2005-07-31

ヨーガの小さな集会の夜

テーマ:ヨーガ
7月17日に京都で『アムリタ(不死)』というヨーガのイベントがあったことは書いたが、その「おさらい」のような会が今度は大阪であった。南森町(大阪市北区)の小さなカフェ・レストランで開かれたその集まりは「リーラー・サンガム」と題され、《リーラーとは神的遊戯、サンガムは三つの河の合流点=聖地を意味する》とチラシにあるが、全体としてどういう意味なのかはよく分からない。
午後7時から始まった会は、おおまかに3部構成になっていて、まず17日に模範アーサナ(姿勢、ポーズ)を見せてくれたアメリカ人青年がヨーガの修行をしているドキュメンタリーDVDの予告編を見る。何度見ても、凄い。本人も参加されていたので、お聞きすると、撮影されたのは3年前で、その時点ではヨーガを始めてまだ2年だったという。10年ぐらいは修行を重ねている人だと思っていただけに、これには驚いた。天性の素質があったのか、あるいは2年間寝食を忘れて修行したのか。いずれにせよ、彼の集中力は尋常ではない。
次は、17日の演劇「ナチケータスの魂の旅」を撮影したビデオのダイジェスト上映。当日は音響効果が悪くてセリフがよく聞き取れなかったと日記に書いたが、それは解消された。だが、「人間は死ぬとどうなるのか」というナチケータスの問いに、ヤマ神(閻魔大王)は「アートマン(真理、悟り)を得れば、不死となる」と答えるのだが、そのアートマンに至るには、やはり修行が必要なのであった。
後半は、ヨーガ教室の主宰者・S師を囲んでの懇談会。20人ほどの集まりだったから、貴重な経験といえるかもしれない。しかし、みなさん大人しい。自分は初心者だから黙っていようと思ったが、司会の女性と目が合ったり、多少は興行の世界を知っているので、こういう場合は誰かが口火を切らなければ場が盛り上がらないと考えたりで、結局すこし喋ってしまう。S師のお話は、ヨーガの最終目的である「アートマン」をめぐってのものとなったが、私のような初心者には、それはずっとずっと先のこと、もしくは一生出合えないことのように思われ、「なるほど、そういうものですか」と拝聴しているばかりであった。
前半は少し喋りすぎた、という思いもあって、閉会後はそそくさと退散したが、夜道を歩きながら、S師と話すのはまだ畏れ多いが、ヨーガをやっている人は、みんな心がきれいというか、透明な感じがするなあと考えていた。ズボラな私が、ヨーガのイベントには皆勤賞なのは、そのあたりに理由があるのかもしれない。
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2005-07-30

自分でしなさい、自分で

テーマ:日常
何度も書いているが、私の「ケセラセラ通信」には、仕掛人というか後見人がいて、このブログ日記は別として、ホームページのデザインや記事の更新は、そのojiさんにお任せしてきた。もちろん、文章は全部私が書いていますけど。だが、あるとき「もうそろそろ、自分で更新できるようになってください」と引導を渡されてしまった。
以来、ojiさんに大阪の事務所まで来ていただき、更新についてのレクチャーを受けること2回。そのときはなんとか出来るのだが、新しい文章も作らず、日が空いてしまうと、教えられたことを右から左に忘れ、出来なくなってしまう。
「しょうがないですね。30日に大阪で用があるので、そのときにもう一度お教えしましょう。でも、これが最後ですよ」と脅かされ、その日となる。
午前中にレクチャーを受け、ojiさんは所用のため外出。その間に、一人でやってみなさいということだ。いい線までは行くのだが、教わったことと少しでも違う表示が出ると、もう触れられなくなってしまう。しかし、もう後がないのだからと自分に言い聞かせ、何度かチャレンジしていると、奇跡のように更新できた。
午後4時、ojiさんが帰ってこられ、細かいところを手直ししてもらって、ようやく更新画面が完成。「今度は写真も入れられるように、を目標にしましょう」と励まされる。だが、まだまだ不安。次は自分一人でできるかなあ。そのためにも、早く更新用の文章を作らなければ。

かくして当日更新されたのが、「習作」ページの第2弾「入退院の記」であります。1年半ほど前に書いたものですが、そのときは一生懸命でした。読んでやろうという方は、左欄のブックマークから「ケセラセラ通信(メインサイト)」をクリックしてホームページに入り、目次の「習作」を開けてください。
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2005-07-29

『埋もれ木』の曰く言いがたさ

テーマ:映画
友人2人と、梅田ガーデンシネマで小栗康平監督の『埋もれ木』を見る。冷房がよく効いていて、程度の差はあれど3人とも眠ってしまう。《山に近い小さな村》での人々の生活が、これという中心もなく断片的に映し出される構成も、睡眠を妨げない。だが、目覚めて見ているときの映像は、隅々まで計算され尽くし、なみなみならぬ完成度で脳裏に刻み込まれる。
後半、大雨でゲートボール場の崖が崩れ、そこから「埋もれ木」(埋没林とも呼ばれ、火山噴火によって立ち木のまま地中に埋もれた古代の森)が姿を現すあたりから、これは死者あるいは霊魂との、普段は見えぬ回路を描こうとした作品であるかと思い始める。しかし、はっきりとした主張がなされるわけではない。人間の営みは、かくも永く、淡々と続いてきたのだ、と言っているようにも思える。小栗監督自身、《『埋もれ木』では、見えていることと、見ようとしていることが、ないまぜになっている。結果として、映画にある程度の抽象性が入ることを避けられなくなった》とパンフレットに書いている。いわゆる、「見た人がそれぞれに感じ、考える映画」なのであろう。小栗監督は先の文章に続けて、《もしかしたらそれが観客にうとまれることがあるかもしれないと思う》とも書いている。実際、「分からない」「難解だ」と言ってしまいたくもなるのだが、それを言っちゃあオシマイなのだ。そう言ってしまうと、この映画の美しさ、イメージの瑞々しさ、静謐さ、精神性の高さを一言で切って捨てることになってしまう。まあ、眠ってしまって偉そうなことは言えないのだが、必ずもう一度見るぞ! とひそかに決意しながら劇場を後にしたのであった。また、それだけの価値がある作品だと思う。

映画を見てから、恒例の飲み会になる。眠ってしまった負い目からか、誰も映画の感想を語らない。しかし、1時間以上が過ぎ、もう一人の仲間が飲み会に加わったあたりから、少しずつ映画の話になる。驚いたことに、自分が見ていた場面のことは、3人とも鮮明に覚えているのだ。それだけ映像にインパクトがあったことを証明していよう。かわいそうなのは、後から参加したYさんで、「顔の違いがよく分からない3人の女の子が、お話を作ってリレーしていくの」とか「建設途中の高速道路の上で、男の子と女の子が遊ぶんだ」とか「赤い馬の紙灯籠が夜空に浮かぶシーンは、すごくきれい」などと言われても、映画の全体像はさっぱり掴めなかったと思う。でも、きっとYさんも、私たちの興奮した口調を忘れず、いずれどこかで『埋もれ木』を見てくれることだろう。
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2005-07-27

ヨーガの深み

テーマ:ヨーガ
水曜日はヨーガ教室の日(ヨガと言ったりヨーガと言ったりするが、私の教室ではヨーガの語を使っている)。前日は自宅へ帰れなかったので、夕方自宅へ寄り、着替えなどの用意をして教室へ。われながら、「よくやる」と思う。
ヨーガではさまざまなアーサナ(ポーズ、姿勢)を行なうが、「柔軟性を競うものではない」という教えを頼りに、硬い体のままあまり無理をせず、曲げたり、伸ばしたり、ひねったりしているが、それも5回目ともなると、周りの人たちがきれいな形を作っているのが気になり、いささか恥ずかしい。そう思うなら、自宅でも練習すればいいのだが、ズボラな性格はまだ直らず、週1回の教室に通うのが精一杯(それもときどき休む)。
しかし、得意なアーサナもある。各アーサナの間に、全身をリラックスさせるためにシャヴァ・アーサナ(屍の形)を行なうが、これは得意だ。仰向けに寝て、両手・両足を少し広げて全身の力を抜くだけ。要するにダラッと寝ているだけなのだが、体が左右対称になっていなかったり、肩や首に力が入っていてはいけないとされる。だが、これだけは最初から褒められた。普段もダラーッとしているからであろう。
2時間の教室のうち、最後の20~30分は瞑想に充てられる。なかなか「うまく瞑想できた」とは思えないのだが、この時間も好きだ。シッダ・アーサナ(達人の形)という、あぐらに似た形で座り、目を閉じて意識を眉間(あるいは胸の中央)に集中する。さまざまな雑念が去来するが、その都度、それを排除していく、というか消していく。「無」になることが目標なのだと思うが、それは「虚無」とは違うのであろうか。あるいは、宇宙と一体化することを目指すのだとすれば、それは「神の視点」に立つことになりはしないか。そんなことを考えていたが、これも雑念には違いない。喝!

ヨーガ教室を出ると、喫茶店に入って「おさらい」をする。その日注意されたことや感想をノートに記すのだ。このときは自分でも不思議なほど真面目。ヨーガをやったおかげで、プラーナ(気)が活性化されているのだろうか。家に帰ると、元の木阿弥なのだが。でも今度の水曜日までに、せめて1回か2回、自分でアーサナをやってみよう(できるかなあ)。
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2005-07-26

『ふたり』の衝撃

テーマ:映画
26日深夜(正しくは27日)、NHK-BS2で大林宣彦監督の『ふたり』(91年)を見る。14年前の作品で、一度は見ているはずだが、その素晴らしさに酔った。
まず、主人公の石田ひかりと中嶋朋子が若く美しい。石田ひかりはこれがスクリーン・デビューだそうだが、ドジでノロマなくせに、その若さがすべてを乗り越えさせ、人生を肯定的に歩ませる、という主人公・美加そのものとしてそこに居る。寝ぼけたようなしゃべり方も美加にふさわしいのだが、少し聞き取りにくいのが難点か。
中嶋朋子は、突然の事故で亡くなった姉・千津子を演じ、幽霊として出てきて美加を助けるという設定。だれからも愛された優等生で、早世したから余計に伝説化され惜しまれている、という感じもピッタリだ。
何をやっても姉と比較され、自信を持てない妹を、「あなたにはできる。あなたは私以上に才能があるのよ」と励ますところも、(私にはきょうだいがないためかもしれないが)泣かせる。
母(富司純子)は、その姉に頼り、夫(岸部一徳)に頼り、という性格だったため、突然の千津子の死に耐えられず、精神に変調をきたしている。しかし、優しい夫は全力で、美加も自分にできる範囲で懸命に母を支えようとする。このあたり、やや「きれいごと」にも感じられたが、大林作品としては珍しく(?)苦い展開が用意されていた。
父が左遷され、尾道から小樽に単身赴任となり、そこで部下(増田恵子)と不倫の関係になってしまうのだ。やがて夫婦の関係は修復されるが、夫は小樽に戻り、妻は「そこに居るほうが気が楽だから」と病院に戻るという終わり方で、予断を許さないという感じは残る。そのあたりもリアルである。
物語の舞台、坂の多い尾道の風景もいい効果を出している。大林監督の「尾道三部作」(『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』)は有名だが、さすがに故郷だけあって、尾道を撮らせたら右に出る者はない。
私は映画音楽については無頓着なほうだが、この映画の主題歌は心に残った。美加が口ずさみ、千津子がうたうその歌は「草の想い」という曲で、私が知らないだけで有名な作品なのだろうと思っていたら、大林宣彦作詞・久石譲作曲のオリジナルだという。あまつさえ、ラスト・クレジットにかぶせて、その二人がデュエットしているのだから驚く。確かに名曲だと思うが、そこまでするのは少々「ワル乗り」で、やはり最後は美しい声の女性ボーカルで締めてほしかったなあ。
もうひとつだけ苦情を言わせてもらうと、尾美としのりのキャスティングである。千津子の恋人で、彼女亡きあとは美加とも心を通わせる、という羨ましい役なのだが、大林作品の常連とはいえ、この二枚目役に尾美としのりはないだろうと思った。
苦情も言ったが、名作であることは間違いない。スクリーンで見る機会があったら、駆けつけよう。
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2005-07-22

『マラソン』、韓国映画の水準

テーマ:映画
金曜日、その日で終わってしまう映画を調べる。何本かあったが、アンテナに引っかかってきたのは『ミリオンダラー・ベイビー』と『マラソン』。「ミリオン~」は必ずもう一度見なければならないが、またどこかで上映するだろうし、もう少し時間をあけて見たほうが新しい発見があるかもしれない、と思う。で、『マラソン』(チョン・ユンチョル監督)に決めて安売りチケット屋へ。
チケット屋では、いつも「あれもこれも」と買ってしまい、結局見に行けずに悔しい思いを何度もしているので、今日は『マラソン』だけにしようと決意して出かけたが、やっぱり駄目で、『宇宙戦争』『皇帝ペンギン』『亡国のイージス』『忍 SHINOBI』『蝉しぐれ』も買ってしまう。トホホ。

さて『マラソン』だが、自閉症児とその母というありがちな題材で、『レインマン』(バリー・レヴィンソン監督、88年)や『オアシス』(イ・チャンドン監督、02年)を連想させるし、予告編で見た一場面は『グラディエーター』(リドリー・スコット監督、2000年)を思い出させた。
というわけで、あまり期待していなかったのだが、これは拾い物だった。まず、暗くないのがいい。母親の苦悩もきっちり描かれているのだが、自閉症の青年チョウォン(チョ・スンウ)の行動が巧まざるユーモアを醸し出している。
周りの人物の描き方も納得できる。子どもによかれと思ってマラソンを勧め、やがてそれは強制ではなかったかと悩む母(キム・ミスク。この人、誰かに似てると思っていたら、女優の河合美智子に似ているのだった)、かつてはボストンマラソンで優勝した経験を持つが現在は酒で身を持ち崩しているコーチ(イ・ギヨン)、母親の愛情がチョウォンばかりに注がれ寂しい思いをしている弟(ペク・ソンヒョン)と、同じく家に帰ってこなくなっている父(アン・ネサン。この人、どこかで見た顔だと思っていたら、『オアシス』で主人公に厳しく当たる兄を演じていた人だった)。とくに、立ち直ったコーチが母子の間に入り込み、やがて母親と結ばれたりするのかと思っていたら、それもなく、立ち直りはするのだが距離をもってチョウォンを支えるというあたりもサッパリとして気持いい。
ディテールも効いている。チョウォンが好きなテレビ番組「動物の王国」、シマウマ、ジャージャー麺、チョコパイ、スモモ。そして腕を噛む癖など。それらが実に効果的に、しかもさりげなく映画の中に生かされているのだ。
実話を基にしているから、ということもあるのかもしれないが、ありきたりの母子物、お涙頂戴映画にはしないぞという監督の心意気が伝わってくるようだ。そのセンスの良さに感心した。

5月に見た『スカーレットレター』(ピョン・ヒョク監督、04年)は、ハン・ソッキュ主演にもかかわらず、「もう勘弁してくれよ」と言いたくなるほど凄まじい作品だったが、韓国映画のパワーは充分に感じることができた。やはり現在の韓国映画には勢いがある。
ちなみに、『スカーレットレター』でのラブシーンが、その自殺の原因になったのではないかといわれているイ・ウンジュだが、体当たりの演技ではあっても、決して自殺するほどのことではないのに、と残念であった。だが、そこには、私たちにはうかがい知れない韓国内での評価も影響しているのかもしれない。ともかく、彼女の冥福を祈りたい。
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2005-07-20

匿名と実名

テーマ:日常
17日の「ヨーガ・イベント」のことをここに書いて以来、初めてヨーガ教室に行く。よせばいいのに、日記に書いたことを指導者のSさんにメールで知らせてしまい、おそるおそる参加することに。しかも、読んでくれたのはSさんだけでなく、ほかにも数人おられた様子で、ひたすら恐縮する。ただ、評判はまあまあで、「正直な感想だと思う」「辛口の批評は大歓迎」「音響が良くなかったのは私たちも残念」など、社交辞令もあるかもしれないが、とりあえずはホッとする。
意外だったのは、私のプロフィールを見られたのか、「シネ・ヌーヴォの方だったんですねえ」という反応が多かったこと。そこでは、自分の実名も仕事も明かしているのだから、驚くようなことではないのだが、普段はそのことをあまり意識せずに書いているので、意表をつかれた気分になったのだろう。

その実名と匿名ということに関して、先日すこし考えさせられる出来事があった。「この日記に読者登録をさせてください」という奇特な方があり、2人目でもあったので喜んで登録していただいたのだが、後日別の方からトラックバックがあって、実はその「奇特な方」は、かなり無差別に読者登録をし、ひるがえって自分のサイトの読者数を増やそうとしている人なのだと教えてくださったのだ。「エッ!」と思って調べてみると、私のところに来たのとまったく同じ文面で他の人にも読者登録をかけていた。これはあまり良い気分のものではない。
嬉しがりの私は、その「奇特な方」のサイトにお邪魔し、コメント(しかもヨイショする内容の)まで残してきてしまったというのに。ただ、そのコメント自体は、あながち嘘ではないので、そのまま残すことにし、「奇特な方」のサイトは私のそれとは性格が違うこともあって、彼(?)の読者登録者名は非公開とさせていただいた。もちろん、「奇特な方」も「別の方」も実名は分からず、ハンドルネームというのか、匿名しか分からない。
考えてみれば、これはちょっと怖いことだ。「奇特な方」に悪意があるとは思わないが、本当に悪意のある人がアクセスしてくれば、私の実名も仕事も分かってしまう。しかし、逆にこちらから彼あるいは彼女のことを知ろうとしても、相手が匿名にしていれば、ほとんど何も分からないのだから。
私が実名でサイトを開いているのは、「自分で書いたことには責任を持ちたい」というぐらいの気持からだが、世の中にはペンネームというものもあり、「ペンネームで書いているから、この人の言うことは信用できない」というものでもない。ただ、ハンドルネームとやらの持っている背後の闇のほうが、より深いという気はする。

ヨーガ教室での世間話から、思わぬ方向に思考が跳んだが、要は誰が見ているか分からないのだから慎重に、しかし正直に自分の思いを書いていくしかない、ということであろうか。てことで、皆さんヨロシク!
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2005-07-17

ヨーガ・イベントと喫茶店

テーマ:ヨーガ
午後3時前に京阪三条着。祇園祭・山鉾巡行の当日とあって、相当な人出を覚悟していたが、それほどでもなし。あとで聞いた話では、山鉾巡行は午後には終わっていたらしい。
実は、6月半ばからヨーガ教室に通い始めていて、今日はその団体が主催するヨーガ・イベントがあるのだ。会場の京都文化博物館へ急ぎ足で向かう。3時には到着。3時半開場・4時開演と聞いていたので、まずチケットだけでも買っておこうと受付へ。すると、「もう開場しています」と言われる。そのまま入ってしまおうかとも思ったが、なにしろ暑い。少し涼んでからと、喫茶店を探しに出る。喫茶店(カフェと言わないのが中年の矜持)探しは得意だ。嗅覚が働くとでもいうか。ほどなく「MAEDA COFFEE」を発見。カウンターとテーブルが2つだけのこぢんまりした店だったが、アイスコーヒーはうまかった。
3時半には京博へ戻り、入場。《定員300名》とチラシにあったが、すでに100人以上の人々がリノリウムの床に靴を脱いで座り込んでいる。さて、自分はどこに座ろうかと会場を見回していると、Nさんが声をかけてくれた。私にそのヨーガ教室の存在を教えてくれた人である。私は大阪クラス、彼女は京都クラスなのだが。「やあやあ」と、Nさんの隣に座らせてもらう。
4時の開演までにさらに観客は増え、最終的には250人ぐらいにはなっていたのではないか。『アムリタ(不死)』と題されたイベントは三部構成になっていて、第一部が『ナチケータスの魂の旅』というタイトルの演劇、第二部がヨーガの実演、第三部が解説と質疑応答となっている。
4時に演劇が始まる。大阪クラスで私を指導してくれているSさんも出演しているから、団体の幹部たちによる集団劇なのだろう。内容は、純粋な青年ナチケータスが、黄泉の国でヤマ神(閻魔大王)に出会い、「人は死ぬとどうなるのか」を問うというもの。まさに哲学の核心部分だが、音響設備の問題か会場空間の問題かは知らず、演者たちの声が聞き取りにくく、残念ながらあまり理解できなかった。しかも、30分ほどで終わってしまった。
次は、アメリカ青年によるヨーガの実演。ヨーガで行なう様々な形やポーズは「アーサナ」と総称されるが、この青年のアーサナは凄かった。よくあんなポーズが作れるなと思うほどアクロバチックな肉体の形が次々と披露される。だが、その動きは緩やかで、精神的にも非常に安定していることが見ているだけで分かる。これも30分静かに続いたが、会場はざわつくことなく、観客も集中して見ていたと言える。あとの解説で、司会者が「いいプラーナ(気)が会場を満たしていました」と言っていたが、それもあながち誇張ではない。
私はといえば、青年の体の美しさに見惚れていた。それはボクサーの美しさとも、水泳選手の美しさとも違う。一見すると痩せ過ぎに見えるのだが、必要な筋肉はついており、しかも柔軟なのだ。私はいったい何年ヨーガをやればああいう体になれるのだろうかと、わが太鼓腹をさすりながらうなだれるのであった。
最後が解説と質疑応答で、これが1時間。最初の質問者が、「僕の頭が悪いのかもしれませんが、結局人間は死ぬとどうなるのですか」と発言したとき、思わず拍手したくなったが、それに対する回答も要領を得ないものであった。ま、1時間や2時間で人生の「真理」が分かるはずもなく、それは自分で本を読むなり、ヨーガの実践をしていくなかで掴み取るしかないものなのであろう。また、永いながい修行の果てにたどりついた悟りが、そう簡単に言葉にできぬものであろうことも推し量られ、解説が「要領を得ぬ」のもむべなるかな、というところだ。
それにしても、会場を埋める250人前後の人々が、すべてヨーガの実践者なのかと思いきや、そうでもないらしく、だとすれば、この真剣さは何なのだろうと不思議な気がした。スピリチュアルなものへの希求が、この時代にふつふつと湧き上がってきているのだろうか。
さまざまなことを感じ、考えさせてくれた2時間で、これで3000円は、私にとっては妥当な入場料であった。さて、しびれた脚を伸ばし、帰ろうとしていると、私の師匠である先述のSさんが、「紹介したい人がいるから」と、ふたたび会場へ連れ戻してくれた。そこには、ヨーガ教室全体の主宰者が座っておられた。写真でしか見たことがなく、日本人なのに、あのオウム真理教を連想させるようなホーリーネームというのか、胡散臭い(失礼!)カタカナ名前なので、「大丈夫かなあ」と思っていたのだが、実際にお目にかかってみると、仙人のような人であった。とはいえ、二言三言ことばを交わしたのみで、新参者の私はひたすら畏まっていただけなのだが。しかし、「信頼できる人のようだ」という印象を持てただけでも、大収穫であった。

京都クラスのNさんとも別れ、私は近くの「イノダコーヒ」(コーヒーではなくコーヒ)の本店へ向かった。学生時代によく行った店で、込んでいてもあまり周りが気にならない。1999年、火事に遭ってしばらく休業していたが、翌年リニューアルオープンした。座席数が増え、内装もきれいになったが、私のようなオールドファンには、やはり昔のたたずまいが懐かしい。この店では、いつも「ロールパンセット」を頼む。ロールパンに海老フライが挟まっていて、キャベツとポテトのサラダが付いている。もちろんコーヒーもうまい。ここで30分ほど休憩してから京阪三条へ向かった。
ちょうど7時ごろで、空がいい景色を見せている。このまま京都を去るのがもったいなく、京阪電車の終点・出町柳まで歩くことにした。新しい靴を足に馴染ませたい、出町柳から乗車すれば確実に座れる、という思いもあった。
鴨川の河川敷は、いつ歩いても気分のいい場所だ。カップルが土手に座っている。一人でサックスの練習をしている青年がいる。ベンチで寝ているおっさんがいる。本当はいけないのかもしれないが、10人ほどの学生グループがバーベキュー・パーティーをしている。実に楽しそうだ。川の中に設置された飛び石に腰掛け、足をせせらぎに浸して上流を見つめている少女がいた。失恋でもしたのだろうか、それとも眺望の美しさに我を忘れているのだろうか。今度、私もやってみよう。
ひたすら歩くこと30分。明るかった空は、もうすっかり夜の色だ。出町柳駅の明かりも見えてきた。しかし、この汗! またどこかでひと休みしよう。出町柳駅の近くに、名曲喫茶(懐かしい響きだ)があったはず。日曜日だからお休みかなあ。でも、ありました。店名は「柳月堂」。狭い階段を2階に上がる。広いフロアにお客は3人だけ。正面にどでかいスピーカーが据えられている。大音量でかかっているのは、ドボルザークか。あちこちに注意書きのメモが張ってある。曰く、この席は「何もしない」人専用、電子音のするライターは駄目、ZIPPOなども音がしないように使え、等々。要するに「静かに」ということだが、その徹底ぶりが面白い。
イノダコーヒのロールパンだけでは物足りず、ここではコーヒーとミックスサンドを小声で注文。見慣れない客と思われたか、「あの、テーブルチャージを別に500円いただきますけど」と、きれいなお嬢さんが申し訳なさそうにおっしゃる。合計1850円だが、そこは鷹揚に「いいですよ」と答える。だが、このミックスサンドが絶品だった。1階が同じ店名のパン屋さんで、どうやら自家製パンを使っているらしいのだ。帰り際に、1階でパンを買って帰ろうかと思ったが、その誘惑はなんとか抑え込んだ。
かくして、ヨーガ・イベントと喫茶店の日曜が終わろうとしていた。

追記:長らく空き家にしてきたメインサイト『ケセラセラ通信』の「習作」に、ようやく第一弾を載せました。かなりキワドイ内容ですが、そこからの「脱却宣言」のつもりで書きました。左欄の「ブックマーク」から『ケセラセラ通信』をクリックしてお読みください。
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