2006-05-31

今村昌平さんも

テーマ:映画
今村昌平監督が亡くなった。昨日(30日)の午後3時49分、79歳だったという。3時49分といえば、先月(4月12日)亡くなった黒木和雄監督とほとんど同じ時刻ではないか(黒木さんは3時43分)。享年も79と75。私の父が76、母が74だったから、「俺も80までは生きられねえな」と思った。

今村監督といえば、『黒い雨』(89年)のころだったか、「映画新聞」の取材で、景山(現シネ・ヌーヴォ代表)とともに確か京都でお話をうかがったことがある。泰然自若、煙草をくゆらせながら、悠々と同じトーンで話してくださったことが印象に残っている。何を訊いても、あまり変わらぬ表情で、ボソリボソリと話される。そして、ときどきフフフと笑われる。どこまでが本音で、どこまでが韜晦(とうかい)なのか、よく分からない。「喰えねえオヤジだなあ」と思ったが、一方で、私たちのような一介の映画ファンに、面倒くさそうな顔もされず、どんな質問にも誠実に答えてくださるので、感激したものである。はぐらかされているように思えても、冗談のように聞こえても、それがその時点ではそうとしか言いようがない誠実な答えだったのだと思う。

いずれにせよ、〈巨星堕つ〉の感が強い。それも相次いで。
あの戦争を知る人がどんどん少なくなっていく、とも思う。「戦争を知らない子供たち」(杉田二郎)である私たちは、戦争をくぐり抜けてきた今村監督や黒木監督の言葉や映画を、重く受け止めてきたつもりだが、その声ももう聞けない。世の中が、ふたたび戦争へ戦争へとジワジワ進んでいるように思える現在、私たちはどうすればいいのかと思うが、監督たちの映画は残されている。『黒い雨』を見直し、6月22日の「黒木和雄監督追悼上映会」(同志社大学・寒梅館)では『美しい夏キリシマ』(03年)を見、8月には黒木さんの遺作『紙屋悦子の青春』(06年)を見よう。いや、見なければならない。
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2006-05-30

妹尾さんの写真

テーマ:日常
私が編集をお手伝いした写真集『50年ぶりの炭都~筑豊 田川の今~』(05年/ブレーンセンター)の著者・妹尾豊孝(せのお・ゆたか)さんは、律儀な人である。写真集が出たあとに催された同名の個展では、作品の選択も配列も写真集とまったく同じだった。本を作るときは、「写真の順番はこうしましょう」とか「この人物写真はやめて、風景写真をここに入れてください」などとお願いし、そのつど納得していただいて本にしたのだが、妹尾さんは内心「この写真も入れたい」「ここの順序は違うだろう」などのお気持があっただろうと思うのだ。だから、私も出版社も関わっていないご自分の個展では、写真集の作品を中心にしつつも、もっと自由に構成されると思っていたのだが。今もそのあたりの真意はうかがっていないが、私には「律儀な人だなあ」という印象が強く残った。
また、その後も、新聞に書評が載ると必ず送ってくださったり、ご自分の写真展の案内なども欠かさず、しかも自筆の手紙付きで送ってくださるのだ。先日も、『大阪写真月間2006』の一環として「写真家150人の一坪展」が大阪ニコンサロン(新サンケイビル1階)で開かれるとの案内を頂戴した。

で、最終日になってしまったが、行ってきた。新サンケイビルって、旧のサンケイビルと同じ場所ではないことを、今日はじめて知った。桜橋の交差点から西へ行くのは同じだが、旧ビルの場所を通り越し、さらに西へ歩いて、「この道でよかったのかなあ」と不安になりかけたところで、右側に現れた。1階の大阪ニコンサロンは、さして広くもないスペースで、そこに妹尾さんほか20人ほどの写真家の作品が並んでいる(「写真家150人の一坪展」は、ニコンサロン以外の5会場でも展開されている)。〈一坪展〉のネーミングどおり、一人の写真家に与えられた壁面は、ちょうど3.3平米くらいだ。妹尾さんの写真は、入り口を入ってすぐ、いちばん目立つところに展示されていた。
「大阪」と題された21点の作品で、「あっ、これは事務所の近くのあの場所だ」などと分かるものも数点あり、身近な感じで楽しめた。そして、今回のように他の写真家の作品と並べて見ると、妹尾さんの非凡さがよく分かる。大阪の街の何気ない日常の一コマを切り取っているのだが、なぜか引き込まれ、目を凝らして細部まで見たくなってしまうのだ。
たとえば、私もよく通る阪急・梅田駅東側の道で撮ったと思われる一枚には、高校生のカップルが写っている。夏の制服なども今風にだらしなく着て、ちょっと見は不良っぽいのだが、実は気のいいやつらなのが画面から伝わってくる。そして、おそらく「写真撮らせてくれる?」と妹尾さんから言われ、「あ、イイっすよ」と瞬時に反応したのであろう、その場の雰囲気や、妹尾さんとの微妙な距離感までが定着されているのだ。もちろんこれは私の想像・妄想でしかないが、そんなことまで考えさせる幅と深さを、その一枚がもっているということである。
せっかくだから、他の写真家の作品も見てみた。寡聞にして私が知らない人ばかりだったが、「写真家の力量って、こんなに違うものなんだ」というのが率直な感想である。たぶん、年齢も千差万別なのだろう。スポーツする青年たちの躍動感、「絆」と題された親子・親友・夫婦の仲良き姿、旅先で撮った寂しげな雨の風景、森山大道風のブレ・ボケ写真などなど。残念ながら、私の心に響くものは少なかった。なんともいい気な感想で、「お前に写真の何が分かるのか!」と問い詰められたら一言もないが、あくまで手前勝手な個人的感想を述べているにすぎないので、お許し願いたい。
そんななかで、一人だけ覚えておきたい名前があった。勝山信子という。もちろん、まったく知らない写真家である。タイトルを控えてこなかったので正確ではないが、「微かなしるしを感じさせるもの」とか記してあったと思う。広場、堤防の草むら、地面に投げ出されたホースなどが写っていて、人物は一切出てこない。こう書いてもその感じは伝わるまいが、私はそこから〈死〉あるいは〈この世の外〉をイメージした。目に見えないものを写す、ここにも非凡な才能がある、と感じたのだ。ま、それだけの話で、それが当たっているかどうかは全然分からないのだが。

大阪ニコンサロンでの「写真家150人の一坪展」は今日で終わり、妹尾豊孝さんや勝山信子さんの作品ももう見られないが、他の会場ではまだやっているので、簡単に紹介しておく。それにしても遅きに失した案内で、妹尾さんにも申しわけない限り。
●キヤノンギャラリー梅田(TEL06-4795-9016)6月7日まで。●富士フォトサロン(TEL06-6346-0222)6月1日まで。●ビジュアルアーツギャラリー(TEL06-6341-4407)6月3日まで。●千・スペース(TEL06-6364-2011)6月3日まで。●ピルゼンギャラリー(TEL06-6251-7751)6月22日~27日。
いずれの会場でも、少ないところで13人、多いところでは50人の写真家の〈一坪展〉を見ることができる。
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2006-05-29

わたしの、好きな人

テーマ:読書
『わたしの、好きな人』(八束澄子[やつか・すみこ]著/講談社)を読了。さわやかな感動というのか、相米慎二の映画『お引越し』の原作(ひこ・田中著/福武書店)を読んだときのような印象を受けた。ラストでは泣いてしまったほど。
12歳の少女さやかが主人公。舞台は、たぶん広島あたりの小さな町工場。働き者の父、引きこもりの兄、従業員の杉田、猫の小太郎がいる。母はさやかが幼いころに家を出ていて、最後まで登場しない。このさやかが、杉田に恋をする。杉田は、12年前にふらりと現れ、「なんも聞かんと雇ってくれませんか」と父に言った青年。つまり、さやかが生まれてすぐのころから住み込みで働いているわけで、さやかとの年齢差は24。真面目で思慮深く、優しく、しかしどこか暗い影を引きずっているようで、男から見てもカッコいい。
この杉田に対するさやかの想いが、明るく健気で純情で、なんとも切ないのだ。思えば、このころの自分も、いちばん汚れていなかったような気がする。さやかの恋の行方には触れずにおくが、この時期の少女が1年間で精神的にどれほど成長するかという〈成長物語〉にもなっていて、読後のさわやかさはそこからも来ている。ただ、12歳の少女が書いているにしては、表現がこなれすぎていたり、こんな難しい言葉を使うか?と感じるところもあるけれど、そのあたりは、著者がすごく苦労した点でもあるのだろう。
装幀(藤田知子)は、白っぽい表紙・カバーにピンクの帯、見返しもヘドバン(花ぎれとも言う。本の背の内側上下両端に貼り付けた布。本を丈夫にするとともに装飾の役目も果たす)もしおり(リボンとも言う)もピンク。で、もちろん書店で巻いてくれたカバーをはずさずに読んでいたが、活字中毒者・目黒孝二氏(「本の雑誌」元発行人)などは、カバーをかけてあっても、それが新刊本であれば、かすかに見えている表紙・ヘドバン・しおりの色などから推理して、相当な確率で書名を当てることができる、とどこかに書いておられたから、そんなスゲー目利きがいないことを祈りながらの読書だった。

そんな、オジサンには不似合いな本を読む気になったのは、NHK-BS2の『週刊ブックレビュー』で紹介されていたからだ。この番組については以前にも書いたが、本好きでも案外知らない人がいるので、あらためて触れておく。
毎週日曜の朝8時から8時54分(私はこの時間に見たことはないが)、再放送が翌月曜の午前0時から0時54分。毎回3人のゲストが登場し、それぞれ3冊の〈おすすめの一冊〉を持ってくる。合評会のあとは特集コーナーで、話題の本の著者が登場し、自著について語る。最後は週間ベストテンの発表。
ベストテンを除けば、毎回10冊の本が紹介されることになる。とてもすべては読めないが、気になる本や面白そうな本は手帳にメモしておくようになった。最近も、そのメモを頼りに山口文憲の『団塊ひとりぼっち』(文春新書)を買った。まだ読んでいないが。
というわけで、日曜深夜は『週刊ブックレビュー』を見て、午前1時からのラジオ『誠のサイキック青年団』(朝日放送、北野誠・竹内義和ほか)を聞きながら寝るというのが、ほぼ習慣になっているのです。
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2006-05-27

懲りない男

テーマ:日常
終日、仕事。やればできるじゃん! という気分だ。
だが、2時間で終わると思っていたことが、やってみると3時間4時間とかかってしまうのはいつものことで、また途中で飛び込みの用が入ってきたりして、予定は大幅に狂ってしまった。それもこれも、最初から想定しておくべきことなのに、まったく懲りない男である。
何故そんなに懲りないのか、自分なりに考えてみた。まず、仕事に対するモチベーション(動機づけ)が足りない。〈いい仕事〉をしたいとは思っているが、それによって地位や名誉を得たいとは思わない(もう無理、という声もあるが)。権力は、私にとって最も不要なもので、むしろ憎んでさえいる。
次に金だが、これは欲しい。だが、ライブドアの堀江氏のような、飛鳥会の小西氏のような強い執着はない。死ぬまでなんとか喰っていけて、葬式代が残せれば御の字だ。
こう書いてくると、なんだか無欲な善い人みたいだが、むろんそんなことはない。女性に対する興味、あるいは恋愛願望は強いほうだろう。しかしこれも、過去の経験から、〈想う人には想われず〉というのが普通だと覚悟しているから、どこかに〈自分が〉好きな人がいてくれればいい。もちろん相思相愛になれるのがベストで、好きな人には一応アプローチしてみるのだが、うまくいったためしはない。でも、まだ将来はあると思っているのだ。
将来といえば、昨日までのように〈停滞〉している時間はないぞと、今日は思っている。なんという変わり身の早さよ。仕事よりも恋よりも大切なものがありそうな気がするのだ。その入り口が、ヨーガであるように感じている。それにしては、随分サボってしまったなあ。S先生、ごめんなさい。

おかしな展開になってしまった。話題を変えよう。今日うれしかったのは、復旧したBBSに初めて書き込みがあったことだ。ヒビキさんという方で、私の友人・知人ではないと思う。なんでも《サイト開設時から》ときどき覗いてくださっているらしく、《このHPを訪れていると、「行雲流水」という言葉が浮かんできます》との感想を残してくださっている。
行雲流水、なんといい言葉だろう。私はジョージ秋山の漫画『浮浪雲(はぐれぐも)』を思い出し、「行く雲のごとく、流れる水のごとく、か」とつぶやいてみた。こんな言葉をいただけるなんて、〈買いかぶり〉というものだと思うけれども、やっぱり嬉しいのである。懲りない男は、単純な男でもあるようだ。
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2006-05-26

「気まぐれ通信」とすべきか

テーマ:読書
ときどき停滞する。原因は、自分でもよく分からない。これが2カ月も3カ月も続くと、〈うつ病〉ということになるのだろう。私はまだ病気ではないと思うが、先日テレビで、うつ病患者の告白を聞く機会があり、「何故こんなことができないのか」と悩み、「生きている価値がない」と自分を責める気持は、痛いほどよく分かった。そんなふうに己を追い詰めるのがいちばん良くないことも分かっているので、私はしばしば〈仕切り直し〉をする。
そして、悠々と、淡々と、なすべきことをなす。それが理想だ。とりあえず、溜まった仕事を片付けていこうと思う。ますます「気まぐれ通信」になるかもしれない。読者(そんな方がいるとして)には申しわけないが、自分のペースをつかめるまで、しばしご容赦願いたい。

閑話休題。講談社文芸文庫の『花影』(大岡昇平著)を読了。ネットで注文して、普通なら1週間ぐらいで届くのに、1カ月もかかった理由が分かった。奥付の発行日が本年の5月10日。つまり今月の新刊だったわけで、発行されるまで待って発送した、ということのようだ。
主人公が葉子であることはまぎれもないが、登場人物のすべてを客観的に描こうとしている点が印象的であった。小谷野敦が「『美の審判者』への告発」という解説を書いていて、ユニークな視点だと思った。また、この小説にはモデルがあって、葉子は坂本睦子、高島は青山二郎、松崎が大岡昇平自身であることは、小谷野の解説でも事実のようだ。ただ、坂本睦子や青山二郎の描かれ方には不満をもつ人も多いらしく、白洲正子あたりがその代表らしい。そういった周辺資料を読む楽しみも出てきた。
小谷野の解説で、ひとつだけ納得できない点があった。松崎と別れた葉子が、後半で松崎と再会し、一緒に九段の桜を見ながら「とうとう吉野へは、もう一度連れてってくれなかったわね。うそつき」と言う場面があるが、最初の版では〈もう一度〉がないのだそうだ。その点を小谷野は《松崎と葉子は、一度だけだが、吉野の桜を見に行っているのを、大岡は忘れていたようだ。》と書いているのだが、そんなことがあり得るだろうか。なぜなら、この小説のタイトルそのものが、松崎と葉子が吉野で桜を見たときの描写、《もし葉子が徒花(あだばな)なら、花そのものでないまでも、花影を踏めば満足だと、松崎はその空虚な坂道をながめながら考えた。》からとられているからだ。先の葉子の言葉に最初は〈もう一度〉がなかったのは、説明的になりすぎると大岡が考えたからではないだろうか。
事実、松崎と葉子が吉野で桜を見たことを、その簡潔で美しい文章とともに記憶している読者には、この〈もう一度〉は強すぎるように思えるのだ。読者に誤解を与えないように、より分かりやすく、と大岡が考えたことも理解できるが、それならここは〈また〉とか〈あれから〉程度でよかったのではないかと思う。〈もう一度〉という表現が強すぎるから、小谷野にあらぬ詮索を強いたとも言えるのではないか。
4月16日の日記に書いた映画『花影』(61年、川島雄三監督)についても触れておきたい。そこに私は《(映画の)葉子の部屋には風呂がなく、1DKのようだ。ここに男が転がり込んだりするのだから、なんとも狭い。》と書いたのだが、原作にも風呂はなく、映画と同じように葉子は銭湯に行く。アパートの広さも《六畳の部屋と四畳半の二間続き》とあるから、1DKと大差はない。つまり、映画はかなり原作に忠実に描かれているのである。違った印象を受けるのは高島の描かれ方で、原作以上に〈貧すれば鈍する〉という感じが強い。かわいそうなのはモデルとされた青山二郎で、なぜ大岡が青山に反感を抱いていたのか、その実態はどうだったのかなど、興味はつきない。
ふたたび原作に戻るが、モデルとなった人々を知らない私には、自己も他者も客観的に描こうとする大岡のストイックな文章によって、『花影』は静かに慎ましく葉子の鎮魂歌をうたっていると思われた。

追記:閉鎖されていた「BBS」を再開できました。また閉鎖されないためにも、ご意見・ご感想などありましたら、お気軽に〈書き込み〉をしてください。
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2006-05-16

5月の映画観賞会

テーマ:映画
大橋信雅さんの本『ホトケの映画行路』(れんが書房新社)読了。私とほぼ同世代で、仕事はあまりしたくなく、映画を見るのが最高の幸せなど、共感するところ多々あり、もう一度じっくり読んで、わが「書評」に取り上げたいと思った。

午後7時から恒例の映画観賞会。シネ・リーブル梅田で『ブロークン・フラワーズ』(05年/アメリカ/ジム・ジャームッシュ監督)を見る。参加者は、いつものNさん、先月来られたMさんとTさん、初参加のKさん、映画が終わってからの飲み会にはYさんも。なんと、全員女性。唯一の男性であるK先生は仕事の都合で来られず、しかもNさん以外は全員K先生の知り合いや教え子とあって、思わぬ展開にたじろぐ。
しかし、映画が始まってしまえば、どうということはない。メジャーに進出したジャームッシュだが、そのテイストは変わっていなかった。
コンピュータの仕事で大儲けした主人公ドン・ジョンストン(ビル・マーレイ)は、ほとんど隠居生活。うらやましい限りだが、本人はあまり楽しそうではなく、むしろウツ状態に見える。冴えないジャージ姿で、一日中ソファに座り、面白くもないテレビを見ている。眠くなったら、そのソファで寝てしまう(たぶん立派な寝室や、でかいベッドもあるのだろうに)。少し腹も出て、典型的な中年体形だ。そのたたずまいに、まず身につまされた。ビル・マーレイは1950年生まれだから、この映画が撮られたときは55歳で、私と同い年。コンピュータで大儲けしたというところ以外は、わが身を見るようである。
そんなドンは、おりしも恋人のシェリー(ジュリー・デルピー。パンフレットを読むまで分からなかった。化粧の具合なのか、滝本誠氏が書いているように《ちょっと顔いじった?》からなのか)に愛想をつかされ、同居していた家から去られようとしている。そこへ、彼あてにピンクの手紙が配達される。文面はこうだ。《あなたと別れて20年が経ちました。息子はもうすぐ19歳になります。あなたの子です。別れたあと、妊娠に気づいたの。現実を受け入れ、ひとりで育てました。内気で秘密主義の子だけど、想像力は豊かです。彼は二日前、急に旅に出ました。きっと父親を探すつもりでしょう……》。差出人の名前はない。終始ポーカーフェイスのドンも、こんな手紙をもらっては、内心穏やかであろうはずはない。
そこで登場するのが、隣家の友人ウィンストン(ジェフリー・ライト)だ。この男、何をしているのか知らないが、いつもやたらと忙しそうで、ドンとは対照的。推理小説好きで、なおかつコンピュータは情報の宝庫だと信じている。この男に手紙を見せたら、「20年前に付き合っていた女の名前と当時の住所を書け」とドンに迫り、あっという間に4人の女たちの現住所を調べ上げ、さらに彼女たちを巡る旅の段取りまでつけてしまう。
かくして、ドンはウィンストンに背中を押されるようにして過去の女たちを訪ね歩くことになる。その女たちとは、ローラ(シャロン・ストーン)、ドーラ(フランセス・コンロイ)、カルメン(ジェシカ・ラング)、ペニー(ティルダ・スウィントン)であるが、個々の状況は違えど、いずれにも孤独の影が見え隠れし、こういう国(アメリカ)には住みたくねえなあと思わされた。
結論から言えば、4人の女たちを訪ねても母親は分からず、息子にも出会えない。しかし自分の旅は終わったとドンが帰ってくると、空港で気になる青年を見かける。青年は自宅の近くにも現れる。「こいつに違いない」と自分から近づき、話しかけてみるが、どうも様子がおかしく、青年は逃げ出してしまう。あわててあとを追うが、青年の姿はない。立ちつくすドンのそばを、一台のジープがゆっくりと走り抜けていく。その助手席から、白ブタのような若者が彼にガンを飛ばしてくる……。私は、この白ブタ君がドンの息子であってもいいわけだ、と思った。後日パンフレットを読むと、なんとこの〈白ブタ君〉がビル・マーレイの実の息子(ホーマー・マーレイ)なのだそうだ! 
パンフレットには、いろんな雑誌の評や有名人のコメントが載っていて、その中でいちばんピンときたのは「New York Magazine」誌の《大切なのは人生をやり直す情熱を持ち続けること。傷つきやすい魂は、深く穏やかなユーモアと同じくらいこのドラマの核なのだ。》という一文であった。そして、ドンの旅は、ウツ状態の彼に活を入れるために隣人ウィンストンが仕組んだ奇策だったのではないかと考えたりした。ウィンストンが「旅のお供に」と持たせてくれたエチオピア・ジャズも、劇中いい感じで鳴っていた。
分かったようで分からないタイトル『ブロークン・フラワーズ』について、ジャームッシュは《たぶん僕は、「美しくて壊れやすい」という、どこか矛盾しているものを表現したかったんだと思う。もちろんD.W.グリフィスの『散り行く花』(ブロークン・ブロッサムズ)も好きだし、『浮き草』とか『乱れ雲』または『浮雲』といったタイトルのように、二つのことが少し矛盾しているような感じ、もしくはそういうイメージを与えてくれるものが好きなんだ。「壊れた花」はビル・マーレイ扮する主人公ドンなのか、それとも女性たちなのか、あるいは人生そのもののはかなさなのか、いろいろ考えられるし。少なくとも『ピンクの手紙』みたいなダイレクトなタイトルは避けたかったからね。》と答えている。

さてさて、映画は充分楽しめたが、問題はその先である。午後9時、K先生に電話してみるが、やはり来られないという。「ったく!」とぼやきながら店を探す。先月行った店は10時で閉店なので、せわしないし。映画館からの長い地下道を抜けたところでYさんと合流し、紀伊国屋書店裏の居酒屋へ。少し待たされ、9時半にテーブルにつく。男1に女5というシチュエーションは、いま見てきた映画と同じである。私を端に、Nさん、Yさん、Mさん、Kさん、Tさんの順で、コの字形にテーブルを囲む。
隣の集団がうるさい。思わずKさんと目配せしたぐらいだから、そう思ったのは私だけではないはず。だが、端に座り、向かいの人とは大声を張りあげて話さなければならないような状況だったこと、さらに私の隣が何事にも如才ないNさんであったことが幸いし、私はあまり話さず、すべてNさんにお任せして、ときどき相づちを打っていればいいだけだったので助かった。Nさんが注文してくれた料理を次々と食べ、酒も生ビール、サワー、白ワインと進んだ。
唯一の失敗は、「ひょっとして、これ年齢順に並んでいません?」とNさんに話しかけたことだった。Yさんは「聞こえましたよ」と私をにらみ、Mさんは聞こえなかったのか無視、KさんとTさんは顔を見合わせたまま返答なしであった。
やはり女性に年齢を訊いてはいけないのだと肝に銘じ、あとは楽しく飲んだ。11時になり、終電の時間を気にする人が出始めたところでお開きに。ビル・マーレイ同様の冴えないオヤジに、こんな機会(女性5人と一緒に酒を飲む)はそうそうあるはずもなく、記念に写真を撮った。
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2006-05-15

配達員はキレたのか?

テーマ:日常
不思議なことってあるんだなあ。地下鉄のホームを歩きながら「こんなとき、知り合いにバッタリ会ったりして」などと考えていると、すれ違いざまに呼び止められた。見ると、眼鏡をかけた小柄な女性。一瞬、誰だっけと思ったが、すぐに思い出した。私の怪訝な表情を見て取ったのだろう、彼女が名乗るのと、私が彼女だと気づくのは同時だった。
かつての仕事仲間で、当時は眼鏡をかけていなかった。「ドライアイらしくて、コンタクトが辛いんです」というところから始まって、「そういえば、この前映画館で会ったときは男の人と一緒だったけど」と探りを入れると、「あ、結婚したんです、去年の秋」とおっしゃる。「そうか、そりゃあおめでとう!」と返したが、憎からず思っていた女性が結婚するのって、なんだか悔しい。心にさざ波をたてていたら、電車が来て、「じゃあまたね」と別れた。

その外出先から戻ってみると、本が届いていた。1カ月前にネットで注文した講談社文芸文庫の『花影』が、やっと来たのだ。やれうれしやと書籍用封筒を見てみると、どうも様子がおかしい。乱暴に封が切られているのだ。だが、本はちゃんと入っている。ははん、これは事務所をシェアしている友人が、間違えて開封してしまったんだなと見当をつけた。それにしても、この本は〈代引き〉だったはずで、釣り銭がいらぬように準備して代金を玄関横の本棚に置いておいたのだが、それも無くなっていない。
封筒を持ち、彼の部屋へ行って「これ、お金払ってくれたん?」と訊くと、「いや、最初からそんなふうに破れてポストに入ってた」と言う。「でも、これ代引きなんやけど」「じゃあ、何回来てもいないんで、腹立てて自分で払ったんとちゃうか。受け取りも抜いて。ここまで上がってくるのは大変やもん」。私たちの事務所は8階にある。もちろんエレベーターはついているが。
でも変だ。アマゾンから「発送しました」という連絡があったのは金曜で、到着までには1~3日かかるとあった。だから土・日も事務所にいて、なるべく外出しないようにしていたのだ。不在連絡票も入っていないし、留守電へのメッセージもない。今日(月曜)の昼に来て、たまたま誰もいなかったからキレたというのか。
アマゾンへ連絡すべきかどうか、迷った。代金を払っていないのだから、払おうとするのは当然だが、配達員の行為を知らせれば、当然それは〈服務規定違反〉か何かだろうから、彼が叱責を受けるのではないか。ここは黙っているべきか。
そんなことを考えながら、アマゾンとやりとりしたメールの履歴を見ていくと、代金はカードで引き落とされていることが判明した! やれやれ、これで安心して読むことができる。それにしても乱暴な配達員である。やっぱり彼(彼女かもしれないが)は何かにキレていたのだろうか。
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2006-05-12

大橋さんの本

テーマ:読書
午後7時、リーガグランドホテル3階・蘭の間、「大橋信雅さん出版記念パーティ」に出席。大橋信雅(おおはし・のぶまさ)さんはシネ・ヌーヴォの仲間で、本職は僧侶。年間に500~600本も映画館で映画を見るという凄い人で、映画館にいなければ酒場にいる、という人でもある。
その大橋さんが、初めて本を出された。『ホトケの映画行路』(れんが書房新社)という。四六判・上製・280ページの立派な本だ。友人(飲み友達?)の版画家・安井寿磨子さんがカバーと表紙の画を担当されていて、これがシックでいて伸びやか、かつ幻想的な素晴らしい出来映えである。発行日は4月12日(黒木和雄監督が亡くなった日ではないか!)だから、もう書店にも並んでいるだろう。ぜひご自分の目で確かめてみてほしい。そして、買ってほしい。定価は税込みで2100円です。
さてパーティのほうだが、参加者約80名。受付でいただいた名簿を見ると、私の知り合いは20人ほど。あとは早稲田大学時代の友人、酒場での飲み仲間というところらしい。司会はシネ・ヌーヴォ代表の景山が担当。近頃、こういうことが実に板についてきたと言うか、ソツなくこなしているのは見事だ。あまり気を使う参加者がいないためか、景山の司会ぶりもリラックスムードで進行。主役の大橋さんは、いつもはなんだかヨレヨレの服装なのに、この日は着物姿。さすがにお坊さんだけあって、これがよく似合っている。あとで聞いた話だが、その着物は大島で、しかも特別な染めのものらしい。
記念すべき出会いもあった。版元の「れんが書房新社」は東京・四谷にあるが、社長の鈴木誠さんがいらしていて、私は20年ぶりに再会を果たせたのだ。24年前からの4年間、同社があるのと同じビル、同じフロアにあった小さな出版社に私は勤めていて、いわばお隣さんだったのだ。鈴木さんの話によれば、その出版社を辞めるとき、私は鈴木さんにきちんと挨拶しに行ったという。なかなか律儀な奴だったんだなあ。
最後に大橋さんの挨拶があり、Aさんとは天王寺の○○というバーで、Bさんとは新世界の××という飲み屋で知り合ったというような話をされ、飲み助の面目躍如という感じであった。同時に、本を読めば分かるが、大橋さんが映画館の闇に潜み、酒場で毎夜飲んでいるのには、それなりの理由があるからで、それはそれで人生の深淵を見る思いがするのだが、心の傷が深いほど人には優しくなれるのか、大橋さんはどこでも愛されているらしく、温かい人の輪が感じられるパーティ終了の場面であった。

9時過ぎからは二次会。大橋さん行きつけの一軒、北新地のバー「際(きわ)」に20人以上が集まった。席が足りず、立って飲む人がでるほどの盛況。11時には終わるかと思っていたのだが、さすがは飲んべえ集団。いつまでたっても終わりそうにない。最後までお付き合いするつもりだった私も、だんだん眠くなり、12時半に失礼させていただいた。まだ残っていた方は6、7人おられたが、おそらく彼らは閉店の午前2時まで飲んでいたのであろう。

大橋さんの本『ホトケの映画行路』の感想については、また。
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2006-05-11

ころかげん

テーマ:日常
4月はずいぶん頑張って日記を書いたので(30日あるうちの19日も書いたのだから、たぶんこれは私の新記録だ)、連休中はお休みにさせてもらおうと勝手に思い、パソコンに触れることもしなかった。だが、休みグセというか、怠けグセがついてしまい、連休が終わっても数日間はパソコンを開かなかった。
こういうのを大阪弁では「ころかげんがむつかしい」と言うのではないか(ちょっと自信ないが)。この場合の〈ころ〉は〈頃〉で、〈かげん〉は〈加減〉であろう。要するにバランス、あるいはセルフ・コントロールが難しい、ということになろうか。55歳は立派な大人のはずだが、そのあたりまだまだ未熟でありまして……。

というわけで、ほぼ10日ぶりにパソコンを開いてみたら、これがエライことになっておりました。まず、いわゆる〈迷惑メール〉というやつが212通! 明らかに怪しいものは即削除だが、ひょっとすると知り合いからかもと思えるものは一応確認しなければならず、整理するのにひと苦労。
で、次にホームページを開いてみたら、BBS(掲示板)が閉鎖されてしまっている! どうやら、90日間〈書き込み〉がなかったら、自動的に閉鎖されてしまうらしい。そんなこと知らなかったよ~。せめて1週間か10日でも前に知らせてくれたら、自分で何か書き込んだのに~。
実際、2月の「おおさかシネマフェスティバル」以来まったく〈書き込み〉がなく、誰も読んでくれていないのではと思ったりしたが、それもまたよし、読者はなくても頑張って書くぞ、と決めて、あえてBBSには触らずにいたのだ。しかし、こうして閉鎖されてしまうと、なんだか悔しい。
自分でなんとかできればいいのだが、変な操作をして元も子もなくしてしまうのが恐ろしいので、さっそくパソコンの師匠に電話。「設定を変えれば、復活できるんじゃないでしょうか。一度見てみますよ」という心強いお返事。
読者諸兄、もし復活できたら、お気軽に〈書き込み〉してくださいね。
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