今日思い立ち、書くことが生まれた | 逸脱と研鑽の公案

今日思い立ち、書くことが生まれた

歳が明けた。

去年が去年になり、今年が今年になった。
昨日が今日になるよりも、少し前に進んだ気がする。
「一歩、歩いた」よりも、「何処そこへ行った」のほうが、区切りがよろしいのと同じ。

最近は、後進の指導が多いこともあり、一年を経ると、それだけ気が軽くなった気がする。

事実として、さまざまな諸先輩方を見ていると、
どうも、歳をとることは、その分、気が軽くなるべきなのだと思う。
そうでないと、年重も年若も、だいたい、やってられないだろう。

下にとってみれば、上の重しが軽くなるべきであり、
本人にとってみれば、体が渋く重くなる分、気ぐらい軽くなってほしい。

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軽やかな心地の、年重ねた方は、下にとってもありがたい。

年をとることは、よく、熟年までは責任が重くなる一方と語られるが、
「責任が重い」というのは、O型意識ではそれだけ抱えるということだけど、
本当に実際を考えると、
「配下や組織等の所作/所産への責任を取る覚悟を持つ」という、覚悟の量が大きくなることであって、
必ずしも、深刻で・気重で・重厚な、底深い深淵の上に立つ気分になれ、というのではない。

彼にとっても、その上下にとっても、覚悟するなら、
潔く覚悟し、軽やかに采配することのほうが、よほど有益であろう。

なるほど確かに、期待や、もたらされうる最悪の結果の度合いは、より厚みをもつのだが、
結果は本人がどうあれ、皆のがんばりと、世の風向きによるのだから、
何も悩んだり、重ぶることが重要ではない。

どれだけ覚悟ができるか、腹を据えられるか、
それこそが大事で、
重ぶる/偉ぶることではなく、いかにそれすら楽しめるか、こそが、
人の軽重を示すのだろう。

だからこそ、軽やかな年嵩が、心くすぐられ、より周囲の能力発揮に結びつくと思う。

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さて、さきほど来、「パットン大戦車団」なる映画を見ながら、
アメリカの教養ある乱暴者の考え方を参照し、思ったのは、
日本で、少なくとも江戸文化ころまでは、「覚悟」という意識感がとても重要だったのではないか、
ということである。

この視点から考えると、
たとえば、武士の切腹は、ことあれば自殺させる妙な辞令、とも捉えられるけれど、
「覚悟」文化維持のための、必要儀式ともいえるのではないか。

つまり、重要なのは生死そのものじゃなく、それぐらい物事を重要視しながら軽やかに腹を据える、
という「覚悟」してる生き方なのではないか。

「生き方」のために、死ぬ、ということ事態、たいそう逆説的な、
生き方の覚悟の証明だと思った。

つまり、普通に仕事などをして身分(=社会的生)を過ごす日常があって、
日々ノーマルに生きている。

だが、その裏側には、「名(=身分)を汚すしくじり」を生をもって直ぐにあがなうぞ、
という覚悟があり、
その覚悟の花道の終わりには、切腹があるのではないだろうか。

上   「ということで、わかってるよね」
本人「はい」
上   「じゃあ」
本人 そして、切腹

という直切腹、なのが、日常の背景にあったのだろう。シンプルに考えると。

で、日常の日々は、ふつうにすぎるものである。

この軽やかな覚悟感って、現代とは異質であるが、
しかし、その軽やかさ加減は、なんとも含蓄がある。

実際は、「俺、死にたくねー」とか、「いや、あれは俺のせいじゃないです」とか、
いろいろあったんでしょうが、すくなくとも、世の中のルールとして、
「軽やかに、覚悟せい。それが、美」というのがあったんでしょうな。

武士のメンタリティとして、「我が身ではなく、名こそ惜しけれ」といいますし。

別に現世において、切腹というアクションは、名ではなく生そのものが大事なため、
「頭がおかしい」ルール外の出来事ですが、
覚悟との向き合い方は、よい参考になると思います。

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さて、パットンに触発されたこのお話の背景には、
「軽やかな覚悟感」とともに、どうも、日本文化の特徴らしい、
「生きる者のみへのまなざし」というのがあります。

対義語としては、「死せる者へのまなざし」となるのですが、
どうやら、アメリカにせよ、ヨーロッパにせよ、あるいは、中国韓国にせよ、
多かれすくなかれ、「死せる者へのまなざし」が生活の中に多分にあるのです。

より正しく云おうとすると、”日本的”な意識は、
自分も含めた、生ける者のため、生ける者をより生かすため、にかなり集中していて、
欧州/アメリカ権威文化には、
生ける者ではなく、死せる者をより今に生かすこと、をも考えていると思われます。

たとえば、その証左として、
日本語文化には、かなり世界的にも特殊なことに、
詩は、叙情詩しかない、ということがあげられます。

詩は、文学的に、叙事詩/叙情詩/叙景詩に分けられますが、
たとえば詩的文学まで広げて考えても、
叙事詩かな?と思われる「太平記」なども、結局は文学的に訴えるのは、
そこで生きている人々の心の動きであり、
叙景詩かな?と思われる「俳句」でも、結局は、
そこから感じ取る気持ちが主題となっています。

そうじゃないと、なんも伝わらん、というスタンスに立っている、ということです。

つまるところ、それを受け止める今生きる私/私達にこそ、
根本関心があるわけで、実際に詩で語られる事象/光景そのものは、
今の私の心を動かす為の、舞台設定にすぎないということ。

人の世の景色や歴史を、生活の中で形づくる、
「家」「街」が、結局人一代とおなじ、30年内に移り変わる文明背景が
下敷きとなっているのかもしれませんが。

文化思想として、「今生きる者による今生きる者のための文化」ととらえると、
文化摩擦/文化不理解のひとつの原因導出となるように思います。

「死せる者の中で、どう生きるか」という意識がないのですから。

つまり、上で述べた「覚悟」感も、
「死せる者」に向かうと、重大事項に思われるべきことも生まれますが、
「生ける者」あるいは「生ける俺」にのみ向かうと、軽やかに楽しむことこそが重要となります。

切腹も、「祖先に顔向けできない」云々と語られるものの、
結局は「名」を尊び営まれている、当時の現在を維持するためのシステムとして、
「死んでチャラ」ボタンを押すことだったとも言え。

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寺は、生死に向き合うべき場であり、
これを思ったから、また、この寂び寺へ言葉を刻みました。

歳は取るもの、人は死ぬもの。

禅が日本に浸透した背景は、決してその凛とした禁欲界ではなくて、
葬式で「よくくたばった、ご苦労」とあっさりしているから、じゃないかと思うのです。

この死を軽やかに受け止める感じを追い求めた結果が、
禅味では。

今日はここまで。

今日の偈は、

「死んでめそめそされるより、
 死んであっさりしてるほうがよく、
 だから、軽く、しかし覚悟はきっちりと、楽しめる男は素敵」

という、ぐだぐだなはなし。