2007-01-03 01:06:08

こころの柱

テーマ:ブログ
侘び寺に、久々に立ち戻る。



住まいを、海辺の旧避暑地の崖の上から、お城の堀の内、富士山を眺める土地へ。



次の移動も見えているから、仮住まい。



思い返せば、なにしろ移動好きである。

平成18年は、その習性に輪をかけて、移動の年だった。



中国へ数度。

台湾へも行った。

アメリカにも長期滞在した。

ヨーロッパへも出向いた。走った。

広島との往還も40回。

ひとり、引越し。







いい年だったかどうか、と問われれば、

そうだったと答えたい。



悲しいこともたくさんあった。

それでもなお、生きているし、年を越えてとても未来への希望を感じている。

自分の好きな自分に戻ってきたし、

自分らしい歩き方を久々にしていると思う。

そして、足取りも確か。



この今を生み出しているのは、2006年があったからで、

なによりも確かですばらしい支えを得た。



波乱も肥やしに。沈鬱も次への序曲なのだ。







年を越えて、家族の正月へ招かれた。







ところで、私、人の本棚を眺めるが好きである。

その人のこころの襞も含めて、感じることができると思うから。



並んでいる本たち。それらの背表紙に残る手の跡。

並び方。置かれ方。カテゴライゼーション。

いつごろ、どれくらい手に取られたのか。

そして、その本棚は総体としてその人にとってどういうものなのか。



招かれた家の居間には、ひとつ本棚があった。



真ん中に仕切りのある、背の高い本棚。



向かって右側は、歴代の芥川賞受賞作品が、昨年分まで並んでいる。

かれこれ40年分ぐらいだろうか。



左側には、同じように、直木賞作品が並んでいた。







この家の主は、87歳の男性。



彼の居室や、その他の部屋にもきっと本棚や書籍の空間はあって、

そこには別の、彼の趣味や雑学、仕事や遠い過去にかかわる本が並んでいることだろう。



家の中心地となる居室の本棚からは、

彼の意思、あるいは、柱、命脈のようなものをとても感じた。



最近の受賞作もあるから、

「ゲルマニウムの夜」も、「そのとき母は」や、「蹴りたい背中」などもある。

そして彼は87歳だ。

本たちは、少なくとも一度は読まれた形跡があり、

背表紙には揃いだから手製なのか、「芥川賞受賞作」という帯も付いている。



彼が生きてきた時代の結晶、あるいは定点観測としての、

両賞作品群がそこには並んでいる。



たとえその作品個々の文章が、彼の好みに合わなくても、許容しずらくても、

生きてきた時代の結晶として辿り続け、

彼の生活圏が外と触れるひとつの核である居室に並べている。



そんな真摯で、持続的でゆるがない息遣いに、とても尊敬を感じた。







実際は違うのかもしれない。



ただただ、「かわないとねぇ」の惰性がここまできて、

買った以上置き場所を用意しなければならんから、一番マージナルな居間へ置き晒しているのかも知らん。



それでも、続いていることは確かで、

少なくとも本屋で両賞作を見かけたら、買うようにしていることは事実。



続けること。



これこそが、こころの柱の本懐なのではないだろうか。



それがこころの柱そのものなのか、あるいは、こころの柱の表徴なのか、

それはわからないけれど、

ひととき触れた私に、なにか確かなものを伝える力があるものだ。







彼はもともと名古屋のほうで、

住み、働き、家族を養い育て、長く過ごしてきたそうだ。



そして、リタイヤ後、子供家族の暮らす関東へと移動された。



よって、その移動の際には、ひととおり身の回りを整理して、

エッセンシャルなものを携えて動いているのだろう。



越してこられて長いようで、生活の蓄積も感じるのだが、

その中で、この両賞の本棚は、凛として確かな佇まいをしていた。



変化の中でも続き、変わらないもの。

それを大切にする姿勢。



これについて、私はなにも現場では語らなかったけれど、

でも、とても身の締まる思いをした。







移動を続けると、だんだん自分に大切なもの、エッセンシャルなものが見えてくる。



それは存外、こじんまりとしたサイズで、

スーツケースにして2つであまる程度だ。



※趣味も職業もあって、本がとても多いし、

 本こそ私の資産なので、それは別。



かれこれ20年ほどの移動の暮らしの中で、

このエッセンシャルなものたちはどんどん変化してきたと思う。



だが、最近は同時に、レギュラー陣も増えてきた。



これからは、きっと、どんどん量は減ってきて、

レギュラー陣ばかりになるだろう。



そして、これからは、私は、

大切にしたいものを長く長く続けていくことを、しようと思うのだ。



我慢や待つこと、それを重ねるのは、

不慣れだけれど、それをしたことがこれまでないのは、

これからそれをするためなんだろう。



そんな教えを、彼の本棚から感じた。







いろんな物事や場所を猟歩して、散らかして、得て、

原始的な育ち方をしてきた。



仕事も、まだまだ半成りだし、

人として完成までは程遠い。

貯金もないし。借金もある。



我慢をまだまだ知らず、意固地な部分や不必要なこだわりもある。



だが、徐々に、確かに続く生き方を志向しはじめてきた。

そして、これまで言葉先行で思ったり動いたりしてきたことが、

だんだんほんとうの意味を見せてきた。



だからこそ、こころの柱を太く確かにしていきたいと思うようになった。







移動を続けてきたのは、きっと、帰る家が確かにあったからだろう。



あたたかく私を育んだ家。

敬愛する祖父がつくり、住んだ家。

いろんな人と出会い、過ごした家。



私はきっと、この家から卒業をして、

次へつなぎ渡す、家をつくろうと思っているのだろう。



次の世代に確かな柱としてつながる家を。



そんな気持ちへ、変化していることを知った今年。



移動人生は続くけれど、それでも、

これまでの発散系の移動から、

収束してひとつの筋や命脈としての移動へ。



今年も、よい旅を続けていこう。

温もりと愛情につつまれながら。
AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2006-10-30 13:44:43

麻三斤

テーマ:ブログ

ここのところ経験は豊かなのだが、
organizeされなくなり、
いささか、気持ちが時間を追い越しそうに。
嵐が心に宿りはじめたので、
自戒をします。


自由なこころは、
シチュエーションのSetの仕方によって、
時に、心を毛羽立たせ、
人に向けてはよろしくない棘となる。


外への力を封印して、自由を追い込んでみよう。
すべてにきちんと向き合おう。


踏むべきプロセスは、予定通り踏みながら。


それで贖罪にはならないが、
罪を受ける皿にすらなれていないから、
まずは矯めて自律することを再認せねば。


私なりの麻三斤を見つけたが、
まだ川の向こう。


世界と一緒に微笑みながら、川を渡れる時まで、
シバラク、修行、修行。


禅堂にて、秋は過ぎる。

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2006-06-26 23:25:06

雨しとど 湿り風 走り去る

テーマ:ブログ
自転車通勤をふたたび、はじめてみた。

決意をしてから、梅雨のさなかであることに気づいた。

天と風と地、という不変なものならばまだしも、
うつろう季節ごときに負けて、意思をゆるがせにしてなるものか、
と、むしろ決意を固くし、決行しているのである。

もちろん、会社についてからは、
ぬれそぼまり、パーマのうねりがいつもより多めになったこともあり、
気味悪がられたが、むしろ、私はそれもふくめて爽快であった。

走り抜いて着いたこと。
雨ニモ負ケズ、であったこと。
どんなかたちであれ、リアクションを得られたこと。

やらねば、なにもおきないのだー、と
走りのぼせ筋肉優勢になった頭で、思うのぼせよう。

まあ、再開したてだから、なにかとむやみに前向きになるのもよかろう。

大事なのは、ある一日の成果ではなく、つづけることなのだから。

******************************************************************

私の一番好きな移動手段は、歩くことである。
特に、登るのがすきだ。
山とかで、どうかしら、と思うくらいの斜面を、大股で登ると、
「おいおいスイスイだなぁ」と馬鹿に感心してしまう。
下りは楽だが、膝が痛いし、
バランスとスピードの妙な調整をしないとならんから、いまいちだ。

つづいて好ましいのは、自転車。
詳しくは後述。

そして次が、飛行機。
あの飛び立つときの後ろに引っ張られる感じが、幼稚園児のころほどではないが、
感動を呼び起こす。

で、自動車。
思いのまま早く動けるし、流れていく景色や、
気分によって走り方をかえられるのが、自転車同様よろしい。

あとは、スキーとか、ローラーブレードとか、スケボーとか、
器具に頼りつつも随意に動けるものがつづき、
おおよそ最後らにくるのが、
タクシー、バス、そして、近距離電車(特に地下鉄は嫌い)である。

*新幹線や特急、寝台、ローカル鈍行といった足の長い電車は、旅情があるので、好き。

ゆえに通勤だろうがなんだろうが、
電車は極力避ける。お断りだ。

つまらない好悪だけれども。

**********************************************************************

雨の日に傘をささない性癖と同様に、
自転車は、なんだか、世界と素直につながっている気がしてよいのである。

ぐっと踏み込むと、周りは風の音とともに素早く近づいてきて後ろへ流れ、
たらーっとしていると、ゆるやかにうつろう。

ふらふらしたって、大丈夫。
坂道を登りきり、知らない向こう側をスリルとともに一気に下りさることだってできる。
歩道も車道も自在に進み、たいがいの道を、野原も、隙間も走れる。

あんまり駐禁も切られないから、わりあいどこでも行けるし、寄り道も可。

自転車には、冒険という言葉がぴったりなのだ。
しかも、からだによい運動でさえある。

たどりつけるかなぁ、という走り出す前の不安も、
たどりついた後の、おお走ったぞ、という満足もステキ。

ズボンの裾が、油っぽくなることさえのぞけば。
そして、会社で着替えたり、汗臭さを気にしなければいけないことをのぞいては。

**************************************************************

つまり、行き帰りはものすごく楽しくなり、
肝心の会社勤めそれ自体は、もさくなる。

この、会社でのもったり感を、どう解消したものかが、目下の課題ではある。

動きながら考える、
自転車での移動とおなじく、
自転車通勤という新たな習慣についても、
しばらく動きながら考えていよう。

いまは、ただただ楽しい。
それはとてもいいことだ。
AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2006-06-05 07:23:46

自己中心世界

テーマ:ブログ
気がつくと、とても、自己中心的な考えや気持ちやことばに、
すっかり支配されきっていることに、気付いたのです。

きっと、氷のように、感じられているのでしょう。

私は、生来、口が悪いというか、デリカシーがないところが、
結構あって、思ったことを、できるだけ正確に言おうとすることがある。

それこそが、言葉の研鑽だ、と思ってきたのも事実で、
ここのところ、生まれてこの方なく、
ことばを出し記し遺すことが多く、
また、一人でものを考え感じ動くことも多く、
さらに、禅寺に入り浸り、孤高と自然と向き合ったりして、
結果、たいそう自分世界のみを、絶対化してきているのでしょう。

人にやさしく、自分に厳しく。

言葉だけは学び記していても、
今、これが、実践できておらず、

人にきびしく、自分にやさしく、

そういう生き方を、言葉の選び方同様に、しているのです。


自分に厳しくあること、人にやさしくあること、
その真意や極意が、まったくつかめなくなり、
実践とエラーこそがすべての始まりとはわかりつつも、
気持ちがついていきません。

そのことばや動きが、人にどう評価されるのか、
もしそれが気になるのであれば、
自分自身で評価することをやめて、
思い切りやれば良いはずなのに。

結果うしなったのは、素直さや率直さでしょう。

自己撞着はよろしくない。

いろんなものを、取り戻せなくなっているので、
また、はじめから、はじめなければ。


いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。