駅ハイ スカイツリー下町散歩 両国ってどこ!?
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駅ハイ 東京スカイツリーを眺めながら すみだ下町散歩 コースに行ってきました。
総武線の両国駅から錦糸町駅まで 歩行7.2km 約2時間 のコースでした。
両国
両国橋から着いた地名
ここの両国は、地理的にいって武蔵の国と下総の国
隅田川を都心から渡ったところは下総だったんだと思うけど![]()
江戸時代 江戸ではあったが、川向こうの新開地として一段低く見られがちだった場所のようだ。
少し調べると、両国橋は寛文元年(1661年)に竣工
江戸の歌人 戸田茂睡が「下総の国本所に江戸浅草百余間のはしをかけさせらるる。武州下総両国へ掛たるなるがゆゑに両国橋と名づけるなり」と記している様である。
このあたりが何時から武州に編入されたのか良く判らない
1686年(貞享三年)幕府が武州に編入した説
寛永年間(1622年~1643年)にした説
明治になってその時の江戸と下総の境を軍が地図に武州・下総の境としただけ説。
現在の足立区あたりは、武州だったけど葛飾区は総州 両国近辺は古い隅田川の流れからして武州だ説
色々あってわかりませんでした。
判ったのは、両国橋は最初 ただの大橋の名称だったがみんなが両国橋と言うから両国橋になったとの事
千住の大橋もこの前に書いたけど、いまだに橋に大橋とだけ名称が入っている
隅田川にかかった最初の橋が、千住大橋そして二番目の端が両国橋のようである。
それから言うと橋に名称をつける思想が最初は無かったのかも知れない。
結局、武州下総の境は良くわからなかった。
そして、今でも東京都と千葉県で境界線の主張が違うようですよ。
余計なこと書いていたら時間になったので、本編は改めて書くことにします。![]()
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1 ■国境
おはようございます。
国境の変化を調べるの難しいですね。
史料が有れば、簡単なのでしょうが・・・。
その史料の存在・有無自体が分からないですから・・・。
私が住んでいる市の東部、茨城県結城市の北東は、元禄時代に下総国結城郡~下野国都賀郡になっています。
古文書などで、実証できます。
この地域、政治的・経済的・文化的・歴史的にも、結城との関係が強いのに・・・。
なぜ、変更したのでしょう。
知りたいと思って調べたことがあるのですが、分からないままになっています。