認知症介護壱の技 聞き流して受け流す=受け止める | えのまちちゃんのブログ

認知症介護壱の技 聞き流して受け流す=受け止める

 認知機能に難がでて、ひとり暮らしは難しくなって、それでも綱渡りで一人暮らしをしてたチズさん。

ついにある日腰痛で動けなくなり入院。その後、老健施設でリハビリをし、帰宅を夢見ておられた。

でもやっぱ無理だよね、ってなり、ご家族がお母さんに一番良いと思われる方法をあちこち相談しながら手探りで探し、えのまちに通いながらの施設暮らしを選択された。

入院中もリハビリのための入所中も、「えのまちに行くために」と常々言ってくださっていて、この方の目標にもなっていた。それで、ついに、新しい施設に入り、そこの併設のデイにも一日は通うことにして、週何回かをえのまちに通う、という生活がスタートして、まだ一か月そこら。


介護の考えが普通の施設だから、職員の動きが「職員のための動き」になっているが、誰も気づいていない状態という、ごくごく一般的な普通の施設だけど、なにしろキレイ。このつくりだと、こうゆう動きしかできないのかな、この際、思い切って私にソフト面やらせてもらえませんか?って欲望が湧く。色々試してみたくなるくらい新しさ全開の場所。


迎えに行くといつも、「全然つまらない。家に帰りたいよ。」というチズさんに、「私が娘でも、ご家族の意向と同じで、こうゆうとこに居て貰って夜なんかあったときに気付いてもらえるってのは安心だし。」となだめてきた。そのたびに、「そうだねえ、と仕方ないね、」と言ってくれるチズさん。

入院前に、夜間自宅で混乱し、窓から「助けてー」と叫んで近所の方が警察を呼ぶこともあったし、深夜に本人にとっては大問題だが実際は明日でもいいよね、的問題で、市内に住むご家族が呼び出されることも多々あった。そのせいで、独居が不安視されたという経緯がある。


ところが最近のこと。

元々希望していた部屋の用意ができたからということで、とりあえずで入居していた部屋から引っ越しされた。

これが大混乱。

納得したかのように見えたが、家族が帰宅した2時間後、施設から来てほしいと連絡が入り、あわてて戻ると「なんで今までの部屋じゃないのか!」と大騒ぎ。

家族も今までの経緯をわかるように精一杯説明するが、感情でしか受け付けなくなっていて、「勝手にあんたらがやった」と怒りまくり。そして、一番あたりやすいお嫁さんにガンガン怒る。しまいには、お嫁さんも腹がたち、売り言葉に買い言葉状態で大変だったそうだ。


 話は変わるが、私の実の母親が軽い認知症になっていて、あらゆることを軽くサポートしている。

まだ、そこまでじゃない認知症初期。でも、こうゆう時が一番気を遣う。わからないようにサポートしているものの、母が一番良いようにしてあげようとしても、意にそぐわないことも多々ある。一番私がうんざりしたのは、本来母がやるべき経理等を、私が代理でやった時に、妹から「母さん、○○を(私に)乗っ取られるかもしれんって言ってたよ」と聞いた時。

全部いらんし・・。心から叫びたかった。そのせいで私がどれだけ時間を裂き、忙しい思いをしていたか。それは誰のためだったか。

でもそんなことを人に話してもなんとも表現しきれず、とりあえず母に関する仕事をかなりの比率 妹にバトンタッチしていたら、今度は妹と母の関係が悪くなる。妹からの愚痴を聞いてやっと分かり合える人に出会えた感満載で、「うんざりするね」って言えた。以来、妹と協力しながらやっている。


チズさんの息子のお嫁さんも、最後には、「お義母さん、ずるいですよ」って怒ったそうだ。そうなんよねーって心から思った。言いたくなる。ずるさはきっと心許せる人だから出てるし、そもそも考えてずるいんじゃない。状況が自分の思い通りになったら安心して、今まで何に怒っていたか、という重要事項がよくわからなくなってしまうから、ずるく見える。

でも、その対象になった側の人からは、許せん!て言いたくなる行動&言動のオンパレード。

チズさんは、結局元の部屋に戻ったのだ。大騒ぎしている間に、スタッフさんが頑張って全部元の部屋に引っ越しし直してくれたのだ。

そして、その後は何事もなかったかのように、よく眠られたそうだ。

よかったよかった・・・


わかっているけど、こうゆうのは喜劇にしたほうがいい。

もうどうしようもない。

コメディーを生で体験しているって思う方が楽。


できるだけ、聞き流す、受け流すのがいいんだって伝えたかったんだけど、怒ってるようで、本当は一番傷ついているかもしれないお嫁さんには共感して差し上げることしかできなかった。


お母さんもただただ感情を受け止めてほしかっただけで、そうゆうことはきっとお嫁さんもわかっているから「ずるい」って言ってるんだと思う。こんなに周りの人に迷惑かけるほどにあなたはわからない人じゃないでしょうって言いたかったのだろう。

でもお母さんは、普段は確かに大丈夫だけど、その時は迷惑をかけるほどわからない人になっていた。


こうゆう今はこうゆう時だっていう線引きがほんまに難しいけど、言葉が通じないときは、”そうゆうとき”だと割り切った方が、結果的にお互いにとっていい。

聞き流すとか受け流すとか、そのおかげで相手の感情を受け止められる。不思議なものだ。理屈はわからないが、介護をやってる者の実感として確実にある。

でも、たまに爆発して喧嘩も全然いいとおもう。たまにはお互いね、怒るって大事よ。


最後に、あまり言いたくないが、施設もその新しいフロアの電気を全部つけず、暗くしたままにしていたり、フォローに対して手を抜いていたと思う。どの程度の認知度かは、よくわかっていてフォローは当然なのに。新しいところだから経験が不足していたのだろうか。人が居ないとこにあのくらいの認知度の方がいたら、状況が飲み込めず不安になるって気付かなかったのか。全部、チズさんが悪いことになっているのだとしたらなんか許せないなあ。