2011年4月より歌手になる勉強をするため、仙台の音楽学校に進学する予定でした。あの日全てが変わりました。
家族を残して一人夢を追いかけることはできない。住み慣れた大好きな福島県南相馬市は地震のあとの津波、そして原発事故により一時7万人いた人口のうち6万人が避難しました。皆故郷にうしろめたさを感じながら…
将来を諦めました。未来を諦めました。真っ暗な闇は絶望という深い闇でした。
救ってくれたのは歌でした。合唱団の先生が声かけてくれました。
“皆流され、めちゃくちゃになったけど夢までは流されちゃダメだ”
皆で歌えたあの日の事私は一生忘れません。
絶望の真っ暗な闇で見たのは一筋の小さな光でした。希望という…
12月東京へ上京。少し遅れたけど小さな希望と大きな夢を抱え今、大好きな歌を歌っています。いつか沢山の人に届けられますように…
もしそれが叶うのなら私には1つの義務として東北で起こった悲しみを伝えてゆきたいと思っています。
私の育った東北沿岸の街には今も夢を見る事さえ奪われ絶望という中で必死に希望の光を探している人が沢山います。
“復興してきた”皆元気に笑うようになった。テレビの情報はだいたいがその様な報道に変わっています。
少なくとも南相馬市で“復興”を感じてる人は一人としていません。
もしも叶うなら夢だった歌手になりたい。
それは自分自身の為でありそれは今も絶望の中にいる東北沿岸部の人の為にもなるとおごましくもそう思っています。
こんなに苦しめられた南相馬市の一員として私にはそう思う権利はあると思っています。
伝えたい歌があります。
どうか一人でも多くの人に届きますように…
遠藤恵里
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