に顔全体を弛緩させるのは至難の業だ。〈屍の形〉と訳されるほどだから、私は死体の写真やデスマスクを思い浮かべたりしている。怖いとか悲しいなどの気持を別にすれば、死者の顔ってだいたい安らかだと思いません? それに、忍者のように〈気配を消す〉という側面もあって、私は気に入っている。
もっとも、このシャヴァ・アーサナは、自分の肉体を極限まで曲げたり伸ばしたりするアーサナ(無理に力を入れてそうするのではない。今の自分ができる範囲の中で、精一杯曲げたり伸ばしたりすればいいのだ。やがて、水滴が岩をうがつように、少しずつできる範囲は広がってゆく。いい話でしょ)の合間に挟むものなので、アーサナの例としては適当ではなかったかもしれない。
さて、今夜はひとつ、バッダコーナ・アーサナ(閉脚の形)にでも挑戦してみるか。
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