公案1-4:妄想学習 | 逸脱と研鑽の公案

公案1-4:妄想学習

すっかり、また、blog離れしてしまいました。

わずかながらの読者の方々、すみません。

もはや、blogというよりも、エッセー集化している事実に、なかなか素直に向き合えず、
心根からのパワーを必要とする、仕事の日々の業に萎え、
そういえば日課にしていた、就寝前の読書もかれこれ途絶え、
食生活も乱れ、
湿度の多さに眠れず、寝たとしても寝疲れし、
それにつられて、我が飼い犬殿も発狂し、

と、そんな御託だらけで、すっかりかけませんでしたー。

ふぅ。

さあ、いざ、堂宇の中で、公案を。

どうでもいいが、blogなりmyHPなり、というオンラインドメインを持つということは、
つまり、自分のお堂を持つということなのだろう。

手入れを怠れば、雑草がはえ、尋ね人も減り、うらぶれてしまう。

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妄想学習、公案1シリーズの積み残しから、手をつけようぞ。

そもそも酔っぱらいながらこのblogは書いているので、
文意も酩酊しておれば、列記された言霊も、どうも見当が悪く、
別の酔い方を常にするこの時間帯だと、遡行してなんで挙げたか分からない。

だが、挑もうぞ。

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私は、中学と高校の多くの部分、男子校で過ごした。
絆と体と情報と欲求が千鳥格子のように組みあい、
ただその模様の中で、染まり続けた日々。

その中の友垣をつくるのは、
同じ妄想に同意できるか、ということであった。

なぜ、男子校を語るのか、というと、
どうも、男子は女子には語れないほど、どうしようもない妄想に、
暇があれば浸ってしまうということが、正しそうだからである。

ここでいう「妄想」がいかなるものか、については、
男子となんらかつながりのある女子であれば、
すぐに想像し、雰囲気をつかめるものだとおもうので、
多くは語らない。

その妄想は、ロマンであり、また、
競争環境の中で、子孫長栄を思う存在としては当然かもしれぬ。

だが、愛すべきほどに、どうしようもない。

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私は、それらから、どうもいろいろ学んだように思う。

例えば地震がくる。
その時、私はあまり動揺しない。

例えば突然警察から呼び出しがくる。
その時、私はそれほどに先を案じない。

例えばとんでもない失敗をしたとする。
その時、私は自殺を考えはしない。

そして、私は、
戦地に無邪気に赴いたりせず、
ひざまずいてプライドを保とうとはせず、
単なるイライラを転嫁して人を責めることは貧しいことだと思う。

これらは、言ってみれば、過去の妄想ロールプレイング経験の賜物である。

過去の妄想の中で、いったいどれほど
自分は恋をし、勇者になり、国を動かし、
自分は格好よく振られ、塗炭をなめ、死に、
そして、妄想の後、そんな妄想をし、浸っていた自分に、
ドン引きになったことだろう。

妄想の中には、自己愛と絶対化、
そして妄想後の自己へのお寒い評価と相対化が、
かならずついてまわるものだ。

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だが、妄想は、極めて反社会的なものと断ぜられることがある。

「あなたの妄想でしょ」と言われ、
”妄想癖”は、ほぼ、あちら側への片道切符のように扱われる。

だが、学習とはロールプレイングである。

そして、そこに居るだけで簡単にでき、そして経験を積むほどに内容が高度化する、
妄想は、自己学習の主要なリソースと言ってしかるべきである。

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公案は、妄想と冷静のあいだを行き来する。
情熱と冷静の間、と言った方が聞こえがよければそれでもよい。

黒い衣装をまとい、世俗から逸脱した人々が巡らせる妄想、
そして、それが積み重なって今に続く法灯。

私は、かようなものを受け入れ続ける日本の文化と歴史が、
最近とても興味があってしょうがない。

さて、
妄想は、確かに、浸りっぱなしで帰って来れなくなれば、
まさに、あちら側への切符となるが、だがしかし、
妄想することは、自由を個人自身で感じられる根源的契機ではないだろうか。

もっと妄想せよ、とは言わない。

だが、妄想は、少なくとも、自分自身一人一人の中では、
昔と今の自分との比較をしたときに、思い出されてもよい功労者だと思う。

妄想はしなくてもご飯は食べられる。
だが、妄想はためになる。

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夢は有るか、と問われ曖昧になる若者がおおいらしい。

だが、夢などどうでもよい。

妄想した?、と問われ、どれほどにおもしろおかしく恥ずかしい妄想を語れるか、
そこに文化の底力と、文芸の将来があるのではないか。

そして、妄想しない、妄想を語れない、妄想のスキルが低い、
そんな世の中はごめんだと思う。

だって、喋っていて楽しくないもの。

妄想、はファンタジーと言えば、なぜかよく聞こえる。
また、ROMANと書けば、歴史を感じ、小説文芸そのものの名前でもある。

西欧文化のあけっぴろげ感、も、じつはこのあたりの市民権度合いかもしれぬ。

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この公案は結ぼうとすればするほどに、言葉が生まれてくる。

だが、締めよう。

体を動かす力は、食物の化学作用により生まれる。
心を動かす力は、気分の化学作用により生まれるのではないだろうか。