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2006-07-31

今日こそは!

テーマ:日常
7月23日以後の「日記」の続き。正直に言うと、ちょっと面倒くさくなってきた。しかし、やり始めたことなので今日こそは最後までやってしまおう。

23日(日)夜 通っているヨーガ教室が主催する集会に参加。いつもは京都におられる私たちの大師匠(ヨギさんという)が、大阪まで出張ってこられ、ヨーガについて話される会。予約があまり入っていず、「お友達を10人ばかり連れて来て」と言われていたが、定刻の6時半に中之島の中央公会堂に行ってみると、40人ほどがすでに集まっていて、盛況だった。
参加者からの質問にヨギさんが答える、というかたちで集会は進んだ。「ヨーガのアーサナ(姿勢、ポーズ)とは、瞑想とは何か」「善い行ないとは何か」「今を生きる方法は?」など、真摯な質問が次々と発せられる。
そのつど、ヨギさんはしばらく考えられ、静かに話しだされる。難しくてよく分からないところもあったが、「未来のことを考えず、いま目の前にある、しなければならないことに集中しなさい」という教えなどは胸にこたえた。
ヨギさんは〈覚者〉(悟りを開いた人)だといわれ、ご自分でもそう言っておられるが、現在の私にとってはヨーガの大先輩として尊敬している存在であって、〈神〉として崇めているわけではない。とはいえ、2時間以上、シッダ・アーサナ(達人の形)をみじんも崩すことなく、水も飲まず、まったく同じトーンで話し続けられる姿には、さすが!だと思った。
大阪クラスの指導者Sさんに促されて最前列に座ったためかもしれないが、集会の間じゅう、頻繁にヨギさんと目が合った。何かの気配が私の顔に表れているのかと気になり、辞去する前に「ひとつだけ教えてください。今日、私のことをよく見てくださっていたと思うのですが、なぜですか」と訊いてみた。「いつも気になっているからですよ」と、普通の、しかし嬉しい答えが返ってきた。私の名前を覚えていてくださったのも嬉しかった。

事務所に戻り、同窓会案内状の文案を作って、もう一人の幹事Tさんにメールで送る。就寝4時。

24日(月) 終日、同窓生の現住所調べ。実家や就職先など、ご本人につながりそうなところは全部あたってみる。私は男性陣を担当したのだが、運良くご本人をつかまえられても、反応があまり良くない。案内状を送りますので、と言っても「ああ、そうですか」。同窓生で今も交流のある人は、と訊いても「いや、全然」。こんな感じなのだ。
すでにTさんが現住所調べを終えてくださっている女性陣のほうは、「あら懐かしい」と30分も話し込んだり、ぜひ参加したいと言う人も多かったと聞いているのに。まあ自分が逆の立場だったら、同じような反応を示すかもしれないなと思う。
卒業から33年も経って「同窓会を開きますので」と言われても、「いまさら、何のこっちゃ」というところであろう。仕掛けるほうも物好きなので、案内状をお送りしたら、あとはご自分で参加か欠席を決めてもらうだけだ、と腹をくくる。

25日(火) 午後4時ごろまで、昨日の続き。塵(ちり)も積もれば山となるで、80人近くいた同窓生のうち、40人まで現住所が分かった。何度かけても誰も出ない電話もまだあるが、このあたりでもう〈打ち止め〉だろう。

午後5時から、大阪都市協会で「おおさかシネマフェスティバル」に向けての会議。都市協会の専従担当者が辞め、対応に追われる。これという妙案はないのだが。
会議のあと、恒例の飲み会(これが多いね私の場合)。1時間ほどでお開きとなり、私はシネ・ヌーヴォ代表の景山と天神祭を見に行った。

8時前に天神橋へ到着。8時からの花火を待つ。周りは若い人ばかりで、オジサンふたりは浮いている感じ。しかも花火が始まっても、ビルが邪魔してほとんど見えない。「なあんだ」と帰りかけたが、これで帰るのもシャクだ。9時ごろまで待てば、若いギャルたちがカラフルな傘を持って踊りながら天満宮に繰り込む宮入り(?)が見られるはずと、近くの飲み屋でまた一杯。話が私の生き方におよび、「どうするつもり?」と景山に問われ、たいして飲んでもいないのに悪酔いする。
ギャルたちの傘踊り行列を見るときも歩道にへたり込む始末であったが、普段は「チョーうざい」などと言っている彼女らが、「ソーレ」の掛け声とともに汗を光らせながら明るく行進していく姿には、やはり元気をもらった。

26日(水) 同窓会の下見。女性幹事のTさん・Yさんと、まずは大学内のレストランへ。私たちが同窓会を予定している日時に、野球部が80人のパーティをやるというので、恐れをなしてパス。
さてどうしようと、学内を散策。グラウンドだったところに新しい学舎が建ち、地道だった坂道は舗装され、ずいぶん綺麗になっている。あの〈タテ看〉の一枚も見当たらない。それでも、懐かしい図書館、その前の広場や巨木、大教室などは当時のままで、少しノスタルジーにひたる。そういえば、学生食堂はどうしたと、女子学生に訊いてみる。凛風館なる新しい建物に移ったというので、そこへ行ってみた。
これだ、これだ、この雰囲気。だだっ広いフロアにずらりとテーブルが並び、夏休み中のはずなのに学生たちがわんさかいて、思い思いに食べたり喋ったり、レポートを書いたりしている。ここで同窓会をできないかと、係の人に訊いてみる。できると言う。幸い、同窓会の予定日には学生も入ってこず、貸し切り状態になるという。広すぎて少し寂しいかもしれないが、係の人も親切だったので、一次会はここに決定!
3人で梅田へ出て、二次会の会場を下見。私が見当をつけておいたイタリア料理店、カフェ、レストラン&バー、ビヤホールと回ってみる。カフェはいい感じで女性陣にも好評だったが、一人一品は必ず〈料理〉を注文しなければならないというので、やむなく断念。他の店も似たような条件があり、決められない。飛び込みでバーを2軒あたってみたが、これも駄目。夕方になり、「二次会は私に任せてくれ」ということで解散。

午後7時からヨーガ教室。その後、友人に教えてもらったバーに電話し、なんとか二次会の会場を決定。すぐにTさんにメールで知らせる。幹事って、けっこう大変。

27日(木) 一次会・二次会の会場も決まったので、案内状の最終校正をしてTさんに送る。往復ハガキに印刷し、その日のうちにTさんが発送してくれた。ハラハラしたが、まずは予定どおりの進行。
私は学生時代に親しかった友人5、6人に、暑中見舞いをかねて同窓会への出席を促すハガキを書く。

28日(金) 夜、43回目のヨーガ教室。週に2回も参加するのは、先日のヨギさん効果か。あの日、私も質問を用意していたが、非常にいい流れだったので発言はしなかった。質問は、人生における難問である〈愛〉についてと〈お金(経済)〉について。後者は、当日の「目の前のことを無心に」というヨギさんの言葉で、「明日のことを思い煩うな」ということかと理解したが、前者は、ヨーガの本を読むと、それもひとつの〈執着〉だとされ、愛にもいろいろなかたちがあるのに、すべて執着なのだろうかという疑問があった。
そのことを、大阪クラスの指導者Sさんに話していた。Sさんは、「ヨーガを修行している者同士で結婚されたカップルがおられるから、今度訊いてみましょうか」とおっしゃった。で、そのご夫婦が今日来ておられるので、どうぞ質問を、と私に言われる。
突然のことでうろたえたが、初対面のご夫婦に上記のようなことを訊いてみた。答えてくれたのは男性のほうで、「利己的な愛でなければ、どんなに深くてもいいのではないでしょうか」。「では、お二人は互いに利己的でない愛で結ばれているわけですね」「それを目指しておりますが」(笑)。
利己的ではない愛か。それはそれで難しいなあ。

29日(土) コミュニティシネマ大阪実行委員会と財団法人大阪都市協会が主催する「映画連続講座」に参加。講演内容は「木下惠介の世界」。講師には作家の長部日出雄氏が予定されていたが、体調不良のため、急遽われらが上倉庸敬(かみくら・つねゆき)先生に交代。
講演が始まる30分前に到着したので、ちょっと腹ごしらえをと喫茶店に入ったら、その上倉先生とバッタリ。なぜかこの日記をよく読んでくださっていて、「著者に尻をたたかれる編集者って、珍しいんじゃないんですか」「僕が読むと分かってて、講義内容はあまり覚えていないなんて、よく書けますね」などといじめられる。
だからというわけではないが、この日の講演はすこぶる面白かった。木下惠介の〈流れるような〉映像・演出について、さまざまなビデオを準備され、主にキャメラ移動のもつ意味を分析して話された。準備期間は1週間ほどしかなかったはずだが、さすがは大学教授である。
続いて見た映画は木下惠介の『破れ太鼓』(49年)。阪東妻三郎主演のコメディ映画で、村瀬幸子がいい味を出していた。木下惠介作品の幅広さにも驚かされ、もっと見なければと思った。
映画講座が無事に終わって、またしても恒例の飲み会。上倉先生も最近はあまり体調が良くないはずだが、ホッとされたのか、けっこう飲んでおられた。私は先日の天神祭で悪酔いしたので、生ビール1杯のみ。
お開きとなり、私は事務所に戻ったが、二次会へ行った人もいる。上倉先生もついていったのではと心配したが、それはなかったそうだ。

30日(日) この日記を少し書いたが、アップできず。
事務所近くのコインランドリーで洗濯。最近覚えたことで、洗濯機に洗濯物を放り込んで蕎麦でも食べに行く。戻ってきて乾燥機に移し、コーヒーを飲みに行く。喫茶店を出てくるころには、すべて終わっているという寸法だ。
だが、洗濯物と洗剤を抱えたオジサンは、なんだか侘しい姿であるような気がして、シャッターを下ろしている店が多い日曜日にすることにした。

31日(月) 午前中、事務所にしているマンションの部屋の排水管清掃に業者が来るというので、8時に起きて待っていたが、いっこうに現れない。12時を回ったところで管理人室に電話。「すみません、できるだけ早く行かせます」との返事のあと、12時半ごろ部屋の外で人の気配が。のぞいてみると、それらしき作業服の男が3人。「なんですか」と訊いても答えない。「何してはるんですか」と重ねて尋ねると、そのうちの一人がようやく「排水管清掃です」と答える。「じゃ、うちですね」と言うと、黙って入ってくる。なにやら険悪な雰囲気だ。
いちばん年は若いが中心人物らしい男に、作業中いろいろ話しかけてみると、9時にドアホンを鳴らしたが、誰も出てこなかったという。確かに居たのだが、聞こえなかったらしい。「こっちの部屋に居ると聞こえにくいんだ」「ホンマですか。前にドアをガンガンやったら、そんなにせんでも聞こえてるわいと怒られたことがあってね。そのへんの加減が難しいんですわ」。そんな会話を交わしているうちに、機嫌を直してくれたようだ。たぶん、管理人から不愉快なことを言われたのだろう。注意していたつもりだが、ドアホンを聞き逃した私にも責任がある。彼らが帰ってすぐ、管理人室に「無事終わりました。お騒がせしました」と電話しておいた。

朝から何も食べていなかったので、食事に出る。戻ってくると、約束の時間にOさんが来た。私のパソコンの師匠。困ったことがあると、いつも助けてもらう。いいかげん、もう自分で勉強してやってくれ!と思っていることだろう。
あれは5月の20日ごろか、閉鎖されてしまったBBSを復旧してくださったのもOさん。だが、その作業の途中で「習作」と「書評」の一部を削除してしまったらしい。最近そのことに気づき、Oさんに連絡すると、「大阪へ行く用事があるときに寄ります。データは残っているので、復旧作業は30分もあれば終わりますよ」とのこと。で、その日が今日になったというわけ。
作業は本当に30分で終わり、Oさんとコーヒーを飲みに行く。最近彼が資料部分を書き、そのページのDTP制作までしたという写真集『熊野古道~世界遺産 日本の原郷~』(淡交社)という本の苦労話を聞く。きれいな本に仕上がっているが、一冊の本が出来上がるまでには目に見えない苦労がある。そのことはよく分かっているので、Oさんの話にうなずくばかり。活字の世界は報われないことが多いが、それが〈物〉として出現すると嬉しいのも事実。Oさんはいろいろな才能をお持ちだから、何にでもなれるだろうが、活字の世界の仕事も続けていってほしいと願っている。
Oさんのおかげで復活したのは、「習作」の『入退院の記』と「書評」の『泥沼ウォーカー』です。でも、〈復活〉よりも〈新作〉を書かなくちゃね。

ようやく今日に追いついたけど、しんどかったなあ。読むほうも大変だと思う(誰も読まなかったりして)。今後は、書き方をちょっと考えます。
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2006-07-28

追いつけるかな

テーマ:日常
昨日の続き。なんとか現時点まで追いつきたく、はしょりつつ行きます。

19日(水) あるテレビ報道局マンA氏が、写真と文章で自己の半生を記録した本の原稿整理。原稿は何カ月も前にお預かりしているのに、なかなか手がつけられず、やりだしてもチンタラチンタラで、A氏を相当イライラさせてしまった。18日の夜から最後の追い込み。徹夜で仕上げ、朝10時にA氏のテレビ局に届ける。事務所で数時間仮眠して、ヨーガ教室へ。戻って、別の本(シックハウス症候群関連)の原稿読み込み。朝までかかり、少し仮眠。

20日(木) 10時、そのシックハウス症候群の本の出版打ち合わせ。実は、この本の原稿も数カ月前にいただいていて、進展がないことに業を煮やした著者2人(共著になる)に呼びつけられた格好。会ってみれば、お二人とも紳士で、打ち合わせは穏やかに進む。
作ろうとしているブックレットには決められた原稿量があり、ともかく原稿が多すぎる。一般読者向けなのに、専門的な記述が多く難しい。改行が少なく、読みづらい。小見出しの付け方が学術論文みたい。などなど、好き勝手なことを言わせていただいて辞去する。後日、「ご指摘いただいたことを受け、一から書き直しています」と連絡が入る。そんなつもりじゃなかったのに、さらに出版が延びる結果になり、申しわけなし。
午後から、映画『東京物語』(53年、小津安二郎監督)のビデオを見ながらシナリオの修正。少し説明が必要だ。懐徳堂古典講座「小津安二郎の映画を読む」を受講しているのだが、そのテキストに使われているシナリオが、実際の映画とはずいぶん違う。つまり、シナリオは完成していても、映画を撮るときは現場でセリフを変えたり、予定していたシーンを撮れなかったり撮らなかったりするのでそうなっているのだが、講義はシナリオと映画を対比させながら進むので、その違いが気になって仕方がない。そこで、講師の上倉庸敬(かみくら・つねゆき)先生に、「シナリオのセリフやト書きを、映画とぴったり合うように修正していいですか」と申し出、お許しを得て私が修正原稿を作ることになったのだ。
その話を上倉先生としたのが2カ月前。途中、先生の体調不良で講義が1回とび、そのときも徹夜でやらないと間に合わない状況だったので、内心ホッとしたのだったが、結局そのときと同じ状況になってしまった。懲りないというか、学習しないというか……。
しかし、この作業、やり始めるとすこぶる面白い。翌日の講義に間に合わせなければという思いもあったのだろうが、集中が途切れることなく21日の朝9時半に完成!

21日(金) 雨の中、修正が済んだシナリオを大阪大学中之島センターへ届けたのが11時40分。「午前中に持ってきていただければ、コピーしてその日の講義に配布できます」と聞いていたので、ぎりぎりセーフである。
事務所で仮眠、シャワーのあと、午後6時からの講義に出席。シナリオの修正を終えた達成感からか、講義内容はほとんど覚えていない。
午後8時過ぎから、同センター9階のレストランで上倉先生を囲んで飲み会。事務局のAさん、先生の愛弟子Yさんも参加。「シナリオの修正、ご苦労であった」ということで、ご馳走していただいた。

22日(土) 数日間よく働いたので、一日中ボーッとしている。というか、何もできない。夜になり、『東京物語』のビデオを見返す。案の定、いくつか見落としがある。「次回講義の冒頭に、口頭で訂正させていただこう」などと考えていると、ビデオテープが機械の中でからまってしまった。
ゲッ! TSUTAYAに返却しなければいけないやつなのに。青くなってあちこちいじくっていたら、突然スッと取れた。そこでやめておけばいいのに、映画はまだ途中だったので、「巻き戻しや早送りをしなければ大丈夫だろう」と、もう一度デッキに突っ込んで最後まで見た。で、恐る恐る〈取り出し〉ボタンを押してみたら、今度はカセット本体がまったく出てこない。電源を入れたり切ったり、取り出し口から手を突っ込んでカセットを押したり引いたりしてみたが、駄目。これはもう、電器屋さんに来てもらうしかないなと諦め、午前3時に就寝。

23日(日) 朝一番にビデオデッキに取りついてみたら、これがまたどういう拍子でか普通に作動し、カセットがしずしずと現れた。やれやれ。
午後、大学同窓生の現住所調べにようやく着手する。26日には同窓会の打ち合わせをやり、27日には案内状を発送する予定だから、泥縄もいいところだ。こんなことばかりやってるなあ、俺。
手元にある資料は3つ。大学2年生のときの名簿、卒業時に作られたガリ版刷りの名簿(同窓会をやろうとしたのか、やったのか、覚えていないのだが)、そして卒業後に作られた名簿だ(そこには就職先も載っている)。大学側が作った名簿には、籍だけ置いていたいわゆるユーレイ学生や、あまり学校に出てこなかった留年組も入っているから、普段よく顔を合わせていた人たちが載っている〈ガリ版刷り名簿〉をメインに、他の2つをサブ的に使って調べていった。
しかし、なにしろもう30年以上も前のこと、電話局番や住居表示も変わっていて、一発で本人につながることはまずない。今は使われていない電話番号。使われていても、まったく違う人が使っていたりする。仕方なく、104にかけまくることになる。なんとかつながっても、「今はここに居ません」「本人じゃないので、お答えできません」などと言われる。〈個人情報〉の壁である。同窓会を開きたいと理由を言い、こちらから名乗ってもそうなのだ。これは大変な仕事だぞと、始めてから気がついた。

今日はここまで。なんとか〈今〉に追いつけそう。明日また続きを書きます。
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2006-07-27

お久しぶりです

テーマ:日常
『東京物語』の杉村春子(志げ)の印象的なセリフに「いやんなっちゃうなァ」というのがあるが、この10日ほどは何やかやと忙しく、まったくいやんなっちゃう。でも、あんまり間をあけるとまた書けなくなるので、駆け足でおさらいしておこう。
と書きかけたのも二度三度。そのつど挫折してしまったが、今日こそは少しでもアップするぞ。

17日(月・祝) シネ・ヌーヴォ代表の景山と、梅田芸術劇場で維新派公演『ナツノトビラ』を見る。毎年(でもないが)維新派の舞台を見るのが恒例行事のようになっている。今年は初めて室内での公演。梅田芸術劇場といえば一流の劇場で、維新派も出世したなあと思うが、私はやはり野外劇のほうが好きだ。〈力業〉を感じさせる巨大な舞台に驚嘆し、寒さに震え、突然の雨に打たれながら見る舞台。そこには、客席と舞台の一体感がある。
スターのいない集団劇、繰り返される短いセリフ、湧き上がり飛び交う夏のイメージ。いつもながら松本雄吉(作・演出)さんのセンスには感心させられる。ただ、セリフがちょっと聞き取りにくかったかな。いつもは野外ゆえのハンディだと思っていたのだが。
また、集団劇でありながら、そこには数人の中心人物による物語が流れているのだが、これが少し分かりにくいと思った。ま、しかしそんなことは大したことではない。維新派公演は私にとって、もうすぐ始まる天神祭のように、見るだけで元気をもらえるイベントなのだから。
公演が終わって帰ろうとしていたら、喫煙所で松本さんを発見。しばし立ち話をする。「息子さん、どうしてます?」と言われ、驚くと同時にありがたかった。一度だけ息子を連れて見に行ったことがあり、そのことをまだ覚えていてくださったのだ。

18日(火) 毎月恒例の映画観賞会。Nさんと梅田ガーデンシネマで『13歳の夏に僕は生まれた』(05年、マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督、イタリア映画)を見る。評判になった(私は未見だが)6時間6分の大作『輝ける青春』の監督作だというので、今回はこれにした。秀作、佳作という感じ。
裕福な家庭の少年サンドロが、ヨットで航海中に海に落ちる。死にかけていたところを密航船に助けられるが、そこで彼は社会の暗部と苛酷な現実を知る。密航者が生きていくためには、子供であっても何でもしなければならない。たとえば盗み、たとえば売春。サンドロは自分を助けてくれた兄妹を救おうとするが、その思いは両親に伝わらない。対立し、家を出る。つまり、13歳の夏に彼は生まれ変わったのだ。だが、子供に何ができる? そのあたりの厳しさもきちんと描かれていて、いいラストだと思った。
そういうストーリーよりも心に残ったのは、13歳の少年の描かれ方だった。誰もいない夜の海に落ちたとき、パニックに陥りそうになりながらも、「冷静にならなければ」と考えたり、まったく理解不能の言語で少年にわめきたてる男の言葉を全部音で覚えていたり……。
それを何と言えばいいのか分からないが、この年頃の少年は大人が考えている以上に大人だし、ある部分ではものすごい能力を発揮するし、純粋で潔癖でもある。そんなところが巧く描かれていたと思う。
自分自身を振り返ってみても、色気づく前のこの時期が、最もうつくしく明澄だったように思えるのだ。オジサンにも、「紅顔の美少年」と呼ばれた時期があったのよ。

こんな調子では、いつまでたっても〈今〉に追いつけない。明日はもっとトントンといくぞ。とりあえず、今日はここまで。
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2006-07-16

美しい人

テーマ:映画
テアトル梅田で『美しい人』(ロドリゴ・ガルシア監督、05年)を見た。見事だ。
9話のオムニバス。オムニバス作品というのは、往々にして印象が散漫になるのだが、そんなこともなく、映画全体を貫くテーマを重く、多角的に捉えている。また、一話一話が、それぞれ長い物語の核になる部分(エッセンス)だけで出来ているような感じで、非常に充実感がある。それゆえに、見る者は緊張を強いられるし、画面に描かれていない部分を小さなセリフや登場人物の仕草などから想像し補完していく作業も求められる。それでもあえてこういう撮り方をしたところに、監督たちの〈観客への信頼〉を感じた。アメリカ映画では珍しいことだ。

9話すべてがワンシーン・ワンカットで撮られているが、そのことを見る者にあまり意識させず、その点も見事だと思った。作品内容と手法が一体になっている、ということだろう。

さて、映画の内容だが、9話の中心人物はすべて女性で、全員が〈愛〉を求めている。だが、その愛は、何かに隔てられ、行き違い、あるいは届かない。切実に愛することが、自らを傷つけ、苦しめ、悲嘆の底へ突き落とす。そして、相手にも何らかの傷を与える。
思ったこと、感じたことをガンガン相手にぶつけていくアメリカ風(?)コミュニケーションにはショックを覚え、とてもこんな女たちには太刀打ちできないやと思ったり、いや、自分の想いをもっと口に出すべきなのかと考えたりしたが、結局のところ「愛とはなんだろう」という大きなアポリアだけが残った。この難題には、一生付き合っていくしかあるまいが。
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2006-07-15

無題

テーマ:日常
「いのち短し 恋せよ少女(おとめ)」という歌があったけれども(ゴンドラの唄)、そんなことを深く思う一日であった。以上。
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2006-07-12

出戻りヨーガ

テーマ:ヨーガ
「嫌われてはいないな」と思うと、調子に乗る。馴れ馴れしくなる。甘える。少々のことは許してもらえると思う。親しき仲にも礼儀あり、を忘れる。
そして失敗する。失敗すると、くよくよ気に病む。すぐに謝れば済むものを、妙に居直る。小心者のくせに頑固なのだ。
思えば、人との付き合いのなかで、そんなことを何度繰り返してきたことだろう。通い始めて1年を過ぎたヨーガ教室でも、そんな傾向が出始めた。はたから見ればたいしたことではなくても、後ろめたく思う。自己嫌悪に陥る。教室を休む。一度休むと、行きにくくなる。また休む。そんな悪循環と、実際に用事が重なったりして、また丸々2週間休んでしまった。日数にすれば、21日ぶりである。
「悪循環は、どこかで断ち切らねばならない。今日は絶対行くぞ」と決めて、準備万端おこたりなく、いささか緊張して参加。行ってみれば、しんどくはあったが、気持よく終われた。瞑想も、初めて集中できていたように思う。案ずるよりなんとかで、実践あるのみ! だと思った。

いつも感心するのは、指導者たちの変わらぬ態度だ。明るく軽やかで、わだかまりをもたない(こちらは小さなことにこだわっていたりするわけだが)。信仰をもつ人にありがちな、押し付けがましさもない(指導者たちの拠り所が〈信仰〉であるのかどうか、私には分からないが)。つまり、特に変わっているわけではないが、いつ会っても〈気のいい人たち〉なのである。これは、なかなかできることではない。そして、私はそのことに救われてきたのだと思う。

あんまりヨーガのことばかり書いても、読者は面白くなかろうし、どこまで伝わるだろうかとも思うのだが、私にとっては人生の大きなテーマであるし、そのことを今日改めて感じもしたので、記録として記しておきたい。
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2006-07-11

沈黙の恐怖

テーマ:日常
歩道を歩くときは、なるべく端に寄る。反対側に移るときは、後ろに注意する。わがアル中探偵マット・スカダーがそうするのは、不意に襲われることへの警戒からだが、私の場合はそうではない。自転車が怖いのだ。背後から音もなく近づいてきて、すぐ脇を猛スピードで走り抜ける。思わず「ウワッ」と声が出てしまうこともしばしばだ。先方は振り向きもしない。
ハンドルにはベルやブザーが付いているはずだが、その音を聞くことはまずない。商店街などで、「邪魔だ、どけどけ」とばかりにけたたましくベルを鳴らしているオヤジをたまに見かけるが、あのほうがまだマシだ。少なくとも、こちらの注意を喚起しているわけだから。
また、夜でもライトをつけない。最近は夜の街も明るいから、ライトをつけなくても見えるということかもしれないが、あれは「ここにいますよ、近づいていますよ」という合図でもあると思うのだが。
ベルを鳴らさないのは、目立ちたくないからかもしれない。ライトをつけないのは、ペダルが重くなるからかもしれない。いずれも乗り手の理由であって、そこに歩行者への配慮はない。こんな時代に、「せめて『すいません』『ごめんなさい』と声をかけましょう」などと言ってみても、虚しいばかりだ。いちばん現実的なのは、自転車用通路をきちんと整備することだが、この国の道路行政には期待できない。
かくして、自転車にぶつけられて骨折したり死んだりするのは嫌だから、おじさんはビクビクしながら(安全なはずの)歩道を歩いている。

喫茶店に入れば、サラリーマン風の若いのが、携帯電話で話している。しかも大声で。私なら店を出て話すがね。しかし、そんなことはおくびにも出さない。にらんだりすると、「なに見とんじゃ!」とスゴまれかねないから。
新聞を読みながら、それとなく観察する。メニューと雑誌が、席の左右に放り出してある。電話で「オレが迎えに行ったるわ」と言っている。おう、早く出ていけ、と思う。男はブリーフケースを持ち、席を立つ。メニューと雑誌は、もちろんそのまま。そのブリーフケースが、飲み終わったコーラのグラスに当たり、派手な音を立てて床で割れる。散乱するガラスと氷。しかし、男は無言。申しわけ程度にガラス片を拾っていると、店員が近づいてきて「いいですよ、そのままで」と言う。ここで初めて男は「すいません」と小声で言い、店を出ていく。まず周りの客に謝るべきだろうが、と思う。
さらに驚くべきことに、モップか何かを取りに行ったはずの店員が、なかなか戻ってこない。その間に新しい客が入ってきたら危ないじゃないかと思うが、別の仕事をしているらしい。人手不足なのかもしれないが、それは優先順位が違うだろう。
ようやく戻ってきても、無言。ガチャンガチャンと、わざとのように大きな音を立ててガラス片をバケツに放り込んでいる。
誰もが、何かしら不満を抱え込んでいるのだ。犬死にしたくないおじさんは、ますます慎重にならざるを得ない。ま、犬死にするのが運命なら、それも仕方ないな、とどこかで思っているのだが。
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2006-07-10

夏の思い出

テーマ:日常
蒸しますなあ。ちょっと歩いただけで汗が噴き出てくる。この時期、タオルハンカチを手放せない。まとわりつくような湿気。私がいちばん苦手な季節だ。「夏が好き!」なんて言う人の気が知れない。海水浴場へ行ったって、ゴミだらけだし。砂を洗い流すシャワーも長蛇の列だったり、水がチョロチョロしか出なかったり。
〈長蛇の列〉で思い出したが、蛇も嫌い。最近はあまり見かけないのでありがたいが、それでも草むらなどを歩くときは緊張する。上には上があるもので、蛇嫌いというとM部長を思い出す。私が最初に勤めた出版社の上司。編集室の横に資料室があって、諸橋大漢和や百科事典などが置いてあったのだが、このM部長、百科事典の〈はちゅうるい〉の項に数ページ、カラーで挟まっていた蛇の図版を、全部ホチキスでとじてしまったのだ。「見て、見て」とみんなでサカナにしたが、その気持はよく分かった。
水の思い出も良くない。あれは幼稚園のころか、木津川で溺れかけた(当時はまだ木津川で泳げたのだ)。川は怖い。急に足が川底に届かなくなった感覚を今でも覚えている。そこからの記憶はないが、たぶん父が救けてくれたのだろう。父は横浜生まれの横浜育ちで、水泳や潜水は上手だった。
小学5年生のとき、大阪府泉大津市に引っ越した。今はもうないが、家から歩いて行けるところに〈助松海水浴場〉があった。夏の日の朝、父に連れられて海へ行った。海岸から50メートルほど沖に、筏(いかだ)のような木のデッキがあった(あれは浮いていたのか、木で組まれていたのか)。私は泳げなかったから、父の背中につかまって、そこへ連れていってもらった。デッキに寝そべっていると、突然父が私を抱き上げ、海に放り込んだ。死ぬ気で泳いでみろ、というわけだ。そういう〈スパルタ式〉は私には合わなかったが、父はそんな人だった。死ぬまで「男なら、もっとしっかりしろ」と思っていたことだろう。

夏の思い出が、うっとうしいから哀しいになってしまった。もうやめる。
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2006-07-07

スロースターター

テーマ:日常
昨日、NHKの『プロフェッショナル・仕事の流儀』という番組を見るともなく見ていたら、脳科学者の茂木健一郎氏が「お忙しいことと思いますが、お仕事をされるときに気をつけておられることは?」と問われて、「一秒で集中する。一秒というのはオーバーですが、できるだけ早く仕事モードに切り替えるということでしょうか」などと答えていて、凄い! と思った。
私にいちばん欠けているのがそれだからだ。仕事にかかる前の準備行動というのか、私の気分では回避行動が、とにかく長い。スロースターター(これはどうやら和製英語らしいが)なのである。それでも〈スタート〉すればまだいいほうで、なかには何年もスタートできない仕事や、スタートする前にリタイアしてしまった仕事もある。関係者の皆さん、ご迷惑をおかけしております。これを読まれないことを祈りますが、この場を借りて深くお詫びいたします。
ようやくスタートできても、調べもののためにパソコンに向かったりすると、またいけない。まずメールチェック。気がつくと、2時間もかけて返信を書いている。何かを調べ始めても、関連するサイトに飛んだりしているうちに当初の目的を忘れ、遊んでしまっている。
それらのことがすべて〈無駄〉とは思わないが――こういう考え方がすでにいけないのか――仕事と仕事以外をきちんと区別できれば、それに越したことはあるまい。ここはひとつ、茂木先生の爪の垢でも煎じて飲ませていただくべきか。いや、マジで。

ヨーガ・クラスも2週間お休みしてしまった。よし、これから一人ヨーガをやるぞ!
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2006-07-06

会議は踊る

テーマ:日常
大阪府の障害保健福祉室が企画・推進している年1回の「ふれあいキャンペーン」というイベントの〈企画運営委員〉(以下、委員)を友人からの紹介で引き受け、今日は午後から大阪府庁でその会議。べつに呼び止められはしないが、どの出入り口にも警備員が立っていて、いささか緊張する。
委員は、年に数回ある会議に出席し、自由に意見を言うだけでよく、ほんの少しお手当(?)もいただける。お互いに名前と肩書だけしか知らない委員相互の親睦を図るために、茶話会や飲み会を催してはどうかとも思うが、そういうことは一切ナシ。まことにクリーンなものです。
さて会議は、大阪府や関係する各市からも人が来て、お役人は7、8名。聴覚障害をもつ委員もおられるので、手話通訳者が2名。委員の出席者は8名。委員と同数、あるいはそれ以上のお役人の臨席に、最初は気圧されたが、もう慣れた。で、今日も限られた時間のなかで(会議はほとんど予定どおりの時間に終わる)、質問をし、意見を述べた。小学生のころは、答えが分かっていても手を挙げられない子供だったのに、いつから心臓に毛が生えてしまったのだろう、などと思いながら。
会議が終わろうとするころ、聴覚障害をもつ委員が発言を求められた。「なかなか話に入るチャンスがなくて……」と。ハッとした。時間がないからと、私は自分の発言のことしか頭になかったのではないか。私たちは障害者と健常者が〈ふれあう〉ためのイベントを考えているのに、その会議で、障害をもつ人に配慮が足りなかったのでは。そういえば、会議中まったく発言されなかった委員も2人おられたと思う。その方たちにも、「何かご意見は?」と訊いてみるべきではなかったか。そんな思いが、胸のなかで渦を巻いた。

事務所に戻って、司会進行役を務められた方に、そんなことをつらつら書き並べ、FAXした。「うるさい委員だな」と思われたかもしれない。そうでないことを祈るが。
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